「ヤコブ……なんで貴方がここに?」
「知り合いなのか……?」
スクルドが溢した言葉に、俺は条件反射で問う。少女は「うん」と不安気に頷いて口を開ける。
「ヤコブとはアントン神父と『教会』関係での繋がりや、彼自身マサダからの親善大使としての交流があったの。私も議員の娘だから頻繁とは言わないけど話し合いもして……。最後の会ったのは、スカイホテルでの食事会だったかなぁ……」
そういえば俺が初めてスクルドと顔を合わせたのは、スカイホテルでの一幕か。その後すぐに偉い人達に気負いすることなく話し合う姿を見届けたが、スクルドの言葉から察するに、その時には既にヤコブは潜伏していたのか。
……そう考えると、あのスカイホテル事件での唐突な襲撃も納得行く。セキュリティ完備していて、かつSIDも監視している中で、顔を知らないならいざ知らず、江守発電所であってから間もないヤコブを見落とすとは考えにくかった。
それも『親善大使』という社会的な身分を使用して目立たないように行動すれば、色々な意味で知り得た顔しかいない著名人の中にいても特別目立つことはない。
などと考えていると、本題に戻すように「だけど」とスクルドは一息置いて話を続ける。
「現在はエミリオさんが外交の代表者となっていて、彼がニューモリダス市内に踏み込む自由は今はないはず……。教会関係だとしても、今はアントン神父は行方不明……立ち入る権利もない」
「いやぁ、その通りです。流石は聡明なスクルドお嬢様だ」
柔かに笑いながら拍手を送るヤコブ。
人当たりがよく感じるが、俺には分かる。あの笑顔の奥には、イルカを見放した時と同じように、非道に満ちた感情が渦巻いていることを。
拍手を終えると「それもこれも」と笑顔のまま、苦虫を潰したように鼻筋に皺を寄せてヤコブは俺の方へと向いた。
「君と会ってからだ。イルカは裏切り、スカイホテルでは異質物の奪取を妨害され…………親善大使も剥奪されて本当に良いことがない」
「イルカに関しては自業自得だ。お前が『物』扱いした挙句捨てたからだろう」
「……この際、あの役立たずについて気にしないでおこう。私は寛容な大人なのだからな。子供の逃避行くらい見過ごそう」
役立たず——。
こいつはイルカの強さも優しさも頼もしさも、何もかも理解していないのも関わらず『子供』扱いして『保護者』面してたっていうのか。憤怒で腑が煮え繰り返りそうだ。
「ははっ! 自分の無能さを棚に上げて良いご身分じゃない!」
突如、イナーラは笑ってヤコブを挑発する。流石に癪に触ったのか、ヤコブも少しばかり笑顔を崩すと細い目を開けて彼女を睨みつけた。
「君は……かの個人請負人か。……改めて実感するが、君の能力は凄いな。認識するまで君のことだとサッパリ忘れていたよ」
「そのまま忘れてても良かったのよ。私には一文の得にもならないし」
「せめて自分の価値を上げてから言いなよ」とイナーラは嫌味全開で吐き捨てる。
「……『マノーラ』から脱退されて、マサダで肩身が狭いくせにさ」
「お恥ずかしいことにね。……耳が早くて苛立つよ」
マノーラ——。確かマサダの情報機関の一つだよな……。
俺の呟きにイナーラは頷き、胸元のスピーカーから痺れが奔る。両方とも肯定を意味する物だ。
「仕方ないわよねぇ? マサダで人工的に『魔女』を作る計画は停滞。挙句には本来持っていく予定だった異質物を回収できず…………そして損失を埋めようにも、目の上のタンコブであるエクスロッド関係者の圧力行為さえ阻止されたとなっちゃうとねぇ?」
「圧力行為って……。新豊州記念教会でのことか!?」
「そう。その事件起こしたの、そこにいるヤコブよ」
だとしたら目の上のタンコブって……要するに、損失を埋めるのにスクルド達が邪魔だということだよな? どうしてスクルド達がマサダやニューモリダスにとって仇なす存在だと決められる?
「お嬢様でも理由ぐらいは分かるでしょう?」
イナーラの問いにスクルドは「うん」と静かに頷いた。
「私のお父さんは銃火器の生産には非協力的なのよ……。とはいっても派閥としては少数派で……。外交との方針を決めようにも、議会での決議が重要だから銃製造について積極的な多数派にとって、お父さんは外交を遅らせる異分子でしかない」
「そういうこと。マサダは資金難で、ニューモリダスは兵器不足。両者共に問題を抱えてる部分を支え合うことができる。…………となると、それを邪魔するエクスロッド議員は、議会の多数派にとって排除したい障害でしかない」
「だけどこれ以上、銃社会を促すことはしちゃいけない。……何故なら私のような『能力』や近年急増した時空位相波動への対策……これについて予算を回すべきだとお父さんは提唱した。きっとこれは瞬間的な物ではなく、長期的な物……世界に新たに起こる武力になり得るって」
「まあ、だから現状は折半案で開発、研究を提唱。予算も上乗せしてマサダに銃開発と異質物対策の研究を受け持って貰った。で、テスト運用も兼ねてレッドアラートを派遣…………両国の障害であるエクスロッド議員の殺害を図った……」
「……何でヤコブが関わる必要があるんだ?」
そこが俺にとって『足りない』部分だった。
どんなに推測を立てても、どうしても関わってくる理由が見えてこなかったのだ。
「その首謀者として介入することで、外交の潤滑としてマサダでの地位を回復…………あるいはニューモリダスへの亡命を謀ってるってところかな。だってXK級異質物の『リコーデッド・アライブ』さえあれば、やり直しはできるものね?」
「だからといってさ」とイナーラは呆れるように会話を続ける。
「ここまでスマートじゃないこと普通する? とてもじゃないけどレッドアラートを使うほどの苦労に見合ってるとは思えないけど」
煽るようにイナーラはそう言った。
対してヤコブは、知らぬ間にいつもの人当たりだけは良い笑顔を浮かべて「ええ」とあっさりと肯定した。
「ですから、それ相応の理由を付けて送って貰ったんです。一つはエクスロッドの殺害として。もう一つは……」
「……アルカトラズ収容基地を襲った犯人を見つけた、ってところか?」
挑発じみた俺の言葉に、ヤコブは驚く様子を見せることなく「その通りです」といとも容易く認めた。
「見つけるには時間はかかりましたからね、あの虫も殺せない地味顔は。……改めてあの様な子が収容基地を襲うとは、人とは見かけによらない」
それをお前が言うか。初老に突入し、ある程度の落ち着きと優しさを持った風体だけはしているというのに。
「しかし、レッドアラートの通信記録を見て思ったのですが……アルカトラズを襲った者は見つからず、外見に類似点があるとはいえ、根本的に性別が違う君を襲うとは……不思議なものだ」
「まあ、こうして君と再び会えたのですから良しとしましょう」とヤコブは一人納得する。それについて俺には心当たりがあった。
恐らくそれは文字通り『俺』を狙ったからだろう。
新豊州が保持するXK級異質物である【イージス】が『魂』で『俺』を判断した様に、レッドアラートにも外見以外で行える何らかの判断方法があり、アレンとレンという、どちらとも『俺』である存在を襲撃した…………そう推測することができる。
現に俺がここにいる理由自体が、【イージス】が『俺』という存在を誤認してくれたのが始まりなのだから、この仮説に間違いがあるとは思えない。
……問題はその『何らか』が不明ということと、そして何故この状況下で『俺さえも狙う』必要があるのか。俺にはそれが分からないままだった。
そこが今の俺の限界。マリルや愛衣なら、きっと信憑性のある仮説を立てることぐらいはできるだろうに。自分の不甲斐なさを再認識してしまう。
「彼とエクスロッドのついでですし、君も処理しましょうか。どうせレッドアラートが一機潰れたところで、まだ二機残ってるんだ。一つは彼に、もう一つは豪勢に君に当てましょう」
「二機……。ファビオラは無事に迎撃できたんだ……」
「無理が祟って今は動けませんがね。無力化できれば支障はない」
安心するスクルドに、ヤコブは不安を煽るように告げる。
だけど、どうあれ離れ離れになったファビオラが無事なことが分かれば十分だ。ここで俺達でヤコブを捉えれば、少なくともエクスロッド周りの事態は丸く収まるはずなんだから。
「余裕綽々なところ悪いけど、私とSIDエージェント相手じゃ流石に分が悪いわよ」
俺がSIDエージェントと言われると歯痒いが、ヤコブの実力はある程度は把握している身からすれば、イナーラの言葉は間違ってはいない。
江守発電所の時は、俺とアニーしかいないのにも関わらず完全にイルカ任せ。スカイホテルの時は、不意打ちと異質物武器、さらには工作員を何人か連れての役満状態での対峙だ。
だけど、それはベアトリーチェが一撃で打開させてくれた。対処もできずに錯乱していた様子や、発電所での潔く撤退したから考えて彼自身に特別な力があるとは思えない。そしてスカイホテルの時とは違ってヤコブは一人。状況は圧倒的にこっちが有利だ。
この状況を覆す要素があるとすれば——。
「ですから、こうするんですよ」
当然『異質物』となる。
ヤコブがコートを翻して取り出したのは『剣』だ。
とはいっても西洋系の無骨で叩き斬るようなデザインでもなければ、東洋でいう『刀』と扱われる薄く鋭いものでもない。
無駄に黄金の装飾が施されており、実用性は素人目から見てもない。一見すれば修学旅行の売店や魔法少女アニメ系で見る『剣の玩具』とも思える。
——ドクンッ。
だが、それが出た瞬間、俺の心臓が『燃える』感覚に襲われた。
呼吸が苦しくなり、肺の中で熱気が渦巻く。体内を巡る血が急激に活性化して、まるで酷い風邪に掛かったように吐き気が込み上げてくる。
「あっ……ぁっぃ……!!?」
声さえ出すのがままならない。外界の空気が肺と交わった瞬間に、火傷しそうなほど熱を帯びて酸素を押し出そうとしてくる。反射的に身体が呼吸を拒み、やがて立つことさえもままならないほど意識が霞んで膝か崩れた。
「そ、れは……!?」
ヤコブが取り出した『異質物』に一番驚いているのはスクルドであった。
喘息で苦しむ病人のように、胸に当たる部分を手で押さえて、今にも絶えかねない息を必死に吐き出しながら言葉を紡ぐ。
「異質物『イスラフィール』……っ! どうしてアナタが……!?」
意識が朦朧として考えることができない。スクルドが驚いているというのに、なぜ驚くのか漠然としか把握できないほどに。
「そ、れは、アントン神父が…………! 封印、してい……たはずっ……!?」
「お答えしましょう。単純にアントン神父が行方不明となっていては教会の運営もままなりません……。後継者が管理を任されるのは当然でしょう?」
「後継者……?」
「おや、お嬢様もこんな状況では察しが悪いですね。では、説明してあげましょう。ですがその前に……」
革靴が床を叩く。反響して届く音は少しずつ大きくなり、やがて俺の目の前で止まる。
「貴方は、外で戯れて貰いましょうか」
力なく横たわる俺に、ヤコブは空き缶を蹴るような軽い動作で、俺を教会の外へと追い出した。
途端に肺に冷え切った夜の空気が流れ込んできた。異質物が及ぼす効果範囲内から離れたおかげだろうか。
酸素が頭に回ることで意識が鮮明化して、ようやく身体に先ほど蹴られた腹部が痛覚に伝達される。
痛みを切っ掛けに身体の感覚器官が正常を取り戻し、やがて視界も定まって周囲の状況を把握する。
教会の扉は固く閉ざされ、中に戻るのは至難だ。どこからか侵入できる場所がないかと思い、教会の周囲を見回す。
そして気づいた。
振り返った先には、月光を背に『血の伯爵夫人』こと『レッドアラート』が立ちはだかっていることを。
——この身一つで、災害に挑めというのか? 無理に決まっている。
かつてない『恐怖』に、俺の身体は指先さえ動かせず、ただ震えるしかなかった。
…………
……
レンを追い出した直後、ヤコブは眼鏡の位置を整えると、すぐに会話を再開させた。
「では可愛いお嬢様のために説明しましょう。スカイホテルの一件……現地にいたのですから耳には挟んでいますよね?」
その問いにスクルドは横たわりながらも小さく頷く。
「とはいっても、イナーラが説明した通りだ。失態続きで情報機関での地位が落ちてね……『教会』を使った人工魔女計画も今や引継という名の、事実上の凍結状態だ。心機一転してニューモリダスでやり直すには手間がかかる。それに研究に関しては焼き直しもいいところだ。私としてはそれは非常に退屈で仕方ない」
まるで自慢をするようにヤコブは饒舌に語る。
それは出来の悪い発表会みたいなものだ。誰一人として興味は湧かず、誰一人として関心を抱かせない自分の思考に浸るだけのつまらない物。
だが、止めようにも『イスラフィール』の影響で動くことさえままならない。その異質物はEX級に指定されていて研究も碌に進んではいないが、スクルドが把握する限り『命の根源を燃焼する』という危険に満ちた物だとは知っている。
——だからこそアントン神父は封印していたというのに。
神父の思いを無碍にして、しかも乱雑に、そして我が物顔に扱うヤコブを見るだけで、スクルドの中には、幼子が持つには大きすぎる『怒り』が込み上げていた。
「知人という立場もあって、迷える子羊となった私にアントン氏は手厚く歓迎してくれましたよ。研究の手立てもニューモリダスの情報機関の一つに言伝してくれて手配してくれた。…………そこで面白い話を聞いてね」
「話……?」
「アントン神父がいるトリニティ教会には『コレ』が封印しているといい話さ」
そう言ってヤコブは得意気に『イスラフィール』を見せつけた。
「最後の審判を伝えると言われる神の名を持つ異質物。ユダヤ教に精通する私としては、これは非常に興味深い一品だ。是非ともと、アントン神父へと話しあったさ」
「しかしねぇ」と勿体ぶるようにヤコブは嘆息をもらす。
「強情な人で一向に『封印』を解いてくれなかった。そこで私は議会を通じて情報機関と掛け合ってアントン神父の身柄を拘束させてもらった。幸いにも多数派は私の素性について好ましいと思っていたようで、快く引き受けてくれた」
「だけど」と今度は不満を言うような苛立ちを持って喋り出す。
「歯を捥いでも、爪を剥いでも、指を追っても詰めても……一度たりとも首を縦に振らなかった。強情が過ぎたので、うっかり眼球さえも潰してしまった。そのせいでアントン神父が亡くなってしまってね……いやぁ悲しい、実に悲しい。……おっと、子供には酷な話だったかな?」
その表情は悦に浸る加虐的な笑顔だった。悲しさなど微塵も感じるはずがない。
「だが、決死の覚悟で黙秘したせいで『封印』はそのまま、保管している金庫も分からず仕舞いさ。……だがここはニューモリダス。全てのものに価値がある。……例えそれが『命なき者』でも『価値がある』のさ」
「だからこうした」とヤコブは懐からペンと紙を取り出して、何やら文字を書く。
——どうしてそんなことをするのか?
スクルドは疑問に思う。直後にヤコブは筆を止めて、書き記した紙を施すような優しい笑みでスクルドの前に落とした。
そこに記された文字を見て、声にもならない驚きをスクルドは抱いた。
——『新豊州記念教会』
それは忘れようのない一文だ。新豊州記念教会で起きた一連の事態の始まりでもあるメッセージの内容そのものだ。
そして忘れようのない筆跡だ。スクルドにとって第二の親同然でもあるアントン神父の筆跡そのものだ。
見間違えるはずがない。何せ生まれたから今にかけてスクルドがお世話になった神父の文字だ。職務中に悪戯をしに来たスクルドを無碍にあしらわず、一緒に何度も見せてもらったのだ。絶対に見間違えるわけがない。
かといって、年季を重ねた品のある文字書きは、誰であろうと真似できる代物でもない。例えそれが一晩で文字起こしを終えるスペシャリストだとしてもだ。
もちろんアントン神父がヤコブということもあり得ない。誰がどう見ても顔も年齢も違う。
——じゃあ、何でヤコブはアントン神父の筆跡で映せる?
そんなスクルドの疑問に、ヤコブは笑いながら答えた。
「『移植』したんですよ。ただ医学的なものじゃない、概念的な物だ。ニューモリダスが誇るXK級異質物『リコーデッド・アライブ』の効果で、私の『右手』と神父の『右手』を『交換』したんです」
それは余りにも生命を冒涜したものだった。聡明なスクルドでさえも、理解することができず、ただ伝えられた情報を順番通りに積み上げることしかできない。
「おかげで指紋、脈、筆跡などを奪えましたから、イスラフィールを保管していた金庫や封印もアッサリと解錠できました。トリニティ教会もどうせ私が請け負う予定でしたので、支障が起きにくいように遺書も指印も神父のを利用して私の物になるように手配して、滞りなくこの教会を後継したわけさ。……そのついでに右手だけでなく他にも色々と頂戴してね」
「その中で一番有意義なのはここでした」と自身の額を指さすヤコブ。その意味を察せないほど、スクルドの意識は散漫としていない。どういう意味を持つのか、即座に理解してしまった。
「神父の『記憶』を得たことで、アナタが『未来予知』を持っていることを知ることができた……」
絶句するしかなかった。それはスクルドが本当に親しい人にしか伝えていない情報だ。スクルドからすれば、それを共有するものは最も信頼しているということの裏返しでもある。
秘密の共有は子供にとって大切な物だ。同年代から逸脱した感性を持つスクルドとはいえ、やはり子供である以上、そういう行動に憧れを持っていた。
ファビオラを振り回す腕白さ。アントン神父を困らせる悪戯さ。レンと話し合う男女の距離感。それらすべてがスクルド・エクスロッドが持つ『未来予知』という『秘密』を共有する『友達』だった。そこにいる時だけスクルドは『ただの少女』としての顔を見せることができた。
それを……ヤコブは土足で踏み込んだどころか、踏み荒らしたのだ。
秘密を共有する一人、アントン神父を『殺害』して。
あまつさえ、何処にいるか分からない『行方不明』という独りぼっちの状態で。
神父は『七年戦争』の影響で、旧友さえ失った天涯孤独の身だというのに。
——最後まで、彼は一人っきりで死んだというのか。
「だからここまで回りくどい事をしてアナタをここに誘導したのですよ。アナタの身体も、能力も非常に興味深いですから」
——許せない。
「『未来予知』の力……果たしてどれほどの研究素材になるのか」
——許せない。
「それにニューモリダスの異質物は、果たして『聖痕』由来の『未来予知』で得た『記憶』をどんな価値を持って『等価交換』してくれるのか。非常に興味が湧きませんか?」
——許せない。
「さて、ここで問題です。何故私はこうまでしてペラペラと貴方に説明してあげてるのでしょうか」
動くことさえままならないスクルドに、ヤコブはわざとらしく革靴の音を立てて近づく。興奮を隠しきれずに浮かべる笑顔は一体誰に向けられたものなのか。
その笑顔は——尊厳に満ちた自身へと向ける狡猾なものだった。
「それは……『勝利』を確信してるからですよ」
「ま、て……っ!!」
イナーラの静止も聞く耳を持たず、ヤコブは『イスラフィール』と呼ばれる剣型の異質物を用いて少女の胸を刺し貫いた。
吹き上がる鮮血。少女の身体から出るには、あまりにも多すぎる出血量だ。即死なのは間違いない。
だというのに——。
「なっ……! 何故動ける……っ!?」
少女の身体はユラリと立ち上がった。
顔を伏せて表情は伺えないが、肌色は既に血の気を失って、どう見ても死に体なのにも関わらず。
「アナタの運命が見えたよ」
それは宣告だった。少女が溢していい風格ではない。いや、そもそもとして『人間』が纏っていいものではない。
まるで『神』のような佇まいだ。心の臓が貫かれているというのに、血は未だに止めどなく流れているというのに、まるで意にも介さずに少女の瞳はヤコブを見つめ続ける。
無垢だったはずの瞳に宿るのは『怒り』の感情のみ——。
途端、ヤコブは『命』を鷲掴みにされた感覚に陥った。
それに呼応するようにイスラフィールが起こす『命の燃焼』が出力を上げていく。
満ちては引いていく波のように、少しずつ少しずつ、されど確実に放出する『命の燃焼』を上昇させていく。
「っ……!?」
突如として襲いかかる不快な感覚に、ヤコブは声さえまともに上げられずにのたうち回った。肺の中で出入りする空気が全て、鉄を溶かすような熱気を帯びて呼吸がままならない。
先ほどまでスクルド達を襲っていたものと一緒だ。
イスラフィールが持つ特性である『命の根源の燃焼』が、今でも所有者となっているはずのヤコブへと襲いかかってきたのだ。
しかし、一つだけ明確に違うものがある。
ヤコブの体内を巡り回る熱気の影に、命さえも凍らせる冷たい『少女の声』が『耳の中』から熱気と共に呼応しているのだ。
——あなたの魂があたしに応えた。
——後悔の念は、響かせなくていい。
「『死』だよ、死——」
響かせるのは、断末魔だけでいい。
スクルドの怒りは、灼熱のエコーとなって命を燃やす。