魔女兵器 〜Another Real〜   作:かにみそスープ

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第3節 〜戦場を渡る鳥たち〜

「うし……。一先ずは掃除終了かね……」

 

 サモントン都市部郊外南西部にて、セレサは『ドール』の群れを刃が届く範囲で一体残らず葬り去り、現在は避難する民をマンションの上から遠目に見守って非常時に備えて細心の注意を払い続ける。

 

「……半信半疑だったけど、お嬢様特製の『治癒石』ってのはいいね〜〜。ビタミン剤とかカフェインよりも身体をシャッキリしてくれる」

 

 珍しく欠伸も眠そうな顔をセレサは見せず、口内で舐め回す『治癒石』の効力に感心していた。

 本来セレサは自分でもどうかと思うくらいに眠るのが大好きな怠け者だ。それも隙さえあれば睡眠しようと身体が覚えてしまうほどに筋金入りのだ。

 そんな習慣とも慢性的な疲労とも付かない睡眠欲がなくなるのは、現状では非常に助かるものだとセレサは考えてしまうが、同時に「これはこれでストレスだよねぇ」とも思い、上空から『ドール』を降り注ぎ続ける裂け目を見上げた。

 

「どんだけいんの……。対して強くないからいいけど、私が倒した分だけで500は超えるよ? 郊外の端に行くほど倍々で増えてるってのに、まだおかわりがあるなんて……日数単位で寝れそうにないね、これは」

 

 セレサは今度はサモントンの端の端を見つめる。そこには大体でも掴むことはできないほど豆粒なサイズに縮小された『ドール』達が何千、何万と犇めき合っていた。

「ここまで遠いと黒ずんじゃって、海苔の佃煮に見えなくもないなぁ」と呑気に思う様にするも、それでもセレサは一応はサモントン所属ということもあって信心深く、いくら救いの手がないとはいえ、人命を見捨てなきゃいけないことに思うところがあった。

 

「…………ん? なんか気配が……?」

 

 意識を研ぎ澄まして細心の注意を払っていたセレサだからこそ気づいた。周囲の空気が、何となく澱んでいる事に。

 

 それは前兆だった。季節や環境などの事情で渡り鳥が空を駆けるように、何かしらサモントンに得体の知れない何かが来るような気配をセレサは感じた。

 

「……まさかっ!!」

 

 セレサは目を見開いて天を戴く裂け目の奥を見た。あの奥から『得体の知れない何か』が来る事に確信を持って。

 

 その予感は的中する事になる。

 暗闇の裂け目。そこから形容し難い大型のコウモリや鳥のような姿を持った馬が出てきたのだ。

 

 しかし馬と言っても美しい毛並みがあるかと言われたらそうではない。かといって鳥だからと言って、包み込むように羽毛が生えているわけでもない。ワニよりも厚く荒々しい鱗で覆われており、鈍な刃や拳銃程度の小さく威力もない銃弾では傷一つ付きそうにない。

 

 劈く鳴き声は不快極まる。黒板やガラスを引っ掻いたような、あるいはカラスが甲高い悲鳴をあげるような、名状し難くも人間の聴覚に対して不快感を与える鳴き声だ。

 

 そしてその声は厚みを増していく。ウマ娘ならぬウマ鳥が次々と溢れ出し、都会の満員電車から乗降する社会人のように絶え間なく流れ続ける。

 

 

 

 その数『ドール』よりかは遥かに少ないが、実に『1万』を超えている————。

 

 

 

 それは各地に均等に向かって飛んでいく。東西南北、距離関係なく一定の間隔を空けながら、その地域にいるエージェントや市民など関係なく、目につく人間へと向けて滑空していった。

 

 その動きにセレサは違和感を覚えた。

 見たことない怪物ではあるが、とてもじゃないが知性らしい知性を感じない。それがどういうわけか統率された動きで各地で羽ばたいていくのは些かおかしく感じる。

 人間を襲うにしても、一つの対象に一斉になら分かるが、順番や役割が決まっているように動くのは野生的でも本能的でもない。

 

 

 

 ——まさか、この規格外な『時空位相波動』の発生は、過去にある国で大ダメージを負わした津波や地震みたいな震災という自然的な物ではなく、誰かが意図的に起こした物ではないか?

 

 

 

 そうセレサは感じ、すぐさま通信機を起動させてモリスへと連絡をした。

 

 

 

「モリス、聞こえてる? 緊急事態発生っ!」

 

『聞こえてますし、こちらも把握しております。なんですか、あの醜悪な鳥さん達は?』

 

「知らないよ。ただ『ドール』よりかは厄介なのは確実だね……。銃弾とかは通じそうにないし、空中で飛べる生態なのに『鱗』があるのもおかしい……防御以外にも何かしらの役割があるのは違いないけど……」

 

『情報が少なすぎて分からないと……。でしたら所感で大丈夫です。セレサからは、あの怪物は対処できますか?』

 

「見た感じ私の太刀筋なら斬れるとは思うんだけどね……。流石に『飛んでいる相手』を斬るには骨が折れるよ……」

 

 

 

 セレサにとって『飛んでいる』ことは非常に悩ましい問題であった。

 

 近代は『異質物』の影響で飛躍的に科学技術は向上はしたが、そもそも『人間』という存在自体は『異質物』研究の前後から、目覚ましい『進化』を遂げた物はほとんど確認されていない。

 

 もちろんセレサの知る限り、バイジュウやソヤ、それにアイスティーナなどは確かに『進化した人類』と言っていい特異体質を持っている。だが、それは遺伝的物ではなく、個人ごとに成長した突然変異による物であり、普遍的な存在としては認識されていない。

 

 故にどんな科学技術が向上しようと、扱うのがそういう突然変異の存在ではない以上、基準はごく普通の『人間』なのだ。

 人間は『空を飛ぶこと』ができない以上、人間を基準に『空を飛ぶ』という技術は発達しない。『飛行機』といった乗り物を駆使することで間接的に飛ぼうとする。それは『異質物』が再確認・再研究されてからもそうであり、どれだけ航空技術が発展しようとも、人間自体が『飛ぶ』という科学技術は発展していないのだ。

 

 もちろんイルカという例外は存在はするが、あれはコスト度外視、汎用性の低さ、イルカ自身の『魔女』として素質などを考慮した上での産物であり、今現在イルカがいない以上、思考に入れるのは間違いである。

 

 

 

 つまり、あの馬面鳥型の怪物に対して有効打が一切ないのだ——。

 

 

 

「……後手に回るしかないか」

 

 届くことがない刃を空を飛ぶ怪物へと向けてセレサは呟く。その内一頭と視線が合うと、怪物は何かを合図するように上空を旋回する。

 

 すると裂け目から一斉に『ドール』達が、セレサのいる区域へと飛来してきたのだ。その数は裕に100を超えており、本能の赴くままに障壁の中に入ろうと押しかけてくる。

 

 もちろん障壁内部に決して入ることはない。モリスの『不屈の信仰』は防御面に関しては絶対の絶対だ。彼女が祈り続ける限り、その障壁が崩れることは確実にないと断言できるほどに確定的と、しつこいくらい推せるくらいに。

 

 

 

 しかし、かといって24時間不眠不休で祈り続けるのは無理がある。正確にはセレサが知るモリスであれば、24時間くらいは可能ではあるが、72時間——つまり『三日』も来れば流石に限度がくる。

 

 そうなれば障壁は消えて、溜まりに溜まった『ドール』達はサモントン都市部へと流れ込んでくる。そうなったらサモントンは終焉を迎える。

 

 であればセレサが無視する理由はない。セレサがいる場所に10体ほど落ちてきた『ドール』達を、ギンと並びうる目に止めらぬ速さで『一閃』すると、全てのドール達が『全て違う太刀筋』によって身体が『三つ以上』に切り裂かれた。

 

 その剣技にしても抜刀術にしても不思議な太刀筋を見せるセレサだったが、それだけ終わるほど『ドール』は甘くない。

 再びセレサのいるところに10体は補充されると「面倒だな」とセレサは感じながら、再び刀を抜こうとすると——。

 

 

 

「——ッ!?」

 

 

 

 刹那、空で旋回していたはずの怪物が急降下して、その鉄さえも引き裂く鋭利な牙で噛み付いてきた——。

 

 

 

「ちっ……。こういう時だけ『ドール』達と連携するなんて……っ!」

 

 既のところで回避し、セレサは迎撃しようとするが、怪物はそれよりも早く上空へと再び上昇して安全圏で羽ばたき続ける。回避動作で抜刀動作を取れないのに乗じて『ドール』達も襲いかかるが、そんな隙はセレサにとって隙ではない。

 

 素手となっている右手で空気や風を掴み、気を澄ましてセレサは『ドール』の身体を切り刻む。それは以前セレサが新豊州に訪れた際、レンにその身体へと手解きした技と全く同じであり、それよりも卓越した技量を持って『ドール』を退けたのだ。

 

 しかし、それでも『ドール』達は当人達がどれだけ飽き飽きしようが増加を止めはしない。先ほどよりも多く20体はセレサの下に降り注ぎ、次々と波のように寄せては引いてを繰り返して襲いかかる。

 

 もちろん何体増えようがセレサが対処できない物ではない。瞬時に切り裂いて、切り裂いて、切り裂いて切り裂いて、切り裂いて切り裂いて切り裂いて——。

 

 その繰り返しの最中、僅かな隙を的確に見極めて馬面の怪物は再び急降下攻撃を行い、今度はセレサはマントに食らい付いて引き裂いた。

 

「こいつ……っ!」

 

 しつこいくらい増え続ける『ドール』を相手にしながらセレサは気づく。気味の悪い見た目に反して、怪物が取っている戦法は堅実かつ狡猾な物だと。

 

 安全が保証されている空中で待機し、その間に『ドール』による物量作戦で強引に隙を作り出し、それを突いて一方的に強襲をして即離脱する。俗に言う『ヒットアンドアウェイ』と呼ばれる物だ。

 

「こっちは鳥の相手はできないってのに……!」

 

 かといって怪物を狙うことはセレサには不可能ではないが、些か博打が過ぎる。高さとしては10mくらいであり、飛ぶのではなく『跳ぶ』のであればセレサの超人的身体能力もあれば届く事自体は可能だ。

 

 問題は『跳んだ後』のことだ。跳んだとしても、人間は空中では自由に移動できない。もしも斬撃を躱されたら決定的な隙を見せて怪物に噛み砕かれるし、仮に怪物を屠ったとしても、自由落下した際に地面を埋め尽くす『ドール』相手にはどう対処すればいい。地面がなけれは足先に力を込めることはできず、剣技も抜刀術も戦闘技能として活かせない。人間は地に足を付けることで生きていた生物なのだから、空中での戦い方など身につくはずもないのだ。

 

 かといって今のままでは『ドール』達の相手をした隙の怪物は襲いかかって、いずれは致命傷と言わずとも動きに支障をきたす傷を負うこともある。そうなれば『ドール』の物量で蹂躙されるのは目に見えている。

 

 ならば『ドール』の相手をせず、怪物と牽制し合うのはもっとダメだ。そもそもサモントン都市部の防衛戦は『ドール』の総数を可能な限り減らすための物であり、それを熟せないのは本末転倒だ。それは自分だけが助かる手段であり、決して民も仲間を救う手立てではない。

 

 

 

 せめて、どうにかしてあの怪物に届く『足場』さえあれば——。

 

 

 

 そう思った瞬間、空とサモントン都市部が煌めいた。

 光を乱反射させて存在感を際立たせ、光と光は繋がり、やがてそれは御伽噺のように煌めく橋となってサモントン都市部の空を覆った。

 

 どういうわけか理解が追いつかず、現状を把握するためにセレサは『ドール』と怪物の集中力を切らさないまま、その空中に漂う『光の橋』の見つめた。

 

 煌めく光を繋ぐ物——。その正体とは何なのか——。

 

 

 

「——『氷』?」

 

 

 

 その正体にセレサは驚愕した。その反応は当然であり、空中にはほぼ透明に近い『氷の橋』が架かっていたのだ。

 どうして氷点下でも絶対零度でもない環境下で『氷』が生まれるのだ? そんなのは『常識』では考えられない。『超常』の現象なのだ。

 

 

 

 つまり『魔女』もしくは『異質物』による力で発生した『氷の橋』——。

 

 

 

 セレサが思考を続けるの同時に、その空中に漂う氷の足場には見覚えのある人物が何人も駆け上がって、空を制する怪物の首を一刀両断していく。

 

 どうあれそれは起死回生の一手となり、一先ずはセレサの危機を脱して滞りなく眼前の『ドール』をすべて屠った。残る怪物も、その人物が確かに一頭ずつ落としていき、このサモントン都市部の危機を脱した。

 

 これで万事解決——。というわけにいかない。

 疑問は尽きていない。セレサには怪物以上に不思議なことが目の前に起きていたのだ。

 

 その疑問とは怪物を倒した人物にあった。より正確には、その人物の数に問題があったのだ。

 

 迎え撃つ人物の名をセレサは知っている。

 金髪のロングに、露出過多な機動力重視の装備は彼女が知る『ハインリッヒ・クンラート』が戦う姿で相違ない。そこは間違いない。

 

 

 

 問題は——。

 

 

 

「あれも……そこにいるのも……ハインリッヒ!?」

 

 

 

 

 ——そう。ハインリッヒが『何十人』と現れて、怪物へとその刃を叩きつけていることなのだ。

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

「……『シャンタク鳥』ですか」

 

 時間は少し巻き戻り、ハインリッヒもセレサと同様に『ドール』を屠りながら空を見上げる。そこにはハインリッヒが知る馬面鳥型の生物である『シャンタク鳥』の姿が空を覆っていた。

 

 その内一頭がハインリッヒに狙いを定めて、シャンタク鳥は旋回して『ドール』を呼び寄せていく。それはセレサを苦戦させた『ヒットアンドアウェイ』の合図だ。

 

 だが、それは空中での戦う手段を持たない相手に限る。ハインリッヒは即座に『ラピスラズリ』と『フラメル』を握りしめて、空を『跳び』——そして再び『跳んだ』

 

 

 

 ——その足の裏に、空中で足場のようになって浮かぶ『氷塊』を出現させて『跳んだ』のだ。

 

 

 

「わたくし相手には、それは分が悪いですわよ?」

 

 その光景をシャンタク鳥は馬面ながらも驚きに満ち、一瞬でその首を断ち切った。

 

 ハインリッヒは襲名通り『錬金術師』であり、その能力の汎用性は極めて高い。火を起こそうと思えば起こせるし、水を生み出そうと生み出せるし、風を吹かそうと思えば吹かせる。

 

 錬金術の基本である『四元素』をハインリッヒは当然扱えるのだ。

 ソヤを追い詰めたガブリエルの『水』を『氷』にする技術なんて、ハインリッヒからすれば既に辿り着いた真理の一つ。赤子を捻るより容易く行えるのだ。それこそ『OS事件』で『マーメイド』と戦うために、海上を凍らせて走ったように。

 

 それを応用すれば空中に氷の足場を作るのは、ハインリッヒに造作もないことだ。

 大気中には水分が漂っている。それを集めて凝固させれば空中に『氷』を出現させる程度なら容易く熟せるのだ。自由落下中にもハインリッヒは氷の足場を作り、安全に着地して再び地上の『ドール』への応戦を再開させる。

 

「……しかし数が多すぎますね。わたくし一人では、あの数をすべて倒すのには……まあ、障壁が持つまでには不可能ですね」

 

 片手間に『ドール』を相手にしながら、ハインリッヒは思考を巡らせる。『ドール』もシャンタク鳥も、ハインリッヒにとって雑兵も雑兵だ。しかし数が多くなれば、雑兵でも処理が追いつかない。どんなに強力な人間でも1人で相手をするには、どうしても限度があるのだ。

 

 

 

 わたくしが『複数人』いればいいのに——。

 そんな世迷言みたいなことをハインリッヒは考え——。

 

 

 

「……ああ。そうすればいいだけですね」

 

 何を思いついたのか、ハインリッヒは良からぬ笑みを浮かべて『ドール』の四肢を切り裂いたのだ。『ドール』というものは普通の人体は違い、四肢を切られようと頭が吹き飛ばされようとも、完全な機能停止になるまで消えることはない。四肢を切られても『ドール』は健在であり、残った頭部と胴体を持って、本能の赴くままに対象を殺そうと動き続けるのだ。

 

「ちょっとその身体、永遠に借りますわよ」

 

 だが、ハインリッヒにとっては『ドール』が死なずに抵抗する力を弱めることが狙いだった。何体か同様に四肢を切り裂いたところで、ハインリッヒは『フィオーナ・ペリ』の効果を使って『ドール』の動きを極限にまで遅くして、その『ドール』達へと自分の血痕が付いた手を翳した。

 

「『人体錬成』は錬金術師にとって禁忌ですが……『真理』に到達したわたくしには些事なこと。『等価交換』の原則に従い、貴方達20人ぐらいを『生贄』にしてさしあげましょう——」

 

 

 

 するとハインリッヒの手から稲妻が迸るように光が瞬き、拘束した『ドール』達を包み込んだ。蛹状となって包み込み、その膜は薄く、光を発すること内部が透けて、その中では『ドール』が泥のように溶けて混ざり合うという冒涜的な光景が繰り広げられる。

 

 そして暫時が経つと、蛹は爆発するようになくなり『1人の女性』が姿を見せた。

 

 服を一切纏わぬ生まれたままの姿で悠然と立ち上がる金髪の女性。それが夢遊病で彷徨う人間のように朧げな手つきで、その手に『ラピスラズリ』と瓜二つの剣を生成すると、これまたハインリッヒと瓜二つの戦闘服を身に纏う。

 

 

 

 それはもう見間違えようもなく『ハインリッヒ』だった——。

 ハインリッヒ自身の錬金術で、『ハインリッヒ』を作り出したのだ——。

 

 

 

「人体錬成、成功ですわね——。まあ、マスターと違って不良品ですし、わたくしよりも遥かに格下な模造品ではありますが……あなた方やシャンタク鳥程度なら十分でしょう」

 

 

 

 ハインリッヒ本体の言葉に嘘偽りはなく、作り出されたハインリッヒは表情もぎこちなく、瞳に生気を感じはしない。

 そして、その実力も嘘偽りなく、多少動きは杜撰ではあるが『ドール』では手も足も出ない高速の剣劇を持って、一瞬で10体以上を四肢を切断して無力化させた。

 

 そして、それさえもハインリッヒは新たな素材とし、次々と『ドール』を素材としたハインリッヒを量産していった。

 

 1人、また1人と増え続け——。

 やがてそれは『ドール』ほど無尽蔵ではないが、『百人』近い量産型ハインリッヒが生成された。

 

 

 

「行きなさい、わたくしの写し身——『ドール・ハインリッヒ』達よ」

 

 

 

 こうして量産型ハインリッヒはサモントン都市部に放たれる。

 ハインリッヒ本人が錬成した『氷の橋』を渡り、量産型ハインリッヒがシャンタク鳥達を撃墜していく。

 

 これがセレサの前で起きた不可思議な現象の経緯だった——。

 

 

 

 ……

 …………

 

 

 

「最低だな、ハインリッヒ。いくら命も自意識もないとはいえ、人形のように扱うなんてなぁ。俺にはできないよ」

 

「その通りです、ニャルラトホテプ様。私と貴方みたいに、お互いに大事に思いながら愛し合わないなんて……」

 

「そうだねぇ……。そういう順々な君が好きだよ」

 

 暗闇の世界で2人はサモントンの様子を見守る。切り札のように放ったシャンタク鳥は、ハインリッヒの策で大した戦果も挙げられずに落とされた。

 なのにも関わらず、若干焦燥するヴィラクスとは違い、放った当人であるニャルラトホテプや余裕な笑みを浮かべ、むしろサモントンを称賛するように拍手を贈った。

 

「シャンタク鳥は使い物になりませんし、また何かしらの策を講じますか? 貴方様が手を出さないなら、私が策を巡らせますが」

 

「いいんだよ。完全無欠の詰みゲーをしたら、人の心は死ぬんだよ。絶望もせずにゆっくりと……何の面白みもなくね」

 

 ニャルラトホテプはその両腕で優しく包み込んでいるヴィラクスの顎と頬を撫でる。本当にその手には苛立ちなどはなく、ヴィラクスに八つ当たりすることもなく、心の底からそう思っているように呟く。

 

「希望を与えられ、それを奪われる……。その絶望へと変わるまでの一瞬が一番楽しいんだ。ヴィラクスは俺の指示するまでサモントンを見てるだけでいいんだよ」

 

「失礼しました……! ニャルラトホテプ様の楽しみを奪うような発言をしてしまい……!!」

 

「許すよ。君は俺の従者だ。我儘も言ってくれないと、こちらも楽しみがいがない」

 

 ニャルラトホテプはヴィラクスの頬に口づけをする。それに熱を持ったヴィラクスは、自意識がなく洗脳された傀儡である事実を知らず、哀れにも頬を真っ赤にさせた。

 

「……しかし、無礼ではあるのですが、ここからの策はいかがなさいますか? 使い捨てできる駒は現在も投下中……。ハインリッヒを筆頭に『位階十席』では、このままでは手出しできません」

 

「そうだねぇ、まあ焦る必要はないさ。『ドール』は『無限』ではないが『無尽蔵』ではある。このまま一ヶ月とか放置しても尽きないほどに。ゆっくりと考えても問題ないのさ」

 

「でしたら……私から提案があるのです——」

 

 

 

 そう言うと、ヴィラクスは撫でられた頬を愛しむように指でなぞりながら、ニャルラトホテプの方へと振り返る。

 その瞳は『何か』を求めるように潤んでおり、夜伽を誘う生娘のように恥ずかしくも艶かしい吐息混じりで呟く。

 

 

 

 

 

「——産みましょうか? いえ……産ませてください。私が精一杯貴方様のためだけに奉仕し、貴方様のためだけに愛しい子を……この胎を持って……降臨させるのです」

 

 

 

 

 

 お腹を撫で、誘うようにヴィラクスはスカートを摘み上げる。そのスカートの中には、少年が求めるような夢見る純情な気持ちはない。卑しい『女』としての欲望がこれでもかと爛れていた。

 

 ニャルラトホテプも、その模した少年という少女の肉体の影響からか、そんな強引な誘い方をし、あまつさえ目の前にある下着が生々しく濡れ滴る様を見て、僅かに赤面を浮かべると——。

 

 

 

 

 

「……君がそこまで気にする必要はない。君は純情のまま尽くす在り方のほうが好ましい」

 

「左様ですか……」

 

 

 

 

 

 その誘いをニャルラトホテプを拒否した。それは模したレンが持つ純情さが及ぼした影響であり、ニャルラトホテプ自身も内心「何を気を使う必要があるんだ」と呆れながらもヴィラクスを見つめ直す。

 

 拒否された本人は、本当に残念がる様子で涙ぐむ。

 私は愛されていないのか——。従者であるはずなのに、奉仕することも許されない。これでは自分は『ドール』未満の愚者であると不甲斐なく感じて。

 

 それを見てニャルラトホテプは、何とも言えない表情を浮かべて告げた。

 

「……必要になったら俺が孕んで産むさ。愛しい我が息子をな。そのために……この身体を模したのだからな」

 

「身体……レンちゃんの物ですか?」

 

「ああ。とはいっても、まだ外見だけ模しただけだ。その全てを真似ているわけじゃない。…………慣らすには、時間が必要なんだよ。『善は急げ』というなら『悪は延べよ』だ。戯れ程度で相手をする方が楽しめる」

 

 ニャルラトホテプの言葉を聞いて、ヴィラクスはさらに涙ぐむ。

 言葉通りなら自分がここにいる意味などどこにもないことに、傀儡ながらも不安な気持ちを抱いて涙を溢れ出させる。

 

「では……私を何をすれば貴方様に尽くせるのですか……? 子を孕むのが貴方であれば、私は何のために……」

 

「ヴィラクスは側に居てくれるだけでいいんだ。俺は感情が全て内包するからこそ感情が生まれない。故に俺に代わる感情の受け皿が必要なんだ」

 

 

 

 その言葉に、ヴィラクスは救いのように顔を晴れさせてニャルラトホテプを見上げた。

 

 

 

「俺の代わりに喜び、怒り、悲しみ、楽しむ。——それが俺が君に与える役割なんだよ。君にしかできない……だからそれに尽力してくれればいい」

 

「なるほど……流石はニャルラトホテプ様です……♡ 浅はかな私とは考えてることが壮大であります……♡」

 

 

 

 心の底から崇拝するようにヴィラクスは瞳を潤ませ、頬を紅潮させ、吐息を嬉しそうに吐き出し続ける。

 

 それは発情期を迎えた犬や猫にも似ていて——。

 思わずニャルラトホテプは笑ってしまう。これだから人間は弄りのを辞められないと。

 

 

 

「……そういえば彼女は今、どうしてるのですか?」

 

 ニャルラトホテプの言葉を受け入れ、冷静さを取り戻したヴィラクスは、ニャルラトホテプが模した肉体の本体であるレンの所在について問う。

 

 その返答にニャルラトホテプは、ヴィラクスが抱える『魔導書』を優しく突くと、子守唄を歌う様な優しい声で言った。

 

 

 

「『夢』を見てるのさ——。温かくて、柔らかい……二度と目覚めたくないほどに幸福な『夢』を——」

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