第1節 〜Dead or alive, No place to run.〜
これはフィクションだ。この話はフィクションだ。
けれども必ずしも絵空事の話とは断定はできない。
これは近い将来貴方の国で起こることもかもしれないし、これはどこかの国にとっての日常かもしれない。
今あなたは平穏快適に大地を踏み締めている。文明という名の自然の死体を踏みつけながら悠々自適に生きている。
けれど瞬く間に世界が地獄に、焦土に変わることを思うことはあるだろうか。
いや、ないだろう。人という生き物は『社会』や『組織』というものに紐づいている以上、それら以外の物には残酷なほどに無関心になる。
——『死』とは悲しいことではあるが、特別なことではない。
——『死』とは残酷なことではあるが、特別なことではない。
——『死』とは悪しきことではあるが、特別なことではない。
——『生』とは嬉しいことではあるが、特別なことではない。
——『生』とは幸福なことではあるが、特別なことではない。
——『生』とは素敵なことではあるが、特別なことではない。
——なら同じ『特別なことではない』のだから、同様のことが言えるのではなかろうか。
——『死』とは嬉しいことではあるが、特別なことではない。
——『死』とは幸福なことではあるが、特別なことではない。
——『死』とは素敵なことではあるが、特別なことではない。
——『生』とは悲しいことではあるが、特別なことではない。
——『生』とは残酷なことではあるが、特別なことではない。
——『生』とは悪しきことではあるが、特別なことではない。
貴方がどこかで平穏に過ごす時間、必ず世界のどこかで死に果てて、生まれ出づる者は必ずいる。生死は絶対に特別なことではない。そして『君だけのものじゃない』——。
ハッキリと言おう。たかが命なんていう有象無象の掃き溜めを特別視する必要はない。
死者に対する冒涜であろうと晒されてもいい。生者に対する侮蔑であると貶されてもいい。
命の価値なんて何一つない。命が尊いと思うなら、命の輝きを求めるなら是非とも実践してほしい。
人間も家畜のように扱われ、家畜はスーツを着こなして社交ダンスに明け暮れる日々を想像してほしい。
ほら、悍ましいだろう。なんで気持ち悪いと思うか。
同じ命が繁栄してるというのに、どうして嫌悪感を持つのか。
決まってる。君らが大事にしてるのは『命』ではなく『人間性』だからだ。
命の大事さなんて綺麗事にしかすぎない。それこそ人間が競走馬やパンダのようにVIP待遇の飼い慣らされるほうが、よっぽど命は大事に扱われるだろう。
けれど、その扱いは人間は良しとするかと言われたら大半はノーというだろう。何せそれは家畜の生き方であり、人間的な生き方ではないからだ。
ならば問おう——。
君たちにとっては『人間』とはなんなのか。
そこに正解は無数にあり、不正解も無数にある。
どれが正解か不正解かではなく、我々は常に選択を強いられて、結果としてその最果てに答えがある。そこでようやく『正しかった』か『間違っていた』のかを把握できる。
清く正しく何にも反抗することなく傀儡のような生き方は『正しかった』か——。
醜く悪しき何事にも反抗してきて猛獣のような生き方は『間違っていた』か——。
だからこそ人が大事にすべきなのは命ではなく『命の使い方』なのだ。
正しいか間違っているか。正解なのか不正解なのか。そんな風に選定された命に価値はない。結果ではなく過程を重んじない命は、最初から死んでいるし、生きてさえもいない。惨たらしく死んでないだけの腐った心が健全な肉体を動かしてるだけの死体なだけだ。それは命ではない。
だから知ってほしい。これはどこかで必ず起きていた真実なのだから。これから起きるかもしれない真実なのだから。
虚構であれば、夢であれば、どれだけ救いだったのだろうか。