「お待ちしておりました、レン様。私、この神社に仕える巫女である『霧夕』と申します」
「ご丁寧にどうも……」
マリルからの紹介で俺は新豊州にある『霧守神社』という場所まで来ていた。
とはいっても、この『霧守神社』は七年戦争前までにあった本物ではなく、第五学園都市が設立された際に重要な文化財として可能な限り再建されたものであり、使用されている柱からベニヤ板まで全て近代的な物だ。古めかしいのはデザインだけであり、実際は特殊な加工方法を用いて災害対策から防腐や異臭、さらにはスギやヒノキ材と木粉対策やらも既に対応済みと現代科学の進歩が伺える。これには花粉症患者も笑顔が咲く。
「霧夕さんが……その『神楽巫女』だったんですね……」
「左様です。どこか不思議だったでしょうか?」
「いや、神社とかにいる巫女ってアルバイトとかが多いって聞くので……」
第五学園都市『新豊州』は基本的に無神論者ばかりな世俗ではあるが、全員が全員徹底された思考を持ってはいない。ハロウィンにはどんちゃん騒ぎを起こすし、新年にはいつもはしない参拝で今年を神頼みしたりと結構いい加減なものだ。
もちろん俺もいい加減なものの一人であり、年に一回必ずここに来て「今年こそは彼女ができますように」など「サイバーパンク 30XXが発売されますように」などと願ったものだ。
そのたびに霧夕さんの顔も毎年見て、「この人、今年もいるんだぁ」と一人の男性として見惚れていたものだ。
だが実際こうして深く接してみると意外や意外、コッテコテのデッコデコのテンプレート通りの『巫女』と言わんばかりの黒髪に簪、そして白装束を纏った霧夕さんは、ここ『霧守神社』の正式な人物だったのである。
しかもSIDが最高レベルのセキュリティで保護してる『神楽巫女』と呼ばれる人物なのだ。度肝を抜かれるのは当然だろう。
「確かに助勤の方は多いですね。新豊州はどうしても宗教などといった非科学的なものは感心が薄いので……。助勤の人々もコミケのために巫女装束を資料にして制作したり、興味本位で受けたり、単純に路銀が足りずに日給目当てだったりと様々です。……お賽銭も多くないというのに」
「現役巫女とは思えない現実的な言葉の数々……ッ!」
知りたくはなかった。神社の内情が、そんな悲しいことになってるということに。
「ギャップに驚いてるようなので、もう一つ驚きの情報です。実は『霧守神社』では屋内にロボット掃除機やドローンを使っていたりします」
「神社にそんな近代的なものがッ!?」
それも意外な事実だった。俺の中のイメージだと神社といった昔からある存在する風習や文化は当時のままをなるべく維持しているものかと思っていた。
「そうですよ。最新型の機械は優秀過ぎて、私なんか枯葉を処理したりするぐらいです。本業はお父様やお母さまに任せっきりで、勤務時間の半分以上はお茶飲んだり舞踊したりと……。クリーンくんは24時間勤務の働き者で、ドロちゃんは祭事だけでなく防犯対策として上空から監視してくれたりと私よりも役立っています」
「珍妙な名前が二つ……」
「私ではなく、ある人が付けたのです。そう呼ばないと後で非常に怒られるので……」
今は俺と霧夕さん以外の人物はいないのだから気にする必要はないと思うが、彼女が気にするなら藪から棒に突く事ではない。俺はそういうものだと思いながら、彼女の案内に従い霧守神社を進みながら敷地内を見回す。
事前にインターネットで見た画像と神社の造りに差異はないのだが、実際見てみると、周囲に見えるビル群や電車の走る音など微塵も感じないほど、神社特有の神気みたいな空気感が漂っている。木々も葉の一枚一枚に生命力の強さを感じてしまい、秋も深まり枯葉として落ちる木の葉でさえ意志を持っているように舞い落ちる。
普段は年末年始で人が混雑している時しか来てなかったから、人が閑散とした状況は新鮮な気持ちで見回してしまう。こうしてみると参拝客が犇めき合って狭い暑苦しいと感じていた神社と言うのは、心にまで肌寒さを伝えるほど侘しさがあった。
「こちらがレンさんが利用する寝室となります」
「うわぁ……本当にいる……」
やがて俺が寝泊まりする部屋へとたどり着いた。襖で隔てられた先には、細く敷き詰められた畳の網目を移動する白い円盤型のロボット掃除機があり、しかもこのロボット掃除機は相当長いこといるのか、その上にはここで飼っているであろう猫が慣れた様子で丸まって横になっていた。
「この神社に住み着いてる野良猫です、名前はまだありません。……猫ちゃ〜ん、お客様が寝泊まりするので出てくださ〜い」
猫は大人しく霧夕さんの言うことに従い、丸まった身体を伸ばすと足早に部屋から出ていった。去り際、俺の方に挨拶をするように「みゃお」と小さく鳴いてくれたのが妙に印象が残る。
「入浴や食事に関してはレンさんがご自由にして大丈夫です。商業区の銭湯やコンビニなどを利用して大丈夫ですし、事前にお伝えしてくだされば食事もこちらで用意できます。とはいっても、現代人の舌には合わない質素な物になりますが……」
「具体的な献立は?」
「白米を中心とした魚の炭火焼きや、おしんこ、汁物ですかね。あとは山菜の天ぷらとか……。パスタやカレーといったものは出てこないので、そういう時は外食をお願いします」
魚を『炭火焼き』する時点で割と豪華だとは思います。
そう思いながら着替えや日用品を詰め込んだスポーツバッグを用意された寝室に置いておき、霧夕さんの案内は続く。
「ここが練習稽古をする道場となります」
霧夕さんに次に案内してくれたのは、撮影用の施設なんじゃないかと思えるほど小綺麗な空間だった。壁には練習用だと思われる木刀や竹刀、それに弓から模造刀などが展示されている。
「へぇ〜〜。木刀とか竹刀とか触るの初めてかも」
「あっ、一番奥の刀に触る時は慎重に扱ってくださいね。我が一族に伝わる由緒正しき真剣なので」
「真剣ッ!!?」
じゃあ、本当に切れちゃうじゃん!
そういう貴重品の話は、借金娘の身なんだから敏感なんだ!
「というか普通触らせないんじゃ……」
「先祖代々から触らせる分には問題ないと言われておりまして。……まあ、曰く意思持つ妖刀らしく、不自由にすると祟られるとか。…………一説ではぁ、持ち主を生き血を欲する鬼に変えるなどは言われておりっ……!」
「あはは……」
おどろおどろしく怪談話を伝えるように霧夕さんは俺に語りかけてくる。俺、そういうホラー系には耐性ないからやめてください。
「ですから触れる際には細心の注意をお願いします。それ以外でしたら、気軽に触れて大丈夫です。ただし許可なく振り回さないようにはしてください。型がなってない動きは怪我の元になりますので……」
「鍛錬の際は全集中でお願いします」と霧夕さんは笑顔を浮かべた。
……やっぱり巫女とは思えないほど聞き覚えのある単語が出てくるなぁ。そういうことなら、俺は俺の責務を全うするしかない。
訓練だ。特殊身体訓練——。
何が『特殊』なのかは未だに分からないが、わざわざマリルが手配してくれたんだ。きっと大きな意味がある。
「……ところで霧夕さんって、見た感じ文化系だから剣道とかには無縁だと思ったんだけど……こういう稽古もするの?」
だけどその前に、少しばかりの疑問だ。
霧夕さんに限らず、神社とかに仕える者は陰陽道とか式神とか、とにかく魔術みたいなものを行使するイメージが俺にはある。
そんなイメージが固まってる中で、木刀とかの近距離武器を振るう彼女の姿を想像するのが難しくて、つい訪ねてしまうのは我ながらしょうがないと思う。
そんな疑問に霧夕さんは優しく「いいえ」と笑い、間髪入れずに「ですが」と意味深に目を伏せて話を続ける。
「……あなたに勝つぐらいは造作もないですよ」
顔色は窺えない。
しかし、その口にはマリルよりも邪悪な笑みが浮かんでいるように見えた。
「……稽古じゃなくて、暇な時に振るったりしてるってこと?」
「それもいいえ。それどころか、『私』は生まれてから一度も剣を振るったこともないですよ」
「……じゃあ一度だけやります?」
流石に少し癇に障った。互いに未経験だというのに、どこからそんな自信が湧いてくるのか。
自分で提案をしておいて難なのだが、男が女子相手にムキになるのは多少大人気なかったかもしれない。
……そう考えていた俺が馬鹿だった。
「……その言葉に二言はないな?」
——血が逆流するような恐怖を感じた。
霧夕さんは顔をすげ替えたように妖艶な笑みを浮かべ、口調も声のトーンも、同一人物とは思えないほど冷たくも妖しい雰囲気を帯びる。瞳も先程までの慎ましい優しさはなく、道端にある吐瀉物を見るような冷やかささえ感じてしまった。
「お、お願いします……っ!」
思わず萎縮しながらも、俺は壁際の木刀を手にかけ——。
直後、霧夕さんの形をした女性は舞うように俺の懐に入り——。
——パァン!!
いつのまにか、
奪い取った、
木刀で、
俺の下顎を、
打ち上げた。
「調子に乗るでないわ、ヒヨッコが」
そこで、
俺の意識は、
闇に落ちる。
…………
……
……頭痛がした。猛烈な頭痛がした。
だけど、それが急速に引いていく感覚もして、俺は暗闇の中から意識を起き上がらせる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……っ!!」
先程の冷徹な態度はどこへやら。誠意全開の声色で、目紛しく応急手当をしてくれる霧夕さんの姿を俺は見上げていた。
霧夕さんは今まで見たことがないほど青褪めた表情で、冷水に浸したタオルを、未だに痛みが響く俺の下顎へと当ててくれる。程よく伝わる冷たい感覚が、これまた後頭部から伝わる程よい温かい感覚の相乗効果で気持ち良さが加速度的に上がっていく。
夢心地だ。思わず意識が微睡んでしまう。
俺は霧夕さんの看護を甘んじて受け、そのままもう一眠りにしようと……。
……
…………
………………
…………
……
……………………ん? 見上げてる?
俺は沈みそうだった意識を拾い上げて、現状の把握を急ぐ。
天井。見える。
背中。床に接してる。
脚部。床に接してる。
頭部。柔らかい感触ある。
確認。後頭部に手を回して、感触の正体を探る。
「ひゃう……っ!」
瞬間。霧夕さんの艶かしい声。
把握。人肌の温もり。
理解。…………………つまりは?
「ごめんっ! 今起きる!」
これ膝枕だっ!? 男子高校生が憧れるラブコメシチュエーションの一つ、女の子の膝枕だよこれ!?
「いやぁ〜、まさかこんな一瞬で倒されるなんて……」
「あの……本当にごめんなさい。私はやめたほうがいいとは説得していたのですが……」
「せ、説得……?」
——誰に? まさか双子の姉や妹とか?
……いや、見回しても俺達以外には誰もいない。あるとしたら、壁に立てかけられた様々な稽古用の武具ぐらいなものだ。
「……あれ? マリルさんから私のことは聞いていないのでしょうか?」
何も聞いてない。特殊身体訓練を手配したはずのマリルからは「行けば分かるさ。身をもって分かるさ。とりあえず分かるさ」と、かなりいい加減なことしか聞いていない。
それを霧夕さんからは「マリルさんらしいですね」と渇いた笑いを浮かべながらも、姿勢を正して気品漂う見事な正座姿へと組み直す。
「では、改めて自己紹介します。今回、特殊身体訓練の担当を任された『神楽巫女』こと霧夕と——」
そこで霧夕さんの雰囲気は、先程と同様に顔自体を入れ替えたように冷淡な物へと変わり——。
「————霧守神社の主神、『天鈿女命』や『天宇受賣命』と色々な呼び名はあるが…………最も通りの良い名なら、妾は『アメノウズメ』と呼ばれる者よ」
「アメノウズメ……!!?」
聞き覚えしかない名称が、俺の耳に告げられた。
アメノウズメ—————。
その名前を聞き、俺は大きく唾を飲み込みながら言った。
「……って何?」
途端、空気が凍った。
ごめんなさい。その名称はゲームで聞いたことはあっても、具体的に何の神様とかは一切知らないです。
「……霧夕ぃぃいいいいいいいいい!!!!! 貴様ら一族は、またも妾に恥を晒すかッ!!」
「いえっ! 時代の流れです! 立地の問題です! 新豊州は私も含めて無神論者が多いんですっ!!」
「ならば相応の務めを果たすのが道理というじゃろうが! 古来よりの契りを無碍にするつもりかっ!?」
「御言葉ですが、ご自身も努力したらどうですかっ!? そもそもこんな土地に未だに根付いてるんのがおかしいんですよっ! 大体何百年前の約束ですかッ! もう時効ですよ!」
「神霊や亡霊といった魂だけとなった者は、おいそれと動くこともできないのだ! 大体時効と言っても、元々は貴様ら一族から願った加護じゃ! 自分から願って、自分から取り下げるとか自己中すぎる! もっと頑張るのが人情であろう!」
「ムーリーでーす!! 水晶占い、風水術、占星術などのオカルトが廃れてる新豊州で神様を信じてくださいなんて言ったら、私は一転して狂人ですよッ!? 今だって『巫女』や『神社』という立場は、歴史的文化の価値があるから現存してるだけなんですから!! 『神楽巫女』と呼ばれてますが、半ばお飾りなんですっ!!」
……側から見れば百面相しながら一人芝居をしてる異常者にしか見えないけど、逆にそれが霧夕さんの中に、確かに『アメノウズメ』と呼ばれる存在がいることを俺の中で確信させてくれた。
「こうなったらお前も身体を捧げても新たな信仰者を物にせよッ! 安心せい、お前は見た目と声も一級品じゃ! 妾が保証する!」
「そうやって理由をつけて脱がせようとしないでくださいっ!! 私にも理想というものがあるんですっ! 黒髪で素朴で純粋な殿方! そして籍を入れた夜に、私の身体を捧げると決めてるんですっ!」
…………手持ち無沙汰だなぁ。
「それなら目の前にいる小僧がいいぞ。お前の言う黒髪、素朴、純粋と見事に一致しておる」
「殿方だと言って…………って小僧?」
「小娘ではなく?」と俺に視線を合わせる霧夕さん。あまりにも突然に振られたため、俺も理解が追いつかずに固まったままだ。
それを肯定と受け取ってしまったのだろう。
霧夕さんは顔をみるみる赤くしていき、俺の身体を隅々まで凝視した。
「えっ!!? えっ!!?!? でもでもでも……っ!?」
これでは見るというより『視る』だ。徹底的にこちらの身体を確認したのにも関わらず、目で得た情報だけでは信じられないのか、霧夕さんはこちらに手を伸ばして真っ先に——。
「ひゃっ……!」
漏れる俺の声。
「ついてないです!」
啖呵を切る霧夕さん。
「……お主かなり無遠慮なことしとるぞ?」
相変わらず秘部だけには手を添えたまま、人格を交代させたアメノウズメさん。
——ふにっ。
「っ……!」
「あっ……」
——流れる沈黙。
「そ、その……気にしなくていいから……大丈夫だから……」
「……本当にごめんなさい」
十数秒後。心底落ち込んだ雰囲気で、霧夕さんは床に『の字』を書いてしゃがみ込んだ。
気持ちはわかる。俺だって目の前の可愛い子が「実は男の娘ですよ?」と言われたら、とにかく分かりやすい判断方法として、そりゃ確認すると思う。便所でナニの長さを見比べるの同じ感覚で気さくに。
……でもそれは男と男だからこそできる距離感で、しかもある程度親交がある場合に限る。それなのに創作物みたいなバグった感覚で、しかも身体上は女と女とはいえ、躊躇もなく第一に秘部に行くかと言われたら反応に困る。普通は胸だろう、つまりはおっぱいだろう。
…………言い慣れてきたことに自己嫌悪しそうだが、それは今はどうでも良い。
もしかしなくても霧夕さんって、今まで異性との会話を——。
『中々面白い子じゃろ〜?』
「うわぁあああああああ!! 急に背筋がゾワっとしたぁぁああああああああああ!!?」
霧夕さんは未だに反省中だと言うのに、『俺の中』から先程とはまた別の声色にも聴こえるアメノウズメの声が届いた。マリルにも匹敵しかねない威厳と恐怖に満ちた雰囲気だ。本能的に萎縮してしまう。
『うむ。妾の思った通り、お主も依代として上質な肉体と魂をしておる。……まあ、お前の場合は人には言えん事情もありそうじゃが』
「依代ッ!? というか二重人格とかじゃないの!?」
『妾は主神で、アメノウズメだと言ったであろう。……しかしお前色々と面白いのぉ〜?』
「いっ……! ちょっ……!? ひゃ……!」
俺の意思に反して『俺の両手』が、自分自身の身体を舐めるように這って、ありとあらゆる部位を確認するように一人でに揉みしだき始める。
何とも言えない奇妙な感覚だが、直感でわかる。今の俺の肉体はアメノウズメと呼ばれる存在に操られている。どういう理屈かまではサッパリだが、科学的ではないということは確かだ。
『精神は男性……。肉体は女性………。適正も良き……。はぁ〜〜〜〜♡ いい、良い、イイ! 実に良いッ!』
それにこの人、確実にロクな人じゃない。ソヤと似た系統だが、恐らくベクトルが正反対だ。ソヤが被虐的なら、こちらは加虐的だ。身の危険を感じて鳥肌が止まらない。
『遊び甲斐がある……。こんな気持ちになったのは——』
すると、アメノウズメと名乗る存在の雰囲気は一転した。
実体がないのだから表現的にはおかしいかもしれないが、彼女は思い出すように呼吸を澄ませて静かに黙する。
やがて溜息とも嘆息とも言えない息を吐くと——。
『……………………何とも不思議な因果じゃ』
と感慨深くアメノウズメと呼ばれる存在は囁いた。どうやら思い当たる節があるようだ。
とはいっても、俺はこの人達とは初対面だ。何か言及したところで、俺自身わかることは少ないだろう。今は踏み込むべきことじゃない。
「あの〜……そろそろ、ここで何をするのかを聞きたいのですが……」
踏み込むとしたら、今日ここにきた理由である『特殊身体訓練』についてだ。さっき言っていた通りなら、今回担当するのは未だに床に『の』を書き続ける霧夕さんと、現在俺の中にいるアメノウズメということになる。
『そうじゃの、話は霧夕を通して聞いておる。それでは始めるとするか』
彼女は一拍子分の呼吸を置くと、特に勿体つけることもなく自然体のまま言った。
『特殊身体訓練、『刻印覚醒』をな』