魔女兵器 〜Another Real〜   作:かにみそスープ

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普段は魔女兵器本編をリスペクトしてゲーム内と同じように7000文字を目安に書いておりますが、重要回なので驚異の10000文字突破です。そして第一章最終回である第19節まで多分そんな感じです。

なお本編の星塵降臨、第19節は約14000文字な模様。
やっぱ本家って……すごい(頭レンちゃん)


第14節 〜浮上〜

 

 ==========音声データ再生==========

 

 この記録を見たものに告ぐ。

『Ocean Spiral』の異質物研究……これは人類の新たな開拓への礎にはならない。むしろ破滅を導くものだったと断言せざるおえない。

 

 私は『Ocean Spiral』宗教学問研究兼異質物研究部門、最高責任者『ドルフィン・パルス・アンデルセン』だ。深く、私は謝罪をする……。

 申し訳ない。私にはこの『文明』を制御することはできなかった……!!

 

 …………まずは、事の顛末を説明する。

 

 当時人類の最先端であった『Ocean Spiral』に協力を仰ぐために、異質物研究が海底都市に参入したように見えるが……。実は逆なんだ。

『Ocean Spiral』側から異質物研究を参入するように懇願したんだ。理由は単純にして明解かつ強固なものだ。海底都市の運営という計画と維持…………これらは海底資源の発掘作業による利益で賄う物だったが、次々と浮き彫りになる問題やそれに伴う耐久性の改善などを再計算した結果、負債を返済するのに予測で70年かかるという利益率の低さが露呈したことで資金援助が絶たれてしまい破綻、それに伴う運営委員会での派閥抗争が生まれたのだ。

 大まかに分けて、施設運営を継続するものと破棄させるものだ。無論当時の私は研究部門の責任者の一人として『継続』を望んだ。

 

 この争いを危険視した『Ocean Spiral』運営委員会はとある企業に話を持ち込み、ある条件を二つ呑むことで資金援助を成立させて、この派閥抗争をひとまず終結させた。

 

 そのとある企業の名は『フリーメイソン』だ。秘密結社と呼ばれるものだが、実態は下手な宗教法人やブラック企業よりも慈善に満ちた巨大組織だった。…………そうだったんだ。

 

『フリーメイソン』が出した条件の一つが、先ほど話した異質物研究の参入だ。運営委員会も居住区を持て余していることもあり許諾した。

 二つ目は不思議なことに『Ocean Spiral』の建造場所の変更だった。それも公の記録では違うようにしてだ。具体的な指定があるのかと思えば、希望は太平洋であればどこでもいいと言ったのだ。運営委員会は快く呑んで『Ocean Spiral』の建造場所を極秘で変更したのさ。

 

 ……今にして思えば金に目が眩んでいた。おかしいと思うべきなんだ、何でこんな相手にとって得がない条件を提示された意味を。

 そんな資金があるから最初から『フリーメイソン』の独断で建造して異質物研究をすれば良かったのだ……。最初から求めていたのは我々という研究機関と『Ocean Spiral』で今後生活する『約1万人』という人員が目当てだったことになぜ気づかなかったんだ……。

 

 …………すまない、取り乱してしまった。

 それが起きたのは2018年末期のこと。ジョーンズ博士が異質物を再発見・再認識してからそう時間は経っていない。そこから施設の建造が始まり、ひとまずの骨組みが6年後の2024年春頃に誕生した。私は妻と生まれたばかりの娘を置いて研究部門の責任者として現場に赴いて異質物研究を行ったのだ。

 

 異質物研究として最初に運搬されたのは一つの魔導書と、一人の被験体だった。被験体の心臓は既に止まっていて、顔もグシャグシャで見るに堪えない姿だったのは今でも覚えている。遺体の身体は時が止まったように綺麗だったのが被験体にとって幸いだったのか……。

 そんな状態なのに被験体の脳波は微弱な信号を出しつけていたんだ……。まるで『魂』が叫ぶように……。

 

 続いて魔導書についてだ。

 魔導書の記載された内容は私には把握できなかった。文字としては読めるのに、英文として見ようとすると途端に認識を拒んでしまう不思議な魔導書だった。

 恐らくは選ばれた人間だけが理解できるのだろう……。先天的な物か、後天的な物か。これは今後の実験次第で分かるはずだった。

 

 最初に課された実験内容は被験体と魔導書を相互影響を観測し続けること……。それは何事もなかったのさ。……ただ爆薬だっただけさ。

 

 次に運ばれたのは思考制御型の異質物。思考制御と言っても俗に言う催眠装置とか、洗脳装置みたい強制力があるものじゃない。

 ただ道端に空き缶が落ちていたら「道中にコンビニがあるし、そこで捨ててあげようかな」と思う程度の超微弱な異質物だ。異質部の脅威度は研究対象となった時点で『Safe』なのは、これを見つけた時代でも同じなのだろうか…………。

 

 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 この異質物を取り入れたのがまずかった。研究は進んだ、順調に進んだ、おかしいくらいに順調だった。船の帆が自然の風ではなく、人工的な風に吹かれたように。

 

 海底都市の発展は進み、各国の一部の上層階級の富豪や、貧困や差別で国から見放された人種が次々と海底都市の移民を始めた。

 そこは楽園と言っていい。富豪は未知の体験が味わせる極上のリゾート施設として、棄民はここで人権を得たことでようやく人間として認められる。ここでは既存の思想は価値観は何もない。誰もが選択できる勉学を励み、誰もが選択できる食事を楽しみ、誰もが選択できる未来を誇っていた。

 理想郷さ。間違いなくね。ただ……目前の誘惑に囚われすぎて、理想郷の維持性は外界にある『通常の社会』があることで保たれていることから目を逸らしていた。

 

 やがて2030年。『Ocean Spiral』で異変……違うな。恐らく陸上社会で異変が起きたのだろうな。突如として各国との連絡が絶たれた。

 海流も大きく変わり、ここにある潜水艦の規格では潜航不可能だと判断され、突如としてここは脱出不可能な牢獄となった。

 

 ここには食料も、水も、電気も、酸素も、資源も全てある。

 貧困に喘ぐことはない。皆がここでの生活を知っているから、懸命に陸上からの救助が来るのを待ったさ。だって、ここから唯一連絡が送受信できる宇宙上のある衛星だけが顕在だったから。救援信号を出して待ち続けた。

 

 一週間……半月……一ヶ月……半年……一年……。やがて誰かが言ったんだ。「もう救助を待つ必要はない。自給自足ができるならここが新しい国だ」と。

 

 ここには食料も、水も、電気も、酸素も、資源も全てある。

 外界に囚われる必要はない。皆がここでの生活を知っているから、途端に海底での社会が組み上げられたのさ。

 ……問題はここからだ。新しく社会を、新しく国を作るとして、それは『本当に新しい物』が生まれると思うか? 答えは「生まれない」だ。

 

 人間は既存のシステムに拘り続ける。何故なら変わらない平穏こそが『絶対的な安心感』を生むからだ。

 ……この海底都市なんて人間のエゴの塊みたいな物だ。我々人間は海底に住むというのに、『自分を変えず』に海底都市を作るという『環境を変える』ことを選んだ。これも絶対的な安心感を得るためだ。人間は原始時代から続く『二本足で歩く』というシステムから離れることはできない。それと同じだ。

 

 ここでの生活は統率を取る者が現れた。ここでは紙幣に意味はないのに、血縁も意味は持たないのに、それなのに既存のシステムを求めて、貴族は自分が統率者であると名乗り出た。これも安心感を得るためだ。貴族は人の上に立つ、それが彼らにとっての当たり前のことだからさ。

 

『Ocean Spiral』運営委員会は実質壊滅を迎えた。無論研究部門もだ。私はここでは平民にしか過ぎず、貴族の圧政により継ぎ接ぎだらけの社会が生まれた。そんなのが長く持つか? ……持つわけがない。貴族主義に反感を持った人々はやがてレジスタンスを組んで貴族社会を壊そうとした。

 

 だが……貴族は隠し球があった。彼らはひと時のリゾートとして来訪した身。本来ここにあるはずがない護身用の拳銃を所持していたのだ。閉鎖的な空間で、これほどまでに分かりやすい力の誇示はない。貴族は既に海底資源の運用・管理を握っていて、拳銃は量産化していた。これでは武器を持たないレジスタンスは成す術もない。一転してレジスタンスは沈静化して圧政社会を強いられた。

 

 力を持たぬ人間はどうすると思う? 強いものは力を求めるだろう。弱いものは救世主を待つだろう。…………それを両立させる存在は既にこの『Ocean Spiral』にはあった。

 

 そう、建設当初に運搬されていた『魔導書』だ。

 やがてどこかの女性が魔導書を見つけた。そして解読して女性は『力』を得た。力を得た女性を弱者は『救世主』として崇めた。

 ……閉鎖的な空間で『宗教』という物が生まれたのだ。

 

 こんな状況じゃなければ悪とは言わないさ。宗教の思想は、時として絶対的な秩序となり閉鎖的な空間では安寧を与える。メンタルカウンセラーなどが閉鎖空間で重要視されるのは、それが理由だ。人間は拠り所を欲しがる。

 

 だがそれは『不安』や『恐怖』に感情が属してる場合に限る。

 人が『不満』や『憤怒』に感情に属してる場合は、安寧ではなく闘争を求めてしまう。

 

 女性は魔導書の力を皆に広め、皆に言葉として伝え、皆に崇拝させた。やがて救世主さえ量産し始めて、魔導書こそが絶対的な信仰対象となった。

 彼女らを中心とした宗教は常に讃えていた。「ふんぐるい むぐるうなふ」だの「いあいあ」だの……。耳障りだったさ。本当にそれは地球上に存在する言葉なのかとね……。

 

 それがあってご覧の通り、この施設は惨劇が溢れている。

 貴族は皆殺しにされて、魔導書を讃えた宗教が残った。闘うべき相手もいなくなったはずなのに、彼女達は争いをやめず、むしろ仲間を増やすようになった。暴走した狂気は納めるべき場所さえなくなった。

 

 貴族や宗教に属さない私達多くの『中立派』は格好の獲物にされた。脅迫されて無理矢理属した者もいる。反抗して殺された者もいる。中には内部から解体しようと無謀な賭けに出る者もいた。

 

 だが時として女というものは……快楽さえも武器にした。

 反骨心を持った中立派は次々と骨抜きにされ、彼女達に子供を孕ませて男達を堕落させた。そして生まれ育った子供を魔導書へと信仰させて、着実に勢力を固めた。

 子供が生まれ育つ頃には……既に信仰者達は狂気に呑まれて『人の形をした何か』に変貌していた。個人差はあるものの、あるものは足が退化して魚の尾になっていた。あるものは手がカエルのような水掻きがついていた。あるものは呼吸さえままならなくなった。フィクションにある『人魚』や『半魚人』みたいなものさ。

 実際に体験してみると『人』という表現は優しすぎる。信仰者の姿はあまりにも人と呼ぶには冒涜的過ぎた。

 

 気がつけば私を含む十人の成人男性と四人の成人女性、そして例の被験体しか残らなかった。

 ここは楽園ではない。狂気に呑まれた信仰者達を中心とした宗教は、男性ら諸君には多大な影響を与えて恐怖に身を竦んだものもいれば、「これが真実の愛なんだ」と同性愛に目覚めたのもいた。女性達も同じようなものだ。そこに性差なんてない、人間なんてない、ただの野生動物の生存本能がひしめき合っていた。

 

 そんな生活が……7年も続いた。

 気が狂ったのはどっちだ。人間として狂気に呑まれた信仰者なのか、動物として本能に呑まれた私達なのか。私は逃げるようにそこから出て行き、この記録を残している管制室へ辿り着いた。

 

 私がいる管制室は最高責任者用のカードキーがないと入れない物となっている。だから管制室だけはセキュリティの都合もあって、魔導書を持った彼女達でさえも通常では侵入するのは不可能だ。

 

 ここはテロリスト対策の非常用シェルターでもある。ここでは自動的に生産された食料・水は常に一定量のまま供給されている。

 救難信号はまだ生きている。私は一抹の希望にかけて待って、待って、待って待って待って待って待って…………。待ち続けて…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日、救難信号の送信先となる衛星は突如として消失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『STARDUST(スターダスト)』は流れ星のように焼失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここには食料も、水も、電気も、酸素も、資源も全てある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だがここには『希望』はなかった。

 あるのは『絶望』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぁぁ……うっぅぅ…………っっ、ぅぅ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………もう私に生きる活力は残されていない。残した家族との再会だけが生き甲斐だったのに、それさえも断たれてしまった。

 

 だからいつか訪れるであろう人類のためにこの記録を残す。

 一方的な呼びかけさ。『Call of Call』……とでも言っておくか。タイトルに深い意味はないはずなのにな……。どうしてファイル名に拘ってしまったのか……。

 

 今にして思えばどうしてこんなにも思考が偏ってしまったのだろう? どうしてどこかでおかしいという違和感に気づかったのだろうか?

 

 もしかしたら……この異質物が『思考制御』していたのかもしれない。人間が最も洗脳されやすいのは『大衆心理』だ。皆が皆「そう思うかもしれない」という思考制御が固まれば、それは強力な洗脳装置だ。

 

 だが確認する術はない。今この状況では異質物が何をやっていたかなんて明確な答えを出せるほど、私の探求欲はない。

 もしも……もしもそうだったら怖い。ならば最後に皆を『思考制御』から解放しなければならない。私は異質物研究の全ラインを停止させて、異質物研究を終了させた。

 

 これで皆が『思考制御』されることはない。残った誰かが新しい希望を見出してくれるかもしれない。狂気に染まった信仰者の誰かが正気に戻るかもしれない。

 

 せめて最後に家族と会いたかった。

 今頃娘は13歳か……。頼れる大人はいるか? 友達はいるか? ……なーんてくだらないこと言ったな。

 お前は生まれた瞬間から愛嬌があった。きっと友達も、仲間も、頼れる教師や大人もいるんだろうなぁ……。

 

 愛している……。心の底から……。

 魂から願う……。家族の幸せを……。

 

 最愛の妻『アリエル』……。

 そして最愛の娘『イ——』

 

 ==========音声データ終了==========

 

 

 …………

 ……

 

 

 ……再生された音声は終わり、辺りは静寂に包まれる。

 シンチェンとハイイーさえ重苦しくなった空気には堪えたようで、口に戸を立てられたように口を噤んでいた。

 

「……ねぇ、レンちゃん。つまりマーメイドが……」

 

 狂気に囚われた、と言っていた。

『魔導書』から与えられる『情報』に堪えきれず、当時は『魔導器』もなかった閉鎖的空間だから起こった感染病棟。それが『Ocean Spiral』の正体であり、周りのマーメイドは当時いた宗教として成立していた『魔女』達の成れの果て……つまりマリルの予想通りに『ドール』と同じ結末を辿った者………………。そう考えるのが自然だ。

 

 だとしたら恐ろしいことが一つある。『魔導書』が与える『情報』は人の脳や身体を限界を超えるだけではなく、そもそも人として変貌するほどの影響があるということ。

 ……むしろ『ドール』はまだ軽傷なのかもしれない。人の姿を保っているだけマシで、実際に重症化したら『マーメイド』に……違う。今回が『マーメイド』というだけで、恐らくは『魔導書』ごとによって定められた冒涜的な姿に変貌する。

 

 脳裏に掠めるのはホラー映画の数々。ジェイソン、ゾンビ、キョンシー、吸血鬼、人面犬…………。もしかしたら人間が作り出すホラーであるハエ男、ムカデ人間とかも……。

 いや、もっとだ。もしかしたら童話に出てくる『人魚姫』『親指姫』『ジャックと豆の木』みたいな特殊な人間……。実際に起きた猟奇的な殺人事件である『ジャック・ザ・リッパー』『バートリ・エルジェーベト』『ジル・ド・レ』…………。歴史の背景で全貌が明かされないだけで、もしかしたらその全てが『魔導書』の『情報』によって変貌された人間の成れの果て、もしくは題材としたお話だったのかもしれない。

 

 もしそうだとしたら……時を止める吸血鬼、古代エジプトの王の魂、願いが叶う七つの球、名前を書くだけ死ぬノート、多種多様の真拳使い…………。それらさえも、全てが過去に存在した『魔道書』や異質物に何かしらの影響を受けて『実在』していたのかもしれない……。

 

 想像を広げると際限がない。今まで自分が信じていたものが根底からひっくり返された。フィクションは所詮フィクションだ、だからこそエンターテインメントになる。

 

 それが実際にあるとしたら…………。わからない。興奮するかもしれない、恐怖するしかもしれない、平静なままかもしれない。

 

 ただ、俺はそれが実際に「あるかもしれない」と漠然とした考えを持ってしまったことに身震いを起こした。

 

 誰かが言ってた。「歴史は勝者が作るもの」だと。

 

 ……俺達が今まで信じていた、知っていた、当たり前だと思っていた歴史の数々、あるいは常識は既に都合のいい摺り替えの末に誕生したものかもしれない。

 

 冷静に振り返ると今いるハインリッヒだって……歴史上では男性だった。強烈な個性で誤魔化されていたが、彼女の存在自体が『歴史の真偽性』を覆いに揺らがせる。

 

 常識が常識を覆す。頭の中で事実がすり替わるのがわかる……。これこそが『ミーム汚染』なのではないかと錯覚する。

 

 ふと目に入った。展示されている古代隕石が。

 

 思考制御型の異質物……。モニターの前で鎮座しているリーベルステラ号で触った古代隕石と酷似したもの……。

 この異質物が原因なのか……? 音声データの主、ドルフィン・パルス・アンデルセンが言っていた。「そう思うかもしれない」という思考が本当にこの異質物が働きかけているとしたら……。もしかしたら今俺が考えてることさえ世迷言で、事実とは無関係……かもしれないし、じゃないかもしれない。

 

 だけど、この考えに疑問を思うこと自体に声の主は危険視していた。

 それが異質物の特性であり、今回の事態を引き起こした遠因だと。

 

 だが実態はどうだ。異質物研究を終了させたにも関わらず、マーメイドは未だ顕在で誰一人正常に戻っているものはおらず、見事に施設は崩壊していた。

 既に引き返せない地点にまで人間の思考と狂気は進んでしまっていたのか、それとも異質物自体の効力とは今回の事態とは無関係なのか。

 

 ……俺にはとても危険なものと思えない。

 古代隕石を見て、危険じゃないと考えている自分がいる。これには大事な物が詰まっていて、無くしちゃいけないモノな気がしてならない。

 

 ………………だが、思えないだけなら分からない。

 これが本当に思考制御型の異質物なら、これ自体が制御された考えかもしれない。何か重大な見落としをしていて、異質物自身が自己を守ろうと見落とした情報を見ないように誘導しているのかもしれない。

 

 自分の思考に、自分が出したものという確証が持てない。これ自体が……。

 

 自分の思考が制御されて出た考え……かもしれない。

 自分の思考が制御されずに出た考え……かもしれない。

 

 思考は堂々巡り。質問を質問で返す。

 考えはメビウス。答えはループ。

 

 思考が『未来(さき)』に進めない。

 信じていた『現在(いま)』は否定された。

 

 ダメだ。疑問が更なる疑問を読んで思考の海に引き摺り込む。

 まるで深海のように……。

 

 

 深い………………、

 

 深い…………、

 

 深い……、

 

 ……

 

 

 思考の…………『深海』の底へ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——あなたは海が何色に見えますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本来、海は色とカテゴリされるものではない。そもそも根本的な問題として『色』というもの自体が、概念上『色』と捉えていい存在ではない。

 

 なぜならこの世界には『光』がなければ、あらゆる物を観測できない非常に不出来なものだ。そして『光』があるだけでは『色』は証明できない。観測者の認識を持って初めて『色』は成立する。

 

 そもそも『色』とは『光』によって認識される。ならば『色』=『光』と言われれば、そうとは言えない。夕陽は赤いし、朝日は白いだろう。だがそれは人間自身が『光』自体を質的経験から、『光』を『色』として変換してるに過ぎないからだ。『光』自体に『色』はない。

 

 だとしたら、根本的な『色』とは。

 『光』はあくまで色を観測するために必要な前提でしかない。

 『観測者』は質的経験から『光』によって観測される色を判断してるに過ぎない。

 必ず『光』を介さない『色』がどこかに存在するのだ。その『記憶』や『記録』が観測者に宿っているからこそ、『観測者』は初めて『質的経験』から『光』を通して色を定められる。

 

 あなたに問います。『光』も届かぬ『海』の底の底。その名は『深海』

 光が届かぬ以上、観測はできない。

 観測ができない以上、観測者は存在しない。

 観測者が存在しない以上、色は定められない。

 

 定められないなら、深海とは『何色』なのか——。

 

 ………………。

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんばんは」

 

 ——そこで俺は気づく。

 

 辺り全体は暗闇に包まれており、嗅覚も触覚などの感覚が機能しない。機能するのは視覚と聴覚のみ。暗闇の空間にはスポットライトに照らされたように少女が一人佇んでおり、人懐っこい笑顔を浮かべて俺に話しかけている。

 

 少女の姿はコバルトブルー……ではなくマリンブルーの髪をしたセミロングで、服装は袖なし肩紐なしのストラップレスドレスと呼ばれるものを、大胆にもミニスカにするという形状でかなり露出度が高い。活発そうな彼女の雰囲気に似合っている。

 そんな元気潑剌な見た目なのだが、俺にはどうしてもそれだけに収まらない魅力が不思議と感じてしまう。

 

 夏の一幕というか…………普段元気な子が、海岸線沿いで海を眺める時のような……神聖な思い出が形となったような魅力が彼女にはあると直感的に思ってしまう。

 

「君は……?」

 

 彼女のマリンブルーの髪はこの世界でも海のように煌びやかで淡く、水のように滑り落ちそうだ。

 暗闇の空間では呼吸一つさえ耳によく届く。彼女の呼吸は清漣とした穏やかなもので、こんな状況でも安心感を包んでくれる。

 

 だというのに……彼女の瞳だけは分からなかった。海としか言いようがない。

 深海、清漣、朝凪、夕凪、潮騒、潮汐…………。どんな言葉でも形容できない。何もかもを飲み込み、何もかもを吸い込み、何もかもを惹かせる貪欲で純粋で矛盾した海の瞳。

 

 彼女の瞳はあまりにも魅入らせる。『何に』——?

 分からない。だけど俺は直感した。

 

 俺はこの子を『知っている』——。

 

「私は…………なんて名乗ろう? え〜っと……悩むなぁ。ハ……いやいやいやダメダメ。それはあの子の名前……」

 

 彼女はいきなり頭を抱え込む。まるで自分を見ているようだ。

 テスト用紙の前で頭を抱える俺、失言をして言いくるめようと焦る俺、男だとバレそうになって誤魔化そうとする俺…………全部見に覚えがあって親近感を感じてしまう。

 

「……アンノウン? いやぁ、センスないなぁ。……オーシャン? なんか、安直だなぁ。……ジェリーフィッシュ? うーん、長いなぁ。……じゃあ、捻ってオケアノス? ……元ネタが髭面のお爺さんだしなぁ」

 

 待て、髭面のお爺さんって絶妙に敬ってない言い回しだな。

 とはいっても俺自身も偉人に関して遠慮がない時あるし……。そういう意味でも似たもの同士かもしれない。

 

「うんうん……決めた。ひとまずは『オーシャン』って言っておくよ。お姉ちゃんも真名で活動してないみたいだしね」

 

「お姉ちゃん?」

 

「あれ、覚えてない? 私のお姉ちゃん」

 

 そう言って彼女は燦々とした笑顔を浮かべる。まるでシンチェンが無邪気に笑った時と似たように。

 まるで…………まるで、なんだ? シンチェンとは見た目は似ていない……。強いて言うならハイイーだが、かといってハイイーとも雰囲気は似ていない……。

 

 強いていうから二人で一つだ。

 ハイイーが成長した見た目に、シンチェンの活発さが混じったような……。そんな印象を受ける。

 

「待ってね。検索中、検索中…………ありゃー、お姉ちゃんはそこで会ったのか。記録と違うけどいいか……」

 

 彼女の言葉の意味が、さっきから理解できない……。

 

「マサダブルクの博物館で話した女性を覚えてる? シルクみたいな綺麗なコバルトブルーの髪色で、私より身長高くて、君よりは身長低いんだけど……」

 

「あぁ、覚えてるよ」

 

 あの見た目は忘れようにも忘れられない。

 

 赤子のような綺麗な肌と金色に輝く瞳。存在するだけで世界の中心となりそうなオーラを発する絶対的な存在感。話す言葉一つ一つが優しく響き、その全てが祈るように歌ったのではと思ってしまうほどだ。

 

 彼女が歌ってくれた話は今でも鮮明に覚えている。

 人類の祖母『ルーシー』の話……。名前の由来は当時ラジオから流れたバンドマンの楽曲だということ。ルーシー最も早く直立二足歩行を達成した人類であるということ。

 

 そして……祖母と言われているが、ルーシーが必ずしも『女性』ではないという。

 確か、良好な状態で保存された死体ならサモントンの遺伝子分析技術で血縁関係を鑑定できたとかも言っていたよな……。

 

 ……一番強烈に残っている記憶は、最後に口にした言葉。

 小さい頃に、お母さんが読み聞かせてくれた本の文章……。俺は未だに本の名前を知らない……。

 

 そんな本に記載されていた文章を彼女は歌ってくれた。

 

「それが私のお姉ちゃん♪ 名前は……うん、私が暫定しよう。『スターダスト』っていうんだ」

 

 星屑? 星塵? ……または別のスターダスト? 何にせよ、あの時見た彼女には相応しく綺麗な名前だ。

 

「……って、君のお姉ちゃん!?」

 

「Yes! you are お姉ちゃん!」

 

「それだと俺がお姉ちゃんになるよ!?」

 

「マジ? じゃあ、I am お姉ちゃん!」

 

「自分が姉になってるねぇ……」

 

 お姉ちゃんとは違って知性の輝きを感じないな、おいっ!

 

「と、ともかくっ! やっと来てくれた……」

 

 そう言って彼女は耳に息を吹きかけて囁いた。

 

「最も寒い場所でも、最も暑い場所でも。昼が続く場所でも、夜が続く場所でも……。海を渡り、海の向こう側まで……」

 

 それは、名無しの本に記載されていた本の一節。彼女もまた歌うように俺に伝えてきた。

 

「ねぇ、君もどこからそれを……!」

 

「じゃあ、時間だよっ! ドォーン!」

 

 突き離された。途端に感じる浮遊感。この感じは知っている、夢が覚めるのと一緒だ。もうすぐ彼女とは離れ離れになってしまう。

 

「まだ私にはやることがある……。今はそっちが最優先だからね」

 

 彼女に聞きたいことがあるのに、まだ話さないといけないことがある気がしてならない。

 足掻く俺と視線を合わせ、今日一番の晴れやかな笑顔を浮かべて彼女は手を振る。夏のひと時が終わる瞬間を、俺は無性に感じていた。

 

「君は、髪を伸ばしても似合うね……」

 

 彼女が呟いた言葉を最後に、俺の意識は浮上する。


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