魔女兵器 〜Another Real〜   作:かにみそスープ

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第3節 〜イルカの奇妙な冒険 スターオーシャン〜

 ——これはレンがギンと会うまでの二ヶ月間、霧守神社で鍛錬をしていた時の話。

 

 

 

 

 悲劇が起きた。イルカは愕然と生気を消沈させながら空腹を訴える音を響かせ、テーブルの向かい側では冷凍チャーハンと即席中華スープをお裾分けするシンチェンとハイイーと涙ぐましい光景が広がる。

 

 時刻は午後8時。夕食にしては少々遅い時間だ。家にはイルカ、シンチェン、ハイイーのみがいる状況であり他には誰もいない。

 

 そう、本日はレンも含んだ保護者全員が外出しているという珍しい日なのだ。レンは霧守神社で鍛錬中。アニーはSIDにて指揮官補佐訓練を受講中。ラファエルはそもそも家主がいないため来訪する理由がなく、マリルと愛衣は本日もSID内で異質物や元老院、他の学園都市と連絡と会議が山盛りと押しつぶされているという日なのだ。

 

 となると夕飯は子供達だけで作らなければならないのは必然。とはいっても調理技術などない三人では料理などできないので、仕方なく即席料理で飢えを満たそうとしたのだ。

 

 

 

 ……しかし即席の料理でも気をつけなければいけないことがある。

 

 

 

「うぅ……イルカのご飯……消えた……」

 

 単純な話、調理方法を間違えた。それだけである。

 塩と砂糖を間違えた、醤油とソースを間違えた、お湯と水を入れ間違えた…………。まあ色々とある。

 

 しかし、今回のはそういうレベルではない。

 犯したのは禁忌。使用上の注意と禁止事項。それは『カップ麺を電子レンジに突っ込んだ』という事実——。

 

 これには色々な原因が重なった末に起きた悲劇だ。決して誰のせいでもないし、当事者のイルカが全て悪いというわけでもない。こうなるであろう偶然の積み重ねがあって起きた因果関係に過ぎないのだ。

 

 まず第一の理由。イルカは生まれと育ちの都合上、まともな生活知識は現段階でも不足しているということ。

 入浴、就寝、食事といったものに問題はなかったとしてもそれ以外……。例えばケーキの三等分の仕方、箸の正しい持ち方などは一切知らないのだ。今回起きたのは『カップ麺の作り方を知らない』ということ——。イルカはカップ麺も『インスタント食品』として覚えているため、数多くあるインスタント食品と同じく『レンジで温める』という行為が必要だと思い、お湯はおろか水さえ入れずに電子レンジへと入れたのだ。但書はしっかりと読もう。

 

 次に第二の理由。マリルと愛衣が徹底して『インスタント食品』や『カップ麺』といった即席料理を日常から極力置かなかったこと。

 基本的にマリルと愛衣は研究や国営で徹夜するのも当たり前という大忙しの身分だ。そのため睡眠不足による身体不調は頻繁に起こしてこともあり、せめては食事面では栄養面を妥協してはいけないと、そういう健康面で悪影響を及ぼしかねないものは控えていたのだ。仮に料理が面倒だとしても、金だけは湯水のようにある身分だ。その時は外食にしてもいいし、何なら出前や出張料理人とかを呼べばいいだけの話。お留守番が多いイルカであっても、基本的にそういう出来合いの物を口にする機会は決して多くはなかった。全国の奥様、出来合いの物で済ますことも時には愛なのです、そう悲観しないように。

 

 最後に第三の理由。保護者以外の人物も、それなりに料理には恵まれていたということ。該当者はアニー、レンは当然として、一緒に食事することも多いラファエルもそうだ。

 

 アニーもテレビみたいに綺麗で上品な料理は作れないが、決して作れないわけでもないのだ。運動好きな彼女がカロリー計算や栄養管理を怠ることはなく、彩りもそこそこに味も良い手料理を振る舞ってくれる。当然インスタントが出る訳がない。

 

 ラファエルもそれこそマリル達と並ぶ富豪だ。指先一つで高級珍味フルコースも可能だし、何なら彼女の好奇心旺盛な舌がA級グルメからB級グルメ網羅しようと積極的に外食に連れ出してくれるのだ。とはいっても、その贅沢三昧が当人の体重が増える一因でもあったりするのだが。どうあれインスタントが出る余地はない。

 

 そして肝心の『元男』であるレンは——実は人並み以上に料理ができたりするのだ。もちろん元々バイト先にいたメイドカフェで料理を作る経験をしていたというのもあるが、何よりレンは男である時は『一人暮らし』をしていたのだ。毎日インスタント、コンビニ弁当、外食では栄養の偏りはあるし、いくら政策としての援助金があるとはいえゲーマーであり課金厨でもあるレンは極力出資を抑えるために、節約料理というものを身につけているのだ。おかげで、そこらの若奥様よりも料理が上手ということもあり、料理に不自由することはなかった。つまりインスタントが出る理由がない。

 

 結果、イルカは『カップ麺』という存在を誤認したまま調理を開始。カップ麺の多くに使われてるアルミ容器が、電子レンジが発するマイクロ波による加熱処理で熱を帯びて発火。2037年の電子レンジは防火対策も万全で安全性は高いため、即座に停止したためボヤ騒ぎにもならなかったが、代わりにイルカの夕飯となる『ペヤソグ 超超超超超超超超超超超超大盛り焼きそば ゼタマックス(8368kcal)』は焼き焦げて食べれなくなってしまったのだ。ちなみにこの化け物食品が家にあった理由は、我らの可愛いレンちゃんが『SNSネタに便乗しよう』という軽い考えの下に内緒で買い置きした物だ。なおこの事はアニー共々マリルには既にバレているのは内緒である。良い子は遊び半分で食べ物を粗末にしないようでね。

 

「イルカさん……元気出して……」

 

「イルカちゃ〜ん! シンチェンのご飯あげるよ〜!」

 

 奥ゆかしく心配するハイイーと、少々お姉ちゃんぶりながらイルカに夕飯を分け続けるシンチェン。しかしシンチェンは自分の身体については誰よりも理解してるので「大丈夫……」と項垂れながら空腹をさらに轟かす。

 

 ……イルカは常人では色々と違う。『魔女』という点もあるが、後天的に備えられた義眼や機械仕掛けのグローブにその理由がある。

 

 イルカにとって食事とは通常の人間が行う栄養管理の他に、摂取したカロリーを無意識的に配分して自身が使う『魔法』である『電気』へと変換して貯蓄する体質があるのだ。溜め込んだ電気を消費することで義眼は機能してイルカの視界と視力を矯正並び強化をし、戦闘時のグローブを稼働させて電磁砲や避雷針といった役割を解放していくのだ。

 

 他にもイルカはヤコブの下にいた頃に色々と体内を弄られている。義眼から送信される高密度な情報を処理することや、進化をし続けるネットワークに対応するために脳には専用のバイオプロセッサなどが搭載されている。そのせいで学習機能や発声機能、あげくには器官の活動に支障を悪影響を及ぼしており、さらにそれを補うために内蔵器官を補助するための専用の人工器官を装着。それらはイルカの体重を否応もなく増加させ、通常の運動そのものが機能できなくなり、今度はそれを補うために筋繊維や神経を強化するための機能をバイオプロセッサに追加したり、電磁浮遊を起こすための反応体を埋め込んだり……と様々な後付け改造が施されており、それらすべてがイルカの『魔法』によって生成される『電気』を燃料として機能するように施されている。

 

 そのせいでイルカは痩せ細った幼い見た目ながらも『体重100キロ』を超える身となってしまった。タチの悪いことに、この改造のせいでイルカの純粋な人間としての機能はかなり衰弱しきっており、嫌でも機能を解放させないとイルカは生命活動さえままならないのだ。

 

 よってイルカにとっては『食事』とは、通常の人間以上に『死活問題』でもあるのだ。しかもシンチェンが提供してくれる量だけでは、ハッキリ言っておやつにもならない程のカロリーが必要であり、それは毎日万を超えるカロリーでなけれは満足に活動できないと不便極まる。

 

「充電……」

 

 とはいっても必要なのは『カロリー』ではなく、あくまで『電気』なため、時間効率さえ考えなければ身体の一部にあるプラグをコンセントなどに差しこんで、体内に『電気』を取り込めば大丈夫ではあるのだが。

 実際、イルカがヤコブの所にいたころは超圧縮した『電気』を纏めた容器——。いつぞやレンに手渡した『液体プラズマ』を口にすることで『電気』を無理矢理補給していたりする。

 

「……でもお腹は空く」

 

 しかし、それでイルカの『人間』としての生命活動までは補えるわけではない。結局は両方を満たしながらエネルギーを補給するには尋常ではないカロリー摂取が一番効率的で健康的なのがイルカという少女なのだ。

 

『う〜ん……。どうしよっか、お姉ちゃん。イルカちゃんを放っておくわけにもいかないよね?』

 

『……今は同盟関係ですし、まあどうにかしないといけませんね』

 

 シンチェンとハイイーが慌てる中、その視界を通して情報生命体であるスターダストとオーシャンは少しばかり考える。

 何せレンを筆頭に家主がおらず、しかも1番来る客人であるラファエルもこの場にはいない。となると次点でイルカの様子を見るのは、ほぼ必ずと言っていいほど一緒にいるシンチェン達を通して様子が見れる星之海姉妹しかいないのだ。

 

『1番呼びやすいのはレンちゃんとラファエルなんだけど……』

 

『もうお姉ちゃんが連絡しときました。けれど2人とも音信不通……。レンちゃんは鍛錬中の身であり、ラファエルさんは一応はサモントン関係者……おいそれと気軽に来れる身ではありません』

 

『だよね〜〜。だけど長官様も愛衣もお仕事で、アニーちゃんも訓練中で終わるのは後2時間は掛かるし……』

 

 二人して頭を捻らす。スターダストは心底心配そうに、オーシャンはどこか余裕を持って悩む。そんな顔をしている時だけは確かにスターダストはシンチェンであり、オーシャンはハイイーであることの繋がりを再度匂わせる。

 

『私たちに現実の肉体があれば簡単ですが、そうもいきませんしね……』

 

『あくまで私達とは別個体だからね、TwinkleとBoomは。こちらから強制的に肉体成長を促して私達みたいな見た目にできても、精神はそのままだし……』

 

 依然として二人は悩み続ける。あーでもない、こーでもないと姉妹はどこか危機感がない感じで話し合いをし、最終的には条件に見合う人物の特徴を順繰りに上げることになった。

 

『はぁ〜〜。どこかに心優しくて、融通が効いて、イルカ達が人見知りしない知人で、イルカの食費を受け持てるセレブリティな人いないかな〜〜……って——!?』

 

『そんな人いない——はっ!?』

 

『『いたっ! そんな都合のいい人っ!!』』

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

 ——時は過ぎ、場所は新豊州で数々とする出店する回転寿司とは名ばかりのバラエティ豊かなチェーン店『ヌシロー』店内。そこには三人の少女と、三人の幼女がボックス席へと座り、液晶モニターに映るメニューを片っ端から眺める微笑ましい光景が繰り広げられていた。

 

「おお〜!! ハイイーは何にする!? 私はハンバーグ寿司!」

 

「えっと…………玉子サラダ軍艦……」

 

「イルカ、全部一貫ずつ欲しい」

 

「なんか寿司以外にも色々とあるな……。唐揚げは分かるが、醤油ラーメンとか店に置いていいのか?」

 

「いや〜ゴチになります、ニュクスさん♪」

 

「いえ、私一人だと三人の子供を見るのは面倒……もとい大変なので、こうして二人も招いているのです。遠慮せずに食べていいですよ、エミリオさん、ヴィラさん」

 

 異色な顔ぶれがそこにはいた。入り口側の席にはシンチェンを挟んでエミリオとヴィラが。向かい側の席には通路側から順にニュクス、ハイイー、イルカと並んでいるのだ。

 

 ニュクスは皆がメニューに夢中になる中、スマホを開いてSNSのメッセージ画面を一瞥する。

 

 

 

 スターフルーツ:《ヘルプ! カモン! レンちゃんハウス!》

 

 

 

 これがニュクスが呼び出された理由だ。つまりスターダストとオーシャンが揃って口にした『都合のいい人』がニュクスだった、ということである。ニュクスからすれば「どんな一大事があったのか」と焦ったものだが、向かってみれば子守の世話を任されれば色々な気持ちが渦巻き、それを解消するやり場もない。

 

 ニュクスは呆れ顔になりながら《他に何かありますか?》とメッセージを送り、すぐさま『クラゲヘッド』で登録しているオーシャンから《大丈夫! あとはお願い!》と返信をもらう。ニュクスもSIDの関係者であるため、ある程度は二人の事情は知っているが、こうも丸投げ状態だと無責任過ぎて少しばかり苛立ってしまいそうだ。

 

「わーい、届いたー。イルカの分は……」

 

「これがハイイーので、私はこれだからね!」

 

「やだっ! シンチェンお姉ちゃんのほうが大きいっ!」

 

「いくらでも注文して大丈夫だから喧嘩しないように」

 

 しかし、そんなのは子供達が大暴れしたら気にする余裕なんてなくなる。子供三人はまるで野獣のように食い尽くしていき、ニュクスは店舗側に迷惑が掛からないか細心の注意を払う。なにせ子供の世話をするなんて初だ。おっかなびっくりでどんな行動であろうと不安で仕方がない。

 

 そして肝心な助力のために呼んだエミリオとヴィラは——。

 

「……ここ寿司屋だよな? 出てくるの半分くらい寿司関係ないぞ?」

 

「ラーメン食べてるヴィラが言えた義理ないよね?」

 

「そっくり返すぞエミ。アボカド軍艦は寿司ではない」

 

「マヨアボカドだからセーフっ!」

 

「もっとアウトだっ!」

 

 ……と二人は二人なりに楽しんでいる様子であった。とはいっても視線は常に気配っているので、孤児院で子供相手が慣れていることくる余裕だろう。これくらいなら大丈夫だと、表情から窺える。

 

 そうと分かれば、あとは楽しむだけだ。ニュクスも自分のペースを守りながら食事を楽しみ始めた。

 

 楽しい時間とは過ぎ去るのはあっという間だ。

 エミリオとヴィラはおおよそ寿司屋である必要性がない物をチョイスし、ニュクスはいつでも箸を止められるように鮮度が落ちないだし巻き卵や唐揚げを食し、子供達は思い思いに頼んで規則性がない。

 

「スペアリブ〜♪」

 

「あら汁美味しい……」

 

「アボカド炙りオニオンサーモンもいいよ〜」

 

「エミ、今日はレモンかけるか?」

 

「ガリで口直しできるからいいかな」

 

 そんなこんなですぐに一時間は経過した。時刻はすでに午後10時を過ぎる。営業時間的には問題ないが、子供が同伴しては少々教育に悪い。

 そろそろお暇しようかとニュクスはイルカを見る。イルカは満足そうにお腹を膨らませているのに、まだ何か足りなそうな表情をしていた。

 

「……どうしたの、イルカさん?」

 

「……お腹いっぱい。だけど、足りない……なんで?」

 

 本当にイルカ本人でもよく分からない様子に、ニュクスも一緒になって悩む。満腹なのに足りないとはどういうことなのか。何か食べ足りないこと意味してるのか? 満足感とかであろうか? 

 

 知人ではあるが友人ではないニュクスではイルカの心中は測り切ることはできない。そこでふと視線があったエミリオへと問う。

 

「…………エミリオさんは、なんでか分かりますか?」

 

「私の読心術って深層心理を覗くものじゃないからね……。動作とか表情で見分けるものだから、本人が分からないならこっちも分からないからそこまで便利な物でもないの」

 

 期待していた答えは返ってこなかった。まあ、そこまで便利な物なんて異質物であろうとそうはない。XK級異質物である【イージス】でさえも敵意のない攻撃は無視するし、凶器などの持ち込みは認可する適当な所があるのだ。万能無敵な能力なんてあるわけがない。

 

「まあ甘い物は別腹って言うし、締めのデザートが足りないんじゃない? ここミルクレープとかショコラケーキとか色々あるわよ♪」

 

 といってエミリオは子供達にメニュー表を見せた。目に星が宿ったように煌びやかに興奮し、それはイルカも例外ではない。

 

「1人一品までね。こういうのは一回きりだから美味しいんだから♪」

 

「私の支払いなので勝手に……。はぁ、まあいいでしょう」

 

 どうあれイルカの物足りない表情が消えただけで良しと考えて、ニュクスもメニューに目を通した。そして驚愕する。そこにあるデザート一覧には『レアチーズケーキ』『苺ショートケーキ』と王道なものから、どうしてそういう結論に至ったのか企画者に聞きたい『ケーキラーメン』から『魚介ミックスケーキ』といった採算が取れるのか怪しいものまでラインナップされていた。

 

「…………イ、イルカさんは何にします?」

 

 若干笑顔が引き攣りながらもニュクスはイルカに聞く。

 

「う〜〜〜ん……」

 

 考える。どれが一番イルカが欲しい物なのか、とりあえずは考える。

 

 ——何せ今まで甘い物は常に手元にあったため、とりあえずは甘いものが欲しくなったら無作為に口にしていた。だから『どういう甘さ』が好ましいのか全く考えたことがなかった。

 

 ……そこでイルカはもっと根本的な事に気付く。『どうして甘い物が好きなんだろう?』と。

 

 もちろん理由は分かっている。あの日、レンからチョコレートを渡されたことで『甘い物は幸せになる』ことを教えてくれた。

 だけど、そこで気付く。イルカはレンから『チョコレートは甘い物』と教えてくれたが、イルカ自身『甘い物が何なのか』という疑問を湧かなかったことに。

 

 初めて食べるなら、そもそも味覚の情報が一切ない。だというのにチョコレートを口にした途端『苦くて、甘いもの』だと瞬時に認識して理解した。予め知識があるだけでは辻褄が合いにくい現象だ。

 

 だとすれば、いつかどこかで『甘いもの』を口にしたことがある。という結論にイルカは見出した。となれば次に考えるのは『いつかどこか』とはいつなのかと。

 

 イルカはノイズだらけの記憶を掘り起こす。色褪せた思い出は、イルカが求めていた答えがあるはずだから。

 

 それはヤコブの下に行くよりももっと前——。まだイルカの『□□』がいた頃の記憶にあった。それは……きっと生まれてからまだ数年しか経ってない頃ではないかとイルカは思う。

 

 

 

 …………

 ……

 

《イルカ〜! □□だぞ、元気にしているか〜! ……なーんてな》

 

《もう貴方! くだらないギャグを言う癖は直らないの?》

 

《家族と話せる時が唯一本当に気が休まるんだ。忙しい上に、ここでは情報漏洩対策に個人的な理由で地上への連絡は数ヶ月に一度しか取れないんだ。少しは許してくれ》

 

《……今年も帰れそうにないの?》

 

《うん……。海底都市は順調に進んでいて、スケジュールが分刻みでとてもいけない。それにここには長時間いるから、仮に地上に戻った所で高山病や宇宙酔いに近い症状が出て、数日は寝込んでしまう……。イルカの世話だけでも大変なのに、僕の世話までさせるわけにはいかないだろう?》

 

《そうか……。今年こそは一緒に祭日を過ごしたかったね》

 

《だけどここの建設終了予定の2030年になれば、一生贅沢に暮らせる生活が待ってるんだ。あと数年待てば、君とイルカと一緒に……どこにだって行ける。それこそ君と僕が好きな水族館を、海底都市なら天然で見に来れるんだ》

 

《それはいいね……。けどイルカのためにも広い世界を見せてあげたい……海だけじゃなくて、空や陸も全部……》

 

《なら世界旅行にでも行こうか! ニューモリダスでバカンス、サモントンで麦畑や緑化都市を見物したり、新豊州なら本場の漫画や寿司とか楽しめるぞ!》

 

《それにリバーナ諸島の孤島で別荘置いたり……マサダでも内城なら安全だもんね》

 

《まだまだあるぞ! スプートニク基地周辺なら宇宙船が見れるし、華雲宮城に行けば星だって見れるんだ!》

 

《ふふっ、本当にいっぱい楽しみがあるね》

 

《……あっと、もう時間か。10分しか許されないって酷いよな。僕の土産は届いてるかい?》

 

 そこでイルカの記憶に変化が起こる。モニター上に映る男の姿は横に流れ——いや、恐らくイルカを抱いている女性が振り向いたのだ。

 

 向いた先には壁際。そこには散らかってはいるものの、埃一つなく遊び倒されているお魚の縫いぐるみや、窓辺から見える庭には電気で動く子供が乗れる玩具の自動車が、一緒に遊んでくれるのを待つように今か今かと飾られている。

 

《届いてるよ。遊具からバナナケーキからココナッツミルク……全部イルカと一緒に楽しんでるよ。だけどもう少し気が利いたのない? 私、貴方のせいで5キロも太ったのよ? 痩せ気味だから知人にはまだ気づかれてはいないけど……》

 

《あはは、ごめん。幸せ太りってことで許してくれるかい?》

 

《許します。……必ず帰ってきてね。どんなに掛かっても、私は待ってるわ》

 

《ああ、必ず帰るよ——。愛しの□□□□とイルカのために》

 

《私も愛してるわ、□□□□□》

 

 二人の視線がイルカに向けられる。

 そこには、ただ子供を慈しむ『愛情』という笑顔があった。

 

 ……

 …………

 

 

 

「…………なんでもいい。ニュクスが好きなのを頂戴」

 

「えっ、私が? ……イルカさんに合うかしら?」

 

 イルカが欲しいのは決して甘いものではない。好ましくはあるが、一番好きなのは誰かから施される『愛情』というものだ。だからイルカは選ばない。何であろうと渡された物に嬉しさが込み上げるのだから。

 

 ……いずれ成長すれば自分で選ばなければいけない日もくる。だが、それは『大人』になってからの話。今はただの『子供』として目一杯甘えても許される。

 

 もう顔も名前も声も朧げな『誰か二人』のために、イルカは心の中で思う。

 

 

 

 ——今日もイルカは元気です、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……苦い。あんまり美味しくない」

 

「あはは……。イルカさんには早かったですか……」

 

 けどやっぱり、ある程度は自分で選ぼうとガトーショコラを口にしながら子供じみた不満を思うイルカであった。


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