魔女兵器 〜Another Real〜   作:かにみそスープ

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第17節 〜Calculation of Chaos〜

 ……どこからか衝動が湧き上がる。

 

 

 ——守らないといけない。

 

 

 

 声は聞こえない。モノクロ映画の演出みたいに文字を浮かび上がらせるイメージと意思が伝わるだけ。だけど俺は何故か確信していた。これは女性の声だ。それも俺がどこかで知った覚えのある声。

 悲しみが身体の底から湧いてくる。『魂』が塗り潰されそうな悲しさだ。

 

 

 

 ——力を貸して。

 

 ……君は誰?

 

 ——あの子の『魂』に惹かれた『夢』のような存在。

 

 ……『夢』?

 

 ——そう『夢』。無力で、覚めたら露となる……。だけどあなたが力を貸してくれればあの子を守れる。

 

 ……守る、か。

 

 

 

 自己さえ掠れつくほど『俺』の意識は溶けていく。

 少女は『魂』から願う——。

 

 

 

 ……もう二度と『俺』(わたし)の大切な人を失いたくない——。

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

 機械仕掛けの巨兵が放った死の弾幕は、一向にバイジュウを襲うことはない。

「何故、どうして?」と思うバイジュウは途絶えそうだった『魂』を手繰り寄せて、事態の確認を急ぐ。

 

「——下がって、バイジュウ。ここは俺に任せて」

 

 巨兵の前には傷だらけのレンが立ちはだかっていた。露出する身体の部位には痛々しい跡が無数にあり、内出血も酷く今にも皮膚を裂きそうほど青黒くなっている。

 

 先ほどのバイジュウが皆を守った時と同じように、ラプラスの特性を活かして全ての弾丸を致命傷からは逸らしたんだろう。それはわかる、だがそれだけでは捌き切れはしない。ラプラスの力場だけでは捌き切れないから、今のままで二重の防護や身を挺した決死の防衛が行われたのだ。『ラプラス』だけでは今の状況を作るのは不可能だ。バイジュウはレンを見つめて、現状の把握をより深く得ようとする。

 

 だが、疑問は更なる疑問を呼ぶことになった。

 

 レンの手には『見覚えのない銃剣』が握られている。銃剣の長さは変わらない。刀身から持ち手、柄までほぼすべてが変わっている。色はオーロラのように淡く色を変色し続けており、『泡沫の夢』のように揺らぎ続ける。

 

 だというのに、バイジュウは「あの『ラプラス』の形状はなんだ——」と考えてしまった。

 

 そこまで変貌しているのにバイジュウには何故ラプラスと思えるのか。それは幻出されているラプラスの形状自体が、本来バイジュウが目指していた完成型だからだ。昨晩口にした『再現性の問題』を解決した理想の武器が、今レンが振るう銃剣なのだ。

 

 どういう理屈で存在しているのか推測さえままならない。唯一納得のいく理由……いや、戯言を呑むしかバイジュウには考えを纏める手段を持てない。

 

 後の『未来』を手繰り寄せて、その特性を『覚醒』させたかのように、この場に幻を現実として確立させている——。

 そう考えるしか納得いく解答が生まれなかった。

 

 だがバイジュウの疑問は尽きない。

 だとしたらレンの周りに浮かび続ける複数の『黄色い浮遊物』は皆目検討がつかないのだ。

 

 アレは今この場にいる誰の武器でもない。素直なレンが自身が使う武器を隠すのは想像できない。SIDが秘密裏で試作した異質物武器かとも思うが、そうだとしたらマリルや愛衣が秘匿する理由が分からない。思考の中であらゆる情報を繋いでも、答えどころか推測さえできない。

 

 だとしたら完全な第三者の介入があったとしか思えない。この宮殿内に存在する何かがレンへと変化を及ぼしている。そう考えるしかこの状況を説明できない。

 

「バイジュウ、早く下がって」

 

 思考に耽っていたバイジュウの意識はレンの言葉で引き戻される。今は自問自答をする余裕はない。

 戦力となるのは二人のままで絶体絶命。依然として状況は最悪に瀕したままだ。

 

「レンさん、アイツには一人よりも二人で——」

 

「いいから早く下がれって言ってんだよ!!」

 

『彼女』の怒号がバイジュウを怯ませる。その言葉遣いはバイジュウが知るレンには絶対出来ない。確かに男の子っぽいとは思ってはいるが、優しいレンならここまでの威圧感は出るわけがない、とバイジュウは感じていた。

 

「あなたは誰——?」とバイジュウは思いながらも、彼女の言葉にバイジュウは逆らいもせずに、ヴィラとソヤを連れて速やかに距離を置く。誰なのか、とは思いはするが猜疑心は湧かない。むしろ彼女には不思議な『安心感』が湧くのだ。

 

 まるでどこかで出会ったことがあるような……懐かしさを感じざる得ない。

 

「覚悟しな、デカブツ……」

 

 一声告げるとレンは巨兵に恐れることなく、真正面から挑んでいく。

 

 このままでは二の舞になる——、バイジュウは確信した。

 高圧縮された水と鉱石の散弾は、ラプラスでは全てを弾き返すことは不可能だ。例え今持つのが理論上のラプラスであろうとも、散弾の質量、物量共にラプラスの許容量を遥かに凌駕する。10の数字が二倍や三倍になったとしても、50の威力を防ぎ切れるわけじゃない。

 

 巨兵は喧ましい機動音と共に、再び死刑宣告へ移す。

 

 発射まで3秒。巨兵はすでにレンへと狙いを定めており、その左腕を振り下ろして構える。

 

 発射まで2秒。バイジュウは十分な距離を取り、流れ弾が来ないよう細心の注意を払いながら戦闘を見守る。

 

 発射まで1秒。レンは未だに射程範囲のど真ん中だ、懐にまで飛び込めてない。あれでは前後左右どんな回避行動をしても避けきれず、ラプラスでも捌き切れない。

 

 発射まで0秒。死の弾幕が再び降り注ぐ。

 

 集中砲火だ。無骨な銃口から、無慈悲に散弾が放たれる。推定弾数は百を超える弩級火力だ。直撃すれば一瞬でミンチ状になるのは想像に難くない。

 

 あくまで『直撃』すればの話であるが。

 

「——ッ! こっちだッ!!」

 

 レンは斥力と引力を駆使してバリアを展開しながら、さらに跳躍量さえ強化させて致命傷以外は負わないように宙へと大きく飛んだ。空中は最も機動力が低下する空間だ。普通なら悪所にもほどがあり、放たれ続ける散弾は容易くレンを捕捉する。

 

 だが、レンは『もう一度跳んだ』————。

 

 鮮血に染まる彼女は先ほどの『黄色い浮遊物』を足場に空を駆ける。一段、また一段と足場を踏み越えて巨兵の頭部へと到達。狙いを外された巨兵の反応は僅かに遅れ、無防備にもレンの斬撃を受けて赤色のランプが消灯する。

 

 するとどうだ。まるでそれが『目』であった言わんばかりに巨兵は全体の動きを乱して、散弾も狙いが定められず雨霰。巨兵自身へと被弾をする。

 その隙を今のレンは見逃すはずがない。すぐさま足元に滑りおちて、姿勢を崩しながらも攻撃態勢へと移る。だが、次の瞬間彼女はバイジュウが思いもしない行動に出た。

 

 両手の武器——ラプラスをバイジュウに向けて投げ捨てたのだ。

 大慌てでバイジュウは拾い上げ、疑問と共にレンと視線が絡み合う。

 

 

 

 ——それ、ちょうだい!! 

 

 

 

 アイコンタクト——。そんなものは作戦行動前の連絡手段には定めてない。バイジュウにレンの視線の意図など理解できるはずがないのに、なぜか分かってしまうのと同時に『懐かしい』とも感じてしまう。

 

 バイジュウの足先に何かが当たる。見てみると、先の散弾に堪えきれず手放してしまったソヤの電動チェーンソーが転がっていた。

 

 ——バイジュウは視線の意図をすぐさま理解した。

 

 一言「ごめんなさいっ!」とバイジュウは叫んで、力強くチェーンソーを蹴り滑らせてレンの元へと届ける。確信してた様にレンは崩れた体制であろうともチェーンソーを拾い上げ、強引に振り回して巨兵の両足を切断。

 

 バイジュウもすかさず走り出す。

 

 今のラプラスが本当に理論上のスペック通りなら、鉄製の腕部如き、当てさえすれば破壊することができる——。

 

 それは的中した。一刀両断、振り抜いたラプラスの刀身は左腕のミニガン機構のパイプ管を鎧の上から切り裂いた。

 踏み込んで巨兵の懐へと飛び込むバイジュウ。続く二閃目—-。今までの苦戦が嘘のように、右腕の『放水砲』を完全に切り裂いた。

 

 ——脅威となる両腕の銃器を二人の力で壊しきったのだ。

 

 巨兵はうつ伏せに倒れ込んだ。背に繋がっていたコースターとのインフラはいくつか断裂してしまい、コースターから海水がこれでもかと流れ込んでいる。

 

 

 

 

 

《コースターと『Earth Factory』に浸水を確認。現状調査……施設に『壊滅的』な損壊を確認。直ちに避難をお願いします。繰り返します……》

 

 

 

 

 

 ついに崩壊までの前兆が始まった。足元には水溜り程度とはいえ海水が広がり、否が応でも二人に危機感を逸らせる。しかし驚異の排除はまだ終わってはいない。

 

 両足は機能停止、頭部のセンサーも破壊済み。だが、それで無力化できるほど巨兵は粗悪な作りではない。

 

 陸に打ち上げられた魚が暴れる様に、その巨体を痙攣させて腰から下に垂れ滴るアメーバ状の液体は、少しずつ固まっていきヘドロとなって立ち上がる。

 頭部にあるセンサーも切り替えたのか、赤ではなく黄色のランプを灯す。それと共に、巨兵の意思はレンへと突き刺さるほど敵意を向ける。巨兵の脅威は未だ健在なのだ。

 

 レンの出血量は既に生死を分かつとこまで来ている。これ以上の無理は確実に死を招く。表情には苦痛が浮かんでおり、今にも倒れそうだ。だというのにレンは応急手当のセットから、痛み止め用のアンプルを打ち込んで戦いを続ける。

 

「絶対に守り抜く」という意思ではなく『覚悟』を持っている。バイジュウにはそれが表情から察せらせる。心理的な理屈ではなく、『魂』で確信を持って理解してしまう。

 

 面制圧の散弾は無駄だと学習したのか、巨兵は腕部の残された機構束ねて瞬く間に、一つの細長い銃身へと変化させる。

 

 それは『ウォーターカッター』だ。超質量の水に鉄粉などを混ぜながら高速で噴出させて、その圧力と流速からガラスから金属から裁断する人類の叡智。人が触れさえしたら、塵芥のように一瞬で切断される。

 

「いい加減しつこいんだよッ!!」

 

 もはや使用することさえレンは許さない。電動鋸を押しつけるように巨兵へ投げ捨てて、視界を同時に奪い、次の瞬間それを足場に一気に後方へと跳びかえって一つの得物を手にする。

 

 それは質量10トンの怪物兵器——。

 マサダブルク陸軍研究所が開発した最新兵器『重打タービン』——。

 

 普通なら使用不可能だろう。超高密度・超高重量こそが最大の武器であると共に仇なのだ。だからこそヴィラしか使いこなせていない武器なのだから。

 

 だが本当にそれが真実というわけではない——。

 

 兵器というのは二つの基準を満たせなければ兵器としての前提自体が成り立たない。

 一つ目は『利用目的』、二つ目は『汎用性』だ。その二つを満たして兵器は初めて完成といえ、それと共に量産される。

 

 量産される以上は『汎用性』はとうに解消された問題がある。その問題こそが弩級の重量だ。質量10トンの問題を解決し、誰もが使用できる条件が必ずあり、その条件とは『使用方法』に尽きる。

 

 だからこそ名称が『重打タービン』なのだ。

 タービンというのは様々な種類と組み合わせがある。水力、蒸気、ガス、風力……。衝動、反動、軸流、半径流……。その中でも小型化、耐久力、エネルギー運用に適したのはガスと半径流を組み合わせた『ラジアルタービン』という機構だ。俗に言えば『ターボチャージャー』ともいう。

 

 独立したエネルギー運用は無人機やミサイル、ロケットなどといった誘導弾のエンジンにも採用されていることもあり、研究者の一部は皮肉で戦鎚をこうも名付けたという。『ラケーテン(Raketen)ハンマー』とも。

 

 レンが手にした戦鎚を強引に円を描くように回転する。付属されているバーニアが点火すると加速力を生んで少しずつ、より大きく遠心力によって円を描き始める。蓄えられた運動エネルギーがタービンを起動させて、連鎖的に発電エネルギーを蓄え、やがて第二機構のバーニアが点火。更なる加速を生み出して回り続ける。

 

 つまり水車のような半永久機関で力を蓄え続けるのが本来『重打タービン』の使用方法なのだ。

 ヴィラはこの推進力自体を能力による『筋力』でカバーできるからこそ、特殊な機構が使い物にならないと言ったのだ。

 

 第三機構のバーニアが点火して更なる加速を生み出す。

 更なる加速はタービンの変換効率を上昇させる。変換効率が上昇したことで発電するエネルギーもまた加速度的に上がる。

 

 発電したエネルギーは第四機構のバーニアが点火する。点火したことで再び加速を重複させ、重複された加速度は運動エネルギーを更に蓄えられて更なる発電エネルギーを生み出し、第五機構のバーニアへと——。

 

 これを繰り返し、戦鎚に内蔵された全十個はあるバーニア機構が全点火。もはや台風のように黒く渦巻いてレンが回り続ける。

 

 唯一の問題は、使用者の耐久力——つまり、レン自身が殺人的な加速と遠心力に耐えきれるかが本来の戦鎚にある懸念点ではあるのだ。だからこそバーニアの機構は段階刻みでもあるのだ。使用者が限界を感じ、ある程度の加速度だけでも使用できるように。

 

 だがGの変動ならハインリッヒが組み上げた防護術式と、戦闘服の作用で受けることはない。問題など起こるはずがない。

 

 全力全開——。手加減なしで叩き込める。

 

 これらの問題と使用方法を解決されれば、あとは本来想定されている『目的』を完遂するのみ。

 

 蓄えられた加速度は一気に解き放たれ、弾道ミサイルのようにレンは戦鎚に引き摺られて、巨兵へと亜音速で強襲する。

 刹那で着弾——。質量10トンによる超加速による押しつけは、何人であろうとも受け止めきれるわけがなく、巨兵の身体を押し貫き、それだけに留まらずにコースターごと引き摺り飛ばした。

 

『重打タービン』——。本来の使用目的は城塞を破壊するために生み出された強襲用兵器——、つまりテロ促進の兵器なのだ。

 

 マサダブルクでは外城、内城での区域であまりにも人種と宗教の差別は酷い。外に住まうものは常にテロリストの恐怖に晒され、内城で悠々と暮らすマサダ市民に不平と不満を抱いていた。

 

 だからこそある宗教学者はこう言った。「あの壁さえ破壊すれば自由が得られる」と——。

 

 その思想に感銘を受けた研究者が生み出したのが、城塞の破壊に特化された『重打タービン』なのだ。例えそれで城塞を破壊したとしても、真の自由など得られるはずはないというのに。

 

 だが今だけは本来の使用用途の通り……自由のために——。ここから抜け出す一手として放たれた。

 

 巨兵は既に全武装が歪み切って、もう鎧程度にしか機能しない。散々皆を苦しめた『放水砲』も『散弾水』も、奥の手であったはずの『ウォーターカッター』でさえも機能を停止した。

 

 背についたインフラの配管は逆流を起こして、コースター内で次々と機能停止に追い込まれる。

『Ocean Spiral』全体が危機に瀕して、レン達は脱出する手段も刻一刻と削られていき危険は迫りくる。だがそれは異形も同様だ。『Ocean Spiral』自体が機能を停止すれば、異形が持ち得る現代技術は作動しなくなる。

 

 この戦いはもうすぐで終わりを迎えている——。

 

 異形は夥しい鳴き声を上げて頭部を固形化する。幾重にも研ぎ澄まされ、幾重にも並ぶ鋭利なサメのような歯——。足掻くように異形は大口を開けて、戦鎚の反動と流血から意識朦朧と無防備に佇むレンへと向かう。

 

 遠い——。バイジュウはその動作を見た瞬間に一歩を踏み始めたが、大型の異形と、女性としては身長が高いバイジュウでも、そもそもの体躯が倍以上ある。異形が俊敏に動くのなら、バイジュウの動作など見てからでは追いつくはずがない。

 

 もし今の状況を打開できる人物がいるならば、それは最初から異形の足掻を予期して動いていた者ぐらいだ。

 

 異形の口は閉じられる。爆発したように施設内には血が飛散し、彼女の腕は血みどろとなる。

 

「——女性に噛み付いていいのはペットか、恋人だけよ?」

 

 だが、噛みつかれたのはレンではなく、立つのでさえ精一杯なはずのエミリオだった。噛みつかれたのは前腕——手首側から肘にかけての部位だ。橈骨動脈ごと深く突き刺さっており、かつてないほどの血が絶え間なく流れ続け、異形の体内も体外も赤く染まる。

 

 エミリオに戦う気力も、守る意思も薄れている。

 だが失ってはいない——。戦うことも守ることもできないが、同士討ちする『覚悟』は既にできている。

 

 その意味を察せないほど異形は野性的ではない。何故なら『Blue Garden』での初戦——。似たような状況から打開されたのだから。

 

「恋人希望ならごめんなさい。悪いけど、手を切らせてもらうわ!!」

 

 瞬間、異形の口から鮮血の槍が一つ体外へと突き出る。続いて耳、頬、眼球、腹部、胸部、脚部、腕部……。まるで鉄処女とは逆のように、内側からあらゆる部位という部位、器官という器官を串刺しにする。

 

 エミリオの能力。それは自身から流れ出た『血の硬質化』と……それに伴う『血の蒸発』——。

 

 爆ぜた。沸騰された血のは異形の内部すべてを熱で満たし、今度こそその全てが霧散し舞い上がって、異形はその姿を完全に消滅させた。

 

 これで、全てが終わった——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もがそう思った。

 

 

 

 だからこそ最後の足掻きまでは誰もが予想できなかった。

 

 異形の身体は確かに爆ぜた。だが、それはあくまで異形自身を構成する不定形までにしか過ぎない。鎧のように身につけていた鉄腕は、爆ぜた勢いのまま高々と飛び上がる。

 

 あれは撃鉄だ。純粋な質量という1発限りの弾丸が装填されている。そして不幸にも、レンへと向けて非情に降り注ぐ。

 

 レンはもう満身創痍だ。歩くことさえままならない。謎の浮遊物も動作が鈍く、撃鉄の動きに反応を起こさない。ただの一撃、あるいは一歩を踏み出すだけで危機を脱せるというのに。

 

 バイジュウは踏み出し続ける——。だがもう遅かった。わずか一歩が、一瞬が、あまりにも遠く、異形の最後の一撃を持って今度こそレンは命を落とす。

 

 祈るだけ無駄だというのはバイジュウも分かっている。祈りが届くなら、祈りが叶うのなら、バイジュウはあの悲劇に会うことはなく、19年という凍てついた時間は無二の親友と共に過ごせる大切な時間になっているはずなのだから。

 

 それでも今は願うしかなかった。

「待って——」と。『魂』の底から願う。

 

 すると、バイジュウから白光の粒子が広がり、レンと共に優しく包み込んだ。バイジュウ本人にも意味がわからず、ただ真っ白な空間には、レンの他にも『懐かしく見覚えのある影』が見える。

 

 影はまるで笑うように、懐かしむようにバイジュウの『魂』へと囁く。

 

 

 

 

 

 ——「怖がらないで、私がいるから」——

 

 

 

 

 

 その言葉は忘れようがない。

 その温もりを忘れるわけがない。

 その姿を忘れてはいけない。

 

 バイジュウは確信を持ってしまった。

 

 レンの中にいる『誰か』の正体を。

 

「これは『夢』なのだろうか」とバイジュウは刹那に思う。

 

 温もりを掴むように、バイジュウは『魂』という手を伸ばす。

『影』となって佇む彼女は、確かにその手を愛しむように掴んだ。

 

 そこで光は消える。

 

 永遠にも思えた一瞬は終わり、再び絶望が現実へと襲いかかる。

 

 撃鉄は落とされる——。

 

 夢想の一瞬なんて幻だと、温もりなんてないと、そんな些細な願いごとも、あの日感じた痛みや孤独さえも、そのすべてを跡形もなく否定すると言わんばかりに無情にも叩き落とされる。

 

 だが、その一瞬には意味があった。

 

 誰かであるはずの『彼女』にバイジュウの『魂』が伝わり、振り返ることなく最後の一撃を、握られているはずがない『銃剣』で切り裂いた。

 

 それは19年前、バイジュウがスノークイーン基地で使用していた銃剣。真の意味でこの場に存在するはずがない失った武器——。

 

 

 

 銃剣の名は『氷結稜鏡』——。

 

 

 

「————ッ!! 、、、…………ッ!!」

 

 

 

 力尽きた少女に、バイジュウは二つの名を叫ぶ。

 心から慕う彼女達の名前を思い焦がれながら。

 


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