1組の谷本癒子は掲げた右手の平をどのようにして下ろそうか頭を悩ましていた。おはようと声を掛けたは良いものの、彼は腕を組み微動だにしなかった。瞳は下がり気味で時折溜息をつくのみである。
シャルロットと真がフランスに旅立ち5日過ぎた6月最後の月曜日。この日は真がみやの装着試験を行う日に当たる。
一夏は、心中にわだかまる彼自身理解出来ていない感情を、持て余していた。M襲撃の際戻れなかった事、千冬と真の関係、シャルロットと真の突然の渡仏。他の全生徒と同じように彼もまた一連の経緯を聞かされていなかったのである。
(結局、真には会えなかったし、シャルは言えないの一点張りだったし、千冬ねぇも鍛錬に励めで誤魔化すし……)
一夏は面白くねぇと机に突っ伏した。そんな一夏を見つめる1組の少女たちは教室の隅で囁き合っていた。
「織斑君重傷だね、溜息ばっかり」
「男の子2人居なくなっちゃったしねー」
「でも変だよ。ディマ君は挨拶があったけれど蒼月が、」
「突然消えてもう10日か。流石に不安になってきた」
「変だと言えばセシリアもだね」
席に腰掛けテキストをめくる彼女の瞳は覇気なく虚に見える。
「退学って噂、本当かも」と真剣な表情だが言葉の節々に軽さを交える岸原理子。
「そう言う事言うんじゃないの」と理子の頬を摘み、引っ張るのは鏡ナギ。
「織斑先生が何時も言ってるでしょ"言葉に出すと無意識に引っ張られるから止めろ"って」これは金江凜(かなりん)だ。
「ごみゃん~」
「みんなこれ見て!」と彼女らに慌てて駆け寄るのは癒子であった。手に持つタブレットを突き付けると、彼女らはその意味を理解するのに時間を要した。映し出されているのは学生名簿一覧である。
「蒼月の名前が消えてる……」
ナギが慌てて口を押さえたのは一夏と視線が合ったからだ。彼は腰を浮かせ立ち上がり掛けた姿勢で止まっていた。俺はどうしたら良い、彼女には一夏がその様に見えた。
-----
教室の窓から見える空は憎いほどの快晴である。1組副担任である山田麻耶は、彼女の受け持つ生徒たちを前に1つ大きな息を吸った。日に日に高まる生徒からの静かなプレッシャー。今日も大丈夫だと自分に何度も言い聞かせた。
何時もの笑顔で「皆さんおはようございます。織斑先生は会議で遅れていますが、先にショートホームルー」言い終わる前に「真耶先生!」一夏に腰を折られた。
「ひゃぃ! 何ですかっ! 織斑君!」
「真が名簿から消えてるってどういうことですか!」
「それは部外秘でっ!」
「それはもう聞きました! もう10日です! いい加減白状して下さい!」
驚き怯え、電子ボードに張り付く真耶を、一夏は腕で逃げ場を塞ぐよう詰め寄った。鼻先には眼を釣り上げる一夏が迫る。真耶は半泣き状態である。
「今日という今日は答えてくれるまで逃がさな―」
「教師に敬意を払えこの馬鹿者」
鈍い音が響く。一夏は頭を抱えしゃがむと、即座に立ち上がり千冬に詰め寄った。
「千冬ねぇ! いい加減教えてくれよ!」
「織斑先生と呼べ馬鹿者が」
鈍い音と強く押しつけられた音。その後に何かの軋む音が教室に響いた。それは教卓に、押しつけている弟の反抗の音、教卓に腕を立て起き上がろうとしている音であった。15になってようやく反抗期か、千冬は呆れと喜びを織り交ぜながら心中でそう呟いた。見渡せば彼女の受け持つ1組の女生徒全員が、固唾を呑んで見守っている。
(早く気づけあの馬鹿者が)
フランスにいるもう一人の少年に愚痴をこぼすと千冬は1つ息を吸いこう言った。
「そんなに聞きたい事があるなら答えてやろう、言ってみろ小娘共」
制止しようとした真耶に手を振り制止する。千冬の会議とは、部外秘解除を確認する会議であった。最初に手を挙げたのは2つお下げの少女。
「蒼月君が学生名簿から消えているのは何故でしょうか」
「学生では無くなったからだ」
千冬の回答に教室中がざわめくと別の少女が問い掛けた。
「退学、という事ですか?」
「学園を退くという意味では誤りだな。蒼月はある事情で学生では無くなったが、別の形で籍を置く事になった」
聞いてねぇ、事情ってあの事かよ、そう言いかけた弟に彼女は力を加え機密だと付け加えた。
「彼との接点は、今後どのようになりますか?」
「無論生徒では無いので授業は受けない。寮も出る事になる」
「もう会えないのでしょうか」
「寮への立ち入りは許可される。その時にでも会えるだろう」
「何時戻るのですか」
「臨海学校後の予定だ」
もう良いな、と千冬の声を遮ったのは1つの挙手だった。
「なんだ、オルコット」
セシリアはゆっくりと立ち上がる。左指を机に宛がい僅かに傾げた首、眼も細い。
「生徒で無いならば学園、いえ日本に居る理由も無いかと思いますが、何故籍を変えてまで学園に居続けるのでしょうか」
「蒼月は今後諸君をバックアップする立場となる。世界で2番目の男子適正者と言う事実は変わらない。従って学園を離れる事はあり得ない。質問の時間は終わりだ。織斑、席に戻れ」
「学園? 言い間違えておりませんこと?」
「終わりと言ったぞセシリア・オルコット。山田先生、授業を始めて下さい」
大きな音が響いたのはその時だった。扉を力一杯開けた様な大きな音が隣から響いた。1組の少女たちが見た光景は、涙を浮かべ廊下を走り去る静寐と、彼女を追いかける鈴の後ろ姿だった。
(静寐……)
箒は追いかけようと浮かせた腰を下ろした。それは箒が抱いている静寐への背信行為故であった。
-----
「どうして止めなかったんだ!」
「アタシも知ったばかりって言ってるじゃない!」
月明かりの下、箒と鈴は第3アリーナに向かい駆けていた。日も暮れ、夕食の時間も終わり、何時まで経っても戻ってこないルームメイトの静寐を探しに行くか、そう逡巡していた箒は、慌ててやってきた鈴に連れ出された。2人が向かうアリーナには、薄い明かりと2つの機動音が響く。それは彼女らが、この学園に身を置く者であれば忘れようにも忘れられない音だ。
(いくら何でも早すぎる!)
箒の叫びは静寐に届く事は無かった。
フィールド上のエネルギーシールドで守られた退避エリア。その中で、本音が不安を交えながら見上げるのは、対峙する2機の訓練機だった。打鉄とラファール・リヴァイヴである。アリーナの照明は落とされて、漂う空気は纏わり付く程に濃い。かって鈴と真が行った夜間戦闘訓練と状況は同じだが、端まで見渡せた。頭上から静かに射し込む朧の光、天には丸い月があおい光を放っていた。
高度50m。リヴァイヴを纏う静寐が問う。
「少し驚いた。リヴァイヴで来ると思ったのに」
打鉄を纏うセシリアが答える。
「フランス製は余り好きではありませんの」
「(高度50m、距離100m、相対速度ゼロ、敵機との方位角180度つまり、ガン(眼)の飛ばし合い真っ最中。無手で両の手を腰に据えている。ブルー・ティアーズならともかく殆ど搭乗経験の無い打鉄なら量子展開も不利の筈……欺瞞? この距離ならアサルトライフルかサブマシンガンだけれど)」
静寐はセシリアの態度に不審を抱き、埒があかないと揺する事にした。右手に掲げるサブマシンガン"FN Pi90"を握り直す。
「ハンデ追加のつもり? 重装甲の打鉄はセシリアに向いてないと思うけど」
「必要だから選んだまでですわ。それよりもご自分の心配をなさったら? 低光度状況下での戦闘など荷が重いのではなくて?」
「今更」
「違いない、ですわね」
「その言葉使わないで」静寐の瞳が光を帯びる。
「私は気に入っておりますの」セシリアは僅かに笑みを浮かべた。
それが開戦を告げる喇叭の音だった。
静寐は左側下方向に急加速。重力を使い加速の足しにする。真下に降りなかったのは高度の損失を防ぐ為である。フィールド極では大地に阻まれ移動方向を1つ失う。
敵機の右側に回り込めば、右脇でストックを固定する銃の特性上、追尾するしか無い。砲台の様に回ればそれこそ的だ。どちらにせよロックオンされる前に位置を確保する。そう予想した静寐は、右肩を襲った20mmの衝撃に心中で悲鳴を上げた。姿勢が乱れ左方向へロール。フィールドが右に回転する。
(RWRの警報が無い! なんで!?)
静寐がハイパーセンサーを介して知るセシリアは、移動もせずに狙撃銃を展開、照準を合わせていた。
IS戦において敵機の索敵・追尾・照準を司る装置は2つある。
一つは防御。RWR(Radar Warning Receiver)とはレーダー警戒装置の事である。敵機が自機を探索・追尾する為に発する電波を受信解析し、ロックオンされているかをパイロットに知らせる装置だ。
もう一つは攻撃。この索敵・追尾する装置を火器管制レーダーと言う。照射し敵機に反射され戻ってくる電波を解析し、敵機の位置と移動方向・高度を知る。この情報はFCSを介しISコアに送られ、自機の姿勢制御もしくは四肢を動かし照準の補正を行う。
戦闘機に長らく使用されてきたこの装置はハイパーセンサーとFCSを跨ぐ一機能として、火器を扱うISには必ず搭載され、必ず使用される。アリーナにおける真ら専用機持ちの平均相対速度は音速を超え、その距離は200m程。これ程の速度、これ程の近距離に於いて、人間の神経速度では間に合わない。
だがセシリアは当てた。天賦の才と積み重ねられた鍛錬。静寐の速度が260kmと言う比較的低速とは言え、新幹線と同速度帯で移動する的を狙えるのは、彼女の射撃能力を裏付けるものだろう。
静寐は姿勢を正し、手に持つ7.62mmサブマシンガン"FN Pi90"を握り直す。
(これが才能? これが越えられない壁? ……そんなの認めない!)
加速、時速300km、右旋回。7Gが機体に掛り、安定しない機体を必死で押さえ引き金を引く。撃ち出された弾丸は、セシリアを掠める事無く通り過ぎた。
-----
セシリアが初撃を手動で狙撃を行ったのは奇襲の為、動揺を誘い状況を優位に運ぶ為だ。その目論見が上手くいかなかった事に僅かな失望と感動を覚えていた。
静寐との方位角と交差角を読み、次の狙撃を計画する。セミオート20mm狙撃銃"アキュ〇シー・インターナショナル社 AS5〇i"スコープ越しのリヴァイヴは、背後を取ろうと高G旋回、ブレイク・ターンを続けていた。
純粋な機動力ならリヴァイヴが上回る。これが鈴や真であれば回り込む事も可能だったろう。だが遠心力と射撃の反動、機体の重心を中心とした機体制御に加え、機動計画とその実行、索敵・射撃。今の静寐には無理難題であった。事実撃ち出されるサブマシンガンの弾はどうにか牽制になる程度だ。
(待ち構えて狩るなど無粋ですわね)
だが例え誰であろうと、困難があろうとも引く訳には行かない。申し込まれた決闘ならば尚更だ。セシリアが尤も得意とし誇りを持つ狙撃で、勝負を付ける。その為の打鉄だった。重装甲故に質量が重く、外乱に強い。機動力を除けば、訓練機の中で最も狙撃に向く機体だった。
打鉄、リヴァイヴを追尾開始。火器管制レーダー起動。セシリアの意識にリヴァイヴの機動情報が浮かび上がる。ブルー・ティアーズより雑で遅かったが、十分だった。
リヴァイヴは、上昇・下降をランダムに繰り返しつつも、被弾面積を最小にする為に決して正面と背後を見せなかった。
未熟ながらもよく研究している、何よりこの状況に於いても冷静さを失っていない。セシリアがトリガーに指を掛けたのと、リヴァイヴが身を翻したのは同時だった。
自棄になったのか、それにしては静寐の気配に乱れは無い。セシリアは彼女自身の迷いに気を取られた。7.62mmの弾丸が襲い来る。一定範囲に弾をバラ巻く、サブマシンガンの特性上、瞬時に回避行動を取るが間に合わず被弾。
静寐は進行方向に背を向け発砲し続けていた。つまり背面の進行方向と正面の射撃方向を同時に見ていると言う事だ。人間の脳は一方向しか見えない構造となっている。ハイパーセンサーでは全方向を見られるが、正面以外はタイムラグが生じる。視野は狭いが実戦レベルにまで静寐はそれを昇華させていた。セシリアの予想を上回る彼女の武器である。
(この短期間で見事ですわ!)
(驚くのは早いから!)
少女の思いが交差する。
-----
セシリアは離脱のため左旋回。スラスターを最大に吹かす。リヴァイヴは大きく上昇し、相対速度を下げ打鉄を回り込ませた。高位置を確保し打鉄を照準に捕える。
この機を逃さないと静寐は身体を左に捻り、高位置からの重力を併用した旋回・加速、反時計回りのバレルロール・アタック。サブマシンガンの引き金を引いた。
降り注ぐ弾丸の雨。セシリアは、打鉄の装甲とエネルギー残量、サブマシンガンの集弾率、威力を計算し、被弾を踏まえ地上30mをランダムな回避行動に移行する。
リヴァイヴの攻撃が止んだ。残弾ゼロ。弾倉交換の隙を狙い急激上昇、側面を静寐に向け狙撃銃を構え、迎撃体勢、カウンターを狙う。セシリアの予想に反しリヴァイヴは兵装の量子交換する事無くサブマシンガンを投棄、腰に取り付けていたグレネードランチャーを構えていた。
(判断を早まりましたわね!)
セシリアがそう判断したのは、グレネードの射出速度が遅く、射程距離が短い為である。基本的に牽制か敵の足を止めてからの、止〈とど〉めにしか使わない。距離80m。セシリアは人差し指に力を加える。
だが撃ち出されたグレネードは榴弾では無かった。雷の様な激しい光と巨大な音。保護機能が働き搭乗者を保護するが、僅かに遅れセシリアの意識が遠のく。静寐が撃ち出したのはフラッシュバン(特殊閃光音響弾)だった。
リヴァイヴは最大加速、左腕のシールド・ピアースを掲げる。安定しない機動のなか杭を撃ち込み穿つ。炸薬音が第3アリーナに響いた。幾重にも張り巡らした静寐の計画の切り札は、セシリアの右肩を掠めただけだった。
「あ……」静寐はどうしてと身体を弛緩させた。
「SASで対テロ訓練を受けた事もありますの。鷹月静寐さん、貴女に敬意を」
セシリアは眼を閉じたまま、20mm狙撃銃を静寐の腹部に当てていた。複数の銃撃音と衝撃が身体に響く。力無く墜落する静寐が見た物は、敗北を告げるリヴァイヴの報告と、夜空に浮かぶ蒼い月、それを立ちふさがる様に佇んでいた金色の少女の姿だった。
-----
人間は強い光と音を浴びると思考が麻痺する。フラッシュバンにより敵を一時的に麻痺させ、奇襲する。これは対テロ部隊のセオリーだ。これだけでは無い。スピード、奇襲性、打撃力。ISの稼働時間もスキルも射撃センスもセシリアに劣る静寐はこれら対テロ部隊の概念をIS戦闘に持ち込み、シャルロットの手ほどきを受けながら、独自の戦闘スタイルを模索していた。
静寐の敗因は代表候補ならばそう言う訓練を受けていてもおかしくは無い、という想定不足であるが、決定的であったのは勝利を目前に生じた焦りと未熟な操縦技術、余りにも経験が、時間が足りなかった。
静寐は本音に抱きかかえられ泣いていた。本音は泣かなかったが"その時の訪れ"を嘆く様に身体を振わせていた。セシリアは何も言わず立ち去った。
駆けつけていた鈴はしゃがみ込むと、労りの言葉を紡ぎ、気遣いの静かな笑みを浮かべた。涙に濡れる静寐の声は震えていた。
「鈴、私ね。勝てると思ったんだ。あのセシリアに勝てると思った。でも最後の最後で自分に負けた」
「静寐はよくやったわよ。入学して3ヶ月の静寐が代表候補に手を掛けかけたんだから。そうね、あと半年あれば最後の攻撃は成功してた」
「半年なんて待てない、待てなかったの。真は生徒で無くなる、セシリアを追い越す事が出来なくなる、私は隣に立てなかった……」
箒は何も言えず只立ち尽くしていた。俯き食いしばっていた。ほんの数歩先に嘆き悲しむ友人が居る、何も出来ない。寄り添い抱きしめる事が出来ない。2人の悲しみを分かち合う事が出来ない、救う事が出来ない。彼女の心の奥底を蝕む裏切りと言う名の小さな楔が邪魔をする。
(私は2人の友人などではなかった)
箒が踵を返したのと、本音が顔を上げその名前を呼んだのと同時だった。彼女の声は震えていた。
「本音、済まない。私はここに居られない」
「箒ちゃん、私たち箒ちゃんにお願いがあるの。とても意地悪なお願い」
本音は、頷いた静寐をみると、その願いを言葉にした。黙って聞いていた鈴は眼を伏せ、逃れる様に立ち去った。箒はたた立ち尽くしていた。
「ごめんね、2人で決めたの。箒ちゃんにとっては辛いよね。でも箒ちゃんにしか頼めないんだよ」
「私は出来なかったから、本音にはできないから。だから……お願い、箒」
本音と静寐の言葉が鐘の様に重く響く。アリーナに籠もっていた戦闘の熱が冷める頃、箒は静かに頷いた。
箒は髪を結ぶ緑の結い布を切り裂くと2人に渡し、静寐はヘアピンを2人に渡し、本音は髪飾りを2人に渡した。ここに誓約はなされ、3人は別の道を歩む事になった。