「この世界のことについて……知ることができる……?」
「うん。私が契約者としての使命に呑み込まれるまでなら、ほぼ全てのことを」
大人となったスクルドの口から衝撃の内容が伝わってくる。
この世界について知ることができる? ほぼ全てのことを?
……だったらそれが真実であるか、そうでないかということは一度置いといて質問するしかない。この世界の核心に触れることができるかもしれないのだから。
『ダメだ! まだ早すぎるっ! レンくんや人類が私達の情報に触れるのは……っ!』
「貴方には聞いてないよ、炎の情報生命体さん。それに人類の知的探究心は止めることはできない以上、いくら貴方が否定してもいずれは触れることになる」
「……フレイムが見えてるのか。ということはスクルドは……」
「そう。お察しの通り、私は『炎』を持つ契約者ということになるね。ファビオラと同じように」
「お嬢様が私と同じ……」
「でもそんな瑣末な事は今はどうでもいいよ。それよりも私に聞きたいことは?」
そう言いながらスクルドはブロードウェイのド真ん中にでもいるかのように、俺たちを中心として円を描くように歩きながら、こちらの問いを今か今かと待ち続ける。
質問には限りがある。時間という限りが。
となると思考する時間さえも惜しい。ともかくぶつけられる疑問を出し続けながら、思考も並行していくしかない。もしくはこっちが考えてる最中にソヤとファビオラにも質問をしてもらうかだ。
その意図が視線を合わせただけで伝わったのだろう。ソヤは「では私から」と言って足と共にその第一声を出した。
「だったら最初の質問ですわ。そもそも何故『ドール』や『魔女』とは別に、契約者などという特殊な役割が存在してますの?」
「それはセフィロトの10個存在するダアトを守るため。『陰陽』の話は知ってると思うけど、これはセフィロトだって例外じゃない。セフィロトにも対となる存在があり、その名は『クリフォト』——。セフィロトが生命の象徴なら、クリフォトは虚なる力の象徴」
「虚なる力……」
セフィロトの対となるクリフォトという存在があったなんて——。
だけどそれが何だというのか。未だにセフィロトの全貌さえ掴めてない俺にとっては、そんなことを言われてもSF小説特有の独自設定の押し付けみたいで頭がこんがらがるしかない。
「クリフォトだって当然ダアトが10個存在する。そのセフィロトとクリフォトのダアトの均衡が崩れた時に契約者は動き出す。それが契約者の役割……要は大まかに言えば、経緯はどうであれ『純粋に世界を守る』ことがハインリッヒやギン、それにミルクや私に課せられた使命ってこと」
「でしたらお嬢様。ダアトが当然のようにあるのなら、クリフォトにも当然『契約者』がいるわけですよね? 私たち契約者……つまりセフィロト側とは別の」
その考えに至るのもまた当然だ。俺だって瞬時に思ったのだから、聡いファビオラが気づかないわけがない。
ぶつけられた疑問への返答に、スクルドはただ頷くという肯定の意志を見せた。
「けれどその存在に対する答えとヒントは既にレンお姉ちゃん達は知ってるとも言っておく」
「知っている……?」
「今までの全てを思い出して。そして残酷なことも告げておく。それは世界にとってマイナスにしかならない存在になることを」
俺が既に知っている者の中に、クリフォト側の契約者がいるというのか。
だってそれはおかしい。そもそも契約者という存在は均衡が崩れない限りは出現しないというなら、そういう場面にならないと出てくるはずがない。
ならば誰だ——。今まで出会った誰がクリフォト側の契約者なんだ。
契約者には属性があり、それぞれ二人まで。そんな特徴を持ってるのなんてそう多くはないはずだ。
…………
……
『ええ。私もシンチェンもハイイーも、根本的な部分はアイツらと同じよ』
『何か見当違いな考え方をしてるから訂正させてもらうわ。確かに私たち姉妹はニャルラトホテプと同じような存在よ。でも、その在り方自体は多少の差異はある。それこそコインの表と裏みたいに』
……
…………
「ま、さか……」
「そう。クリフォトの契約者はシンチェン達のことだよ」
思考の果てに辿り着いた答えを、俺が口にする前にスクルドは言い当てた。
「くっだらねぇ! なんだよそれ!」
「だけど本当のことなんだ。クリフォトの10のダアトに結びつく契約者はシンチェンとハイイー……それにスターダストとオーシャンといった情報生命体を『子供』と『成人』という端末に分けることで10人の契約者を顕現させた。そしてエーテルの海にいる『本体』へと情報を送信する……それが彼女達の使命」
エーテルの海にいる本体——。それは俺が『方舟基地』で接触した『星尘』のことに違いない。
話の前後で俺は理解した。そのシンチェンとスターダストみたいな分裂したのが『契約者』であるのならば、星尘という本体こそがニャルラトホテプやヨグ=ソトースと同じ立ち位置に存在するものだと。
何せ——俺はあの時、星尘の名前をヨグ=ソトースと同じようにまともに脳内で認識できていなかったのだから。
「……本当なのかフレイム」
『……ええそうよ。私達は元々『この世界に存在しているはずがない』もの——。スクルドの言ってることに真実しかない』
そんなわけがない——。そう思いたいけど、そう思うことは許されない。
だって告げた人物はスクルドなんだ。自身が持つ『未来予知』という性質を俺に教えたという、彼女の中で最も『信頼してる』からこそできる行為をした彼女なんだ。
だったら俺には『信頼』に応える責任がある。彼女のことを……スクルドの口から放たれる真実が、例えどんなに俺にとって残酷でも信じないといけない責任が。
「じゃあなにか!? シンチェン達が本当は『敵』だったわけで、俺達が今まで敵対していたヨグ=ソトースとかのほうが『味方』だったってのか!?」
「それは主観的な問題だから、レンお姉ちゃんの敵も味方も変わらずのままだよ。ただ『世界』や『宇宙』という概念で捉えるなら、その通りではあるんだけど」
「それに『敵』じゃなくて『毒』と言った方が正しいかも」とスクルドは付け加えて説明を続ける。
「クリフォトは虚なる力の象徴。『虚無』という言葉がある通り、本来なら存在しないもの。つまり『具現化』するには『媒体』が必要になる」
「媒体……」
「手っ取り早いのは生命体に『寄生』することだよね。例えば『隕石に触れた人物に認識できるよう情報を与える』とか」
——それは戦慄を覚えるには十分な一言だった。
「覚えがあるよね、レンお姉ちゃん?」
「そりゃそうだけど……だからって……」
覚えがあるなんてもんじゃない。だって、あの日『リーベルステラ号』で隕石を触れたからこそシンチェンが見えるようになったんだから。
「それに『信仰』とかもありだね。例えば『動画サイトとかで有名になって偶像となる』とかも」
——答えは瞬時に出た。言葉に出す必要も、思い浮かべる必要もないほどに鮮明に。
「……それでも!」
「じゃあこの質問の最後にこれも言わせてもらうね」
それでもシンチェン達を信じたい——。そんな淡い思いさえも徹底的に打ち砕くと言わんばかりに、スクルドは言葉を捲し立ててきた。
「自分にしか見えない存在、記憶、記録を信じるなんて、そんなの『狂人』と差はないんだよ——」
それは『リーベルステラ号』で初めてシンチェンを見た時の俺のことを言ってるのだろう。
同時にそれは自身が持つ『未来予知』という理解され難い能力を持つスクルドが言うからこその重みでもあった。
スクルドが次々と絶え間なく告げられる真実に頭の処理が追いつかない。それだけ彼女が契約者としてどれほど世界の裏側を見てきたかを意味してもいるし、今まで呑気にしていた自分の情けなさから不甲斐なく感じてしまう。
——あんな小さな女の子が、未来の自分の姿を使ってまでこれほどの価値がある情報を知っているというのに。
——自分には何ができていたのだろうか。ただ自分が強くなったことに自惚れて、周りのことなんてちっとも見えていなかったんじゃないかと矮小な価値観を教えられてるようで。
「それにこの寄生する行為……レンお姉ちゃんでも知ってる表現でいうと、こうも言うんだ」
——『ミーム汚染』って言うんだよ♪
…………
……
「たくっ……まさかこんな裏技を持ってるとはな」
「支援役ってのは後ろで籠ってるだけが仕事じゃないの。いざという時は前にも出る。これができる女ってものよ」
一方その頃、現実世界での華雲宮城にて——。
ギンはレンを抱え、クラウディアはバイジュウを抱えながら、侵入者を惑わすことを目的とした常に似た景色が続く建築構造となるフリーメイソンの走り続ける。
クラウディアがここにいるのは簡単な理由だ。クラウディアの鏡は物を運ぶことができる。それは鏡の表面積さえ足りていれば『鏡で鏡を運ぶ』ことも可能でもあるのだ。
故にクラウディアはまだ無事であるレンの鏡を使う事で、体が収まる程度の横と厚みが薄く縦長という能力のために常備している特注の鏡を経由してこちらの方に瞬間移動してきたのだ。
——あの目潰しは自分がこっちに来る前兆を見させない策でもあったとはな、と内心でギンは尊敬するが、それでも敵地の中には違いない。
「しかし手負いのワシと、居眠りが二人では逃げるのに限度がある」
「それにファビオラとソヤも白雪姫状態だしね……」
「白雪姫?」
「オネンネしてるってこと」
「爺に分かりにくい表現するな」とギンは内心で悪態をつきながらもどうするべきか思考を続ける。
麒麟も手負いの状態とはいえ、敵地の中にいることは間違いない。今この瞬間にも、あの手この手を画策してギン達からバイジュウを攫おうしているだろう。
流石のギンでも素人相手なら可能ではあるが、SID内でも腕利き揃いと噂される『無形の扉』相手では多勢に無勢だ。
『ハロハロ♪ お爺ちゃん方、私の声が聞こえてるかにゃ〜〜?』
そんな思考を強引に終わらせたのは、どこからともなくやってきた声であった。
建物内の音声システムを使っているわけではない。なんらかの技術や異質物を利用し、脳内に直接語りかけるようにギン達に連絡を図っているのだ。
「なんだ、この猫撫で声は!? というかどっからだ!?」
「それにここは標高何千メートルの都市な上に、電波を遮断する施設内よ!? どっから出してんのよ、このぶりっ子!?」
『あはは! オバさん、後で個人的に制裁を与えるから。私の名前は『イナーラ』……ちょいと諸事情でアンタ達に手を貸すことなったからよろしくね』
「あの金さえあれば何でもする銭ゲバか……」
『さっきから私に対する当たりがキツくない?』
「顔も見せないやつとか信頼できるわけないでしょ。それに私のことオバさん扱いしたし」
『間違いなく私怨が中心じゃない。私とあなたは相性悪いわ、これ……』
『まあ今はビジネス。そういうのは最低限だけにしておきましょう』とイナーラを名乗る人物は声色を変えて、いかにも真面目にやってますと言わんばかりに先ほどの猫撫で声が嘘のように語り始めた。
『ファビオラとソヤは私が保護しておいて、今は協力者の管理下で保護してる。それに外側から戻ろうとしてる『無形の扉』は私たちで食い止めてるところ。だから下手に脱出するより、籠城を決め込んで数を減るのを待った方がいいわよ』
「二人を保護してる? いったいどこの誰に?」
『ホリーやアストレイル、って言ったところで伝わらないでしょう? まあそういう工作が得意な連中を何人か連れて協力してもらってるの』
「SIDからの依頼でもないのに、そんなことをするメリットがあるのかしら?」
『さあね。私はそういう部分には極力関与しないから。でも助けてほしいとお得意様の『グレイス』に頼まれたら応えないと』
「秘密を大事にする個人事業主のくせに口が軽いこと」
『予め教えていいと許可得てんのよ。じゃないと信頼しないだろうって言っていたから』
それは事実だった。クラウディアは『グレイス』という名前をレンから既に聞いている。とはいってもレン自身はかなり説明に困る様子ではあったのだが。
しかしレンから出た名前はここまでの状況を一部言い当てている。地の隕石は確かにフリーメイソンの手の中にあるし、ミルクの名前が出た瞬間に謎の現象が起きてクラウディアとギン以外は眠りにつくことになった。まだ戦いが続くことを予期していたのだ。
そして状況を見越して追加戦力を投入していく。
こうもされては『グレイス』の先見だけは信じるしかない。二人からすれば全面的な信頼をするには無理があるが、少なくとも現段階なら協力関係になってもいいはずだ。どのみちこのままでは、クラウディアの鏡を使っても逃げ延びることは望み薄なのだから。
クラウディアは思考する時間さえも惜しいと言わんばかりに「じゃあ、そういうことなら手を貸してもらおうかしら」と納得の意志を見せた。
そんな渋々と対応する彼女の声を聞くと、イナーラは『じゃあ、そういうことで手を貸させてもらうよ』と無邪気に笑った。
「で、こっちはどうすればいいの? 籠城を決め込もうにも、手負いが一人に居眠りが二人。非戦闘要員である私が一人よ。正直無理ってのが本音」
「おい、クラウディアよ。お主の鏡で全員どこかにビュンと移動とかできんのか?」
「流石にちょっとキツいわよ。転送する鏡だって距離の限界は広くても、質量限界は狭いんだから」
「お主自身は運べたであろう。それにここに来る時も……」
「転送だってそんな便利な物じゃないのよ。一度転送させた物や人は、私自身を除いてその質量によってある程度のインターバルが必要なの。質量保存とか色々な法則ガン無視してるんだから、贅沢言わないで」
『じゃあ、もう耐えるしかないんじゃない? グレイス曰く「待てば解決する。待つしかできない」って言っていたし』
「うわっ、指示待ち部下の気分……」
『ただこうも言っていたわ』とイナーラは続けて言う。
『フリーメイソンのトップだけは何があっても殺しちゃいけない、って』
「どういうこと?」
『知らないわよ。ただ取り返しのつかないことになる……とは言っていたけどね。グレイス自身もぼんやりとした感じでしか見えないとか口にしてたし』
全貌が掴めない予測にクラウディアとギンは頭を抱えるしかない。フリーメイソンのトップということは間違いなく麒麟のことを指しているに違いない。
だが麒麟の実力は手負いでも折り紙付きだ。まともに渡り合えるのはギンしかいないのに、加えて控えめに言って足手纏いとなっているバイジュウとレンを抱えているのでは分が悪い。
それに『殺してはいけない』というのも難しい——。
実力が拮抗してる中では、少しでも手を抜けばそれだけで勝負を決してしまう。手加減などできない状況であれば、例えどんなにそうしないように心がけていても少しのことで間違いを犯してしまう。
それこそ意図せず殺してしまうことくらい容易く——。
「……できる限り善処しよう」
ギンは確約できる自信がなかった。麒麟の相手をするというのはそれ相応の実力と覚悟がないと厳しいのだから。