ランタンから禁域の森へ戻った狩人さんは、罠に気をつけながら先へ進みました。
一歩進んだ先には罠があるかもしれない。そう思って慎重に進むと、振り子丸太トラップはもう一つ見つかり、大きな落とし穴も一つ発見しました。油断していればどちらにも引っかかていただろうと確信してしまえるくらい、そういった罠たちは絶妙に隠されている物でした。
「なんて恐ろしい森だ……」
注意深く罠を発見しながら、獣狩りも行わなければならない。そんな狩人さんにとって、この森は今までで一番危険な場所でした。少なくとも今までは、獣にだけ気をつけていれば命の心配はありませんでしたし、迷子と言うほどの迷子になる心配もなかったのです。
それでもなんとか先へ進んでいくと、木で作られた古い民家がいくつか並んだ場所へ出てきました。民家は左右に並んで建っていて、中央(つまり狩人さんにとって真正面)は、「どうぞ通ってください。通り道ですよ」とばかりに綺麗に空いています。
これは罠だ……。狩人さんは直感で危険を察知しました。上を見上げると木々の枝はほとんどなく、開けた空が見えるので、丸太トラップは仕掛けられていないようです。だとしたら落とし穴でしょうか?
と、その時。
ズガアアアアアアアアアアン!!!!!!!!!
「うおおおおっ!?!?!?!?」
ヤーナムに来てから聞いたこともない……いや、生まれてこの方聞いたこともない爆音が、狩人さんの鼓膜を襲いました。
狩人さんの目の前で、地面が大爆発を起こしたのです。爆発した地面には大きな穴が開き、吹き飛んだ土や石ころが、ぱらぱらと上から降って落ちています。
な、なんだなんだ!? 狩人さんが状況を理解する前に、再び地面の同じ箇所が爆発しました。
ズドガアアアアアアアアアアン!!!!!!!!!
爆炎の熱と、目にしみる煙と、はじけ散る砂埃の中。狩人さんはようやく、何が起こっているのかを知りました。
向こうの方から、大砲の弾が飛んできているのです。そしてその弾がそのまま地面に落っこちて、大爆発を起こしているのでした。どうやらそれが弾の届く距離の限界のようですが、罠だと感じた狩人さんが立ち止まっていなければ、今頃はその体が木っ端微塵に消し飛ばされていたところでした。
目を凝らして遠くを見ると、市民風の男が一人、大砲の後ろに立っています。彼が弾を発射しているのでしょう。のろのろと弾を詰めて、導火線に火をつけています。するとポンッと弾が打ち出されて、三度目の爆発が起こりました。
「あいつか……」
心が獣になってしまった男がたった一人で大砲を動かしているので、弾が発射される間隔はそれほど早くありません。四度目の爆発が起こった直後、狩人さんは全力ダッシュで、民家に挟まれた通りを駆け抜けました。
大砲を動かす男に攻撃が届く距離……そこにたどり着くよりも前に、五発目の弾が発射されます。遠くへ弾を飛ばすため、少し斜め上に傾いている大砲からは、山の軌道を描いて弾が飛んでいきました。それは狩人さんの頭の上を通り過ぎていきます。
そして狩人さんの攻撃が大砲の男に命中した時、背後で大爆発が起こりました。
「うおわああっ!?」
思っていたよりも爆発の衝撃や熱、音を強烈に感じた狩人さんは、それに押されるように前のめりに転びました。……けれども無事に、大砲の罠は突破したのです。
後ろを振り返ると、何発も大砲を打ち込まれた地面がすっかりボロボロになってしまっていました。穴の開いた地面の、その底の方から、白い煙がまだもくもくと立ち上っています。
「…………」
足元にたくさん転がっていた大砲の弾のうち、狩人さんは一つを持ち上げて、大砲に詰め込みました。そして導火線に火をつけます。
ポンッと山なりの軌道で弾が発射されて、ほんの少し前まで自分が「何が起こったんだ!?」と立ち尽くしていた場所に、すがすがしい大爆発が起こりました。
「よしっ」
満足した狩人さんは先へ進みます。男たるもの、そこに大砲があるなら一度くらい撃ってみたかったのです。
大砲の通りの先には、風車小屋が建っていました。小屋の階段を降りて下へ向かう道と、小屋の屋根の上に出る道。選択肢は二つに分かれています。
小屋の下の方は明かりが無くて真っ暗だったので、狩人さんはなんとなく屋根の上の方に向かってみました。しかしいざそこへ出てみると、屋根の縁には手すりやバリケードのような物がなく落下死の危険を感じさせる上に、びゅうびゅうと音が聞こえるような強風まで吹いていました。
危ない場所だな、戻ろうか……。そう思い狩人さんが回れ右をしようとした時、風の音に紛れて、何か奇妙な音が聞こえてきたような気がしました。
ぐちゃ、くちゃ、ぐちゅ……。何か、湿った物の中を手探りするような、そんな音が聞こえてきます。あちこちを見回して音の原因を探すと、強風が吹く屋根の上、風車小屋の壁に沿った隅っこの方に、何やらしゃがみこんでいる男を発見しました。
日焼けした肌の彼は上半身裸で、頭には包帯を巻いています。なかなかに変わった格好の男です。狩人さんは、ゆっくりと彼に近づいていきました。気付かれないように、気付かれないように、足音と存在感を消して、男の背後を取ります。
狩人さんは、ガスコイン神父の言葉を思い出していました。今のヤーナムは、あっちへ行ってもこっちへ行っても、出会うものは獣ばっかりです。……目の前の男もまたそうなのでしょうか?
しゃがみこんだ男の真後ろに立った狩人さんは、男の足元に赤い液体が広がっていることに気が付きます。……血です。
「なあ、あんた」
「わあっ!」
声をかけてみると、男が驚いて立ち上がりました。口元を腕でこすりながら、男は親しみやすい声で喋り始めます。
「な、なんだい、あんた、脅かすなよ。こんな夜に……獣かと思うじゃないか」
「……あぁ、悪い。驚かすつもりはなかった」
狩人さんは男の足元に、人間の死体があることを確認しました。女性の死体です。こんな森の中にあるくらいなので、おそらくそれは、心が獣になってしまった女性だったのでしょうけど……。
狩人さんはその女性のそばに、ある物が落ちていることに気が付きました。
「いや、俺の方も悪かった。こんなところに誰か来るとは思わなくてな。……あんた、悪い人じゃなさそうだな。もしかして、狩人さんかい? だとしたら……なぁ狩人さん、どこか避難できるような、安全な場所を知らないか? 大勢の人が避難しているような場所だと良いな。俺は狩人さんのように勇敢に獣と戦うことなんか出来ないし、一人だと心細いんだ……」
「……なるほど。わかった、良い場所を知ってる」
狩人さんは嘘をつきました。皆が避難している場所に心当たりなどありません。なぜ自分が狩人の夢に行けるのかさえ、理由を理解はしていないのです。
「おお、それはどこだい。教えてくれ」
「教えるのはいいが……その足元の死体はなんだ?」
「ああ、これかい?」
男は女性の死体を見下ろして言いました。
「食ってたんだよ。……しょうがないだろ? こんな状況だ、食わなきゃ俺が餓死しちまうところだった」
……狩人さんは、やはりガスコイン神父の言葉を思い出しました。彼もあの時、こんな気持ちだったのでしょうか。
君も獣になるんだろう? ……神父の言葉が、何度も頭の中で繰り返されます。
「……勘違いだったら、あの世で俺を殺してくれ」
「うん?」
狩人さんは、男の頭に銃口を当てました。思い切って引き金を引きます。
頭を撃ち抜かれた男は……しかし倒れませんでした。
「……あんた、どこかおかしいのかい?」
男の体から、太い黒色の毛が次々と生えていきます。それは電気に引き寄せられるように逆立ち、ごわごわと彼の身を覆っていきました。
男の体は一回りも二回りも大きくなり、全身に異常なまでの筋肉がついていきます。鋭い爪、凶暴な牙……もう何度も見たような「変身」がそこにありました。
恐ろしい獣。ロクな名前もなく、ただそう呼ばれる巨大な獣が、狩人さんの前に立っていました。
「それとも勘がいいのかな?」
獣はその太い腕を振るい、狩人さんに向かって渾身のパンチを繰り出してきます。今までの獣のような、やたらに腕を振り回す攻撃や引っ掻きと違い、それは明らかにストレートのパンチでした。
「っ!」
男が獣の姿になることを予感していた狩人さんは、身をひるがえしてその強烈なパンチを回避します。
あまりにも強力なその獣の拳からは、パンチの勢いによって生まれた「風圧」が発生していました。それは狩人さんの背後、風車小屋の壁に当たって、そこをメキメキとへこませてしまいます。
「狩人など、お前らこそ人殺しだろうが!」
親しみやすかった男の声は変わり果てて、低くて濁った……しかしそれでいて腹の底に響くような、人間の物とは思えない恐ろしげな物に変わっていました。……けれどそれでも、男は喋っています。なんと人の言葉を、獣の姿になってからもです。
「死ねっ、死ねっ、死ねっ!」
獣の拳が次々と狩人さんを襲います。力任せで乱暴な暴れ方ではなく、まるでボクサーが放つような正確なパンチを連打してくるのです。そしてその全てが、風圧だけで致命傷を与えられるほどの威力を持っています。
こいつは何かが違う。他の獣と絶対に違う。そう感じさせられたことが、ただでさえ一つのミスが死に繋がる狩人さんを、さらに焦らせました。相手の攻撃を躱すだけで精一杯……それどころか今にも攻撃を避けそこねて、あっさりと死んでしまっても不思議ではありません。
「狩人ッ……! 狩人など、この人殺しが……! 俺が獣だと? 獣だとっ? あんたに何が分かる! 俺だってなあ……!」
狭い屋根の上を、獣の攻撃から逃れるために走り回る。右へ避け、左へ避け、屋根から落ちないように注意しながら、ただ生き延びることだけを考える。まるで「狩られる側」に立たされたような戦いを強いられる狩人さんは、だからこそ相手のことをよく観察していました。少しの動きも見逃さないように、絶対に攻撃に当たらないように。選択肢を間違えないように。
……だから狩人さんは、その獣が泣いていることにも気が付きました。
「あ……」
狩人さんの足元に、何か硬い物が当たりました。それはナイフです。あの男が食っていた、女性の死体。そのそばに落ちていたナイフです。その刃には紫色の毒がべったりと塗られています。
狩人さんはそのナイフを見て、自分が男へ抱いた不信感を信じることにしたのです。毒の塗られたナイフを女性が持つ理由……それは例えば暗殺のためかもしれませんが、しかしここはヤーナム、獣だらけの街です。……護身用のアイテムとして、力も技術も必要としない「ただ当てるだけ」の武器を女性が持っていたとしても、不思議ではありません。
そしてその女性が、自分の身を守らなければいけなかった時とは、まさに目の前の男、獣のような人喰い男に襲われた時だったのではないでしょうか。……それは全て狩人さんの想像でしかありませんでしたが、しかし実際に、人を食っていた男は恐ろしい獣だったのです。
「ダメで元々か。……くらえっ!」
狩人さんはそのナイフを拾い上げ、恐ろしい獣に向かって投げつけました。不意を突くような攻撃だったこともあり、その刃が獣に突き刺さります。
小さなナイフの与える傷は、大きな獣にとってかすり傷にしかなりません。期待するべきは毒の方ですが……しかし狩人さんは知っているのです。いいえ、むしろ狩人だけが知っていると言ってもいいでしょう。
……基本的に、獣に毒は効かないのです。人間よりも毒に強い獣に対しては、少なくともこんなナイフ一本分の毒では、致命傷を与えられないのです。しかしそれは、狩人さんが狩人だからこそ知っている知識であり、一般の女性が知らなかったとしても無理はありません。
けれど何もしないよりはマシに思えたのです。巨大な獣に対して銃はほとんど無力で、近づいてノコギリの刃をくらわせてやることも、相手の強さを思えば不可能であるように感じます。火炎瓶だって致命傷は与えられないでしょう。だからナイフの毒が、致命傷にまではならなくても、何か少しでも状況を良くするために働いてくれないかと、ダメ元に期待を込めて投げたのです。
そしてそれは、思わぬ結果を生みました。
「うっ……!?」
狩人さんのことを殺そうと暴れ回っていた獣が、突然動きを止めたのです。そして獣は、まるで人間のようにがっくりと膝をつきました。
びゅうびゅうと、風の鳴る音ばかりが聞こえます。恐ろしい獣の声……狩人さんに対する憎しみの声は、ぷつりと止んでしまいました。獣の攻撃によって起こる破壊の音も当然ありません。
風の鳴る音と、それからあまりにも弱々しくか細い、毒に苦しむ獣の息遣いだけがあります。そこにいるのは、息を切らした狩人さんと、動けなくなった恐ろしい獣だけ。……長い沈黙ばかりが続きました。
どれだけの時間が経ったのか。やがて獣は完全にその場へ倒れ込み、最期の言葉を残していきました。
「なあ、あんた……知ってるかい? 人は皆、獣なんだぜ……」
電気を纏ったように逆立っていた獣の黒い体毛が、撫でつけられたように、力無く重力に従っていきます。……恐ろしい獣は死んだのです。
狩人さんは風車小屋の下り階段を通り、真っ暗なその先へと向かいながら、なぜ恐ろしい獣に毒が効いたのかを考えました。
「人は皆、獣か……」
自分が獣ではない保証なんて、どこにもないように思えます。次の瞬間には自分だって、獣の姿となって、雄叫びを上げているかもしれません。自分だけが獣病にかからないだなんて、そんな都合のいいことがあるとは思えません。
……では狩人さんには、毒が効くのでしょうか? 女性の持っていた毒ナイフはたった一本しかなく、確認することは出来ません。けれどきっとよく効くでしょう。狩人さんは、少なくとも今はまだ、人間であるはずですから。
……けれども、はたして獣とは、いったい何なのでしょうか? 動物の姿になって暴れ回ることだけが、獣病の症状ではありません。心が獣になった人間は、人間の姿をしていても、野蛮な肉食獣のように人を襲ってしまうものなのです。それを狩人さんはここへ来るまでの間に、嫌というほど身をもって体感してきました。
失せろ失せろと、ただこちらを罵りながら、突然襲いかかってくる人たち。容赦なく命を狙ってくる人たち。彼らは狩人さんから見て、明らかに獣でした。きっと誰から見てもそうであるはずです。……では狩人さん自身は?
人喰い男の、その正体は獣でした。しかし彼から見た場合の狩人さんは、人間だったでしょうか?
「狩人など、この人殺しが……! 俺が獣だと? 獣だとっ? あんたに何が分かる! 俺だってなあ……!」
恐ろしい獣になった男の声が、何度も何度も頭の中で繰り返されます。あの獣は泣いていました。泣きながら戦っていました。
風車小屋の、屋根の上になんて行かなければよかった。妙な音の正体なんて確かめなければよかった。……ヤーナムになんて、来なければよかった。
狩人さんは、獣狩りの辛さに、耐えきれなくなりそうでした。そして一瞬の間だけ、人形さんが好きという気持ちさえも、忘れてしまったのです。