21時を過ぎた廊下は、白色光の時間が終わり、柔らかいオレンジの光で染まっていた。床はアイボリーを地の色にブラウンのラインが引かれ、天井の光を照らされていた。歩きながら一つ二つと扉を数えれば、壁も腰を境に下がブラウン、上がアイボリーと塗り分けられていた。2ヶ月半ここに居るが、そうだったのかと今気がついた。
気づくのは何時も終わってからだ、そう言ったのは誰だっただろう。
「痛くない?」すれ違った4組の少女が、顔をしかめて言った。
そう言われて気づいた頬の痛みに手を添えた。痛みを感じていなかった、そんな馬鹿な事があるか、と傷を触っていたらその少女に慌てて止められた。
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廊下に立ち並ぶ扉の一つ、刻まれた706と言う数字を見上げる。この部屋を訪れた回数は片手で事足りる。一夏は箒と同室だったからである。逆はどうであったか。鈴が転校してくる以前、一夏はちょくちょく私の部屋にやってきた。箒を怒らせてはやってきた。閉め出され泊まった事もある。
鈴と同じ部屋になってからは滅多に来なくなった。度々ノックを忘れた事が原因だろう。ノックをせずに扉を開けて一夏が見た光景は、バスタオル一枚の鈴であったり、下着姿の鈴であったり、着替え途中の鈴であったり、狙っているかのようなタイミングであった。その都度、私たちは甲高い悲鳴と突きと蹴りに襲われたのである。
「上手い事やってるじゃねーか、この阿保」
「俺は男扱いされてないだけだ、この馬鹿」
扉から蹴り出され、廊下の隅でもつれる私たちはこんな事を言い合った。翌日、偶々なんだと平謝りしていた一夏を思い出し、私はくくくと薄ら笑いを浮かべた。その陰で私がいかに、必死に、鈴のご機嫌を取っていたかと言う事をあの馬鹿は知らないのである。
今やシャルと一夏の男部屋。私は扉を開けた。ノックはしなかった。男同士プライバシーなどあってないような物だ。勿論女性陣に同じ事をすればただでは済まされない。懺悔しよう、一度だけしでかした事があった。部屋を間違えたのである。念を押しておきたいが、偶々だ。
扉を開き掛けてから繊細そうなシャルの姿を思い浮かべたが、一夏が居るなら構わない、と開ききった。だから私がそれを見たのも偶々なのだろう。扉を開けたその部屋は、天井の半導体照明の代わりに、オレンジのルームライトが淡く柔らかく満たしていた。何とも陰影的なその世界、絨毯の上でシャルは半裸で四つん這いだった。一夏の影に隠れ、薄暗くよく見えなかったが恐らく下半身丸出しだった。一夏は彼に覆い被さるような格好で、なにか白い薄い生地を手にしていた。振り向いた2人と眼が合った。扉を閉めた。
私は踵を返し立ち去った。最初は徒歩でじきに駆け足で。偶々だろう。廊下を走ってはいけないのだ。私の背後で何かが激しく打ち開けられたような音がした。偶々だ。背後から何かが迫ってくる気配がするのも、
「偶々だ!」
「訳分からないから、ちょっと待ちやがれ!」
「断じて断る!!」
一夏の声が聞こえたのも偶々に違いあるまい。
ドタバタと廊下に足音が響く。いつの間にか全力疾走していた。このまま部屋に、否。寮長室まで撤退する事にする。なに問題はない、短距離走なら私の方が早い、とあっさり捕まった。偶々だ。
「真! お前に話しておきたい事がある!」
「安心しろ一夏! 俺は理解があるぞ! 心から祝福しよう! だから巻き込むな!」
羽交い締めにされなすすべも無く、ずるずると廊下を引き摺られた。馬鹿力めと悪態をつく。いくつかの扉が開き、何の騒ぎかと少女たちが顔を、ひょい、ひょいと出したが、一夏と私だ、そう気づくと何だと言わんばかりに引っ込んだ。狼少年何とやら。
「お前ぜってー勘違いしてるから話を聞きやがれ!」笑いと怒り、辛抱顔の一夏が言う。
「分かった聞こう! 明日の昼の食堂で良いだろ!? なっなっ!? だから離せー!!」私は血の気が引いていた。
ばたり、706と刻まれた扉は無常にも閉められた。偶々である。
一夏を椅子にして、羽交い締めされたまま、私は絨毯の上に為す術も無く座り込んだ。何時になく器用な一夏は足までも使っており、完全に身動きが取れなくなった。もがけばもがくほど、関節が締まる。偶々だ。
私に影が落ちれば、そこにシャルが立っていた。何時もの白と紺のジャージ姿、オレンジライトが彼に光と影を落とす。シャルはファスナーに手を掛けていた。見下ろしているのに上目遣い、器用な奴である。私は身体を強ばらせた。
「……一夏、良いよね?」なんとも甘ったるい声のシャルだった。
「……良いぜ」決意を含んだ一夏の声だった。
何が良いのか、と私は聞けなかった。恐怖のあまり声が出せなかった為である、偶々だ。
じっとファスナーが下る音、それは死神が下ろす鎌の音にも聞こえたし、首切り台の刃が下ろされる音にも聞こえた。偶々に違いない。私は最初の黒の人と2番目の金の人、会社の恩師に詫びて目を瞑った。
僅かな衣擦れと切ない息の音。沈黙を怪訝に思い薄目を開けて見た物は、シャルの白い細腕の、隙間から覗く柔らかな胸の曲線だった。力が抜けた。壊れた人形のように振り向けば、ジト目の一夏がそこに居る。
「だから言ったろ、この阿保真」
頭突き喰らう。タマタマでは無かったらしい……失敬。
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一夏は廊下側のベッドであぐらと腕を組んでいた。自分の問題であるかのように険しい表情を見せている。椅子に座っている私は湯飲みを手にし一口すすった。天井が白い光を浴びせるその部屋は、どこか白々しい。薄く、虚しく見えた。私は湯飲みの中の緑色をじっと見てから、窓側のベッドの主を見た。其処には伏せ目がちに身体を丸める金髪の少女が居た。ベッドの脇に腰掛けて姿勢正しく座っていたが、膝の上に置いた両指は落ち着かない、そう言わんばかりにゆっくり小さく動いている。
私は彼女を見て湯飲みを机に置いた。ガタリ、と予想外に大きな音が響く。
「シャルル・ディマ君はシャルロット・デュノアさんだった、という訳……ね」
私の言葉は彼女を追い詰めているかもしれない、そう思った。そう思ったが、その様な思いは私の身体の中心に中々収まらなかった。彼女の背信行為、私はそれに支配されていたのである。
彼女の家はフランスのIS企業デュノア社だった。みや、ラファール・リヴァイヴの開発メーカーである。第2世代でリヴァイヴが優れているのは、最後発だからであった。後から出る物の性能が良い、当然である。
ただ第2世代が最後発と言うことは第3世代機も最後発と言うことに他ならない。開発が遅れに遅れている彼女の家は政府から予算をカットされ、存亡の危機に立たされていると言うことだった。彼女の家はその危機打開のため彼女を男としてIS学園に送り込んだ。目的は3人目という広告、もう一つは一夏と俺の稼働データ、その窃取-スパイ活動だった。
腹の奥が見えない手に掴まれ引っ張られるようだった。隙あらば駆け上がろうとする血液を必死に押さえる。俺は無理矢理茶を飲み込みこう聞いた。
「デュノアは、家族、両親に無理強いされた?」
「違うよ!」
「なら……君自身の意思?」
彼女はしばらくの間を置いて、眼を伏せてそうだと言った。最後の一線が切れた。
「一夏、相談ってのは何だ」
「決まってるだろ、シャルを助けるんだよ」
人が良いにも程があるだろう、と俺は心底呆れた。世の中には人の善意につけ込む奴がごまんといる、15歳にもなってそれが理解出来ないのか、16の俺でさえ知っている、精神構造にそれ程大きな差があるとは思えない。俺はこいつがそれを知る良い機会だと思った。
「窃盗者をか?」俺がこう言うと、一夏は立ち上がり眼を釣り上げて俺の胸ぐらを掴んだ。「真! てめぇ何時からそんなダセェ事言うようになった!」
「よく分かっていない様だからはっきり言うが、データが盗まれれば責任問題に発展する。お前だけじゃ無い、警備担当の織斑先生にも追及が及ぶ。"行動が伴わない発言は詭弁か詐欺"こう言ったお前が"詭弁か詐欺を口走ればそれを犯しても良い"と言うのか。騙していたのは俺とお前だけじゃ無いんだぞ」
左頬に衝撃が走り、頭と身体に鈍い衝撃が走った。絨毯に寝転び、見上げれば拳を打ち抜いた姿勢の一夏が居た。
「人の言葉を都合良く変えるんじゃねぇ! それこそ詭弁だ! 第一シャルのことを言える立場かよ!? お前だって皆を騙して―」
騙しているじゃないか、そう言いたいのだろう。確かにそうだ、俺は皆を騙している。経歴はねつ造、名前すら知らない。どこの誰かが知らない奴が蒼月真と言う人物を装っている。左頬が熱くなり、何かが滲みだした。
一夏は右拳を強く握りしめ俯いていた。わき上がる怒りを扱いかねているようだった。デュノアは突然喧嘩し始めた俺らを不安と戸惑いを湛えて見ている。どうして俺らが喧嘩しているのか理解出来ていないようだった。"殴るられるなら僕だよね?"と思っている様な眼であった。このとき彼女の質に気がつき、私も自分がしている事に気がついた。だから、私は一呼吸の後、身を起こし絨毯の上であぐらを組んだ。
一つ目。
「一夏」
「なんだよ」
「すまん」
「……え?」
二つ目。
「デュノア、一つ聞きたい」
「な、なにかな?」
「家族とは仲が良いのか?」
「え、うん。とても良いよ。みんな良くしてくれるんだ。まるで本当の子供みたいに―」
私はどういう事だと、眼で聞いた。一夏もその話は知らないぜ、と眼で言っていた。
「僕は、僕はね。愛人の子だったんだ。でもお母さんが死んでお父さんに、デュノアに引き取られたんだ」
「それで仲が良いのか?」私は思わず眉を寄せた。女性は苦しんで子供を産む、それ故に自分の子以外に愛情を示さないと聞いた事があった為だ。
「うん、とても良い。義理のお母さんは抱きしめてくれたし愛してくれた。お姉さんもそう。2人とも義理って言うと凄く怒るんだ」その時を思い出しているのか、彼女は困ったような顔で頬を赤く、頬を掻いていた。彼女の母親も姉も尊敬に値する人物のようである。父親はそれなりに。
だから私は、それでなのか、そう聞いた。
「うん。社員の人達、その人の家族。名前も顔も知っているんだ。僕が、社長の娘が何もせずにあの人たちを路頭に迷わすなんてできなかった」
三つ目。
「一夏」
「おぅぃうぇ!?」突然話を振られて一夏は素っ頓狂な声を上げる。
「お前は何でデュノアを助けようと思った?」
「……シャルが困っているからに決まっているだろ」
当然だろ、助けるのに理由なんて要らない、その馬鹿は胸を張りさも当然の如く言う。私はその言葉を心の中で繰り返し唱えた。もう一度深く呼吸をし、頬を掻きながら立ち上がる。
「そうだ、そうだよな。俺はそれまで捨ててしまうところだった」
「……なら、もう一度聞くぜ? 真。シャルを助けるには、どうしたら良い?」
「みやのデータをデュノアに渡す。正規の手続きに則って、ね」
そんな事が出来るのか、とデュノアはぽかんと私を見ていた。
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ISの基本能力はコア稼働率に大きく依存する。大きいほど、機動力が高く、エネルギーシールドの防御力が高く、燃費が良い。但し、ISコアに限られた話であり、バーニアやシールドジェネレータ、各デバイスが持つ能力以上にはならない。また、あくまで基本スペック内に限られた話で、形態移行とは別物だと言うことに注意する必要がある。
付け加えるならばIS適正と稼働率も別物だ。IS適正は事前に数値で分かる物、コア稼働率はISとパイロットが時間を掛けて上げていく物。俗に言えば、IS適正はISからみたパイロットの第1印象であり、稼働率は一次移行後つまり結婚して分かるパイロットとの相性と言って良い。勿論"彼女たち"の見る眼は厳しい為、搭乗初期の適正値と稼働率は概ね比例することになる。
私は廊下側の席に座り端末に手を添え、学内メインフレーム"アレテー"にアクセス。ギリシア語で"徳"を意味するこのコンピュータは、セキリュティは勿論学園内に所属する全ての人間とISの情報、設備を統括管理している。IS学園の土台と言って良い。
朱色の丸に形取られたトップ画面、キーボードを叩きIDとパスワードを入力、認証、パーソナルスペースにアクセス。丸が流れるように拡大されると、透明になり、その一つ下の階層に移る。中央から放射状に伸びる根のようなリンクラインがみえる。"IS"とラベルされたそれを辿り、稼働データの保存領域に移動。
私はファイルを開きデュノアに見せた。それに記されたみやのコア稼働率は98%、彼女が眼を剥いた。信じられないと食い入るように見ている。一夏が凄いのかと私に聞いた、多分と答えた。
「多分じゃないよ!」
興奮し、声を荒らげるデュノアが言う。彼女によると記録上Top5に入るのだそうだ。1位はディアナさんで192%、2位は千冬さんで189%、3位は飛んで102%、対抗戦の後、機体に違和感があると虚さん相談したところ指摘され、自覚に至ったのである。フレームがコアに追いついていないのが原因だった。
一夏は呆れるような口ぶりだった。
「お前、段々人外じみてきたな。顔も」
「だまれ」
「そういう一夏はどうなのさ」
「忘れた」
「おい」
鋭い眼差しでデータを食い入るように見ているデュノアにこう言った。
「デュノア」
「……なにかな?」
「最近、スラスターの出力や機体反応が不足して困っているんだ。特に今日の実習は酷くてさ、改造しようにも大がかりすぎて学園じゃ手に負えない。だから、デュノアの家で改修頼めないか?」
「そう言う事か!」と一夏が叫ぶ。
「そうか……」とデュノアは呆けていた。
「喜ぶのはまだ早いぞ。学園の許可を取り付ける必要があるから」
絶対下りると、はしゃぐ一夏はデュノアに抱きついた。彼女は顔を真っ赤に染めて硬直していた。私はそう言う事かと茶を飲んだ。
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二つのキーを叩く音が部屋に響く。デュノアと私は取り急ぎ提案書を作成する事にした。今日明日でデュノア社が潰れるという訳でも無かろうが、この手のことは得てして遅れる物であり、後回しにした分だけ大きな問題になりやすい。昨年おやっさんから散々言われたことだった。場に勢いがあることも手伝って、今晩中に片を付ける事にした。
一夏は何か手伝うと言ったが、シャルと私がまとめるデータを見て諦めたようだった。ベッドに寝そべり何度も寝返りを打つ、むくりと起き上がり漫画に手を伸ばす。ゲーム機を手にするのは流石に控えたようである。
提案書作成にあたり、デュノア社に改修を依頼することが、学園にどのような利点があるかを明確にする必要があった。
考えたポイントはいくつかある。一つ目は、みやのフレームがボトルネックになりデータ収拾が頭打ちなっている。世界で3人しか居ない男子適正者。学園がどう扱うかは分からないが、この機会を失いたくは無いだろう。次に、データと交換とは言え訓練機が無償でカスタム機になる。IS改造は金を積めば出来るというものでは無い。三つ目は、学園の存在意義。所属生徒が成長しカスタム機を必要としている。少なくとも育成と言う観点から見れば、反対する事は出来ない筈である。
デュノア社にトラブルがあれば、学園訓練機のリヴァイヴに補修部品供給の面で支障が出る。損失理由として組み込みたかったが、デュノアの個人的理由に繋がる恐れから削除した。それに学園側も直ぐに気づく話ではあろうから、無理に載せてもそれほど効果が無い。
「デュノア、データまとめるのにどれぐらい掛る?」
「うーん、スラスター、PIC(慣性制御),FBW(航空管制)、基本デバイスだけでも10個以上、デバイス毎にパラメータがあるから……絞らないと時間がどれだけ合っても足りない。真は回避と狙撃が得意なんだよね? シールド、量子格納、ヒューマン・インターフェース類は省いて、FBWとPIC、FCS(火器管制)に絞ろうと思うけど、どうかな。それなら5,6時間で出来ると思う」
「あぁ」
目にも止まらぬ速さでキーを打ち、その瞳は小刻みに動いている。口を利きつつも、データはとどまること無く流れるように処理されていった。彼女の行っていることは言葉にすれば一節で済むが、それ程簡単な話では無い。2ヶ月分のデータから適した物を選び、説明しやすいように手を加える。
高いレベルでそつなく器用、これが私の印象だった。彼女は瞬時に全体を把握し要点を掴む事に長けていた。彼女が成長し経営に携わればデュノア社も安泰であろう、顔さえ知らない彼女の父親にそう言ってみたくなった。
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時計を見れば午前2時。部屋を満たすベッドの淡い光とデスクの堅い光、二つの光を浴びて私は背を伸ばした。これだけのデスクワークも久しぶりだと、形になりつつあるファイルをぼんやりと見る。
部屋にいびきが響き、その主をちらと見た。私たちは見合って笑う。ココアを二つ淹れ、一つをデュノアに手渡した。カカオの匂いが神経をほぐす。デュノアは俯き両の手で掴んだ白い陶器のコップをじっと見ていた。薄暗い部屋の中、白いデスクライトが彼女を浮き上がらせていた。
だから「ありがとう」始め誰がそう言ったのか分からなかった。目の前の少女はそれほど動きを感じさせなかったからである。
「なにが?」
「騙してたこと、許してくれたこと」
「それは一夏に言うと良い。こいつが居なければ、俺はきっとそうしなかった……そう出来なかった」
「切っ掛けはそうでも、許してくれたことは真だよ」
「デュノア、礼なんて言わないでくれ。俺はそれを受け取る立場に無い」
このとき感じた心臓を鷲掴みにされたような感覚、世界が暗がり音が遠ざかる。しばらく忘れていた感覚だった。
「人の好意が辛い、咎められると心が軽くなる」
だから、突如言われた真実に思わず顔を上げ息を呑んだ。目、鼻、口、眉、明らかに笑っている彼女であったが、受ける印象は嘆き、悲しみ、苦しみ。それらが身を引き裂かんばかりに重くのし掛かり、だが崩れ落ちることは許されず、草木一つ無い荒れた道を歩いているかのようだった。
「デュノア、その眼……」
「そう、僕はかって取り返しの付かない罪を犯した。多分きっと真と同じ」
そこに鏡に見た男と同じ眼をした少女が居た。
「ならお礼は言わない、こう言うよ。真、君は今置かれている状況を把握し直した方が良い」
デュノアが来た理由かと聞いたら、彼女は頷いた。
「どこまで知られている?」
「公開されている成績と、ハミルトン戦で君が見せた実力の不一致。所属不明機の襲来の時に一夏と君がしでかした事実、スラスターの自動修復に、超音速時の精密射撃、ミリ秒世界でのコンビネーション。一夏も重要視されているけど彼はまだ良いんだ、ブリュンヒルデの弟という説明が付く。けれど君は違う」
「経歴、か」
世界から切り離された様な静かなその部屋は、私たちの命の音だけが聞こえていた。
「そう。経歴が作られた物と判明して調査したんだ。どこの誰か、ってね。でも何も分からなかった。誰も彼もが不思議に思い、興味を持ち、調べてる。だから、だから君は今置かれている状況を見直すべきだ、と思う。人は分からないモノに興味を持ち、調べても分からないモノには恐れを抱く、恐れを抱けば取り除こうとする」
それは懸念していたことだった。質問したことは無いが学園側が、あの2人が情報操作していたであろう事は察しが付く。それが限界に来たのだろう。学園が私を匿える条件は、攻めてくる相手が格下の場合のみ。どうする? と自問自答する。学園に、あの2人に一夏に被害が及ぶことだけは断じて避けねばならない。
前に屈み、握り拳を押し当てた額が痛みを感じ始めた頃だった。
「でもきっと何とかなる、僕はそう思うよ」
「楽観的だな、意外だよ」
「一夏を見てたらそう思えるんだ。真もそう」
「なんで断言できる」
「僕がそうだから」
何時もの暖かみのある彼女の笑みと、ぐーすかと幸せそうな一夏の寝顔を見たら気が抜けた。取引としては上々、と言うより格安だったようだ。
「なら目先の問題を片付けるか」私がそう言うと、
「そうだね」と彼女は笑って机を向いた。
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柊寮の昼の食堂で、シャルル、一夏、真は遅めの昼食をつついていた。既に表向きだけではあったが、3名の男子生徒たちである。書類ができあがったのは午前3時、一寝入りし何時もの様に授業を受けた。授業が午前のみの土曜に感謝しつつシャルルは、ふぁと小さなあくびを口にした。
「……真、書類は渡したの?」
「あぁ小林先生にな」
2人は午前中に何度か読み返し、昼食前に打ち合わせて修正した。千冬かディアナに直接渡したかったが、会議で不在だった。真は持ち帰ろうかとも思ったが、ディアナの直下となる2組副担任の小林千代実に預けたのだった。
「大丈夫なのかよ」そう言うのは一夏だった。
「机の上に置いておくよりは預けた方が良いし、これ以上手元に置いておいても迷うだけ。見極めも必要だろ」
心配だと書類を手放さず何度も見直していたシャルルは、顔赤く恥ずかしそうに笑っていた。正式受理、審査、恐らく面談もあるだろう。結果は何時になるのか朗報か悲報か、しばらく気をもむ日々が続きそうだ。彼が考えるのは"これから"の事を含めてである。
2人の、真の杞憂を知ってか知らずか一夏は爽やかな笑みを浮かべてこう言った。
「これから3人で模擬戦しようぜ、シャルと真はまだやってないだろ」
「ごめん、静寐と約束があるんだ」とシャル。
「すまん、3時から先生と約束がある」とは真。
「「……どっちの?」」
ちちちち、と窓の外で鳥が鳴く。じろり、シャルルと一夏の眼圧を受けて真はたじろいだ。
「2組なんだぞ、リーブス先生に決まってるだろ」
「「……なんで?」」
ぬずぃと、2人に迫られ冷や汗一つ。
「糸のコツを教わろうって……話してなかったか?」
「「……」」
一夏は真の胸ぐら掴んで立ち上がる。
「真、てめぇ! 金髪美人教師の個人レッスンとは良い度胸だ! 表でろ!」
「人聞き悪いわ! そもそも一夏だって織斑先生に教わってただろ!」
シャルルは真に詰め寄り、嫉妬の叫びを上げた。
「ずるいよ真! 僕だってディアナ様に教わりたいのに!」
「……ディアナ、」
「……様?」
食堂に沸き返る乙女達の悲痛な叫び。青春を謳歌する彼女らを他所に事態は静かに動きだしていた。真が千代実に手渡した書類は、教頭に見咎められ複製が作られた。その複製は千冬、ディアナが気づかぬうちに、手出しできない処へ届けられたのである。
よしなに。
次回"胎動"を予定。
【再投稿なのですが再掲載します】
アンケートご協力ありがとうございました。
次回投稿を以て"その他"移行したいと思います。
2012/08/24