数日後。それは5月2週目の金曜日、3限目後の小休み。2組の教室では少女達が思い思いの会話に華を咲かせている。そして、真は自身の席に座りテキストを読んでいた。窓から空を見上げる。太陽とぽつりぽつり浮かぶ雲、小鳥は囀り、優しい風。良い天気であった。
(空の天気は良いけれど、2人の天気が良くない)
右と後ろから漂うは、右へ左へ上に下に、絡まり捩れた意識の線。どよっとした曇に見える。右隣は静寐の席、後ろは本音の席であった。
真は気づく。静寐がちらと彼を見、そして本音を見た。そしてまた本音がちらと彼を見、そして静寐を見た。だから2人に問いかけた。すると「な、なんでもないよっ」とは本音。「ま、まったく気にしてないか、ら」とは静寐。正直に言えば挙動不審である。
彼は腕を組んで考える。
(そういえば、女には女の都合がある、って時子さんが言っていたっけ。きっと2人もそうなんだろう。そっとしておこう。不用意に踏み込むと失礼だ)
多少赤い顔で自己解釈する真であった。因みに、時子とは真がおやっさんと呼ぶ男性の娘で中年女性。千冬、ディアナと並び頭が上がらない女性の1人である。尚、生徒は含まない。
真はページを一枚捲る。空の雲が広がる。もう一枚捲る。視界が意識の線で白くなった。流石に彼はこう言った。
「何かあった?」
「「なんでもない」」
「済まない、1組の篠ノ之だ。失礼する」
凜とした声が2組に響いた。彼女はクラス中の視線を物ともせず、颯爽と歩みを進める。友人である3人も少々面食らう。彼女が2組に来ることは初めてであったのだ。頭の後ろで結った黒い髪をなびかせ、そして3人の前に立つ。静寐がどうしたの、と聞いた。本音は呆気にとられていた。彼女は真に用があると言った。
「俺? どうしたんだよ箒」
「すこし良いか」
真は箒を見上げる。何時もの厳しい眼差しだったが、どこか緊張しているように見えた。組んだ腕の指が居心地悪そうに小さく動く。
「もうすぐ休みが終わるから、昼休みにしてくれると助かる」
「明日だ」
「明日? 良いけど何の用だよ」
「明日の土曜日、午前10時に三崎口駅前で待つ」
「買い物の荷物持ちか? なら一夏に頼んでくれ」
(順序が違うだろ)
「で、でー」
「で?」
「でぇとだ!」
「「「「「は?」」」」」
窓から見える1本の楓の木。その枝に留まる鳥がちちちと鳴いていた。
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IS学園と繁華街をつなぐ唯一の交通手段は、リニアレールとなる。乗車時間は15分ほどで、その間に駅は無い。つまりこの乗り物は学園の関係者だけの物だ。その磁気浮上の乗り物に1人の少女が乗っていた。
半袖の淡い紅のブラウス、折り目のついた白のショートパンツ、白のサンダル、左手には輪を連ねたブレスレット、そして黒髪を結う布は何時ものリボン。篠ノ之箒であった。
周囲の少女らの視線を浴びて、彼女は思わず眉をひそめる。昨日の箒の行動は瞬く間に学園中に広まった。それは彼女の狙いであった。あの状況に運べば、真の性格から断らないという確信があったからだ。また周知し、逃げ場を塞ぐ意味もあった。
(しかし、やり過ぎたかもしれない)
2人の複雑な表情を思い出すと心が痛む。だが、だからこそこの英断に意味があると箒は自分に言い聞かせた。
リニアが止まり扉が開く。改札口を通り、化粧室で身繕いをする。本日は雲一つ無い晴天、気温が高い。汗を確認する。白い革の鞄を手にエスカレータを降りた。その降りた先、歩道を挟んだ反対側の花壇に腰掛ける真が居た。彼は彼女を認めると立ち上がり、手を上げる。
白のシャンブレーシャツに黒のハイネックTシャツ。ダメージデニム。そしてライトブラウンの革靴。見慣れない彼の姿は一瞬別人のように見えた。箒は「待ったか」と聞いた。真は「時間通り」と答えた。
「……そういう格好初めて見た。似合ってるじゃないか、箒」
「世辞など言っても何も出ないからな」
真は僅かに言葉が堅かった。箒も何時ものむっすりした表情であったが、その頬は朱に染まっていた。互いに複雑な胸中であったが、互いに初デートであった。
「本心だけどね。で、どこか宛てはある?」
「ない。それは男が考える事だろう」
「そう来ると思った。買い物があるから付き合ってくれ。その後昼にして、その後はその時考えよう」
歩き出す真を箒が追う。
そして、その2人をビルの影から覗く2人と1人。
「箒、気合い入ってる……」と黒いワンピース姿の静寐が呟く。
「まこと君も楽しそうだよ」と淡い黄色のチュニックで本音が独りごちる。
「じゃ、俺らも動くぜ。見失うと面倒だ」と一夏が言う。彼のグレージャケットが揺れた。
表情に憂いを浮かべる2人を見て一夏は思う。
(もう後には引けねぇぞ。どうするつもりだ、箒?)
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三浦半島、三浦市。10年ほど前までは静かな町であったこの町はIS学園の設立と共に激変した。道路は太く真っ直ぐな物に敷き直され、街並みも整えられ、土地の名も改められた。
アスファルトの小道は煉瓦を敷き詰められていた。ガス燈を模した電灯が、電柱に取って代わっていた。喫茶店はオープンカフェに、小売店はブティックに、石造りの様な建物が並ぶ。河と石橋と噴水。地方都市の国道より広い歩道には、未来の画家や音楽家がその技を披露している。広場には、木々と芝生。小川が流れ思い思いに憩う人々。中世ヨーロッパを模したテーマパークと言えば説明が容易い。
国の期待を背負い学ぶ学園の少女達。それ故、この町には頻繁に世界各国の要人が訪れる。日本政府が必要以上に彼らを気にしたのも無理は無く、国の威信を賭けて開発された結果であった。
ヨーロッパ風の町並みになったのも訳がある。学園の3割は先進国である欧米出身者であった。彼女らに望郷の念を抱かせないよう配慮をした。また半数を占める日本の少女達に受けが良いのも、また事実である。
箒は思う。日本の欧米劣等感もここまで来れば清々しい。そしてショーウィンドウに映るは洋服を纏う彼女自身であった。その姿を見て僅かに自嘲する。
「箒」
名前を呼ばれ、意識が戻る。物思いに耽っていたようだ。視線を町並みから、少し前で立ち止まる少年に向ける。何時もの歩調で足を進めた。
「箒はこの辺の出身じゃ無かったか? 随分と物珍しそうだけど」
「私は鎌倉だ。それにこの辺は滅多に出歩かない」
「箒らしいな。騒がしいのは苦手か」
「うむ。ところで買い物とは何だ」
真は黙って10m先のとある店を指さした。
「眼鏡屋ではないか。視力が落ちたのか?」
「まさか、両方とも1.5だよ。ファッショングラスを、ね」
「度無し眼鏡か。なぜ―」
そう言いかけた言葉は、可笑しさを含む声に変わった。思わず涙が出る。右手の握り拳は口元にあった。
「……そんなに可笑しいか?」
「ま、真。お前、目付きが悪いことを気にしていたのか」
「あれだけ言われれば、誰だって気にするだろ……」
真は腕を組み憮然とする。頬赤くそっぽを向いた。箒は目尻の涙を拭うとこう言った。
「ついてこい。私が選んでやる」
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静寐と本音には劣等感があった。セシリアより美しくなく、鈴より愛嬌が無い。それは人の価値観に依存することであったが、2人はそう思ってしまっていたのだ。外見が全てでは無い、それは虚しい響きであった。
誤解の無いように言えば、真は2人と他の少女らに容姿の違いを見いだしていなかった。単に個性の一つとみていたのだ。その美的感覚の基準が千冬とディアナであるならば当然とも言えよう。
だが2人はその陰鬱な感情に支配されていた。真の3人を見る眼が私たちとは違う。彼の横に立つのは誰が相応しいか、これが静寐と本音を苛む不安であった。それが体と心に重くのし掛かる。
昨夜、静寐は箒に「冗談だよね?」と問いただした。箒は「真をデートに誘うと嫌か?」と聞き返した。静寐はその問いに「そんな事ない」と突っぱねるように応え、本音もまた乾いた笑みで否定した。
「ならば問題ないだろう?」
そして静寐と本音は思う、箒より凛々しくない。
眼鏡を選ぶ2人
食事をする2人
煉瓦道を歩く2人
水族館で並ぶ2人
夕暮れの、波音のする公園を歩く2人
静寐と本音にはそれが当たり前のように見え始めた
箒なら、良いかな
仕方ない、よね
推奨BGM ゲーム「ヴィーナス&ブレイブス」より「Waltz For Ariah」LongVer.
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世界が赤い陽の光に染まる
空は赤から紺
海は青から黒
大地には背の高い二つの影法師が伸びる
箒は少し前を歩く真の背中を見て溜息をついた。
(何をしているのだあの2人は。このままでは終わってしまうではないか)
見せつけ、煽る。これが箒の策であった。悪い手段では無かった。事実、静寐と本音は幾度となく掛けだそうとした。だが、その度に互いが止めた。
箒は重要なことを見落としていたのだ。それは煽る人物が彼女であったこと。2人は箒のことをよく知っていた。酷く不器用だけれども、真っ直ぐで心優しいことを知っていた。その箒ならば、と受け入れ“掛けていた”のだった。
彼女はもう一つ溜息をついた。さざ波が響く。6時を知らせる時の鐘が鳴る。
真が立ち止まり振り向いた。
「溜息をつくと幸せが逃げるんだぞ」
箒が応える。
「逃げる幸せなど持っていない」
「それは箒が気づいてないからさ」
「分かったようなことを言うではないか」
鋭く咎める箒の眼に、真は肩をすぼめた。
「そうだな、俺は箒のことをよく知っていない。済まなかった」
真は踵を返しまた歩き始めた。その後を追う。
"知っていない"彼女にはその言葉が誰に向けられたのかと、何故か疑問に感じた。胸裡にあの疑問が浮かぶ。今日は、少なくとも今は聞くつもりは無かったあの疑問であった。
「真」
「なに?」
「何故お前はそうなのだ」
「意味が分からない」
「どうしてお前はそこまでやる」
「……鈴のことか?」
「それもだ。オルコットとの屋上、そして―」
彼は振り返ること無くだた歩いていた。箒は歩みを早める。真は気配を感じ振り向くと、彼女は指を伸ばし、真の首元の襟を下ろした。其処には首を回る傷跡があった。真は表情を消し、箒は眼光を放つ。
「リーブス先生とのことだ。はっきり言おう。お前の行動は理解に苦しむ」
「いつ気づいた」
「数日前からだ。最近お前は学生服の襟を開けない、そして今日、これ程暖かいのにハイネックのTシャツ。自分から告白しているようなものだ」
「この傷を付けられるのは世界広しと言えども、あの金髪の先生だけだ。整形治療すれば記録に残り、先生の立場が悪くなる。それは俺の望むところじゃない」
「話を逸らすな」
真は海を向いた。その夕日の影が彼に落ちる。箒は僅かに見上げた。
「色々な人から言われた。鈴にもセシリアにも一夏にも聞かれた。静寐と本音も聞きたがってた。あの2人は言わなかったけど……最初は俺自身どうしてそうしたのか分からなかった。この間さ、鈴に感謝の言葉を言われた。そして、その時気づいた」
「それは何故だ」
「言いたくない」
「私には言わなくて良い。だが、せめてあの2人には告げるのだ」
「誰にも言いたくない」
「真! あの2人がどれ程心配したと!」
「箒、その理由なんだと思う? 善意か? 自己犠牲か? 正義感か? 好意か? 義理人情? 俺の動機は気まぐれですらなかった。せめて、気まぐれであればまだ良かった。それは余りにも無様で、愚かで、罪深い物だった」
―― 俺は、安らぎを感じていた。俺自身が罰せられ、苦痛に苛み、苦悩し、精神的、肉体的に痛みを感じていた時、誰かに、何かに、許された様な心の満ちたりを感じていた。
セシリアに銃を向けられた時、鈴に蔑み殴られた時、ディアナさんに首を落とされ掛けた時、静寐と本音に会わないと伝え後悔の念に駆られた時、そして、初めて箒に声を掛け、怒声を浴びた時。
助けてなどいなかった、皆のことは一片一切考えていなかった。
俺の動機は、自分が苦しむ為、ただそれだけだった! ――
「……だから、言いたくない」
箒には真の姿が酷く軽く、薄く見えた。まるで霧か煙であるかの様に。其処に存在していないかのような儚さだった。
「おまえ……」
「鈴の時、静寐と本音の為にあれだけ怒った箒のことだ。それを知ればきっとそれだけじゃ済まない。だから言いたくない。ただ、俺は俺をどうにかしたいと思ってる。だから、どうにかなった時、その時言うよ」
もう帰ろうと真は踵を返した。箒は駆け出し彼の左手を掴んだ。振り向いた彼の目は深く黒く、奈落の底の様に虚っていた。
「馬鹿者。逆だ、どうにかなったなら言わなくとも良い。どうにかならなくなったその時こそ言うのだぞ」
「箒は怒る」
「当然だ、怒ってやる」
「……そっか、そうだな。ありがとう」
繋いだ手に力が籠もる、2人の影が互いに近づいた。誰かが駄目だと言った。がさりと音がした。
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真が見た物は、茂みの影から躓くように、身を乗り出した静寐と本音の姿だった。静寐がありったけの声で叫ぶ。
「だめっ! やっぱり駄目! いくら箒でもぜーったい駄目ぇ!」
本音は涙目で嘆く。
「箒ちゃんの意地悪~」
箒は漸く重い腰を上げた2人を見て、相好を崩す。状況を理解出来ないと混乱するのは真であった。
(なんで2人がここに? 後を付けてきた? 何故?)
静寐が言う。
「何時まで繋いでるの!? しかも、指をか、か、絡めてるし!」
「へ?」
真が間抜けな声を出せば、その左手の指には箒の右指が絡まっていた。思わず耳まで赤く染める真であった。いつにない機敏な身のこなしで駆け寄るのは本音。箒と真の間に割り居ると強引に引き離した。真の裾を掴むと、うーと唸り箒を見る。
箒が言う。
「惜しいな、あと少しだったのだが」
涙目で思わず声が大きくなる静寐であった。
「惜しいって何?! 芝居だったんだよね?! ねぇ?!」
真はそんな3人を見る。箒と静寐と本音。
(芝居……あ)
何故箒が誘ったのか、何故静寐と本音がここに居たのか、なぜ3人が真を争うようにしているのか。
(そっか、そうだったのか)
箒が「至って本気だが」と言うと、静寐は顔を青ざめて硬直した。本音は息をのんだ。海風が吹くと、箒が笑い出した。それを見て静寐が顔を赤らめる。
「冗談だ」
「ほ、ほうき~~」
笑いながら駆け出す箒と涙目で怒りを湛える静寐、そして2人を追う本音。
「静寐は実に可愛いなっ!」
「待ちなさい! 箒! 性格変わりすぎ!」
「箒ちゃん~静寐ちゃん~喧嘩はだめ~! まって~」
足音が響く。真が振り向くと一夏が苦笑を浮かべていた。コイツにも世話を掛けたらしい。
「いよう、色男」
「そっか、一夏にも、か」
「俺じゃねぇ、全部箒だ」
「……不本意だが、一応礼を言っておく」
「心苦しいからよ、礼なんて言うんじゃねぇ」
「そんな事は無い、礼ぐらい言わせろよ」
一拍。2人が笑い出す。
「そのセリフ、前に俺が言わなかったか?」
「もう忘れた」
見上げる空は既に黒色に成っていた。海風が2人を凪ぐと一夏が髪を押さえた。
「お前、どうするんだ?」
「何がだよ」
「静寐と本音に気づいたんだろ?」
「あぁ……でも、この間一夏に言ったとおりだ。自分に決着付けるまではそういう気にならない」
夕日の中、走り、笑う3人の少女。真はその3人を愛おしそうに見た。それは恋愛的なものでは無かった。そんな真を見て一夏は、どうしようもねぇな、と溜息をつく。だがそれには気遣いが込められていた。
「ったくよー。漸く分かってきたぜ、おまえ人の好意が苦手なんだろ」
「苦手か、苦手だな。確かにそうだ」
「ヘタレにしみったれ、不器用、さらに頑固ときたか。もう少し人に甘えた方が良いぜ、せめて俺らぐらいはな」
「言い過ぎだ、この馬鹿」
「お前にはこれぐらいが良い案配だ、この阿保」
夕日に視線が混じる。2人がそれに気づいた。箒と静寐と本音もまた、立ち止まり2人を見ていた。眼を細め微かな笑みを浮かべる。
(気づいたね?)
その妖しさに、一夏は思わず顔をしかめ真は息をのんだ。
「バレてる?」
「……みたいだぜ、あれは」
「俺、今悪寒が走った」
「俺もだ」
一つ息を吸い、そして吐く。
「……女は生まれた時から女、か」
「何だよそれ」
「ある人がそう言ったんだよ。あの3人もリーブス先生も本質的には同じってことだ」
「おっかねぇな」
「まったくだ」
「おっかないから帰ろうぜ」
「おっかない家にか」
「深いな」
「違いない」
歩き出す一夏を追い、真は思う。家に帰る、そう思うことが出来た。今はそれ以上は望むまい。もう一度見上げた空には一つ星が瞬いていた。
ライト&ソフトとは切って投げ捨てる物
静寐、本音の「ねね党」の方、如何でしたでしょうか。
びみょーに出番(文字数)が少ないですが、これでもこの2人と真を主題にしたつもりです。
2人の背を押すのは箒しかいない為、彼女の大活躍となりましたけれども。
静寐と本音の思い、真の状態、そして箒と一夏。この関係の中どう進めるか、正直難しかったです。
さてHEROES前半ヒロインのメインイベント終了です。
クラス対抗戦の足音が響いてきました。
先に言っておく。真、すまん。
それでは。