第三章は予定では全15節を予定しており、現段階では第7節までは毎日投稿となっておりますので、しばらくよろしくお願いします。
朝、五時半。俺は最低限の身嗜みを整えると、男の時から着なれた男女兼用ジャージへ着替えて外へ出た。時期は10月半ばということもあり、この時間帯では太陽が昇りきるには些か早く、青空は暗がりを帯びている。
「おはようっ! ようやく遅刻せずに起きられるようになったね」
「…………でも、まだ身体が起きてない……」
「みたいだね。とりあえず口元の涎は拭いとこっか」
「うん……」
待ち合わせ先となる新豊州運動公園には、新豊州のご当地アイドルこと高崎秋良がストレッチを行いながら待っていた。正式には動的ストレッチというらしいが、俺には詳しいことについて知らない。
「今日も30分を目安に5キロのランニング! 体力作りをするのに有酸素運動は効果的だから、今日も頑張ろう!」
基本ゲーマー体質であるはずの俺が、どうして朝早くに高崎さんと一緒にランニングするのかというと『体力作り』という点に尽きる。
先日ニューモリダスで起きた一件——。スクルドは未だ危篤状態なまま藩磨脳研で治療中となっている。どうやらファビオラの時とは違い『夢』を見ているわけでもなく、純粋に身体面でも酷く衰弱しており、いつ状態が悪化してもおかしくないという。
どうしてこんなことになってしまったのか。それは俺が『弱い』からだ。スクルドをヤコブから助けることもできず、アレンにも徹底的に打ちのめされた。もしも俺があの時に強ければスクルドを守ることができたかもしれない。
でも『もしも』はもしもだ——。
一度起きたことを変えることは『ロス・ゴールド』みたいな異質物でもない限り不可能だ。だから、その『もしも』は過去ではなく未来に向けるべきなんだ。次にそういう局面にあったとしたら、こんな後悔や無力感なんて誰にも味合わせないように俺は強くなるしかない。
「よし」
例え目の前の現実から逃げていると言われようと、今の俺にできることは強くなるために動き続けるしかない。時間が巻き戻ることも、止まることないんだから。だから今はほんの小さな一歩でも、俺は強くなるための歩みを止めるわけにはいかない。
俺は高崎さんと並んで公園の舗装された道を走る。まずは体力作りからだ。SIDの基本訓練だけでは、急速に力をつけるにはあまりにも遠すぎる。少しずつ、自分から変わらないといけないんだ。
…………
……
「効率よく筋力付ける方法だと?」
早朝ランニングを終えた次は、SIDの訓練施設にいるヴィラと話す。本日の学校は休みのため昼間から合流できたのは幸いだ。こうして朝早くから助言をもらうことができるんだから。
「筋肉なんて普段の積み重ねでしかないぞ。確かにオキシポロンや違法とはいえステロイドを使えば、ある程度は早く筋力を付けることはできる。だけどそれは偽りの強さだ。本当の強さは地獄の様な訓練に耐えてこそ意味があるんだ」
「ヴィラ……。レンちゃんが求めてるのは軍人みたいな物じゃないからね。地獄の様な訓練に付き合わせる必要もないから」
火垂る身体と汗をタオルで拭いながら語るヴィラの横で、同じく訓練を終えたエミリオがスポーツ飲料を口にしながら話に入る。
「筋力とはいうけど具体的にはどこが気になるの? 二の腕とか太腿の弛みが気になるお年頃だったりするのかな♪」
「いや、そういう考えじゃなくて……。俺は少しでも強くなる方法が知りたくて……」
俺の厳粛な態度で察したのだろう。普段よく笑うはずのエミリオでさえ、その表情には真剣味が帯びていた。
「……エクスロッドのお嬢様に関しては気の毒だって言うしかないけど……レンちゃんはそれでも最善を打ったじゃない。そこまで気にする必要もないじゃない?」
そうかもしれない。あの時ヤコブが手にしていた『イスラフィール』の力は絶対的で、スクルドが奪取していなければ全滅もあり得ていた。
そして奪取しても、外で待機していたレッドアラートを俺が破壊してなければ『生命』ではない自律兵器にスクルドが手にした『イスラフィール』の効力など及ぶわけがなく、これもまた全滅の危機に瀕していた。エミリオの言う通り、俺が取れた策は最悪中の最善であって、客観的に見ればスクルド一人に犠牲で済んだこと自体が奇跡だったとさえ言える。
……だけど俺は知っている。
あの時、レッドアラートを打倒するために宿った『時の翼』と『光の鍵』——あれらは何らかの手段で俺に届けたスクルドの力なんだ。
結局のところ、俺がしたことなんて些細な物で、ほとんどあんな小さな女の子一人が身の丈に合わない異能の力で解決したに他ならない。
……自分の不甲斐なさを棚に上げるなんてことは、とてもできないんだ。
「ごめんね、本当は気の利いた言葉くらいかけたいんだけど……。私達って悪くも慣れきってるから……その、上手く心からの励ましができないや」
俺の打ちしがれた心境を察して、エミリオは力なく困った表情を浮かべて励まそうとしてくれた。
悪くも慣れきっている————。
確かにマサダブルクの事情や兵隊入りしていたエミリオとヴィラなら、人の生き死など数え切れないほどあっただろうし、もしかしたら不可抗力とはいえ奪ったことさえあるかもしれない。
俺と周りにあるスクルドに対する温度差はそういうことなんだろう。単純に俺だけが、この目で人の生死を慣れてないから割り切ることができない。
……理屈がわかったところで、納得するわけはない。
だからこうして助言を求めているんだ。
「お願いします。——強くなりたいんです」
今度は頭を下げて懇願する。精一杯の誠意だ。
しばし沈黙が流れると、ヴィラが呆れたような物言いで伝えた。
「……具体的にはどんな風にだ?」
「どんな風……?」
「強くなるにも方向性がある。具体的な指針がなければアドバイスの仕様がない」
「……それは……………………」
「答えが出ないからって『平均的』、『全体的』、『総合的』なんて言葉に逃げるなよ。一人の人間にできることは、何をどうしても一つまでだ。あれもできる、これもできるってのは便利ではあるが、対極的に見れば対応力や作戦成功率への微々たる上昇程度の成果しかない。直接的に強さとは一切関係しないんだ」
……何も言い返せない。軍人上がりのヴィラが言うのだから、そうであるのは間違いないのだろう。
「ヴィラの言い方はちょっとキツいけど私も同感。要するに『何でも屋』みたいな役割を持つには、レンちゃんの実力的に見合わないし……」
「……その通りです」
「それに戦況によって求められる技術は異なる。個人戦、集団戦、殲滅戦、防衛戦、包囲戦、消耗戦……。街中、海上、森林……。様々な組み合わせがあって、それぞれに応じた策がある。例えるならボクシングと相撲どっちが強いと言われても、土俵が違うんだから比べようがないとの一緒だ」
これ以上ないくらい分かりやすく噛み砕いて説明してくれた。
……確かにスポーツや戦争に限らず、勉強や料理にもそれに応じた物があるんだ。総合的になんて言ったところで、それは分野の初心者の中の初心者に踏み入れたに過ぎない。それではエキスパートだらけのSIDでは実にならないのは目に見えている。
「……じゃあ、どうすれば強くなれる?」
「とりあえずは『何かしらの強み』——つまりは得意分野がないとどうしようもないかな。私なら『血の硬質化』とか、ヴィラなら『常人離れした怪力』とか……色々とね。分かりやすい強みがないと、作戦に組み込むこともできない」
「そしてそれに合った戦闘方法と、弱点の解消だな。アタシの能力は近距離戦での質量対決なら負けることはないが、遠距離にはトコトン向いてない。エミリオだって血を散弾みたいに飛ばすにしても、能力の性質上そこまで射程距離があるわけじゃないし、使用後は狼煙みたいに蒸発するせいで隠密には向かない。……証拠も消えるから、一概に弱いとは言い切れはしないが」
「だから私達は兵隊時代の名残もあるけど、遠距離戦闘での手段として銃器を使う……。もしくはチームを組んで互いにカバーする。そうする事ことも強さの一つだね」
それも強さの一つ——。
…………だけど、俺にはその『強み』さえない以上、根本的な『強さ』の指標さえないんだ。
どうすれば……どうすれば、俺にそんな『強さ』が得られる? スクルドに与えられるような物じゃなくて、もっと自分だけの『強さ』が——-。
「……そういえば『強くなりたい』んだっけ?」
思い出したようにエミリオは言った。何かしら大きな成果が得られる答えが聞けるかと思い、期待を込めて目を合わせると、当のエミリオは悪戯な笑みでこちらを見ていた。
「じゃあ、兵隊の時に私達の教官が問いたことを教えてあげる」
エミリオが問おうとしてることが分かったのか、視界の端でヴィラも懐かしむように、可愛らしくも困ったような笑みを浮かべた。
……あの若干無愛想なヴィラがあんな表情を見せるのはレアだ。
いったい、これからどんな内容は飛び出してくるのか?
——期待と不安で心が躍る。今か今かとエミリオの紡ぐ内容が待ち遠しい。
「『自分より強い相手に勝つには、自分の方が相手より強くなければいけない』ってのは分かる?」
「……いや、矛盾してない?」
……だと思っていたのに、告げられたのは頓珍漢な内容だ。
これにどんな意味があるのか? そう思いながら俺が矛盾していることを指摘したら、エミリオは予定調和だと言わんばかりに微笑を溢して「そう、矛盾してるんだ」と安易に認めた。
「ではここで問題」
間髪入れず、エミリオは次の言葉を吐いた。
——『この言葉に対する矛盾と意味をよく考えなさい』
…………
……
「自分より強い相手に勝つには……自分より強くないといけない……???」
……どういう、ことだ??????????
「レンちゃん、頭の中疑問符だらけだよ……。答えは単純だって!」
場所は変わり、SID内部の休憩所。そこで自販機からスポーツドリンクを取りながら、得意気で返答をしてくれるアニーがいた。
「スポーツと一緒で、訓練を重ねて相手より強くなる! これしかないって!」
「……お言葉なのですが、それだと『自分より弱い相手』に勝っていませんか?」
直後、部屋の隅っこで寛いでいたソヤが根本的な指摘に、アニーは「あっ」と恥ずかしそうに表情とプルタブに掛けた指を固めた。
その反応がソヤと同席していたラファエルとハインリッヒの壺に入ったのか、二人は笑いを堪えて可笑しな表情となる。
まあ分かる。俺だって気づいた問題だから頭を抱え込んでるんだ。エミリオのことだから、ただの言葉遊びとは思えないし、その真意がまるで見えてこない。
「……大体訓練にしろ何にしろ、努力してホイホイ解消されるなら苦労しないわよ?」
「リバウンドしたもんね……」
「ぁ? なんか言った、女装癖?」
言ってません。体重がさらに0.2キロ増加なんて言ってないので、視線だけで刺し貫くように睨みつけないでください。
「禅問答とは言えず、かといって哲学的でもない……。気分転換でも退屈そうな命題ですね」
ハインリッヒは話の内容について興味がない様子だ。
というか、珍しく休憩所にいることに驚きだ。いつもなら研究室に篭りっぱなしで、平気で数日間姿を見せないことすらあるというのに。
「お久しぶりですね、マスター。今日はラファエルさんと野暮用があって出ておりますので、終わり次第研究に戻りますのでご安心を」
「そんなに物珍しい顔してた?」
「いえいえ。ただ私もマスターと比べたら未熟な錬金術師ですので、少しでも時間があれば研究に割きたいだけです」
未熟な錬金術師って……。未熟なら海を凍らせたり、嵐を再現したり、対象の時を遅行する紛い的な物は作れないだろう。
謙遜なんだか皮肉なんだか……。
どちらせによ、ハインリッヒが自身が持つ強みを理解してるからこその言葉だ。強みが分かってるからこそ、何ができるかを把握して発展させようとする。俺にも誇れるような強みがあれば、彼女みたいに尊大な態度を取れるだろうに。
……あぁ、ダメだ。卑屈が過ぎる。
こんなちょっとした会話だけでも、ネガティブになってしまって仕方がない。いつか、誰かに当たってしまうかもしれない。
……今は一人になりたい。どこかに行って落ち着いたほうがいいのかも。
「おっと、こんなところにいたのか」
休憩所へとマリルが入ってくる。どうやら激務続きのせいで、表情には出してないが、そこはかとなく顔色が優れておらず、その手にあるエネジードリンクが妙に痛ましい。
俺が「お疲れ様」と労いの言葉を言うと、マリルは「お互い様にな」と、こちらの心境を見透かした返答をしてくれた。
「ハインリッヒでも探してたの?」
「探していたのはレン、お前だ」
「俺っ!? 何かまた失態でもやった!?」
最近は心身ともに安定してないこともあって、勉学や疎かで赤点間近だったり、食も細くなって体重は一気に3キロも落ちたりした。表情を変えるのも億劫になって、今はイメージガールとしての仕事も休業中だ。思い当たる節はいくらでもある。
「不様さはともかく、失態はしてないぞ。……私の耳はよく届いてな。ここ数日のお前の行動と、先ほどまでの会話で想像はつく」
「……マリルにはお見通しか」
マリルだけにはどんなに隠し事をしても見透かされてしまう。俺が今どんな苦しい思いをしてるのか、きっと分かりきってるんだろう。
「仮とはいえ親を舐めるな。……独り立ちしたい気持ちは分かるが、お前はどこまでも普通の子なんだ。背伸びはせずに、何はどうあれ私に相談するようにはしろ。何だって答えてやる」
「マリル……っ!」
頼ってもいいのか。子供みたいに泣きじゃくりたい気持ちを、ただ我儘に言って重荷を肩代わりさせてしまっても。
だったら、一度だけ弱みを言っても——。
俺一人ではここで限界なんだと、言ってもいいのだろうか——?
どうしたって前に進めないと、言ってもいいのだろうか——?
「というわけで喜べ。早速お前には特殊身体訓練を受けてもらうことにした」
「それはそれで急じゃない!?」
なんて色々考えていたのに、呆気らかんとマリルは俺が強くなるために訓練をしろと言いつけてきた。それは毎日こなし続けている。今更、『基礎身体訓練』を重ねたところで、今以上に急速に強くなることなんて————。
——って、待てよ。冷静に考えるとなんて言っていた?
「『特殊身体訓練』? 基礎身体訓練じゃなくて? 模擬戦闘とか、戦術講義とかじゃなくて?」
「ああ、場所は『霧守神社』——。そこでSIDがレベル5級指定で保護してる特殊エージェント、コードネーム『神楽巫女』の下で、お前にあるであろう力を呼び覚ましてもらう」
——それは俺が求めていた『何かしらの強み』となる話だった。
俺が何かを伝える前に、マリルは俺が求めているものを理解して準備してくれた。
その好意が、無性に嬉しくてたまらない。
「お前が強くなるのを楽しみにしてる。……いつも通りのお前じゃないと、私も弄りがいがないしな」
「——-うんっ!!」