——頭痛がしない。
——なんて健やかな目覚めなんだ。久方ぶりかもしれない。
「——ぴゃぁあああああああっ!!?」
……だったのに、開口一番頭を突き刺す霧夕さんの絶叫が届いてしまったら頭痛を引き起こすしかない。除夜の鐘にはまだ半月ほど早いというのにこの高音は脳を揺らしまくる。
なんだ、俺は意識を覚ますたびに頭痛にあう運命にあるのか。だとしたら診断書を貰わないといけない。具体的な症状に関しては全く詳しくはないから何も思いつかないけど。
……って、『意識』を覚ます?
その言葉で今度こそ意識は覚醒した。
そうだ——。俺はさっきまで妖刀の『魂』に触れていて、ある少女の『記憶』を垣間見ていた。そしたらハインリッヒが言う『あの方』と思われる存在と対峙したんだ。
そして……記憶にいた少女と瓜二つの『ギン』と名乗る少女に助けられたんだ。そこで『魂』との繋がりが絶たれて戻ってくることになったんだ。
「なんじゃ……急に耳障りな声を出しおって」
だというのに、何でギンの声が聞こえてくる? ここは『魂』だけの世界ではない。視界は閉じたままだが生身の感触はあるし、何より先程霧夕さんが甲高い叫びを上げてくれたことが、ここが現実の世界であるという証拠だ。
ならば何故——? すぐさま俺は目を開いて声がした方へと視線を向ける。
「おっ、お主も無事で何よりじゃ」
そこには、先ほど同じ姿見で立つギンの姿があった。
相も変わらずに見た目は少女だというのに、その風貌と口調は老人のように静かだ。こちらの安全を確認して浮かべる笑顔は年相応の可愛らしいものではなく、歳を重ねた包容力に満ちたものだ。
とてもじゃないが同年代とは思えない。今まで会ったことがないタイプだ。本来なら高嶺の花すぎて、近寄り難いなんてものじゃない。そう、本来なら。
……どういうわけか、俺はこの少女に未だかつてない親近感を覚えるのだ。何よりもこの親近感、近しいものを感じたことがはずなのに、今まで求めていた気がしてならない。一体本当にどういうわけなのか。
「……小娘」
「え、何ですか?」
だから綺麗と可愛さを兼ね備えた見た目に緊張感を持つこともなく、ごく自然体のまま受け答えができた。
少女は雰囲気を変えて、とても和服を着た女の子がしちゃいけないガニ股……有り体に言えばヤンキー座りや、うんこ座りと呼ばれる姿勢で俺と目線を合わす。
「今は鎌倉時代か? 江戸時代か? それとも……小耳に挟んだ大正時代とかか?」
「…………今は、年号なんてないです」
「…………年号がァ!? 年号がなくなっているぅ!!?」
思考の片隅で「そんな反応取らないかなぁ」とか期待してたら、寸分違わず想像通りの反応示してくれた。意外とこの人、分かりやすい一面もある。
しかし話を戻すが、今世では年号というものは残念ながら七年戦争を境に撤廃されてしまっているのもまた事実なのだ。
元々年号自体が第五学園都市である新豊州の旧名『日本』でのみ使われていたこともあり、そういう細かい文化は他国民を数多く受け入れるために無くすしかなかったのだ。下手に残すと遺恨を生み出してニューモリダスみたいな銃社会や、マサダブルクの宗教の違いによる頻繁なテロ活動などが起こってしまう。
だから今は歴史を刻んでいるのは世界共通の『西暦』だけだ。今は西暦2037年、それ以上でもそれ以下でもない。これに関しては世論の都合なのだから是非もない。
「銃が今の世でもあるのか? 豊臣秀吉が刀狩を試行したように、銃狩りなど起きなかったのか? 何より旧名が日本とはなんだ!? 下総、琉球などではないのか!?」
……なんてことを口頭で説明したのだから、焦っている口振りとは裏腹に興味津々で堪らない表情で少女ははしゃぎ続ける。
一変した爛々と輝く瞳は、初めて南極で階段の素材を見て興奮していたハインリッヒの瞳と似てなくもない。
唯一違う点があるとすれば、未知に対して期待を持っていることだろうか。その瞳に、恐怖や不安なんてものはない。
「こうしてはおれん! 久しぶりの現世じゃ、儂の目で直々に新豊州というものを渡り歩いてくれようぞ!」
「って、ちょいちょいちょい!! ギンさん!? 突拍子ですし鞘走り過ぎですし何より服! それだと寒いですよ!?」
まるでゲリラ豪雨のように突き進む『ギン』と名乗る少女。俺は慌てふためきながら、その後ろ姿を追うしかなかった。
……だから、この時の俺は急すぎる転換に、起きていた事象について一切気づかなかった。
「……よ、妖刀が砕けて……女の子が出て……?」
レンがいなくなってすぐ、霧夕は悲鳴の対象となる『妖刀』へと視線を下ろしていた。彼女の視界に映るのは、鉄屑どころか鉄粉となって散乱する『妖刀であったはずもの』——。
レンが意識を取り戻す直前、謎の光によってそのような無惨な姿に変えられ、代わりに中から問題となる『ギン』という少女が出現したのだ。
「それに……あの姿は伝聞通りなら……」
しかも、その姿見はレンと同じく霧夕もある疑念を抱いた。当時は写真もないため、口頭による言い伝えでしか身体の特徴を把握してないとはいえ、その隠しきれない神聖な雰囲気に霧夕はただ萎縮するしかなかった。
『間違いない、あれは『霧吟』だ。……小僧がギンと呼ぶのが釈然とせんが、見た目については妾が保証する』
対してアメノウズメは冷静に現状の把握をし、霧夕が思っていることを淡々と認めた。
『……ただまぁ一つだけ言うとすれば…………』
だが当人としては思うところがあり、息が詰まるような長い沈黙の後、心底怪訝そうに吐き捨てた。
『——何しに来おった、あの『クソ爺』が』
…………
……
「なんと……物見櫓が並んでおる……」
「ただの高層ビルです」
「ならば、より大きな高層びるという物はなんだ?」
「新豊州UDXです」
学園都市成立前までは秋葉原UDXというらしいが、そのことを古人であるはずの少女……ギンに伝わるわけがないので口にはしないでおく。
「そうか……。よもや百年ほどでここまで様変わりするとは……文明開花の音とはよく言ったものだ」
「百年って……昭和時代の人ですか?」
「いやいや、儂が生まれたのはもっと前じゃ。鎌倉時代と呼ばれておる時代じゃよ」
「鎌倉っ!?」
えっと……何百年前だ?
令和から遡って平成、昭和、大正、明治……なんか色々区分されてるけど統括して江戸、桃山…………。えっとえっと……戦国で——。
——って、戦国時代よりもっと前!?
あの織田信長とかを筆頭とした武将の数々が生まれるよりも前じゃん!? 軽く500年以上前の人だよ!?
「がはは。その様子からして驚きを隠せないようじゃのう。まあ、こんなうら若き乙女の実年齢が裕に1000を超えておるのだから仕方あるまい」
「すごいナルシストですね……」
「なるしすと〜? なんじゃ、そのハイカラな言葉は」
「俺からすれば『ハイカラ』なんて言葉の方がなんじゃです」
今時ハイカラなんて言葉を使う輩は、ナウくてヤングでトレンディを行く人ぐらいだよ。
「しかし……こうも見るものばかりだと悩むのぉ。それに匂う、臭う、非常ににおう……」
そりゃ平日のお昼の真っ只中だ。新豊州を支えてくれる労働者達の汗臭さは例え屋外であっても気になる人には気になるだろう。……いくら昔の人が身体を清めるのに数日に一回とはいえ、身なりもしっかりとして綺麗な女の子だし、そういう面は相当気にして……。
「……食欲をそそる臭いが! この芳しさは……蕎麦じゃな!」
「そっち!? というか早っ!?」
目を離した隙に彼女は忽然と消え去り、可愛らしくも中性的な声だけが耳に届く。その声を頼りに視線を移すと、駅前入り口の立ち食い蕎麦屋で既に注文しようとしていたギンがいた。
……明らかに人外染みた動きをしたというのに、何故にどうして周りの人達は無反応なのか。それだけ現代人は周囲に無関心なのか、それとも先程目の当たりのした『抜刀』と同様に、ギンには底知れない強さがあるとでもいうのか。
「店主よ、山かけ蕎麦を一つ頼む!」
「あいよ、嬢ちゃん! 隣の嬢ちゃんは何にする?」
とりあえず追いかけたところ、同伴と思われたらしく髭剃り跡が濃い店主に注文を催促された。ちょうどお腹も減ったいたし、少し遅い昼食として奮発しようか。
「えっと……俺はかき揚げ蕎麦に海老天を乗せてください」
「儂の蕎麦は大盛りで頼むぞ!」
「元気があっていいねぇ! 英気を養うために、菜の花を使った和物もサービスしとくよ!」
「気前が良いのぉ。何か良いことでもあったのか?」
「だって女の子なのに『俺』と『儂』……しかも和服と刀とかいう非常識さ。さっき見た露出過多な金髪の姉ちゃんといい、今日も何かのイベントがあった感じだろ?」
「あはは……まあ、そんな感じです」
確かに俺とギンは着物で、ギンに至っては刀を腰につけてる。普通なら警察沙汰だが、ガタイの良い親父店主さんが何とも楽観的なことな捉え方をしてくれて助かった。商業区の一つであるUDX近辺はイベントが週一以上はあり珍客が絶えることがないのが幸いしてる。
「——上手い! 上手い! 出汁に茶と鴨の深みがあって良い! 和物も……わっしょい!」
「おっ、出汁の味が分かる口かい? 若いのに舌が肥えてるじゃないか」
「こうなると酒が欲しくなるが……貰ってもよいか?」
「分かるが、流石に未成年には飲ませらんねぇだ、すまないねぇ。代わりに甘酒なら出せるぞ?」
「ならば甘酒で頼む」
そんな中、俺は海老天を頬張りながらスマホに目を通す。気になることがあるからだ。
……やっぱり。『ハイカラ』なんて言葉は大正時代に流行したものだ。それに霧守神社で口にした『銃と今の世にある』ことと『豊臣秀吉の刀狩』……これらは14世紀から16世紀までの出来事だ。
つまり、どちらも『鎌倉時代より後に起きた』出来事だ。ギンの言葉が本当なら、12世紀である鎌倉時代に生まれた彼女が、この言葉を知るはずがない。
だけど……疑問はまだ尽きない。ギンの見た目は『妖刀』を通してみた記憶と、俺の夢で見た少女の姿の瓜二つだ。同一人物と言っていい。それなら彼女は『霧吟』であるはずなのに、ギンが持つ雰囲気は両方の記憶で見たものと明らかに違う。
それにウズメさんの言葉を思い出す。『妖刀』を力を呼び起こしたのは歴代でも一人だけであり、それが『霧吟』ということ。そして、こうも言っていた。
——《江戸時代の話だ。もうおらんし、お前が気に病む必要はない》
……ギンは『鎌倉時代』の人間であるはずなのに、霧吟は『江戸時代』の人間ということ。仮説で浮かぶとすれば霧守一族は降霊術があるのだから『情報』が読み取ったという線。しかし、それはあくまで『過去』であれば話だ。今ここにいるギンは『鎌倉時代』の人である以上、それより未来である『江戸時代』に対しての知識が得られることは到底思えない。
……もしもさらに飛躍した発想をして強引にこの問題をこじつけたとしても、それなら『ハイカラ』という『大正時代』の言葉はどこで知ったという問題が起こる。
しかも……何故、あの場面で『あの方』が出てきた——?
俺はただ『妖刀』の記憶を見ていただけで、どうしてアイツから干渉するように仕向けてきた? 理由が分からない。それにギンのおかげで窮地は脱したとはいえ、アイツがまた出てこないとは限らない。次の対策も考えないといけない。
疑問だけが募っていく。腹は満たせても、心の余裕は生まれない。食事が進むのが遅い。俺が蕎麦を食べ終わる頃には、乗っていたかき揚げは汁を吸いすぎて崩れていた。
ちなみに支払いは全額俺持ちだった。……いや、まあ想像してたけど。
…………
……
結局、疑問は解消される糸口さえ掴めずに新豊州巡りは続いた。
古人にとって現代とは刺激の連続らしく、ギンはこれでもかと楽しそうにゲームセンターでメダルスロットをフィーバーさせたり、本屋では「アイツ、書籍を当世まで残す大物になったのか」と感慨深くしたり、釣具屋に入ったら「何故魚を釣るのに、ここまで複雑にする必要があるんじゃ」と文句垂れたり、極め付けには自動販売機から飲み物が出てくることに「妖怪か?」と警戒心を露わにしたりと、当人なりに現代を満喫したご様子だ。
「色々と見て回ったが、こうも視界がうるさいと流石に疲れが溜まる……」
分かる。分かりみが深い。
現代社会は色々と多様性に満ちすぎていて、一見しただけでは何が何だか分からない店が多すぎる。中古ショップは古本、機材、ゲーム全般。家電量販店は自転車、ゲームセンター、本屋も完備。場所によっては区域の図書館も兼ねていることもある。慣れたからいいけど、俺も最初の頃は把握するまで気苦労が絶えることがなかった。
さっきまで色々なお店を見て回って、それでもまだ目移りする光景を初めて見るんだから、そりゃもう疲労感は尋常じゃないだろう。横目で確認するだけでは本人はまだ瞳を輝かせて周囲を見ているが、これは子供の空元気みたいなもので一気に急降下する。俺自身体験したことがあるから断言できる。
「おっ……おっ? あれは……銭湯か?」
ギンが指を指し尋ねてきた。俺はその指先を追うと、そこには『湯』と暖簾を掲げたお店が一軒。気になることがあるので、試しにスマホで店について調べてみると……。
「……銭湯っすね。それもスーパー銭湯」
「すーぱー、とな? ……すごい銭湯というが、何がすごいのだ?」
ここまで様々な英単語を教えたから、発音はともかくギンもある程度は横文字系の意味を把握してくれるから説明が省けて助かる。
……まあスーパー銭湯って言われても、何がスーパーなのか分からないよね。だけど、それは俺もそうなんだ。『スーパー』というが、それが普遍化してしまったら既にそれは『スーパー』ではなく『ノーマル』なのだ。どこから説明すれば俺も悩んでしまう。
「ジャグジー、岩盤、サウナ、電気風呂……とか聞き覚えあります?」
「……? …………???」
やっぱり口頭で説明しても伝わるわけがなかった。珍妙な顔を浮かべてギンは俺の話を聞くが、どう見ても耳から入って耳から出ている。
「……休憩も兼ねて行きます?」
「行こうっ!!」
大変元気な返事で肯定してくれた。であれば、こちらも思うところはあるとはいえ無視するわけにも行かない。仕方なく、俺は銭湯へと向かうことになった。
二名分の利用料金を受付で支払うと、続いて券売機でバスタオルとフェイスタオルも二枚ずつ購入。ついでに入浴後のバスローブも二人分買っておけば準備完了だ。後は浴場に行くだけのこと。
「なんだなんだ。突然歩幅を縮めよって」
「いや……ちょっとね」
…………とはいっても気後れしてしまうところはある。
女の子になって半年。最初ほどにないにしろ、自分の裸体を見ることも未だ恥ずかしい男子にとっては、他人の裸を見るのは非常に躊躇してしまう。
そりゃ初めてではないよ? 御桜川での体育の授業をする時にみんな着替えるさ、不可抗力で見ちゃうさ。でも着替えるの面倒だから、予め制服の下に体操服着てくる女子はいるし、俺やアニーも体育が一限目や二限目にある時は実際そうしてる。だから実際に無防備な裸体を見る回数自体は非常に少ないのだ。免疫力なんてできるわけがない。
唯一慣れてるとすれば、イルカの裸ぐらいだ。出会った当初はお風呂に入る知識さえなかったから一緒に入っていたけど、それだって使命感があったからだし、そもそも子供だ。そういう対象に見るのは不可能だ。
「……落ち着け。これは仕方ないんだ、女の子だから女湯に入るのがマナーだ。決して如何わしいことはない。正当化もしていない」
それに時間帯も時間帯だ。利用客も多くないだろうから、視界に入るのは少ないだろうし、仮に見ても叔母様方ぐらいだろう。意識してれば恥ずかしいなんて思うことはない。今こそ霧守神社での精神統一の成果を見せる時だ。例え鼻の下が伸びきっているのが分かっているとしても。
「……って、ギン?」
と、意を決して女湯の暖簾を潜った矢先、後ろから付いてくる少女の気配が一切ない。気になってロビーまで戻ってみると、珍しく放心としながら男湯と女湯の待合場所前で立ち尽くすギンの姿があった。
「どうしたの?」
「いや、どちらに入るべきか悩んでおってな」
手渡していたタオルと着替え一式を両腕に抱えながら、ギンは男湯を見ては溜め息を吐き、女湯を見ては頭を掻く。
……もしかして文字が読めないとか?
確かにどちらの暖簾も達筆な出来栄えだ。しかし、それでも読めるものは読める。だとしたら昔では『男』と『女』ではなく、何か別の表記で分けられていたのだろうか。決してないだろうが『雄』と『雌』みたいな違う漢字で。もしくは男女の区分けが無かったか。
「あの……暖簾の文字は男と女って書いてあって、今俺がいる方が女の子が入る浴場ですよ?」
昔は色でも分かりやすくされていたが、当世では男女平等の影響で暖簾の基本色は白で統一されている。それも悩ませる一因なのだろうか。
「それは分かっておるよ。儂が悩んでおるのは根本的な部分だ」
——根本的な部分?
と一瞬だけ頭の中で疑問に思った時には、ギンは勿体つけずに核弾頭級のトンデモナイ発言が飛び出してきた。
「……儂、見た目はこれでも『男』なんじゃ」
「——ゑ?」
え? えっ? えっっ???
…………ゑ? ゑっ? ゑっっ???
「えぇぇええええええええええええええ!!?!?」