とりあえず現在は11節は完成済み。12節は執筆中とまだまだストック不足なので、次回も一週間後になります。
「お待たせしました、こちら湯上り御膳三人前となります」
……場所は先程と変わってスーパー銭湯内の食事処。そこで俺とギンとハインリッヒは座敷に腰を据えて食事を共にする。こういう場所にしては珍しく個室であるが、これは昔起きたあるウイルスによる影響の名残りらしい。おかげで他人に話を聞かれる心配もなく話題ができる。
だってね、どんなに真剣に話し合ってもさ……風呂場で裸で話し合うなんて絵面締まらないじゃん? いや、今も三人ともバスローブ着て食べながら話すのも絵的におかしいけどさ……。裸で言い合うよりはマシじゃん? それに大衆浴場だから個人的なことで騒ぎを起こすのもマナー違反じゃん?
それを二人に伝えたところ——。
「それもそうじゃな。飯でも食いながらの方が有意義というものよ」
「マスターのご提案なら喜んで」
と意外にもすんなりと受け入れて今に至る。
……ちなみに食事代は全てハインリッヒ持ちだ。俺が言い出したことだし、俺が持つと言ったのだが、本人曰くサモントンの『随行員』としての仕事、SIDの『研究者』としての仕事で、所持金が腐るほど有り余ってるらしい。ハインリッヒ自身も購買欲とかには無頓着と口にしていたし、俺には嘘は基本言わないので、お言葉に甘えて食事を頂戴することとする。
「……さっき言っていたことは本当なの?」
改めて話は戻り、俺はハインリッヒに目を合わせて真剣に聞く。先程の言葉は冗談ではないかの確認だ。思い出すのは聞き逃してはならないあの単語——。
——あなたと同じ……『守護者』ですよ。
……これが意味するのは、つまり今目の前にいるギンはハインリッヒと同じ『因果の狭間』で囚われていたものの一人を意味し、何かしらの特異的な状況において拒否権もなく『あの方』に使役される哀れな従者ということになる。
……こんな飄々とした人が? とてもじゃないが信じられない。それが本当だとしたら、想像しなければいけないことが一つある。
本当に『守護者』だとしたら——。
彼女は、いや彼は……ギンは——。
いったい『何百年』あるいは『何千年』……。
あの『因果の狭間』にいるんだ——?
「……残念ながら知らんとしか言えん。だが同族が言うのだ、きっと儂はその『守護者』というものじゃろう」
「なるほど……」
「それで納得しちゃう!?」
「ええ、まあ……。嘘は言ってるようには感じませんし……」
意外だ。明確な答えを出さない限り、てこでも動かない研究者体質のハインリッヒがこんな曖昧な返答を受け入れるなんて。
「不承不承ながらも、わたくしも長い間『あの方』に仕えていた身。悪辣な手を使って縛り付けてくるのは分かりきっているので……。おおよそ『守護者』となることさえ伝えずに、ギンさんを手中に収めたのでしょう」
なるほど。ハインリッヒの中では想定内だっただけの話か。
確かにアニーを無理矢理『因果の狭間』に押し込んだり、ソヤ曰く「門を開けさせようと誘惑してくる」的なことも言っていたし、やり方が狡猾なことは俺でも想像できる。
「…………『あの方』とは、あの珍妙な『魔物』のことを言ってるのか?」
「ええ、互いの認識に相違がなければですが。『あの方』は人智では計り知れない存在……姿形は捉えることができず、状況によってその有り様は如何様に対応するため、明確な共有はしにくくはありますが」
「ならば間違いはあるまい。儂も彼奴には苦労しておる……。何度斬っても意味がないのでは、こちらも流石に萎えてくる」
「……今なんて言いました?」
「流石に萎えてくる、と言った」
「その前です。聞き間違いでなければ、あなたは『何度も斬った』と仰いましたか?」
「おう、言ったぞ」
さも当然のようにギンは認めた。その言葉について嘘は言っていない。俺は一度だけとはいえ、その『斬った』瞬間を目の当たりにし、それによって『あの方』からの突然の襲撃から守られたのだから。
「……マジか」
それが錬金術師であっても理解し難いのか、世俗に染まった驚愕を零した。
「……マジか」
あまりの驚愕からか、二度それを口にした。
「……どういう理屈かは皆目検討もつかないのですが、どのように?」
「いや、そこにおったからスパッと」
「…………この件は一度置いときましょう」
あのハインリッヒが匙が投げた、だと……!!?
「マスターからはギンに聞きたいことはありますか?」
「ええ!? ええと……色々あるんだけど……それよりも前にハインリッヒに聞きたいんだ」
「わたくしにですか?」
「うん。どうしてギンが『守護者』って分かったの?」
「簡単ですよ。方舟基地でわたくしが出現した時と同じ反応をSIDが捉えたから。それだけでは『魔女』あるいは『ドール』の誕生であること可能性もあったので、こうしてわたくし自ら現地に赴いて確認を……という感じです」
「なるほど……」
「ですから最初に霧守神社へと向かい、色々と状況を纏めて……こうして見ることで初めてギンが『守護者』であることが分かりました」
「実際にわたくしと状況が似ていましたし」と補足をしてくれる。
……そういえば気が動転してて考える余裕もなかったが、俺が手にしていたはずの妖刀がなくなっていたな。
ハインリッヒの言う通りなら、方舟基地で俺が青金石柱を壊したことでハインリッヒが出現と同様に、妖刀を俺が壊したことでギンも出現した……と考えるのが自然だ。
…………あれ? また壊してない?
青金石柱、未遂とはいえイースターエッグ、エメラルドと続いて今度が妖刀と家宝ブレイカーの道を極めていってないか?
……今は考えないでおこう。
「じゃあ、次はギンに聞くんだけど……ギンが言う『魔物』に対して知ってることはどこまで?」
「うーむ……。斬れる存在……ということと、理由をつけては現世に呼び出そうとする傍迷惑なやつよな。なんか小難しいことは言っておったが……最終的には儂の気に食わない輩を一人残らず斬り伏せておくだけでいい、とか扱いには困っておったの」
つまりは多くは知らされず、『守護者』としての役割だけは全うしていた……ということになるわけか。
「次に聞くんだけど、『魔物』は斬ったらどうなるの?」
「大して意味もない。一時的に退けるだけで『魔物』自体が死ぬことは決してない。時が経てば執拗に追ってくるであろう」
……やっぱりアレだけだと対処し切れてないんだ。そう遠くない未来にでも、また襲撃されることを考えないといけない。
「最後に聞くんだけど……どうして『守護者』になったの?」
「————っ」
途端、ギンは押し黙ってしまった。
話したくないという雰囲気ではない。むしろ話すべきかどうか悩んでる。だけどその悩みは本人はかなり重要なのだろう。みるみる眉間の皺が深くなっていく。
「ごめん、聞かなかったことにしといて……」
「いや、よい。……これも数奇な運命な一つじゃろう」
そこでギンは肩の力を抜いたかと思えば、今までの飄々とした態度は消え去り、初めて会った時と同じ神聖な雰囲気を纏いながら告げた。
「『守護者』となった理由——。それを知るには条件がある」
「条件……?」
「単純な話よ」とギンは言いながら人差し指を俺へと向けた。
「———-儂から一本取ってみろ」
…………
……
場所は変わり、再び霧守神社の道場。そこで俺とギンは対峙する。
「ハンデありの一本勝負。よろしいでしょうか」
審判は霧夕さんが引き受けて、この勝負の内容を復唱する。観戦者はどこかにいるであろうウズメさんとハインリッヒの二人だけ。静寂が道場の空気を重くて息苦しい雰囲気へと様変わりさせる。
ルールはハンデありの一本勝負——。制限時間帯に相手から一本取るだけのシンプルなものだ。問題はそのハンデの内容にあった。
俺は竹刀だというのに、対してギンは『素手』であり、俗に言う徒手空拳という状態だ。そしてギンはたった『一手』しか攻撃できず、さらには制限時間内の『終了10秒前』にしか許されない。
最後に、制限時間を超えた場合は無条件で俺の『勝ち』になること————。
……こんなのが勝負になるとでもいうのか? 俺自身、剣の腕はこの数ヶ月でかなり効率的に伸ばしてきたとはいえ、数多の『魂』から技術を教えてもらっている以上、達人には程遠いのも分かりきっている。同じ条件ではギンには万に一つの勝機もないだろう。
だとしても、あまりにも条件に差がある。素手と竹刀では間合いの差がありすぎる。もちろん懐に入られたら素手の方が当然強いのは分かる。だけどギンが攻撃に入れるのは最後の10秒だけの一手だけ。それまでは懐に入ることはできても有効打がない以上は、俺が防御に回るのはその十秒だけでいい。勝つためなら10秒間逃げればいいし、逃げ切れなくても、その一撃を有効にしなければ結局は俺の勝ちだ。
……これではそもそも勝負にならない。俺にはどうしてもギンが『負け』に行ってるようにしか見えない。
だというのに、俺の心臓が鼓動を早めて警鐘を鳴らす。竹刀に眠る『魂』も呼応するように、心の中で確信が広がり続ける。
———ギンが勝つ気がしてならないと。
「それでは、試合始め!」
開始の宣言とともに俺は「よろしくお願いします」と礼節を口にする。この数ヶ月で何度も行った稽古の地続きだ。相手には礼儀を弁えないといけない。
だがギンは違った。礼節なんて知らんと言うように、こちらを見つめ続ける。その視線は『試合』に挑むものじゃない。明らかにその先——『殺し合い』をするかのような冷徹な目をしていた。
「…………期待、外れかのぉ」
途端、ギンは身体中から戦いの気配が消えた。
……違う、消したんじゃない。感じ取れないんだ。
ありとあらゆる感情が煙が焚かれたように朧げで分からない。構えも取らずにこちらの動きを待ち続けるその姿勢は、果たして何を考えているのか。
分からない、分からないけど……どうせ攻撃しなければ何も始まらない。
一歩、踏み込んだ。だけどそれは予備動作ではない。既に攻撃へと移る一撃だ。剣道では動作を洗練、高速化し動作を『一拍子』で終えるように訓練する。踏み込んだ時には、相手の急所へと既に打ち込めるように。
間違いなく俺にとって今までにない最高の一撃だった。理想的な呼吸と姿勢から放たれた胴体への突きは、距離の認識を見誤るほどの綺麗なものだ。達人相手だろうと一本とまではいかないが、最低でも有効打突にはなるであろう。
「ふんっ!!」
だというのにギンは止めた。避けるのではなく止めたのだ。太腿と肘で竹刀を挟み込んで、強引に押し止めて突きの勢いを殺す。
理解が追いつかない——。
だが驚くには早すぎた。こちらが次の一手に思考を全力で回し続ける中、ギンは考えることさえも許さないと言わんばかりに挟み込んだ竹刀を力任せに折ったのだ。
————思考が止まった。
これは試合だというのに相手の武器を叩き折るのが反則ではないのか? という自問自答だけが繰り返される。
「お前、何か勘違いしてないか?」
混乱が思考を支配する中、ギンは冷たく告げた。
「これは試合ではない、勝負だ。死に物狂いで来い」
挑発ではない、発破だ。こちらとギンの意識の差を表面化するための言葉。そもそもの勘違いを俺に分からせるための言葉。
……『勝負』において礼儀なんてない。『勝つ』か『負ける』かしかない。それはOS事件での異形との戦いや、レッドアラートの戦いで分かりきっていたことなのに。なんで綺麗に戦おうとしたのだろうか。ルールなんて本当の勝負なら無法で無用だというのに。
——そういうことなら、こっちも考えられる限りの手を打つしかない。
思考を読まれないうちに、俺は無我夢中で突進をした。徒手空拳での組合だ。身体の大きさも体重もこちらのほうが重いのだから俺の方が優位はある。だがギンは汗ひとつ流さずに掴まれるはずだった腕を振り払い、俺の勢いを削がないまま壁へと追突させた。
——痛い。けどそれは想定内だ。
こっちだって目に見えた一手を打つだけで打倒できるなんて到底思ってない。あわよくばという欲はあったが、本当に欲していたのはこの瞬間、ギンが背中を見せた状態で壁際まで誘導すること。
ここ霧守神社の道場は壁のあちこちに木刀や竹刀、果てには真剣や模造刀などが飾られている。そして俺はその位置を目を瞑っていても把握できるほど稽古漬けにされていたんだ。竹刀が折られたというのなら、新しく手に取ればいいだけのこと。
身体の流れを極力殺さずに、最小の動きで最大の武器となる使い込んだ木刀を手にする。ここ二ヶ月で一番振るった物だ、受け取れる技術自体は大したことはないが、もう既に俺自身が身につけた技術があれば十分だ。
必要なのは一拍子だけ——。
踏み込みを意識して、木刀を横に薙ぎ払った。
今度こそ取った。これなら気づいたとしても、横に逃げることはできないし、前に逃げようにもすでに間合いにいるため避けきれない。姿勢を崩して避けたしても、今の俺の足元には先ほど折られた竹刀がある。これを蹴り込んで顔面にでも当てて目潰しでもすれば、次の身動きは取れない。これで詰みだ。
「多少はマシになったが、まだ甘い」
だが、ギンは俺の予想を軽々と超えた。振り切った木刀に足を乗せて上に回避したのだ。
曲芸紛いの回避方法——。
跳躍したことによってギンの全体重は木刀へと乗せられ強制的に床へと叩きつけられた。同時に俺も倒れ込むが、今姿勢を崩しても制限時間はまだ余っている。焦る必要はないんだ、余裕を持って息を整えながら次の一手を考えるんだ。
「13回目……」
途端、ギンは意味も分からぬ数字を口にした。
13回目——。何がだ? 俺には想像できない。だけど、これは勝負だ。気を逸らすための詭弁という可能性もある。何にせよ意識する必要なんてどこにもない。攻撃を続けるしかできることがないのだから。
「23、25……」
しかし、それでも虫食いのように小言は意識を侵していく。
それは制限時間を刻んでいるのか——。にしては遅すぎるし、刻み方も法則性がない。
果たしてその数字には何の意味があるのか——。不安は募るばかりだが、そろそろ制限時間に余裕がなくなってきた。攻撃を休ませるわけにはいかない。
一心不乱に木刀を振り、時には投げつけたりした。さらには飛び込んでSID仕込みの足技で体制を崩そうともした。それでもギンを間合いに入れることさえできずに、いなされ続けて時間だけが無為に過ぎていく。
「41……」
そして——ついに制限時間は終了10秒前を迎えた。
「構えろ——」
宣告の直後、今まで煙に巻いたギンの意識が、一瞬だけ輪郭が明確となって浮き出てきた。
その正体は『殺気』——。
視線だけで射殺す様は、鷹よりも獰猛で蛇よりも鋭利だ。
だというのに、瞬間が過ぎれば殺気は水に溶けたように消え失せた。海のように広大な意識の中、波一つ立たない凪みたいに穏やかだ。
だから気づかなかった。ギンの身体は最初からそこにいたかのように容易く木刀の間合いをすり抜けて、懐へと飛び込んできていたことに。
しかも、それは予備動作ではない。
間合いに入った時には既にギンは攻撃体制となっている。
素手であるはずのギンの手は、まるで真剣と錯覚するような気迫を持って手刀を構える。眉間に皺一つ寄せず、川に流れる落ち葉のように迫りくる様は、あまりにも自然体すぎて危機感さえ湧いてこない。そうであるのが当然であるように脳が勝手に認識してしまう。
奇しくも、これに近しい感覚に覚えがあった。
それはセレサと初めて会った時。文字通りの手解きがあってソヤの髪を、俺の指で切り裂いた時と同じものだ。
頭では理解してるのに、身体が命の危機であることを理解してくれない。あの最低限の力しか入れずに脱力した姿勢でいられては、例え視認できていたとしても攻撃という動作を認識してくれない。
故に、身体は一向に回避という動作を受け付けない。
それは、俺に止める手段がないことを意味していた。
「い、一本……。ギンさんの勝ち、です……」
勝負は一瞬にしてついた。
既の所でギンの手刀は止まる。切断された数本の毛は抜け毛のように落ちるが、狙い所とされていた首筋には傷一つない。そこで初めて身体が『命の危機』であったことを理解したように脳に警鐘が走り、背筋が強張り汗が滲み出てきた。
「——はぁっ……!」
あまりの緊張感から解放されたことで、集中力と一緒に溜め込んでいた空気を一気に吐き出してしまう。
生きた心地がしなかった。今では身体中が震えて止まらない。
これが……これが本当の『実戦』なんだ。今まで実践と思って訓練していた『結界迷宮』での戦いなんて、所詮は順当な戦いの積み重ねだというを認識を改めてしまう。
『結界迷宮』で実力を試すことはできる。だけどそれは、何度も何度も負けて……何度も何度も負けて……例えどんなに負けようと事故さえなければ生存が許される。そして積み重ねた敗北の末に、やがて力が実って勝つことができるんだ。ゲームと一緒でリトライが可能な訓練でしかなかったんだ。
「57……これが何を意味するか分かるか?」
本当の『実戦』なら、こうはならない。負けは即ち『死』を意味する。負けは積み重なることは決してない。
今ならギンの口にしていた数字の意味を、その口から答えを聞く前に理解してしまった。
「——本来、お前の首が落ちるはずだった数だ」
圧倒的な力の差。抗うことさえ許されない。
そこで俺は二ヶ月前に聞かされたエミリオの言葉を思い出す。
『自分より強い相手には勝つには、自分の方が相手より強くなければいけない』——。
そこで、俺はやっと自分が本当にたどり着けなければいけない部分に気づいた——。いや、思い出した————。
そもそもとして『強さ』って何なのかを。