魔女兵器 〜Another Real〜   作:かにみそスープ

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第19節 〜這い寄る混沌〜

「我が名は『ニャルラトホテプ』——。君が喧嘩を売った『ヨグ=ソトース』の同胞さ」

 

 

 

 目の前にいるウリエルの形をしていた化け物……曰く『ニャルラトホテプ』を名乗る生命体は、強烈に記憶に植え付ける邪悪な笑みと共に、忘れることのできない名を告げてきた。

 

 

 

 ——『ヨグ=ソトース』

 

 それはアニー、ハインリッヒ、ソヤ、ギンを傀儡にし、今現在でもその『門』の奥でスクルドとミルクを捉えている吐き気を催す邪悪なる存在の名だ。

 

 ……それの『同胞』だと? つまりは『対等』な『仲間』ということなのか? 対等ということは、あの『ヨグ=ソトース』と同等の力を持っているのか?

 

 もしそれが嘘偽りない本当のことだとしたら…………。

 

 

 

 

 

 満身創痍な俺に、こいつの対抗する手段はあまりにも少ない——。

 

 

 

 

 

「ふふふ……。良い顔だなぁ、恐怖に引き攣ってる……。——私はそういうレンちゃんも好きだよ?」

 

 こちらを馬鹿にするように、ニャルラトホテプは『アニー』の顔に変えて嗜虐的な笑みを浮かべる。

 

 笑うな。その顔で……そんな本当に心の底から『友好的』で人懐っこいアニーと同じ顔を見せるな。それはアニーだけの表情だ。決してお前の表情じゃない。

 

「どうしたの、レンちゃん?」

 

「ふざけんなっ! その顔を見せるなっ!」

 

「……酷いよ、レンちゃん……っ。私のことそんな風に言うなんて……っ!」

 

「い、いやっ……違っ……!」

 

 本当に本物のアニーと寸分違わぬ表情だから、涙を浮かべて傷つくアニーを見て思わず動揺してしまう。こいつはアニーじゃないのに…………心のどこかでアニーなんじゃないかと錯覚してしまうほどに、こいつの擬態は完璧過ぎて、今度はまた違う『恐怖』が心身を握りつぶしてくる。

 

「——じゃあ、私の方が好きってことかしら、女装癖?」

 

「ラファエルにもなるなっ!!」

 

「なによ、女装癖のくせに生意気ね」

 

「まあ」とラファエルの顔で傷ついた表情を見せながら、次の顔へとニャルラトホテプは変えていく。次に変えたのは見慣れた色黒の少年の顔、ウリエルだった。

 

「君と相手する時は、この人間の顔の方が落ち着くか。ええっと…………どこで話を終えたかなぁ?」

 

 中身が化け物だし、さっきまで完全にアニーやラファエルとなっていたはずなのに、今度は年相応の子供らしく無邪気な態度で考え出し、これまた無邪気に「そうだ」と少年らしい可愛くも芯のある声で話し始める。

 

「いったい何を、と君が言ってネタバラシしたんだったね。僕はね、最初は『方舟基地』の実験に乗じて、アレを利用して今回の事態を起こそうとしたんだよ」

 

 未だ苦しみから絶叫を上げて悶えるヴィラクスをウリエルは指差す。

 ……あんなに苦しんでいるのに『アレ』だと? しかも道具扱いするにしても、雑に指を差すなんて…………。

 

 

 

 ふざけんな——。

 

 人の命を侮辱してるのか——。

 

 あの『ヨグ=ソトース』と同じように——。

 

 

 

「『方舟基地』での実験で『魔導書』が異常を発生して、持ち主であるヴィラクスが暴走……。それで新豊州へと被害を与えつつ、致命的な実験失敗の話を材料に、サモントンと新豊州の交流も断絶……そうすることで新豊州へと壊滅的なダメージを与えて、君を苦しめようとする算段さ」

 

「だったのにさぁ」とウリエルは怒るのではなく、呆れるようにため息を吐きながら話を再開させる。

 

「いつから気付いてたかは知らないけど、ガブリエルが『魔導書』を持ち逃げしたおかげで計画は破綻さ。別に計画自体は練り直せばいいから、その点はいいんだけど…………恐怖で引き攣る人間の顔を見る、という『面白い事』を目の前で取られるとさ……。どうしてもオヤツを取られて不機嫌になる子供みたいな心境にならない?」

 

 不貞腐れながら、ニャルラトホテプはこちらに同意を求めてきた。

 

 

 

 ……分からない。アイツが何一つわからない。

 

 全部アイツが思ってることは『本当』だ。本当に心の底から同意を求めている。子どもじみた不満を抱えながら。

 だけど先の時も『本物』だ。アニーになって泣いたのも、ラファエルになって高飛車な態度もとったのに、確実にして絶対に『本当』だと確信している。本当に泣いていたし、本当に傷ついていた。真似た当人が実際に言われたら、そうするであろう反応を取っていた。

 

 

 

 だというのに同時に『偽物』でもある。泣いているからこそ泣いておらず、傷ついているからこそ傷付いていない。

 

 すべてが元々から『同時』に内包されている感情なんだ。

 

 

 

 あるゲームでこういう描写がある——。

 全人類を本当に『愛してる』からこそ、平等な愛となって『愛』そのものがなくなる、というもの。

 

 あいつはそういう類の生命なんだ。

 すべての『感情がある』からこそ、すべての『感情がない』という——。

 

 

 

 

 

「じゃ、じゃあ……ガブリエルが『魔導書』を盗んだのは……?」

 

「僕の計画を失敗させるためだろうね。とは言っても僕の擬態は完璧だ。確証がないから、こうして組織と連携せずに独断で行ったんだろうけど」

 

「それに」とニャルラトホテプは話を続ける。

 

「ラファエルを君の元に置きたい、という願いもあるかな」

 

「ラファエルを……俺の元に……?」

 

「ああ。というか、そっちが本命かな。もしも僕が本物のウリエルで何も起こさなかったとしても、ガブリエルは今回の『異質物』強奪を起こしたさ。……だって彼はラファエルを大事に思ってるからね。自分が執行代表となったことで、ラファエルがサモントンに戻ったら、芽生え成長し始めたラファエル自身の精神を腐らせてしまう。……ガブリエルだて総督やミカエルからの命令ならデックスとして拒否もできない。だったら彼はどうすると思う?」

 

「…………自分が執行代表に相応しくないことを証明する?」

 

「ご明察」とアイツはこちらの解答に応えた。

 

「自分の我儘を押し通すためなら、こうもなるさ。ガブリエルが執行代表となったことで権威を持つことによって私物化したとしたら……貴族たる者、そんなのは相応しくない。ガブリエルはデックスから追放され、新たに執行代表の選抜を余儀なくされる」

 

「しかし」と一息置いてアイツは話を続けた。

 

「ガブリエル以上に適任者もいない。ミカエルはサモントンの重臣だ。おいそれと気軽に離れることもできないし、次点としてウリエルに任せようにも、総督からすればラファエルより未熟な上にまだ中学生だ。別の学園都市に移すには不相応だ。他の子はもっとダメだ。まだ未覚醒な上に精神も未熟過ぎる。見ただろう、シェキナ達の無邪気さを」

 

「だとしたら」とアイツは人外じみた怪力で『魔導書』を俺から奪い取り、ページを捲り始めた。

 

「もう答えは出ている。『現状維持』さ。ラファエルの執行代表を取り消して、再び新豊州在中の執行代表として活動させる。それが最もサモントンと新豊州にとって一番ベターな選択になるからね。何せガブリエルが裏切ったんだ。『スカイホテル事件』でのこと、『天国の門』でのことを考えると両者の信頼関係も落ちに堕ちる。それでも両方の学園都市が穏便に繋がるには、前々から在中して個人として信頼関係を築いているラファエル以外にはいない」

 

「自分の身も立場も全部犠牲にするなんて、滅茶苦茶つまらない男だよねぇ」と心底つまらなそうにアイツは吐く。

 

 

 

 ——つまらない男、と吐き捨てたか。

 

 

 

 …………

 ……

 

《君と出会って、本当にラファエルは変わった……。君のおかげで、ラファエルはようやく人間性を見出すことができた……。だから、ワガママを言わせてほしい。『ガブリエル』としてでなく……私個人の……ただ従兄という『唯一の人間性』からくるお願いだ。》

 

《頼む。デックスとしてでなく、兄貴分として頼む——。可愛い妹分であるラファエルを…………どうか最後まで……一緒に隣に居させてやってくれ》

 

 ……

 …………

 

 

 

 どんな思いで、ガブリエルはラファエルを託したかを知らないくせに——!!

 

 

 

「ふっ……ざけんなぁあああああああ!!」

 

「レンさんっ! 無策で近付くのは……っ!!」

 

 

 

 激情がバイジュウの言葉を打ち消し、俺の身体を巡る血管をすべて沸騰したように熱くなってアイツへと踏み込む。

 

 

 

 一呼吸あれば十分だ——。

 

 心を怒りで研ぎ澄まして、アイツの身体を『流星丸』で両断した。全力を持って手加減なしに。一瞬でアイツの身体は縦で二つに分かれ、右半身と左半身は力なく…………倒れはしなかった。

 

 

 

「ダメだよ〜〜。我はニャルラトホテプ。外宇宙に潜む生命体さ。例え身体が二つに裂けても、我自身には痛みなんて物は感じないんだよ」

 

「でも〜〜」と言いながら、二つに裂けた身体を粘土のようにくっ付けて練り始めると、そこには先程の太刀筋の傷が痛々しい継ぎ接ぎとなって泣きじゃくるアニーの姿があった。

 

「痛いっ……! 痛いよ、レンちゃん……! どうして私にこんなことするの……っ!?」

 

 

 

 ——違う。俺はアニーを傷つける気はなかった。

 

 ——違う! アイツはアニーじゃない……!!

 

 

 

「レン、お姉ちゃんっ……。イルカに、酷いことする……怖いっ……」

 

 

 

 ——違う、違う。イルカを怖がらせる気はないんだ。

 

 ——違う。頼むからこれ以上誰かに変化しないでくれ。

 

 

 

「私は……お姉ちゃんを友達だと思ってたのに……。お姉ちゃんは私にこんな事するの……?」

 

 

 

 ——違う! 違うんだ! スクルドを泣かせたくなかった。

 

 ——違う…………。お願いだから……。

 

 

 

「ううっ……いたいよぉ……」

 

 

 

 ……頼む。誰かが俺の手で傷つけたと思わせないでくれ。誰かの姿を真似ないでくれ。

 

 

 

「痛い、苦しい……。助けて、レンさん……」

 

 

 

 …………お願いします。それ以上——。

 

 

 

「……見たくないわよね。だったら私の中で泣いていいわよ」

 

 

 

 目を瞑ってこれ以上見たくない時に、どこかで聞き覚えのある女性の声が耳に届いた。

 今度は誰だ。誰に化けたというんだ。これ以上は見ない方が良いのは分かりきってるのに……何故か俺は、抗う事なく素直に目を見開いてその声の主を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——そこには『母さん』がいた。

 

 

 

 

 

「お前っ……今度は……っ!」

 

 

 

 あまりの衝撃に唇の震えが止まらない。女の子になった俺と似た黒髪のロング。身長も今の俺を十年ぐらい経過したらそうなるであろう想像できるぐらいには少し高く、雰囲気も年季相応の母性を持っている。

 

 

 

 間違いない……。間違いなく……母さんだ。

 アイツが擬態したに違いない母さんだ——。

 

 

 

「ううん、私は私。あなたのお母さん……」

 

 

 

 目の前にいる『母さん』の形をしたアイツは、本当に優しく俺を抱き包んでくれた。力強くも優しく……身体ではなく心で受け止めるように温もりに溢れている。

 

 

 

 あぁ——。『本物』だ——。

 

 

 

 アイツが擬態した姿だと頭では理解していても、心が惹かれて仕方がない。これは正真正銘『母さん』の温もりだ。

 

 あの日……『七年戦争』で離れ離れになってしまった……っ!!

 

 

 

「母さん……っ!」

 

「無理しなくていいわよ。独りぼっちにさせちゃったね……昔のように呼んでいいわ」

 

「うっ……ううっ…………! ママ……ッ!!」

 

 

 

 分かってる。頭では分かってる……。ママじゃないのはわかってる……。それでも……思わず泣きたくなる。

 

 だって——。

 

 

 優しく頭を撫でる仕草——。

 俺を包んでくれる身体——。

 温かくて安心感が湧く声——。

 

 

 

 どれも全部、抗い難いほどに、疑いようもなく……幼い日に生き別れてしまった『ママ』なんだ——。

 

 

 

「おやすみ。私の可愛い子……。貴方の代わりは私がしてあげる」

 

 

 

 ……あぁ、眠くなってきた。今まで気が張り詰めていたせいか、緊張の意図が解けたら途端に全身の力が抜けていく。

 けど……大丈夫……。眠っても大丈夫……。だって……側には母さんがいる。

 

 俺には……。

 

 

 

 

 

「貴方の代わりは……『俺』がなるんだから」

 

 

 

 

 

 ——私にはママがいるんだもん。

 

 ——おやすみ、ママ。

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

「レンさんの……『魂』が、消えた……? セラエノ……いったい何が……!?」

 

「『魔導書』に飲み込まれて別の次元に消えただけだ。そう焦る必要はない。レンちゃんの情報はまだ生きている……。問題はあっちだな」

 

 そう言ってセラエノはバイジュウの代わりに改めてニャルラトホテプを見る。

 

 そこには先程擬態していたレンの母親と非常によく似た少女がいた。同じ黒髪のロング。身長は先ほどよりも少し低く、雰囲気も母性よりも少年特有のどこかやんちゃさが溢れる。

 

 そしてもう一つ違うところがある。

 それは黒髪を色づかせる『赤メッシュ』が施されていることだ。

 

 その姿をセラエノはしっかり覚えている。先程、自分が興味を持った人物と全く同じ姿となっている。

 

 

 

 ——つまり『レン』がいるのだ。

 ——今度は『レン』へとニャルラトホテプは擬態しているのだ。

 

 

 

「相変わらず性根が悪いな……」

 

「あっ、セラエノじゃん。久しぶり」

 

「え……? えっ……? その声はレンさん……!? けど『魂』の形が……っ!?」

 

 視覚が機能しないバイジュウにとっては『魂』が違うのに、聴覚に届く知人の声と全く同じに聴こえる現象に困惑するしかない。セラエノが「気にするな。こいつはそういうやつだ」と抑揚が少なくも、確かな嫌悪感を持ってバイジュウの代わりに相対する。

 

「彼女がバイジュウか。ふ〜ん……セラエノがいる手前、下手に相手するのも面倒か。素直にバイジュウを渡してくれたら楽だけど、知的好奇心旺盛な君のことだ。絶対に手放すことはないだろう?」

 

「ああ。お前に渡すくらいなら私が保護する。彼女は私のだ」

 

 恥ずかしがることなく堂々と独占宣言をするセラエノを言葉に、バイジュウは思わず恥ずかしくなってしまうが、事態が事態のために惚気るような余裕は生まれはしない。

 

「じゃあ、今は我慢するか。俺たちが争ったら地球の文化は最低でも一つ滅びるからな」

 

 そう言いながらレンの形をしたニャルラトホテプはセラエノ達から視線を外し、もう苦しむことなく無表情なまま『人形』のように佇むヴィラクスを身体を舐めるように指を滑らせて囁く。

 

「今はこっちの玩具で遊ぶとするよ♪ 俺の可愛いヴィラクスちゃん♪ 計画は佳境だ。今こそ『魔導書』の力を解放させてくれ」

 

「はい……。ニャルラトホテプ様……」

 

「今はレンだから。趣味嗜好だから言うんだけど、恋愛ゲームの攻略キャラみたいに愛しく呼んでくれない?」

 

「はい……♡ レン様……♡」

 

「これが萌えってやつかぁ」と心底どうでも良さげにニャルラトホテプは言うと、改めてセラエノへと向いて話を再開させた。

 

「セラエノ。今からとっておきの面白いものを見せてやる。喜怒哀楽を知らない観測者にとって、極上の感情をご馳走してやる」

 

「極上の感情とな」

 

 

 

 セラエノは元々人間ではない。レンともバイジュウとも立場が違う。アレンとは協力関係。ヴィラクスとは知り合いではない。むしろニャルラトホテプの方が知り合いだ。

 

 故に彼女からすれば、今この場の誰よりも興味と関心を惹くのはニャルラトホテプしかいない。レンやバイジュウとは違い、本来の立ち位置である『観測者』に恥じない平等な価値観を持ってニャルラトホテプの話に耳を通す。

 

 

 

「人間で最も面白い感情は何だと思う? 喜びか、怒りか、哀しみか、楽しみか——。どれも違うねぇ。どれも尊いのは確かだが、人の感情の変化というのものは『余裕』があるからこそ生まれるものだ」

 

「なるほどな。一理ある」

 

「だったら『余裕』を奪うことで剥き出しになる感情が最も面白いか? となると、それも違う。そんなのは三流の答えだ」

 

「では二流のやることはなんだ?」

 

「人々が混乱させること。だけどこれはつまらない。命綱を付けたバンジージャンプと一緒で、事故でも起きない限りは想定を超えない。ゲーム内のコンテンツをやり込んだだけに過ぎないんだ」

 

「なら一流は?」

 

「もちろん、自分さえ巻き込んだ『全て』さ。三流も食う、二流も食う。余裕も、偶然も、事故も、必然も、全てを巻き込んで『混沌』の中で混ざり合う。その過程で飛び交う感情の発散、抑圧すべてが一瞬で輝き燃え尽きて、また違う感情となって繰り返す。これが俺にとって最高に退屈しのぎになるお遊びさ」

 

 それを本当に楽しくもつまらげに告げるニャルラトホテプを見て、セラエノは「相変わらずのゲスだな」と吐き捨てる。

 

「おいおい、今は年頃の男子……じゃなくて女子高生なんだよ。そういうこと言われたら傷つくな〜〜」

 

「私もここでは15歳のピチピチだ。年頃に刺激の強い話を聞かせるな」

 

「まあ、そういうわけだからさ……。今からサモントンは『混沌』の渦中に俺さえも巻き込んで終焉を迎える……」

 

 

 

 ニャルラトホテプは再びヴィラクスを抱きしめる。

 レンが浮かべることはできない残虐で嗜虐的な笑みを、これでもかと深く浮かべながら告げる。

 

 

 

「さあ、始めようか!!」

 

「にゃる・しゅたん、にゃる・がしゃんな……。にゃる・しゅたん、にゃる・がしゃんな……」

 

 

 

 ヴィラクスはニャルラトホテプの言葉に従い『魔導書』のページを開いて呪文らしき言葉を紡ぐ。

 呪文が一節、また一節と続いていくと、途端に世界が揺れた。地面ではなく確かに『世界』が揺れたのだ。まるで悲鳴をあげるように。

 

 

 

「何が……何が起きてるのですか……? セラエノさん……何が起きてるかを……!」

 

「大人しくしていろ! 私から離れたら死ぬと思え!」

 

 

 

 セラエノはそのやる気のなさそうな表情からは想像もできないほどに鋭敏にして俊敏に動き、倒れて拘束されるアレンを拾いながら彼女もまた呪文を紡いで三人の周りに障壁を展開する。

 

 

 

「天使の翼は地に堕ちた! サモントンは今から『失楽園』となるッ!」

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

 一方、SID本部——。

 

「ちょっと! ちょっとちょっと! マリル! マジでガチでヤバい!」

 

「言い方で危機感が薄れる! いったい何が……っ!」

 

 愛衣に催促されてマリルはモニターを見上げて絶句する。そのモニターは普段『時空位相波動』を表示するために使用しているものであり、発生するとその地点は赤く発光して場所と範囲を示す。

 

 問題はその範囲にあった。一瞬で規模が膨らみ続ける。普段は数十m単位の極小しか発生しないというに、今だけは縮小率を変更しないとモニターすべてが赤く染まるほどに大規模なのだ。

 

 

 

 ——あの『OS事件』で検知した前兆よりも遥かに大きく。

 

 

 

「馬鹿な……っ! 半径……10キロ……30キロ……。まだ広がっていく……っ!」

 

「しかもサモントンを中心にね! レンちゃんの生体反応は消えてるし……『時空位相波動』が展開されてるせいで、こちらから通信が全部途絶されるっ!!」

 

 未だかつてない事態にマリルも愛衣も余裕を取り繕う暇がない。大急ぎで事態の把握をするために、現在利用できるSIDの全勢力を稼働させて事態に当たる。

 

 待機中である『魔女』も全員動く。ベアトリーチェも、エミリオも、ヴィラも、ファビオラも、ギンもただならぬ事態を肌身でも心でも感じて動きを止めない。

 

「展開は終了したけど……こんなのが存在していいの……っ?」

 

「いったい……サモントンで何が起こってるんだ……っ!?」

 

 反応が収まって安定した数値がモニターに表示される。

 その数値にマリルと愛衣でさえも絶望に近い心境で驚愕するしかなかった。

 

 

 

 『時空位相波動』検知——。

 範囲は『約700km』——。

 つまり『サモントン』の国土すべて——。

 

 

 

 脅威レベル判定『Error』——。

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

「おい……なんだあれ……」

 

 サモントンの上空。それを見て民は恐れ慄く。

 見上げた空の果て。そこには一つの『空虚な穴』があった。それは見方によっては地獄の入り口か、悪魔の口か、世界の闇が形となったようにも見える。

 

「空が……世界が……割れていく……!」

 

 それはそうとしか形容ができないような異常な景色だった。

 穴は少しずつ空にヒビを入れるように拡大しつつけ、空がガラスのように砕け散り、破片となって落ちてくる。

 落ちてきた空は少しずつ形を変えて、やがては『少女の形』となってサモントンへと襲来した。

 

 

 

「偉大なる……タカDuマm-smrti-ガハラ……ガハラガハガハラララ……Raaaaaaaaaaa!!!!!」

 

「ひっ……!!」

 

 

 

 襲来した少女は『ドール』だ——。

 ニャルラトホテプが起こした『時空位相波動』によって呼び出された従者の1人——。

 

 それが1人、また1人と落ち続け——。

 

 

 

「あ…………ああっ……」

 

 

 

 空を覆う『幾千万』の『ドール』が犇めき合う——。

 それはこの世の地獄というには生優しすぎる。六道輪廻の世界が歪み混じり、恐怖とも混乱ともつかない『混沌』という感情が民を縛り付ける。

 

 

 

 

 

 ある民は思った。これが世界の終わりだと——。

 ある民は思った。これは世界の始まりだと——。

 ある民は思った。神よ、私だけはお救いくださいと——。

 ある民は思った。神よ、この子だけはお救いくださいと——。

 

 

 

 

 

 ありとあらゆる感情がサモントン都市部へと伝播する。さながらそれはウイルスのように、ただ恐怖も興奮も諦めも抵抗も、全ての感情を爆発させて『混沌』が民を支配する。

 

 

 

 

 

「——肉体を盾とし、血液を矛とし、魂をかけて誓う」

 

 絶望に混乱し、救いを祈る民の前に、甲冑を身に纏い槍と盾を手にした騎士が姿を見せた。

 

 戦車ではなく要塞や軍艦のように重々しくも、力に満ち溢れた一突きが『ドール』を串刺しにし、一撃で機能を停止させる。それを騎士は地上に流れこむ『ドール』すべて平等に一撃で確実に葬り去る。

 

 しかし、それで空を覆う『ドール』の脅威がなくなるわけでもない。

 未だに1人、2人、10人、100人と爆発的に増え続け、サモントン全てを覆うように穴から『ドール』が溢れる。

 

 

 

 だが——。『ドール』が溢れ続けることはあっても、それ以上サモントン都市部に襲来することはなかった。不思議に思う民は空を改めて観察して気づく。

 

 

 

 ——サモントン都市部全てを覆う『膜』があった。オーロラのように揺らめき、頼りない見た目からは想像もできないほどに『ドール』達を押し退けて膜の外へと追いやる。

 

 

 

 民は知らない。それは騎士が持つ『盾』の効力だということを。

 

 

 

 その『盾』はサモントンが所有する異質物の一つ。

 登録名称は『ヨセフの血の盾』——。

 

 またの名を『ガラハッドの盾』——。

 あの『アーサー王伝説』に登場する『円卓の騎士』の1人であり、同時に『世界でもっとも偉大な騎士』と呼ばれた『ガラハッド』が使用されていたと言われる聖遺物——。

 

 その特性はシンプルにただ一つ。『守る』だけ。『戦う』ことは許されない。ひたすらに耐えて耐えて耐え続けるだけの『守る』ことしかできない『盾』なのだ。

 

 しかし盾の強度は使用者の精神力に比例し、心が折れなければ決して崩れはしない。

 

 

 

 例え、その身が朽ち果てようとも——。

 

 

 

 故に、サモントンはその折れることない騎士の心にも敬意を示し、その盾には『ヨセフの血の盾』や『ガラハッドの盾』以外にも、もう一つの名称が騎士と共に授けられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——『不屈の信仰』と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 立つ姿は、燃える薔薇の如く力強くも華やかに——。

 流れる黄金色の髪は、星屑のように煌びやかに——。

 鉄鋼纏う身体と意思は、ダイヤモンドのように砕けない——。

 

 

 

 

 

 まるで自分の『正義』や『信念』が正しいことであると告げるように、彼女の髪は『黄金の風』に吹かれていた。

 

 

 

 

 

「わたくしセイント(聖騎士)モリスは、死に至るまで、命を持って、民を守り抜くことを————」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 to be continued……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 くぅ疲w というには最近ほとんどのスレのSSが『怪文書』となっている今、流石に『くぅ疲w』は古いのではなく古すぎるのではないかと感じるこの頃。とりあえず第四章【堕天使】こと『サモントン編・前編』はひとまずここで終わりとなります。

 レンは閉じ込められ、バイジュウもソヤもボロボロの中、ついに目覚め活動を始める『這い寄る混沌』ことニャル様。
 第四章にもなって、クトゥルフ神話におけるメイン級神話生物が表立って行動するようなったことから、どれほどの危険性があるかTRPGプレイヤーならご理解いただけるかと。

 そして『魔導書』に操られ暴走するヴィラクス。サモントンが混沌となる中、立ちはだかるセイントモリス。果たして今後はどういう展開を迎えるのか。作者にも分かりません嘘です。

 そんなわけで次回、第五章こと【失楽園】は体調を考慮して7/1に開始する予定です。もしかしたら体調良好が続いて執筆速度が落ちないようなら6/1からでも可能ではありますが……余裕を見て7/1となります。申し訳ありません。
 
 それと第四章の最後になってニャル様が出てレンちゃんを精神的にボロボロにしましたが、あれは邪神的な側面の表現であると同時に『作者の性癖』の片鱗でもあります。
 第五章でもそんな精神的にズタボロにする描写が少しはありますのので、しばらく作者の性癖にお付き合いくださいませ。

 さて、今回はそういう感じで後書きを終えさせていただきます。
 それとTwitterでAmazon欲しいものリストを公開したら、コーヒーやらアイマスク、ビタミン剤、さらには液タブもご提供してくださって感謝です。改めてこの場でお礼を言わせていただきます。

 それと『昆虫食』も届きました。初めて食べたけど中々に美味しかったです。煮干し食ってるみたいで。



 それでは皆様コロナ禍でも負けず、健康を維持して過ごしましょう。
 
 バイビー!(マルゼンスキー)

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