ゆるい、ぶらっどぼーん   作:氷の泥

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終 ヤーナムの夜明け

 狩人の夢で目が覚めた時、狩人さんは「とんでもないことを忘れていたかもしれない」と顔を青くしました。

 狩人である狩人さんが死んだ時、狩人の夢で生き返るなら、メンシス学派であるミコラーシュが死んだ時だって、メンシスの悪夢で生き返るのでは……?

 そう考えた狩人さんは、そういえば狩人の夢の中で死んだことは一度もなかったな……と思い至ります。そしてよくよく考えてみれば、ミコラーシュの最期の言葉にこもった感情の濃さから導き出した結論として、もう彼が生き返ってくることはなさそうです。

 狩人さんが夢で目覚めると、必ず目の前に人形さんがいます。だから狩人さんは嬉しそうに彼女へ報告しました。

「人形さん聞いてください! 俺、獣病の原因を倒したんですよ! これでもう誰も獣になったりしないんです!」

「素晴らしいです、狩人様」

 人形さんは小さく拍手をしてくれました。初めての……初めてのお褒めの言葉です。狩人さんは思わず涙が出そうになります。

 そうだ、俺はこの時のために頑張ってきたんだ……この悪夢のような世界の中で……!

「しかし、狩人様。獣病の原因はまだ終わっていません」

「…………え?」

 狩人さんの満面の笑みが、やや失われて悲しい硬直を見せました。

「悪夢の主は、儀式によって宇宙の力を呼びました。……力その物が、まだ悪夢の中に残っています」

「つまり、ミコラーシュの呼んだ宇宙人がまだ……?」

「はい」

 なるほど、と狩人さんは納得しました。納得するほど、真顔になっていきます。

 ミコラーシュは儀式によって宇宙人を呼びました。その宇宙人のせいで獣病が流行っています。だからミコラーシュだけではなく、宇宙人も倒さなければいけないというわけです。

 しかし宇宙人を呼ぶことに成功したなら、どうして彼は儀式を続けていたのでしょう? 成功した時点でやめてしまえばいいはずです。もっと大勢を呼びたかったのでしょうか? それともどうせ悪夢の中でしか生きられないから、他にすることもなかったのでしょうか?

 何にせよ狩人さんはメンシスの悪夢に戻ります。狩人さんの記憶が確かなら、あのミコラーシュを追いかけ続けた迷路のような部屋には、あれ以上どこにも進む道がないように思えましたが、一度ミコラーシュに攻撃をくらわせた時、いつの間にか道が増えて二階に続いていたことを思い出します。

 そして思った通り、シャッターが開いたあの部屋から、さらに上へと続く長い階段が現れていました。そしてミコラーシュとの最後の戦いが繰り広げられたその部屋には、とても見覚えのある物が一つ落ちていました。

 メンシスの檻です。まるでそれは形見でした。……狩人さんはそれを拾い上げ、被ってみます。あの狂った男が何を考えていたのか、なぜこんなおかしな物を現実でも悪夢でも身につけていたのか、少しは分かるかもしれないと思って……つまりほとんど興味本位での装備でした。

 檻を被った狩人さんは、それが意外と重い物だったことを知りました。……檻の中から狩人さんの見た景色は、今までと何か違っていたのでしょうか?

「……分からん」

 ただ邪魔くさい被り物、としか思えませんでした。憎き敵の形見を大切に持ち歩いたって仕方がないので、墓石代わりに、それはこの場に置いていきます。

 気を取り直して、新たに現れた階段を上っていくと、遠くから赤ん坊の泣き声が聞こえた気がしました。おぎゃあ、おぎゃあ……と、途絶えることのない泣き声です。

「うわ、マジかよ」

 階段を上ると、その先は屋上のような場所になっていました。頭上を遮る物が何もなく……しかし城自体が大きいので、まだまだ先に道は続いています。屋上と言ったって、場所によって高低差があるくらいです。今まで通ってきた城の中と同じような、一つのフロアと考えた方がいいでしょう。

 そんな最上階へやって来た狩人さんの目の前には、こちらに背を向けている黒い影が二つありました。見覚えのある刀と、見覚えのある松明も見えます。……ヤーナムの影です。今度は二人ですが、それでもまさかこんな場所にいるとは思いませんでした。

 足音で気付かれないように注意しながらそっと近付いて、狩人さんは刀を持った影に不意打ちの一撃をくらわせます。それで狩人さんの存在に気付いた松明の影が振り返ると同時に、今度はその顔面に銃弾を撃ち込みました。影は大きく怯んだものの、まだ生きているようです。

 背中に不意打ちをくらった影と、顔を撃たれた影。二体の影が怯んでいる隙に、狩人さんは武器を鉈へと変形させ、広い攻撃範囲を活かして二体を同時になぎ払いました。影はどちらも力尽きて、そのまま消えていきます……。

 禁域の森にいた頃のことが、もはや懐かしく思えます。不意打ちが出来ればヤーナムの影二体なんてこんなものでした。狩人さんは先へ進みます。空には相変わらず大きすぎる白い月がありました。

 次に狩人さんの前に現れた敵は、背を向けた巨大な豚でした。懐かしい相手です。それはヤーナム市街の下水道の奥にいた豚にそっくりでした。

「(今さら負ける相手じゃないな)」

 懐かしい敵の姿に油断はしていましたが、足音を消して背後に忍び寄ることだけは徹底します。……やっぱりどこかから、赤ん坊の泣き声が聞こえてきました。おぎゃあ、おぎゃあ……とかなり近くで泣いています。

「よっ! っと」

 ありったけの力でノコギリを振ったつもりでしたが、豚はぶひいいいと悲鳴を上げただけで、力尽きることはありませんでした。反撃を警戒した狩人さんがいったん離れると、豚はのしのしと回れ右をして、狩人さんの方に顔を向けます。

「うぇあぁ!? 気持ち悪ぅッ!」

 豚の顔には、カエルの卵のようにうじゃうじゃと多くの目玉が付いていました。懐かしいと思っていた敵の、突然で予想外なグロテスクさに狩人さんは腰を抜かしそうになります。

 しかしそれによって改めて、狩人さんは狩りに必要な緊張感を取り戻したのです。そうだここは、言葉通り悪夢の世界なのだと。

「ブヒイイイッ!」

 豚がその巨体を活かしたプレスで、狩人さんを押し潰そうとしてきます。軽やかなステップでそれを回避した狩人さんは、しかし至近距離でその豚の目玉の集まりを見ることになりました。

「…………」

 狩人さんは無言で、真顔で、その目玉に刃を振り下ろします。悲鳴を上げて、豚が息絶えました。……どうやらだんだんと狩人さんの中で、気持ち悪い物へ対する耐性が出来てきているようです。

 グロい豚を倒した先には、エレベーターがありました。下る物かと思って乗り込んだら、なんとそれはさらに上へと登って行きます。最上階の中でも、さらに高い位置があるようです。

 エレベーターが動いている最中も、ずっと赤ん坊の泣き声が聞こえてきます。気付いた時にはもうずっとその声が耳に入っている状態です。おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ……狩人さんはその泣き声があまり好きではありませんでした。

 エレベーターから降りると、月の光を他のどこよりも強く受けた城の頂上に出てきました。そこは円形の広場で、真ん中に子ども用の小さなベッドが置いてあります。

 小さなベッドは足の先が二点ずつ曲線で繋がっていて、大人がほどよい力でベッドを押すことで、子どもを眠らせるための心地よい揺れを与えることが出来る作りになっています。どうも赤ん坊の泣き声は、その中から聞こえてきているようでした。

 どうして悪夢の中に赤ん坊がいるのだろう……? そう思ってベッドを覗こうとした瞬間、狩人さんはハッと別の想像が出来ることに気が付きました。……それは本当に赤ん坊なのか? と。

 泣き声が聞こえるからといって、誰もが思い浮かべるような無力で愛らしくて、守られるべき赤ん坊がそこにいるとは限りません。悪夢の中においては、豚の目玉が二つだけとは限らないように。

 そうして狩人さんがベッドを覗き込むことを躊躇した瞬間、泣き声に覆い被さるようにして、黒い衣を身にまとった何者かが降って現れました。

「こいつが宇宙人……?」

 赤ん坊を守るように現れた背が高く黒い衣服を纏ったそれの名前を、狩人さんは瞬時に知りました。ミコラーシュの名前を知った時と同じようにです。

「メルゴーの乳母?」

 乳母というからには、それは女性なのでしょうか? 狩人さんには分かりません。なぜなら、それには顔がないからです。

 顔以外にも、衣服と、それから両手に持った大量の鎌以外に、狩人さんの目に見える物はありませんでした。顔や体があるべき場所に、ただ空洞があるのです。透明人間だ……とすぐに理解しました。

 しかし乳母が片方につき三本以上の、大量の鎌を武器として持っていることから、彼女の腕がそもそも二本なのかどうかも定かではありません。けれどなんとなく、腕はたくさんあるだろうし、やはり人間でもないのだろうなと感じました。やっぱり今目の前にいるそれが、ミコラーシュの呼んだ宇宙人であるように思うのです。

 宇宙人の中では、見た目が美しい方だと狩人さんは感じました。虫みたいな奴らに比べればよっぽど……。

「……あれ? うーん?」

 乳母が鎌を振り回して襲ってきたので、狩人さんも戦闘態勢に入ります。……が、すぐにすさまじい違和感が起こりました。

 メルゴーの乳母の戦い方は、信じられないくらい弱かったのです。ノコギリで切っても切っても、狩人さんの攻撃が効いている素振りがありませんが、攻撃の手応え自体はあります。……それだけです。メルゴーの乳母の厄介な点はそれだけ。

 大量の鎌を振り回してきますが、どれも動きがのろまで、今まで数々の激闘を切り抜けてきた狩人さんから見れば、それは「当たるわけがない攻撃」でした。乳母は狩人さんを見下ろすような大きな図体をしていますが、まさに見かけ倒しもいいところです。

 鎌を避けてはノコギリで切って、鎌を避けてはノコギリで切って。そのうち乳母が身を屈めて、瞬間移動をすることで自分から離れていったのを見て、実はもうそろそろ向こうも限界が近いんじゃないかと狩人さんは思いました。ミコラーシュに比べてあまりにも楽な狩りです。

 しかしある時突然、本当に何の前触れもなく、乳母は黒い霧を吐き出しました。それは恐ろしく濃い霧で、広場の全てを飲み込んでいってしまいます。霧の黒色で視界の全てが真っ暗になって、狩人さんには何も見えなくなりました。

 この霧の中で、黒い服を着た透明人間の乳母を探すのは厳しいな……。狩人さんが呑気にそんなことを考えていると、紫色の光がぽつぽつと霧の中で浮かび上がってきます。一つ一つは小さいその光が、一箇所に固まっていくつも浮かび始めました。

 なんだろうあれは、まさか触れると爆発する物ではないだろうな。狩人さんが目を凝らしてその光を見つめていると……シュキンシャキンと小気味よい音がなりました。金属の……いや刃の擦れる音です。

「うおおぅ!?」

 ほとんど本能だけで回避しましたが、その光る刃は乳母の持つ鎌から発されているものでした。もしも鎌が光っていなければ、暗闇の中からの攻撃を避けられはしなかったでしょう。

 けれども、ならどうして鎌は光っているんだろう……? 狩人さんがそんな疑問を浮かべる間にも、紫色の光の数は倍に増えていました。

「なるほど!?」

 目くらましの黒い霧、そして分身。さすがに弱すぎると思っていたところに、ようやくメルゴーの乳母が本性を表してきたのです。

 おまけに分身たちは本体と同じように、身を屈めることで瞬間移動をすることが出来るようです。次々と別の場所から襲い来る光の刃……狩人さんはそれを回避するだけで精一杯でした。反撃することだとか、どれが本体なのかとか、そんなことを考えている余裕もありません。

「(まずい、このままではジリ貧だ)」

 さすがはミコラーシュの呼んだ宇宙人というところでしょうか、じりじりとしたやり方が彼に似ています。……しかし振り返ってみれば、一対一で馬鹿正直に狩人さんを迎え撃ってくれる相手の方が、歴代のボスの中でも珍しかったような気もします。

「(何か策はないか。例えば走り回って刃を避けながら、近い相手に火炎瓶を投げつけるとか。今の俺ならそれでも百発百中で当てられるはずだ。本体はともかく、分身だけでもそれで消えてくれれば……。……ん?)」

 火炎瓶を握ったばかりの狩人さんが、それを投げつける前に気が付きました。……いつの間にか紫色の光が減っています。

 それは消灯される部屋の明かりのように、みるみるうちに一つずつ消えていって、やがて一つ残さず無くなってしまいました。それに合わせて黒い霧もサッと晴れていきます。

 あっという間に、明らかに本体であるメルゴーの乳母が一体、広場に残っているだけになりました。

「……時間切れ?」

 今まで見てきた限りでは、人間の理解を超えた力を使う者たちには、どうやら出来ることと出来ないことがあるようでした。ミコラーシュは銃弾を避けられるのに刃は避けられず、ロマは隕石をずっと降らせ続けることは出来ず、ロマの隕石が味方には当たらない一方で、アメンドーズのビームは全てを薙ぎ払っていました。

 だからメルゴーの乳母の目くらましや分身には、時間制限があったのかもしれません。鎌の刃が光ることは仕方のないことだったのかもしれません。……そうでもなければ、こんな絶好のチャンスは訪れないはずですから。

「なんかよく分からないけど……くたばれぇー!」

 狩人さんが乳母に切りかかります。普通ではない耐久力でそれを受け止めた乳母が鎌を振り返し、狩人さんがそれを避けながらまた切ります。

 ……大体一分ほどだったでしょうか。狩人さんが一方的に攻撃を当て続ける戦いの末に、ある時乳母は力尽きました。力なくうなだれて、そのまま消えていったのです。狩人さんはそれが瞬間移動ではなく死なのだということを、感覚で理解しました。

 メルゴーの乳母が消えると、おぎゃあおぎゃあという泣き声がまた聞こえるようになりました。ふと見ると、赤ん坊の声が聞こえてくるベッドはまだそこにありました。戦いに巻き込まれたのにも関わらず無事だったのです。

「まさか乳母はあれを守りながら……?」

 もしもそうなのだとすれば、拍子抜けするような弱さにも納得がいきそうな物ですが……戦いに集中していた狩人さんはベッドにまで気を配っていませんでした。真実は闇の中です。

 赤ん坊の泣き声は止みません。最後の敵である乳母を狩った狩人さんは、メンシスの悪夢に建った城の一番高いところで、いっそまぶしいくらいの白い月明かりを浴びながら、ある物を探していました。

 おぎゃあ、おぎゃあ……という泣き声を聞きながら、探しても探しても、それが見つかりません。いつもボスを倒した時に現れるランタンが、いつまで待っても現れないのです。これが最後の敵であるはずなのに。

 だから狩人さんは意を決して、ベッドの中を覗きこみました。何がそこにいるのか分からないので、意を決すると言っても半目のままで。

「……あぁそういうことか」

 ベッドの中が空っぽに見えたことで、狩人さんは「メルゴーの乳母」という名前の意味を理解しました。泣き声は今もずっとベッドの中から聞こえ続けています。

 赤ん坊……または宇宙人の名はメルゴー。透明人間であるその赤ん坊の乳母もまた、同じく透明人間だったのです。……果たして狩るべき宇宙人とは、乳母だけのことだったのでしょうか?

 ……ランタンは一向に現れません。

「まぁ、今さら辞めるわけにいかないよな」

 狩人さんは、ベッドの中に向かってノコギリを振り下ろしました。見た目そのままに、他の何に当たった感触があるわけでもなく、ノコギリはベッドを破壊しました。

 けれど、もう赤ん坊の泣き声はどこからも聞こえて来ません。使者たちの力を借りることが出来るランタンが、ようやく地面から生えてきました。

 今度こそ、狩人さんの獣狩りは終わったのです。

 

 

 

 

 

 狩人の夢に戻ると、目を疑う光景がありました。いつもゲールマンさんの居た大きな家が、目の前でごうごうと激しい炎に包まれて燃えているのです。

「ええっ!?!? ちょ、人形さん、やばいって! 燃えてる燃えてる! 家! 火事!」

「狩人様、お待ちしておりました。もうすぐ夜明け……夜と夢の終わりですね。あちらにある大きな木の下で、ゲールマン様がお待ちのはずです」

「……えぇ?」

 いまいち状況が飲み込めませんが、とにかくゲールマンさんは無事のようです。人形さんが指さした方向に確かに大きな木が伸びていました。……思えば狩人の夢を本格的に探索したことがなかったので、言われるまでそんな木があることに気が付きもしませんでした。

 それだけ狩人さんにとっては人形さんとゲールマンさんと、使者たちの力と獣狩りさえあればそれで十分だったのです。……欲を言うなら人形さんと、もっともっとお近付きになりたかったことは間違いないので、だから狩人さんが狩人の夢を探索するのだとしたら、それは人形さんとお散歩をする時だったのかもしれません。

 獣病の原因を全て狩り尽くしたことを報告して、褒めてもらって、ドラマチックに愛の告白をして、人形さんとお付き合いが出来たら……。そうしたら、お散歩だってしていたかもしれませんが、しかし実際は狩りが終わるなり家が焼けているという衝撃的な光景に出くわして、感情をほとんど感じられないいつも通りの調子で人形さんから「ゲールマン様がお待ちです」と言われれば、もはや狩人さんはそれに従うしかありません。人形さんとのお喋りをしている時間はなさそうです。

 狩人の夢に建つ家……燃える家に背を向ける形で、ところどころにお墓の立っている広い庭を歩いていくと、一つの簡素な門が見えてきます。それを開いて中に入ると……広大な地面を埋め尽くすように、綺麗な白い花が咲き誇っていました。そして見上げるまでもなく見える月は、ここでも異様な大きさのままです。

 大きな大きな月に照らされた一面の白い花びらは、狩人さんにとって美しいを通り越して、いっそ神々しく見えました。……そしてそんな広場の一角に大きな木があって、そこにゲールマンさんもいたのです。ゲールマンさんはいつも通り椅子に座っています。

 しかし、彼が椅子に立てかけた大きな鎌……ゲールマンさんの愛刀「葬送の刃」が、狩人さんに不吉なことを予感をさせました。……だってここは広すぎるのです。それこそ、戦うには申し分ないほどに。

「ゲールマンさん、話ってなんですか」

「よくやった、若い狩人よ」

 物語の終わりを読み上げるように、最初の狩人と呼ばれるその老人は言いました。

「君は見事、獣病の原因を狩った。狩り尽くした。これでヤーナムは獣病の恐怖から解放され、時間はかかるかもしれないが……それでもいつかは元通りの、平和な街が戻ってくるだろう。……君の役目は終わったんだ、偉大なる狩人よ」

「は、はぁ。ありがとうございます」

 まさか人形さんより先にゲールマンさんから褒められるとは考えてもいませんでしたが、そういえばゲールマンさんこそが狩人さんの同業者かつ大先輩で、人形さんはそのサポート役だったのですから、むしろ彼から先にお褒めの言葉をいただく方が当然の流れだったのかもしれません。

「君は、狩人の夢の中で死んだ狩人がどうなるのか、知っているかね?」

「……いいえ」

 それはミコラーシュの死を見た狩人さんが、つい最近考え始めた疑問でした。

「どうなるんですか?」

「今までは、ただ夢の中でいつもと同じように、狩人として君は生き返るだけだった。……しかし狩りが全て終わった今、もはや狩人の夢が狩人を「夢に縛り付けておく必要」はなくなった。……今、狩人の夢の中で命を落とせば、君は元の世界に帰ることが出来る」

「元の世界?」

「そう、平和なヤーナムの街だ。……それ以外の方法では、もうこの夢から出る方法など無いのだよ」

「えっ」

「なに、ここで君が得た物は全て、元の世界に行っても失われない。安心したまえ。記憶も、強い体も、道具も……何もかもだ。……ただし、二度とこの夢の中に戻ってくることは出来ない」

「……二度と、ですか」

 つまり、狩人さんに残された選択は二つでした。

 今ここで死んで、平和なヤーナムへと戻る道。人形さんの力と血の意志によって得た超人的身体能力はそのままで、もちろんヤーナムに来る前の狩人さんが患っていた病も治ったままです。

 記憶は未だに戻りませんが、命懸けの戦いとは無縁になって、平和な世界で何なりと生きていくことが出来るでしょう。……唯一悪いことがあるとすれば、それはもしも次に命を落としてしまったら、その時は狩人さんも普通の人間と同じように、ただそのまま死んでしまうということです。けれどそれは、むしろ当たり前のことなのです。

 もう一つの道は、狩人の夢に残り続ける道。一生を暮らすにはあまりにも狭く退屈な狩人の夢に残り、狩人さんが元々いた世界での生活は捨てる道。……けれどそこには人形さんがいます。それだけが狩人さんにとって唯一の魅力であり、それこそが狩人さんにとって何よりも大きな心残りでもあります。

 ……………………結果として狩人さんが選ぶのは、

「自ら命を絶つことが恐ろしいのなら、私が手伝ってあげよう。一切の苦痛なく、君を元の世界に帰すと約束する」

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って!」

 鎌に手を伸ばし立ち上がるゲールマンさんを、狩人さんは慌てて止めました。

「やり残したことがあるんです」

「ふむ。……それは何だね?」

「人形さんと話してきていいですか」

「あぁ……構わんよ」

 狩人さんは白い花の咲く広場を出て、焼け続ける家の前で、何事もないような顔をして立っている人形さんのところまで戻ってきました。狩人さんの調子がいい時も心が折れそうな時も、人形さんはずっと、必ずその無表情でそこに立ってくれていました。

 狩人の夢から覚めれば、二度と彼女を見ることは叶わなくなるのです。平和な世界に戻ったって、それこそ狩人さんは毎日夢に見ることでしょう。二度とは会えない理想の女性のことを、彼女と一緒に生きたかもしれない自分のことを。

 ……それは悪夢でしょうか?

「人形さん、俺、元の平和な世界に戻れるんだって。けどそうしたら、人形さんにもう二度と会えなくなるんだって」

「おめでとうございます、狩人様。ついに念願を叶えられたのですね」

「念願……?」

「獣も悪夢もない世界。そこで生きることが人の幸せ、狩人様の幸せ。だから狩人様は、これまで狩りを続けてこられたのでしょう」

「……違うよ。人形さん、それは違う」

 記憶の戻らない狩人さんが元の世界に戻って、なんとか暮らせたとして、それで彼は幸せになれるのでしょうか。ヤーナムの街のために、見るもおぞましい化け物たちと戦った狩人のことを、誰か褒めてくれるのでしょうか。

 平和が欲しかったのか、英雄になりたかったのか、使命感から逃れられなかったのか……狩人さんはなぜ狩りをしていたのでしょう? ……そんなことは決まっています。理由は一つしかありません。

「俺は、人形さんから認められたかったんだ。獣病の原因を狩って、ヤーナムっていう街を一つ、丸ごと救っちゃうくらいのことをすれば、……人形さんも俺を認めてくれるかなって」

「狩人様。狩人様は素晴らしく、偉大な狩人です。紛うことなきヤーナムの英雄です。この先ずっと永遠に、私は狩人様のことを覚えています。狩人様がいつか安らかな、長い眠りにつく日がやって来ても、その先もずっと私は覚えています。必ずです」

「違うんだ! 人形さん、そうじゃない。俺は……俺は男として認めてもらいたいんだよ。人形さんのことが好きなんだ」

「好き……?」

 眉一つ動かさず、何らいつもと変わらない声音で、彼女はそう聞き返しました。

「そう、大好き、ずっと一緒にいたい、人形さんと離れるなんて考えられない。人形さんに会えなくなるくらいなら、ずっと夢の中でいい、それが悪夢になったって構わない、狩りだって別にいつまで続いたって良かった。どんな敵とどれだけ戦っても、何度殺されても、人形さんが居てくれるならそれでよかった……」

「狩人様……」

「……だから人形さん、俺と来てくれないか? 必ず幸せにする……そう約束する」

 狩人さんは、人形さんに手を差し伸べました。

「夢で得た物は、何だって元の世界に持って行けるらしいんだ。……人形さんのことだけ例外なんて、おかしいだろう? 君を物扱いしたいわけじゃないけれど、でも頼む、人形さん……俺の物になってくれ。そうすれば一緒に行けるはずなんだ。獣病も宇宙人もない世界で、一緒に俺と生きてくれないか……? ……頼む」

「……………………」

 長い長い沈黙がありました。燃える家屋がぱちぱちと弾ける音が聞こえる以外には、完全な無音が続きました。……炎に照らされた人形さんの顔には、やはり少したりとも、表情らしい物が現れることなどありません。

 けれど彼女は、その無表情のままで、両目から涙をこぼしたのです。彼女の顔を伝って落ちた雫はキラキラと輝く小さな宝石になって、ぽろぽろと足元に転がっていきました。

 それにギョッとしたのは狩人さんです。当たって砕けろの精神が、まさか最愛の人を泣かせてしまうことになるとは思いませんでした。

「これは……なんでしょうか?」

 人形さんの声は、初めて会った時から何も変わっていません。彼女の声は平坦そのものです。……それを変えることが出来ないのかもしれない。声も表情も、何もかも、一つのあり方から変えられないのかもしれない。狩人さんは初めて、その可能性に気が付きました。

 今まで自分が感じ取ることが出来なかっただけで、人形さんにもちゃんと心があるのではないかと。

「狩人様……私には、私には何もありません。分からないのです、何も分からないのですが……温かさを感じます……こんなことは、はじめてです……。……私は、おかしいのでしょうか? ああ……でも狩人様。これは、やはり喜びなのでしょうか」

「人形さん……」

「狩人様……私を連れて行ってくださいますか……?」

「もちろん……!」

 人形さんは、差し伸べられた狩人さんの手を取りました。狩人さんは人形さんの手の、「人形」らしく固いその感触から、しかしやはり間違いなく「命の熱」を、ぬくもりを感じました。

 報われた……。報われた、報われた……! 自分は世界一の幸せ者だ! ……今にも人形さんを抱きしめそうな狩人さんは、心の中でそう叫びました。

 人形さんの目には、そんな彼の背後に……大きな月を背景として大鎌を振り上げる、老いた死神の姿が映っていました。

 

 

 

 

 

 固い石畳の感触が不愉快で目が覚めます。

「うん……?」

 まぶしい太陽の光に、寝起きの狩人さんは目を細めました。……目の前にあるそこはヤーナムの街です。狩人さんは、路上で寝てしまっていたようでした。

 今いる場所はどうやらヤーナム市街の大通りであり、様々な人が行き交って街は活気づいています。立ち話をする婦人方、走り回る子ども、大きな犬の散歩をする女性に、楽器を演奏している男性、彼の前で足を止める何人かの通行人。向こうの方では商店が開かれているようで、反対側の家の屋根の上には大工らしき男の姿も見えます。

「……夢を見ていたみたいだ」

 賑やかなヤーナムの街が、当然のように狩人さんを包んでいました。狩人さんの前を通る人たちが時々、道端で眠る不審な男に対する目を向けてきます。……誰も狩人さんに襲いかかってくることありません。

 獣狩りだなんて、この街には似合わないように思えました。この街にある恐ろしい物なんて、路上で眠っていた記憶喪失の男以上には存在しないはずです。

「ううん……」

 まだ少し寝ぼけている目をこすりながら、狩人さんは自分の持ち物をチェックします。ノコギリ鉈……パイルハンマー……火炎瓶……どうやら獣狩りは現実のことだったようです。

 そう、あれはまさに悪夢のような戦いの連続。目につく生き物は全て敵で、苦手で苦手で仕方ない虫が大きくなって現れたり、もはや理解することさえ出来ない宇宙生命体が襲いかかってきたり……。

 ……けれども、なんででしょう、そんな狩りの日々が、そこまで悪い物だったとは思えないのでした。それこそ別に、その悪夢がいつまでだって続いてくれても構わなかったと思えるほど、心から好きだと思える物がその狩りの中には……、

「……はっ」

 狩人さんは慌てて立ち上がり周囲を見渡しました。人形さんはどこだ、人形さんがいない。いつも目が覚めた時には、彼女が真っ先に自分を迎えてくれたのに。

 ……そして見覚えのある衣装が、視界の隅に入りました。

「……あぁ、人形さん」

 それは狩人さんの足元にありました。人形さんが、路上の壁を背もたれにして目を閉じていたのです。まだ眠っているのでしょう。狩人さんはホッと胸を撫で下ろしました。

 ……けれどすぐに、彼女が息をしていないことに気が付きました。

「人形さん……? ……人形さん!」

 体を揺すると、首の座っていない赤ん坊のように彼女の頭がかくかくと揺れます。……固い感触です。人間らしい肉なんてどこにもない、作り物の冷たい感触です。

 街を行く人たちの多くが、いよいよ狩人さんのことを不審な目付きで見始めます。それに気が付いた狩人さんが、人々の目にこもった感情を受けて、やがて人形さんに起こったことを悟っていきました。

「……あぁそうか。ここは、夢じゃないんだ」

 狩人の夢、それは人の心や意識だけが入ることの出来る、非現実の空間です。だからそこには人形さんがいました。彼女は狩人さんとお喋りをして、不思議な力で狩人さんを強くしてくれて、狩人さんと一緒に生きることを選んでくれました。

 ……現実の世界で、命を持ったかのように動く人形がどこにいるというのでしょうか。どれだけ人間そっくりに作っても、どんなに美しくあっても、人形は人形でしかありません。命のこもっていない、ただの物体です。

 夢の中から持ち帰った人形には、命など宿ってはいないのです。狩人さんがどれだけ人形さんのことを覚えていても、それは全て夢の記憶にすぎないのです。

 人形という玩具に語りかける一人の男を、街の人たちは不審そうに見つめていました。

「……そっかぁ」

 狩人さんは人形さんを背負って、その場を離れて行きました。人間と同じくらいの大きさの、女の人形を背負って歩いている男がいる。街の人たちが彼のことを物珍しい視線で、あるいは軽蔑するような視線で見つめましたが、狩人さんはそれを気にしません。

 記憶がなくても、自分が今までどこでどうやって生きていたのか、本気で調べれば分からないということはないはずです。どこかにあるはずの我が家に帰って、そこで人形さんと一緒に暮らそう。……もう彼女の声が聞けることはないのだとしても、彼女がただの人形になってしまったのだとしても、それでも狩人さんは、人形さんと一緒に生きると約束したのです。人形さんはそれを、確かに受け入れてくれたのです。

「ずっと一緒だからね」

 人形さんを背負ってみて分かったことは、彼女がおそろしく軽いということでした。命のない人形である彼女の腕は今、重力に従ってだらんと力なく下がっています。

 狩人さんはその手を握りました。……冷たい手です。あの時の熱は、ぬくもりは、もう感じ取ることが出来ません。

 ……その時、ぴくりとほんの少しだけ、人形さんの指が動いたような気がしました。狩人さんは彼女の手をギュッと握りしめます。……夢から覚めた狩人は、いつの間にか泣いていました。

 夢と狩りの中にいた頃は見られなかった太陽の光が、狩人さんのことを輝かしく照らしています。そうして彼は最愛の人を連れて、帰るべき場所を探し、ヤーナムを去っていったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……「青ざめた血」のことを、彼はもうすっかり忘れてしまったようです。

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