魔女兵器 〜Another Real〜   作:かにみそスープ

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第18節 〜Awakening〜

 ……意識が保てない。

 ……自己が霞む。

 ……ごめん、みんな……。今回ばかりは……。

 

 ——諦めんなっ!!

 

 死に体寸前の俺の意識に、彼女の声はまるで張り手の様に俺を覚醒させる。視界は未だに開けず身体の感触もない。

 …………というか、何もないんだ。ここには視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の全てが意味を為せない。あるのはただ『魂』だけなんだ。

 

 ——諦めんなよ! 諦めんなよ、お前!! どうしてそこでやめるんだ、そこで!!

 

 ……あの、すいません。キャラ変わってません?

 

 ——いんや? これが私だよ〜!

 

 彼女の声(意思)は生きることに全力で、俺に『生存』を望んでいた。『光』が見えない寂しい世界で、その行為は心が温かくて嬉しい。

 

 ……もしさ、ずっとこのままだったら……側にいてくれる?

 

 ——ひゅ〜ひゅ〜プロポーズ? モテる女は辛いね〜!

 

 ……プ、プププ、プロポーズじゃないっ!!

 

 ——照れんなって〜♪ 今は同性愛もありらしいよ〜♪ like×likeじゃなくてlove×loveだぜ〜〜〜??

 

 ……、…………いいんですか?

 

 ——君はそうしたい?

 

 ……はい!!!

 

 ——わぉ、意外と肉食系。う〜〜〜〜〜ん。

 

 考える仕草を彼女は声に出す。

 

 ——断るッッ!!!

 

 あっ、やっぱり? 分かってたとはいえ少し傷つく……。

 

 ——でも一人ぼっちは嫌だよね。私も長いことここにいるし。

 

 ……どれくらい?

 

 ——さあ? 一年かもしれないし十年かもしれない。もしかしたら百年かも。腹の虫さえ鳴らないから時間経過がわからんちん。

 

 時間がわからない、という言葉と奇妙な空間に俺はアニーのことを思い出す。

 

 アニーも『因果の狭間』で七年間を過ごしていたが、時間については非常に曖昧だったと言っていた。少なくとも七年間もいた覚えはないと言っていたが、そんな曖昧な時間でもアニーは方舟基地での出来事で非常に取り乱してしまった。

 

 それなのに彼女は今なんと言った? もしかしたら百年かもしれない——? こんな光も熱も色もない世界で、ずっと一人ぼっちでいたというのか?

 

 そんなの……………………狂うに決まってる。

 

 ——嬢ちゃん、そんなに感傷的になんなよ。せっかく話し合えるんだ、気が晴れるまでピロートークしようぜ!

 

 だというのに彼女は明るく、むしろこちらを励まそうとするほど活発だった。

 

 ……そうだね。俺も君のこと知りたいし。

 

 ——俺っ子! リアル俺っ子だ! 君みたいな可愛い女の子が『俺』だなんてギャップ萌えだね〜♪

 

 ……俺の顔を見たのかっ!!?

 

 いつどこで!? こんな世界じゃ五感全てが役に立たないのに!? もしかして心眼か? 長いこといるから、意思が発達して第六感が覚醒してるのか?

 

 ——いや、さっきまで君と一緒に戦ったじゃん。その時にチラッとね。

 

 ……ああ、そういう。

 

 ——すごい可愛かったよ♪ 暖かい瞳、黒い服、赤みのある黒髪で愛嬌満載の顔でさ、このこの〜♪

 

 何故だろう。猛烈に俺の顔とか頭を撫で繰り回されてるイメージが湧く。

 

 ——私の大切な人に、君は本当鏡合わせだよ。

 

 ……大切な人?

 

 ——そっ。冷たい瞳に、白いワンピース、青みがかった黒髪、無愛想で、いかにも「人に興味ありません」って感じの子だったよ。

 

 そういえは彼女と繋がったのは『大切な人』を守りたいからだった。彼女が挙げた特徴と一致するのは、バイジュウしかいない。

 そんなバイジュウを守りたい人物といったら……彼女しかいないのでは?

 

 ——だけどさ。話したらこれが面白いし、人見知りなだけで愛嬌もある子だったんだよ〜♪ 冷たい瞳とか言ったけど、学問とか表情筋は真面目すぎて死んでるのに、瞳だけは子供のようにキラキラさせてさ〜。バレンタインとかでチョコを交換する時なんて恥ずかしそうにラッピングした手製チョコを「ひ、日頃のお礼っ」とか君みたいに緊張して渡すし、クールな見た目なのにコーヒーとかは苦手で、女子らしく甘いものとか香水とかも気を遣ったり、本当ギャップ萌えというか、そういうの狙ってるのか! と思うくらいあざとくてね〜!! 

 

 ……君はもしかして。

 

 ——おっと、それ以上は言わない! 女の子はミステリアスな方がいいんだよっ、この純情っ♪

 

 明るく茶化す声で俺の言葉を遮る。

 

 ……それでもいいか。それだったらさ、何かバイジュウに伝えたいことある? でもラブコールはなしね。俺から伝えるのは、その……は、はは、恥ずかしぃぃっ……。

 

 ——ありがとう。……でも、ごめんね。私は『夢』なんだ。覚めたら夢なんか忘れる様に、私との会話なんて忘れるよ。

 

 ……忘れないよ。

 

 ——無理だって。人の夢と書いて『儚』いんだぜ?

 

 ……じゃあ思い出すッ!

 

 ——嬉しいけど、私のことよりバイジュウちゃんのこと聞かせて欲しいな。あの子、私がいなくても元気にしてる?

 

 ……元気だと思う。うん、元気だ。だってさ。

 

 そこから俺は彼女にバイジュウの事を話した。目覚めてから世界を旅して知識を深めたこと。休日には図書館に籠って見聞を広めてること。クロスバイクに乗って世界中を駆けたこと。

 そして、あの出来事から19年もの月日が経っていて、君がいなくて悲しそうな顔をしている時があることを。

 

 ——そっか、19年も経ったんだ。

 

 ……バイジュウとは今でも距離感がある。会話は弾むし、趣味も合う。だけど、どこか遠慮しがちなんだ。俺だけじゃなくみんなに対して……。

 

 大切な友達だからこそ頼りたいし頼られたい。それはバイジュウだって同じはずなんだ。愛読書に登場する主人公みたいに俺は鈍感じゃない、理由は何となくは察せる。

 彼女はきっと……。君のことを忘れて、今を生きることに負い目を感じてしまっているんだ。

 

 ——バイジュウちゃん、割とヘビィな子だからねぇ。あっ、体重じゃないよ。ましてやゴッドリンクもしない。ハートの問題ね、ハートの。育ちが育ちだから、人との繋がりに人一倍大事に思ってるからさ、あの子。多分「みんな私が守らないと」って感じじゃない?

 

 ……100点満点中の120点だよ。本当に君は、バイジュウのことが。

 

 ——大好きだよ。大好きで、守りたくて、放って置けない子。

 

 ……もう一度会いたい?

 

 ——もう一度、なんて無理だよ。会ったら何回も会いたくなる。だけど私はもうここにいるしかないんだ。ここは境界線。君と私の間には『門』があるんだ。これを超えない限り……私は覚醒することはないし、覚醒したとしても肉体がない。

 

 ……じゃあ、一緒に行こう。今回みたいに、バイジュウといる時だけでも君が俺の意識を呑み込んでいいさ。

 

 ——無理なんだよ……。この『門』は『夢』を行き来する……。私が君の意識をこれ以上呑み込んだら瞬間、あなたも『夢見る人』となって永劫に抜け出せない世界に囚われることになる。

 

『門』——。その言葉で俺は『天国の扉』を思い出す。

 あの時、ソヤを助け出す時に『天国の扉』の前でソヤを引き摺り出し、その手で扉を閉じて事件の終幕を迎えた。

 

 だとしたら……あの時と同じように『門』に触れさえすれば——。

 

 そう思った時に気づいてしまう。今の俺には身体の感覚がない。手を伸ばして触れようにも触覚は機能しないし、彼女が言う『門』を見ようにも視覚は一向に暗闇を映したままだ。

 

 この世界では俺が介入する余地などどこにもない……。

 

 ——まあ気持ちは嬉しいよ。でも、私はずぅぅぅぅぅっと……ここにいるから。

 

 そう言って彼女は俺の『魂』を抱いた。

 

 ——君だけじゃない。バイジュウの側にも、私はずっといるから……。本当にたまにでいいさ。バイジュウが大人になって、いつかは伴侶ができて、それで子供ができて…………。ごめん、ちょっと嫉妬した。

 

 ……自分で言ったことなのに?

 

 ——うん。どんな形でも私は嫉妬しちゃうな……。バイジュウちゃんの幸せな姿を思うと、嬉しくて嬉しくて仕方ないのにね……。それが自分じゃないと考えると、どうしても妬んで仕方ない……。でもそれでいいのかもね。私のことを忘れるくらい幸せな毎日を過ごして、空や雲とかを見た時に、ふと思い出してくれればいいんだ。そんなこともあったけど……今は幸せですって。

 

 ……本当に良いのか? 俺のことを考えなければ君は……。

 

 ——それじゃ何も変わらない。バイジュウちゃんにとって、あなたも既に大事な人なの。

 

 ……、…………絶対いつか迎えに来るから。どれくらいかかるか分からないけど、絶対迎えに来るから。

 

 ——ここに来て長いからね、待つのは慣れてるよ♪ バイジュウちゃんが来るのに、後何万年かかるかなぁ〜〜。

 

 そこで俺の意識は浮き上がるのを感じた。同時に暗闇の世界に少しずつだが輝きが差し込む。これは一体…………?

 

 ——そろそろ時間か、お別れだね。

 

 輝きの向こうに知っている温かを感じた。これは……。

 

 光じゃない、太陽でもない…………。

 

 これは『色』だ。極彩色の輝きなんだが……。この『色』は『何だ』? 知っているのに……。知っているからこそ分からないのか……?

 

 ——さようなら。行っておいで、君がいるべき場所に。

 

 ……絶対っ! いつか、バイジュウと一緒に君を『門』の外に連れ出すから!

 

 ——、…………じゃあ、その時に改めて聞くよ。バイジュウちゃんの道を。……君の道を。

 

 ……最後に、俺はレン! レンっていうんだ!

 

 ——『最後』じゃないでしょ、レンちゃん。

 

 ……そうだね、それじゃあ。

 

 ——『また会う日まで』……。

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

「……がっ!?」

 

「皆さん! レンさんが息を吹き返しました!」

 

「やりましたわっ!」

 

「あとはエミだけか……」

 

 まだ残っている口の苦味と、胸に込み上げる気持ち悪さを吐き出すと、俺の霞んだ意識は少しずつ晴れていく。

 

 何がどうなっているんだ……?

 現状の把握を急ぐ。だが記憶に不鮮明なところが多すぎた。

 

 異形と戦い、皆が傷ついて、俺も必死で応戦してヴィラとソヤも守って……。そこから空白が多すぎる。

 

 何と何をして……あの異形を倒したんだ?

 

 ラプラスを拾い上げたところまで覚える……。そこで自分にもっと…………。もっと何かが欲しくて……。

 そしたら意識が……『魂』とかが溶けるような感覚が湧いてきて…………。

 

 最後に……バイジュウと『誰か』の声が耳に入ってきて……。それで異形の腕をラプラスで……切ったんだっけ?

 

 そう考えて、俺は握られてる獲物を見る。

 俺の手に握られているのはラプラスではない。過去の映像で見ていたバイジュウの銃剣だ——。

 

 ……どうしてこれを俺は持っているんだ? 

 

 瞬きをした時には、それは役目を終えたように蜃気楼となって消え去っていた。…………まるで最初からなかったかのように。

 

 疑問に思わなければいけないのはそこだけじゃない。どうして俺は無事なんだ。

 

 不思議な気持ちだが、胸の奥にある疼き……言うなら『魂』とも呼べる部分で確信してしまう。俺は異形との戦いで、何かが衝動的に湧き上がって決死の覚悟でバイジュウを…………バイジュウ達を守ろうとしたんだ。

 

 それで死ぬほどの……エミリオと同じぐらい傷だらけになっていたはず……。だというのに何で……?

 

「良かったぁ〜。宝石で回復できて……」

 

 ……治癒石が間に合った? 俺はあの時すでに治癒石は全部使い終わっていた。他のみんなもそうだから、必然的にシンチェンかハイイーの治癒石を使ったことになるのか?

 

 ……それだけだと無理だと思う。治癒石の効果は、あくまで身体の傷を癒す程度のもので、肺や心臓の呼吸とか血液補充とか循環系には一切効力が持てないとラファエルは前に言っていた覚えがある。実際、少し前に衰弱した身体では呼吸がままならなかったヴィラとソヤがいい例だ。

 

 確かに俺はボロボロの傷だらけで治癒石がないとお陀仏だっただろう。しかし、それでは弱り切った身体までは回復できない。だから、それを繋ぐための何かしらの延命処置がないと不可能だと感じてしまう…………。

 

 ——って、今は自分のことはどうでもいい! 生きてるならそれでいい!

 

「エミは……エミリオはっ……!?」

 

「心臓も息もだいぶ弱まってる……。右手も……」

 

 ヴィラに言われて気づく。エミリオの右手が……正確には右手首は『切れかかっている』ということに。

 

 骨から筋繊維まで丸見えであり、赤黒い出血とは裏腹に筋繊維自体は驚くほど赤くて綺麗だ。だけど…………それがかえって気持ち悪さを増大させる。

 

 ヴィラは懸命に出血を抑えるために、脇下の止血点を押して可能な限り止めているが長くは持たない。長時間やってしまったら、手首だけでなくエミリオの右腕そのものが壊死してしまう。

 いや…………それ以前にエミリオそのものが——。

 

 その時、心臓が焦りから鼓動が早くなる。

 

 早くなるのだが………………胸の中に拭きれない違和感を覚える。

 …………下着がズレた感覚ではないが、なんというか……ないものがあるというか……ホックが外れてむず痒さを覚えるような……。

 

《何か忘れてない?》

 

 どこからともなくイマジナリーお嬢様の声が聞こえてきた。

 

「もしかして……!?」

 

 俺は胸の中から…………首から下げていたペンダントを取り出した。

 ベアトリーチェから返されたラファエルの『エメラルド』————。なのだが、造形が俺が知っているのとはだいぶ違う物になっている。

 

「うそっ……?」

 

「ぁ〜…………」

 

 今までの史上の輝きが嘘のようにヒビ割れて光沢が燻んだ、ただの緑色の石となっていたのだ。

 

 ……まずいまずいまずい。理由はどうあれ非常にまずい。どれぐらいまずいかというと、眉間に寄った皺が戻らないし、滝のように溢れ出る冷や汗が止まることがない。

 

 だけど、もしかしたら…………。そのもしかしたらが起きたら……。

 祈るように俺は燻んだエメラルドをエミリオへと押しつける。

 

「………っ……っ」

 

 わずかだがエミリオの呼吸に命が宿る。切れかかっている右手首も紙みたいに薄いものの、繋ぎ合わせようと筋繊維から皮膚まで少しずつ伸びていくのがわかる。

 

「息を吹き返した……!? だけどこの回復速度じゃ……」

 

 これが本家本元の宝石の力…………。もしかしたら俺があんな窮地に瀕しても生存できたのも、ラファエルのエメラルドのおかげだったんじゃないか……?

 

 考えれば俺みたいな痛がりが、あんな血塗れや火傷塗れになってショックで気絶してないこともおかしいのだ。戦闘中も治癒石の力を促進しながら、俺の傷をずっと癒してくれていた……。

 

 だとしたら……ラファエルがここまで守っていてくれた……?

 

 なら今は、エミリオのために頼むっ……!!

 

「これはラファエルが使っていたエメラルドだ。こんな程度じゃない……。でも、魔力が足りないから残った宝石を全部集めてくれ!」

 

「分かったっ!」

 

 俺も自身の懐から譲り受けたアニーの分も合わせて、二つの治癒石を取り出す。アニーも先ほど俺の治療に使っていたものを取り出し、ヴィラとソヤも自身が使っていたのをエミリオに傷口に沿える。

 

「バイジュウさん、例え塵みたいにわずかでも残っているものを……」

 

「………………あっ、はい! 私とエミさんの分ですね……」

 

 少し上の空だったが、ソヤの声に応じて彼女もすぐに手持ちの治癒石を渡した。最後にアニーが残っていた子供の分まで覆うように、集めて宝石と重ね合わせる。

 

 これで今ある手持ち全部がエミリオの元に集められる。

 

 宝石からはエメラルドを中心に、野に吹く風のように爽やかな緑の粒子が吹き遊びエミリオの手首へと溶けていく。

 

「……っ! っっ!!」

 

「大丈夫だ……大丈夫だ……」

 

 声にならない金切り声を上げるエミリオ。いくらか繊維が繋がって余裕が生まれたことで、ヴィラも止血点ではなく包帯を使用した直接的な止血法へと変えて心肺蘇生の工程へと移す。

 驚くべき速さで心臓マッサージと始めて正しい手順を悩みなく行う。別に呼吸は止めっていないため人工呼吸はしない。ただただ少しでも停滞している血液を循環させるために、一心不乱にヴィラは豊満なエミリオの胸を押し続ける。

 

「かっ……! かはっ!」

 

 やがて血液循環を取り戻したエミリオは、今まで溜まり込んでいた血反吐を吐き出した。その表情には、やっと生気が宿り始め…………心の底から安心感が溢れてくる。

 

「ふぅぅ……ふぅぅ……! もう、だいじょ……ぶだよ……ゔぃ、ら…………」

 

 エミリオが痛みに耐えながら上半身を起こす。顔は青ざめたままだが、血が通り始めたことで肌には温かさは戻り、彼女の息遣いも安定してくる。

 

 これで最悪のことは避けられそうだ。労うように俺はエメラルドを回収しようと手を伸ばす。

 

 その時、役目を終えたエメラルドに更なるヒビが入った。

 そして最後には砕け散った。ラファエルの……デックス家の家宝が見事に砕けた。

 

 …………残ったのは断片と化したエメラルドと、それを納めていたペンダントの型のみ。

 

 背筋が凍るのを感じた。まずい事態がマジまずい事態になった。

 

「どどど、どうしようかっ、アニー……?」

 

「………………………………………とりあえず今後の下僕生活に備えてラファエル様と呼ぶ練習したら?」

 

 ですよね……。

 あぁ、今度はマスコットガールだけじゃなくて、靴磨きやお色仕立てから身の回りの世話さえも行うことになるのか……!

 

 

 …………

 ……

 

 

『靴磨きさえできないの? だったら犬みたいに舐め回しなさい』

『何この雑な掃除? これなら換気だけで十分ね』

『壊滅的なセンスね。まあ人のセンスは12歳までに決まるというし、悲観することもないわよ』

 

 

 ……

 …………

 

 

 …………想像できるのが嫌だなぁ。

 

「呑気なところ申し訳ございませんが、かなりヤベー状況ですわよ……」

 

 ソヤ特有の汚い口調を久しぶりに聞いた気がするが、言っていることに偽りはない。

 

 異形を倒したまではいい。だけど、その代償として施設全体が崩壊の一途を辿っている。ゴンドラを起動して俺達が使用した潜水艦までたどり着きたいところだが…………ウンともスンとも言わない。

 

 …………どうしましょう?

 

「……深海港自体はまだ生きています。そこに移動して潜水艦に乗り込めば……脱出の可能性はあります」

 

 確かに壊れているのはあくまでコースター内部だけだ。その道中にある様々な観測エリアや、深海港は恐らく浸水の危機にはまだ瀕してないはず。

 でも……ここは水深4000mだぞ? 俺達が乗っていた潜水艦は水深500mにある。仮に水深2500mにある深海港を目指そうにも深度は1500mもの差がある。

 

「でもゴンドラは止まっている……どうすれば?」

 

「…………私達にはこれがあります」

 

 微妙な表情をしてバイジュウは指先にある物を摘んで見せる。それは先程俺がお世話になったハインリッヒ印の『酸素玉』だ。

 

 ……オッケー、理解できた。逆流でコースター内を満たす海水を利用して直に泳ぐわけか。確かにそれなら脱出……というか水深2500mにある旧式潜水艦まではたどり着けるとは思う。だけどそれには致命的な見落としがある。

 

「バイジュウすまない……。俺の分は使い果たしている……!」

 

 そう。先の戦闘で俺は酸素爆弾として自分の分の酸素玉を全て使い果たした。治癒石と同じように一人一つずつしか持っていないため、現状酸素玉を数は俺の分だけ不足しているのだ。

 

「えっと…………それには……考え自体はありまして……」

 

 途端にバイジュウは潮らしく言葉を紡ぐ。

 

 使い果たした俺の酸素玉をどうにかして供給する方法でもあるのか?

 

「その……大変申し訳ないんですけど…………。あの、レンさんのを使い果たしてしまったことは、私に…………せ、責任がありますので……」

 

 そう言ってバイジュウは口に酸素玉を含む。

 

 うん、まあ、酸素爆弾はバイジュウからの案だけどさ。それ以降の三発作った酸素爆弾は俺の独断だから気にする必要ないのでは……。

 

「はぁぁぁ〜〜っ♡♡」

 

 ……何故かソヤの吐息に艶やかさが帯びる。途端にこれから起こる何かに嫌な予感が走る。

 

「その、失礼しますっ!」

 

 バイジュウは意を決して、俺の——。

 

 ……口にぃぃいいいいいいいいッ!!?

 

「んっ……!!?」

 

 

 

 ——————————————。

 ——————————————。

 ——————————————。

 

 

 

「ん……んんっ……」

 

「♡♡♡世界一ピュアなキスですわーーッッ!!♡♡♡」

 

「わおっ、大胆……」

 

「こんな時に見せつけるな……」

 

「レンちゃん……」

 

 ————あたまのなか が まっしろだ。

 

 口の中に何かが入ってくる。…………酸素だ。

 

「んー!! んー!?」

 

 喋りたいとこだが、ここで口を開いてしまったら共有してもらった酸素玉が無駄になってしまうのは理解している。

 

 それはわかる……分かるんだけどもぉ……!!

 

「……こ、こここ、これは人工呼吸と一緒です! で、ですので……互いに、ノーカン…………ということで、その……い、嫌ってわけじゃないんですけど……」

 

 俺は思いっきり同意して首を大きく縦に動かす。

 

 もう無心になってコースターを昇るしかない。

 

 

 …………

 ……

 

 

 浸水は進み『Earth Factory』は海水で満たされるが、俺たちはコースター内に海水を溜める逆流を利用して手早く水深2500mに位置する深海港にたどり着き、その潜水艦に乗って脱出を謀る。

 

 進路を決めて起動できるのを祈り、途中で支障が出てもいいようにマリル達に伝わるように救難信号を常時発信していく。

 

 ……とりあえずはひと段落はついた。

 今までの疲労が一気に抜けたことで、腰が砕けたように皆が一斉に座り込み、隣り合っていた俺とバイジュウは肩を寄せ合う形となってしまう。

 

 …………疲れもあって沈黙がいつもより重い。先ほどのこともあり、何と無くギクシャクした空気というか、空気の壁を感じずにはいられない。

 

「レンさん………」

 

 沈黙が広がる潜水艦の中、バイジュウは気恥ずかしいながらも聞いてきた。

 

「なに? バイジュウ」

 

「あなたは…………『どっち』?」

 

 …………まさか、俺が男か女かを改めて聞いているのか!? 

 それともさっきのキ……いやいや、人工呼吸で俺にその気があるのかを確認しているのか?

 

「えっと……」

 

 …………深く考えるがどちらも違う気がする。

 理由は分からないけど、何となく『魂』の底からそんな気が湧いてくる。だから、俺が伝えることはシンプルなものになる。

 

「…………俺は俺だよ」

 

「そう……ですよね……。あなたは、レンさん……ですよね……」

 

 悲しくも嬉しそうのに「良かった……」とバイジュウは万感の思いとともに涙を溢す。

 ……その姿に俺は申し訳を感じた。なにか選択を誤ったんじゃないか、ここにいるべきなのは俺じゃない誰かなんじゃないかっていう……何とも言えない罪悪感が湧く。

 

「ごめん……。本当にごめん……」

 

「いいんです……。レンさんが無事なら……」

 

 胸の中で泣き続ける彼女を見て……思わず、愛しさから背中に手を回して温かさを感じてしまいたくなった。

 

 温かい……。身体の底から……下腹部にも温かさが伝わる……。

 

 この感覚……いつ以来だ……。

 

 ——何かがバイジュウと繋がるのを感じる。それと共に『魂』から何かが溢れてきて、堪えきれずに私は口に出した。

 

「私はずっと、バイジュウちゃんの側にいるから……」

 

 ————ん? 

 

「えっ……?」

 

「んっ!? ままま、待てっ!? 俺今なんて言った!?」

 

 『私』!? 今私って言ったか!?

 

 待て待て待て!!?!? ついに心まで乙女になり始めたのか!? 確かに自分が男の時の顔さえハッキリと思い出すの難しくなってきたとはいえ、こんな風に自然と女の子になっちゃうの!?

 

 ぁぁああああああああああ!! そうなると自分の語尾さえ気になり始めた! 「なっちゃうの」とかは男でも使うのに、これも女々しさの表れかと思うと…………っっ。

 

 

 

「——そっか」

 

 

 

 バイジュウの頬に涙が一つ落ちる。

 

「そっか……。そうだったんだ……!」

 

 彼女の瞳は、今までどこか影が沈んだものではなく晴れやかな物となる。

 

 彼女の中で衝撃があったのか、笑顔のまま涙を少しずつ流していく。その笑顔は今までとは違い、とても煌びやかなもので、春を迎えて咲き乱れる花のように美しかった。

 

「ありがとう……『レンちゃん』。あなたのおかげで……自分の力が何なのかようやく分かりました……」

 

 改まってバイジュウは俺を見て、静かに呟いた。

 

「あなたの『魂』はとても純粋ですね……」

 

 

 

 

 …………こうして俺達の海底都市を巡る異質物事件は幕を閉じた。


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