「運命を先延ばしにした結果、運命に殺された男さ」
「『ロス・ゴールド』で運命を……?」
アレンの言葉で思い出すのは、記憶に焼き付いた地獄の光景。燃え盛る新豊州の上空で妖しく光り輝く黄金の杯を見て、確かに俺は心の底から願った。
——仮に……もしも……。
——『神様』が本当に存在していれば……。
——お願いだ……すべてを夢に……。
『全て、夢であってくれ——』
……あの光景は忘れるはずがない。あの言葉を忘れるわけがない。事実、その地獄は『夢』のように消え去って、目が覚めたら俺はどことなく母親の面影がある少女の姿になっていたんだ。多分、母親が俺のような男の子ではなく、女の子を産んだらこんな風だったんだろうと思えるほどに。
同日にアニーに出会い、マリルに保護され、愛衣に検査されたりと本当に気苦労が絶えないものだった。愛衣曰く新生児同然の綺麗な身体な上に、この身体には中世から現代にかけてまでのありとあらゆる病原菌といったものに免疫というか、そういう抗体があるとも口にしていた記憶がある。それに色々と衝撃的なことが起きた出来事だ。女の子の身体について、時空位相波動について、俺が『レン』という戸籍に書き換えられた件について。
何より——突如として焼失した『ロス・ゴールド』について。
かの聖遺物は太平洋に突如として現れたロス諸島という謎の島々で発見されたものだ。研究に研究を重ねた結果、異質物としての危険性はないと判断。危険度は『safe』と定義され、新豊州のどこにでもあるしがない研究センターの一角で学生の研究会として論議する対象にされた。実際、俺というごく普通の一般人が、単位の取得するという下世話な目的だけで手軽に接触できるほどセキュリティが緩い聖遺物だ。ある意味ではラファエルが気軽に遊び道具にしていたというロシア皇帝の遺産である『インペリアル・イースター・エッグ』と根本的な差など微塵もない。
そんな危険とはまるで縁がないはずの異質物が、突如として研究センターにテロリスト襲撃したのか。襲撃で弾みで何かがあったのか、それとも別の理由があるのか、safe級であるはずの『ロス・ゴールド』が暴走。俺が知る某七人の英雄達が戦うアニメの悲劇みたいに、新豊州全体が炎に飲み込まれて、辺り一帯を焦土へと一変させた。人々は何故か塩の像となっていて、気絶していたせい俺では詳細を知るはずもなく、ただ狼狽えるしかなかった。その時に上空に輝く『ロス・ゴールド』を見たんだ。杯はただ上空で輝いたまま静止して、何か待つように俺の前で光臨し続けていたんだ。
…………そんな『ロス・ゴールド』のせいで、確かに俺の運命は明確に変わった。男から女に変わるほどと言えば、それだけで衝撃的ではあるが、問題はそれを境に全世界に時空位相波動が急激に発生したという話がいつかマリルの口から出ていた。それによって『ドール』、あるいは新種定義された『マーメイド』みたいな『魔導書』の力を得て狂気に魅入られて暴走したものが急増したとも。
世界は明確な様変わりを密かに果たしていたと言える。あの日、あの時に起きた地獄を再分配するように、その後も立て続けに事件は起きた。
だけど…………アレンの言葉に嘘がなければ、運命が『変革しなかった』世界があると言っていた。それはつまり、あの地獄が地続きした世界があり、アレンはそこから来た世界だというのか? だとしたらそれは『未来』でも『過去』でも『現在』にも属さない世界。同じ『運命』はあるのに、明確に全てが違う世界の住人——創作や空想科学でよく話題に出される『並行世界』からの人物ということに他ならない。
「……その話、どこまで信じればいい?」
正直全てが信じがたい。目の前に俺という存在がいる時点で、信じる信じないという次元は超えてる気がするのは百も承知だし、百歩も甘んじて譲ろう。だが、それでも足りないのだ。こんなトンチキが輪をかけている状況について。
「全部、といっても納得しないだろう。だからとりあえずは差異があるところをすべて口にする。まず俺がいた世界では『デックス』という家名は存在しない」
「デックスが存在しない……って、ラファエルがいないってことかっ!?」
それは非常にまずい事態なのではないかと俺は考えた。何故なら第四学園都市サモントンは、世界的に蔓延する農作物を侵し尽くす『黒糸病』に唯一対抗できる都市だ。その理由としては、ラファエルの祖父であるデックス博士が第一人者として自国が持つXK級異質物『ガーデン・オブ・エデン』を研究することで得た成果だからだ。
『ガーデン・オブ・エデン』の性能は公表されている限りでは、池の形をした異質物であり、あらゆる植物を遺伝子レベルで改造することが可能であり、どんな環境にも適応されるといったものだ。攻撃それに防御などといった新豊州の『イージス』やマサダの『ファントムフォース』が持つ機能は一切持たず、かといってニューモリダスの『リコーデッド・アライブ』みたいに変換装置と違い明らかに穏便なものだ。だが、この『ガーデン・オブ・エデン』があるからこそ、サモントンで育つ農作物は『黒糸病』の影響を受けずに安定した食料が供給され続けるのだ。比喩でもなければ過言でもなく、デックス博士の研究があるからこそ世界は飢餓に苦しみ事もなく、サモントンは第四学園都市として絶対無比な立ち位置や宗教倫理観により国際平和フォーラムで『サモントン協定』が履行されて、現在世界中からEX級異質物がサモントンに収容されているのだ。
もし根本的に『デックス』が存在しない世界がないとすれば、必然的に『ガーデン・オブ・エデン』の研究も進まず『黒糸病』が世界全てを侵し尽くすことになり、第四学園都市は建国されないのは目に見えている。そうなれば隣り合わせにある食料問題もそうだし、六大学園都市全体が持つ異質物の扱いに関する問題なども抱える事になる。
まさか、それが原因の一つでアレンの世界の運命は閉じたのではないか——と勘繰ってしまうのは無理はない。
「別にいないわけじゃない。あくまで置換されてるだけで、俺の世界では『デッカーズ』という家系があるんだ。偏屈お嬢様も『ラファイル・デッカーズ』という名前になってるだけで性格も見た目も瓜二つさ。そこのところは安心していい」
「そうか……」
どうやら俺が想定した最悪の事態は避けられてるようだ。だとしたら何故アレンの世界は滅びてしまったのか? 疑問に思う俺だが、そんな考えなど知らんとばかりに「他にも」とアレンは言葉を続ける。
「マリルは研究センターでのテロ騒動に巻き込まれて死亡していて愛衣がSID長官をしていたり、この時期なら既に『魔女小隊』というSID内で新部隊が誕生してたりする」
「マリルが……っ!?」
他にも興味深いワードがあったが、一番驚いたのはあのマリルが『死亡』したという事実だった。あの鬼よりも怖くて、悪魔よりも狡猾なマリルがいとも簡単に死ぬ——? そんな話が本当に有り得るというのか?
「……言いたくはないが、マリルは『人間』なんだ。『聖痕』や『魔導書』の情報を持つ『魔女』とはどうしても違う。個人の戦力で言えば、俺やお前と大差はない。…………死ぬ時は本当に呆気なく死ぬんだ」
未だに俺の腕を掴み続けてたアレンの手から力が抜けていくを感じる。悲しみに暮れて思考が疎かになったのだろう。俺は難なく拘束から抜け出てアレンと本当の意味で相対する。
「他にも相違点はあるが……今のお前に言っても伝わらないだろうさ」
「——わかったよ、平行世界の云々は受け入れるさ。だけどッ!!」
俺は不意を突いて拳をアレンの隙だらけのみぞおちへと叩きこんだ。突然の攻撃に対応できるほど俺は……アレンは運動神経は高くない。少しばかり身体のバランスを崩し、俺はSID仕込みの戦闘術で一気にアレンを組み伏せて馬乗りの状態となった。
「いちいち小難しい理屈をこねてスクルドを見殺しにする理由にはならないだろうッ!!」
怒りに任せて、俺は今度は頬に向けて一発だけ拳を入れる。
これは意識を奪うための一撃。俺が本来受け持っている使命は『目標となる人物の捕捉と拘束』——。こいつが一々屁理屈を言うなら、一度牢獄にぶち込んでから事情聴取すればいいだけの話。例えそれが今知りたいであろう世界の真実の一部があるとしても……スクルドを見放してでも俺がするべきことではない。そういうのはマリルの仕事であり、そのために組織体制を持つSIDなんだ。さっさと拘束してアレンを放り投げて、俺はいち早くもう一つの任務である『スクルドの護衛』に戻らなければならない。そうすれば、こいつが言う運命を失くすことだってできるかもしれないんだ。
だが、この一撃だけではアレンの意識を奪う事は出来ない。ならば首筋を絞めて確実に意識を落とせばいい。馬乗り状態では、いくら男と女の筋力さがあっても覆すのは難しい。そういうのも利用するのも手だとエミリオは言っていたし、何よりSIDの訓練で教わった。
元が俺なら、微々たる性別での筋力差なんてマウントを取る優位性されあえば、いくらでも覆せる。アレンだってこの体位を抜け出すには、それ相応の知識がないと——。
「SIDの戦闘術なんて……俺だって知ってるんだよ!」
それこそ『SIDの戦闘術』を受けていない限りは返せるはずがない。
アレンは足を強引に持ち上げて、背筋と足の力で馬乗りとなっている俺の体制を崩していき、今度は強引に俺を下にして押さえつけてきた。
同時にわずかに奔る痛み。電流が身体を貫いたようなほんの僅かな痛みだが、この程度で狼狽えるほど今の俺は未熟者ではない。すぐに痛みのことを意識の外に置き、お返しと言わんばりに頭突きをアレンの額にぶつける。
「お前だって戦えるんだろう! お前は俺だろう! どうしてそんなアッサリと諦めちゃうんだよッ!?」
「俺だって好きでスクルドを見放すわけがないだろッ! あんなに可愛くて人懐っこい子が……俺にとって妹みたいに可愛くて仕方ない子が……どうして俺自身が諦めきゃいけないんだよッ!!」
互いに理性が不思議と溶け合うように怒号をぶつけ合う。人はこれを『同族嫌悪』というのだろう。俺だってアレンが諦める気持ちがあるのは分からなくもない。それに『夢』であった『誰か』の力が無ければOS事件は解決できなかったし、マサダでエミリオが人質にされた際も諦めかけたし、ソヤがヘリの爆撃に巻き込まれたのを目の当たりにした時には本当に一度諦めた。
それは俺個人に、他とは違う『力』が自由に発揮できてないことを知っていたからだ。OS事件とマサダの時は明らかに俺以外の力が関わっていたし、ソヤの時は事前にお膳立てしたうえでの条件だ。アレンが先ほど言った通り一つでも俺自身が解決に導いてはいない。計算式と思考を事前に用意されて、その公式に当てはまるだけが今の俺の力であり限界。
それはきっとアレンも同じで——。その限界をきっと並行世界で死ぬほど味わって——。きっとまたあの焼きついた地獄を見て——。
その時、俺はいつか見た『夢』をふと思い出した。
——仮に……もしも……。
——『神様』が本当に存在していれば……。
——お願いだ……すべてを夢に……。
『全て、夢であってくれ——』
——我が器よ、変革の時は来た——
——今一度この地獄を生き抜いて見せよ——
……思えばあの時の俺は『俺』の姿だった、姿だけは『俺』だったが、それがつまり『俺の記憶』であるとは限らない。あの光景が本当は並行世界でアレンが見た運命の終着駅だとしたら——。何て飛躍しすぎた想像だ。鼻で笑って流せばいいというのに、何故か俺にはそれを確信できた。
いつかどこか、誰かの『記憶』の中に潜り込んだ『記憶』がある。『夢』のように朧げだけどそこで不思議なことが色々あったはずなんだ。詳細なんて思い出せはしない。それでも自分のことのように、その
『記憶』を体験してきたはずだ。
そんなことがあったとすれば、俺の想像だって満更不思議なことでもない。マサダでも意識がないまま同調を起こしたとマリルが言っていたし、OS事件でも『誰か』との『魂』が繋がった覚えはある。だったら自分と何らかの拍子で『魂』と『記憶』が『夢』で繋がったとしてもおかしくはない——。
でも、それがどうした。諦める理由は分かる。諦めちゃいけない理由も分かる。だけど、それを諦める答えにしてはいけない。諦めちゃいけない答えにしてはいけない。スクルドの運命を終わるのを黙って見過ごすわけにはいかない。どんなに弱くて頼りない俺だとしても、ただ死を待って静観するのは御免被る。
だから、こんな状況にかまけてる訳にはいかない。さっさとこいつを捕らえてスクルドの安全を何とかしないといけない。
俺だってアレンに拘束された程度の状況を返すことぐらいは知っている。俺であるアレンだってできたんだ、これは筋力ではなく技術の問題。俺も同じようにこの体制を抜け出そうとするが——。
「んっ……んーっ!!」
どんなに動かしてもアレンが体制を崩すことはない。むしろ徐々に重量が増していく感覚を覚えて、身体全体が動かすことすら困難になる。
「どんな手を使って……」
「お前、俺がどんな異質物を盗んだか忘れたか。思い浮かべて見ろ」
そう言ってアレンは余裕そうな表情と、余裕そうな態度でシャープペンシルの芯をもっと細くした鋭利な物を見せつける。
その言葉に俺はアレンがアルカトラズ収容基地から強奪した異質物——『天命の矛』について思い出す。
神殺しの逸話を持つEX級異質物。その文献は非常に少なく、EX級と定義されている以上、その異質物が持つ性質の研究は宗教側の理由で許されてはいない。
そのため『天命の矛』が持つ性質は分かっているだけでも二つ。
一つは『高温で融解しない』——。
二つは『振り回すと重くなる』——。
そこで俺は気づいた。まさか今持っているシャープペンシルの芯よりも細いもの、あれが——と思ったところでアレンは思考を読み取ったように笑った。
「ご明察。これは『天命の矛』を研究して作られた異質物武器の一つ。対象に突き刺すことで、相手が反抗しようと動くたびにその芯は『重み』を持つ拘束目的を持ったものだ」
いつどこで突き刺したのは考えるまでもない。体位を逆転されて、すぐに感じた僅かな痛み。あの時にアレンは俺へと異質物武器を突き刺していたんだ。蚊に刺されるよりも少し痛いぐらいなもので、その痛みの正体を正確に把握するのを見誤っていた。
「本来はそこまで細いと僅かな人の体温でも溶けかねないが……まあこれ以上は言うまでもないな」
アレンはもう終わったと言わんばかりに立ち上がり、俺の拘束を解く。だが異質物武器の性能が無くなったわけではない。意識を持っているのに、仰向きに倒れ込んだ俺は動けずに悠然と見下ろすアレンと視線が合う。
「……やっぱり弱すぎる。今のお前に『運命』を変える力はない。スクルドを助ける力はない」
スクルドを助けられない——。その言葉は俺の心に深々と突き刺さる。
「だが、いずれお前にはもっと過酷な『運命』が訪れる。その時が……俺とお前、本当の意味で邂逅する時だ。俺はそれまで『第七学園都市』で待っているぞ」
そこでアレンは俺に背を向けて、距離を置いて待つセラエノの隣へと向かった。
「行こう、セラエノ」
「…………」
「セラエノ?」
「…………」
「おーい、聞いてますかー?」
「……お前がお口チャックっていうから、喋っていい時まで黙っていたんだ。終わるタイミングを言え。流石の私も少し不機嫌だ。プンプン丸だ」
「ごめんごめん、謝る」
「よし許す。ではレンちゃんとやら。また会う日までさようならだ」
そんな余裕綽々の態度と雰囲気でアレン達は駅内へと足を運び、俺は一切の身動きが取れないまま見送るしかなかった。それがあまりにも俺とアイツとの実力…………いや、アイツだけは持つ『強さ』があって、俺には持ててない『強さ』があるのを理解してしまった。同じ俺だというのに、どうしてここまで差があるんだ。
情けなくて悔しくて————。
泣きたくて苛ついて————。
それは立ち止まる理由にはならなくて————。
だけど進み続けるには俺だけではあまりにも未熟で————。
途端、胸元にいつもの痺れがきた。
『レン。バイタルが不安定になるのを観測したが、どうかしたのか?』
今だけはその声を聞いても安心感なんて沸かない。むしろ自分の不甲斐なさをより一層感じてしまう。自分がどれほど今までマリルに頼り切りで、そして今も縋ろうとする自分がいることを自覚してしまうからだ。
「マリル……っ! おれ……おれ……っ! アイツを、捕らえらなかったぁ……!!」
『……分かった。ならばパランティアに連絡を取りあう算段に移る。出来る限り把握できた情報を口頭で伝えろ』
俺は目に浮かぶ涙を堪えようとするも、隠しきれない涙声でマリルに情報を伝える。今はそれしか俺にできることがない。ただSIDに縋るしかできない未熟な俺に、俺はアレンの言葉の数々を身に染みて感じ取ってしまった。
俺は…………こんなに弱かったんだ。