「神座」
それは人類の文明が極限までに発達し、ある人工物を創った結果、顕現した神の領域である。
それは宇宙の中心。
それは全ての事象。
それは支配の領域。
魂の産まれる原初の混沌。
宇宙の総てを支配する領域であり力。
森羅万象の根源であり、神がいるべき頂上。
その神座は人間が辿り着ける場所。
人の祈り、願い、渇望……。
強い意思と己ではなく他を変えたいという方向が座へ繋がる切っ掛けとなる。
神座に至れば宇宙と合一する。
全は己であり、己は全である。
己の祈り、願い、渇望、気質を持って座を染め上げ、座の理を支配し、理を決める。
その感情が神座の法則と人間の在り方を決定してしまう。
その神座を終わらせるには違う人間の違う渇望による神座の交代以外は存在しない。
それを永延に永遠と繰り返す。
さて、ここはどこだか分かるだろうか?
ここはどこでもないどこか。
神の座とは違う別の領域。
神座が全てを支配する領域ならば、
ここは全てを観測できる領域。
すべての神座を記録している。
どういう訳か、その領域に干渉し見ているものが存在する。
その記録を見て、歴代の神座の神の像を彫り、信仰している。
さぁ、歴代の神の座を廻ってみよう。
善の法則も悪の法則も、
善の神座も悪の神座も、
善の渇望も悪の渇望も、
その理、その座、その真実の総てを知ろう。
その者、500年の戦乱という時代という龍の末に生まれた求道者なり、世界を染め上げる超越者を作る集団の求道者に見出された武神の究極。人の代表。
求道者は500年の争乱の世よりも古くから存在している集団、争いを繰り返す人の世の苦しさと愚かさを憂い、どうにか救えないか考えた賢者たち。
結果、争いの世では情がある限り救いの道はないと断じた。
しかし、情や想いがあるからこそ、「人」
その矛盾を解くために人は人を超えねばならない。
故に求道者は情を排し、深山に身を隠し、ひたすら道を探す。
まずは自分たちが人を超える模を示さねばと、
凡人には理解できぬ領域、
生の営みは一個でも奇跡の模を示せば全体にも変化が起こり、皆が一斉に上の存在へ昇ると。
故に求道者の道は人を超えし、模を天に示すこと。
求道者の誰でもいい、一人でも人を超え、神に近しい領域に立つとき、人は今とは違う上の存在に変化し、争いを止め、苦しみの世から完全に開放される。
ある者は、土くれになるまで瞑想し、ある者は宙を舞うため谷へ身を投げた。
そして、その者は全てをかけて武神にならんとする道を、
彼らには人の考える愛を持ち合わせない。情を否定したのが求道者。求道者には只、道があるのみ。
これぞ彼らの理、彼らの座、彼という神が背負った真実の総てである。
「我が太極の名において歴代の天を凌駕せん」
その宣誓と同時に求道神は特異点へ潜っていく。
魂を同調させ、強大な存在の元に奥へ奥へと掘削していく。
その求道神はただ、歴代の神々へ興味だけで座へと潜行した。
求道神は空白地帯に足を踏み入れた。
無色透明、限りない白、もしくは、限りない黒。
これはまさに極限まで透き通った真水。もしくは無菌の空間。
人の考える無という概念体現した空間、されど何もないが故に如何なる様にも発展する多様性を有する。
底の見えないこの世界は常人には耐えきれない。
砂漠における一粒の砂。
大海における一滴の雨水。
森林における一枚の葉。
人間における一つの細胞。
常人がこの空間にいても何も為しえない。それどころか全体における一部となり、自我を失うだろう。
だが、それはあくまで凡夫の都合。ある一線を超えた場合、この場は神世界の芽へと転身する。
すなわち、太極の保有。
現世界を丸ごと塗りつぶすほどの覇道を得たものに限り、この空間に活動を赦され、理を流出―――流れ出すことが出来るのだ。
されど色は一色のみ。神座の席は一つ。座るのは一人。両雄は並び立つことはできない。
今、歴代の神座を見ることが出来るのはその者が永久不変の求道神であるからだ。
自らの外殻をかつてないほど強固に編み上げ、変わらない不変となり、絶対の揺るがない己の自我を持って神座へと深く沈んでいく。
自己を保ち続け、やがて行き着いた先に―――瞬間、旧世界の残照が―――私という求道神を歓迎した。
「これは―――」
よくぞ来た。これが救いだと唸りを上げる。
それは歴代の神たちの渇望。
それは旧き神々の祈り。
それは人々が求める変わらない不変。
これはかつて世界を席巻した太極が流出した姿だった。
「そういう仕組みか、理解した。これが座にいた者の達した深度か」
求道神は深い敬意と共に理解する。相手の人格ではない。善悪ではなく座を手にした者たちの純粋なまでの祈りの強さにだ。
「交代か、闘争か、歴代の神々によるが、その残照、残滓というわけか」
覇道の流出による座の交代は戦い、次代が勝てば基本的にはより強大になる。
されど、只交代すれば、その限りではない。
ただ、どちらでもその残照、残滓は残り、次代へと託される。
「おもしろい」
求道神は笑う。歴代の神々を知りたい。その思いは不変。
強大な渇望の覇道の攻撃に対し、強大な不変の求道の防御で対抗する。
歴代の神々の座の理の在処、如何なる渇望によって流出したか、己を保ちながら解析する。
「まず、強く感じた想いは〈救済〉」
「争乱の時代に生れ落ち、求道者によって人の救済を求める修羅となる」
「多くの求道者が様々な方法で人々の救済を求めた」
「それは理に叶った方法、違った方法、正に己自身のやり方だけで救いを求めた」
「そしてある武の求道者は己の救済の方法が元から間違えていることに気づかずに、覇道とは真逆に求道の方向で救済の武を求め続けた」
「そして己の寿命が近づき、次代へ託そうとある子供を攫った」
「その子は―――争乱の時代に生まれた覇道の資格を持つ存在」
「しかし、武の求道者によって歪められてしまった」
「―――求道型の覇道神―――」
「本来、覇道となるべき心と祈りを持った存在が廃絶の色を帯びた求道と化す」
「求道者になっても覇道の神の資格を持つが故に、歪んでいるとはいえ、そのままに神になることができた」
静かな言葉と共に理解が溢れる。強大な想いに屈さずとも遥かに、求道神である私を凌駕している歴代の座。
しかし、それはこれまで理解していなく、分からなかったからだ。
ならば、無理矢理にでも型にはめ、理解する。それが解釈違いだとしても、とりあえず名をつける。
ゆえに―――
「この神、この座の名をつけるならば―――武神」
「武神救済―――武神求道楽土」
「真の姿、ここに得たり」
姿を捉えることによりこの座を眺めることが出来る。
これが座の潜行方法である。
求道神は―――私は次へと向かう。
「お前たちには無理だ。救いの道は、この方法しか……」
「人を人に縛り付ける鎖、その暗き鎖を打ち砕くのが我が刃、我、武神龐煖なり!」
原作 キングダム
神の名は「武神」。 本名は「龐煖」
元となった願望は「人の救済」
座の名は「求道武神楽土」
座の理は「全ての人間が求道神となり武神として殺しあうこと」
座の治世 管理型
座の風景 剣、槍、弓矢といった武器に切っ先を向けらられた風景
解説
元々の出生から育てば真っ当な救済の覇道神となれるはずだったが、武神に育てられてしまい。元々の覇道の適性を歪められ、求道神に近い状態になった。
故に求道型の覇道神になった。龐煖は人の情や繋がりを否定しているので、魂があればあるほど弱体化している状態。
また、龐煖は情を否定しても人殺したいというわけではないので波旬のように自分を掻きむしることもしない。
彼が座を染めると、全ての人間が武神としての求道神になり、互いに殺しあうという元の平和の願望からかけ離れた世界になる。
しかし、あくまで武神になるためであり、天狗道のような自己愛による殺し合いとは違うので、速攻で滅びることはない。
また、龐煖がそうだったように武の技術を後継者として受け継がれたので、次の代に受け継ぐという概念もあるので命の育みも存在する。
さらに龐煖自体には自滅因子で滅びることも可能なので、第六天波旬よりはましな座ではある。
しかし、基本的には求道神しか生まれないので座の交代は絶望的。握ってはならない座の一つ。
この原作で龐煖を神にするかを迷いましたが、面白そうなので作りました。
この作品を作るにあたって一番、登場させたかった人物です。
彼の最後はまさにこういった神座設定に近い表現であり、彼を幸せにしたかったので作品を作りました。
私の考えた設定では原作での龐煖が主人公に勝ったか、出会わなかったという未来の末に座に辿り着いたという設定です。
この作品で一番出したかった人物です。
この神が気になったら原作をどうぞ!
また、活動報告で色々なものを募集します。
「神の名」
「神座の名」
「座の風景」
「座の理」
「他作品で神座に至りそうなキャラクター」
「イラスト」
などを募集します。
感想、お気に入り、評価、活動報告があれば幸いです。
次回もお楽しみ下さい。