「おかえり、お兄ちゃん」
フェイトが寝間着姿でクロノを出迎えたのは、夜の十一時。昨日よりは若干早いが、それでも夜はすっかり更けて小学生女子が起きるにはちょっと辛い時間帯だった。でもフェイトとしては、目の前で疲れ果てて帰ってきた兄の姿をその目で見て、お茶の一つも注いであげることでその頑張りを励ましてあげたかった。
季節は春も半ばを過ぎて、全国的な連休中なので小学校は休みだが、嘱託魔導師としての仕事はそうも行かない。例えば夏休みなどの地球の風習には十分気を配ってくれる人事部だが、やはり限界はあるらしく、今日のフェイトは管理世界でのロストロギア――と言っても低級だが――の発見と確保の応援として呼び出され、丸一日を潰す羽目になった。
任務そのものはすぐに解決したが、それでもそれなりに魔法を行使したのは疲れるものだし、報告書諸々の雑務も合わせて帰れた時にはすっかり日が沈み。夕飯を食べて、普段ならお風呂に入って寝る所を、眠い瞼を擦りながら健気に待ち続けたのだ。
ちなみに、リンディは晩御飯を作った後、明日の早朝に備えてもう寝てしまっていた。
「ただいま……」
上着を脱いだクロノは、シャツ姿でソファに座り込む。その両手には絆創膏がいくつも貼られ、テーピングまで施されていて、八神家での特訓の激しさと厳しさが伺える。
フェイトがお茶を渡すと、クロノはそれを荒っぽい一口でごくりと飲み干したので、またすぐにその手からコップを引き取った。好きなことに一生懸命になっているのだから、出来るだけゆっくりさせてあげたい。
「すまないフェイト、ちょっといいか?」
「え、なに?」
そう思って何も声をかけずにそっとしていると、逆にクロノの方から声をかけてきた。フェイトがどぎまぎしながらも答えたら、クロノは続いて肩にかけていたバッグを渡してくる。
「その中に入ってる僕のガンプラ……見てくれないか」
「いいけど、どうして?」
「聞きたいんだ、フェイトから見てどうなのか」
どう、というのは、つまりガンプラの完成度のことだろう。鞄を開けて中の箱を開いて取り出したフェイトは、それを見て一瞬言葉を失った。
良く出来ているのだ。昨日までの素組に毛の生えた程度のものとは、出来がまるで違っていた。まず、丁寧に施されているつや消し処理。そして144分の1スケールではどうしても再現できない細かな色分けへの塗装。ムラが少ないということは、エアブラシでも使っているのだろうか。
さらに合わせ目もぴったり消されているのだから、初めて3日の人間が作るガンプラの完成度ではない。いくら、自分たちより前からガンプラを作っていたはやてに手取り足取り教えられたにしても、これだけ精巧に作られているのはクロノ本人の集中力、そして気合の賜物だろう。
「……凄いね。お兄ちゃん、凄い頑張ってる」
それら細やかな感想を一言にまとめたフェイトの言葉には、年上の兄へ、上司の執務官へ、そして大切な家族に対する労りと敬意が凝縮されていた。これならあの『ホワイトデビル』に勝てる。それどころか、むしろイチコロだ。なんて、特段根拠もないけど信じてしまうくらいに。
「……そうか」
だが、クロノの返答は和らげながらも、何処かずれを残しているそっけないものだった。
「お兄ちゃん?」
考えるよりも早く口が動いてしまう。言葉に出さず訝しむなんて出来なかった。
ひょっとして、クロノはまだ満足していないのだろうか。
ホワイトデビルと戦った時の体験が心に根強く残っていて、一見万全に整っているこの機体に満足しきれていないのかもしれないと、フェイトは推測した。似たような経験が沢山あるのだ。例えば闇の書事件でのシグナムへの敗北後、オーバーワークな程に訓練を繰り返したり。ガンプラが好きになってからアリサやはやてと戦って圧倒的実力差に衝撃を受け、ガンプラを組みまくった記憶もある。前者もそうだが、後者の時の熱さたるや、嘱託魔導師の少なくないお給料を殆どガンプラに注いでしまい、ハラオウンの家族会議で珍しく怒られてしまう程だった。
そういう経験を踏まえ、フェイトは仏頂面なクロノに優しく告げた。
「心配すること無いよ? お兄ちゃんのガンプラはとても良く出来てる。再試合まで後二日、パテとかプラ版を使ってプロポーションを改善したら、可動を殺す可能性もあるし……後は、ひたすら細部を整えるのが、出来る最大限、なんじゃないかな」
クロノは、量産型νとクロノ自身に、可能な限りの手を尽くしている。そう理論だって指摘するのがフェイトの策だった。やれることを精一杯行いベストを尽くす。それがフェイトから見たクロノの、いかにも冷静沈着な執務官らしい行動原理だ。そういう理屈の面で指摘してやれば、例え心が少し興奮していても、それを落ち着かせてくれるだろう。
しかし、義理の妹から見たクロノと、今のクロノとは少し違っているみたいだった。
「……そう、だな。これが限界、だな」
フェイトの言う論理の正しさを全面的に認め、だが何処か歯切れが悪く、しこりの残った言葉尻。もしかしていけなかった、いや明らかに失敗だったと思わず先の言葉を後悔するフェイトだったが、同時にクロノの戸惑う言葉に驚いてもいた。
正しい理論、正しい言い分に、例え心の中で完全に納得していなかったとしても。自分の前では、はっきりと正して決断してみせるのがクロノじゃないのか。そういう迷いを表に見せないのが、自分の憧れて目指す、執務官の後ろ姿であり。なのはにも、はやてにも、ヴォルケンリッターの皆にも尊敬されるリーダーの姿だというのに。
「ま、待ってお兄ちゃん。別に、そういうわけで言ったんじゃ」
「いや、フェイトの言う通りさ……ありがとう、もうお休み」
そういう驚きが戸惑いに変わり、だからフェイトの健気なフォローはクロノの目の前でかすりもせずに通りすぎてしまう。一見決意を固めたような言葉とは別に、クロノの顔は更に曇りだし、地図を失った旅人のような不安さすら、眉の辺りによぎらせる。
やっぱりああ言うべきではなかった。もっと他に、良くは分からないけど何か建設的なことを言ってあげれば良かった。そう後悔したフェイトだが、クロノはソファから経って上着を拾い、疲れた身体を癒すために真っ直ぐ寝室へと進んでいったから、もう遅い。
フェイトも手持ちのコップを流しに置いてリビングの電気を消し、真っ直ぐ布団に飛び込んだ後、暖かい毛布の中でクロノの本心を考えることにした。
(お兄ちゃんは迷ってる、でも、どうして)
ガンプラに対するクロノの迷いなんてものは、あの反応を見れば分かりきったことだ。しかしフェイトにはその理由が全く見つけられない。クロノは長い時間本気で努力して、たった1日であれほどの完成度まで練り上げたのに、まだ不満があるというのか。もう一つ重要な、操縦訓練だって何度もやったはずだ。そうでなくてはテーピングなどするはずがない。
(でも、まだ不完全……敵のガンプラが強いから? それとも……?)
そこから先が、フェイトには何故か思いつかない。ガンプラの製作に対して人事は尽くしたのだから、後は操縦をひたすら訓練し、天命を待つだけしか無いじゃないかと理解してしまう。
(……何かが足りない?……でも、あのガンプラに、一体何が、足りないんだろう……)
そこまで考えた所で、眠い所をどうにか堪えていたフェイトの脳はぷつんとブレーカーを落としてしまう。後は微かな寝息と、被った布団の中で寝転がる姿しか残らなかった。
(……そうだ、足りないんだ)
休暇4日目の昼。休みなしに特訓を繰り返していたクロノは、はやての部屋の作業スペースで量産型νに手を入れながら、その疑問を確信へと変えた。
行き詰まりを感じていたのだ。
ガンプラの完成度もクロノ自身のバトルスキルもかなり上がっている。だけどそれは、成し遂げきった満足感をもたらさず、逆に何処か息を塞がれたような閉塞感すら抱かせるものだった。
「クロノくん、そないな顔せんでもええのに」
その様子を脇で見ていたはやてが心配そうに、だが明るく肩を叩いた。
「どうして?」
「クロノくんは頑張って、それで成長しとるから。今朝なんて、ヴィータ相手に早くも一本取ってたやないの」
「そのあとすぐ取り返されてただろう」
「まあまあ。他にもシグナムやザフィーラとも互角に戦えるようになっとるし……流石に元がええから、伸びも早いんかなぁ」
実際、はやてとしては驚嘆せざるを得ないだろう。
ヴォルケンリッターがやってきた当初から、ガンプラの存在を教えてのめり込ませていったのは他ならぬはやて本人だ。それからもう一年以上が経ち、彼らのガンプラに対する情熱や、費やした時間も相当なものだ。しかしそれに、クロノはたった1日と半分の特訓で――まだヴォルケンズそれぞれ『大本命』は出していないにしろ――追いつきつつある。
クロノ・ハラオウンは努力の天才、と言うべきか。それも、ただ単に長時間の集中に長けているだけではない。無意識の内に効率のよい方法を選び、そこへ向かって全く徒労を挟まずに打ち込み続けるのだ。
弱冠14歳の時空管理局執務官が誕生し得た理由。その一端が、そこにある。
「買いかぶり過ぎさ。アニメのニュータイプじゃあるまいし」
「そんなことあらへんて」
共に任務を戦う上司として、また将来の指揮官志望における目標としてクロノを見ているだろうはやては、彼の努力を認めるように励ましているが。
クロノとしては、そういうことをされればされるほど、苛立たしいとはとても言えないけれど何か変なむず痒さを感じてしまうのだった。
「……足りないんだよ」
そのぎざぎざした違和感を振り払うように、クロノは今さっきまで心に仕舞おうとしていた漠然な気持ちを言い放つ。
「足りない? バトルシステムの経験が? それとも戦術?」
「それもあるけど……なにより、こいつさ」
言葉と同時に、ついさっきまでデカールを貼り付けていた機体をはやてに見せる。そのガンプラを見るはやての目は、昨日の夜のフェイトと同じように見えた。
「ん? どこも、問題あらへんように見えるけど……でもまぁ、この子もかっこ良うなったなぁ。見違えたわ」
つまり、これが完成形だと認めているらしい。HGの量産型νガンダムを原作通りに塗装し、ガンプラバトル用に仕上げることとして、これ以上の出来は望めない、と納得し、明るく笑いながらクロノの努力を肯定してくれている。
それ自体は有難いし、自分でもやるだけのことはやったと認めている。
だが、もっと。
もっとその先が、あるんじゃないのか?
クロノの心は迷いに迷う。特に、特訓の最初で見せられた、あのザクⅡの事を考えると。
ザフィーラが出して来たザクは、深い作り込みとザフィーラの技量があったにしろ、ただのザクの領域を遥かに超えていた。例えば中身が∀ガンダムの『ボルジャーノン』だったり、ザクのガワをかぶっただけのモビルファイターであるという設定を暴露されても信じてしまえるくらいだ。
ああいうことが、自分と自分のガンプラに、果たして出来るのだろうか?
奇跡のような魂の拳。あれくらいのことをして見せなくて、あいつに勝てるのか?
「……」
黙りこむクロノ。はやてはその様子を、まるでいつも、家族に向けているような暖かい目で見やって、財布からそっ、と一つの紙券を差し出した。
「はいこれ。割引券」
「……いきなり、なんだ?」
「いやな? 近くの模型店の割引券何やけど、期限、今日までなんよ」
それがどうした、とクロノは訝しげな視線を作るが、はやては券を押し付けるようにクロノに握らせてから手を離した。
「だから、どうしろっていうんだ」
「もったいないから、クロノくんにあげる。あの時のお詫びの一つ。そう思うてええよ」
「……」
その割引券にどういう意味があるかくらい、ニブチンだとよく言われるクロノにだって分かることだ。悩みを抱えたまま部屋に閉じこもるより、外に出て気分転換でもしてきた方がいい、ということだろう。
「分かった。ちょっと行ってくる」
丁度、塗装材の匂いにクラクラしてきた所だったしな。
そう付け加えて、クロノは部屋から出て行った。
はやてがクロノの去った後の机を見てみると、そこには工具こそ散乱しているが、彼の愛機、量産型νガンダムの姿が無かった。無意識に持ちだしていたのだろう。
何も模型店に行く時まで、ガンプラを持っていく必要は無かろうに。つい一昨日まではガンプラのガの字も知らなかったカタブツが、自分の手から離さないくらい、ガンプラを身近にしてしまうとは。
はやては回想する。自分がガンプラに、いや、ガンダムにハマったのは何時だったろう。今よりずっと子供の頃で、もしかすると物心つかぬ頃、両親がまだ生きていた時だったかもしれない。
でも、一つだけ確かなのは。あの時のはやても今のはやても、今部屋を飛び出していったクロノと同じくらいにガンプラが好きだということだ。
とても嬉しい。闇の書事件の後自分の保護者代わりとして、管理局の偉い人相手に大立ち回りをしてくれたクロノは、はやてにとって敬愛すべき人になっている。守護騎士は皆はやての家族になってくれているけど、その中に「ちょっと年上のお兄さん」がいないのも大きい。
そんなお兄さんとこれからガンプラで語り合えるようになるのだから、なんだかウキウキしてしまうのも仕方がないかもしれなかった。
(……これなら、敵うかもしれへん……かな?)
喜びを胸にして、今だ表舞台に姿を出さぬ誰かへ、心の中で満足気に報告するはやてだった。
切るのが中途半端かもしれませんね、これ……
次回、意外な人が登場です。