俺は自分が嫌いだった。憎かった。皆を巻き込んでしまう、見知った人を苦しめる、それが堪らなく恐ろしかった。
夕暮れの学舎の屋上で心に刻まれた少年の言葉。
"守れないとは考えない"
"絶対に諦めない"
"だから、お前も守ってやる"
とても眩しかった、とても貴く感じた、とても羨ましかった。俺よりたった一つ下の少年の言葉。俺にも出来るかもしれないと思った。俺にも出来ると思った。
底から見上げ、掴み取ろうと伸ばした手は、自分の手で断ち切った。
俺は消えるべきだった。
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目を覚ますとただ暗く、何も全く見えなかった。棺桶の、土の中に居るのかと思い両手で宙を掻いた。頭と背にある柔らかい感触、被せられているのは布、ベッドの上に寝ていると気がついたのは、死にかけた獣のうめき声に気づいた後だった。自分の声だ。
"あぁそうか眼は見えないんだっけ"頭を掻こうとした左手は何時まで経っても掻いてくれなかった。その時何かがおかしいと訝った。そもそも俺はソファーで寝ているはずだ。ベッドではない。
それに、これは薬品の臭いだ、金の人はもっと懐かしい匂いだった。身体が何かを巻かれているようで動きにくい。右腕を動かした。右腕の肘窩、ひじ関節の内側に何か針のような物が刺し込まれていた。鈍い痛みが走る。チューブが繋がっているようだった。
状況が把握出来ず、当たりを見渡した。居るはずの人が居ない。
「ディアナさん?」
返事は無く、僅かに動かしただけで右手が痛む。ゆっくり針を引き抜いた。そのまま左腕をさすると二の腕の途中から無かった。突き付けられた様に脳裏に蘇ったのは、砕け散った女の最後。名前と身体の重みと匂いしか知らない女の最後。
「夢じゃ無かったか」
「調子はどう?」
意図無く漏らした言葉に返ってきたのは、重苦しい言葉だった。
「ここは? どれだけ寝てた?」
「丸一日寝てた。知り合いが経営してる病院だから安心して……今更説得力ないかな」
ゆっくり眼を右に動かすと、夜の中に浮かび上がるその人影は柔らかい色を放っていた。何時からそこに居たのか、歩み寄ると血が漏れ出す右腕に何かを巻き始めた。放つ色が僅かに暗い。
デュノアはもう一度調子はどうかと聞いた。
「痛みは感じてる、俺は生きてるのか」
「うん、生きてるよ」
「そのまま放っておいてくれても良かったのに」
「そんな楽な道は駄目だと思うね」
何時もの少し掠れた落ち着いた言葉だったが、突き刺さらんばかりに重かった。
「デュノアはディアナさんに似てるな」
「そうかな?」
「容赦ないところなんかそっくりだ。フランスの人は全員そうなのか?」
「大怪我してる時ぐらい憎まれ口は止めてよ、怪我人にむち打つ悪趣味は持ってないんだから」
俺は小さく詫びると、掛け布団を取り去った。服をくれないかと聞いた。彼女は慌てた様にまだ寝てないと駄目だという。俺は受け入れる訳には行かなかった。
「長居しすぎた、怪我人を怪我させる訳には行かない。直ぐに出る」
「……何処に行くのさ」
「何処でも良い、人が踏み入れない山の奥、海の底、何処でも良い」
「呆れたね、それ単なる自暴自棄だよ」
「巻き込まれる人に同じ事言ってみろよ。俺が居なければエマは死ななかった、違うか?」
手探りでロッカーを探し当てるまで数分。扉の中は焦げ臭かった。沈黙を守っていた彼女が口を開いたのは右腕だけを袖に通した時だ。
「なら、少し付き合ってくれないかな?」
「何故?」
「是非会わせたい人が居るんだ」
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「飛ぶよ」
オレンジの鎧を纏った少女の腕に抱かれ、病院の屋上から飛びだった。リヴァイヴIIは保護フィールドを俺に被せ、俺に夜の世界を見せる。見上げるフランスの夜空には分厚い雲が敷き詰められていて、見下ろせば闇夜を照らす人の灯火が見えた。
眼下に広がる夜の町は、呵責に悩み悲嘆にくれる、亡霊が住う永劫の場所の様だ。俺はその光景を見て、夢うつつの中で聞く様な言葉でこう呟いた。
「あたりは夜よりは明るく昼よりは暗く、前方の視界はわずかしか利かなかった」
「だが雷の轟きもそれに比べれば物の数でもないような角笛が一曳、高らかに響き渡った」
ゆっくりと朗読するように続けた少女は少し笑っていた。
「第30歌だったか?」
「31歌だよ、夜景を見てそれを謳う真の心はコキュトスの様に凍てついているね」
デュノアがウェルギリウスで俺がダンテか。フランスに来てからと言うものの、母親のように振る舞うデュノアと子供のように手を焼かせる俺、余りにも出来た配役だった。
「少し遠いんだ。飛ばすよ」
「あぁ」
音を追い越さんばかりのリヴァイヴIIに揺られる事30分ほど。距離にして約400km。俺たちはスイス、ドイツ、フランス3国を跨ぐかって町だった其処に降り立った。其処は一面野原で何もない。草木すら生えない場所だった。至る所にガラスの塊が見える。埋まっているそれは藻掻く人の頭にも見えた。
デュノアはハイパーセンサーを残し鎧を解除、俺の手を引き歩き始める。足場が悪く、何度か躓いた。
「ごめん、余り近いと失礼なんだよ」
誰にだ、そう言う前に小さい丘を越えた。そこから見えたのは、大地に刻まれた無数の墓石。其処は死者の眠る場所、墓地だった。ある石には一つの名前が刻まれ、ある大きめな石には複数の名前が、所々ある巨石には名も知れぬ死者を慰める言葉が刻まれていた。虫の音すら聞こえない。風すら無かった。だた2人の生者の息づかいだけが聞こえた。
デュノアは黙って手を引き続ける、一つ左に曲がって、立ち止まる。視線を下げると名が刻まれていた。
"ミッシェル・アジャーニここに眠る"
跪く金髪の少女は祈りを上げると、感じ取れないほど小さく、
「僕を産んだお母さんなんだ」
と言った。私は声を震わせながら何故と聞いた。俺がここに立つ意味も理由も無かったからだ。問いに答える少女は顔を上げる事無く、何かに誰かに許しを請うように跪いていた。
「真」
「……何」
「僕は元々黒髪だったんだ。ここに眠ってるお母さんと一緒の黒い髪だった」
俺は何も口にせず隣に跪いた。ただ頭は垂れなかった。
「ナノマシン事件知ってる?」
「……デュノアお前、被災者か?」
「そう。僕は昔この町の外れに住んでいた。今から10年前、ちょうど僕が5歳の時かな。今でも良く思い出せる。家の近くの広場で友達と遊んでいたんだ。その時突然サイレンが鳴って、地面から真っ黒な雲と真っ赤な雷が幾筋も幾重にも吹き出した。ただ呆然としていたら大地が揺れて穴に落ちた。その穴から見た物は、青い雷だった。天国が壊れて落ちてくるのかと思うほどだった。
気がついたら身体が半分ほど埋まっていてね、泣いていたら対疫装備の軍人に救助された。遊んでいた友達は皆死んでしまったけど、僕は一命は取り留めたんだ。病院で検査受けてる途中驚いたよ、だって髪が金色になっていて眼も碧くなっていたんだから。
仕事で町を離れていたお母さんは無事で、直ぐ再会出来た。お母さんは凄く泣いてた。この時の僕は再開出来たから、色が変わったからだと思ってた、でもそれだけじゃなかった」
俺は逡巡の後、頭を垂れ、組んだ両手を胸に当て微動だにしない少女にこう聞いた。
「カテゴリー3のナノマシンに感染したんだな」
「うん。髪の毛と瞳の色が変わったのは、感染による因子変化による症状だよ。そしてもう一つ、僕は赤ちゃんを産めなくなった。ナノマシンが細胞に食い込んでゲノムを変化させたんだ。プラズマ弾頭の余波で死なずにナノマシンだけ破壊されたけど、生殖機能自体が失われた。僕が中性っぽいのはそのせい。お陰で器官摘出はされなかったけれど良いのか悪いのか分からないや。
ある時から薬を飲み始めた。お母さんは必要なものだととしか言わなかった。それがホルモン剤だと知ったのは12歳の時。おかしいと思ってたんだ。妊娠出来る証が一向に来なかったから。
僕はお母さんを問い詰めた。そして真実を知って非道い情緒不安定になった。何日も泣きわめいて散らかして、塞ぎ込んで、それを繰り返して。お母さんを責めた。どうしてこの町に引っ越したのか、どうして僕はこんな目に遭わせたのかって。僕は銃を持ちだした。そしてお母さんを誤って撃ってしまった……真」
「何」
「どうして僕が今でも銃を持っているか分かる?」
「自分を苦しめる為。罰を与える為。それが自分の許しだから」
「真なら分かると思ったよ」
「それで笑っていられるのか」
「新しい家族が出来たから」
保護観察処分中に、伯爵がやってきてデュノアを引き取った。事件は当時大々的に報道され伯爵の知るところになった。デュノアの生みの母はもともと伯爵のボディーガードだった。優秀な彼女は長く務め、愛情が芽生え、関係に至り、デュノアを身ごもった。もちろん許される事では無く、彼女はそのまま姿を消した。
「今のお母さんはとても厳しかったよ。部屋に籠もっていたら無理矢理表に外に引っ張り出して家の手伝いをさせたんだ、容赦なかった。でもずっと離れなくて側にいてくれて、抱きしめてくれて、キスしてくれた」
俺はもう一度頭を垂れた。十時は切らなかった。頭を垂れる以上の事は出来なかった。俺には死者を悼む、その資格がない。
「シャル。酔った伯爵が言ってた。方々探したってさ、忙しい合間を縫って自分でも探したらしい」
彼女はやはり小さく笑うと、俺の手を取り立ち上がった。俺をほんの少しだけ引っ張り上げてくれた。月明かりを浴びて笑みに影が差す、見上げるその少女は俺の右手を強く握りしめている。
「お母さんは血を流しながら僕を抱きしめて、ごめんねと繰り返して亡くなったよ。どうして恨んでくれなかったのかって苦しんだ事もあった。でも今なら分かる。それが僕を守ってきた、今生きている祈りの言葉だった。枷だった。だから、こう言うよ。
真、君は生きなくちゃいけない。学園に皆の所に帰らなきゃいけない。
ここではデュノアでは真を守れない。織斑先生にもそう言われたんだよね?」
「聞こえたのか」
「ううん、あの時の織斑先生、ディアナ様と同じ目をしてたから」
「そう」
「もう一度言うよ。真は帰るべきだ」
その少女は泣いていた。手を血で汚しそれでも立っていた。君と俺は違う、そう言う事は簡単だった。けれど右手を掴む、か細い指は暖かかった。心臓が一つ打鳴った。
「分からない、シャルの言う事は俺には分からない」
脚に力を入れる。大地を踏みしめた。今度は見下ろす其処に、夜の少女は静かな墓地で静かに佇んでいた。
「けれど帰るよ」
「……良かった。苦しい思いをした甲斐があったよ」
「すまない、辛い事を思い出させた」
「違うよ」
「何が?」
「同じAB型で良かったってこと。もう帰ろう。これ以上騒ぐと寝ている人達が起きてしまう」
シャルに手を引かれ夜の空を見た。小高い丘の上。月を背に黒髪の白いワンピースのあの少女が佇んでいた。あのパイロットに、俺にとって最初の黒い人に瓜二つのその少女は、その少女は怒りも憎しみも無くただ憐憫を浮かべていた。
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空から降り注ぐ雨粒の中、フランスで知り合った人達の顔が見える。シャルの実の母君に挨拶したその翌日、改修作業を中断してまで俺は急遽帰国する事になった。ジャンさんが言うには、"俺に何かがあれば無条件に帰国させる"そう言う取り決めだったらしい。
今彼は研究所で虚さんと引き継ぎ作業の真っ最中だ。彼は中途半端な状態で引き渡すのを非常に悔いていた。組み終わり最低限の確認をしただけ、胸のみやはそう言う状態だ。もっともハイパーセンサーが使えるだけでも有難い。
目の前に居るのは濃紺のスーツ姿のデュノア伯爵だった。初めて会った時のように鋭い表情だがその気配は明らかに消沈している。
「今回の不始末はデュノアの私の責任だ。出来るだけの事はしよう。困った事があったら何時でも頼って欲しい」
俺は静かに頷いた。エマは10年来のメイドだった。夫人は今全員の身元確認に奔走している。伯爵もここに居て良い筈ではないが、彼の誠意は十分だった。彼は俺の左腕を見つめた後こう付け加える。
「良いかね、君が撃たなければ君が死んでいた」
「もちろん分かっています」
握手をした後伯爵に抱きしめられ別れの言葉を交わす。隣に控えていた老執事にも声を掛けた。彼はご武運をと言った。軽く頷きタラップに脚を掛け、チャーター機に乗り込んだ。
右隣にはシャルが座って居る。俺はフランスに残れと、家族の側に居ろと言ったが彼女は応じなかった。代表候補だからね、と言った後シャルは"ディアナ様に報告しないと"と付け加えた。俺に何かあったら覚悟しなさいと脅されたらしい。帰ったら早々にシャルの弁護をしなくてはいけない。
扉が閉まるとエンジンの音が高鳴り、窓の風景が流れ始める。見送る伯爵に会釈し挨拶をした。
「帰ろう」
「あぁ」
機が大地を離れ舞い上がる。全てを失ったフランスは雨に濡れていた。
原作ヒロインズの中で最大の独自設定となったシャルロットですが如何でしたでしょうか。
"中性っぽい容姿"からの設定展開です。
とある方からコメント頂きましたが、シャルが真を子供のように扱ったのはこの理由からでした。
色々世話するうちに子供が欲しいという願望を真に重ねたんですね。
ともかくシャル、お疲れ様。
真はまだまだがんばれ。
劇中登場の"カテゴリー3ナノマシン"に関しては今後の日常編で説明予定。もしくは黒ウサギ。
話の流れ上、説明を入れると違和感がバリバリで入れませんでした。
なんかYabeeナノマシンだと思って頂ければ差し支えないです。
【アンケート】
宜しければアンケートご協力下さい。
お題"真のハードラック度合い"
勝てないけど強いし、女の子に酷い事してるし、チートだし~
1.まだ足りぬ
2.こんなもんじゃね?
3.ヒドス
もっとも私とて初期設定や話の展開上180度変えられないのですが、
少し気になりました。
2012/09/29
【注意】以下シャルネタバレ上等の方専用。
シャルの子供産めない設定ですが、救済処置があります。
キーワードはナノマシン汚染、ゲノムを弄った、輸血、真の機械親和性です。
時期的には最後あたり。