「結界迷宮……!?」
眼前に映るもう一つの新豊州に人気など微塵も感じない。入り口から見渡すだけで見える猫丸電気街、俺がバイトしていたメイド喫茶、御桜川女子高校など全てが記憶に寸分違いない建造だ。
「そうだ。霧守神社が管理するEX級異質物……入る方法は、先ほどの通り『妾が罰当たりとなると判断した状況で鳥居を通る』ことで繋がる鍛錬施設だ」
以前として霧夕さんの身体を借りながらウズメさんは話を続ける。
「一説ではここは『星が生んだシェルター』やら『星の生存本能』……あるいは新豊州が持つXK級異質物【イージス】が根本的に持つ『人類管理・補完への緊急施設』とあるが……実態として仮説しかない不明瞭な場所だ。SIDの調査もそこまで広くされているわけでもない、常に注意を払えよ」
「……分かってマッシュ」
——ドンッッ!!!!!
余裕を見せるために、ちょっとふざけた語尾で返答したのが仇になった。何故なら、突如として謎の衝撃に襲われて、俺の身体は数メートルも綺麗に吹き飛んでしまったからだ。
「——いってぇぇえええええ!!?」
「つまらん駄洒落言うからだ。ここの住人が怒りを露わにしよった」
住人って何!? こんな異質な世界に住む奴がいるとすれば、アニーやハインリッヒみたいな否応がなしに囚われた人か、もしくは相当の物好きかのどちらかしかないだろ!?
何が俺をぶっ飛ばしたのか確認するために、先ほどまで自分がいた場所へと視線を向ける。
————そこには赤く熟れた野菜があった。
「……トマト?」
食欲をそそる艶やかな赤い光沢だ。一口齧りさえすれば、一瞬で汁が溢れて味覚を虜にしてくれるだろう。
……そんな物体が何故、俺がいた場所に転がっているんだ?
「ここに保管されているsafe級異質物、通称『批判的なトマト』や『トマトの審判』と呼ばれるものよ。くだらないジョークにだけ反応して突進している」
「ダジャレを言うのはやめなしゃれ、って——ボバサッ!!?」
マジだ。本当に駄洒落に反応して突進してきた。
さっきと同じ殺人的な衝撃で再び数メートル吹き飛ばされる。だというのに俺は無傷だ。予めこの事態を予期していたのか、肌丸出しであるはずの巫女装束は何らかの加護や術式が働いて守っているのであろう。こんな初見殺しでも対応してくれるのは大変ありがたい。
「他にも目を合わせると執拗に追ってくるだけの銅像や、水銀で構成された化物。それに思考を汚染する猫もいる」
「うわぁ……聞くだけで奇妙奇天烈な存在だ……」
「妾からすればドローンやお掃除ロボも似たような物だとは思うがの……。まあ、そういうわけで無法地帯だ。死ぬほど危険な奴は多くはないが、重症は覚悟しておけ。心身ともにな」
…………
……
「じょ……女装癖ッッ……!?」
「なっ、なんで……?」
約24時間後、結果としては散々な成果で結界迷宮から帰ってきた。どこぞの美しい魔闘家みたいに、顔中腫物だらけの血塗れという完敗っぷりであり、珍しく優しい顔つきでラファエルが献身的な回復魔法を施してくれる。
なんだよ、あの猫。可愛らしい顔して爆弾を持って突進してくるとか神風特攻隊かよ。戦艦ならまだしも、人間一人に対して過剰すぎるだろ。
それになんだ、あの女狐。倒した瞬間に分裂して袋叩きにしてきやがって。尻尾のモフモフが絶妙に気持ち良くはあったけど、痛いものは痛いんだよ。
「……痕にはなってないわよね……?」
「見た感じ腫れてはないけど、内出血してるから肌が青くなってるね……」
「内部の傷は集中力使うんだから、今後は勘弁してよね……」
「……ありばぼ」
謎に香辛料を口内にぶち込んでくる人型の敵もいたものだから、唇もタラコみたいに腫れて呂律が回らない。
本当なんなんだ、あの空間。あれは困難とか以前に理解不能すぎて純粋に探索することすら億劫になる。……恐らくSIDが調査しない理由って、そういうところがあるんじゃないかなぁ。
「皆様、時間も時間ですし夕飯とか一緒にいかがですか? 本日は寒いので、暖まるのに最適なキムチ鍋です」
「ならお言葉に甘えましょうか。偶には鍋をつつきたいし」
「霧夕さん! シメは何ですか?」
「うどんです」
…………ラファエルとアニーは気づいていないが、その献立は間違いなくウズメさんの息がかかっている。今俺は口の中が切り傷だらけなのだから、そういう刺激物はかなり応えるのだが。
『安心せい。いざという時は、妾がお主に憑依して食ってやる』
それただ自分だけが楽しみたいだけですよね。痛覚とか一部の五感を共有しなくていいからと、そうやって依代を存外に扱いやがって。
『丁重に雑に扱っているのだ。大事にしすぎると腐るし、乱雑だと壊れる。人間は脆いよな』
「人間が脆いとか、お嬢様もビックリのラスボスっぷり……!」
「アンタ、急に独り言をしてるけど大丈夫? ついに妄想癖もついたの?」
今は言及しないでくれると嬉しいです、お嬢様。
…………
……
それからは目紛しく回り続ける鍛錬の毎日だった。
起きてから眠るまで、精神統一をしてありとあらゆる生活を送り続ける。常の集中力を張り続けるのはかなり疲労感がすごく、最近では眠ることが一番幸せに感じるほどだ。
遊びの時も制限を設けたりして、動体視力と反射神経を養い続ける。木刀や竹刀を使った稽古も日々苛烈を極めていき、痣が減ることはない。……まあ、増えてもいないからその分成長してるとポジティブに考えよう。
「精神が乱れておるぞ、ラファエル。妾の瞳が黒いうちは見逃さんぞ」
「……今更思うけど、なんで私たちも座禅してるの?」
「ラファエルがレンちゃんを怪我を癒すために来るのも退屈だから言ったから」
「お主も反応するな!」
「これもダメなのッ!?」
…………ふふっ。
「レン、アウト〜」
「ケツカッティン!!?」
年末年始恒例の絶対に笑ってはいけない番組みたいに尻を叩き続けられ、アニーとラファエルと俺は一緒に座禅を組みながら鍛錬へと励み続ける。毎日毎日、楽しくも実りのある鍛錬だ。意外と苦痛にはならずに日々の成長を実感できる。
九十九神という物自体に宿った『魂』という技術は日にちが経つにつれて加速度的に身につけていき、拙いながらも殺陣もできるようになってきた。間合いも身体で記憶して、考えるよりも先に身体が対処してくれる。成長としては文句ない兆候だ。
とはいっても霧守一族の殺陣はあくまで劇画みたいに舞踊として行うものらしく、護身としてはともかく本格的な剣士同士での斬り合いと比べたら実用性がないとウズメさんは言っていたが。
……果たして本格的な剣士とはどれほどのレベルを言うのか。セレサは当然として、エミリオやハインリッヒはどの段階にいるのか。非常に気になるところだ。
やがて———。
「やった! 討伐数1っ!」
12月半ば。今年が終わるのもあともう少しというところ、ついに俺は『結界迷宮』に潜む数々の謎生物……通称『エネミー』を打倒するまでに至った。
「やりましたね、レンさん」
『うむうむ。まだ数がいるとはいえ、ズブの素人が二ヶ月半でよくもここまで……』
「俺って、もしかして才能ある?」
『調子に乗るな。お前なんぞまだまだひよっこ……才能で言えば——』
そこでウズメさんは押し黙った。これも初ではない。長い間一緒にいるのだから、内容について察しはついている。
「……それは度々口にする妖刀を使い熟した『巫女』の話ですか?」
『——そうだ。才能ならば彼奴……『霧吟』に追随するのはおらん』
「『霧吟』?」
霧夕さんの時から少し思っていたが、何ともまあ発音しにくい独特な名前である。
『霧吟は霧守一族が半世紀毎に生み出す神楽巫女という存在の中でも特別に優秀なやつであった。その身に宿した数多の力は妾でも手に余るほどにな』
「そもそも霧守一族って何ですか?」
ここ二ヶ月半も過ごしていて未だに疑問ではある。とはいっても鍛錬にはまるで関係ないので、今まで聞いてはこなかったが……。気になるものは気になるのだ。
何せ『巫女』と『舞踊』することで『アメノウズメ』という存在を祭り上げる一族だというのなら、どうして『妖刀』という物が置かれる必要があるのか。
それこそ世界一優しい鬼退治のように、ある一族が昔に神楽を伝授し続ける約束でもしてなければ、真剣を代々受け継ぎはしないだろう。
素朴な疑問を投げた俺に答えてくれたのは、現在の神楽巫女としている霧夕さんだった。
「霧守一族は今ではアメノウズメ様の加護を得る由緒正しき神楽の一族ではありますが……歴史を遡れば、ある代までは『暗殺一族』と『神楽一族』と両方に分けられていたのです」
「……暗殺、か」
今では一番嫌いな言葉かもしれない。否が応でもスクルドにあった一連の事件について追憶してしまう。
「暗殺一族は『妖刀』を、神楽一族は『アメノウズメ様』を祀っていました。しかしある出来事が起きたことで一族は共存……」
暗殺一族は『妖刀』を祀っていた?
神楽一族は『アメノウズメ』さんを祀っていた?
だけど今の霧守一族はどちらも受け継いでいて、どちらも『魂』を宿すという命題のもとに置かれている。だとすれば……。
「ある出来事って——」
「ご想像の通り、歴代唯一『妖刀』の宿した巫女が誕生した…………つまり霧吟様が妖刀の力を発揮したのがキッカケです」
『正確には妾との両方をな』
妖刀とウズメさんの『魂』をその身に宿した——。
それは二ヶ月の鍛錬の甲斐もあって、すぐさま偉業——いや、不可能にも近いことが分かりきった。
確かに俺だって、いくつかの魂と繋げることはできる。鍛錬を重ねれば、やがては妖刀やウズメさんにも自分から繋げることは可能であろう。それがいつまでかかるかは今は想像しないではおくが。
しかし、その数ある魂を同時に繋げるのは直感的に不可能だとも分かる。ゲームで例えるのも難ではあるが、それはゲームのコントローラー一つで複数のキャラを同時に操作する芸当に近い。例え操作できたとしても、同時操作による負荷でハード自体が持ちはしない。
俺が使い分けるなら、負担軽減のために武器をいちいち付け替えるぐらいでもしない運用できないほどに魂を宿すという行為は簡単にはいかないのだ。そもそもとして魂の数だけ自我が押し潰してくるのだ。数が増えれば、その分負荷は倍々ゲームで膨れ上がるというのに、それを同時に宿すなんて……。
『まあ、一族のあり方そのものを変えるほどの巫女だ。お前がどれだけ図に乗ろうとも追いつくことは不可能であろう。それほどまでに彼奴は才能にも恵まれていた』
「ははっ……確かにそうかも」
そりゃ調子に乗るな、と言いたくなるよな。調子に乗るにしても、もっと実力をつけないと話にならない。俺は話を切り上げて結界迷宮内に潜むエネミー達へと向かっていった。
……だけど結局は一番の疑問については解消されないままだ。
そもそもの始まりとして、なんで『妖刀』があるのか。
そして、なんで『妖刀』が今でも祀られているのか。
『魂』が繋がれば分かるのだろうか。ならば一日でも早く強くなって知ればいいだけのこと。それもモチベにして鍛錬を続ける。
その日、討伐数は3まで行くと迎撃されて帰還することになる。先行きはまだ長い。
…………
……
「雪も降り積もる時期かぁ……」
さらに一週間。ついに12月の三週目。今年もあと二週間もしないうちに終わるし、何ならクリスマスまで一週間もない。
今日までの成果は上々だ。とはいっても今までの繰り返しであり、分かりやすい変化は結界迷宮でのエネミー討伐数が10に到達したことくらい。あとは霧夕さんとの百人一首も何十回に一回は勝てるぐらいには札も覚えたし、位置を覚える記憶力と反射神経が伸びたことだろうか。
今日も今日とて鍛錬を続ける。冬休み直前ということで午前授業となり、霧守神社に頻繁に来るようになったアニーとラファエルと共に精神統一を始める。
二人に一回「この訓練、何か意味ある?」と聞いたことがある。なにせ二人の能力は『魂』に関するものではない。俺ほど効果的な成果は得られないだろう。初日に霧夕さんが「人によって方法が違う」ということも言っていたし。
なお返答は「回復魔法は集中力使うから養える」と「心身が不安定だと制球が乱れる」と真っ当なものだった。俺とは違ってしっかりと自分の能力を理解している。
そしてそのまま共同でレクリエーションタイムという鍛錬もやった。人数も増えたことでやれる遊びも増える。それに伴って伸びる方面も多様性を持って、成長がより一層効率的になった。二人羽織をした際にはラファエルの「あっつ!?」と凡そお嬢様と思えない叫びには吹き出しそうになったのは内緒。
——日々成長してるのが肌身でわかる。
「では、これより『妖刀』と繋がれるかどうか試してもらう」
だから目標がそう遠くないことも肌身で分かった。
目を閉じて心を研ぎ澄ます。目指すは『魂』の境界線。暗闇の底の底にある境界線へと向けて潜り続ける。
目を閉じたからといって急に暗闇に入るわけではない。瞼の裏には光の残滓がこびりついて残像が浮かぶし、そもそも目を閉じただけでは光を完全に遮断することはできない。どんな暗闇でも霞のように蠢く光が浮かび続ける。
しかし、それでも暗闇の底に潜ろうと心を落とせば、今度は暗闇そのものが曖昧となり、まるで万華鏡を見るように閉じた視界は回り出す。クルクルと、くるくると、狂狂と。
まだだ——。『魂』の境界線までは遠い。
さらに心を潜らせると、暗闇の世界により深く色を落とした黒い点が浮かぶ。それらが視界の中央に向けて線で繋がり、その先には光を通さぬ黒い球体が姿を表す。まるでブラックホールのように意識は落ち続け、やがて深淵へとたどり着いた。
もう少し——。『魂』の境界線までは近い。
そこで終着点。これで視界は完全に暗闇に包まれ、外界への情報は全て遮断される。視覚は機能せず、嗅覚も聴覚も意図的に断つ。味覚なんかそもそも必要ない。
機能させるのは触覚のごく僅か、手に持った妖刀の感触だけだ。その奥にある『魂』との繋がりを手繰り寄せる。
意識を一点に集約させて、刀の奥底に眠る『魂』を目指す。
そして見つけた。
闇の中の淡く煌めく輝きを。
今にも砕け散りそうな儚い光を。
これこそが妖刀が持つ『魂』——。
シチュエーションのせいか、俺は『天国の門』を思い出す。
あの時は闇の中に存在する門があって、中からソヤを連れ出そうと必死になっていたよな……。
……と、危ない。今は思い出に耽るほど意識に余裕はない。妖刀のことだけに集中しろ。
——繋がった。
俺の手に、確かに妖刀の『魂』が触れる。
この中には『技術』があって……そしてOS事件の時に起きた現象のように、誰かの『魂』が存在してるに違いない。今一度、あの現象さえ起こせれば……そこでようやく能力の糸口が見えるはずなんだ。俺自身が持つ能力がどのようになっているのか。
魂を優しく撫でて抱きしめる。こうすることで『魂』が俺の中に流れ込んできて技術を教えてくれる。妖刀とは何かをこの身に直に教えてくれる。
くれるはずなのに…………『魂』からの応答がない
……繋がった、はず。
…………繋がった、よな?
何度も何度も確認をする。だけど事実は変わることはない。
——恐ろしいことに妖刀の中に『魂』はあっても『中身』がなかった。
それが何を意味するか。俺はすぐに理解した。
——『魂』が既に壊れていることに。
それは悲しくて切なくて堪らない。初めてラファエルの回復魔法を覚醒させた時、ニュクスを初めて見た時。それらで必ず起きていた下腹部の熱さが、そのまま凍てついたようだ。
……なんで、どうして?
一瞬で浮かんだ疑問を理解する前に、さらに意識を深く潜り込ませて妖刀の『魂』を隅々まで繋げて奥底まで探る。
そこで見つけた。
ガラス細工みたいに粉々になっている『魂の残滓』を。
——これが『魂』の『中身』があったものだ。
俺は大事に残滓を掬い上げて胸の中へと抱きしめる。慈しみように、愛しむように力強く抱きしめ続ける。
すると、残滓から『記憶』が流れ込んできた。
淡く香る花のように意識し続けなければ溢してしまいそうな小さな物。だけど同時に、濃厚で濃密な感情が蠢いていた。
暗くて……暗くて暗くて……。
辛くて……辛くて辛くて……。
苦しくて……苦しくて苦しくて……。
それは、世界に裏切られたある少女の悲しい記憶だった——。