ある日、
おじいさんは帽子やヒゲでほとんど顔が隠れていましたが、きっと彼は医者だろうということを、狩人さんは分かっていました。なぜ分かっているのかといえば、それは狩人さんが物知りで、何よりそこが夢の中だったからです。夢の中では、大抵のことが分かる物です。
「ほう、「青ざめた血」……ね」
医者のおじいさんが、そう言って語り始めました。何やらとても大切な話をしている雰囲気です。
「確かに君は正しい、しかも運まで良い。まさにヤーナムの血の医療、その秘密だけが、君を導くだろう。……けれど私としても、秘密を部外者には教えられない。だからどうだろう、ここは一つ、君もヤーナムの血を受け入れるというのは。我々の仲間になってくれたまえよ」
狩人さんは、小さな文字が敷き詰められた、難しそうな紙を一枚受け取りました。紙の一番上には「誓約書」と書いてあります。つまりこれは、お医者が治療をするにあたって、いろいろと約束事があるので、狩人さんもそれを守ってくださいね……という、指切りげんまんの代わりに書く紙なのです。
狩人さんは特に何も考えず、その誓約書にサインしました。はて、ところで自分は何の病気にかかって、この病院まで来たんだっけ? 書きながらそれを思い出そうとしましたが、とにかくものすごい難病だ……ということしか思い出せませんでした。けれど狩人さんは、サインを書く速さだけは、誰にも負けません。
「よし、これで契約完了だ。それでは輸血を始めるとしよう。……なあに、何も心配することはない。何があっても、全て悪い夢のような物さ」
注射器の針が腕に刺さりましたが、狩人さんは大人なので泣きません。そして輸血(体の中に新しい血を入れること)が始まりましたが……始まった途端に、狩人さんはとてもとても眠たくなってしまいました。
あんまりにも眠たすぎて、まぶたが勝手に閉じるので、狩人さんはそのまま眠りました。……そして、大きな音に驚いてすぐに目を覚まします。
いつの間にかおじいさんはいなくなっていて、代わりに黒くて大きな犬が、目の前で炎に焼かれているではありませんか。……いや、その黒い動物は、はたして犬なのでしょうか。狼とも犬とも言いきれない毛むくじゃらのそれは、人間と同じくらいかそれ以上にも大きく見えます。そんな犬や狼は見たことがありません。
けれど、いくら凶暴そうで危険な動物だったとしても、燃えてしまうのはかわいそうです。狩人さんは、目の前の光景に言葉を失ってしまいました。何があっても悪い夢のような物とは言われたけれど、まさかこんな悪夢になるなんて。
とにかく、犬を助けなくちゃ! 気を取り戻した狩人さんは、勇敢にも炎に飛び込もうとしますが……なぜか体が動きません。輸血のせいでしょうか? そういえばさっきの誓約書に、たまに体がしばらく動かなくなる人がいるとか、そんなようなことが書いていたような……。
と、燃える犬の横で金縛り状態になっていた狩人さんの足元から、何か小さなものが這い上がってきました。まるで妖精のように小さなそれは……何やら宇宙人のような見た目をしています。いわゆるグレイのような顔です、色です、雰囲気です。むしろそれが宇宙人でなければ、いったいその小さなものが何なのか、狩人さんには分かりません。
少しの間、そんな宇宙人に気を取られていると、いつの間にやらさっきまで隣にあった炎は消えて、犬も一緒にいなくなっていました。勝手に火事が収まったり、犬が綺麗さっぱり消えてしまったり、宇宙人が現れたり、おかしなことばかり起きるので、狩人さんは、やはりこれは夢なのだと思いました。
けれど、そんなことに気が付いても夢はまだ終わりません。金縛り状態の狩人さんは、自分の頬をつねることも出来ないのです。なのに、宇宙人は二匹、三匹……とドンドン増えて、みんな狩人さんの体によじ登ってきます。中には顔のまわりに登ってきて、狩人さんの目を覗き込む宇宙人もいました。
……こ、こわい! 狩人さんは正直ちょっと、いやかなりびびりました。不気味な見た目の、宇宙人という未知の存在が自分の体を登ってくるのに、自分自身は指一本たりとも動かすことが出来ない。それはかなりの恐怖、かなりの悪夢です。病気を治すためとはいえこんな目に遭うなんて、誓約書はちゃんと読もう……と狩人さんは反省しました。
「ああ、狩人様を見つけたのですね」
どこかから、女性の声が聞こえてきました。綺麗な声です。看護師さんかな、と狩人さんは思いました。
きっとその声が呼ぶ「狩人様」というのは、自分一人のことではなく、「狩人という仕事をやっている人」のことなんだろうなと本人も分かっていました。しかしそれでも狩人さんは、美しい声の女性から自分が呼ばれたような気がして、少し機嫌がよくなります。
が、その途端のことでした。宇宙人たちが一斉に、襲いかかるように狩人さんの顔へと群がってきたのです。
「うわああああああ!!!!」
宇宙人に襲われる恐怖のあまり、狩人さんは大声で叫びながら目を覚ましました。そこは真っ暗な病院のベッドの上です。輸血液も近くに置いてあります。
そして目が覚めたその瞬間、狩人さんはいくつもの大切なことに気が付きました。まず一つは、自分は病気を治すために、「ヤーナム市」という医療で有名な街に来たことを思い出したことです。おじいさんから治療を受けたのは、夢の中の出来事ではなく、全て本当のことだったのです。
そしてもう一つの大切なこと、それは、今思い出したこと以外、自分は「自分のこと」について何も憶えていないということでした。……つまり狩人さんは、いつの間にか、記憶喪失になっていたのです。自分の名前も分かりません。
これは大変だ。自分の名前や、自分が治しに来た病気の名前を忘れ、家への帰り道までも忘れてしまった。それからどうすればいい……? そんなふうに途方に暮れて、狩人さんは頭を抱えます。周囲からは物音一つ聞こえません。
狩人さんはしばらく悩んでから、ともかく医者のおじいさんを見つけて相談しようと決めました。相変わらずあのおじいさんの姿はどこにも見えませんが、病院の中を探せばどこかにはいるでしょう。
ベッドから立ち上がり、病院探検を始めようとする狩人さん。……すると彼は、一枚のメモを見つけました。おじいさんからの伝言かな、と思って読んでみます。
「「青ざめた血」を求めよ。狩りを全うするために」
よく見るとその文字の形は、自分の書いた文字にそっくりでした。記憶は無いけれど、どうやら以前に自分が書いたメモのようです。青ざめた血、という言葉は、おじいさんも言っていました。青ざめた血は、狩人さんにとってきっと重要なものであるに違いありません。……けれどそれが何のことだったのか、少しも思い出せないのです。
青ざめた血を求めることで、狩りを全うすることが出来る。狩人さんは狩人ですから、狩りを全うする必要があります。それがお仕事です。どうも今のところ体の調子はいいので病気は治ったような気がしますが、仕事の内容が思い出せないとなると、それはそれで困りました。
「困ったな……」
その後も狩人さんは病院を探索しましたが、人は一人も見つかりませんでした。おじいさんもいなければ、声だけが聞こえた女の人もいません。やがて狩人さんは、病院の出入り口にまでやって来てしまいます。
……すると、「何か」がそこにいました。人ではありません。黒くて大きくて、毛むくじゃらで、四本足で歩いています。
「あっ」
狩人さんはそれが、夢で見た犬だと気付きました。夢の中では燃えてしまった犬が、現実では元気そうに病院の出入り口の傍を歩いています。やはり異様に大きく、また力も強そうです。
そして犬の方も、狩人さんが来たことに気が付きました。目が合うとやはり、狩人さんはその犬が危険だと改めて感じました。その犬は肉食獣のように凶暴な目をしていて、ライオンやトラと同じかそれ以上に強そうで、そして何より、どこにも繋がれていないのです。
「うわあ!」
犬は物凄い勢いで狩人さんに襲いかかってきました。体が大きく力も強いその犬に襲われては、病み上がりで丸腰の狩人さんはひとたまりもありません。狩人さんの普段の仕事は狩人なので、せめて武器があれば戦えたかもしれませんが、今は素手なのです。無力なのです。
そして、犬に噛み付かれた狩人さんは、だんだんと意識が遠ざかっていくことを感じることになりました。……悲劇としか言いようがありません。病気を治すことは出来たのに、まさかこんな、犬に噛まれて死ぬだなんて……。
ああ、無念。……その一言を、心の中で呟いたことを最後に、狩人さんは完全に意識を失ってしまいました。血を流して、死んでしまったのです。
「はじめまして。狩人様」
「ん……?」
あの時の美しい声が聞こえました。
思わず狩人さんが目を覚ますと、そこは知らない家の庭でした。青々しい草木と階段のある、しかしどこか寂しげな雰囲気のただよう、大きな大きな庭でした。目の前には大きな家も建っています。
しかしそれよりも何よりも、狩人さんの目を奪ったのは、目の前の女性でした。絶世の銀髪美女が、彼の前には立っていたのです。見た目も声も立ち振る舞いも、全てが美しい理想の女性が、狩人さんの目の前にいました。
「私は人形。この夢で、あなたのお世話をするものです。狩人様、血の遺志を求めてください。私がそれを、あなたの力といたしましょう。どうか私をお使いください」
「(か、かわいいいいい〜〜〜〜!!!!!)」
かわいい! かわいい! かわいい〜!! ……と思うばかりで、狩人さんはまたしても、人の話を全く聞いていませんでした。誓約書の時の反省はどこへやら、人形と名乗った美女へ完全に恋をしてしまった彼は、目にハートマークを浮かべるばかりです。
「に、人形さん」
「はい」
「結婚してください!!!!」
その場で跪き、人形に手を差し伸べる狩人さん。はたして彼は、記憶喪失になる前も、そんな性格だったのでしょうか……?
「けっこん……?」
何のことか分からない、というふうに、人形さんは小さく首を傾げます。
「(か、かわいい……!!!!)」
狩人さんは鼻血を流して倒れました。
落ち着いてから人形の話を聞いてみると、死んだはずの狩人さんがやってきたこの場所には「狩人の夢」という名前があって、狩人さんの他には、ゲールマンというおじいさんが住んでいる……とのことでした。
ゲールマンといえば、自分のことは何も憶えていない狩人さんでも知っているような、超が付くほどの有名人です。彼は「最初の狩人」と呼ばれる人で、音楽で言うところのバッハやモーツァルトやベートベン的な存在なのです。そんな人に会えるとは……と狩人さんもびっくり。
さっそく会いに行ってみると、大きな家の中でゲールマンさんはアンティーク感のある椅子に座っていました。緊張しつつも、挨拶してみます。
「やあ、君が新しい狩人かね。ようこそ、狩人の夢に。短い間とはいえ、ここが君の「家」になる。私はゲールマン。君たち狩人の先輩だ。今は何も分からないかもしれないが、難しく考えることはない。君は、ただ、獣を狩ればよい。それが、結局は君のためになる。狩人とはそういうものだよ。そのうち慣れる」
ありがたいお言葉をいただいて、狩人さんは背筋が伸びるような気持ちでいました。……けれどもその後、ふと別のことが気になってしまいます。人形さんとゲールマンさんは、いったいどういう関係なんだろう……ということが。
肝の座った狩人さんは、ゲールマンさんになんとなーく探りを入れようと、お話しを続けました。
「この場所は、元々狩人の隠れ場所だった。血を使って、狩人の武器を作る。狩人の工房だよ。もっとも、今はいくつかの器具は失われているがね。残っているものは、すべて自由に使うとよい。君さえよければ、あの人形もね……」
「……えっ? あの人形もって……あの人形さんも!?」
「ああ、好きに使うといい」
「本当ですか!?!?」
人形さんとゲールマンさんは、別にこれといって特別な関係ではなかったようです。狩人さんは心の中で喜びの舞を踊り、心の外でもガッツポーズを決めました。まだ自分にもチャンスはある……! と。
そして話を聞いた限り、ここには狩人にとって必要な道具が揃っているようです。つまりは武器です、武器があるのです。それさえあれば、今度は大きな犬なんかに負けません。犬どころか、もっと強い相手にも立ち向かえるでしょう。
狩人さんは決めました。せっかくの機会なのだから、自分はここでゲールマンさんを超える狩人になると。「最初の狩人」を超える「最強の狩人」となって、そしてその時になったら今度こそ、もっとちゃんと、人形さんにプロポーズするのです。きっと人形さんに相応しい男というものは、そのくらいのものでなければいけないのだと、狩人さんは意気込みました。
そしてその意気込みを、さっそく人形さんに伝えます。すると彼女は、狩人さんにいくつかの武器を選ばせてくれました。……その武器を運んできたのは、あの小さな宇宙人の群れだったので、狩人さんは思わず後ずさってしまいます。かっこわるい。
「ああ、小さな彼らは、この夢の住人です。あなたのような狩人様を見つけ、せっせと働いてくれます。……言葉は分かりませんが、かわいらしいものですね」
「あ、あぁ、そうなんですね。……なるほど確かに、言われてみればかわいらしい」
人形さんがかわいいと言えば、それは狩人さんから見てもかわいく思える物でした。好きな女性への憧れというのは、そういうものなのです。
さて、狩人さんが選ばせてもらった武器には、刃物が三種類、銃が二種類あります。まずは接近戦で使う刃物、それには「斧」と「ノコギリ」と、刃を仕込んだ「杖」がありました。
狩人の使う武器の伝統として、どの武器にも変形機能が搭載されています。いわゆる仕掛け武器という物です。斧は柄を組み変えてより巨大に、ノコギリは刃の位置を変えてリーチの長い鉈に、杖は鞭のようにしなる刃物に変形させることが出来ます。
狩人さんは真っ先に「仕込み杖」のことを考えました。見た目が一番おしゃれで、鞭のような刃物というもの珍しいスタイルに、男のロマンを感じたのです。使いこなせればきっとモテる……つまり人形さんにも好印象を与えられるはず! とも考えました。
……が、狩人さんはあることを思い出して、仕込み杖を使うことは諦めます。彼は昔かっこつけようとして、ヌンチャクを振り回し、盛大に自爆したことがあるのです。仕込み杖の鞭モードには、それと似たオーラを感じました。
斧は少し重すぎる気がしますし、最終的に、狩人さんの武器は消去法でノコギリ鉈が選ばれました。そして銃の方は、短銃と散弾銃がありましたが、これは真っ先に短銃を選びます。なぜかといえば、そちらしか使ったことがないからです。つまり全てが消去法でした。
「夢から目覚めるには、あちらから行き先を選んでください」
人形さんから言われて向かった場所には、お墓がいくつも立っていました。狩人の夢にどこか寂しげな雰囲気があったのは、ここが墓地であるからなのかもしれません。
お墓の前で、宇宙人たちが待っています。……すると突然、狩人さんは宇宙人たちの名前が「使者」であることに気が付きました。思い出したわけではなく、ただ、なんとなくそう感じたのです。そしてそれを人形さんに聞いてみると、どうやら本当に彼らの名前は使者であることが分かりました。
狩人の夢と言うくらいだから、死んだはずの自分がいるこの場所は、きっと夢の中のような物なんだ。夢の中だから、なぜかは分からなくても、なぜか知っていることだってある。狩人さんはそう納得して、お墓の前の使者に手をかざします。
目覚める先は、ヤーナム市街です。思いつく行き先が、そこしかなかったのです。今日の狩人さんは消去法ばかりでした。
けれど人形さんへの想いは本物です。狩人さんの心に迷いはありません。死ぬことの怖さも、痛さも、人形さんのことを想えば無いような物なのです。
使者に手をかざした狩人さんは光に包まれ、狩人の夢から消え去りました。そして気が付いた時には、願った通り、ヤーナムの街の中に立っている彼の姿がありました。
勇気ある狩人の、最初の戦いが始まったのです。