夢を見る。誰かの夢を見る。
——『夢』とはなにか?
——『魂』とはなにか?
……きっと誰かが決めていいことではない。
人によって変わるものというのなら、答えは千差万別だろう。
ある種のエネルギー体かもしれないし、観測できない量子状態の存在かもしれない。あるいは理解できない超常かもしれない。
だからといって決められないからと片側だけを肯定し、残る片側を否定はしてはいけない。両者はともに存在するものだ。理解できないことさえも理解して受け止めなければならない。
同様にこれから見るものも否定してはいけない。見てしまう以上、どんなに理解したくなくても受け止めなければいけない。
それは確かに存在していた者の『記録』でもあり『記憶』でもあるのだから。
これは、ある少女の『魂』が見せた『夢』である——。
…………
……
少女は潔癖だった。極度な綺麗好きという意味ではなく、不正などを悪事を許さないという意味で、少女は常に正しい者でいようと、正しいことを行い続けるという純真で強い心の持ち主だった。
悪に染まることはなく、少女は小さな身体ながらも懸命に村の端から端まで駆けて困っている人達に手を差し伸ばし続けた。
時にはそれを邪険に扱うものもいる。それでも少女は迷いもなく、困り果てた民へと手を伸ばした。それが邪険に扱っていた者であろうと。
だが『正しい』とは何か——。その答え次第では、時には石を投げられても仕方のない身勝手さでもある。
少女は全体で見た『正しさ』ではなく、個人の観点からの『正しさ』を持っていたのだ。救いを求める弱者を助けるためなら、例え相手が自分より屈強な人であろうと抵抗して。つまりは多数や少数を基点とした救いではなく、見捨てられる無辜の救いこそが彼女が持つ本質なのだ。
ならば、その救いには何を求めているのか。
名誉か、金銭か、繋がりか。どれも違う。
——ありがとう。
……その言葉だけあれば、少女には十分だった。
否。それこそが少女が求めている見返りなのだ。
ただ、感謝を——。いや、見せかけや見栄などない裸の言葉を聞けるだけで。褒められようと、罵られようと一向に構わない。
何故なら————。
《霧吟よ。お前もついに神楽巫女となる歳となった。我が一族としての誉れと思え》
《霧吟。あなたは神楽巫女の次期後継者となり、我ら一族の長となるです》
《そうなれば一族の未来は安泰だ。衰退するばかりの暗殺一族はやがて滅び、我らの教えこそが正しいものだと証明される》
《父上、母上。一娘として非礼をお詫びします。——私は神楽巫女となるつもりなどありません》
少女——『霧吟』が身を置く家は、古きより同じ血筋であるはずなのに、信仰の違いで神楽一族と暗殺一族の二つに分かれていた。霧吟はそんな一族の片側、アメノウズメを祀る神楽一族として生まれたのだ。
いがみ合う事情について当時の一族では誰も知らない。ただ、どういうわけか互いに嫌悪を示して今まで過ごしてきた。石を投げられたら投げ返し、河水を止めれたら止め返し、稲を燃やされれば燃やし返す。そんなイタチごっこの繰り返し。
それは正しいことだろうか——。霧吟にはどうしても思えなかった。
どんなに思考を前向きにしても、自分たちに正しさがあるとは思えないし、どんなに思考を後ろ向きにしても、自分たちに非があるのとも思えなかった。それは相手の立場になって考えても同じことだった。
互いの一族は皆が見えない何かを敵対し、その対象を互いの一族に押し付けるように当て嵌めて争っている。それは一族の上に立つ者なら少なからず理解してるはずなのに、何故争い続けるのか。霧吟にはそれが理解できずに今日まで生きてきた。
何が『正しい』のか。何が『間違っている』のか。
それさえも教えてくれない一族に、心底嫌気が差していたのだ。
《ふざけるな! 一族を継がないとはどういうことだ!》
父には殴られ、母には侮蔑された。対して霧吟は何も言い返さず、無防備に暴力を振われるまま考え続けていた。
その気持ちも分かるからだ。霧吟は神楽巫女として、今後生まれることはないであろう類稀なる降霊術に適した肉体と精神を持っていたのだ。
一度少女に憑依した『魂』は、瞬時に技術という技術を全て少女に継承する。それには際限がなく、名医を憑依すれば名医になり、剣士を憑依すれば剣士になり、神を憑依すれば神になる。死者が憑依することで完全なる生者となる。
完成し尽くされた降霊体質。果たしてそれが霧吟だけの突然変異なのか、末代まで続くことを約束された精錬なる血なのか。
それを少女の戯言一つで、一族が野放しにするわけなどあるはずがないのだ。
《……ならば継ぎます。ですが条件があります》
《条件とな?》
《——今代で一族同士の争いはやめさせます》
《できるわけがないだろう。過去にも戯言を言った長はいたが、アイツら拒み続け殺した。そんな無責任なことはさせん》
《私が当主になる以上、私が全責任を背負います。過ちを犯したなら私の首を刎ねればいい》
見るに痛々しいほどの傷を負いながら少女は涙どころか、怒りや悲しみさえ見せずに超然とした態度で告げる。
信仰すべきアメノウズメをその身に宿していないというのに、威風堂々とした佇まいは何なのか。我が子であるはずなのに、父には霧吟が本当に実の娘なのかと錯乱してしまいそうなほどに威厳に満ちている。
《……本気で言っているのか?》
《娘の考えより神楽一族の教えが正しいというのなら、今すぐにでも》
——つまり、ここで殺されるか。当主となって殺されるか。
それを十代の折り返しにも満たない少女が覚悟を胸に告げている。その覚悟を無碍にできるほど父と母は冷酷ではない。だが、信仰を捨て去るほど意思が弱いわけでもない。
重苦しい時がすぎるのを虫だけが知らせる。やがて霧吟でも父でもなく、静観していた母が沈黙を破り告げた。
《……アメノウズメ様より神託を授かりました。我ら一族は了承しましょう》
……少女は虚しさを覚えた。母からでも、父からでもなく、神楽一族が祀るアメノウズメからの言葉。
一族としてなら誉れであろう。だが家族としてはどうだろうか。娘の言葉は、信仰する神よりも軽いと言うのか。
《だが暗殺一族がその言葉を潔く受け止めると思うか? 方法があるとでも言うか?》
しかし了承されたのなら、それでいい。
少女の思いと身体一つで、今代で一族同士の無為な争いを止められるならば喜んで差し出そう。
少女は目を閉じ、淡々とその方法を告げる。
《決まっております。神楽一族がアメノウズメ様の言葉が絶対であるように、暗殺一族もまた絶対となる信仰があります。ならば——》
——妖刀共々、この身に両一族の加護を宿すだけのこと。
……
…………
——見たな。
——また貴様か。
——今度は逃がさん。
…………
……
妖刀にある残滓の『記憶』——。
それを見ていた中、突如として異様な気配を帯びた何かが、俺の意識に割り込んできたのを感じた。
「まずい……っ!?」
意識を浮上させようとするが、重りがついたように意識が闇の中に定着して動かない。眼前に潜む謎の存在は闇の中で輝きを放ち、こちらを睨みつけるように輝きを向ける。
おかしなことに、その輝きは光ではなく闇だ。『闇が輝いている』という表現以外には形容しようがない輝きが、本来ならば虹彩の認識を正常に狂わせるだろう。しかしここは『魂』だけの世界。身体を襲う害は起こることはない。
だが、逃げなければマズイことはわかる。何せ、コイツは今まで繋げていた妖刀の『魂』とはまた別の『魂』だ。
逃げようにも意識は浮上せず、動こうにも闇の中では相手の正体も把握することができない。得られる情報はただひとつ、人を狂わす闇の輝きだけ。
だというのにコイツと出会ってのは初めてじゃない。そう確信できる嫌悪感と既視感があった。
そしてこの感覚もそれも一度だけじゃない、二度会ったことがある。二度もコイツの感覚を覚えている。
一度目は、方舟基地から南極へとワープする直前にあった『謎の輝き』——。
二度目は、ソヤを救い出そうと手を伸ばした『門の向こう側』——。
「だとしたら、コイツは……っ!!」
——『あの方』だ。ハインリッヒが偶に口にする『守護者』という括りに縛り、ソヤを『門』へと誘い、アニーを『因果の狭間』に7年間も閉じ込めた元凶だ。
どうする、どうすればいい——。
この状況下では有効打がない。ハインリッヒと会った時は『因果の狭間』に閉じ込められ、俺が持つ謎の力で脱出できた。ソヤの時は『門』の中に手を入れて無理矢理に引っ張り出した。
だからコイツと真正面とぶつかり合うことは一度たりともなかった。手を伸ばしても『門』の時みたいに閉ざす物がないし、ここは『因果の狭間』とも違う。今まで会った時と状況があまりにも異なる。
迎撃の糸口すら掴めず、輝きは一瞬だけ揺らぐと、正体不明の衝撃が俺の意識に襲いかかる。それはどんな表現で言っても言い表せない、不快で不可思議な攻撃だった。
ただの人間では味わうことは決してない衝撃の数々。理解してしまえば一瞬で理性が吹き飛んでしまうだろう。
理解できずとも絶え間なく襲い続ける衝撃は、俺の意識は少しずつ削り取っていく。足先から少しずつ鑢のように粉微塵に削り取っていき、今にも消えてしまいそうだ。肉体の感覚がなくなっていき、胴体も頭部さえも————。
だめだ。
これいじょういしきがたもてない。
もうかんじられるのは、てにある『ようとう』だけ。
……くらい。こわい。せまい。
ここはあまりにもさみしい。
くるって、くるって————。
くるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくる狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂
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——刹那、握られた『妖刀』の感覚が消えた。
——代わりに感じるのは、小さくも温かい『誰かの手』。
——それは優しい手つきで俺の両手を包み込んでくれた。
「……誰?」
この場にいるのは俺とアイツだけで、ここは『魂』だけが潜り込める意識の底の底。ここに介入できるのは同様に『魂』だけだ。誰かが介入できる余地なんてないはず。
——いや、一つだけある。この場における『魂』は。
——それは、妖刀にあった『壊れた魂の残滓』だ。
手の先から伝わる温かさで、意識は急速に戻って暗闇の中にいるもう一つの存在へと意識を向ける。
——そこには、見覚えのある少女がいた。
——記憶にいた少女と瓜二つの姿が、そこにはいた。
少女は刀に手を添えて息を整える。
溢す息は薄く、鋭く——。そして穏やかに。
まるで芸術を見るようだ。一連の動作に無駄がない。
危機的状況であるのに関わらず、迫り来る輝きの威圧は既に劇画の一幕としか思えないほど他人事だ。危機感など起こらず、ひたすらにその光景が瞳に焼き付く。
瞬きなんかしていなかった。
だというのに、少女の姿が霞んだ瞬間————。
「————『逆刃斬』」
糸が解かれたように、輝きは綺麗に二つとなって裂き崩れた。
塵となって崩れる様の『向こう側』には、少女は何事もなかったように自然体のまま、その背中を俺に見せる。
これは瞬きさえも許さない超高速の——。
——いや違う。『超光速』の『居合切り』だ。
『抜刀』と『納刀』が見えなかったんじゃない。
一連の動作がすべて『同時』に起きたと錯覚——違う。認識——もっと違う。
事実だ。『抜刀』から『納刀』までの一連の『居合』という動作すべてが、ただ単純に寸分の違いもなく『同時』に熟す絶技。人間技では到底辿り着けるはずがない『魔法』にも等しい一閃。
だが分かる。どうあれ今まで修羅場を潜り抜いてきたからこそ、感覚で確信が持てる。これは『異質物』でも『魔法』でもない。
少女が行ったのは、ただの人間では到達不可能なだけの『技』にしかない過ぎないということを。
脅威は過ぎ去り、暗闇に沈黙が訪れる。
流れる沈黙の間さえ、少女の気品ある佇まいを見ると『騒音』だと錯覚するほど雅で神秘的だ。
俺は緊張のあまり唾を飲み込む。それはやけに煩く聞こえ、呼応するように少女はようやく俺と視線を合わせてくれた。
改めて知る。病的なまでに白い肌に、細くしなやかな腕。身長なんか俺よりもどう見ても低く160にも満たしてない。
だというのに、少女が持つ雰囲気は幼い見た目に反して凛としたものだ。細く淡く艶やかであるはずの背筋は年季が感じるほどに逞しく、そして力強く、外見より遥かに年上に見えて仕方がない。
そして、その姿見を俺は知っている。先ほどまで妖刀を通して見えた『記憶』にいた霧吟という少女であり、何より夢で見た人物と一緒だ。刀を抱きながら、弱々しく祈りを捧げた少女であるはずなのに——その風貌はどこにもない。
そんな奇妙な感覚に俺は、ただこう言うしかなかった。
「君の名は——?」
その問いに、少女は目を伏せて一考すると——。
「……『ギン』。それが、この身の名じゃ」
成熟した老人のような振る舞いで、その名を告げた。