「え、なんだって?」
第3部隊専用の部屋。
あまり広くないその部屋にクレイの気の抜けた声が響く。
その反応にミゼルがため息をついた。
「ですから、そろそろ有給取ってください。今月取ってないの隊長だけなんですよ。」
それにクレイも「あー…」と呻く。
「そういやあったなァ、そんな制度…取らなくてもいいんじゃねェ?」
「駄目です。最近軍部では《誰もが休めるホワイトな職場》という印象を推しているので、絶対休んでください。」
「まあ、その代わり命懸けなきゃいけないけどねー。」
カレンの鋭いツッコミに、ミゼルも苦い顔をする。
「ま、まあそれはそうですけど…とりあえず、休んでください。最近忙しかったですし、体も休めて。」
「あ、じゃあボクも…」
「ユキナはこの前体調不良の休暇のときに有給使っただろ。もう残ってないぞ。」
「…うん、シンの言う通りだな。」
「ブー…副隊長とシンのケチんぼ…」
膨れっ面と共に文句を言うユキナを後目に、クレイは体重を背もたれに預けた。
「休暇か…」
「というわけで、休暇が出た。」
「…そう、なんだ。」
帰宅して、晩飯を食べた後。
クレイは明日の予定をサフィにそう伝える。
突然の報告にサフィも少し反応に困る。
「…えと…明日はどう、するの…?」
「それが困りモンなんだよ。俺ってこんな性格だから家ン中でダラダラすんのは性にあわねェし、歩いてる途中に見つけたコソドロ締めて回るとミゼルに怒られるし…筋トレももう飽きたし…」
「…そ、そう、なんだ…。」
自身の主の言葉に若干引く。
暇つぶしに締められて連行されるコソドロに多少は同情の念を抱きそうだ。
「…ま、明日は大人しくゴロゴロしとくかァ…」
そう言いながらクレイは大人しくゴロリと、ソファの上に寝転がる。腕を枕にして鼻歌を歌うクレイを横目で見ながら、サフィは食器の後片付けに入る。
…そして、大皿を持ち上げた所で、1枚の紙が彼女の足元に落ちた。
どうやらそれは、新しい調理器具のチラシのようであった。
数十年前に電気が発見されてからというもの、あらゆる分野で凄まじい発展を遂げている。
どうやら今回もそのようであった。
「……」
サフィはそれを少しだけ見てみるが、自身とは縁のないものだと…
「お、何だそれ?」
「…!!」
ピィッ!!
驚きに全身を震わせて背後を見ると、いつの間にかクレイが移動して彼女の手に持つ紙を眺めていた。
やがてその紙を持ち上げると、腰に手を当ててそれを眺める。
「こりゃァ…新しい電気調理器具の発売チラシか。新聞と一緒についてきたか?」
「…た、多分…そう…」
今クレイはサフィが読む用にと毎日新聞を取っていた。
「なにこれ、お前使えんの?」
「…み、見た感じだと、使える…」
「あ、そう。…ふーん、オーブンレンジってェのか、これ。」
「…説明を読んでみたけど、それひとつで、窯と同じ事が出来る…らしい。」
「そりゃ便利なのか?」
「…この家は窯が無いから…便利、だと思う。」
サフィの言葉にクレイは「ふむ」と顎を触ってから、口元に笑みを浮かべた。
「明日の予定変更だ。少し遠出してこのオーブンレンジとやらを買いに行く。」
「え…大丈夫、なの…?」
「ンだよ、心配すんな。正直ダラダラしてても時間が無駄なだけだからよ。」
「そ、そうじゃ…なくて…」
「それに、こいつ買って料理の幅が広がりゃ、俺の楽しみも増えるってもんだ。多少高くても構いやしねェよ。…ま、その代わりウチのシェフに頑張って貰わなきゃだけどな?」
そう言って、ニヤニヤとした笑みでサフィを見つめるクレイ。サフィはその言葉に…
「…分かった。…頑張る。」
小さな握り拳と共に、そう答えた。
「…そう言えば、今日はどうやって遠出するの?」
目深く帽子を被ったサフィは横で準備をするクレイに問う。
ちなみにこの帽子はクレイに無理矢理被せられた。
「ン?アァ…今日は俺の車で行くぞ。」
「…車なんて、あった?」
「家の横に布被ったデケェ塊あったろ。あれ。」
「…あぁ、なるほど…」
そういえばあったなそんなもの、などと考えていると、クレイは準備が終わったのか、勢いよく立ち上がった。
「さて、行くかァ!」
「…うん。」
ブロロロロロロ…
大きめの排気音と共にエンジンがかかる。
少しのガソリンの臭いにサフィは少しだけ顔を顰めるが、クレイは気にせずにハンドルを握った。
「こいつ乗んのも久しぶりだなァ。」
「…気をつけてね?」
「安心しろ、ちゃんと安全運転で行ってやるから。」
そう言うと、クレイは緩やかな速度のまま道路へと出た。
すこし無骨なデザインの四輪車はそのまま大きな通りに出る。そこでは同じような形の鉄の箱が行き交っていた。
その中でも、クレイが運転する車は平均的な速度で…いや、むしろ少し遅いくらいの速度で走り続ける。
「…」
「ン?なんだよ、俺の顔じっと見て。なんかついてんのか?」
「…今日は随分、大人しめなんだね。」
「なんだそりゃ。」
「…いつも感情に任せて、知能低い行動も結構するから…運転も粗雑だと思ってた。」
「アッハッハッハ。殺されてェのかクソガキ。」
笑いながらクレイは言うが、まったく目が笑っていなかった。
それにサフィは億さず続ける。
「…運転は、凄く丁寧、なんだね。」
「…ま、俺も一応軍人で、市民を守んなきゃなんねェ役どころだ。いくら道が整備されてきたとはいえ、何があるかわかんねェからな。」
そこで突然、ある男が道路に飛び出す。
そして両手を広げて高らかに叫ぶ。
「フハハハハ!和平などという欺瞞に満ちた者共よ!この私の崇高なる死を見届け、今の世界の歪さに気付くがいい!!」
哄笑しながら叫ぶ姿は、それは堂々たるものであったーー!
キキッ
クレイは何ともなく車を停止させると、ドアを開けて道路に出る。
そして尚も腕を広げ続ける男の両肩を掴むと…
ドゥムッ!!
思いっきり腹を膝で蹴りつけて失神させた。
その男を通行人に預けて車内に戻る。
「ああいう馬鹿もいるしな。」
「…なるほど。」
それから数十分後。
クレイは専用の駐車場所に自分の車を置いて、静かに外に出る。
それに続いてサフィも出ると、目の前の光景に圧倒された。
「…うわぁ…大きい…」
家などしか建物を見たことがなかった彼女にしては、それは正しく、《本に出てくる城》であった。とても巨大な建造物に感嘆の声を上げる。
「デケェだろ?3ヶ月くらい前にできた、建物内に店を出来るだけ詰め込んだ施設だ。ミゼルの奴は《ショッピングモール》なんて言ってたっけか。…なんにしろ、服とか雑貨、生活用品もここにある。」
クレイはそう言うと興味深げに見ているサフィの頭をわしわしと撫でた。
「いつまでも見てるだけじゃなくて、中入ろうぜ。買い物しに来たんだからよ。」
「…うんっ。」
心無しかテンションの高いサフィと共に、クレイは建物に入った。
「…ま、相変わらず目ェ死んでるけど。」
「わぁ…」
きらびやかな装飾に、並ぶ商品。そして、眩いまでの照明は、正しく《城》。
「…すごいね、クレイ。」
「アァ、こいつァ予想以上だ…」
クレイもそれらに何処か圧倒される。
これはかつて数度警備した王城の装飾にも引けを取っていなかった。
「…ところでクレイ…」
「ン?なんだよ。」
「…なんでサングラスと帽子つけてるの?」
サフィは質問を投げかけた。
クレイはそれにサングラスをかけ直しながら説明する。
「俺だってバレたらメンドクセェからな。俺は一応この国全土に顔と名前が出回っててな。で、俺の顔見たら全員怖がるんだわ。」
つまり、今ここにいる者たちを怖がらせないために、彼らのためにやっているわけだ。
「…クレイって、優しいんだね。」
「意外だったか?」
「…少し。」
「だろうな。」
クレイは肩をすくめると、ポンとサフィの背中を叩く。
「まァ、そんな訳だから、あまり気にすんな。…行こうぜ。」
「…ん。」
「んー…」
歩き出して数分後。
クレイは違和感に気付く。
どうにも彼らを見ている、他の客の視線が怪しい。なんというか、何処か卑しいものを見るような目で見つめられる。
彼は一瞬、自分の正体がバレたのかとも思ったが、そうでは無いらしい。いつも向けられる畏怖のそれとは違うものだ。
…そしてその正体は、つぎの瞬間に分かった。
ある男がサフィにぶつかり、彼女はすぐに「あ…ごめんなさい。」と謝るが、あろうことか男は、
「チッ」
舌打ちをして、当たったところをパッパッと払ってからそそくさとどこかへ消えた。
「…なァるほど…」
クレイは納得したように顎をさすると、サフィを見る。
今の彼女はクレイの元に来てから風呂には入るようになったし、櫛も髪に入れてやっている。
だが、服を見れば彼らの目の真意がわかる。
クレイは今の今まで彼女が自前で持ってきた服しか着せていなかった。その服は、かつての毒親の買い与えたものであり、ところどころ解れたり、薄汚れている。
…今この建物にいるもの達は過半数が和平というぬるま湯に浸かり、肥えたもの達だ。
彼らからすればこのような少女など、惨めなだけだろう。
サフィの方を見れば、特に気に停めた様子はない。恐らく、慣れているのだろう。
今まで彼女の近くに居たもの達は、そうやって彼女を見捨てて来たのだろうから。
「…」
クレイは何も言わずに、サフィの手を掴む。
「…クレイ…?」
少女の声も聞こえるが、彼は止まらずにすぐ近くにあった洋服屋に入店する。
「いらっしゃいませー!本日は何をお求めですか?」
元気のいい女性のかけ声の後に彼女は少し困ったような笑顔に変わるが、恐らくクレイの格好を見てのことだろう。彼は何も気にせずにサフィの頭をポンと叩く。
「こいつに合う服を10着ほど見繕ってくれ。」
「え…と…ウチはかなり質もいい服で、それなりに値も張るんですが…」
「構わねェ。金のことは気にせず、私用で使えるものを見繕ってくれりゃいい。」
「う、承りました。」
店員はそう言うと、サフィを試着室へと連行していく。サフィの目に、「私気にしてないよ」と言わんばかりの意志を感じたが、そんなことは関係ない。
なぜなら俺が気にするからだ。自身はともかく、同行人が奇異の目で見られて、いい気分の者はいないだろう。
…まぁ、今思いっきり自身のことを棚に上げているが。
小一時間後…
「ありがとうございました!またのお越しを!」
そんな機嫌の良さそうな、ホクホクとした顔で店員は頭を下げた。
クレイは4つの袋を両手に持ち、サフィに問う。
「どうだった?」
「…すごく疲れた…数十のバリエーションを試された…」
ただでさえ白い肌がさらに白くなっていた。
クレイは笑う。
「ま、こうして新しい服も手に入ったし良かったろ。」
「う、うん…その…ありが…」
「礼は要らんぞ。」
サフィの言葉をクレイは遮った。
「俺は雇用主として当然のことをしたまでだ。…お前が気負う事じゃねェ。」
そう言うクレイ。
その《気負う》という言葉に、ほんの少しだけ引っかかりを覚えたが、サフィは言い直す。
「…うん。…それでも、ありがとう。嬉しかった。」
「…そうかよ。」
帰り道。
建物を出て、クレイとサフィは駐車場所目指して歩を進める。
その道をオレンジ色の夕暮れが染め上げる。
「オーブンも買えたし、いい買い物もできたし良かった良かった。ま、予想以上に金使っちまったがな。」
「…ごめんなさ…」
「だからそういうのはいらねェって。いい買い物できたっつったろ?」
「…ん。」
クレイの言葉に、サフィはコクリと頷く。
そしてそこで、彼女の目にある光景が止まる。それは、3人の親子が仲睦まじそうに手を繋いで歩く姿。
かつての彼女にはなかったその光景は、どこか眩しく感じる。
「…親子、か。」
クレイの言葉に無意識に反応した。
クレイも同じものを見ていたのか、どこか目を細めながらそれを見つめる。
そしてそれを見て、ポツリと。無意識にその言葉は出た。
「…クレイは、ああいうこと、した事あるの?」
言ってから、しまったと思う。この質問は、あまりに踏み込みすぎた。
…だが、クレイは何の気なしに答える。
「いいや。俺は物心ついた頃には親いなかったし、入ってた施設にゃクズしかいなかったからな。あんなことする余地もなかった。」
そう、淡々と。
彼は彼女の知らない彼自身を話す。
そこで彼女は知る。
自身を受け入れてくれた彼のことを、全く知らないことに。
彼に関するあらゆることを初めて、知りたいと思った。
…いや、知りたいと思ったこと自体が、彼女にとっては初めてだった。
「…クレイはさ。」
だから、これは余計だ。
彼女の感情が、抑えきれない欲望が。
その質問を、口にした。
「家族が、欲しいと思う?」
チラリと、彼は彼女の顔を見る。
自身がその時どんな顔をしていたかは、彼女には分からない。
だが、クレイはフッと笑みを浮かべると。
「…ま、相手がいりゃ、親にはなれるかもな。」
「…そっか。」
そのまま彼は歩き続ける。
彼女はその姿を後ろで追いながら。両手の塞がった彼の、揺れる裾を。
自身の空いた左手で掴む
…直前に、スっと。
彼女は左腕を引いた。
夕暮れに染まる空の中、カラスの鳴き声と喧騒だけが響き続けたーー。
なんか、涼しくなってきましたね(そりゃそうだ)