マサダブルクの大使館の入口前で武装を纏った兵士達が声を荒げながら威嚇射撃を開始する。
弾丸で齎されるのは弾圧、恐怖、脅迫、要求だ。
迷彩柄の防弾マスクを被った兵士が、聞き慣れない言語でそれらを甲高く告げる。
内容は要約すると『人工魔女の廃止』を求めてるものだ。
魔女は『ドール』に値するものであり、それは災害でもある。それを人工的に生み出すなんて神に対する冒涜であり、同時に『聖女』と名高いエミリオの奇跡を普遍化させる悪しきものであると主張してるのだ。
「つまりエミリオ様の厄介ファンってわけか」
「私のせいみたいに扱わないで貰える? ああいう神だの偶像だので、自分の責任と思考を放棄する輩とは付き合った覚えはないわよ」
「違いない」とパトリオットは笑い、そのまま冷静に状況を見据える。
大使館を包囲する兵士達の総数は30以上はいる。マサダブルク内城政府が運営する自警団は出動してるが、相手は人質を取っていてむやみやたらに刺激することもできない。その人質の中には他国の政治家がいるとなれば尚更だ。
「ヴィラ、狙撃銃と人員の手配は?」
「ダメだ。人員はまだしも狙撃銃が足りない。一斉狙撃をして人質を捉えてる連中を無力化する作戦は厳しい」
「ヴィラのお父様……ダヤンの力は?」
「無理だ。狙撃銃を持ってこようにも持込申請込みで1時間ぐらいかかる。その間にあっちの要求は過熱するな」
「だよね……。そうなると潔く受けますか」
「ねぇ、マサダの守護女神さん?」とエミリオは試すようにパトリオットに問う。
エミリオは人工魔女にどちらかと言えば反対的だ。当然ヴィラもそうである。魔女の絶対的な強さと脅威、それに伴うリスクは身をもって知り尽くしているのだから。
そんな敵意に対する返答はいらない。時間もいらない。
パトリオットは即座に端末に指を走らせると「強硬策だ」ということだけを告げて、再びテロリスト達が映るモニターへと視線を向けた。
恐怖が漂う鈍重な画面。突きつけられた銃口に震えて怯える人質の表情は痛ましい。眼前に迫る死の恐怖を肌と心で理解している。戦うことを知らない無垢なる民に抗う術などあるはずがない。
だが、その恐怖は一転する。空から落ちてきた十数の煙幕によって大使館の前は突如として混乱状態に陥った。
続け様に飛来するのはいくつかの人影だ。訓練で動体視力を磨き抜いたエミリオとヴィラだからこそ目視できた人影の正体。軍服にエムブレムが刺繍された帽子。間違いなくパトリオットが保有する人工魔女『マルス兵士』だ。
テロリスト達は驚きの声を上げる。「ヘリなどなかったはずだ」と。「銃弾を躱している」と。
生中継による映像でしかエミリオとヴィラは現状を把握できない。あの煙の中では何が起こっているのかなんて。
しかし想像は容易い。魔女の力は常軌を逸してる。エミリオが自身の魔法で血の防御膜や散弾を生成するように、使い方次第では魔女の力は弾丸なんて物ともしない暴力を振るえる素質である。
きっとでも恐らくでもなく、間違いなくそこで煙幕の中で行われているのは蹂躙だ。
その状況にパトリオットだけはほくそ笑む。この混乱とした最中を愉しみを覚えている。どうしてそうなったかを自分が指示したのだから。
それが返答となる。パトリオットがエミリオ達に示した方針。テロリストの襲撃を人工魔女の力を見せつける格好の舞台にしたのだ。
あまりの迷いのなさ、躊躇も遠慮も容赦もない無慈悲な決断。取捨選択を速やかに実行する胆力にエミリオは戦慄を覚えた。
——何よりも恐ろしいのは『心』の在り方だ。
——読めない。パトリオットの『心』が何一つ。
——エミリオの『読心術』を持ってしても心の断片が見えないのだ。
「アンタ——。こうも簡単に人質の命を捨てられるの?」
だが懸念すべきはテロリストの制圧よりも人質に取られた無垢なる民の命だ。
一応は聖女として祭り上げられているエミリオは人々の期待や羨望の意味を肌身で知っている。偶像とは穢れなき存在であるのが前提であるように、汚名や汚点がシミ一つ付けばミミズのように這い寄って蝕んでくる。
人工魔女の力を見せつけるデモンストレーションとしては確かにいいだろう。実力とその価値をこれでもかと示すことができたのだから。
だが、その人工魔女を提供する『マルス・アレクサンドリアル』としての立場はどうだろうか。
命を軽んじる姿勢は『守護女神』として祀られるパトリオットのイメージに反するのではないか。それでは人工魔女の力を認められたとしても『悪しき力』として扱われて畏怖されてしまう。それでは政策の資金源としては意味がない。
そういうニュアンスを一言で凝縮したエミリオの物言いに、パトリオットはただ「アホだな」と言わんばかりに大きな溜息を吐くと、モニターを顎で指しながら言う。
「人工魔女こと『マルス兵士』はそう簡単に目的を見失いはしない。奇跡を起こすからこそ魔女。人工魔女は奇跡を必然にする無法者なんだよ」
パトリオットの言葉は真実となる。
煙が晴れた時、テロリスト達は全員漏れなく倒れ伏していた。人質に傷一つつけることもなく完全な制圧を完了したのだ。
——テロリストの命さえも奪うことなく。
「人質も救う。テロリストも無力化する。両方達成できたら奇跡だよねぇ」
小馬鹿にするほくそ笑み。奇跡の価値を否定する澱んだ笑み。人工魔女とは奇跡の再現であり、同時に災厄の意図的な発生を意味している。
だが、今この場において最も脅威と災厄を孕んでいるのはパトリオット本人だ。
笑みを浮かべるのは感情の発露だ。当然、それだけ心が見えやすくなることを意味してもいる。
だというのに見えない。エミリオにはパトリオットの心が見えない。煙が掛かっているとそういう意味じゃない。
パトリオットの心は『深淵』なのだ。覗き込めば逆にこっちの心が呑み込まれかねない闇の闇。濃縮された狂気の温床。
——まるでサモントンで一目見たニャルラトホテプのように。
いや、そんなはずがない。ニャルラトホテプは先の事件でレンちゃん達が打倒した。ヨグ=ソトースも同様だ。
超常の生命がこの場にいるということは絶対にない。それは確実なことだ。
——だとしたらパトリオットの『心』はどうなっているのか。あまりにも未知の体験に、エミリオは感じたことのない好奇心や恐怖にも近い背筋の震えを感じざる得なかった。
「中継をご覧の皆様、お騒がせして申し訳ありません。国際フォーラムの一時というのに、このような輩の介入を許してしまい……マサダブルクの守護女神として恥ずべき一面を晒してしまった」
何食わぬ顔でパトリオットはその名の通り『愛国者』として、国を愛する慈悲深い政治家としての顔を見せて頭を下げる。
なんだ、この女は。それがエミリオが抱いた正直な心境だ。
パトリオットは大真面目に言っている。ここまで綺麗でスマートなテロリストの制圧なんて、もしかしたら自作自演として思われて仕方がないというのに、パトリオットは演技であるはずなのに真に迫る悔し涙を浮かべている。
エミリオが警戒してるからこそ寄り添うことはなかったが、逆に言えばエミリオがそうでなければヴィラですら絆されてしまうほどの名演技だ。
こんな演技を見せられたら内面を知らない人からすれば、パトリオットのカリスマ性に惹かれてしまうのも無理はない。
外面だけならエミリオと並ぶほどに顔は整っている女性が涙を浮かべながら顔を俯かせる姿を見せてしまっては、経緯やその真意はどうであれ無碍にすることできはしない。
「いや、そんなことはない。人工魔女の重要性をその身で感じ取ることができた。まさか自警団という、ある意味では警察にも等しい存在さえも凌駕する力を『アレクサンドリアル』が保有してるとは……」
「うむ。人工魔女は懸念すべき部分は多くあるが、それ以上に我々の危機を脱してくれるものだと分かった。是非とも支援をさせてもらいたい」
もちろんそれに応えて慰めようとするのは、その人工魔女の活躍でテロリスト達から解放された人質たちである。
自分の目の前で危険が起き、その危険を打破されたのだから心酔とまではいかなくても好意を寄せるのは仕方がないことだ。
ゆえにエミリオは口にしたかった。魔女の力はそんな輝かしい物ではないと。
だが、そもそもエミリオ達は人工魔女についてキツく言及することもできない。
魔女の脅威は身を以て知っているが、同時に魔女の力を遺憾なく発揮してもいる。どの口で「魔女の力は危険だ」だの何だと言ったところで、その力を利用してる以上は説得力なんてあるわけがないのだ。
——いや。もっと言うなら根本からだ。この世界の根本的な歪さが人工魔女の存在を咎めることができない。
XK級異質物がなければ国と認可されることも難しい現代では、それの匹敵しうる人工魔女は普遍的で機能しやすい力と考えられる。
他国がそれを利用できるというのなら『金さえあれば国が機能する』という異質物史上主義の考えから抜け出して資本主義としての確立ができる一手となる。
それは決して罪ではない。輝かしい功績にしかならず、他国が讃えて人工魔女の存在を許容するだろう。
「しかしテロリスト共は殺しても良かったのではないのか? 貴方の政策に反対するのは非国民でしかない。民として尊重すべき命も権利もないだろう」
「いえ。そんなことはありません。アレクサンドリアルが責任を持って更生を促し、無事にマサダブルクの国民としての義務を果たせる力を身に付かせます。その為に彼らは生かしているのです」
パトリオットからの返答は誠意に満ちている。嘘偽りもなく『それだけを意図的にエミリオに晒している』ということがエミリオには分かる。
不気味で不吉で不可思議でならない。この女はいったいどうしてこんなことを言葉にできるのだ。その心の変容は人という在り方はかけ離れているというのに。
分からない。何も分からない。本当に何も分からない。
パトリオットという女が、欠片一つさえも見通せない。
「なぜこのような輩に慈悲を? たった今、仇をなす行為を目の当たりにしたであろうに」
「ただの一時の過ちです。テロリストであろうと彼らもマサダの国民だ。七年戦争で国を流浪して……その果てに過酷なマサダブルクの『外城』に流れ着いた。彼らは未来どころか今日を生きるのさえも精一杯な社会的弱者だったのです」
「だからこそ、このような選択の余地がない行為を取るしかなかった」と哀れみを秘めた目つきでパトリオットは気絶しているテロリストの一人を撫でながら話を続ける。
「人工魔女は強すぎる力ゆえにフリーで活動する傭兵達の役割を奪う部分もあることを予知していなかった。それは金銭的な死活問題となるのは少し考えれば分かることだったのに……」
——知らない。エミリオは知らない。
パトリオットは今この瞬間に突発的に生まれた存在ではない。
昔からアレクサンドリアル家の一人として生まれた裕福な人間だ。今更どうこう言うつもりも妬む気もないが、オッドアイで祖父から迫害されたエミリオからすれば羨ましささえ浅ましいほどの恵まれた血筋だ。
だからある程度は知っていたはずだ。アレクサンドリアルというのがどういう家柄で思想を持っているかを。内城の出資者の一人としてどれほど好まれていたのかを。
だけど知らない——。エミリオは知らない——。
今この場にいる『システィーナ・アレクサンドリアル』であるパトリオットのことが何一つ見えてこない——。
「内城のことだけに気を取られ、外城の事情を疎かにするなんて……私はマサダブルクを統治する者として改める必要がある。この国の正しい在り方を」
——まさか、こいつ。そこでエミリオは確信した。パトリオットの目的を。
——だとしたらこの人工魔女のデモンストレーションですら、前座でしかないというのか。パトリオットがこれから紡ぐ言葉のために。
——国際フォーラムという場で堂々と口にする気だ。自分の思想と目的を。それができたらどれだけ楽であるかの夢話を。
「私は決心しました——。マサダブルクの守護女神として『マサダブルク』という国を統一することを。内城と外城の隔たりをなくし、自らが保有するXK級異質物『ファントムフォース』にも依存しない健全な国家作りを目指すことを」
…………
……
「——できたらマサダブルクは今の状況にならんさ」
ニューモリダスが利用する大使館の一室。
そこでスクルドは『世間話』という体裁の下、ランボットとお茶を交わしながら中継画面越しで宣言するパトリオットの様子に正直な気持ちを述べていた。
ランボットの視線はとても冷ややかだ。夢物語とか以前の宣いは上に立つ者としての役割を履き違えてるのではないかと勘繰るかのように。
だがそこまでの気持ちは口にまでは出そうとしない。夢物語の世迷言であるが、それが実現できれば確かに国としては喜ばしいことであることには違いないのだから。
「私はそう思うが、聡明なスクルド君はどう考えるかな?」
だが大人というのは時には薄汚くもなる。ゆえに子供という無垢さを利用して、自分の気持ちを代弁させようとランボットはスクルドに話を振った。
だから応える。スクルドは己が心中をそのままに。
「同意見とは言っておくよ。マサダの外城と内城が分けられているのは宗教思想による格差と偏見が生んだもの。あの『壁』の厚さそのものがマサダの歪さの象徴なんだから」
「その通りだ。あの壁は物理的であると精神的な象徴でもある。パトリオットが口にした『外城と内城の隔たりをなくす』というのが最終的に行き着く先も分かるな」
「『壁をなくそう』ってことでしょう。文字通りに」
スクルドの満点の返答にランボットは満足そうに「ああ」と笑って紅茶を口にする。
パトリオットが口にしているのは聡明ではあるが、子供でも理解できるほどに無茶無理無謀の内容なのだ。
モニターの向こう側で続く夢演説。パトリオットはその未踏の領域にいかようにして踏み荒らし、蹂躙し、振り返った時に渇ききった荒野を見て絶望するだろうか。
想像するだけでも苦笑してしまう。別に失敗に期待している笑いではない。そこまでランボットの性根が悪くはない。
できるわけがない。ないのだが、それほどの無謀さなら何かしら成すことができるという淡い期待——俗物な例え方をするなら『宝くじで一等当たったらいいな』とか『競馬でこの3連複なら万馬券になるな』とか思うくらいの小さな期待だ。
紅茶を飲み終わるとランボットは一礼して席を立った。
元より『世間話』は終えている。これ以上滞在する理由も時間もないのだから、当然スクルドだって歩むランボットを止めることなどしない。
「それではファビオラくん。私はこれで失礼するよ。今度はエクスロッドの娘を見失いようにしたまえ」
「アンタこそ足元掬われないようにしなさい」
「君たちは手厳しいな」とランボットは含み笑いを浮かべて大使館から後にしようとする。
だが、その直後にアクシデントが起きた。
忽然とテロリストの残党が姿を見せたのだ。人工魔女によって無力化されたであろう主戦力とは別のテロリスト。言うならば内部潜入を目的とした工作隊がランボットの前に現れたのだ。
予期せぬ事態にファビオラは一瞬だけ思考が遅れた。
スカートの中に仕込んだ小銃を取り出して発砲する構えの間に、ランボットの身柄を捉えられてしまう。
これでは先ほどの事態をまた引き起こすことになる——。
そうやって思考が巡る中、不意に『鈴にも似た風切音』がファビオラの鼓膜を震わせた。
——抜剣。デュランダル。
刹那、残党の肉体は上下に二つに裂かれた。
魔術的な一撃なのか、それとも技術的な一撃なのか。あるいはその両方か。
なんにせよ、断絶の一撃は研ぎ澄まされていて流血を起こす前に残党命を優しく刈り取った。
まるでギンのような剣術——。
いや、そんなはずがない。ギンの剣術は才能あるものが一生という年月を重ね、さらにその上で成熟した肉体を持つという矛盾した二つを達成することで到達する領域だ。
だとしたら、この女は一体——。
「おっと紹介を忘れていた。君の主君に指摘されたが、あの一件のことを反省していてね。ボディガードを雇うことにしたよ」
テロリストの残党を一刀で伏した女性はファビオラと目を合わせる。
ファビオラと同様に眼鏡をつけているが、全体的な色彩は正反対だ。
ファビオラが赤と白。彼女は青と黒。
ファビオラが激情化で燃えたぎりやすい第一印象だとすれば、彼女は冷徹で何事にも達観してそうな印象を受ける。
「行こうか、『九月』——」
「御意」
短くも忠義に満ちた返答。血の痕跡さえ残らない鋭くも華麗なる斬撃と同様に無駄がない。
そうして『九月』と呼ばれた女性はランボットの後ろをただ静かに歩んで行った。