空を見れば鬱蒼とした曇り空だった。そこは学習棟の裏手、別名陽の当たらない校舎裏。昨夜遅くに降った強い雨のせいで地面はぬかるんでいた。空気も息苦しいほどに湿り気を帯びている。
その様な人気の少ない場所で、5人の上級生に囲まれた一夏は、顔青く冷や汗を垂らしていた。壁を背に逃げ場所が無い、思わず顔が引きつった。
彼を取り囲むのは、3年白井優子、布仏虚、ダリル・ケイシー、2年黛薫子、フォルテ・サファイアの計5名、理由が無ければ集まるなと教師から言われている面々である。専用機持ちやら、主席やら、分かる生徒が見れば何事かと思うであろう。
正しく針のむしろ、刺される一夏はこう思う。
(見上げられているのに圧迫感を感じるのはなんでだ。しかも怒ってるみたいし……)
左手を腰に、右人差し指を顎に添え、首を傾げて優子が言う。
「さて、織斑君。怒らないから素直に白状してね、真に何があったのかな?」
何時もリスのように愛嬌のある顔つきが、鋭い眼光を放っていた、今にも見開かん双眸を必死に押さえているようである。今日の昼飯は駄目かもな、と一夏は頭を垂れた。
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セシリアと真の一件から一晩経った翌日の事。何時もは明るく騒がしい1組が妙な緊張感を漂わせていた。それを気に掛けながらも、一夏は、昼のチャイムを耳にして、黄昏れている真を昼飯に誘おうと席を立った。その時である。クラスメイトの呼ぶ声に廊下を見れば、優子とダリルが立っていた。何事かと近寄れば、両腕を掴まれ連行された。
美人と称して良い年上5人に囲まれて、獅子に睨まれたかの様にたじろいだ。思わずゴクリと唾を飲む。後頭部を壁に打ち付けた。
「駄目です。幾ら先輩でもプライベートは、つーか先輩方が何を言っているか見当が付きません、ハハハ」
嘘は苦手なのね、と呆れて右人差し指をこめかみに当てる薫子であった。
「あのねぇ一夏。君、ここがどこだか分かってる?」
「IS学園」
「正しくはIS"女"学園よ、三度の飯より噂好きの女の子が、よりにもよって男女のもつれ。噂になってないと思ってる?」
「……」
目をそらし、知らぬ存ぜぬを貫こうと一夏が黙すれば、一歩進み出たのはダリルだった。褐色肌、ショートカットの銀髪で猫顔が牙を剥いている。両の指が組まれ奏でるその音は、木材がへし折れる様であった。
「ぼ、暴力はいけないと思います」
「すまんなぁ織斑。お前が協力してくれないなら俺は拳を使わないといけない」
「使わなくても良いじゃ無いですか……」
「口は苦手なんだ、俺」
「あのですねぇ! そもそも直接聞けば良いじゃ無いですか!」と一夏が涙目で抗議をする。そうしたら「何言ってるんスか。真が言う訳ないッス」とフォルテ。褐色肌で黒い2つお下げの片方を、気怠そうに弄っている。
「とーにーかーくー、言いませんからね! 殴りたかったらどうぞ!」女の子に手は上げないと目を瞑り壁に張り付いた。そんな一夏を見て光る眼鏡が1つ、虚だった。
「織斑君、良く聞いてください。貴方が心配しているように私たちも彼を心配しています。特に私たち3年生は去年からの付き合いです。昨日今日で突然、人が変わったように落ち込んでしまった彼を見て、私たちがどれ程心を痛めているか、どのようにしたら貴方にも分かって頂けるでしょうか。織斑君、お願いします。私たちも彼の助けになりたいのです」
髪下ろし組んだ両手に上目遣い。僅かにずれた眼鏡から、覗く瞳は涙で潤んでいた。千冬ともクラスメイトとも異なる、香の匂いに思わずめまいを起こす。仕草と香りで理性を揺する、情動の言葉で間隙を突く、虚の意外な得意技であった。
見た事のある理性と初めて見る色香、その落差に意思が音を立てて瓦解する。顔赤く内心すまんと、一夏はこう言った。
「……分かりました、でも内緒ですよ」
(((ちょろい)))
「なんです?」
「「「なんでもない」」」
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渋々一夏が経緯を話せば、指折り数えて薫子が言う。
「えーとつまり、真がオルコットさんのこと未練がましく引っ張ってて、それが篠ノ之さんと鷹月さんと本音の不和の原因になっていて、鷹月さんと本音も不憫だし、いつまでもうじうじしてて、じれったいから、けしかけて今までの関係を終わらせたと?」
一夏はそうだと頷いた。最低と罵られた。
「……なぜ?」
「告白を後押しするならともかく別れを後押しするなんて! 何を考えているのかな君は?!」とは声荒らげ詰め寄る優子。
「落ち着いて下さい! セシリアには好きな奴が居るんですよ! 不毛じゃ無いですか!? それに上手く言ったら静寐と本音の2人がですね?!」
「……それ誰から聞いたんッスか?」疑いのフォルテ。
「真ですけど?」
「あの2人を毎日見ていてそれを真に受けたのか、このバカ野郎は」ざわり、銀の髪が立ち始めたダリル。
「本音も知らない仲じゃないし、気持ちは分かるけれど……」と理解は出来るが納得出来ない薫子だった。
身体を抱き締め上げる、腕を絡ませ締め上げる、首に腕を回し締め上げる、激しくも柔らかい抱擁に一夏は、顔赤く青く赤く青く、そして悲鳴をあげた。虚は目の前の惨状を他所に言いしれぬ不安に駆られていた。彼女が気にする事は"何かがこそげ落ちた"様な真の表情であった。雰囲気が薄くなったと言えば良いのか、その質が黒い沼のように感じた。
(去年殆ど変わらなかった真が変わり始めたのは入学後。2ヶ月少々の経験がその人格と情動に影響を与えていた……だとしたら?)
「織斑君」
「はひ?」
「貴方はもしかしたら―」取り返しの付かない事をしたのかも知れません、とは続けなかった。それは確証無しに言える事では無く、虚もまたその結論を信じたくなかった。
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6月2週目の金曜日、放課後。空は何時もと同じように曇っていた。何時もと同じように朝が来て、何時もと同じように授業が行われ、何時もと同じように放課後となった。何も手が付かないと思われたが、充実した一日と成った。座学は面白いほど理解出来た、実習は予想以上に容易だった。鈴や、彼女や、山田先生にも勝てる、そう思えてしまえる程の痛覚だった。
ずっと霞んでいた頭の中が、晴れたような気がした。
一歩一歩、歩みと共に動く地面をずっと見ている。昨夜遅く降った雨で地面は濡れていた。時折空を見れば灰色と濃い灰色と黒があった。遠くで雷鳴がする。近づいているのだろう、徐々にそれが大きくなる。
気がつけば目の前にロックされたアリーナゲートがあった。意識せず脇の端末に手を添えると立ち入り禁止と告げられた。もう一度添えた。僅かな沈黙のあと、軽い音が鳴りゲートが開いた。見通せば、暗い廊下の先が明るくなっていた。なぜ解除したのかは、気にならなかった。
廊下に反響する足の音を聞き続ける。次第に明るくなり最後に開けた。
明るく広がるその場所で、見返り見渡せば、朽ち果てたような闘技場を見る事ができた。そこは第2アリーナ。フィールドのあちらこちらの穴に、ブルーシートが被せられている。観客席は所々崩落していた。何も動かず、何も聞こえない。全てが止まっていた。
フィールドには一筋の焼跡があった。沿って歩いた。するとそれは、何かに弾かれたように、放射状に広がっていた。
広がったその先に、あの少女が立っていた。癖のある黒髪で、肩に掛る程度長く、前髪は眉で乱に切りそろえられていた。白いワンピースは所々が破れ、赤く染まっている。少女は焼けただれた大地に立っていた。ひととき瓦礫に埋もれた金髪の少女が見えたが直ぐ消えた。
少女が右手を伸ばした。
だから私も右手を伸ばした。
私の伸ばしたその手は赤黒い液体で汚れていた。
消えない傷も幾条に走っていた。
少女の顔は見えなかったが、笑っているようにも睨んでみるようにも見えた。
手を伸ばした。
「何をしている!!!」
漆黒のような黒い髪、鮮やかな程艶のある白い肌、鋭く釣り上がった目尻に、瞳は赤銅色。20代半ば、黒いジャケットにタイトスカート、黒のパンプス、白いブラウス、黒のネクタイ。黒い狼を印象づける美しい女性だった。右足左足の歪みは無く、重心のブレも無く歩み寄ってくる。武術に長けているようだった。
「ここは立ち入り禁止だぞ! どうやって入ってきた! 直ぐ退去しろ!」
苛立つように歩み寄る、鋭い視線を放つ女性の物言いに、違和を覚えた私はこう言った。
「失礼だが、どなただ?」
その声は私を知っているかのようだった。
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数歩先で歩みを止めたその女性は、表情は鋭いままに、その瞳を微かに虚かせていた。
「……なに?」
「以前会った事があるのか? 済まない。貴女に見覚えはあるのだが思い出せない」
「蒼月、教師をたぶらかそうとは良い度胸だ」
僅かな間の後、指を組み鳴らす。恐らく威圧を加えているのだろう。その女性の仕草を見て純朴なたちだと察しがついた。狡猾な女は涙で武器を隠すものだ、そう思い出したら笑みがこぼれた。
「済まないがここがどこか教えてくれないか。あと私は―」
「ガキの悪ふざけに付き合うほど私は暇では無い、いい加減に―」
「私の名前は青崎だ。青崎真、アオツキでは無い」
その女性は初めて表情を変えた。私のどの言葉が触れたのか、目を見開き、驚愕と落胆と悲嘆を織り交ぜている。
天が光を放ち、眼前で閃光と雷鳴が鳴った。疾風が走る。それが拳風と気づいたのは、私が反射的に飛び退いたからだった。鼻先を掠める右掌、巻き起こる砂煙と轟音、大地に刻まれた掌痕がその威力を物語る。
中国拳法や空手、そう言った武闘家と相見えた事は幾度となくあったが、これ程鋭い一撃はお目にかかった事が無い。そのうえ威力は常識の外、この女性は人間なのか、と私は重心を落とし、両足を大地に踏みつけた。構える。目の前には険しいほどに目を細く睨ませ、牙を覗かせる黒髪の女が立っていた。
私は左頬から滴る血を左親指で拭いこう告げる。
「気の強い女性は嫌いでは無いがね。その威力、癇癪にしてはたちが悪すぎる」
「また忘れるなど私は許さない。思い出させてやる。こい、お前は蒼月真だ」
その女はジャケットを脱ぎ捨て、タイトスカートの縫い目を破った。白い脚が露わになる。
直撃は即死、正しく凶器の肢体であった。だが筋肉の鳴動、骨の軋み、血の流れ、呼吸の脈動―意識の線、全て覚えた。意図は読めないが、この女は手加減する様だった。ならばその隙を突く。
右足を前に左足を後ろに。右掌は握り前に突き出した。左掌は軽く握り腰に置く。寸勁の構え。狙いはカウンター。失敗しても死ぬだけだ、何度も繰り返した様にまた繰り返す、自嘲すると雨が降ってきた。
雷鳴が1つ、響いた。互いの呼吸、互いの殺意が爆ぜる。
「まーこーとぉーーーーぅりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
「うぼぉぅぅぅぅぅぅあう゛ぉ!」
視界が雨雲のように灰色になる、間も置かず大地のように茶色くなった。また灰色に、また茶色く。理解に苦しむ、把握出来ない、その様な感覚に戸惑った。
漸くそれが治まったと、気づいたときには目の前に砂土が見えた。靴の裏も見えた。前のめりに、つんのめっていた、と言えば良いのだろうか。先程聞こえた妙な叫び声は私の声だったらしい。大地をごろごろと数回回って止まったのは気のせいであろう。
私は無言で起き上がると、立ち上がり泥にまみれた制服を払いながら、その行為に意味は無かったが、とにかく払う。背中の痛みを堪えながら、私を蹴り飛ばした馬鹿面にこう言った。
「おい、この馬鹿」
「なんだ、この108むかつく」
「訳の分からんことで誤魔化すんじゃない。良いか、一回しか言わないぞ、よく聞け。俺は慈悲深いから執行の前に聞いてやる。なんで飛び蹴りなぞしやがった」
執行? はん? そう言わんばかりの非常に腹立たしい目付き。大袈裟に手の平を上に向け、何もかもが、む、か、つ、い、た。
「今日俺は真のせいで悲痛な苦痛を味わったんだ。この程度の些末、閻魔すら同情の涙を流しながら許すだろうよ」
「……」
「因みにまだ済んでねぇ。だが安心しろ。これから残りの107むかつくをしこたま―へう゛っ!」
私の右拳が馬鹿を捕えた、とは敢えて言うまい。ぐりぐり、ぎりぎりとねじ込んだ。
「言いたい事はそれだけか! このポリ塩化ビニル下敷き馬鹿! バッキバキにへし割ってそのあと可燃ゴミ直行だ! 再利用なんぞせんからな! 埋め立て地で永遠に埋もれろ!」
「適当な専門用語で馬鹿にすんじゃねぇ! この手当たり次第の見境無しが! 1年から3年までのフルコンプとは恐れ入ったぜ! どこのエロ福祉施策だよ! 税金返せ!」
「訳分からんわ! このスケコマシ!」殴った。
「どっちがだ! この天然ジゴロ!」殴られた。
「朴念仁!」もう一つ殴ったら、
「唐変木!」もう一回殴り返された。
「「一生女の尻に引かれてろこの阿保馬鹿がっ!!」」
とっくみあい転がり殴る。そんな私たちに声を掛けたのは「蒼月、織斑、さっさと退去しろ」千冬さんであった。ジャケットを肩に掛け、見返りに睨み付けている。彼女の背中を見てはたと気づく、その場所に、その時間に。なぜ織斑姉弟がここに居る? そもそも、
「織斑」
「はい?」
「蒼月から決して目を離すな」
私はここで何をしていた。
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真の、あの霞のような出来事から数時間が経った。
時刻は午後7時。物静かな柊の食堂で、小柄な少女が1人物憂げに宙を見つめていた。サイズが合わない大きめのライトグレーのジャージ姿、長い黒曜石の黒髪はうなじで一つに結い下ろしていた。其処で茂らせる黄色い結い布は、紫紺野牡丹〈しこんのぼたん〉の葉のように力強かった。鈴は腰掛け、両手で頬杖をついていた。咥えた箸をもそもそと動かす。目の前のラーメンは数本減っただけで残りは伸びていた。
彼女が思うのは今朝見たセシリアと真の様子である。余所余所しいどころでは無い。セシリアは目を真っ赤に染めて、あからさまに視界から真を逸らした。真は声を掛けても反応が鈍く、視点が虚だった。そのくせ放つ気配は異常に強く、別人のようである。何があったと一夏を問い詰めれば、愛想笑いで誤魔化すだけであった。
(喧嘩と言うよりは、振った振られたって感じよね)
その真は放課後から見ていない。目撃した清香の話によるとふらふらと校内を彷徨っていたそうだ。
どこをほっつき歩いているのか、またアリーナで月見か。と窓から空を見れば曇り空。月など微塵も見えなかった。きっとまた泣きべそかいて黄昏れているのだろう。仕方がない慰めてやるかと、口元を悪戯っぽく歪ませる。箸が片方落ちた。本音がこの場に居ない幸運に感謝して床に手を伸ばす。傾げた姿勢でテーブルの下から見たものは、階段に向かう真の姿だった。
彼のその有様に鈴は目を見開いた。
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第2アリーナで何をしていた、千冬ねぇと何をしていた、追求する一夏に彼は、逆に俺は何をしていたと聞いた。巫山戯るようでも無く、誤魔化しているようでも無く、素の問い掛けに一夏は言葉を失った。
真が覚えていた事は、現実感の無い全てが幻のような世界で、悲しく表情を沈ませた千冬の姿だけだった。
疼く左頬の傷に手を添える。
(状況を考えれば、この傷は千冬さんだろうな……)
押し当てて切り裂く刀傷では無かった。吸い上げ巻き上げるように切り裂かれていた。極短時間の空気圧力差により生じる真空の刃、かまいたち。そんな事が出来る人物は早々居ない。少なくとも学園では唯一人。ディアナにも出来ない芸当である。
彼が気に病む事は傷では無く、千冬にそうさせた理由であった。起床から放課後までは夢うつつの様であった。放課後から一夏に蹴られるまでの記憶が無い。予想以上に重傷だと彼は自嘲し、明日聞いてみようと立ち止まり、背後から駆け寄る足音を彼は出迎えた。
「こんばんわ、鈴」
「ちょっとアンタ何よそれ!」
と指さすのは泥だらけの制服では無く、彼の顔面の包帯であった。数名の少女が彼の姿を見て口元を抑えている。血が滲んでいた。
額から後頭部に4巻き、同じ額から左頬に3巻き、包帯の隙間から覗く印象の悪い双眸が強調されている。さながらミイラ男、少なくとも夜更けに遭遇したくはない。医務室からの帰り道、街灯が照らす薄暗いその道で、運悪く遭遇した数名の少女グループが悲鳴を上げて逃げ出したのはここだけの話である。
「包帯」
「見れば分かるわよ! アタシが聞きたいのは!」
「転んで頬を切った。そして泥だらけ」
とっさに付いた出任せに鈴は疑いの眼差しを向ける。尤も確証も記憶も無い以上嘘でも無い。彼は気にせず階段を上がり始め、彼女もまたその後ろを追った。肩を怒らし頬を膨らませていた。
「一夏も泥だらけだったわよ」
「一緒に転びました。一夏より遅かったのは医務室で手当してたから」
かつかつ、こつこつ。足音が2つ響く。
「嘘ね」
「嘘じゃ無いです」
昼間よりはまとも、けど何かが変だ。鈴は駆け上がり回り込んだ。真の目の前に同じ目線の鈴が居た。鈴の黒曜石の瞳が光を放つ。僅かな機微すら見逃さないと言わんばかりの瞳だった。そこまでしなくても良いのに、と真は思った。
「眼を見て言いなさい」
「何でそこまで気にするんだよ」
「それをアタシに言わす気か」
子供を窘めるような表情が、気遣いの暖かい気配を放つ。それに包まれ真は両手を挙げた。部屋を別れて2週間足らず、この短期間でこれかと心中で舌を巻いた。鈴の心の成長にである。
「分かった言うよ。傷は覚えてない、気がついたら切れていた。泥は一夏と殴り合った結果」
「随分深そうだけど、なんで気づかないのよ」
「今日少し変だったから、かな」
すっごく変だったと溜息をつくと、階段を上がり始めた彼を追った。
「あまり人相悪くしないでよね」
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「誇れる物が過去にしか無い落ち目の懐古主義(伝統)より、若く新しい方が良いと思いませんか? 織斑君♪」と右隣のティナが言う。腕を絡めていた。
「諸国と協調性の無い世界の大迷惑。物量に物を言わす品のなさより、一刀一発に全てを掛ける事が美しいですわよね、一夏さん♪」左隣のセシリアが言った。腕を絡めていた。
「……畳と何とかは新しい方が良い、日本の言葉にありましたね?」金髪碧眼のボブカット。眉がぴくりと動いた。
「……故きを温ねて新しきを知る、栄養を胸だけでは無く知性に回しては如何かしら?」金髪碧眼の、ロングヘアー。口元が歪みつつあった。
「聞いた事があります、枯れ果てた女が目も虚に繰り返し言っていました」
「中身の無い若さなど幼いと変わりませんわよ、この違いに気づかないからその様な品性の欠片も無い格好が出来るのですわ」
ティナは大きな胸元が大きく開いた長袖のチュニックに、デニム地のショートパンツ姿だった。すらりと伸びた足が瑞々しく光る。
「臭い物には蓋をする、でしたか。ですからこの暑さの中必死で隠している訳ですね。納得です」
セシリアは鮮やかなブルーのシフォンワンピース。薄手の柔らかな生地が腕と足を軽やかに覆っていた。歩む度に柔らかく波打つその雰囲気は優雅と言って良いだろう。
「ふふふ」
「ほほほ」
目のまえで火花を散らす碧い眼の異国の少女。両の腕を左右で絡まれ歩きにくい。だから一夏はこう言って、
「二人とも歩き難いから離れ……いってぇ!」
女を2人侍らせて他に言う言葉は無いのかと抓られた。
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個室のバスルームには扉が2つある。寝室兼学習部屋と脱衣室と浴室を、それぞれ隔てる計2枚。真と別れ自室に戻った一夏は、体の汚れを落とそうと外側の扉を開けた。丁度湯浴みを済ませたシャルは内側の扉を開けた。図ったようなタイミングで、2人が見合った場所は脱衣室だった。空調の音が響く。
シャルは小さい悲鳴を上げると一夏をひっぱたいた。一夏はよろめきながら、シャルの肢体を凝視した。上があって下が無い。そう言う事である。
シャルから真実を告げられた一夏は、とにもかくにも一風呂浴びて、茶を一杯飲んで、真に相談しようと部屋を出た。そこを2人、セシリアとティナに見つかったのである。
一夏の挨拶もままならないうちに、ティナが「食事に行きませんか?」と左腕を絡ませた。そしたらセシリアが「ディナーは如何?」と右腕を絡ませた。逃げられない一夏は戸惑った。2人には好きな奴がいると真が言っていた。
(なんで?)
先入観と真実に混ざる虚偽と言う名のすれ違い。他人には鋭い流石の一夏も、それに気づく事は容易でなかった。だから。階段を上がってきた鈴と真に出くわした少女3人の、複雑な雰囲気が理解できなかったのである。
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一夏が見た者は泥だらけ、顔に包帯を巻いた真と、その横で眼を伏せ逸らしている鈴だった。相変わらず仲が良い。真が見た者は、金髪美人2人を侍らせた一夏だった。紺のTシャツに黒のハーフパンツ、美しく着飾った2人との落差が凄い。
漂う緊張感の中、最初に言葉を発したのは真だった。
「両手に華だな一夏。でもその格好どうにかしろよ、釣り合ってないぞ」真は苦笑いで言う。「ぬかせ、人の事言えたザマかよ。まぁ何時もよりマシな格好だけどな」と一夏も負けじと言い返す。
「ティナ、お帰り。戻ってくるのは明日聞いてたけど?」と包帯に隠れて真が笑う。「はい。凄い美人が転校してきたと聞いて慌てて帰ってきました。取り越し苦労でしたけれど」ティナは笑いながら、蒼月君は本当に包帯が好きなのですねと付け加えた。
真はセシリアを見ると「これから食事か?」と聞いた。
「えぇこれから一夏さんと食事ですの」と彼女は愛想良く応えた。深く身体を添い付ける。「そうか。それなら1人追加して良いか?」真は何事も無く言う。「それは興味深いですわね、今更どなたが追加ですの?」
「鈴、一緒に行ってくると良い。夕飯食べ損ねたんだろ?」と真が鈴の方を向くと、セシリアは表情を固めて、ティナは訝しげな表情をした。
鈴は一夏の両腕を見て「両方埋まってるじゃ無い」とセシリアの横を逃げるように通り抜けた。だから真は鈴の腰を掴みあげ、抗議を言わせる間も与えず一夏の肩に載せた。彼は「鈴、思い出したか?」一夏だぞ、と鈴の背中を優しく叩く。鈴は俯いたままだった。
一夏は無理だと言い、降りようとした鈴を真は止めた。
「一夏。大切な物は何一つ手放すな。一つ諦めれば後はなし崩しだ」
「エレベータを使って良い」と踵を返した真に、僅かな間の後「相談があるから後で部屋に来てくれ」と一夏が言った。
「了解。じゃ後で」
「あぁ、後で」
「お休みティナ。お休み鈴。お休み、オルコット」
雨の音だけが変わる事無く続いていた。
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部屋に戻った私は、部屋の明かりを付けるのも億劫だと、衣服と包帯を脱ぎ捨てた。扉を2枚開けて壁のパネルを操作した。頭上から落ちる湯が体の汚れを落とし、頬の痛みを鋭く呼び起こした。温度を上げてしばらく浴びる。足下を赤く染めていく熱い水を見て自分の顔がどうなっているのか気になった。
鏡に映るその男は酷い顔だった。黒髪で硬く、湯で濡れていても立つほどだった。肌の色は東洋人にしては浅黒く、目尻は人を小馬鹿にしたように釣り上がっていた。そのくせ、目はただ黒く光が無い。怯えているようにも見えたし、卑屈にも見えたし、嘆いているようにも見えた。
目だけでは無かった。首を回る真新しい傷と、左のほお骨から顎まで裂かれた傷からは血が漏れていた。とても印象が悪かった。恐らくこれも跡になるだろう。
その男は自分を知らなかった。
今日また記憶を失った。
「記憶喪失者の記憶喪失か……その記憶はどこへ行った? 消えたのか、それとも―」
扉を開けても光が届く事は無く、その部屋はただ暗かった。誰も無く何も無く、何もかも吸い込み、触れれば捕われんばかりの暗みだけがあった。月明かり無い暗闇で、ただ其処にある朽ち果てた古井戸の底。
「君が持って行ったのか?」
部屋の奥で揺らぐ、立つ白い服の少女は何も応えなかった。
次回「デュノアの私生児」を予定。
【再投稿なのですが再掲載します】
突然ですがアンケート。
今「チラシの裏」に投稿している訳ですが、本板(投稿掲示板の「その他」)に移ってみようか、とか考えてます。皆様はどのように思われるでしょうか。
理由ですが、1人称、3人称、その組み合わせ。短い期間での場面切り替え、等々……取りあえずやる事は一通りやったと言うのが理由です。チラ裏は評価に手心が加えられているところです。何分人を選ぶこの作品、多数の人目に触れる事によって荒れる可能性もなきにしもあらずですが、どうかなーと。
1.まだ早い。精進しろ馬鹿者。
2.良いと思うわ、もまれてきなさい。
3.~すればOkだと思いますよ。
ご意見お待ちしております
2012/08/19 (26-51-35818)