「ラファエル、今日はどこに行く?」
「どこでもいいわよ。気乗りしないんだから」
突如できた半休。ラファエル、ソヤ、俺の三人はヴィラクスが連れてくる『ある友人』を待ちながらカフェで時間を潰している。
……そんな中、ラファエルは不機嫌だった。必要以上に保温性の紙コップに注がれたコーヒーを掻き混ぜ、入れるの入れないのか分からないままコーヒーフレッシュの爪部分を指で弾いては溜息を繰り返す。
その不機嫌さは共感覚持ちのソヤは肌身で感じているのだろう。電流が迸るような鋭い目つきとなっているラファエルと目が合うたびに、ソヤは猫みたいに背筋をビクつかせて愛想笑いを浮かべ、それを見たラファエルは気を使われていることを感じてご機嫌斜めの角度を上げる。正直かなり気まずい。
……だけど俺はラファエルから離れようとは思わない。
……ここに来る前、方舟基地でガブリエルに言われたことを思い出す。
…………
……
「ちょっと、レンくん。今から少しだけお茶会しない?」
「お茶って……」
方舟基地にある待合室の一角。そこで俺とガブリエルは座り心地が悪い安物ソファへと腰を置き、テーブル越しで話す。給仕も兼ねているのか、モリスが「どうぞ」と陶器製のティーカップに高級そうな紅茶を淹れて渡してくれた。
「本当に少しだけですからね。無駄話もほどほどにしてくださいよ」
「分かってるって。……ただ彼とラファエルについて聞きたいだけだから」
モリスは溜め息混じりながら「分かりました」と言って立ち去っていった。……あぁ、こういう細かい部分でデックスの繋がりを感じる。今の溜め息、すごいラファエルに似ていた。きっと彼女の癖が移ったのだろうと考えていると、ガブリエルは紅茶を一口飲んで語り始めた。
「……今はあんなツンツンのじゃじゃ馬娘なラファエルだけど、昔は結構素直で良い子でさ。いつも私の後ろに付き纏っていて、『お兄様、これはなんて言うんですか?』とか『いつかミカエルお兄様みたいに立派になるっ!』とか言って時間さえあれば一緒にいたんだ……」
「すごい……今とイメージ違うな……」
「素直で生真面目だから弄りがいもあってね……。歯医者に行ったらわざと『痛いよ〜!』って叫んだり、怪談話したり、蜘蛛とかカエルとか見せたりしたら、面白いくらいビックリしたり怖がったりしてさ……」
「あの一面、アンタが一枚噛んでいたのかっ!?」
俺の咆哮に、ガブリエルは「もちろん」と、そりゃ憎たらしいほど良い笑顔で肯定してくれる。
「大変だな……。その、色々と」
主にラファエルに対してだけど。もちろん俺の心意なんて知る由もなく、言葉のままに受け止めたモリスは「ええ、本当大変でしたよ」と心底苦労した言わんばかりに重苦しく吐いた。
「ガブリエル様はミカエル様と違って自由奔放というか、水のように捉えようのない人物というか……とにかく悪戯好きで……」
「直してる最中だろう。私もデックスの名を持ち、『ガブリエル』として恥じないように精一杯努めてる。……そりゃミカエル兄さんと比べたら雲泥の差だろうけど」
ミカエル兄さん……ってことは、ガブリエルがラファエルの従兄なんだから、さらにその上がいるのか…………。
「まあ、そんな感じの幼少期をラファエルは過ごしていてね。そんなラファエルがじゃじゃウマ娘になったのは12歳の頃でね……。色々とあって豹変……というかある一面が芽生えたんだ」
「ある一面? ……話からしてあの気難しい面?」
「そう。けど、もっと言うなら『彼女自身』が新たに生まれ変わった、といった方が正しいかな」
「…………二重人格ということ?」
「いや、それは正しくない。先も言った通りラファエルは元々は純粋で、素直で、生真面目なんだ。あるゆる事柄を広い見識を持って受け止める感性の持ち主であるが故に、ラファエル自身は言うなれば『白紙』だったんだ」
白紙——。ラファエルが白紙の存在——? つまり『何もない』ということだったのか。
聞いた限りではラファエルの過去にそんな印象は受けないし、今のラファエルからもそんな印象がないどころか、個性派の塊すぎて、むしろ虹色と言っても足りないほどうるさくて禍々しい色に違いないと確信できる。
そんなラファエルが『白紙』とはどういうことなのか。何度思考しても答えは見つからない。
「……白紙の理由、分かったか?」
ガブリエルの問いに、俺は何の返答もできなかった。だって、その話が本当だとしたら、俺が知っているラファエルは『白紙』ではない時の物ということになる。
ラファエルと会ったのは17歳の時——。それも新豊州に来た時が正真正銘の初めてだ。5年間もあればいくらでも色付けることはできるのだから、どんなに想像を膨らませても以前のラファエルについて何も浮かばない、浮かぶはずがない。
それは俺にとって、ラファエルに対して未だに理解していない部分を突きつけられたような残酷さを感じた。
「……例えばの話、ある家族の息子がいたとする。その息子の名前が『二郎』とかだったらどう思う?」
「……どうも思わないけど。今時そんな名前の方が珍しいかなってくらい」
「じゃあ、そいつに兄弟がいたとする。名前は『一郎』としよう。『一郎』と『二郎』は兄弟だが、名前を聞いたらどっちが兄だと思う?」
「……『一郎』が兄だと思う」
「どうして?」
「どうしてって……。一とニだからとしか言えなくない?」
「……そういうことなんだ」
ガブリエルは再度紅茶を口にして話を再開させる。
「ラファエルは生まれた時から役目を持っていた。『ラファエル・デックス』の名に恥じないように育てられた。…………そんな子はどんな風に育つと思う?」
——『ラファエル・デックス』の名に恥じないように育てられた。
ガブリエルに言われて想像してみる。自分がそんな名を持って生まれたら、どんな風に育てられるのか。…………想像するのは容易かった。
「……天使である『ラファエル』として清らかに、貴族である『デックス』として高貴に育てられると思う……」
「そしてそれはデックス家全員に言えることだ。私も『ガブリエル』として己が責務を全うするように教育された。ミカエル兄さんも、ウリエルも……どういう理由があったかは計りきれないけど、祖父はそんな風に私達を育てた。モリスも女房役として個人ごとに最適な教育を施してくれた…………ある思想を常に宿しながら」
「それが『Noblesse oblige』…………。貴族の義務……」
「そう。我々デックスはその言葉を常に背負って生きている」
——なんだそれ。『義務』という名の『呪い』じゃないか。
「…………間違ってるのは当に分かり切ってる。だけど七年戦争以前から資源問題で世界はゆるりと破滅への袋小路に向かっていた。だから祖父はサモントンには偶像が必要だと決めて、宗教思想の根付きと共に自分の孫達に天使の名を与えた。……決して祖父に『愛』がなかったわけじゃない」
——偶像が必要だと決めて、孫達に天使の名を与えた。
その言葉を聞いて、俺は高崎さんの番組をみんなで見てた時に、ラファエルが口にした言葉を思いだす。
…………
……
《まあその程度よ。根本的なものはYohtuberの基本から一切離れていない。『なりたい自分になれる』『制約を乗り越えることができる』ということはトランスジェンダーやデミ・ヒューマンから解放されて大らかに活動できる意味を持つ。…………そういう自由になった自己を表現することで『自分を好きになる』という人種も多いわ》
《アイデンティティを確立させるのは、何よりも自分が自分を好きになることよ。我思う故に我あり、とでも言っていいわね》
《お前は自分の嫌いな教師の話を真面目に聞く? それと同じで自分で自分が嫌いな人間は、何を思っても何を好きになっても、嫌いな自分を通して見てしまうから結果的に何も関心を抱けない。アンタの例題は恋人をキッカケに自分を好きになるハートフルストーリー…………アンタには無縁なものよ》
《だから宗教というのものはある……。自分の価値を絶対的な何に委ねることで楽になる。その『何か』は別に神様じゃなくていい、芸能人やアイドルでも問題ない。ある意味ではその偶像を自分に投影することで自己を保つのがVtuberとして一面でもある》
……
…………
……あれはラファエルが自分自身に言い聞かせるものだったんじゃないのか? 『ラファエル・デックス』という制約から切り離されて、彼女自身の『アイデンティティ』を確立させたいという無意識からくるものだとしたら………ラファエルはその『何か』がないというのか?
だとすれば……新豊州に来てニュクスと言い争っていたことって……。
…………
……
《あぁ、なるほど。つまり、あなたは両親の命令に逆らえない『我儘な子供』ということでしょうか——》
《むしろあなたこそ、自由と独立を表現したいのでしょう? なのに家族の権威を笠に着て優越感を浸る姿は、正直なところ、非常に滑稽だと思いますが》
……
…………
「それに、今更十何年と生きた自分を否定できるほど我々は『自己』ができてない。望み望まれた末の生き方を喜んで、誇りに思って生きてきた。…………他の生き方を知らなかったから」
「それって、つまり———」
俗に言う『デザイナーベイビー』もしくは『教育虐待』にも近い方法だった。だとしたらラファエルにとって『ラファエル・デックス』の名はどう思っていたのか。
ガブリエルの言葉に嘘偽りがなければ、ニュクスの言葉を繋いで答えは見えてくる。自由と独立を望んでいるのに、十数年デックスの思想に染まった自分を今更変えることはできなかった。デックスの七光に甘んじる自分に心底嫌気を差していたに違いない。
…………そんなの可哀想とか、辛いとか以前の問題だった。物心つく前から『ラファエル・デックス』として、親の意向に沿って生きていき、親の威光でサモントンで地位を固め、親の移行で新豊州に来た。
そこにラファエルの自由意志はどこにもない。変えたくても変えられない——。いや、変える術そのものを知らない愚者未満——。『天使』の名を持つくせに、彼女自身は何にも成長せず、満たされたと思っていた人生は実は空っぽだった。
そんなの——。そんなの——。
——最初から『生まれてさえいない』じゃないか。
「……それが今のじゃじゃウマ娘が生まれた理由だ。サモントンにいた頃は本当に不機嫌な塊でな……。だけど新豊州から戻ってきたら、今まで見たことがないくらいラファエルが精神的に成長しててな。気になって執行代表となってまで見にきたら……レンくんがいた」
ラファエルの実態を知って愕然とする中、ガブリエルは唐突に俺の名前を出してきた。
「……だからラファエルは君を見て、憧れたに違いない」
「————憧れた?」
「だって君は『レン』であって『レン』ではない……そうだろ?」
言ってる意味がよく理解できない。確かに俺は『レン』であって『レン』じゃない。…………そこにラファエルはどこに『憧れ』なんて物が発生するんだ? いくら罵倒文句がラファエルなりのスキンシップであると理解はしていても、そこに『憧れ』なんて物は微塵も……。
「君を見た時、ラファエルは衝撃を覚えたはずだ。『女の子』の見た目なのに『男の子』である君の有り様……それは誰よりも強く固まった『自己』ができている証明だ。…………君、ラファエルから何て呼ばれてる?」
「えっと……女装癖、変態、メイド野郎、ロリコン、おサルさん、狛犬……」
我ながら何で覚えているのか。単純に物覚えがいいのか、どこか被虐体質があって愛称を気に入ってるのだろうか。…………前者だといいなぁ。
「色々呼ばれているな……。だけど、どれも君自身だ。『何にでもなれる』君を見て、ラファエルは…………いや、我々『何者にもなれない』天使の名を冠するデックス家は皆、君に惹かれるんだ」
「皆が……?」
「言ったろ。君とは個人的にお付き合いしたいって」
見惚れるような淡い微笑をガブリエルは浮かべて、思わず俺の中の乙女がドキッとするのが分かった。いかんいかん……今はそういうやましい事を考えるような場面ではない。
「君と出会って、本当にラファエルは変わった……。君のおかげで、ラファエルはようやく人間性を見出すことができた……。だから、ワガママを言わせてほしい。『ガブリエル』としてでなく……私個人の……ただ従兄という『唯一の人間性』からくるお願いだ。…………言ってもいいか、モリス?」
「…………私が仕えるのはデックス全員です。ガブリエル様が他言無用というのなら口を紡ぎましょう」
「…………ありがとう」
そう言ってガブリエルは、今までの高貴な雰囲気から一転して、威厳とか地位とか言った物をすべて無くした、ぎこちなくて情けない姿勢で頭を深々と下げて俺に告げる。
「頼む。デックスとしてでなく、兄貴分として頼む——。可愛い妹分であるラファエルを…………どうか最後まで……一緒に隣に居させてやってくれ」
………………えっと、それはもしかして……。
「ガブリエル様……。流石にそれでは、嫁入りさせるように勘違いしてしまいますよ……」
「……………………そうなのか?」
「そうですよ!? 貴方、サモントンで『付き合いたい男性ランキング第一位』に選ばれましたよね!? 女性に対する口説き文句も知ってますよね!? なんでそういう部分は知らないんですか!?」
「いや……付き合うなら当人同士で話し合わないと意味ないし……。第三者が何て言っても、それは大丈夫じゃないのか?」
「これだからガブリエル様は……。どこまでマイペースなんですか……!」
あぁ……ガブリエルのそういう非常識な面を見て、俺はラファエルが鳩がどこにでもいると思い込んでいた事を思い出す。
こんな人にだったら……こんな人のためなら、俺は誓ってもいい。最後まで俺はラファエルの側にいようと。
——その最後は、既に目の前に迫っていることを知りながら。
……
…………
「お待たせしました〜〜♪ 連絡先もなかったので、知人と合流するのに時間が掛かってしまって……」
「いやいやいや!? 友人だよね!? 連絡先知らないの!?」
「だって新豊州の図書館で一度あった以来ですし……」
こちらの追憶なんていざ知らず、やっと帰ってきたヴィラクスはとんでもない交友関係を口にした。果たしてそれは友人と言えるのだろうか。
そんなヴィラクスに付き合う友人も友人だ。どんな個性派なのかと勘繰りながら、その後ろにいる貞子みたいな薄暗い雰囲気を纏った黒髪の女性へと目を向けると————。
「……グッドモーニング、レンさん」
「…………何故にバイジュウ?」
見間違えるはずがない。その雪のような白い四肢に、儚げな瞳。どこからどう見てもバイジュウだ。ハイイー曰く、クールビューティーなバイジュウだ。何故にどうしてここにバイジュウがいるんだ。
「そこの女の子……ヴィラクスさんに呼ばれまして……」
「それは分かってるんだ。重要なのは、どうしてヴィラクスとバイジュウが知り合いなのかという部分なんだけど」
「図書館で」
「本を取ってあげて」
「そこから議論して」
「なんか気が合いました」
「まるで意味が分からないよ!?」
「「そうだよねー?」」
本当なんで気が合ってるの、この二人。読書家の繋がりというのは、そんな些細な事がきっかけで、そこまで沼ることができるのか?
「……どうでもいいでしょう。それより早く行きましょう」
二人が来た事で、ラファエルはこの場からどこかに行こうと急ぎ足で街に行こうとする。それは早く街を満喫したいのか、早く時間を潰して己が責務を全うするのを待ち侘びているのか。
……今の俺にはラファエルが分からない。果たして今のラファエルは俺が知っている新豊州で個性を爆発させていた一面なのか、それとも『ラファエル・デックス』としてサモントンに尽くそうとしてた時の貴族の一面なのか。もしくはその両方が板挟みになっているのか。
ラファエル——。その心中は今どうなってるんだ? 苦しいのか、辛いのか、虚しいのか——。
——それとも以前のように『白紙』で、自分でも測りきれていないのか。
何度思考しても俺には分からない。だけど俺は約束した。口にはしてはいないけど、ガブリエルの頭を下げても懇願した思いを無碍にはできない。そして、それが無くても俺の結論は変わることはない。
——最後までラファエルの側にいることを。