——これは『OS事件』から『エクスロッド暗殺計画』までのお話。
ヴィラは野暮用を済ませて御桜川女子校から帰宅した。
帰れば少し早めに帰ったエミリオが、今日も「新しいお菓子買ってきたけどこれイケるわよ」とか言いながら、デブとは無縁な体型で笑いながら迎え入れてくれるだろう。
それを想像するだけで妹分であるヴィラは、学年違いによる交流の低下によって不足した自分のことを構ってほしい欲求が満たされて少しだけワクワクしてしまう。
しかし帰宅早々、ヴィラの眼前には世界が破滅するより驚愕な事態が飛び込んできたのだ。
「お帰りなさいませ、ご主人様〜〜!」
「……何やってるんだ、エミ」
「何って……。見ての通りですよ、ご主人様♡」
自分の姉貴分であるエミリオが、何と白を基調したフリルMAXの乙女真っしぐらなメルヘン全開のメイド衣装に身を包んで、凄く楽しげに猫撫で声でヴィラに奉仕行為をしてきたのだ。
意味もわからないまま「お風呂にしますか? ご飯にしますか? それとも……」とどこかで聞いた覚えのあるフレーズをエミリオが口にしたあたりで、ヴィラの脳内キャパシティが限界を迎えて一度気絶した。
——これはミーム汚染か、それか悪い夢だろう。
などと思いながら倒れたのに、目覚めた時にはエミリオに膝枕をされて相変わらず「大丈夫ですか、ご主人様ぁ……?」と涙目で言われた時には本格的に泡吹いて今一度気絶しそうになったという危機については、本人の心中に収めた方がいいだろう。
「——どうだった、レンちゃん? 私のメイド姿は?」
「……ノーコメント」
心中全てを掻き乱す衝撃の中、ようやくヴィラは最初からいたであろうレンの存在に気づいた。レンの顔は幸福と不幸が入り混じりながら鼻の下を伸ばすという女の子にあるまじき面白くもスケベな表情をしている。
そんな表情の視線は、相変わらずご奉仕メイドとして振る舞い続けるエミリオに向けられていたことにヴィラは気づくと、遮るように二人の間に立った。
「馬鹿っ! エミのこんな姿を見るなっ!」
「いやっ! エミリオに頼まれて見てるんです! じゃなかったら……こんな生殺しの生き地獄を志願しないっ!!」
「エミから——ッ!!? やっぱり——」
「ミーム汚染って、思ってるところ悪いけど違うわ。私は正常よ、ヴィラ」
「いや待て、エミッ! ミームはそういう常識を侵す概念であって——」
「待つのはヴィラだって。御桜川女子高校への在学中、私達は『普通の女子高生』なんだよ? 今後はSIDの潜入任務もあるかもしれないからアルバイトもするように、ってマリル長官に推奨されてたじゃない」
「そうだが……!!」
「レンちゃんも今ではマスコットやイメージガールで活躍してて、前にいたメイド喫茶は縁がない状態だからね。こうして私がチャレンジしてるの♪」
楽しそうに笑うエミリオ見てヴィラは何も言えなくなった。
傭兵時代から人に扱われるのは慣れているから、エミリオが何かに隷属するのは別に違和感はない。今までと方向性が真逆になるだけなのだ。本質は一切変わりないのに、この見てはいけない背徳感を感じるのがヴィラには堪らなかった。
「他にも色々あるわよ。例えばこの格安イタリアンレストラン『サエジリヤ』のウェイトレスとか……いらっしゃいませ〜♪ ご注文は何になさいますか?」
「おい……」
「そうなんだよ……。俺はこのファッションショーを1時間以上も見ていて……。可愛いし、綺麗だし、際どい、って色々と思うんだよ。でも思ったら……エミリオには読心術があるからバレちゃうんだよょょおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「なるほど……」
初めてヴィラはレンに心の底から同情した。
エミリオの特技である『読心術』については妹分であるヴィラはよく知ってる。感情コントロールをする訓練は受けているため、ヴィラはある程度対処できるが、少しでも気が抜けると途端にエミリオは心の中を容易く覗き込んでくる。実際これでヴィラは何度もエミリオ相手にカード勝負で負けており、軽いトラウマにもなっている。
そんな能力を馬鹿正直なレンが標的にされたらどうなるか。
答えは決まりきっている。服という服を剥ぎ取られ、隠すという行為が無意味であり、心が裸にされて好き放題にされてると等しい。
好意は隠しきれず、劣情を持っていることを察せられ、そして建前やおべっかは筒抜け、逃げようにも嘘は意味をなさない、などなど——。
……悪い言い方をすれば精神的凌辱も同然なのである。
それが1時間——。幸せだが、行き過ぎると地獄でしかない。
レンは見事にエミリオの大和撫子七変化を堪能しすぎて骨抜き中の骨抜きになっていたのだ。
「アルバイトって色々あるのよね〜♪ 給料面はどうしても見劣りしちゃうけど飲食店からサービス業、警備業とか本当に色々あって……」
子供みたいに燥ぐエミリオを見て、ヴィラは「なんでこんなにテンション高いんだ」と思いながらも、学生服から部屋着となる半袖のクロップドシャツへと着替えると、そのまま自室に鞄を放り投げてエミリオの話を聞き続ける。
「私達がいたマサダとは大違い……だよね……」
エミリオの笑顔が曇る姿を見てヴィラはようやくわかった。
ヴィラとエミリオが本来いる第三学園都市『マサダブルク』では、内城と外城で治安の差は大きい。二人も外城の出身であり、日夜テロ活動が慢性的に続く環境では毎日生きるだけで精一杯なほど過酷なものだ。そこには通常の社会が定めている『職業選択の自由』というものはなかった。皆が銃弾飛び交う市場の中で物資を売ったり、育てた野菜などを売ったりした。しかしマサダブルクは砂漠に囲まれた土地であり、育つ野菜の質など『黒糸病』もあって最悪もいいとこだ。それでも足りはしない。
ある時レンさえも巻き込んで軍の物資を横流しして、エミリオがお世話になっていた孤児院へと寄付したが、それでもなお足りはしない。マサダブルクの子供達は常に貧困に喘いでいる。
……今ではエミリオが相応の地位を手に入れ、SIDのエージェントとして助力していることから、ある程度の食料は持続的に渡すことはできるが、それでも新豊州からマサダブルクの船や飛行機を使った郵送は危険が多すぎて、おいそれと渡しはできない。
金銭はさほど大きな意味は持てないし、食料でも日持ちするものでないと意味がなく、しかも缶詰や飲料とそれなりに包装されたものは『バイオテロ』や『爆発物』を警戒されて禁止されている。そのような柵は今でも続いているのだ。
エミリオはそんな不自由の中で育った。……とヴィラは聞いている。何せ生まれてから今まで一緒にいたわけではない。今では姉妹のように仲良く一緒にいることも多いが、最初に出会ったのは——。
「ヴィラ——。学校は楽しい?」
エミリオの慈愛に満ちた問いに、ヴィラは「当たり前だろう」と言ってレンを見た。レンは「なんでこっち見てるの?」というが、その能天気さこそが、エミリオやヴィラにとって学校生活の穏やかさの象徴なのだ。
そう、最初に出会ったのはヴィラがまだ12歳の頃。士官学校での中等部にて訓練兵として過ごしていた時の話だ。
…………
……
「ごめんね〜! うっかり落としちゃってさ〜! 悪気はないんだよぉ〜〜」
「今日もオッドアイの奴、泥水被ってるぜ〜! ついてないでやんのー!」
それはまだ傭兵となるために二人が士官学校にいた頃。そして二人が『戦友』という姉妹となる前の話。
当時13歳のエミリオは訓練を終えて早々に汚水を浴びられる醜態を晒す。綺麗なピンク色の髪は泥に塗れて見るに堪えず、しかもどこからか調達したのか生き物の糞も入っている徹底っぷりだ。寮二階の窓辺という安全圏から確実にエミリオを見下す。
あまりの所業にエミリオは特に感情も読めない表情で、虐められる原因となる青色とオレンジのふた色の眼を、イジメの主犯となる訓練兵達へと向けた。
それの何が面白いのか。視線を向けられた訓練兵はさらに大笑いする。
「こえー! あの女、こっち見てるぜ?」
「目合わせたら呪われるぞ〜? これでもくらえってんだ!」
さらにゴミ箱がエミリオに投げつけられた。幸いにも中身がないだけマシではあろうが、ただ捨てただけのゴミ箱では中にある腐臭までは取り除かれることはない。
「うわ〜、汚いのは目だけじゃなくて外面もかよ〜」
「ゴミ箱共々洗っとけ〜?」
「お、おい……。ちょっとやりすぎじゃないか……?」
「なんか文句でもあっか、ヴァルキューレちゃ〜ん?」
「おいおい、戦女神ちゃんをその名で呼ぶなって! あっと……ごめんね! 俺も言う気はなかったんだって!」
「「「あはははは!!」」」
皮肉なことに、ヴィラは当初はエミリオを虐める側のグループの方にいたのだ。この時のヴィラも確かに力自慢ではあるのだが、現在の異質物で得た超人的な力と比べたら雲泥の差だ。あくまで普通の学校にいる体育会系男子の筋力なら勝てる程度の力であり、同じ士官学校にいる男性兵士と比べたら勝つのは難しく逆らえずにいた。
とはいっても直接の危害は加えずに、多少は弄られる程度で静観するだけの傍観者という立ち位置ではあるのだが。それでもイジメを見ることしか自分に、当時や今から思い返してもヴィラは歯痒い思いをしていた。
「スウィートライドさん……。タオルあるから使って……これは清潔だから」
「ありがとう、ヴィラ……。けど気にしないで。私に下手に関わると、貴方も標的にされるわよ?」
そして主犯達が寮の自室に戻ってすぐ、人目がつかない内にヴィラはエミリオへと僅かながらの助力をした。少々腰が引けた口調と態度は、申し訳なさくるものだ。現在のヴィラからは想像もできないほど潮らしい。
そもそも『女性』が『軍人』になるということ自体、七年戦争の後でも差別的な扱いを受けていた。それがオッドアイという特徴がついているなら尚更だ。
規則的なのに鬱屈で陰鬱で監視が行き届いた閉鎖的な空間。ストレスを溜めても発散できない環境において、エミリオの容姿は悪目立ちしすぎて恰好の的になったのだ。
「……教官に相談しよう。被害者が言えば見逃しもしにくいだろう」
「いいの。私はこういう役割なんだから」
だというのに、エミリオは本当に気にもしない様子で笑顔を浮かべた。その笑顔には言いようのない影が浮き沈みしながら——。
「——ケーニッヒ教官! いいのですか、あのまま野放しにしておいて!」
「そうですっ! 軍人たる者、女性差別は問題ですっ!」
「僕もそう思います! 気持ち悪いのは分かりますが、いくら何でも目の色が違うだけであそこまでするなんて……」
それを見てヴィラは無視することはできなかった。ある時、ヴィラは自分と同じイジメに反感を持つ中等部一年の士官を男女問わず集めて教官の抗議しに行った。
教官の名は『アブラナ・ケーニッヒ』——。当時19歳にして女性という立場でありながら、並外れた基本能力と知識で『大尉』に上り詰めた生粋のエリートだ。
「いいんだよ。あれで一番いいんだ」
ことの重大さには分かりきってるはずなのに、ケーニッヒ教官は気にも止めずに書類仕事を続ける。それがヴィラの癇に障り、教官相手だというのに彼女が本来持つ粗雑な口調が前に出る。
「ふざけんなっ!! あんたもスウィートライドさんを差別するってのか!?」
「大真面目だよ。それに軍人が感情を必要以上に荒立てちゃダメ。気持ちは分かるから見逃すけど、今後は教官相手にその口調は止めておきなさい」
その目つきは歴戦の強者としての風格があった。一瞬で脊髄と心臓といった命の関わる部位を鷲掴みにされるような恐怖——。ヴィラ達は一転して押し黙ってしまう。
それを見た教官は「可哀想だから、これだけは教えてあげる」と優しげに告げた。
「覚えておいて。目に見えることだけで判断するのは軍人として失格だという事をね」
ヴィラ達一年生は全員揃って疑問符を浮かべた。ケーニッヒ教官もそれ以上言うこともなく書類仕事に戻り、もうヴィラ達と話すことはないと言わんばかりだった。
——その答えは、一ヶ月後に行われた対人格闘技の実技テストで明かされることになる。
「ひっ…………。こ、この女……こんなに強かったのか……!?」
「た、偶々だろう……。女が男に力で勝てるわけねぇんだからなっ!!」
「————よいしょっと」
そこには傷どころか技一つ掛けられることなく、イジメの主犯達相手に無双するエミリオの姿があった。ヴィラの記憶に間違いがなければ、エミリオの成績は筆記などの成績がトップクラスに良くて、実技に関しては最下位同然だったはず——。そういう筆記だけは良いという鼻につく点もあったから今まで虐められたというのに、これでは話がまるで違う。
「ケーニッヒ教官——。教育はこれでいいですよね?」
そしてエミリオも特に誇示する様子もなく、教官の前へと歩んで敬礼をした。教官が「十分だよ」と告げると、エミリオも敬礼を止めて教官の後ろへと姿勢を正して待機状態となる。
「諸君——。軍人、いや人間たる者、今のでどんな人や物であっても一目見ただけで判断するのは愚策と気づいたでしょう」
「それは違いますっ! この女はただ実力を隠してただけだ!」
「実力を隠すのも実力だよ? 戦場で馬鹿素直に地雷が表に出てる? これから打ちますと相手に宣言してから狙撃するスナイパーがいる? 戦場はスポーツじゃないの。浮浪者に混じって暗殺を試みる相手だっている。補給物資に化学薬品を混ぜて爆発物にしたりする。今回だって訓練だからいいけど、実戦だったら相手の実力を見誤って戦死しました、ということになるんだよ? 目に見えたことだけで判断するのは軍人としては下の下。今後は祖国に貢献できるよう改めるように。……子供じみた力と心をね」
…………
……
驚愕にヴィラは打ち震えながら、訓練を終えた後すぐさまエミリオの元に向かった。秘密主義が多い教官とは違い、エミリオならどうしてこのような仕込みをわざわざ行ったかを教えてくれると考えたからだ。
「ここの環境って基本劣悪でしょ? そうなるとストレスが溜まって誰かに当たって憂さ晴らしするしょうもない生徒がどうしても出てくるのよ。それ自体は教官が咎めば何とかなるけど、問題は『イジメの早期発見』という部分でね。不特定多数の誰かが狙われると教官も監視の一層強くして監視体制も強化されて、またストレスを溜めて……って悪循環が起こるの。ここまでは分かる?」
そしてエミリオは隠す気なんか微塵も見せずに詳細を話し始めてくれた。見た目だけなら大人しいお嬢様っぽいエミリオが、いきなり流暢に話すことにヴィラは若干戸惑いながらも「うん」とひとまずは話を続けるために頷いておく。
「ならばと考えたのが分かりやすい標的をあえて作ること。言いたくはないけど見た目が醜悪とか、痛々しい部分があるとか……そういう意味では『ヴァルキューレ』という、インパクトだらけの名前を持つヴィラも予備軍ではあったのよ?」
「確かに」とヴィラは内心思ってしまう。実際、名前については度々弄られていた。
「まあ、その予備軍にも被害が行かないようにするにも、一時的にも虐められる生贄が必要なわけ。そこで候補に出たのがこの私。容姿端麗な女性だけどオッドアイ。オッドアイは共通として男は女性差別の思想で。女性は見た目は良い私を妬む。そこに筆記だけ成績は無駄に良いとなれば癇癪も起こすでしょ。『見た目が良いだけのガリ勉系』とか『ガリ勉のくせに調子乗るな』とか『女性のくせに上に立つ傲慢な態度』とか。…………まあオッドアイが強すぎて、それだけで十分なんだけど」
「で、でも……そうなるとスウィートライドさんは教官に言われて、その……虐められるようにされたってことですよね? そんな教官に反感を抱かない……ですか?」
「これ私自ら申し出たことだよ? 教官は猛反対だったけど、去年も同じ事をして成果があったから、今年も試そうと推してね」
「去年!? だってスウィートライドさんって私と同じ——」
「それは嘘♪ 本当は一年早い先輩です♪ 気づかなかった? 私を虐めてるのって一年坊だけだって。これだって去年私が披露したからこうなってるんだから♪」
と先日見せた笑顔の影を取り払った悪戯な笑みをエミリオは浮かべる。そこで気づいた。先日の影は、別に悔しいとかの気持ちを押し殺したものではなく、この場面が来ることを知っていたことによる『余裕』や、一気に相手の立場が崩れる『愉悦』を想像していたことに。
そしてヴィラは直感した——。この女、生粋のサディストだと。相手を陥れるなら、自らが被害者になることも良しとなる本物のサディストだと。
「私の容姿って悪目立ちするからね。去年は偶然標的されて今と似た状況になったの。だったら今年もいっそ他の生徒のために避雷針になって、時期が来たら遊び半分のガキみたいな相手には『わからせた』ほうが教育的に良いでしょう? だって『いじめは悪いことです』って事前に忠告するより『いじめには必ず報いがある』ってことを教えた方が効果的だし♪」
「まあ、それでも改善されないようなら——」と言いながらエミリオは踊り場に振り返り、まるで『何か』を威嚇するように壁へと小石を投げつけた。そこには先ほどまで話の中心にいたエミリオを虐めていた主犯格がいた。
「今度こそお灸を据えるだけよ——。ねぇ、今度は腹いせにヴィラを虐める予定の主犯さん?」
「な、なぜ気づいた?」
「読心術。けどアンタみたいな奴に細かく説明する気はないわ。……分かってるでしょうね? これ以上、横暴を続けるなら——」
「わ、分かってます! もうしないですっ!!」
「————嘘ね。私の『目』から逃れられると思ってる?」
物陰から出てきたいじめの主犯をエミリオは拘束した次の瞬間、ヴィラは驚くべき光景を目にした。
「もう一度言うわ。これ以上の横暴を続けるなら——」
——銃口を口内へと押し付けているのだ。発砲すれば必然、弾丸を喉を貫き、火薬は口内全てを覆って火傷にする。
少し想像するだけでも耐え難い苦痛が襲いかかる。それが冗談であればどれだけ救いだろうか。しかし、エミリオの目つきは本気だ。本気で撃とうとしているのだ。
「や、やめるっ! 本当にやめるっ!! だから、だから——」
命乞いをするためなら全てを投げ捨てる覚悟で主犯格は言った。本当の本気で今後一才やる気はないと神に誓えるほどに。
それに対してエミリオは笑顔を————冷たい笑顔を浮かべた。
「そっ♪ ……けどダメね。軍人には危機的状況においても祖国を裏切らない忠義が必要なの。今のアンタは、たかが銃口を突きつけただけで容易く自分の意思さえ曲げる臆病者。そんな人がいざ捕虜にされた時、こちらの情報を漏らさない保証がある?」
「ひぃ——!!」
「さよなら——」
——パンッ! と発砲音が寮内に響いた。
「……『空砲』?」
だが実際に主犯格が血みどろになることはなかった。しかも銃声は響いたが、その音は火薬にしては軽いし響かなすぎる。ヴィラは改めてエミリオの銃を見て気づいた。その手にある拳銃は練習用の模造品——。つまりは火薬ではなく『ガス』を使った偽物だと。
「……あっ、ああ……」
「……小便なんか漏らしちゃって。しかも本物と偽物の区別さえつかないほど錯乱もして……。これは良心から言うけど、軍人向いてないから早めに退学してできるだけ普通の道に行きなさい。……気が動転して聞こえてはいないと思うけど」
そう言ってエミリオは拘束を解除し、既に力なく項垂れる主犯格を置いて廊下の向こう側に行った。
——まだだ、まだ話は終わっていない。ヴィラはすぐに後を追う。
「ど、どうして助けてくれたんだ? アタシがあいつの標的にされることは、スウィートライドさんには関係ないだろ!?」
「……あなた、素だとそんな口調になるんだ。うんうん、そっちの方が芯がある可愛さがあって好きだよ」
「かわっ……!? 今はどうだっていいだろ!? なんで助けてくれたのか聞いてるんだっ!」
ヴィラの怒号混じりの質問に、エミリオはほんのちょっと照れ臭そうにしながら言う。
「……教官はこうも言っていたわ。感情に流される軍人はクズだって。……だけど仲間を見捨てるのは、それ以上のクズだって。……タオルをくれたヴィラを見て、本当は心の底から嬉しかったんだ♪ だからもうちょっとだけ助けたくなったの♪」
その言葉を聞いて、ヴィラはどうしようなく惨めになった。自分を守るためにエミリオを見殺しにして、良心を満足させるためだけに陰ながら手を貸しただけだ。だというのに、実際はエミリオ一人だけでヴィラも含んだ全生徒をイジメの標的から逸らしつつ解決する手立てを作っていた。
嬉しいとか、悲しいとかの感情が湧く以前に……何よりもただ驚くしかなかった。そんな見返りなんてない善意だけでここまでのことが起こせるなんて。
きっと、この人は何者をも裏切らない本当の『聖女』に近い存在なんだと——。思わず尊敬してしまうほどに、エミリオのその瞳は、ヴィラにとって力強く眩しい存在となった。
「スウィート、ライドさん……」
「そんな堅苦しく呼ばなくていいよ。私はエミリオ、親しい人はエミって呼ぶわ」
その日、ヴィラは初めて家族による定められた目標や、士官学校で目指す目標とは違う——本当に自分自身が決めた目標を見つけた。
この人みたいになりたい、と——。
……
…………
「……おーい、ヴィラさーん? なんで俺を見たまま固まってるんですかー?」
「……何でもない。馬鹿は楽しそうでいいよな、って思っただけだよ」
「俺そんなに間抜け面してるっ!?」
追憶から覚めてヴィラは改めてレンの顔を見る。
戦争とは無縁そうな平和ボケした顔だ。親を失ったはずなのに、年頃の女の子……というより男の子みたいに健やかに成長した顔つきは、新豊州の教育体制が十全としている事の証拠だ。
マサダブルクとは本当に大違いで——。そんな平和な学園生活が今更自分もできることに、思わずヴィラは普段の険しい顔を崩して笑ってしまう。
「ヴィラは何かアルバイトもしないといけないけど、何か候補とかある? ないなら仕事着で決めるのもモチベーション保つのにいいわよ!」
「ああ——。私もエミと一緒に色々試すか!」
「ヴィラったらさっすが!!」
そしてそれはエミリオも一緒だ。平和な学校生活とは無縁で、高等部に入ってからは本物の戦場に傭兵として駆り出される毎日。そこには人間らしい自由などなかった。
そこから一時的とはいえ解放される——。そんな自由を得たら誰だって満喫するに決まっているだろう。
「召使いよ。私のためにペプシを持ってきなさい……」
「えっ、エミはコカ派じゃ……」
「今はペプシよ。そろそろ飽きてきたからドクペでもいいけど」
ヴィラは先ほどまでエミリオが来ていたメイド服を着る。サイズが違うため、丈とか無駄に長くて足を踏み外しそうとか、胸のスペースに妙な空白があると色々と違和感はあるが、それさえも含めてエミリオは「似合ってる」と言ってヴィラの恥じらいを少しずつ取り除いて調子に乗らせる。さながらそれはカメラマンの前で一枚ずつ脱がされるグラビアアイドルのごとく巧みな話術であった。
「お約束、一本お願いしますッ!」
「かしこまりました、エミ……ご、ご主人様ぁ……♡」
「キュートッ!!」
「エ、エミリオさん。し、診察のお時間ですよ〜……♡」
「エクセレントッッ!!!」
「スウィートライドさん! 先日の宿題、忘れたそうですねっ!」
「アメイジングッッッ!!!!」
一転して二人は夕刻前のはずなのに、まるで深夜で酒に溺れた大学生のようなノリで色々と着せ替えを楽しんだ。
メイド服、ナース服、家庭教師、さらには双子コーデから、挙句にはどこにそんなバイトがあるんだと言わんばかりのアニメのコスプレ衣装、紐しかない水着、裸エプロンなど、もうただの服遊びだろ、と言いたくなるほど二人はあれやこれやと衣装替えを楽しむ放課後であった。
「あ、あの……これ以上俺を苛めるの、やめてくれない……っ?」
だがここにいる思春期男性代表であるレン(新豊州出身・15歳・女性)には生き地獄のフリータイム突入でしかなかった。
結局、その後レンが開放されるまでに累計3時間以上は経過して、彼女はしばらく興奮状態のまま失神していた。
緑色の毒舌お嬢様ですら流石に思うところがあったのか「災難だったわね」と仏頂面で言っていた、と後に青髪ツインテールは語る。
「15分休憩ー! 各自、今のうちに喫煙などの小休憩に入らないものを済ませとけよ!」
「タバコなんて吸うわけないだろ〜。今は我らの天使様、ヴィラちゃんがいるんだから」
「別に吸ってもいいですよ。その間、私は離れてますから」
「若い者に気を遣わせたら歳上失格だろう? むしろヴィラちゃんは遠慮しないで。叔父さんが飲み物奢っちゃる」
「じゃあ、スポーツ飲料をお願いします」
後日、ヴィラのアルバイトだけ決まった。内容は建設現場での土木材を運ぶ雑用だ。とはいっても異質物の影響で常識はずれの怪力を持つ彼女にとって、どうやらこれは軍人以上に天職だった可能性もあり、ぶっきらぼうな敬語も相まって今では現場の工事員に可愛がられるという結構高待遇であったりするのだが。
「あぁ〜〜可愛いわ、私のヴィラ……。あんなに汗だくになって……」
「ママ〜、あの人何してるの〜?」
「見ちゃいけませんっ!」
そして建設現場から少し離れた木陰にして、アルバイト不採用となり暇でしょうがないエミリオがヴィラの様子を観察していた。
ちなみにエミリオのアルバイト先が決まらなかった理由は——。
「エミ……。言いにくいんだけどエミの顔は目立つし、私と違ってマサダでの表立って目立つ地位があるから潜入員としてバイトするのは無理だと思うんだ」
「————あっ!?」
……という、そりゃそうだという話がファッションショーの後にあったからである。
マサダブルクの聖女様も完璧なわけではない。どこか自分に関しては抜けているところがあり、ヴィラはそういう所は、せめて自分らしく支えようと今日も妹分として過ごしていく。