IS Heroes   作:D1198

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幕の間

 それは清香のこんな口上で始まった。

 

「じめじめ蒸し暑い梅雨真っ盛り、だが水着の季節は射程距離!

 

そこのジェントル、淑女の諸君! 夏に向けての準備はOKかっ!?

 

二の腕、太もも、腰回り、もう時間が無いぞ!

 

今夜もやって参りました、女の子専用座談会!

 

皆様ようこそお越し下さいました!

 

チーム"ベルベット・ガーデン"ガールズトーク! 開催です!」

 

「「「わー」」」

 

 

 どんどんぱふぱふ。アタシの部屋はいつの間に会場になったのか、鈴は心底うんざりした様に言う。

 

「……なんでそんなにテンション高いのよ。てゆーか、チーム・ペットボトルなんちゃらってナニよ」

「べるべっと・がぁでんだよ、鈴ちゃん」これは本音。

「しゃらーーぷっ! 我が2組存亡の危機に、どうして手を拱いていられようか!? いや出来ない?!」

「なぜ反語で疑問系なんだ。そもそも私は1組だが……」既に疲れた様な箒だった。

 

 部屋を見渡せば2組と言いつつ1組の生徒も見える。床の上、ベッドの上、椅子の上。その数、総勢10名ほど。15畳の部屋も流石に狭い。彼女らは思い思いの出で立ちで、有り体に言えば目のやり場に困る格好で、菓子やらソフトドリンクやらを手にして座っていた。つまりはお茶会と言う事だ。訂正。箒は剣道着、本音は白うさぎの着ぐるみ、鈴は何時ものスウェットである。

 

「……箒ちゃん、静寐ちゃんは?」と本音が顔色を伺う様に恐る恐る聞けば「自主特訓でぐっすりだ」と眼を逸らし伏せる箒だった。放課後ずっとシミュレーターの中に居たと静かに付け加える。

 

「つまりは! 一応とは言え2組の顔である真が姿を消して早2日、一夏は引き籠もりで面会謝絶。ディマ君、先生は何も教えてくれないし……鈴もおかしいし」

 

 表情を陰らせる鈴に、すとんと腰を下ろした清香が問う。

 

「鈴、一体どうしたのよ、ホントおかしいよ?」

 

 沈痛に頭を垂れる鈴を見て清香は深い溜息をついた。そんな2人を他所に他の少女たちは平常運転である。

 

「あの騒ぎ、あの2人が関係してるかも。ニュースじゃ自動車事故って言ってたけれど、先生たち血相変えてたし」

「あり得すぎる」

「日曜日の事と関係有るのかな。いきなり自室待機だったもんね」

「私、窓から偉そうな人達の一行見た」

「小さい子いたね、白くてすっごく可愛いの。雪の妖精さんみたいだった」

「セシリアが手を繋いでた」

「そういえばセシリア、真のパイソン持ってたよ」

 

「返したって事?」とセシリアと同室の少女に鈴が問う。

 

「分かんない。聞いても答えてくれなかったし。ただ膝の上に置いてじっと見てた。迷ってた感じ」

 

 突然訪れた沈黙に、小さく口を開いたのは本音だった。彼女は力無く箒に身を寄せていた。

 

「最近の真くん、遠いの」

「遠いとはどういう意味だ」

「年上みたい」

 

 何かを感じ取っているのだろう、悲壮と言っても良いほどの本音を見て、真は1つ上だと、当然だと、誰も言う事が出来なかった。

 

 

-----

 

 

 ソファーに腰掛け、それを手に握る。

 

 それはアルミの円筒形状で、長さ20センチ、径は3センチと言ったところだろうか。内部に化学反応により電力を起こすセルを持ち、先端に取り付けられたフィラメントが電子を放出させ光を放つ。又の名を懐中電灯。ただし懐中は出来そうにない。

 

 スイッチがオフになっていることを確認し、左手に握る。点かない。振ってみる。点かない。右手でぽんぽんと叩いてみる。やはり点かない。

 

 先日の出来事は色々な疑問を残した。あの青いISが一夏を狙っていた事は間違いないなかろう。あの少女が何処の誰か、またその動機も気になるのだが、何より何故あの時あの場所なのか、それが説明ができないのである。襲うだけならば江ノ島との行き帰り、その道中幾らでもあった。

 

 あの場所で私たちが居ることを初めて知ったとしよう。そうすると警察機構、交通システムにハッキング出来る程の情報戦術能力と矛盾する。残る仮説はただ一つ。襲撃とハッキングは別の連中だと言う事だ。

 

「ならハッキングした連中の目的は何だ、って事だよな」

 

 ご丁寧にも私たちをあの場に誘い出したのである。

 

 自然と口から漏れた疑念と共に、スイッチを入れてみる。点かない……苦虫をかみつぶし電池を交換、スイッチを入れると点いた。消してみた。振ってみる、手をかざし念じてみる。やはり点かない。スイッチを入れる、点いた。消えない。

 

 次の疑問は機械と私の関係である。あの時、自動車のエンジンが都合よく動いたのだ。これを偶然的なエラーだと考えるのは、無理がある。他にも、みやの自己修復、稼働率の高さ ……これらを考慮すると、私は、機械に対し何らかの影響を及ぼす特性、我ながら滑稽だとは思うが、そう言う物を有しているのでは無いかと考えた。こう思い、検証に勤しんでいるのだが、この懐中電灯はヒントすらもたらしてくれないのだ。

 

 

 つれない懐中電灯を放り投げ、首からぶら下がるそれを摘み上げ目の前にかざす、

 

「みや、お前なにか知ってるんじゃないのか?」

 

 ステルスモードの愛機にこう問い掛けると、聞こえる声は、

 

「もう出かけます。くどい様だけれど温和しくしている様に、良いわね?」

 

 私にとって2番目の金色の人だった。

 

「……了解であります、ディアナさん」

「よろしい」

 

 何時ものライトグレーのジャケットとパンツ、結い上げる金色の髪は気品すら感じさせる。エプロンを脱ぎ、鞄を肩に。どこか挑発的な笑みのその人を、私は精一杯の笑顔で見送った。パタンと玄関の扉は無常にも閉じられた。

 

 最後の疑問は、謹慎先が学園内にある教師用マンション、リーブス宅という事である。

 

「独房より落ち着かないってのは、なんでかな」

 

 首の傷跡が疼き、左頬の傷が突っ張っていた。

 

 

-----

 

 

 昨夜のことである。査問会が終わり柊に戻ろうとした矢先、ディアナさんに呼び止められた。話があるというのでついて行ってみれば、学生寮から学園中央本棟を挟んだ反対側、彼女のマンションであった。怪訝に思いつつ、今思えばこの時点で走り去るべきであったのだが、常日頃世話を掛けている人でもあるし、今後も世話を掛けるであろう、そう……応じたのが間違いだった。

 

 応じたこと自体では無い、応じるまでの間に一度でも柊に戻っていれば恐らくこう言う状況になり得なかっただろう、そう言いたいのである。

 

 彼女の部屋は15畳程の1LDKだった。一通りの調理器具が揃うダイニングキッチンに意外性を感じ、キングサイズのダブルベッドに僅かな戸惑いを覚え、整理整頓、清潔感溢れるその部屋に千冬さんと随分違う、そう嘆息した。どちらが20代女性の標準なのか、そう思案に耽っていた。

 

 そんな時である。奥に招かれソファーに腰掛けると、見合う彼女はこう切り出した。

 

「謹慎よ」

 

 私が言うのも何であるが、これだけの騒ぎを起こしたのだ。お咎め無しの方が気味が悪い、と黙って頷いた。

 

「ここで」

 

 出されたお茶を吹き出さなかったのは奇跡に近い。グラスを手にする金髪のその人はそれがどうしたと言わんばかりに、すまし顔だった。

 

「……何故です?」

「一夏と一緒ならまたトラブル起こすもの」

「教育倫理は? これでは生徒たちの模範に―」

「真、貴方はもう学生じゃないのよ」

「……は?」

 

 彼女の、学園のスタンスはこうである。一夏と学園を守る、戦闘活動を前提とした私のこの要求は学生の本分を越えている。学生に危険なことはさせられない、危険なことをするならば学生ではいられない、当然と言えば当然だった。学生でないならば学生寮には居られない。

 

「なら俺はなんです?」

「書類上は事務職員かその辺に落ち着く予定」

 

 成る程と茶を飲む。だが"それとこれと"は話が別だ。グラスをテーブルに置くと氷がコトンと鳴った。

 

「幾ら治外法権のIS学園でも現職教師が未成年者を連れ込むなんて、外聞宜しくないですよ。学生寮が駄目なら俺はまた一人暮らしでも、なんなら独房でも構いませんが?」

 

 独房は相応の刑罰を与える設備だ、と断った上で彼女はこう言うのである。深い呆れを含ませた溜息は何故か空調より大きく聞こえた。

 

「理解していない様だからはっきり言うわね。狙われているのは一夏だけではない、真もよ」

「それがなんです」

「そんな、今や強い力を持った真を放し飼いに出来る訳が無いわ。それこそトラブルの元だもの。しかるべき組織の元でしかるべき決まりに従って運用する、その為には管理する必要がある。異存は?」

「……俺の目的に反しない範囲であれば、ありません」

「よろしい、続けるわね。突然"男性"適正者が現われたものだからそれこそ設備対応が追いつかない、だからここよ。ご理解して頂けたかしら?」

 

 彼女と私の関係を考えれば落とし所なのだろう。部屋が無いならば致し方ない、他の教師とて同じ事だ。なにより相当のヒンシュクを買っているだろうから、下手すれば疫病神扱いされているかもしれないから、尚悪い。寮長の千冬さんは無理である上、何よりディアナさん以上に困る。少なく負ける、かって一夏に贈った言葉がここに来て跳ね返ってくるとは、世の中皮肉なものだ。

 

 私の苦悩を他所に彼女はとても嬉しそうだった。繰り返すがもちろん皮肉である。

 

「千冬じゃ無くてお生憎さま」

「……まだ根に持ってるんですか」

「私は執念深いわよ、あんな屈辱的なこと言われたの初めてだわ。これからどうしてやろうかしら♪」

「綺麗に笑いながら言う台詞じゃ無いです」

「今更ご機嫌取ろうったってそうは行かないわー」

 

 カーテン越しに感じる夜の気配、部屋に満ちる香の匂い、夜の弱い照明を浴びて暗闇に浮かび上がるその人は、夜空に浮かび上がるそれを思い浮かばせた。あの黒の人と目の前の金の人、一夏と私。そうか、とこの時気づいた。同じ"月"を冠する名を持つ者同士だ、よく分かる。きっと彼女も誰かの陰であることを選んだ。

 

 不思議めいた因縁を感じ、私の名を呼ぶ彼女の声に居住まいを正す。

 

「近いうちに真にはしかるべき地位、権利と義務が与えられる。詳細はこれから検討されるけれど恐らく一学期までね、だから。残り一ヶ月、今のうちにゆっくりしておきなさい」

 

 彼女が差し出した一枚の紙。私は受け取ると謝罪と謝意を述べた。できうる限り心を込めて。

 

 -ラファール・リヴァイヴ38番機 改修申請 "承認"-

 

 

-----

 

 

 真に見送られたディアナが向かった先は学園本棟地下である。

 

 花崗岩盤に囲まれた大地の奥底、学園の本棟地下50m。自然と技術、強固な岩盤と物理・エネルギー併用型シールドで防御されるその区画にはメインフレーム"アレテー"が鎮座していた。

 

 正確に言えば、アレテーとは1つの人工知能型コンピュータと各々異なる役割を持った複数のスレーブ・コンピュータにより構成される"コンピュータ群"を指す名称だが、慣例的に統括管理を行う人工知能型コンピュータの名称となっている。

 

 学園の警備、情報収集と言った軍事的活動から、学園内の資材管理、成績、稼働データ。人間、IS問わず学園内の全てを管理する、正しく学園の柱と言っても良い。直接アクセス出来るターミナルルームのセキリュティは最高のレベル5。学園内で立ち入ることの出来るのは学園長、教頭、管理担当の3年担任、そして千冬とディアナの計5名のみである。

 

 

 コンソールが立ち並ぶ無機質な部屋。白い壁と白い床。青白い天井の照明を浴びて千冬は溜息をついた。もう少し居住性を考えなかったのかと、設計者に文句の一つや二つ言いたくなるのも無理が無い。それ程の精神的圧迫感があるその部屋で彼女は不機嫌そうに立っていた。

 

 彼女の組む腕の指がリズムを取り始めた頃である。背後の扉が開きディアナが姿を現した。千冬は一瞥すると緊張を僅かに緩めた。

 

「彼の調子は?」ディアナはジャケットを脱ぎ椅子に腰掛けコンソールに向かう。

「漸く昏睡状態から抜け出したと言ったところだ、芳しくない」

「グノーシス・レベルは35%か……本調子までまだ掛るわね」

 

 グノーシスとは古代ギリシア語で認識・知恵を意味する言葉であり、この場合アレテーの意識レベルを指す。アレテーのグノーシス・レベルが低いにも関わらず、学園運営に支障を生じないのは、スレーブ・コンピュータ群が独立稼働している為であるが、未知の状況に柔軟に対応する事ができていない。千冬の苛立ちと焦燥、不機嫌の原因であった。

 

「どこからのハッキングか分かったか?」

 

 何度も繰り返された千冬の問いに情報戦術担当コンピュータは"不明、継続追跡中"と変わらぬ回答をする。直接攻撃し面が割れているコンピュータのみでも256カ所に及ぶ。経由、踏み台にされた物を含めて考えると、そのルート組み合わせは膨大な数となり追跡は事実上不可能だ。真の推測は当たっていた。一夏と真を襲撃した組織とは別に、舞台にもう1人立っていたのである。

 

 コンソールに指を走らせディアナは言う。

 

「真の交戦開始にアレテーが反応。システムゲートを開けた瞬間を狙い攻撃、第9隔壁まで一気に突破されてるわね、何処の誰かしら。虚を突いたとはアレテーと同等以上の情報戦術能力を持たないと出来ない芸当だわ」

 

 呆れた様に、敵の手腕を褒めるに様にも聞こえるディアナの声だったが、碧い瞳は氷の刃の様である。

 

「損害は?」

「他に目もくれず真っ直ぐアレテーに向かっている。瞬時に功性ダミーを作り仮死状態で退けたのは流石というべきかしらね。情報戦術コンピュータは動機に知的好奇心を示唆しているけれど私も同意見。ねぇ千冬」

「なんだ」

「いま私あの兎女を連想したのだけれど、どうかしら」

「確証の無い発言はよせ、何時も言っているだろう。口にすると引っ張られる」

「あの女は別よ、腹立たしい」

「相変わらずか。そろそろ大人の振る舞いを覚えたらどうだ」

「人によって応じ方を変えるのは大人のやり方よ。そもそもあちらが一方的に突っかかってくるのだから私は悪くないわ。"わたしのちーちゃんにちょっかい出すなこの女狐めー"ってね」

 

 ディアナの脳裏に浮かぶのは罵詈雑言と共に飛来する、弾やミサイルの数々。ライバル関係であった現役を退いても嫌がらせは執拗に続き、その都度ディアナは糸を駆使しなくてはならなかったのである。尤もこれが契機となり学園で教べんを振う事になったのだから、人生とは奇妙なものであろう。

 

 

-----

 

 

 冷却器の音と光学結晶素子を走る光子共鳴の音、アレテーの鼓動。構造物を介して鈍く伝わるその部屋には、ディアナの叩くキーの音と他の音々が混じっていた。それはパンプスを打ち鳴らす音、組む腕の指を打ち鳴らす音、身じろぎで鳴る衣擦れの音である。

 

 ディアナが向かうコンソールを覗き込む千冬は、落ち着かない様にちらちらと何度も見下ろしていた。

 

「言いたい事があるなら言えば?」

「……本当に連れ込んだのか」

「人聞き悪いわね、職員会議で決まった事よ。仕方ないわ」

 

 仕方ないという割にディアナは嬉しそうだ。ディアナにとっても真は他人事では無いのだが、それ以上に千冬の困った顔が楽しくて仕方ない。不機嫌そうに眉を寄せ、不満そうに唇を僅かにすぼませている。

 

「何もしなかっただろうな」

「されなかったか、と聞きなさいよ。失礼ね」

「戦力的にあり得ないだろう」

「まぁ寝てる最中に悪戯ぐらいされたかもしれないわね」

「……夜這いして吊し上げられた不憫な政治家の息子が居たな。それ以来不能になったそうだぞ」

「礼儀知らずには言い教訓よ」

 

 笑顔のこめかみに浮かび上がった血の流れ道、押さえつけられ悲鳴を上げるコンソール。そろそろ頃合いかとディアナは一つ息を吐いた。

 

「安心なさい、なにも無いわよ。約束は守るわ」

 

 一拍。ならば良いと千冬はそっぽを向く。

 

 

-----

 

 

 再び訪れる沈黙。千冬が言いたい事はもう一つあった。

 

「次は何にかしら」

「中止にするべきだ、行かせるべきでは無い」

「……しつこいわよ、腹を括りなさい」

 

 ディアナは眼を細め睨み上げる。

 

「ディアナが楽観か」

 

 千冬は腕を組み流し目で鋭く見下ろす。

 

「何度も話し合ったわよね? 今私たちが直面している問題は重大よ。建前だった学園の独立性に実効性を持たせているのは、私たちであり訓練機という学園の戦力。半数を占めるリヴァイヴの保守は最優先事項、私心でどうこうできる問題ではないわ」

 

「襲撃に使用された機体はサイレント・ゼルフィス、ならばファントム・タスクの公算が非常に大きい。あの連中は欧州が本拠地だ、敵陣に送り込む様なものだぞ。私たちは持つ力故に自由に日本を、学園を離れ付き添う事は出来ない。今の蒼月は一夏と学園を守る事、己の身を危険に晒せる事、完全に元に戻ってしまっている。アレテーがこの有様では情報収集もままならない、デュノア社の言質は取っているが何処まで当てに出来るか分かったものではない。今の蒼月を1人にするのは危険すぎる」

 

「良く聞きなさい千冬。ならどうする? 代わりに一夏を送る? 一夏に何かあれば真はあらゆる手段をとり救出に向かうわ。それだけじゃ無い、もしも一夏の身に何かあればそれこそお仕舞い。2人とも送るのは論外、他に手立てが無い」

 

「ディアナ、随分人ごとの様に語るな」

 

 お前は心配してないのか、その言葉は鋭い頬を叩く音に掻き消された。

 

「落ち着きなさい、心配しているのは千冬だけじゃないのよ」

「……すまない。冷静さを欠いた」

「千冬が止め役とはね。今までとあべこべ、世も末だわ」

「まったくだ、縁起が悪すぎる……ディアナ」

「なに」

「ブリュンヒルデとおだてられても、無力なものだな」

 

 頬を赤く苦しそうに俯く、初めて見る友人の気落ちした姿。ディアナは僅かな戸惑いの後に柔らかな笑顔を向けた。

 

「面倒よね? だから私はその銘を辞退したのよ」

 

 その気遣いに千冬は小さく礼を言った。

 

 

-----

 

 

 6月3週目の水曜日。薄日が差す曇り空の元。首都高速湾岸線を東関東自動車道へ暴走する一台の自動車があった。その道は学園から成田へ続く道路であり、その自動車はシルバーメタリックの2シーター・オープンスポーツカー。そう、地元警察にトラウマを刻み込んだ"ロータス・エリーゼS"あの車である。

 

 先日と異なる点は、ハンドルを握るのが強い意志を持った少年であり、助手席に座るのが金髪碧眼の少女、と言う事である。

 

 海が見える道路を一夏はハンドルを切り、アクセルを踏み、走行車を追い越し抜き去る。たなびく髪を押さえてセシリアは言う。

 

「一夏さん! もっと急いで下さいな!」

「無茶言うなよ! これで精一杯だって!」

 

 速度計は160kmを指していた。軽量型スポーツカーにはそろそろ厳しい速度帯である。

 

「これでは時間に間に合いませんわ!」

「セシリアが何時までもうじうじしてるからいけないんだろ!? もっと早く出発出来たのによ!」

「女には色々あります! それに! 自信満々に間に合うと言っていたのは何処のどなたですの!?」

 

 2人の後ろに付くのは助手席側に補助ミラーを持つ白のセダン。覆面パトカーである。160km、問答無用の制限速度オーバー。回転灯を出そうとした助手席の巡査長を運転席の巡査が止めた。どうしたと訝しげな視線を送る。

 

「巡査長、あのシルバー・メタリック、通達にあった奴ではありませんか?」

 

 巡査の意図を察した彼は素早くナンバー照合、確認。危なかったと冷や汗をかく。見える姿は白を基調とした赤いラインのあの学生服。誰とて政治問題に首を突っ込みたくはない、公務員なら尚更である。彼らは見なかった事にして、手前のスポーツセダンに照準を合わせた。

 

 クラッチを切りギアを一つあげる。手慣れたかの様な一夏にセシリアは今更だが疑問を持った。一夏さんと恐る恐る問い掛ける。

 

「運転が随分お上手ですのね、何時免許を?」

「持ってないぜ」

「……は?」

「知らないのか? 日本は18歳からなんだよ、運転免許」

 

 ならどうして運転出来ますの? と声にならない声で蒼白のセシリアは一夏に問う。彼女に頼んだとハンドルをぽんと一つ。事実その通り、一夏は訳を話し拝み手で頼むと何故かエンジンが掛ったのである。

 

「任せろ! 首都高バトル(レースゲーム)なら真より早いんだぜ!」

 

 あり得ませんわ、とセシリアは悲鳴を上げた。ただ樫の木箱を抱える手の力を緩める事は無かった。

 

 

-----

 

 

 成田空港からシャルル・ド・ゴール国際空港までとなるその旅程はエール・フランス機で約13時間。平日だというのに空の港はとても込み入っている様で、大勢の人の気配がする。

 

 私たちは、がやがやと賑やかな成田のロビーを抜け、搭乗手続きの為チェックイン・カウンターに向かう。2時の方向距離10m程先に聞こえるのは子供の大きなはしゃぎ声。9時の方向20m程先に聞こえるのは甲高い若い女の声である。直ぐ側の背を丸めた男性からは、身体に染みこんだ鼻を突くたばこの臭いが漂う。マルボロだろうか?

 

 そんな人の気配を感じながら歩いていると180cm程の男性が転がす様に持っている、恐らくキャリーケースに躓いた。その人は私に文句でも言おうと意識を向けたが、私の顔を見ると逆に一言詫びて立ち去った。言うまでも無く包帯に閉じられた私の眼に気づいたのだろう。

 

 今まで背後に居た小さく軽い気配が、弾む様に前方へ回り込む。

 

「真、やっぱり手を繋ごう」

 

 少しばかり戸惑ったが、デュノアの申し出を受ける事にした。差し出された手はとても小さく細かったが、心強かった。

 

「見送りが無いと言うのも寂しいね」

「平日だからな、仕方ない」

 

 医師の話によると、強い光で網膜を痛め2度と物を見る事は叶わないのだそうだ。痛みはだいぶん引いたが、それでも日光の様な強い光が染みこむと痛み出す。時間と共に治まると言うので暫く我慢する他は無い。

 

 治療を考えたが、ドナーは簡単に見つからず、義眼は成長期故に使えない。主流の治療方法であるナノマシン処理は、視神経が脳に近くIS適正に影響を及ぼす可能性があったため辞退した。どのみち手術など悠長な事など言っていられる立場でも無いから問題は無いと言えば無い。手にするのは痛み止めのみだ。

 

 ディアナさんは私が失明していようとお構いなしで、日常生活程度IS無しで過ごしなさいと、何時もの様に無茶を言ってくる。お陰で部屋の間取り、何が何処にあるか大体分かる様になった。まったくあの人らしい、そう思うと笑みがこぼれた。

 

「思い出し笑いする人はイヤラシイんだよね?」とデュノアが酷い事を言うので「デュノアに言われたくない」と答えた。

 

「なんでさ?」

「あの日、一夏とナニしてたんだよ?」

 

 あの日とはもちろんデュノアが"君"から"さん"へと変わった日の事だ。彼女の中では一夏との大きな出来事であったのだろう。直ぐさま察しを付けた様で、握る手に力が籠もり、じんわりと汗もかき出した。

 

「あれはねっ! 男の子同士なのに着替えの度に外に出るのは怪しまれるかもしれない、そうすると一緒じゃないと駄目だよねって、一夏もそうだって言ったんだよ、ちゃんと背を向けてたし、変な言いがかりはよして欲しいな、僕はそんなに軽くないんだ、第一あれは事故なんだよ事故、足が引っかかちゃって、転んじゃったんだよ、そしたら一夏に見られて、恥ずかしくって、思わず声を出しかけたらさ、一夏ってば飛びかかって、口を押さえてきて、あぁどうしよう、このまま襲われちゃうのかな、責任とって貰わなきゃって、でも僕思うんだ、子供は3人が理想だよね、名前はどうしようか、日本名とフランス名が混ざると兄弟喧嘩の原因に―」

 

「済まなかった」

 

 何処まで続くか興味もあったが、周囲の視線に痛みを感じ始めたので謝った。暫しの沈黙。分かってくれれば良いよと、彼女はすたすたと歩く。こういう娘だったのかと、人と理解し合うのは難しいものだと改めて思い知らされる。今後上手くやっていけるかどうか不安も募る。とはいえ、

 

「デュノア」

「なにかな」

「宜しく頼む」

「うん、まかせて」

 

 この成田空港もそうであるように、部分展開すら許されない場所は多い。その都度デュノアの助けが必要と言う事だった。

 

 

-----

 

 

 チェックイン・カウンターを通る直前、真と呼ぶ声に彼は振り向いた。その女性は彼にとって最初の黒の人だった。戸惑う彼に、息を切らしながら彼女はこう告げた。

 

「蒼月。お前の帰る場所は学園だ。それだけは忘れるな」

「……肝に銘じておきます」

「ならば良い」

 

 

 他に乗客が見えない旅客機の中"ソファー"で慣れた様にくつろぐシャルルは隣の真にこう聞いた。

 

「織斑先生なんて言ったの?」

「羽目を外すなってさ」

 

 

 息を切らしたセシリアがロビー到着した時、彼女が窓から見た物は空に浮かび上がったエール・フランス機だった。

 

「そんな……」

 

 彼女が手にしていた樫の木箱が音を立てて廊下に崩れ落ちる。呆然と、だが今にも泣き出しそうなその異国の少女に視線を走らせる人々。

 

 

 騒然とした空気の中、一夏は静かに歩み寄る姉の姿を見た。彼女が何時もの姉である様に振る舞っていると、そう気づいた。

 

「オルコット、織斑。ここで何をしている」

「……千冬ねぇ、真とどういう関係なんだ?」




次回予告"シャルロット・デュノア"


1ジャブ。


2012/09/15
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