後日、ホテルのチェックアウトを済ませて俺は公園へと向かう。そこには先日ホテルに連れ込んでしまった少女…………セラエノがいた。
「おはよう。今日はいい天気だ」
「曇り空だよ」
服装は昨日と変わらず赤い衣装を着回している。衛生上の問題を感じるが、まあ洗濯には出したから大丈夫ではあるだろう。
……俺はホテルの中での出来事を思い出す。
やはりという当然というか、チェックアウトで立ち会った女性スタッフにはセラエノを連れ込んでしまったのはバレてしまった。ただ、スタッフが優しい人であり「この事を知っているのは昨日勤務してた監視スタッフと私の二人だけだから秘密にしておいた。若い子は盛んでいいわね♪」と言ってお咎めなしだった…………。優しいのは訂正しよう。優しいけどスケベな人だった。
だから今日でここのホテルとはおさらばだ。宿無しとなり、どうしようか四苦八苦したものだが、その女性スタッフは温情から「2キロ離れたホテルなら二人利用でも大丈夫よ。ホテル提携での招待なら2割引にもなるし。もちろんラブホじゃないわよ」と電話を一つすると彼女が代わりに予約の手配をしてくれた。
…………そういう意味では優しい人なのかも。
ともかく俺とセラエノは今そのホテルに向かうことになるのだが、チェックインまでには4時間近くある。その間にどうやって時間を潰すか。幸いニューモリダスは銃社会とはいえ基本的な文化レベルは新豊州と引けを取ることはない。娯楽に満ち溢れた大都会ということもあり、探せば探すだけ暇つぶしというものができる。
セラエノの文化交流を考えると決してこの時間は悪いものでもない。…………宇宙人の相手なんてするだけ無駄なのにな。
「何か見てみたいものとかあるか? 幸い持ち合わせはあるから、ちょっと贅沢ぐらいは大丈夫だぞ」
「…………何をすればいいのか。こういう場合はエスコートするものじゃないのか?」
……確かに男なら女性をエスコートするものか。
「じゃあまずは街中のお店を全部見て回るか」
俺は彼女の手を引いてニューモリダスの街へ繰り出す。相変わらず無機質で無表情だが、セラエノの足取りは軽い。……多分、本当に人間としての経験が薄いからなんだろう。こんな素振りだが、内心は好奇心に満ち溢れていて楽しみなんだ。
俺は昨晩セラエノと話した内容を思い出す。
…………
……
「私はセラエノ。プレアデス星団の観測者」
プレアデス星団……。確か宇宙のどっかに固まる星の名称だったっけ? ……あとで調べればわかることか。今知るべきなのは宇宙人…………セラエノが話す内容のほうだ。
「私の使命は人間と星の繁栄を見守り続けること。そこには本来私のような絶対中立の存在は何が起ころうとも介入してはいけない……。何故ならここに理由がある」
突如『無』から本が彼女の手に収まる。それは大人気育成ゲーム『パケットモンスター』の完全攻略ガイドなどの本格な攻略本よりも遥かに厚くて大きく、セラエノの細腕で持ち上げるのが不思議なくらいだ。
「これはプレアデス星団にある『情報』の一欠片だ。これを見たら最後、どんな賢者であろうと自分の無知さと愚かさを嘆いて自己崩壊を起こすか、苦痛に耐えきれず死を選ぶだろう」
「そんな賢者ですら死に急ぐものなのに、狂わないお前の天然っぷりはある意味奇跡だなッ!?」
「天然……? 私はお魚さんではないぞ」
「既に『お魚さん』って表現する時点でボケボケだ。つまりその本は…………ええっと……そう、『アカシックレコード』みたいなものか?」
「『アカシックレコード』…………。そうだな、細かい部分を言及すれば差異はあるが認識として間違いない。これを閲覧すれば元始からのすべての事象、想念、感情といった宇宙が納めた記憶から概念まで、さらには宇宙誕生以来のすべての存在について知ることができる。それは過去・現在・未来のありとあらゆる全てだ…………例外などない」
「はずだった」と彼女は間髪入れずに話を続ける。
「だが今は『未来』だけは『不確定』となり、私が持つこの断章も白紙となってしまった」
そう言って彼女は断章と呼ばれた本を俺に向けて…………。
「待てよッ!? 端的に言えば、見たら死ぬ本だろッ!? 見せるなよ!?」
「死ぬだけじゃないか。それに今はその効力を断章は持っていない」
死ぬことをそんな軽く流すやつを初めて見たぞ。
まあ、そういうことなら一安心……「はずだ」——って、おい!?
「オイオイオイ死ぬわ俺!」
「だがこうして見ても死んでいない。良かったじゃないか」
そうですね。ほんとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおに心底良かったと安心してるよ。こんなところで死ぬとこだったわ。
「…………しまった、さっきのはコール&レスポンスというものをすべきだった。今のは流れからして『ほう死なないのですか。大したモノですね』とかいうべき場面だったのではないか……?」
「現実でインターネット文化や言語を口に出すのは痛い子だから止めとけ」
「なんと……。では実際にイキスギてる人間も、尊死する人間も、登校中にパンを食べながら「きゃー遅刻ぅ遅刻ぅ」という女子高生も、朝起きたら女の子になってる男の子もいないのか」
「…………いたらやだね」
「ショック……」
だから無機質で無表情に言ってもショックそうな印象が皆無なんですけど。
「……コホン。ご覧の通り断章の中身は白紙だ。これでは私の存在意義が崩れてしまう。しかも同胞との連絡は途絶えていて情報の再更新さえできない。これはいけない、ニートの誕生だ。そう感じた私は絶対中立という立場を放棄して、情報収集のために地球という惑星に降臨したのだ」
「その情報収集第一号がカマキリか」
「その通りだ」
そんな誇らしげに言われても困る。カマキリの生態なんか新約アカシックレコードに記載されたところで誰が喜ぶんだよ。
…………待てよ。『誇らしげ』? 今、俺は無機質で無表情な彼女から『誇らしげ』という機微を感じ取れたのか?
俺は今一度彼女の表情を伺う。ダイヤモンドもビックリの仏頂面だ。……分からん。本当に顔が固まってるんじゃないかと気になってしまい、恐る恐る彼女の両頬を引っ張る。
「はひほふふ」(なにをする)
「別に表情筋死んでるわけじゃないんだよなぁ……」
縦縦横横丸書いて……。動かそうと思えばプリンみたいに動くな。むしろ感情表現なんか楽だと思うぐらいだ。
「今どう思ってる?」
「ひへふぁふぁふぁはひほは? ふはひは」(見てわからないのか? 不快だ)
「見て分からないから聞いてるんですけど……」
俺は彼女の頬部から指を離す。どうやら痛覚はあるようで、少しばかり赤く腫れた頬をセラエノは優しく摩っている。
「そうか。今まで私がしていたコミュニケーションとは、お前には十分に伝わっていなかったのか」
「コミュニケーションを円滑にしたいなら、その仏頂面なんとかしないと苦労するぞ」
「こうか?」
「変わってねぇよ」
「じゃあこうか」
「だから変わってねぇって。目さえ動いてないぞ。せめて目を閉じて笑顔を浮かべるぐらいはできるだろう」
「できるな」
「……能面みたいだな」
見ていてここまで不安になる表情は初めてだ。
「……人間の表情とは難しいな」
「喜怒哀楽で表現しよう。嬉しい時」
「こう」
「……怒ってる時」
「こうっ」
「…………悲しい時」
「こう……」
「………………楽しい時」
「こう」
「……いいんじゃない?」
残念ながら区別がつかない。
「そうか。良かった」
「……嬉しいのか?」
「嬉しいからこういう顔をするんだろう?」
「そうだね」
俺には全然分からんッ!!
……
…………
そんな感じで夜は過ぎた。セラエノの表情は結局朝まで改善されることはなかったが、おかげで表情ではなく雰囲気の機微でセラエノの感情が察せられる程度には俺も読み取れるようにはなった。
足取りが軽い時はワクワクしている証拠。瞬きをするのは驚いた証拠。自慢げに話す時は軽く鼻を鳴らし、逆に鼻を深く鳴らした時はご立腹な状態だ。悲しい時は言葉の息遣いが増える。…………まあ大体そんな感じだ。
「ふむ……。ここのコーヒーはお前が淹れたのと違い随分味の深みもコクもある。酸味も弱くて飲みやすい。…………結果、お前の淹れたコーヒーはマズイということが判明した。というか苦いお湯だな、アレは」
現在、大手ショッピングモールのコーヒーコーナーにて。俺はセラエノに貶されながら試飲できるコーヒーを全てセラエノに飲ませていた。
「そりゃインスタントだしね……」
ましてやお湯を注いで抽出しただけだ。一からコーヒー豆を挽いたわけでもないし、焙煎という豆自体の加熱行為、エスプレッソみたいに水蒸気で抽出するみたいな専門的なものでもない。味の品質などそれは雲泥の差だろう。
しかし、それが俺の実力だと判断されるのは遺憾ではある。
「…………だというのに不思議だ。私はお前が淹れたマズイコーヒーの方が好みだ。何か理由でもあるのか?」
「ただ貧乏舌なだけだろ」
とりあえずセラエノが気に入ったコーヒー豆を購入。種類はモカとコナだ。……子供舌疑惑も出てきたが、それを突っ込むのは野暮だ。こういう入りやすい入り口から沼に落とすのがコーヒー道の始まりさ。
座椅子にもなる特製のスーツケースに入れて、セラエノと二人で文化交流は続く。お次はお約束のファッションショーだ、アパレルショップの前へと辿り着く。
流石にセラエノの服装がこれ一品だと可哀想に感じてしまうので、気に入ったのがあったら一つぐらいはプレゼントしてもいいだろう。
「……」
ニューモリダス一推しのミリタリールックを試着。無表情。
「……」
伊達眼鏡と萌え袖で演出した文系スタイルを試着。無表情。
「……」
知的感を考慮して白を基調としたコンサバ系を試着。無表情。
「……」
似合わないの承知でJKギャル系を試着。無表情。
「そこは何かしら怒ってもいいからリアクション欲しいな……」
「……理解しているとはいえ、やはり人間が服を着るという行為に疑問を持つ。服を着ることで保温性や種族としての地位を象徴するのは分かるが、種族として本当の力を見せつけるなら裸が一番絶対的じゃないか」
「人間の社会は野生的じゃないからな。その魅力は伝わりにくい」
「そういうものか」
視線を横に逸らしてセラエノは考え込む。視線を合わない時は大体考え事をしている時だ。無機質な瞳でもそれぐらいの機微なら分かるものだ。
「……お前は服というものを着せ替えしなくていいのか?」
「俺は女物の服は着ないから……」
「……? 服とは着るためにあるのだろう? なぜお前は着ないのだ?」
「俺は男だから! その服は女性用! 着たら変態だから!」
「了解、お前は男だな。女性の服を男が着たら変態。これも理解した」
「トランスジェンダーに配慮した発言をしてください」
そのままファッションショーは続行。最終的には「これが一番良かった」と、白のロゴ入りTシャツにロングスカートとサンダルを購入することになった。俗に言うノームコア系だ。活動もしやすいシンプルなものであり、ある意味ではセラエノの服に対する無頓着さが出てるとも言える。
そして時刻は正午、お昼ご飯の時間帯だ。同時にチェックインの時間まで2時間ぐらいとなる。
…………昼食を済ませたら、あと回れるのは一軒くらいだな。さてどうしようか。
「お待たせしました。こちらタコと胡瓜の酢物と小海老のサラダ、それにオニオンサーモンのカルパッチョとロブスターのオムレツになります」
せっかくセラエノがいる中での昼食だ。豪勢に海鮮料理専門のレストランで食事をすることにした。
ニューモリダスは海湾沿いの都市であり、世界最高の貿易港というから様々な種類の料理がこれでもかと楽しめる。特に海鮮料理に関してはどこに行っても絶品の一言だ。
「この酢物にある吸盤が付いた赤い物体……かの旧支配者に似ている……」
何やら意味不明なことを呟くセラエノ。タコは苦手なのかと思ったが、どうやらそういうわけでもなく躊躇いなく口に含んで食感を楽しんでいる。
「他にも気になる物があったら注文していいぞ。ただし食べられる範囲でな」
「安心しろ、無限に食べられる。このフィッシュアンドチップス、赤身魚の盛り合わせ、それにマグロとアボカドのナムルを注文したい」
……こいつ意外と舌が肥えてやがる。注文したものを早くはないものの一定のペースで平らげていき、その姿は本当に堪能してるのかと疑うほど事務的だ。
「お待たせしました。こちら——」
「オーダー追加。燻製カジキのトルティーヤ、ホタテのバター醤油グリル、ボンゴレパスタも頼む」
「かしこまりました」
一定のペースで……。
「お待たせしました。こ——」
「オーダー追加。ロブスターとエビのリゾット、シーフードパエリア、特選イカの刺身も頼む」
「かしこまりました」
一定の……。
「お待たせ——」
「オーダー追加。面倒だからこのページにあるメニュー全部」
「かしこまりました」
い——。
「おま「オーダー追加。メニュー表にあるの全部」かしこまりました」
「お前だけ世界が加速してない!?」
そして動揺しないウェイトレスのプロ根性もすごいなっ!?
…………
……
「大変美味であった。これは断章に記しておかねばならない」
「アカシックレコードがただのグルメレポートになっとる……」
そりゃ物凄い勢いで平らげていき、全メニューを食すのにジャスト2時間だ。この場合、完食したセラエノもだがハイペースで料理を提供するスタッフも凄い。これに関しては周りのお客様が見世物気分でセラエノへの食事提供を優先してくれたのが大きいのだが、何にせよここにいる全員がクレイジーであった。
しかもそのフードファイター顔負けの食欲から、ギャラリーからチップを貰う始末だ。おかげで俺自身が支払う料金は全体の二割と想像より安くなった。
……まあ既にその二割が、最初に想定していた支払い金額以上なんだがな!
「もうチェックインの時間は過ぎてる……。どうする、このままホテルに向かうか? それとももう一件ぐらい寄って行くか?」
「寄っていいなら寄らせてくれ。私の目的は『人間と星の繁栄』を見守ること。そして私自身がそれを理解することだ」
じゃあ、もう一つぐらい寄るとするか。ガイドブックを広げて俺は周辺の情報を調べる。
…………近くにあるとすれば博物館や美術館系統か。セラエノの目的とも合致するし、そこらへんを目指すとするか。
「よし、じゃあ宇宙開発技術館でも行くか?」
「…………やめとく」
「おっ、珍しく拒否の意思。じゃあ人民歴史博物館とかはどうだ?」
「…………それも嫌だな」
「じゃあどこがいい?」
「逆に聞く。お前はどこに行きたい?」
意外な質問に俺は固まる。
「確かにお前が提案した二つの場所は非常に興味がある。だが、それ以上に……楽しくないんだ」
楽しくない——。セラエノは相変わらず無機質で無表情だが、その言葉をキッカケに少しだけ表情に影を落とす。
「楽しくない? 行ってもいないのに?」
「そうだ。私には喜怒哀楽がまるで分からない。だから学ぶにはお前から模倣するしかないんだ。しかし……そのお前自身が今は楽しそうに感じない。それでは私が本来知るべき『人間』を理解できないんだ」
——その言葉はどんな言葉よりも心が込められてる感じがした。
……参ったな、図星だ。今まではコーヒー選び、着せ替え人形、食事は俺自身結構楽しもうとした節はあった。だが生憎と俺は元々普通の男子学生で、学術的興味なんてゲームで出てくる神話や偉人ぐらいなもので、歴史自体に興味なんてカケラもない。
……セラエノの『心』は、もしかしたらどんな人間よりも敏感なのかもしれない。
「それにホテルにはテレビやインターネットで動画が観れるのだろう? 考古学的知識はそこで学ぶさ。だから今だけはお前の心の有り様を見せてくれ」
そう言われたら俺だって自分の心に素直になるしかない。俺が今一番行きたいところ……。
「じゃあ射撃場に行こうか。ここから近くにある地下施設に拳銃からライフルまで扱ってる所があるんだ。ニューモリダスに来たら、本場の銃社会の訓練や風景とか味わないと損だぜ」
「——うん、楽しそうだ。是非とも行かせてくれ」
俺達は日が暮れるまで遊び呆けた。今日一日を俺にとって掛け替えない物にするために。今日一日が彼女にとって実りある物にするために。
…………俺に残された時間は多くない。