わたしは……子供のころ ゼルダの伝説の「ライクライク」ってありますよね……
あの形状……呑み込みを見た時ですね
あの「リンク」と一緒に呑み込んだら溶けて出てこない「盾」……
あれ、……初めて見た時……
なんていうか……その……下品なんですが……
フフ……下品なので、やめときます……。
まあ……何が、言いたいかというと……。
スライム、とか……アメーバ、とか……いいよね……。
「おーい…………レンちゃーん?」
俺の意識は覚醒した。気が動転して散漫としていただけで、今回は時間は大きく経っていないようだ。目覚める前と大きな差は見られない。
「…………アニー?」
聞き慣れた声に俺は応答する。
「うん、大丈夫?」
「……ありがとう、大丈夫」
今度は間違えていないみたいだ……。
エミも「おっやるねぇ」と感心しているけど、そう何度も間違えるほど俺も薄情者ではない。
覚醒した意識はすぐに俺は目の前にある異質物を見る。
…………これは、どうすればいい? 俺はこの異質物をどうしたい?
……心は既に決まっていた。何故かは分からないけど、これだけは「かもしれない」というものではなく確信だ。
俺はこれを…………危険な物じゃないと確信する。
今回の悲劇は魔道書が引き起こした物であり、これ自体に何らか悪影響は与えてる可能性は考えられない。むしろ「かもしれない」と考えるなら、この異質物が与えた良い影響を考えた方がいい。
マーメイドがドールと同じなら、基本理念は人間を襲うように設定されている。それは本能的な物だと、いつか愛衣は研究成果で言っていた。
だというのに周囲のマーメイドは俺達を襲うことなく静観するのみ。これこそが本当の『思考制御』じゃないのか? ドルフィンは言っていたじゃないか。最も強いのは『大衆心理』だと……。
最初の悲劇は単純に肥大化した『大衆心理』のもの。むしろ最初の女性は救世主ではなく悪魔になることさえできた。『魔導書』の力とは絶対的だ。その一部を使うことで『魔女』として支配者になることもできた。
…………すぐに力を行使しなかったのは、それこそ『救世主』となっていた女性こそが『思考制御』をされていて「一人では支配者になれないかもしれない」と思ったことで、とりあえずは仲間を作っていき、やがて増大化した信者の意思が『思考制御』を超えた『大衆心理』を持つことになった考える方が…………俺として納得いく。
そして時は経って信者はマーメイドになった。マーメイドになったことで『狂気』に染まった彼女に心理状態などない。信者ではないものを襲う、という大衆心理は既に本能へと変わり、改めて『思考制御』が影響を及ぼしている……。
だから『外的要因』さえあればマーメイドはすぐに本能に目覚める。その外的要因こそが『満月』だとしたら……。
…………
……
「時空位相波動が起きたのはマーメイド誕生によるもの……。だとしたら疑問点は廃棄施設とはいえ管理されていた異質物が何故『今頃になって起動した』のか……。満月の周期は約一ヶ月、正確には29.5日……これだけが条件ならもっと前に時空位相波動は発生している」
「何かキッカケがあったには違いないが、そればかりは『Ocean Spiral』に直接潜入して情報収集するしかないな」
……
…………
そのキッカケこそがマサダブルクで起きた……衛星『STARDUST』が落ちたことによる二酸化炭素を多量に含んだ砂嵐じゃないのか?
あの事件で俺は二週間気絶して、その後も訓練とマスコットキャラとして多忙な毎日を過ごしたが……事件から『まだ一ヶ月経っていない』じゃないか。『STARDUST』が落ちてから、今日にかけてまだ一度も月は真円を描いたことはない。
ドルフィンは異質物の全ラインを停止させたと言っていた。それによって基地全体の異質物影響が弱まり、先日『STARDUST』が落ちてから初めて満月を描いたことで、月光が届く水深までにいるマーメイドが本能に影響されて海上に出た。それこそが最初の戦闘で起きたこと。
時空位相波動が大きくなったのはむしろ……施設の力がなくなり異質物自身が力を大きくすることで、本当に起こるはずの悲劇を抑止するの同時に、ここで起きてる未曾有の危機を伝えようとしていたからだとしたら…………。
……とはいっても、ここまで全て推測だ。推測は証明できない限り、価値を保たれることはない。今ここでそれを確証にする手段はない。
だとしても…………今、対処すべきなのは未だ顕在で『Blue Garden』内のどこかにある『魔道書』だ。
「レンさん、どうしましたか……?」
あまりにも長時間思考に耽る俺に、バイジュウは心配そうに声をかけてきた。
「……大丈夫。一先ずはここの異質物は置いておいて、マーメイドが今も暴れている原因となっている『魔導書』を探すのが先決だと思うんだ」
「それもそうですね。…………でしたらレンさんはここでシンチェンとハイイーと共に待機してください。異質物の監視をするのもそうですし、マーメイドとは別種の進化を遂げたのがまだ施設にいるとすれば……子供達は足手纏いになります」
「……俺もそう思っていた。ここはドルフィンさんの言う通りなら、普通のマーメイドなら侵入できない設計になっている……。下手に子供達と一緒に行動するよりかは、ここにいる方が安全だ。……それでいいよな? シンチェンもハイイーも」
「ん? いいと思うよ。私に言われても分からないし」
「いいと思います……」
電波を受信してないから、本当にそれでいいのだろう。
「……一応アニーさんも残っていてください。仮に侵入された場合、この閉鎖空間で子供二人を庇いながら一人で守り切るのは厳しいです。最低では二人で組んでカバーしたほうが賢明でしょう」
「了解です、バイジュウ隊長♪」
そこで俺達は分かれて、管制室で俺とアニーはシンチェンとハイイーを守るために待機することになる。
……それにこの異質物はまだ自分で探らないといけない気がする。
『魔導書』について不安はあるが……今は信じてバイジュウ達を待つしかない。
そこでふと考えてしまう。自分で考えたのか、それとも導かれたのか。この際それはどうでもいい。疑問は疑問だ。
そういえば……『被験体』って何だろうと。
…………
……
レンから離れて数分。バイジュウ達は『Blue Garden』内の本格的な探索を進める。道中、変異中のマーメイドもいたりしたが、それらを全て掃討して施設内を探索は滞りはない。
元々施設にいたマーメイドと敵対する人種は事実上の全滅をしているため、遭遇するマーメイドの数は海上に上がった時よりも遥かに少ないのは幸いというべきなのか…………。それについて誰も話題にすることはなく彼女らは黙々と足を進める。一番警戒している事態から逃げるように、あるいは解決するように早々と進み続ける。
網目模様の天井を境に漂う無数の……『約1万』はいるであろうマーメイドが総出で襲撃することを想像すると、焦燥に駆られてしまうのは仕方のないことなのだ。
探索を進めてさらに十数分が経つ。『魔導書』は未だに見当たらず途方に暮れる。まだ探索すべき場所はあるとはいえ、神経を張り詰めながら全方位を警戒して捜索するのは中々に重労働なのだ。
バイジュウは一つ深呼吸をする。それは静寂に包まれたこの場所ではやけに響いていき、呼吸一つさえ研ぎ澄ますほど薄くなっていることに気づいた。
冴えた感性は今一度現状を把握しようと、浸水する床を踏み締めて辺りを警戒する。どこを見ても覆い尽くされたマーメイド達から突き刺さる全方位からの視線視線視線…………。
そこでふと気づく。ここにいるマーメイド達は敵意を持っていない。自己意識を持たないドールやマーメイドに対象を観察するという『理知的』な行為をするわけがない。
だとしたら敵意がないのに何故私達を見る? 仲間意識を感じているから? 違う。なら海上での戦いなど起こるはずもない。今マーメイド達が敵意がないまま静観をしているのは、何かしらの影響があるからに違いないのは確かだ。
考えられるのは、あの異質物が何かしらの思考や本能を妨害してマーメイド達の攻撃性を制御している。それは十二分にあり得る。だが、その制御の末にマーメイドは『観察』という一種の『理知的』な行為を選ぶのだろうか?
バイジュウは見上げる。網目模様の天井から覗かれるマーメイド達の視線を全て捉える。それら全てと視線を合わせた。
そして驚愕のことを知る。
マーメイドは全て『バイジュウ達に視線を合わせていない』ということに。
背筋が凍るような事態に立ち止まったバイジュウを見て、エミリオ達は「どうしたの?」と久しく聞いた声が届くが、バイジュウにとって気にしなければならないのは、マーメイドが視線の意味だ。バイジュウは思考に耽る。
この場にいるマーメイド全てがバイジュウ達を見ているのに、バイジュウ達に視線を合わせているものは誰もいない。むしろ見ているのは、その先の『何か』だ。
バイジュウは振り返る。職員や研究員などの過去に『魔導書』の宗教と反発したであろう人々の惨劇の後しか残っていない。血は既に乾き切っており、浸水した床に血に溶けていないことから、それは相当時間が経っていることが死体の状況からも推測できる。
もう一度見上げる。マーメイド達の視線は相変わらず静観を決め込んでいる。これから起こる『何か』を見守るように、ただただバイジュウ達を見ている。
もう一度振り返る。広がる惨劇の後。乾いた血。浸水した床。
そこで二つの違和感に気付いた。一つは浸水した床だ。いつ頃から出たものかは想像するしかないが、こんな海底都市でわずかでも浸水するなんて致命的な欠陥構造だ。今にも崩壊してもおかしくはない。
だとしたらこの水は……。生活排水などのラインから漏れ出た水だろうか。それならばまだ把握できるが、だとしたら何故、この浸水した水は『無色透明』なままなのだ。
もう一つは……『全方位』からの『視線』だ。
ここは水深4000mに位置する最下層だ。前後左右、上を含む場所から視線を感じるのは当然だ。マーメイドが覆い尽くしているのだから。
なら『下』からの視線はなんだ。床一面、特殊防水加工した金属製のタイルだ。マーメイドなんてどこにもいない。あるのは…………『水』だけだ。
嫌な予感であってくれと、バイジュウは祈りながら視線を下ろす。広がるのは『無色透明』で揺れ続ける水。だが『水』は施設を照らす『人口光』を反射することなく、ただ模倣した『液体状の何か』でしかないことに、そこで気付いた。
すると——。
テケリ・リ—————!!
テケリ・リ—————!!
不快極まる甲高い音がフロア全体に響いた。不安を助長させる音は、獲物を定めた獣の『鳴き声』のようにも聞こえる。
「なにっ? この不快な音……?」
「どこからだっ!? わかるか、ソヤッ!?」
「…………なんですのこれ。匂いが……しないっ……?」
混乱するエミリオとヴィラ。戸惑いを隠せないソヤ。
独特な鳴き声は恐怖を駆り立てるように、徐々にその大きさを増していき不快感を逆立てる。
テケリ・リ—————!!!
テケリ・リ—————!!!!
テケリ・リ—————!!!!!
『液体状の何か』が波を立てて、その姿を変えていく。それは異形と形容するに他ならない。不定形の身体は体調を1m、2mと少しずつ大きくしていき…………。
「死線演算…………完成ッ!」
先手必勝。大人げない、卑怯、狡猾なんて言葉は戦場では何の価値も持たない。
異形が5mに達する直前、バイジュウは身体から光の粒子が溢れ始め、少しずつ形を現すソレに白光する粒子を雪崩のように放つ。その数はゆうに百を超え、圧倒的な量を誇る粒子は寸分違わず全弾が異形に直撃した。
彼女がいくつか持つ特異体質を活かした技能——『量子弾幕』。
身体中から独立したエネルギー理論で構築させた白い光の粒子を放つ制圧・牽制目的の戦闘技能。
それは単体での威力は非殺傷性の銃を発砲する程度の威力しかない。もちろん成人男性などを対象とした一般的な制圧手段としては一発でも脅威なのだが、ドールなどの異形相手になれば加速度的に効果が薄くなることをバイジュウは知っている。
だが、それでも数を束ねれば異形相手でも『怯ませる』程度の効果が出ることもまた知っている。その隙を、エミリオ達が見逃すはずがない。
「伽羅斬ッ!!」
ふた色の眼が異形の急所を捉えた時、超高温の熱線が戦場をなぎ払う。エミリオが放った大剣の一閃は、一瞬で戦場を水を蒸発させて、眼前に佇む異形の肌を抉るように深い火傷痕が浮き上がる。
「解体される準備は、よろしくって?」
問いに慈悲はなく愛もなく殺意もなく、ただ執行する。
火傷痕ごとソヤは電動チェーンソーで異形を抉り削る。鋸が肌を引き摺る音と異形の悲鳴は不協和音を奏でようと、ソヤは『処刑人』の名に恥じない無慈悲な表情で切り刻んでいき、やがて異形は身体のバランスを崩して倒れ込む。
「砕け散れッ!!」
戦女神は空を跳ぶ。序曲などなく最初から終曲を奏でる。
鉄鎚は振り落とされた。質量10トンを誇る戦鎚は異形の頭部を正確に射抜き、強烈な破裂と破壊の音が入り混じる。衝撃が止むと強化タイル共々異形の頭部は陥没されており、目も当てられないほど飛散した状態となっていた。
質量10トン——。言わば暴走する大型トラックに轢かれる以上の衝撃だ。衝撃が一点に集中するということを鑑みれば、下手をすればレールを駆ける電車にも匹敵しかねない。例え何であろうとも生物であれば致命傷になるのは間違いない。
「…………どう、ヴィラ?」
「……手応えがない。ダメージは確かにあるんだろうけど……」
全員の視線が倒れ込んだ異形へと向かう。瞬間、彼女達の背後から呑み込むように水という名の不定形の異形が巻き上がり、襲い掛かろうとする
「これぐらいは予測済みっ!」
エミリオは歯で指の腹を噛みちぎり、血を散弾となって瞬時に水に溶ける。
だが、エミリオの能力はここからだ。彼女の能力は『血を硬質化』させるのもそうだが、同時に『血を瞬時に蒸発させる』ものでもある。圧倒的な熱量を誇るエミリオの血を取り込んだ水は、一瞬にして水蒸気となって弾き飛んだ。
「……どうしたの? これで終わり?」
エミリオの問いに異形は沈黙する。痙攣などの動作も起こさず、何かを考えるようにひたすら静かに横になり…………突如として頭上からマーメイドの視線とは違う『威圧感』がバイジュウ達を襲う。
「伏兵っ!?」
見上げた先に映る物を見てバイジュウ達は畏怖した。そこには驚愕すべき事実が潜んでいた。
網目模様が全て蠢いている。瞬時に理解してしまう。網目模様は薄く引き伸ばされた異形の皮膚が擬態したものであり、あれもまた異形の一部なのだと。そしてそれら全てがバイジュウ達で沈黙する異形へと群がっていく。だが、ただ群がるだけじゃない。『Blue Garden』内のありとあらゆる廃材、機材、銃器から鉛玉まで取り込んで収束していくのだ。まるで文明を喰らうかのようだ。
あまりの事態に一瞬行動は遅れるものの、皆は無我夢中で収束する異形の皮膚を切り払い、焼き払い、なぎ払い、切り払い焼き払いなぎ払い、切り焼きなぎ——留まることを知らずに群がり続ける。
恐らくは99.9%は撃退した。何一つ恥ずべき失態などない。成果としては順調だ。だが、それでも0.1%は通してしまう。例え0.1%でも……それは致命的だった。
例えるならば人口と一緒だ。ある国の人口が70億だとしよう。そのうち99.9%が何らかの災害などで亡くなったとしても、残り0.1%となると、それだけで700万という膨大な数に達する。それと一緒なのだ。
膨大な僅かが文明と共に異形と溶け合っていく。機材は足となり、廃材は頭となり、銃器は腕となる。
ここには全てある。求めればいくらでも、いくらでも、いくらでも何様にも姿を変えることができる。実験や研究も兼用しているならば尚更だ。不定形の生物が特定の姿を持たないのであれば、どこまで変化や擬態ができるのが試すのが生物としての当然ではないか。カメレオンでさえその程度のことはやってのける。
ここで一つのSF小説を思い出してほしい。ある日、地球に襲来した火星人が侵略活動をするものの、最終的に『風邪』という病原菌に耐性がなく絶滅したという話だ。
確かに耐性がなく一度目は絶滅するだろう。だが、二度目はどうだ? 上手くいくはずがない。対策はしてくるだろうし、何より『耐性』を持とうとするのが当然ではないのか。人類が予防接種をするように。
『知性体』であれば誰であれ『成長』を促すからこそ『知性体』だ。それは人間でも、動物でも、宇宙人でも、情報でも……全て一緒だ。例外などはない。ならば『知性体』であるはずが異形も、環境に合わせて成長や適応するのが当然なのだ。
溶け合った末に誕生したのは、もう異形とは呼べない姿をしていない。あえて名をつけるなら、機械仕掛けの巨兵——。異形と現代科学の融合ともいえる。
不定形の肉体はスライムやアメーバ状を基本に3m級の人型の体躯をしていた。頭部、腹部、腕を除く関節部以外には鎧のように機材が継ぎ接ぎだらけで繋がっており、最も特徴的なのは手に分類される部位にはは筒状に穴が空いた謎の物体が装着されている。見方によっては出来の悪いシャワーヘッドだ。
だが、それは情け容赦ない死の具現でしかないことにバイジュウ以外には気づかなかった。
巨兵はシャワーヘッドを構える。バイジュウは盾になるように前に出て、自身の獲物であるラプラスを取り出し——。
巨兵は津波のように押し寄せる暴徒鎮圧用の兵器——『放水砲』を打ち出した。
…………
……
ドオオォォォォォ…………ンッッ……!!
やけに大きい反響音が俺の耳に届く。何かしらの交戦であろうか、バイジュウ達がマーメイドとは別種に進化した信者と戦っているのか、それとも別の何かか……。
「……どう思う、アニー?」
不安になって聞いてしまう。
「う〜ん……ヴィラのハンマーとかじゃないの? 10トンもあるんだから、振り下ろせばそりゃドデカイ音の一つぐらい出るんじゃない?」
アニーはアニメを見るのに疲れて眠たげなシンチェンを膝枕で介抱している。一方俺は微睡むハイイーの背中を撫でながら抱っこをしている。どちらも既にお疲れモードだ。
「それもそっか……」
ヴィラなら確かにこの重低音ぐらいは起こせそうだ。そう思うことで安心感を覚える。
閉鎖空間での十数分。いくらか安全とは緊張は持つものであり、気楽にバイジュウ達の帰りを待てるほど俺の神経は図太くない。今か今かと内心焦り続けるのが止められない。
「それよりさ、この異質物はどうしようか……」
「う〜ん、詳しいことはマリル達に任せることになるしなぁ。EX級ならサモントンに寄贈されるかもしれないし、仮に再定義してSafeだとしても、この事件を起こした可能性があることを考慮するとな……」
俺自身が危険物でないと思っていても、周囲がそれを思うかは別問題だ。証拠もない俺の理論を説いても、ドルフィンの理論を説いてもどちらも水掛け論だ。こればかりはマリル達次第だ。
……個人的にはリーベルステラ号のコンテナみたいに、人体への影響を与えず人目が極力つかない場所で保管するのが一番だと思うが……これもシンチェンと出会うキッカケになった古代隕石と同じようにした方が良いという考えなんだろうなぁ。
などと考えると、施設に再び衝撃が奔る。
ダァァアアアアアアアアアア—————!!
これは…………なんだ?
「何この音……?」
アニーからも不安そうな声が漏れる。
……トイレを流す音? 違う、もっと厚みがある。これはゲリラ豪雨でマンホールから逆流する排水のような……。それをもっと大きくしたような……。
違う違う。もっと強烈に媚びついた記憶だ。なんか重大なことがあってって………たった一回に嫌悪感を覚えるほどで……。確か……歴史の資料で……。
そこで気づいてしまった。この場合はどっちにしろ、このままでいる方がまずいということに。
「アニー! シンチェンをどこか高いところに避難させて!」
「えっ!? わ、わかった!」
俺はハイイーを長テーブルほどはある端末の上に乗せて、接近し続ける流水音に心臓をバクバクさせながら、すぐさま自分の武器である金属バットで管制室の内部ロックを壊した。噛み合いが悪くとも硬く閉ざされた鉄の扉だろうと、ヴィラの力が無かろうとも…………渾身の力でほんの僅かに開けられた。
途端、施設全体が足先まで浸かる濁流が流れ込んできた。
…………予想通りなら、これはどういう理由か逆流した施設の生活排水ごと海底の資源を巻き上げている。つまり…………これが海水と繋がる生活排水と繋がった配管からの逆流だとしたら、下手したら海水そのものが流れ込んでこの施設自体が『沈没』する恐れがある。
「アニー! 脱出する準備だっ!」
「分かった!」
アニーは異質物をアタッシュケースの中に入れて、シンチェンとハイイーに白い球体を口に含ませる。
飴玉……というわけではない。ハインリッヒが作り上げた携帯版酸素ボンベだ。前に南極で活躍した超高火力カイロみたいな暖玉と、ランプ代わりに発光した電玉……それの酸素版だ。
脱出時の危機を想定して、作戦前にマリルから渡された品物であり、口に含めば1時間は身体活動を維持できるほどの酸素と気圧を供給し続ける。さらに防護術式を展開して海流の影響や水圧を軽減する効果もあり……と、つまり今俺が着てるハインリッヒのお古と簡素版だな。
「レンちゃん、どこに行くの?」
俺が使用していたおんぶ紐でアニーはシンチェンを抱えながら聞いてくる。シンチェンは突如として起こり続ける災難に、眠気が混じりながら驚いた顔をしていた。
「…………何か嫌な予感がするっていうか、その言葉にしにくいんだけど……」
バイジュウを守らないと——。
そう『魂』が叫んだような気がしてならない衝動が湧き上がる。
「……バイジュウ達を助けに行きたいんだ」
「……はあ!? いやっ、分かるよっ!! レンちゃんの気持ちは非常に分かるし、気持ちは同じだけど…………普通はみんなもこの事態には気付いて脱出するよねっ!?」
そりゃそうだ。だって携帯酸素ボンベは別に俺達だけが持っているわけではなく、OS班全員が各自1つずつ持っているんだ。同様に治癒能力が持つ緑色の宝石も各自1つずつ持っている……。並大抵の危険なら個人で解決できてしまうのだ。
それでも……どうしようもないほど駆り立ててくる。思考制御……ではない。本当に心の底……もっともっと深くから……本当に『魂』が叫ぶように訴えてくるのだ。
バイジュウを守らないと、って。
…………ベアトリーチェだって言っていた。繋いだ心は決して離しちゃいけない、って。
今が、その時なんだと『魂』が理解する。
「…………ダメ、だよな」
「あぁ〜……わかった! じゃあ二手に分かれよう! 私は『Earth Factory』でバイジュウ達がいるか確認するから、その間だけレンちゃんは絶っっっっ対にぃ!! この施設を右回りで捜索することッ!!」
「——うんっ!」
「私がバイジュウ達を見つけても見つけなくても戻るから、そこで合流した時点で捜索は一度切り上げッ! 施設の様子とバイジュウ達が帰還するの待って、諸々判断したのちに脱出か捜索続行かを判断するッ!! それと……私の方が安全が確認できるところに行くんだから、ハイイーも私が預かる。これでいいね?」
「アニー…………ごめんっ! あと、ありがとうっ!」
俺のわがままを通して、アニーが呑んでくれた。
俺はハイイーを預けると泥濘んだ床を踏み締める。どこかで危機に陥っていると何故か確信してしまいながら、バイジュウ達を求めて俺は走り出した。
…………
……
ラプラスの特性とは——『斥力』と『引力』を両方の銃剣で発生させて、それによって発生する力場を操作するのが本来の使用方法だ。
故に知恵あるものが使用すれは様々な状況を打開しうる力になり得る。実際『放水砲』の超圧縮された高水圧の弾丸は、ラプラスの特性によりその全てを勢いだけは受け流して危機を脱したかに見えた。
「っ……! がっ……!」
だが現実は知恵を超えて、バイジュウの皮膚に研ぎ澄まされた『弾丸』が突き刺さる。弾丸の名は『鉱石』——。海底資源として無尽蔵にある純粋な質量弾。
それが水圧と流水によって研ぎ澄まされ『放水砲』と共に殺人的な加速を持ってバイジュウを襲ったのだ。
雪のように綺麗なバイジュウの白い肌に血が滴る。
視界も赤く染まり、そこでバイジュウは頭部のどこかから出血があるのを理解した。
思考に問題——。なし。
距離感に問題——。なし。
平衡感覚に問題——。なし。
幸いにも擦り傷であることに、バイジュウはほんの少しの安心感を覚えるが危機的状況は依然として顕在だ。それどころか問題は増加している。
足先にまで浸かる濁流。先ほどエミリオが気化させた水分や、水深からくる基本温度の低下などから急激に外気温が低下し始めている。それらはバイジュウにとっては体質上問題ないが、他の三人は違う。
急激に熱を奪う低気温は、情け容赦なく意識を削り取っていき、歩くどころか喋ることさえままならなくなる。既にヴィラとソヤは急激に変化に対応できずに身体をフラつかせており、エミリオは自身の能力で血を蒸発させる熱で体温を維持して意識を保とうとする。
だが、そのような行為を巨兵は許すはずがない。
不定形の腕は突如として伸びていき、瞬時にバイジュウ達の周囲を囲んだ。刹那、抱きしめるように腕は収縮して彼女達をアメーバ状の中に引き摺り込んだのだ。
『がっ……!!?』
『ぼぁ……!?』
僅かに意識と体温を保てたバイジュウだけが回避行動が取れたものの、他の三人は巨兵の腹部へとそのまま取り込まれてしまう。水温はもしかしたら通常とは別かもしれないが、それ以前にあれでは酸素が持たない。エミリオも懸命に懐から携帯酸素ボンベを取り出そうとするが、巨兵の体躯であるアメーバ状の液体は、愉悦を得るようにエミリオ達の四肢が動けなくなる程度まで硬質化していく。
エミリオ達の指先はピクリとも動かない。まるで標本のように巨兵の中で大事に飾られてるように。
無色透明状の半固形と化した液体の中でエミリオの視線だけが動き、バイジュウを見つめる。その視線は酷く泳いでおり、今にも気を失いそうなほどだが何かを訴えてもいる。
逃 げ て。
……バイジュウにはそうとしか捉えられなかった。
「やだ……」
バイジュウの声は震える。
「やだっ……!」
バイジュウの悲痛な叫びが轟く。
「——絶対にやだっ!!」
彼女の脳裏にほんの一日、だけど掛け替えのない一日が瞬きに過ぎる。
それら全て……私の心の傷になって……。
彼女のように、時の忘れ物になる……?
嫌だ……。嫌だぁ……っ!
また…………私を置いていくの?
また…………私を独りぼっちにするの?
また…………私は誰も守れないの?
バイジュウに目前の死が迫る。
巨兵は『放水砲』を再びバイジュウに照準を合わせ——。
「どけぇえええええええええええ!!!!!」
可憐ながらも勇ましい少女の声が戦場に響く。