…………入室してから思ったことを告げる。
あの女ぁあああああああああああ!!
「ふむ……部屋のガイド案内を見る限り、ここは『セミダブルルーム』というらしいな」
そうなのだ。俺達が案内された……というより女性スタッフが予約していたのはセミダブルという、本来『一人部屋』で扱える寝室を割増料金を『二人利用』できる部屋だったのだ。
部屋の広さ、収納スペース、ベッド、テーブルなどは確かに完全な一人用よりは大きいものの、当然ベッドは一つしかないため二人で一つを扱うことになる。……今日もタオルケットに包まって床で寝るしかないのか?
「安心しろ。横幅は普通のダブルベッドと差はない。二人で寝るには十分だ」
一緒のベッドで寝るのが安心とかけ離れてるんだよ! 童貞の俺に昨日今日知り合った女性と一緒に寝れるほどの根性はない!
「私と寝るのは嫌なのか? 昨日もそうだったが」
「いやいやいや! 別にセラエノのことが嫌いなわけじゃない!」
「好きなのか。照れる」
無機質で無表情に「照れる」と言われても、全く持って照れてるようには感じない。しかも見た感じ、目線とか頬を掻くといった動作で恥ずかしがってる様子もない。セラエノ検定一級への道は未だ遠い。
「いいか、セラエノ。後学のために言うが、一緒に寝ていいのは恋人か家族だけだぞ。もしこれから一人になったとして、俺も当然として見知らぬ男に「一緒に寝よう」とか言うな。あらぬ誤解を生む」
「理解した。では私と恋人か、家族になれば一緒に寝てくれるんだな」
「発想が飛躍してるぅぅうううううううう!!!」
「どうする。夫婦には若すぎるから兄妹とか姉弟とかか? それなら遠慮なくセラエノお姉ちゃん、セラエノ姉さん、セラエノお姉たま、好きな感じで呼んでいい。貴重な経験になる」
「そんな好奇心のために俺の尊厳を破壊するような呼称なんて恥ずかしくて呼べるかァ!!」
「では私が妹になるとしよう。そしてお兄ちゃんと呼ぼう。これはこれで良い経験だ」
ダメだこの子、知的好奇心が高すぎてあらゆる属性を踏み抜いていくつもりだ。こちらの羞恥心とかお構いなしだわ。
「不服か? ならば——」
「わかりました! 恋人でいいです! だからお姉ちゃんとも呼ばないし、お兄ちゃんとも呼ばなくていい! オッケー?」
セラエノは親指と人差し指で輪を作りながら「オッケー」と淡白に言う。
…………自分でも小っ恥ずかしいことをしたかも。ごめんなさい、父さん母さん。こんな無責任な息子で申し訳ない。
「とりあえず荷物はすべて整理しておいたし、ノートパソコンのケーブルを繋いだぞ。これでインターネットが見れるのだな?」
「ああ。で、このアイコンを……って何してるんだ?」
「このマウスというものを動かせばカーソルが動くのだろう? だから動かしてるのだが……一向に動かない」
「接地させないと動きません!」
どんなに空に向かってマウスを縦横無尽に動かさそうともセンサーが反応しないで動くわけがない。
「そうか。……おい、マウスを動かしていないのにカーソルが動いているぞ。これが世に聞くポルターガイスト現象か?」
「タッチパッドに触れてるだけだ。これは今はオフにするか」
先行き不安だ……。これではローマ字入力さえ一から教えないといけないのか? それに悪質なウイルスとか違法サイトとかネットリテラシーを何もかも教えないといけないのか?
……想像してみる。
…………
……
『お兄ちゃ〜ん♡ セラエノ、ヒーローの綴りがわかんな〜い♪ えっ……そんなお兄ちゃんったらエッチ……♡ HEROでヒーローだなんて……。だってH(エッチ)とERO(エロ)で……♡』
『ぴえーん!! セラエノのSNSが炎上したよぉ〜!!』
『お兄ちゃーん! エッチなサイトを見たら100万円払えって言われたけどセラエノそんなお金持ってないよぉー!』
……
…………
「誰だ、こいつッ!!?」
俺のギャルゲー知識のせいで、想像上のセラエノのキャラがおかしくなってる!? 無垢な感じはあると思っているが、いくら何でもおかしいだろう!?
「うるさい、急に叫ぶな。今時の若者か」
今時の若者じゃい!
「…………なるほど。『a』『i』『u』『e』『o』を基礎に組み立てればいいのだな……。『K』と組み合わせれば『か行』で、『S』なら『さ行』……小さな『や』はどうすればいい?」
「『しゃ』なら『sya』とか入れればいい。単体で小文字を入れたいなら前に『X』を付けれればいい。『や(ゃ)』なら『xya』とかな」
「把握した。感謝する」
想像以上に学習能力が高い。一度体験すればそれだけで十分そうだ。だがインターネットは険しい道のりだ、一度や二度は痛い目を見るかもしれない。
セラエノはネットサーフィンを開始する。タイピングの仕方が最初はぎこちなかったが、みるみる速度は上がっていきわずか10分でブラインドタッチができるところまで成長を果たす。やっぱこいつだけ世界が加速してるとしか思えない。
「ふむ……。まとめサイトとはいいな。見た感じだと、この動画サイトなら多種多様な動画が投稿されてるとある」
「はい、そのURLは違法サイトーッ! おもくそエロ動画サイトーッ!」
そのURLには悪戦苦闘した覚えあるので忘れようがない。即行でセラエノからマウスを取り上げる。おかげでセラエノ自身どこか不満げな雰囲気が漂う。
「ならどこで見ればいい」
「yohtubeとかエコエコ動画がいいんじゃないか。俺が世代なだけだけど」
SNSでも繋がりさえ持てれば動画を見れるからそれでもいいんだけどね。だが、いま現在対人経験が不足しているセラエノをSNSの領域にまで野放ししたら、それこそ危険が危ないというアホみたいことが起きかねない。絶対ありとあらゆるコメントに噛み付いていき、論争を繰り返して炎上を迎える未来しか見えない。
「そうか。利用者が多いのはどちらだ」
「間違いなくyohtubeだな。エコエコも好きだけど、どうしてもサイト特有のノリのせいで固定ユーザーが増えにくい。ようつべなら色々と方針が違う投稿者がいるから好き嫌いは別れるけど、まあ慣れれば快適だよ」
「ようつべ?」
「yohtubeの略語だな。他にもうぽつとかあるな。動画に関係ないところなら『RT』と書いてリツイートとか、了解の『りょ』とかある」
「りょ」
……まずいことが起きた気がする。セラエノが略語を覚えたら会話の内容が凄まじく縮まるんじゃないのか? そうしたらただでさえ無機質なのに、その上に理解不能な略語を使われたらどうすればいい? というか人には発声不可能な言葉を知っている以上、もしかしたら『ギャル文字』とかもそのまま言えるんじゃないのか……?
不安がさらに募る中、俺のポケットが震えが走る。すぐさま震えの正体であるスマホを取り出すと、そこには『非通知』が一件。それはすぐに切れると、すぐに再び『非通知』の電話が来る。それを何度か繰り返して、最後には何事もなかった様にスマホは沈黙した。
……5回ということは『完成』の合図か。
「セラエノ、ちょっと外に出るけどオートロックだから鍵は閉じなくていいからな」
『Oh Yes!』
…………セラエノの方からやけにネイティブで野太い男性の声が聞こえてきた。てっきりエロ動画を踏んだのかと警戒して振り返ると、別に如何わしいサイトに繋がってる様子もなく、こちらに画面と顔を向けるセラエノが音声ファイルの再生ボタンを黙々とクリックする姿が映るだけだ。
『Oh Yes! Oh Yes!』
「……何やってるの?」
「サンプリングボイスで少しは私の気持ちを伝えようと思ってこうしてる」
「普通に言えば理解しようとするから……」
『Uh huh』
今度はセクシーな女性の声が響いた。
「……実は気に入ってるだろう?」
「あーはん」
『Uh huh』
「……とりあえずお留守番よろしく」
『Oh Yes!』
……楽しそうで何よりです。俺は愛想笑いだけを浮かべて部屋から出た。
ホテルの寝室から出て直ぐの角。公衆電話専用の防音個室へと入り、事前に知らされていた非通知先の電話番号へと折り返しの電話をする。
『はいは〜い! いつもあなたと共にあるイナーラちゃんで〜す! ……で、どちらさま?』
三回目のコールで出てきたのは聞き覚えのある女性の声。彼女……『イナーラ』にはこのご身分になってから随分お世話になっている。
「…………………………」
『…………………………ご用件は?』
「タクシーを頼む。目的地は5キロ先の料亭だ」
『はぁ〜〜〜〜。事前に注文してた依頼主ね……。5番となると……はいはい、できてますよ。受け渡し場所は……そうね、ダンスや音楽に興味ある?』
「人並みには」
『じゃあ、海湾沿いの『Seaside Amazing(シーサイド・アメイジング)』っていうクラブで会いましょう。時刻は今日の開演時間から一時間後。カクテルでもお願いしようかしら』
「未成年だろう……」
『互いにね。じゃあ情熱的な一杯でもお願いするわ〜♪』
最後に口づけの音を響かせてイナーラとの電話は終わる。
……いつも思うけど調子が狂うテンションだ。相変わらず真面目に相手しようとするこっちが馬鹿馬鹿しくなる。
イナーラから指定されたクラブをスマホで調べて、住所を頭の中に叩き込む。
開演時間は20時から。となると待ち合わせは21時となる。今の時刻が19時前と考えると、今からだと交通機関を使えば1時間以内には着くか。
…………せっかくだしセラエノも連れて行くか。
俺の秘密を知られてしまう恐れがあるのは痛手になるかもしれないが、彼女の今後も考えるとできるだけ経験を積ませて人間社会に送りたい。それでもし…………。
「いや、もしは後でいいだろう。今はセラエノと一緒に踊りに行くか」
…………
……
少し時間を置いて夜道を歩くこと十数分。俺とセラエノは待ち合わせ場所となるクラブの前まで着く。
セラエノは現代の知識に吸収するのに夢中で、着いたというのにイヤホンから流れるVtuberの動画に見続けている。表情は相変わらず仏頂面のままではあるが、そこはかとなく楽しげだ。
「へぇ〜『星之海』っていう姉妹Vtuberかぁ。気に入ったのか?」
「…………」
珍しく無言だ。道中でイヤホン越しからでも会話は成立していたので、単に聞こえてないというわけではない。だとしたら動画に心躍る内容でもあったのだろうか。セラエノの心境など知る由もない。
と思いきや、セラエノはいきなりイヤホンの片耳を外すとそれを俺の耳につけ始める。まさか、この状況………本当に恋人とかにある一緒に音楽を聞くとかいう————!!
『Oh Yes!』
「返答するのに時間がかかってただけかい!」
「迂闊だった、動画の再生中はサンプリングボイスが使えない。やはり自分の口で返答する必要あるな」
「それが普通のコミュニケーションだからね!?」
「マ?」
「すごい勢いで学習してるのは分かるけど、それが普通なんだ」
「なら何故スタンプや絵文字があるのか……。人間のコミュニケーション形態は実に複雑だ」
セラエノにとってコミュニケーションの出力は一つだけっぽい。まあネット文化と実際の文化は差異があるからな。その辺は本当に体験しないと分からないだろう。現実で「ンゴ」とか「よろしくニキ」とかいうやつは基本いない。
そうこう言いながらクラブの中に入る。薄暗い建物の中、様々な客の出入りが行われる。そのほとんどがリズムに合わせて踊っていたり、曲を肴に酒とトークに酔いしれる客もいる。
「お客様。会員証はお持ちでしょうか?」
スタッフの一人が話しかけてくる。当然俺の分はあるが、セラエノの分は今は持っていない。とはいっても、それぐらいは織り込み済みだ。
「俺はありますけど、この子はイナーラさんからの招待客でね。彼女に確認をとってくれないかな。俺の会員証を見せれば分かると思うよ」
「かしこまりました」
スタッフは俺の会員証を持って店の奥へと姿を消す。
「……ここではこんな風に踊るのか」
待ち合わせ人であるイナーラが来るまで間、セラエノが無表情で腰とくねらせて足でテンポを取る。
「ここではもっと大袈裟でいいぞ。腕を上げて振り回すしてもいいぐらいだ」
「分かった」
素直に腕を振り上げて、腰を横に動かして踊りを活発化させるセラエノ。当然仏頂面のままで踊り続けているため、側から見ればかなり不気味である。
「おっまた〜〜♪ ごめんね〜、わざわざここに来てもらって♪」
数分後、入れ替わりに踊り子衣装のイナーラが姿を見せる。胸と股以外ほぼ全てを素肌を曝け出す扇情的な衣装であり、もはや下着として機能してるかさえ怪しい。
すぐにセラエノに気づいたイナーラは値踏みをするように見定めていく。上半身から下半身、続いて瞳を覗いて見つめ合う。なおセラエノは今もなお踊りながらイナーラを見つめている。
「こんばんは。私はセラエノ、プレアデス星団の観測者」
当然、セラエノはいつもの無機質・無感情・無表情な抑揚で挨拶する。イナーラは彼女の踊りながらの突然すぎる挨拶に目を見開き、その反応から伝わってないとセラエノは思ったのか、踊りをやめて俺の使ってないスマホから『Hello!』と陽気な女性の声を響かせた。
「…………不思議ちゃんが好みなの?」
「違う」
「なんと。では先ほどの恋人宣言が嘘だったのか」
「それも違う!」
「違うのに違う……。どういうことだ……?」
馬鹿正直過ぎて話が進まねぇ!
「ふ〜〜ん……。こんな子のためにぃ〜、わざわざ身分証明をイナーラに作らせたのぉ?」
わざとらしいぶりっ子口調でイナーラはこちらの神経を擽ってくる。とはいってもこれが彼女の平常運転だ、今更咎める気なんてさらさらない。
「そうだよ。文句ある?」
「ないっつーの。ここはニューモリダス……対価に見合う物さえあれば何でも揃う欲望渦巻く都市よ? お代は取ってるんだからどう使おうがアンタの勝手」
そう言って彼女の手から鍵を一つ受け取る。それは駅前などにある保管ロッカーの鍵だ。鍵には番号が書かれたプレートが取付けられており、そこには三桁の数字も記載されている。
「わらしべ長者で悪いけど、場所はシーサイド駅の首都航空行き線の改札前ロッカーよ。…………そこに諸々全部入れてあるから」
「ありがとう」
「それと警告。私もね、仕事上誰彼構わず依頼は引き受けるから耳に挟むんだけど……。アンタ、あの組織に狙われてるよ」
「……好都合」
そろそろ此方からもアプローチをかけないと思っていたところだ。なにせ、本来の予定とはだいぶ方針が変わってしまっている。
……むしろ願ったり叶ったりだ。こちらから出向いてでも会いたいほどだ。
「ふ〜ん。まあ私も中立だから依頼主が話さない以上は、どんな事情があれ踏み込まないようにするけど…………あの子が何かあった時のフォローぐらいはしようか?」
イナーラはセラエノを見つめながら言う。その表情は珍しく慈しむように見据えており、まるで妹や弟を心配そうに見守る姉のようであった。
「どういう風の吹き回し?」
「こんな仕事でもお気に入りってあるのよ。アンタはお得意様だからね、アフターケアぐらいはサービスでもいいよっていう。あの子面白そうだし♪」
「じゃあお願いしとくよ。とはいっても、退場するにはまだ早すぎるけどな」
そう言って俺はセラエノを連れてクラブを後にする。
夜風が吹き抜けるニューモリダスの都市。
耳を澄まさずとも眠りを知らぬここでは、いつでもどこでも喧騒が起きており静寂というものを知らない。
だという今だけはやけに静かに感じる。何かが起こる前触れのように、一歩を踏み出すたびに静寂は増していく。
やがて俺達の前に一人の少女が姿を見せる。
夜でも鮮やかに舞う黒髪。血などを知らない無垢で温かい赤い瞳。身長は俺より少し低い。
俺は…………この可憐な少女をよく知っている。
少女は俺を力強く睨み続け、やがて意を決したように重苦しく言葉を吐いた。
「答えろ。お前………………『誰だ』?」
可憐な少女————『レン』が俺にそう告げた。
さあ、本当の始まりはここからだ。