War of Gastrea/Black Out 作:ワンちゃん二世
◆ ◆ ◆ ◆
春の暖かい空気は徐々に夏らしい蒸し暑さへと変わり、まだ本格的に気温は上昇してはいないものの、夏の気配がすぐそこまで迫って来ている。
そんなある日の午後、蓮太郎は街へ財布片手にショッピングに繰り出していた。
先日、ひと悶着ありながらも正式にティナが天童民間警備会社の一員になった。
木更さんの突然の「雇っちゃった♪」には思わず天を仰いだが、何はともあれ勤め先が賑やかになるのは喜ばしいことなので結果的にはこの状況に非常に満足している。
ただ、それで終わらないのが会社というもの。
社員が増えればその分、社内の物資も増やさなければならない。それは例え新しい社員が10歳の女児だとしても変わらない。
蓮太郎は今日、その買い出しを任されていた。
ちなみに、木更や延珠、件のティナは今度編入する外周区の青空学校の下見に出掛けている。
青空学校の生徒はそのほとんど、いやほぼ全員が外周区に産み落とされた『
決して俺だけ仲間外れにされたわけではない。蓮太郎はそう自分に言い聞かせながら街を歩くこと10分弱。ようやく見えてきた。
到着したのは中型でアーケード式の商店街。
煙草の吸殻が側溝に溜まり、約半数の店のシャッターが下り、ガラス張りの天井を支える柱は塗装が剥げている、どこか寂れた印象の商店街だ。
何年も前からこの状態だが、なかなか閉じない。かといってリニューアルするという情報もない。どうやって今の今までこの寂れた状況を保ったままやってこれたのか正直謎だ。
しかし、蓮太郎などの貧乏人にとってこの閑古鳥が鳴いている商店街の存在は非常にありがたかった。
何せ売られているほとんどの品が他のどの店よりも安いし、状態さえ気にしなければほとんどの生活必需品がここで手に入るからである。さらに稀に食料品のタイムセールも行っているので、この商店街では少ない給料の蓮太郎でも容易に食料を手に入れることができるのだ。
蓮太郎は煙草の吸殻やビニル袋を避けながら商店街へ歩みを進める。
今日買う予定のものは主にティナが使う筆記用具である。あとお菓子も少々。
店先に出されているカゴに無造作に詰められた靴や鉄パイプに掛けられた中古の服に時々立ち止まりながらも蓮太郎は奥へ進んでいく。
目的の文房具屋に入り、レジの店員と二、三言挨拶を交わしたあと、店内を物色する。そしてそのまま無難なデザインのボールペンやノートなどをササッと購入しそそくさと店を出る。
さぁ、このまま入り口に戻りながら菓子類でも探すか、と破れた垂れ幕が天井から垂れ下がっている商店街の入り口に体を向けたその時。その入り口から一人の少女がこちらに向かって走って来ているのが見えた。
歳は延珠やティナと同じくらいだろうか。ただ、出で立ちが特徴的過ぎてすれ違う人のほぼ全員が振り返っている。
肩程の長さで切り揃えられた銀髪、サファイア色の瞳、そして、その蒼い瞳からは一筋の涙の跡が天窓から射し込む太陽の光で宝石のように煌めいている。さらに服装は、上にミリタリー調のパーカー羽織り、下も同じくミリタリー調の細いパンツというかなり偏ったファッションだった。
普通の状態でないし、おそらく一般人ではない上にそもそも日本人かすら疑わしい。そんな彼女のことを気にしないという選択肢を蓮太郎は選ぶことができなかった。彼女が目の前を通りすぎる時も彼女から目が離せないでいる。
それよりも、蓮太郎は彼女のことをどこかで見たことがあるような気がした。それがどこかは思い出せない。ただ、割りと最近のことであるような気がした。
「なぁ、おい」
「
少女は涙を拭いながら振り返る。返事は英語だった。しまった、と蓮太郎は声を掛けてしまったことを早速後悔した。蓮太郎は英語など喋れない。
「あぁ、えっと……すいません!」
そんな蓮太郎の胸のうちを知ってか知らずか、彼女はわざわざ日本語に訂正して謝罪し、そのまま商店街の奥へと走り去ってしまった。
「あっ、お、おい!」
頭をボリボリと
さすがにもう放っておくべきだろう、と蓮太郎は今度こそ帰路に就こうと足を一歩踏み出す。が、同時に延珠だったら全力で追いかけるだろうな、とも想像してしまい一歩踏み出したきり動けなくなる。
ティナの時もそうだったが、延珠のことを考える俺は弱いな。と、自分に呆れ返りながら、蓮太郎は踏み出した足をそのまま真後ろに持っていった。
◇
営業していた店が入り口側に固まっていたこともあり、商店街の奥は心なしか薄暗く、酷く閑散としていた。
目に入る全ての店のシャッターは下ろされ、落ち葉やプラスチックゴミなどは隅で山を作っており、目を凝らしてみれば店と店の間の通りをゴキブリが行き来している。
その錆びたシャッターの前に置かれたベンチに彼女は座っていた。
まるで気力がガス欠を起こしてしまったかのように
「おい」
蓮太郎が声を掛けると、少女はビクッと体を震わせて蓮太郎の方を振り向く。
そして再度項垂れた。
「……なんですか。散々逃げてきてやっと落ち着けると思ったら今度はストーカーですか。ホント今日はアンラッキーデイですね」
「いやストーカーじゃねぇよッ! ただの通行人だ」
「なら無様な私を嗤いにでも来たんですか?どうせ『幼女が泣いてるの見っけた笑笑笑』とかコメント付けてSNSにアップするんでしょう?」
「んなわけねぇよッ! 目ぇ赤く腫らしながら走ってる子供みたら誰だって心配になるだろ」
蓮太郎がそう指摘すると、彼女は今さら気がついたように目元の水滴を拭う。そして口元だけ機械的に笑みを浮かべた。
「……フフッ、基地で銃向けられて、鉄パイプ振りかざした市民に追っかけられて、挙げ句の果てにストーカーにだらしない姿を晒してしまうなんて……私も墜ちたものですね」
「おい待て、なんの話だ。しかもストーカーじゃねぇって。おい」
会話の雲行きが怪しくなっているのを感じて蓮太郎は少女の言葉を遮るが、彼女の声は止まらない。
「……なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないんですか。みんなを信頼してただけなのに……」
彼女の目頭にまた水滴が溜まる。心なしか声も震えている気がする。
「……なぁ、俺で良ければ相談に乗るぞ?」
──これがいけなかった。いや、蓮太郎にはどういうミスをしたかなんてまるで分からなかったが、少なくともこの言葉がトリガーになったことは確かだった。
「──ストーカーに、話すことなんてありませんッ!!!」
少女はカッと目を見開くと、蓮太郎に向かって飛び蹴りを放つ。それは十歳前後の少女が出したとは思えないほどの威力と速度を備えており、同時に彼女の瞳は紅く染まっていた。
──まるでガストレアのように。
「ッ! イニシエーター!?」
蓮太郎は顔面へ向かってくる蹴りを咄嗟に右腕でガードし、彼女を体ごと後方へ
数秒後。少女はバラバラになったシャッターを掻き分けて砂煙の中で立ち上がり、長年追ってきた仇のように蓮太郎を睨む。
いやなんて目で見てやがる。
「……もう全部どうでもいい! こうなったら墜ちるところまで墜ちてやるッ!!」
「それただの八つ当たりだろ!」
「うるさい! さっさとサンドバックになれストーカー!!」
「だからストーカーじゃねぇって!!!」
さっきまで保っていた敬語口調はどこえやら、今ではただの怒れるガキんちょ。さっきまでの気品のある雰囲気は見る影もない。
少女はイニシエーター特有の脚力を生かして素早く間合いを詰め、蓮太郎の顔面目掛けて右ストレートを放つ。それに蓮太郎は体を捻らせて回避することで対応。蓮太郎と少女の位置関係が逆転する。
「ハァッ!!!」
間髪入れずに今度は掛け声とともに薙ぎ払うように飛び蹴りを繰り出す少女。イニシエーターの生み出す強大な脚力と自身の体重を乗せた一撃。しかし、これも蓮太郎はスラリと巧みに往なす。
その後も攻撃と回避・防御を繰り返す両者。少女が自身の持てる技をフル活用して攻撃するのに対し、蓮太郎は最低限の動きだけで対応する。その様子はスペインの闘牛とそれを操る闘牛士を彷彿とさせる。
戦っていて蓮太郎はひとつの可能性を導き出した。
恐らく彼女は対人戦闘があまり得意ではない。
戦闘自体は恐れることなく果敢に立ち向かっているのだが、攻撃のひとつひとつが大雑把で軌道を読みやすい。もしかすると、彼女の保有する因子は肉弾戦向きではないのかもしれない。それ故に普段は射撃や兵器の操作を任されている。そんなイメージだ。
少女と蓮太郎の距離が広がった時、蓮太郎はそれまでの簡略的な構えを解き、別の構えを作る。
それは天地が永久無限の存在であることを意味する、天童式戦闘術の基本とも言える攻防一体の型。
────『百載無窮の構え』。
「いい加減、頭冷やせ。お前」
少女は場の温度が2~3度下がったような錯覚を覚えた。目の前の青年も先ほどと様子が違う。さっきまではそれこそただの民間人だったが、今は一人の武人に見える。
少女は歯噛みし、次なる攻撃を加えるべく姿勢を低くする。蓮太郎はそれには反応せず、ただ静かに待つ。
商店街に数分ぶりの静寂が訪れる。すきま風に吹かれる枯れ葉の音まではっきりと聞こえるほどだ。
「ハァァァァッ!!!」
先に静寂を壊したのは少女だった。彼女は大きく一歩踏み出すとおぼつかない縮地法で距離を詰める。
しかし、蓮太郎はこの行動を待っていた。
天童式戦闘術二の型十六番──
「──『隠禅・黒天風』」
蓮太郎の、間合いを入念に計算して繰り出された回し蹴りは、迫り来る少女の側頭部を正確に捉える。そして、少女の咄嗟のガードをも貫通し、そのまま彼女を地面に叩きつけた。
少女は臆せずすぐに立ち上がろうとするが、脳を激しく揺らされたため足元がふらつき、上手く立ち上がれずにまた顔から地に伏してしまう。
蓮太郎は構えを解くと少女の顔の前に上着から取り出した民警のライセンスを掲げる。
「俺は鉄パイプ持ったクソ野郎でもなければストーカーでもねぇ。れっきとした民警だ。これでもお前くらいの歳のガキの扱いは慣れてるつもりだ。もう一度言うぞ。何か相談ありゃ乗るぞ?」
少女は蓮太郎のライセンスを睨み付けた後、再び脱力して、こう絞り出した。
「このペド野郎……」
「だからなんでそうなるんだよッ!」
◇
改めてベンチに座り直す少女と蓮太郎。あれから少女の頭も無事に冷えたようで、出会ったときの敬語口調もようやく帰還を果たした。
「ねぇ、ペドさん」
「俺は
少女はフフッと微笑むと少し下を向きながら話し始めた。
「──信頼っていうのは、時に一方通行らしいんです」
「と、言うと?」
「信頼してたのは、どうやら私だけだったってことですよ。やっと好きになれるものを見つけて、それが手の届く距離まで近づいて、結果、多くの友人もできました。でも……友人だと思ってたのは私だけでした。彼らは私のことをただの監視対象としか思ってなかった……!」
彼女の身に起こったであろう出来事は彼女が『呪われた子供達』である以上避けられないものだ。この世界はまだ彼女達が生きていくには辛すぎる。それが現実だった。
「私は悔しいです。彼らよりもこの事実にまるで気が付かなかった自分に腹が立ってしょうがない!民警さん、私はこの気持ちをどこにぶつければいいのか、誰を信用していいか、どうやって生きていいのか。もう何も分かりませんッ!」
少女の嗚咽混じりの叫びが錆び付いた商店街に
彼女の切実な訴えは今の社会の汚点を一切濁さずに表しているようだった。
蓮太郎はそんな彼女の頭にポンと手を乗せる。
「大丈夫だ。そのために俺達がいる」
「……へ?」
「民警ってのは未熟なイニシエーターを教え導くのも仕事の一つだと俺は思ってる。……そうだな、本当に友人全員がお前のことを監視対象って思ってたのか?」
少女はいまいちピンときていない様子。
「つまりだ。一人くらいはお前を心の底から友人だって思ってるヤツいるんじゃねぇのか?」
「……いません」
少女は首を振る。しかし、蓮太郎は気づいた。これは否定ではない。拒絶だ。
「嘘つけ。誰か一人はいるはずだ。思い出してみろ。誰とどこでどうやって出会ったのか」
「……無理です。もう思い出せない」
「違う。それはお前が思い出そうとしないだけだ。ゆっくりでいい。順番に、誰がどんなヤツだったのか、頭に思い浮かべるんだ」
「………………」
少女は目蓋を閉じる。そして数十秒後、彼女は水滴とともにハッと目を見開いた。
「────隊長」
蓮太郎は「な?」と少女に笑いかける。
「どんな状況でも必ず一人は助けてくれそうなヤツはいるもんだ。それをよく覚えとけ」
「でも……私は一度逃げた身なんですよ。正直戻りづらいです。それに、他のみんなと今後どう接すればいいか……」
「そこだよなぁ……」
蓮太郎は艶の入った自身の黒髪を掻きむしる。
「ま、頼れそうな人がいるならソイツを通して解決するしかないな。時間を掛けて」
「そんな時間はありません」
──時間はない、ねぇ。
蓮太郎は先程から気になっていたことを尋ねた。
「……なぁ。さっきから思ってたが、お前って一体何者なんだ?聞いてた感じ民警じゃねぇだろ」
「あれ、言いませんでしたっけ? 私は──」
突然、携帯電話のものらしきコミカルな電子音が商店街に鳴り響いた。少女は蓮太郎に軽く断りを入れてポケットから携帯電話を取り出し、通知を確認する。どうやらメッセージが届いたようだ。
そして、空間を震わす低い大音量も同時に蓮太郎の耳に届いた。
蓮太郎は轟音の発生源を探そうと辺りを見渡すが、音を発せられそうなものは周囲にない。つまり、商店街から発せられている音ではない。外からだ。
ふと横を見ると、先程まで会話していたはずの少女がいなかった。思わずぎょっとして少女を探すと、商店街の入り口に向かって走っている姿を見つけた。しかもかなり入り口に近い。
しまった、いつの間に。
「あ、おいッ! あぁ~〜クソッ!」
蓮太郎は傍らに置いていた購入した品々を入れたレジ袋を手に持って急いで後を追った。
◇
蓮太郎が少女に追い付いた時、彼女は空を見つめたまま微動だにしていなかった。轟音も鳴り止む気配がまるでない。
「おい、なに見てるんだ?」
少女は空に向かってオベリスクのように人差し指を向けることで蓮太郎の疑問に応えた。
蓮太郎もそのまま釣られて空を見上げる。
ちょうど、その時。
「あ──」
漆黒の鳥が一羽、モーセのように白いスモークで東京エリアの空を割った。
黒い鳥は白い尾を吐きながらぐるりと大きく宙返りし、スモッグで霞んだ青空に巨大な円を描く。
それを皮切りに始まったのは、ほぼ全員の東京エリア市民の目を奪った空前のアクロバットショーだった。
戦闘機は、物が音速を超えたときに発生するソニックブームを形成しながらエリアを横断してみせ、爆発音にも似た音をエリアに轟かせる。
そして、螺旋を描くような機動で飛行する『バレルロール』。機体を左右に傾けて、ジグザグに飛行する『シザーズ』。そして、機首を跳ね上げて90度の角度で姿勢をしばらく維持する『コブラ』を易々とやってのける。
「スゲェな……」
蓮太郎は無意識に少女の顔を覗き込んだ。
するとどうだろうか。
彼女は、なんと泣いていた。
それはもうボロボロと。
ダイヤの宝石を落としているのかと見間違うほど大粒の涙を幾つも流していた。
彼女がどういう心境で泣いているかは蓮太郎には分からない。しかし、今しがた行われているエアショーは、彼女にとってただならぬ意味を持っていることは明白だった。
「なあ、お前のことを大切に思ってるヤツ。いたみたいだな」
「……う゛ッ……は゛い゛ッ!」
「よかったじゃねぇか。これで正面から堂々と帰れそうだな」
「はい。……ありがとう、ございましたッ!」
「礼を言うなら俺じゃねぇ。上で飛んでるヤツに言ってやれ」
少女は涙を腕で派手に拭い取り、蓮太郎が見たなかで最高の笑顔で応えた。
「もちろんです!」
「──あ」
ここで蓮太郎は思い出した。この少女を最初に見掛けた際のことを。
彼女を最初に見たとき、どこか見覚えがある気がしていた。その時は結局どこか見たことがあったかを思い出すことはできなかったが、今は違う。
そうだ。思い出した。春の終わり頃、聖天子からの依頼を受ける前。
ネットの記事だ。とある組織がイニシエーターを導入したという海外の記事。その記事に彼女の写真が載っていた。
そう、彼女は────
「
その微かな呟きは、A.G.A.F所属の戦闘機が発する火山の噴火にも似たエンジン音にほとんどかき消された。
◇ ◇ ◇ ◇
しやぶ様、誤字報告感謝します。
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