先の男装事件から数時間後、俺はエクスロッド家が所有する小型飛行機の中にいる。個人所有物ということもあり、普通に乗る旅客機の狭苦しいエコノミー席やファーストクラスみたいな豪華な個室とはわけが違い、機内全てがラウンジとして設計されたVIP仕様だ。ソファから大型モニター、果てにはビリヤード台からダーツなど遊戯が多種多様だ。
一見、燃料や領空的な問題で一般利用の乗客がいないのは予算的にどうなのと思うが、そこらへんは「触れちゃいけない事情がある」とスクルドは天使みたいな外見とは裏腹に、悪魔みたいな腹黒い笑みを浮かべてはぐらかしていた。政界の娘って怖い。
そういうこともあって俺はニューモリダスに着くまでの間、スクルド達と遊戯を楽しむつもりだったが…………。
「ほい、インナーブルにスリーヒット。これで150点獲得」
「やった! 私はトリプル20が二つとシングル20で140点!」
「お前ら初心者相手に手加減とかしようよ……!」
こうも手も足も出ないと楽しむ余地がない。……何より、こいつら容赦ない!
ルールはカウントアップで8ラウンド制。合計で採った点数が一番多い人物が勝利というものだ。そして今は7ラウンド目。俺はダーツ機の上に表示されている現在のスコアを見てみる。
スクルド:1040
ファビオラ:1050
レン:816
どう見ても逆転不可能な状況だ。仮に俺がトリプル20を3連続成功しても得られるのは180点で追いつかない。既に俺のゲームは終わっている。
「これでも手は抜いてますよ〜レンさ〜ん♪ 私はリング内のダブルやトリプルは全部シングル扱いな上に私だけセパレートブルで分けてるじゃないですか〜♪」
「そうだよ〜♪ 私だって投擲距離は子供用じゃなくて通常ラインでやってるだし〜♪ それにレンお姉ちゃんは最初からトリプル20の五つ分、つまり300点貰ってるじゃんか〜♪」
だとしても……ここまでの敗北は心労的にキツい。それがダーツだけでなくビリヤードからトランプ、UNO、果てには世界的に人気なカードゲームなど様々なゲームでボッコボコのボコにされてきた。
…………
……
『ごめんね、お姉ちゃん! ストレートフラッシュ!』
『レンさんからのドロー4をお嬢様と私で返して合計12枚……自滅しましたわね』
『全ワルキューレで直接攻撃! バトルフェイズ終了時に速攻魔法《時の女神の悪戯》を発動! 再び全ワルキューレで直接攻撃!』
『レッドゾーンZのアタック時に革命チェンジ、レッドギラゾーン。ファイナル革命で他クリーチャーをすべてアンタップしてダブルブレイク。ザ・レッドのアタック時に手札に戻したレッドゾーンZに侵略。効果でシールドを墓地送りしてダブルブレイク。ついでに赤のコマンドが出たから禁断解放してドキンダムXでトドメ』
……
…………
思い出すだけで酷い有り様だ。
「ふっふっふ……。いくらお嬢様でも遊びで負けるほどファビオラは優しくありません。お嬢様が勝つには私の次の三連インナーブル入れた1200点を超える必要があります。それにはお嬢様は160点を超える……つまり全て18点以上のトリプルを決める必要がありますよ?」
「その言葉、そのまま返すよ♪ ファビオラだって、ここまでインナーブルを7ラウンド全て成し遂げたけど、それが8ラウンド目まで持つかな? 一つでも外したら50点は消えてその時点で1150点……110点程度の差ならトリプル20を二回決めたり、ブル二回で適当に11点以上を狙うだけで勝っちゃうよ?」
俺には『その程度』ができないんですけど。何だよ、この二人の高レベルな実力は……。きっと戦闘力がインフレする漫画に出る一般人は超戦士達の戦いをこんな風に見つめていたのかもしれない。
「今日は負けるわけにはいかない……。ファビオラにはレンお姉ちゃんの前で堂々と自分が持つ下着を全部口頭で説明してもらうからね……!」
「何とマニアックな……。お嬢様、いつからそんなご趣味が……!」
「趣味じゃない! ファビオラに与える罰だよ!」
しかし、今はあんなに楽しそうに遊ぶスクルドだが、発進前は酷く不安げな顔をしていたのが嘘みたいだ。そして何故そんな顔をしていたのか、その理由を俺は知っている。
話は少し巻き戻る。
どこまでかというと……ファビオラによる男装徹底指導による男性が男の服を着るのと、女性が男の服を着るのでは決定的な違う部分を身体で教えられた後ぐらいだ。
…………
……
「うぅ……俺の全てが霰もないことにぃ……」
「いいじゃないですか。おかげでサイズもバッチリ採寸し直しましたし、これもメイドが為せる神業、なのですよ」
確かにサイズピッタリだけどね。俺は鏡に映る自分の姿を見つめる。
上下共に黒で統一されたメンズのフォーマルスーツ。シミひとつない白のカッターシャツと繊維が整った黒のリボンタイが英国紳士を思わせる上品さが漂っており、背筋さえ伸ばせば俺でさえ実際の年齢より一回りも大人びた気品を持つジェントルマンに見えてくる。グレーのベストも色合い自体は地味な印象を受けるが、今の俺の髪色は黒と赤のツートンカラーなので、この地味さがファッション初心者にありがちな『服に着られている』という印象をなくし、俺自身が服を着こなしている感さえ出てくる。しかもベスト自体は小さい物を使用して背筋も矯正させてるので、その小慣れた雰囲気を醸し出すのに一役買っている。
胸を小さく見せるコルセットも付けてるから胸元が目立つこともなく、むしろ少し逞しい胸筋にも見えるし、髪さえ切り落とせば一見では女性とは思えないほどだ。この際、思い切って断髪してみるのもいいのかもしれない。長い髪を維持するのが大変なことをこの身体になってから否が応でも知っている。安易に女性にポニーテールやツインテールなどを勧めるのは下手したら殺人事件の理由にもなりかねないほどに。
「あぁ〜〜……。やっぱいいよなぁ〜〜!!」
改めて思ってしまう。この着心地、特に股下辺りのフィットした感覚はスカートでは味わえない安心感と安定感。下着が見られる心配もないし、やっぱり男性物こそ俺には合う。最近は自分の元の顔さえ思い出すのが苦労するし、先の一件で『私』が出ることに不安な思いをしたが、これだけで俺は男だと自信が持てる。やはり俺は男だと、高らかに宣言できる。
「いいでしょう、たまには男装というのもっ!」
「……ファビオラ、話が噛み合ってない」
スクルドの冷静なツッコミが入る。
そう、俺は男装を楽しんでるわけではない。元々男性なのだから、こういう服を着て心を満たす安心感に浸っているに過ぎないのだよ。
「う〜む……。イマイチお嬢様の言い分は理解できませんが、それはそれ、これはこれ。メイドらしく慎ましく納得しときましょう」
不思議そうな表情を浮かべながらファビオラはとりあえずは納得したようだ。思えばラファエル、バイジュウ、ソヤ、エミリオ…………出会う先々ほぼすべての人達に男疑惑持たれてるけど、逆にファビオラからは一切そういうことを思われたことないんだよな。気づいてないのか、気づいてはいるけど踏み込もうとしないのか……。もしくは単に俺に必要以上に興味がないのか。
何であれ男疑惑が持たれないのは弁解する機会が減るというわけではあるので、俺としては気分的に楽ではあるのだが。
「ファッションショーは終わりか? じゃあ任務の手配と説明を続けるぞ」
マリルの言葉に、俺とスクルド達は気持ちを切り替えて本題の話を聞く姿勢となる。
今はスーツ云々やファビオラ云々については二の次だ。一番はニューモリダスで目撃された俺が男だった時の姿を持つアイツについて知るのが第一優先だ。
「先も伝えたが、今回のターゲットはニューモリダスに潜伏しているこの少年だ。住所も名前も『不明』ではあるが、こいつは政府が極秘で追っている重罪人であることは間違いない。何せアルカトラズ収容基地でEX異質物を強奪したんだ、放っておくわけにもいかん」
「その割には随分と熱があるように思えますが」
「おいおい、これでもSID長官だぞ。市民の安全と繁栄を願っている身として、国際的な犯罪者を野放しにするわけないだろう」
マリルが言うと詐欺師の謳い文句みたい、とか言ったら怒られるんだろうなぁ。
「そこで最重要人物の確保、並びにEX異質物の回収を目的としてレンをスクルドの護衛として配置させてもらう。レンの所在を知っているのはこの場にいる私達と、既に事情を説明して裏側の手引きをしてもらったスクルドの父である『スノーリ・エクスロッド』議員と手引き先である情報機関『パランティア』のみだ」
「だが」とマリルは間髪入れずに話を続ける。
「他の情報機関も政治家も脳みそに苔が付いた存在ではない。数日もあれば今回の事態には気付くだろう。政府関係者に気づかれずに目標の人物を人知れず確保するのが一番スマートではあるが……そこのところ実際どうだ、ファビオラ?」
「…………私が2年前に『パランティア』に所属していた時から変わっていなければ、あの情報機関は精密射撃や市場調査といった物を得意としていて諜報に関しては政府直属の機関に劣るのが実情ですね。ですからパランティアと連携が取れても厳しいところがあるかと……」
「やはりそうなるか……。だとしたら作戦の指針はこうだ。理想としてはレンはスクルド達と同行して第二学園都市へと入国。スクルド護衛の任務を行いながら、こちらは水面下でイナーラと連絡してお前と接触してもらうよう手配する。接触でき次第、スクルドとの予定を合わせながらイナーラと情報交換をしてターゲットの場所を絞り込んでくれ」
「そこまでコソコソやる理由あるかなぁ……?」
俺が溢した疑問にマリルはため息をつく。その視線は「今ここで言わんでくれ」と言うように呆れ気味だ。
「アイツの身分は現状不明なんだ。拘束され次第、身ぐるみ全部剥がされて情報という情報を抜き取られるだろう。EX級異質物を強奪する手練れなんだから、さぞかし興味が湧くよなぁ〜〜♪ どんな情報が漏れ出るんだろうなぁ〜〜。手段や目的、それに国籍とか気になるよなぁ〜〜」
マリルの言い含めた発言に俺は察した。ファビオラやスクルドがいるせいで、俺の内情をすべて言えないことを考えると、つまり言葉の意味は俺の身を案じているんだ。今回の作戦、隠密にやる理由に関してはSIDがニューモリダスに潜入する問題もあるが、何よりも『SIDがアイツを確保』しなければならない事情もある。
他国がアイツを確保したとして、その場合『俺』としての情報が漏れることになる。そうなると完全に『俺』が犯罪者として認定されて、『俺』という存在は一転して社会的地位が失ってしまうのだ。
そんなことになれば、今ここにいる俺という存在が元に戻る手段を手に入れたとしても、今後の生涯を平穏に暮らすには『レン』として生きることを余儀なくされる。つまり俺が『男に戻る』という可能性が潰されるということなのだ。
「まあ、そんなところだ。他国にアドバンテージが取れる情報が取れれば外交にも強く出れる。多少の危険を承知してでも確保に動く理由にはなるさ」
「マリル……」
普段から色々と弄ってくるけど、そういうところしっかり考えてくれてるんだな……。思わず感涙しそうになる。地獄にも仏、鬼の目にも涙とはこのことか。
「だが、この指針はあくまで早期決着を狙ったものだ。アイツの確保が遅れた場合、パランティアにも協力を仰いでもらうことになる。そうなると政府機関にもこちらの潜伏がバレる恐れが高くなる。……レン、今回はマサダブルクみたいに私の助力があると思うなよ。アレだってそう出したくない手なんだ」
マサダブルクの助力となると、エミリオが人質に取られた時にした俺の無謀な交渉術のことだよな。あれもマリルがSID長官が直々の連絡を取ることで、俺の立場を暗にフォローしてくれたから効果を得られたものだ。
この手は『情報』が不明瞭だからこそできる情報戦なうえにこちらが下手となるものだ。マリルとしては好ましくないからこそ、あの状況下でも最後まで出し渋っている。雑に扱ってしまうと『もしも』の時の切り札がなくなってしまうのだ。
「わかっている……。今度はヘマをしない」
「よろしい。パランティアと協力する場合は追って連絡を渡す。それまではスクルドは護衛とイナーラとの交流に勤しんでくれ」
「交流って……」
「あの女は相当変わり者だ。きっと気に入られるぞ」
気に入るんじゃなくて、気に入られるのか……。ソヤとか愛衣みたいな変態じゃありませんように。
「それでは通達を終える」
その言葉を最後にスクルド、ファビオラ、俺の三人は即座にSID内にある移動用エレベーターを経由して、黒塗りの防弾仕様のSUVへと乗り込んでエクスロッド家所有の航空機が待つ空港にまで向かうことになる。
「久しぶりだね、お嬢さん」
「あ、お久しぶりですっ」
乗り込んだSUVの運転手は、ソヤと一緒に新豊州を巡った時に知り合ったいつぞやのお爺さんだった。タクシー運転手に扮した姿ではあるが、その人が良さそうな笑顔と年季の入った皴は忘れる方が失礼というものだ。あの時には移動手段として非常にお世話になりました。
「すいません、新豊州国際空港までお願いします」
「あいよ。代金は嬢ちゃんのスマイルな」
「あははっ……あざっす」
ごめんなさい。そういう年寄り特有のジョークには俺は応えられるほどボキャブラリーが豊富ではない。
車内には女性キャスターがニュース速報を読み上げるラジオの音だけが響く。後部座席に俺達三人は乗っているものの、特に弾むような会話などは起こらず俺は窓の外ばかり眺めていた。ファビオラも俺とは理由は違うが、同様に外を見てスクルドへの襲撃がないか付き添いのメイドとして常に注意を払っている。…………俺も今はSPなんだからスクルドに気を配らないといけない。
そう思ってスクルドを見ると、彼女は今までの天真爛漫な笑顔はどこにいったのか、とても子供とは思えない不安げな瞳で俯いていた。
「……お嬢様、やはり不安ですか?」
「うん……やっぱり、ね……」
その表情は見覚えがあった。先日、ラーメン屋であった時の最後に見せた神妙な顔つきと非常に似ている。あの時はすぐに笑顔を見せたから一種の迷いか、あるいは見間違いかと思ったが、どうやら俺が想像しているよりも根深かったらしい。今でもその思考の痼りは残っているようだ。
「……何か困ったことがあるなら言ったほうが楽になると思うよ」
「うん、そう思ってた。レンお姉ちゃんなら伝えたほうがいいって……」
するとスクルドは困った顔を浮かべ、恐る恐る運転手に聞いた。
「……こっちの会話を聞こえなくすることとかできるかな? 無理なら大丈夫なんだけど……」
そんな頓珍漢な質問に、運転手は特に表情も変えずに左手をハンドルから放して、ファビオラが座る後部座席左側にあるボタンを指した。
「滅多に使ってなかったけど、そこを押せば防音フィルターが運転席と後部座席の間に貼られた気がするよ。大声でも出さない限り運転席には届かないし、それに俺も歳も食って耳が遠いから仮に聞こえても忘れるってもんさ」
「マリル長官も変な機能付けるよなぁ」と運転手は笑いながら言った。いや、そんな機能を覚えている時点で忘れるとは到底思えないんですけどz
「ありがとう。それじゃお言葉に甘えてっと……」
スクルドはファビオラの身を乗り出してボタンを押した。運転手が言っていた通り、俺達との間に防音フィルターが即座に展開されて、ラジオの音さえかなり篭っているのがこちら側からでもわかる。耳を澄ましてもニュースキャスターの声の判別すら難しい。かなり優れた防音性だ。
「…………じゃあ、レンお姉ちゃんに伝えることがあるんだけど……その前に約束して。今から言うことは嘘でも何でもない。証明する手段も、確証的な意見もない。だけど私は直感したんだ。きっとこれは事実だって。それでも約束して…………私の話が『本当』のことだって」
少女が必死な思いで溢した言葉は悲痛に満ちていた。俺よりも博識で聡明なあのスクルドが、そんな曖昧な表現をしなければならないほどの事態が何かあったのだ。俺には想像もつかない葛藤や思考が今までずっと張り巡らされていたのだろう。
そんな少女に俺は何ができる? そんなの——決まりきっている。
「信じるさ。だって俺は君にとって『一番大切』な人だしね」
あの時体験したファビオラの『記憶』は『夢』となって忘れてしまったけど、そのために紡がれた約束までも儚く消えたわけじゃない。この繋がりは確かに大切にしなければいけないものなんだ。
「その言葉、聞き捨てならないんですけど詳しく聞いてもよろしいでしょうか?」
突如、ファビオラの瞳から熱光線が出るのではないかと錯覚するほど殺意に満ちた視線が送られる。
「待って! 俺、何もしてないっ!」
「日々政治家達におべっかを絶やさないスクルドお嬢様ですが、その実かぼちゃパンツの卒業さえ出来ないほど初々しい心の持ち主なのです。どういう経緯かは知りませんが、そんなお嬢様を汚すような真似をしている場合こちらも殺菌処分を考えないといけないんですが?」
「お姉ちゃんとは何もないから! それにかぼちゃパンツのこと言わないでよ!?」
「マジでかぼちゃなの!? この年齢でッ!?」
「違うからッ! いや、違わないけど今日は違うからッ!」
「そうですッ! 本日はキュートなクマさんパンツです!」
「それも言わないでよ!」
どんちゃん騒ぎな後部座席。そんな雰囲気を感じて運転手は困った表情を浮かべながらフィルターをノックしてくれた。そして口パクで「聞こえるからね」と渇いた笑いを浮かべた。
そこでスクルドは冷静さを取り戻したのだろう。顔を赤くしながらも咳払い一つで落ち着きを取り戻し「この恥かしめはいつか必ず……」と物騒なことを呟いている。
「…………こんな後に言うのも難だけど……実は……」
やけに長く感じる沈黙。一秒か、十秒か、それ以上か。あるいは意外にもすぐだったのか。スクルドは目を伏せながら告げた。
「私、未来が……『見えなくなった』の……」