レンとアレンが邂逅する数時間前。スクルドとファビオラはとある知人と会うために、ニューモリダス首都郊外にある教会の前まで足を運んでいた。
その名は『トリニティ教会』。ニューモリダスに数ある教会の一つ。七年戦争の影響で半壊され、学園都市に発展に伴なって外観を損なわないように最低限の改修工事で保管された施設でもある。継ぎ接ぎだらけで閑散とした庭園は『黒糸病』のこともあって観葉植物といった加工された観賞用ものしかなく、それさえも手入れが届いていない。時によって朽ち果てた様子は一種の秘密基地にも見えて、ここでスクルドは今の今に至るまで親交深く関わってきた『アントン神父』にお世話になってきた。
その思い出はスクルドにとって大事なものだ。二本足で立つ前から『未来予知』の影響もあって、思考の成熟が同年代と比べて一回りも早かった少女は周りと噛み合わずにいつも孤立していた。議員の娘という『エクスロッド』という立場。神託として神父自身から名付けられた『スクルド』という立場。それら二つによって成された『スクルド・エクスロッド』という少女の人生は、大人から見ても子供からしても酷くつまらないものであった。そんな中で秘密基地にも似た『トリニティ教会』でのアントン神父との幼少期での触れ合いは、年齢差なんて微塵も感じない楽しさに溢れていた。
スクルドは『未来』ではなく『過去』に耽る。『記憶』に残る神父の顔を求めて。
…………
……
《神父様。何をしてるのでしょうか?》
《神像を磨いているのですよ。お嬢様もやりますか?》
《やらせて!》
《ここは雨漏りしますね》
《ですので補修をしようかと。お嬢様も手伝ってください》
《はーい!》
《お嬢様、新豊州から金鍔を頂きました。一緒で食べましょう》
《……ありがとう。いただきます》
《おやつの後は運動も兼ねて庭の整備をしましょう》
……
…………
「……よく考えたら程よく労働力にされてたかも」
「今更ですか? 私がここに来た時はお茶出しを任されましたからね?」
思い浮かべるは白髪、白髭、白肌と黒装束の修道服以外すべてが白い中年の無邪気な笑顔。七年戦争の体験者でトリニティ教会に所属する前までに知り合った関係者のほとんどが死に絶えたというのに、心まで白く眩しい清らかな人だったのを二人は知っている。同時に剽軽な一面もあり、子育てに慣れた親のように要所が適当な面もあるのも知っている。
二人はそれを思い浮かべて一瞬渇いた笑いが出たものの、すぐに緊張感を戻して互いの視線を合わせる。
ファビオラは一つ頷くと、強盗でもするように教会の扉を蹴り開け、メイド服のどこからか取り出した拳銃を突きつける。
中は散乱とした状況であった。礼拝堂に並ぶ長椅子には弾痕があり、神像は無惨にも砕け散っていて、その首は信仰心など足蹴にされたように埃が多大に募っている。
二人は細心の注意を払いながら教会の中を進んでいく。中庭を過ぎ、納骨室、エントランス、台所と次々と確認を終えて、やがてアントン神父が普段使用する執務室という名の私室へと入った。
そこは先ほど前の施設とは違い、幾重にも荒らされた酷い状態であった。参拝者に渡すための聖書から、植物や昆虫などの図鑑や神父が愛読していたファンタジー小説やスクルドには閲覧不可能な発禁本など様々な物が引き裂かれ、収納する本棚さえ倒壊されている。
《……アントン神父について、今知っていることを教えてほしい》
スクルドはイナーラから告げられた情報を思い出す。
《…………行けば分かるわよ》
たったそれだけでスクルドとファビオラは察した。先の事件が起きたそもそもの切っ掛けは、アントン神父からの手紙で『新豊州記念教会』に向かえと言われたのが発端だ。アントン神父が裏切ることなんて絶対に有り得ないのをスクルドは知っている。しかし筆跡も内容もスクルドが知るアントン神父の物なのも確かだ。
だとすれば考えられるのは二つ。手紙の内容が漏れていたか、アントン神父に危機的な状況に合って無理矢理書かされたか。そしてイナーラの言葉さえ聞けば自ずと後者だと予測は固まる。危険を感じた二人は、父親と合流する前にせめて現状だけでも把握するために『トリニティ教会』へと足を運んだのだ。
結果は予想した通りだった。強襲があった跡はアントン神父が拉致されたものだと考えることができ、現在では人目につかない場所で監禁されているか、それとも既に用無しとされて殺害されているか——。
スクルドの脳内に過ぎる不安を振り払おうとするも、先日から続く予感の影響もあって『死』というイメージが消えることはない。むしろより深く鋭利に脳と心臓を貫くように具体的な『死』を思い浮かべてしまう。
不安に駆られるスクルドはファビオラを横目で見続ける。重苦しい空気とは裏腹に色鮮やかなピンク髪と青を基調としたメイド服。その手に握られているミスマッチな拳銃。客観的に見れば全てがこの場に噛み合わないというのに、不思議とその姿でいることこそが自然だという佇まいで神父の痕跡を辿るための捜索を続ける。
その姿はスクルドが知るいつも通りの彼女すぎて、いつも通りの頼りで世話好きで料理下手なファビオラを見てしまうと、アントン神父やスクルド自身に降りかかる予感がある『死』を何とかしてくれそうな気がしてくるのだ。
2年前、レンが覗いたファビオラの『記憶』の出来事——。レン自身は詳しく覚えてはいないが、スクルドは実際にあった『過去の記憶』として覚えている。ファビオラがスクルドを、かつてのパランティアの諜報員達を守るために炎を纏う魔女として自発的に覚醒したことを。その甲斐あって『イエローヘッド』や『蜘蛛』といった自立行動型の軍事兵器からの強襲という窮地を脱したのだ。
きっと今度もファビオラが何とかしてくれる——。スクルドの不安は既に消えさり、視界の端にいるファビオラはいつも通りの真剣な眼差しで現場を見つめ続ける。やがてファビオラは唾を一つ呑み込んで告げた。
「…………まずいことになりました」
「まずいこと……?」
「これ……恐らくマサダの新兵器『レッドアラート』が動かしてる可能性があります」
その言葉にスクルドは肌身から熱を引いていくのを感じた。
レッドアラートとは、2年前ファビオラ達を襲ったイエローヘッドと同じくニューモリダスの資金でマサダブルクで開発された新兵器。イエローヘッドが別名『黄黒の死神』と呼ばれるように、そのレッドアラートにも相応の別名がある。
スクルドとファビオラはすぐにトリニティ教会を後にして、父親が待つニューモリダスにあるエクスロッド家を目指す。
レッドアラート——。またの名を『血の伯爵夫人』——。
…………
……
俺は駅前でマリルの連絡を下に、パランティアの人達と合流する。そこには例の個人諜報員であるイナーラの姿さえも見える。服装はクラブにいた時の衣装とは違い、先日ホテルで見せたダボダボの黒ジャンパーを基にしたものだ。
「お、お久しぶりです、イナーラさんっ」
「おひさ〜。相変わらず色眼鏡全開ね」
ケラケラと笑いながら、イナーラはパランティアから派遣された頭にバンダナを巻いた陽気なお兄さんと話し合う。陽気な男の名前は『カッセル』といい、ファビオラがパランティアに所属していた時からいる諜報員だそうだ。
「最後のあったのは…………いつ頃でしたっけ?」
「……半年近く前。突如として多数発生した時空位相波動について調査するために議会連中の協力したことは覚えてるでしょう」
半年近く前……。多分、俺が『女の子』になってしまった日のことか。マリルもそれを境に突如として世界中で時空位相波動の発生が多発していたと言っていた。
「…………そうだった、そうだった! いやぁ、すいません。どうもイナーラさんの事になると忘れっぽくて」
「気にする必要ないわよ。私の『聖痕』……つまり能力だから」
やっぱり再開するまで『記憶』に一切彼女の姿が思い出せないのはイナーラ自身が持つ能力だったのか。だとすれば先日ホテルで推測していた大胆不敵さもあながち間違いでもないのだろう。パランティアという情報機関に属する一人にさえ認識が曖昧になってしまうのだから、能力としての出来は俺みたいな半端者とか関係なく平等に同じなのだろう。
「相手の『記憶』から消えるとは……前にいた姉御より凶悪じゃないっすか」
「便利過ぎて困り物よ。だってこれ、私に関する情報は『自動的に消去』してくれるんだし」
「へぇ〜〜。どれくらいっすか?」
「名前と容姿と声色は絶対ね、後は個人差。思ったことや会話を忘れる奴もいる……中には私と時間そのものを丸々失うのもいたっけ?」
「随分と色々言うなっ!?」
もし盗聴とか録音されてたらどうするのか、この踊り子は。
「どうせ忘れるんだしいいでしょう。録音したところで、私の能力対象は『私から得た全て』だし。どんな媒体で録音や録画をしても忘れるわよ。仮に覚えても霞がかって『イナーラとしての情報』として『記憶』が結びつくことはない。それらを断片的に再生されるのは、こうしてもう一度私に会えた時だけ……結構便利なセキュリティでしょぉ〜?」
最後には、いつもみたいに可笑しな口調でイナーラはふざける。それがカッセルにとっては好ましいのか、頬を赤くして「そんな感じもいいっすね!」と笑う。
だが、俺には一連の情報に妙な違和感を覚えた。『イナーラから得た全て』が『自動的に消える』——? じゃあどうやって個人請負業者の『イナーラ』としての立場を確立させたんだ。
嘘が混じっている、明らかな嘘が。少なくとも俺は『イナーラ』という名前は覚えていた。名前を絶対に忘れるということに関しては嘘でしかない。
だけど、それを言及したところで意味なんて一切ない。今はアレンの追跡もそうだし、アイツが再三口にしたスクルドの『死』といい『運命』をどうにかして覆さないといけない。
近日中とは言っていたが……それは明日かもしれないし、もしかしたら今日かもしれない。何にせよ残された時間は少ないのだろう。それまでにSIDやパランティアとも頑張って何とかしないといけない。
……そう『何とか』だ。具体的な案なんて浮かびはしない。高崎さんの時だって無観客ライブは過去にあった事を準えただけだし、ライブ自体の成功は正直彼女自身と星之海姉妹の力は大きいし、犯人の特定だってベアトリーチェに任せっきりだ。俺自身が本当の意味で力になれたことなんて本当に些細な物で、だから俺は『俺』にすら負けてしまった。
イナーラのことについて考える暇があるなら、少しでも知恵を搾り取って自分で考えるんだ。アレンの居場所を探る術を。スクルドの運命を変える術を。
……だけど、そんな決意だけで案が出るなら苦労はしない。答えなんて出るはずがない。今は情報がなさすぎる。ニューモリダスはマサダブルクと違い、辺り一面砂漠で閑散とした町並みではなく海を側した喧騒としたビル群だ。アレンの居場所なんてそれこそ無数にある。
スクルドの『死』の『運命』だって、今分かるのは『エクスロッド暗殺計画』というイナーラから与えられた情報だけ。彼女自身も依頼を拒否したから依頼主の名前なんて覚えてないし、変声機を使ったから性別も年齢の特定できない。誰が計画してるかも分からない以上、計画者を捕らえるのは非常に難しい。どちらにせよ進歩はない。
……今はパランティアとSIDの情報を待つしかない身でしかないのだ。俺は気晴らしをするように、小声でマリルと繋がる胸元のスピーカー話しかけた。
「マリル……第七学園都市って本当に存在するのか?」
アレンから伝えられた言葉は既にマリルに共有済みだ。第七学園都市から並行世界の可能性について伝えており、マリルならそれらについてどういう見解を持っているか気になったのだ。
『……学園都市の定義は知っているな?』
「うん……」
そもそも学園都市は2018年、ジョーンズ博士が異質物を再発見・再認識されたことで異質物研究するための本格的な研究機関として生まれたのが発端だ。思想の雛形に関してはそれ以前にもあったみたいだけど、今の体制はジョーンズ博士の思想が基になっている所が多い。学園都市も小規模ながらも当初は何十と超えた建設計画があったそうだ。
結果として七年戦争の影響でアメリカ、エジプト、ドイツといった既存している国家のほとんどは壊滅状態となり、いくつかの学園都市も崩壊したものの、残存された学園都市が独立した国家となって今の六大学園都市という体制を作った。その影響で現在の学園都市として数えられていない戦争前に破棄された学園都市はいくつかあるが、そもそもとして今の六大学園都市が『学園都市』として定義付けされるのは『XK級異質物』を所持している点が非常に大きい。
『確かにアルカトラズ収容基地から強奪された『天命の矛』は文献の数も少なく、研究されてない部分も多くて未知の部分が多い。研究さえ進めばXK級異質物になり得る物だ。しかし、あくまで可能性の話に過ぎず、そんなにゴロゴロとEX級異質物がXK級異質物に変わりました、なんてことは起きない。そのほとんどが現存するXK級異質物と比べたら赤子みたいなものさ。だから宗教法人は研究に悲観的なんだ。『未知という可能性』を持つことで、自分達が所持する異質物の権威を維持するために』
「大人って見栄っ張りだね……」
『気持ちは理解できなくもないがな。まあ共感は一切しないが……』
ため息混じりにマリルは言う。
『異質物の価値を落とされるのは、宗教的には信仰する神の侮辱にも等しい。人は誰であれ貶されるのは嫌いなものさ』
「貶されるのが嫌なのが分かってるなら、俺の扱い改善してくれません?」
『お前のは自業自得だ』
確かに……。俺の人権失墜は完全な自業自得だ。そのことに関して俺は強く言えないことに悲しさを覚えてしまう。
『……そしてXK級異質物は一つだけでも世界中に災害級の招く力を備えている。マサダの『ファントムフォース』も直接的だし、サモントンに至っては『エデン』の遺伝子改造で農作物全てを『黒糸病』以上の毒物にでもすれば人類史上最恐最悪のテロリズムが完成する』
「想像するだけで嫌だな……」
俺だって七年戦争の被害者の一人だ。貧困や飢餓に喘ぐ気持ちは痛いほど分かる以上、空腹というか食事に関しての脅威は人一倍恐ろしいのを理解している。そんなことになればサモントンは一転して独裁国家だ。
『そんな異質物は発見された時点で即研究及び保護は確定だ。六大学園都市で共有して対応にあたり、然るべき時が来たら研究対象として新しく学園都市を作る……そこまで来て初めて『第七学園都市』という設立という話が生まれるんだ』
『だが』とマリルは一息置いて話を続ける。
『生憎とそんな情報なんて今の今まで微塵も聞いたことがない。都市伝説として話のネタになるくらいなもので、七つ目の学園都市を作ろうという話は連合議会で起きたことは一度たりともない』
「……じゃあ第七学園都市なんてものは存在しない?」
『そういうことになるな』
マリルからの結論を聞いて一つの安心を得て、同時に一つの疑問が浮かぶ。だとしたらアレンは何故『第七学園都市』が既に存在するかのように言っていたのか。考えられるとすれば、先のスクルドの死の『予感』と同じように、アレンはそれができるのを『予感』しているとしたら——。
すると突然スピーカー越しから愛衣の『監視カメラの映像の集め終わったよー』と呑気な声が響いてきた。
「監視カメラの映像?」
『ああ、私たちは現状二つの問題に直面してるからな。一つは男のお前……アレンって奴の捜索と確保。二つはエクスロッド暗殺事件の首謀者の特定だ。前者に関しては現地にいるパランティアとイナーラに任せるとして、後者は『新豊州記念教会』で一度アクションがあったんだ。アレが暗殺事件として最初の動きとしたら、何かしらの証拠が残っていてもおかしくはない。それを私達SIDで検証するのさ』
「なるほど……」
それだったら本当に今は座して待つしかない。俺は先ほどまで疑問に浮かべていた『第七学園都市』については思考の片隅に置いておき、駅前近くにある公園のベンチへと腰を置いてニューモリダス全体を眺める。
眠りを知らぬ街並み。絢爛都市は、落ち込む続ける俺の気持ちとは裏腹に輝き続ける。視界と思考を嫌でも刺激させる輝きは、少しばかり微睡む意識を活性化させて俺の思考を改めて『第七学園都市』について考えさせようとしてくれる。俺は深呼吸をして眩い白光から視線を逸らし夜空を見上げると、そこには夜空に相応しくない色の光が視界に映っていた。
空に——『赤い流星』が見えた。肉眼で捉えたそれは、人と呼ぶにはあまりにも長すぎる四肢と細すぎる胴体だ。眼に値する部位は月明かり良く眩しい赤い閃光が夜空を一閃した。
その正体を俺は知っている。市街作戦において警戒すべき兵器『イエローヘッド』や『ハニーコム』や『蜘蛛』に並ぶものだとエミリオから聞いた。
名は血の伯爵夫人ことレッドアラート——。
それは『対魔女兵器』と呼ばれる局所的作戦遂行を目的としたマサダの軍事研究において最高傑作と名高い殺戮兵器——。