朝
紡がれた鋭い刃の様な意識は、周りの樹木や鳥や虫を怯えさせた。
学園の敷地には緑が多く最外層は竹林もある。その竹林に囲まれた人目付かない薄暗い場所を、その意識は陽の光の様に煌々と照らしていた。有る者はそれを剣気と呼び、有る者は闘気と呼ぶだろう。
白い道着に黒い袴、漆黒の髪を結ぶ黒い結い布。その少女は静かに佇む。呼吸を整え構える彼女が手にするのは日本刀であった。
真剣"緋宵"
刃は清水の様に澄み透り、平地は霧の様につかみ所無く、刃紋は聞こえぬ音を拍っていた。刃渡り2尺3寸(約70cm)と長さは凡庸だが一回り細い刀身で、強度に劣るが軽さに優れる。刀匠・明動陽が妻の為に打った、女剣士の為の、速さの為の刀である。
鳥の音、獣の音、虫の音一つしないその場所で箒の双眸が捕えるのは1本の竹。右足を前に刀を正眼に構える。龍の口、人差し指と親指は開き、握る事は無く、中・薬・小指でしっかりと柄を握る。右足を前に左足を後ろに、両の指を上げ、足指の付け根と踵で身体を支える。一つの呼吸のあと、箒は見開いた。意識が爆ぜる。
僅かに刀を掲げ、蹴り出した踵は槌の如く、踏み込んだ足は水面を走る帆船の如く滑らかに、上肢は疾風の様に鋭く振り下ろした。刃が走る瞬間、身体の芯を乱さぬ様、足腰の関節を瞬間僅かに緩め、身体を大地に沈み込ませる。流れる水の様に、足腰の紡いだ力が肩腕手を介して刀身に宿る。静かな雷光。
箒が身を正し鞘に収めたあと、1本の竹は逆袈裟に崩れ落ちた。
その太刀筋は剣道全国大会どころではない。世が世なら剣豪として名を馳せる事も可能だったであろうその少女は、居合を終えると深い溜息をついた。
(やはり駄目だ、身体に染みこんだ型がIS操縦の妨げになる)
沈痛とまで言っても良い程の彼女の悩みはISパイロットとしての技能だった。武術は流派問わず足腰が基本。足腰の力を、身体の重みを、上肢に一滴漏らさず伝え技と成す。IS戦闘において彼女の熟練度が逆に妨げとなっていた。
つまり空には大地がないと言う事だ。ISの操縦自体に問題は無い、逆に異常なほど扱いに優れる箒だったが"空中での戦闘"は分が悪く今では静寐にも手こずるであろう。
"一夏と異なり普遍的な剣術の修練を積んだ箒"が、人類史上初めてのISによる剣術を成すには膨大な時間が必要となる。専用機を持たない箒にとっては致命的だ。
役目を終えた竹のなれの果てを見捨てると、背を向け寮へ歩き出す。その足取りは重苦しく終始俯いていた。
(静寐は己を見定め受け入れた。本音は布仏としての務めを受け入れた。その2人から託された思い、私がこの有様では今度こそ2人を裏切る事になる……断じて否! 真の言葉を思い出せ! "受け入れた上で新たな付き合い方法を模索する" 私だけ逃げる訳には行かない!)
私は誰だと、私は誰の妹かと、己に問い掛ける。どれ程否定しようともその事実は変わらない、箒は頭を上げると歯を食いしばり歩みを強めた。その瞳に宿るのは決意の灯火である。今まで憎み疎んじ避けてきた姉に挑む時が来た、彼女はそう拳を握りしめた。
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真がみやの初飛行終え、虚らと打ち合わせをしたあと、寮の私物を鞄に幾つか持ち出した。一夏の部屋に立ち寄ったが留守で、替わりに寝起きのシャルロットに挨拶をしてそのまま後にした。彼女はフランスでの一件、戦闘のダメージと輸血、日本とフランスの往復が祟り、未だ回復していなかった。
彼がディアナの家に戻った時には陽も落ちていた。無人の部屋で彼が端末に触れると起動し、ディアナからのメッセージが再生される。
『今日は遅くなるから食堂で夕飯を済ませなさい』
彼は湯で汗を流し黒のTシャツとハーフパンツに着替えると、持ち出したゼリー飲料で夕食を済ませ、食器棚からグラスを二つ取り出した。それは円筒形状で、飾り気の無いシンプルなグラスだった。手探りでソファーに腰掛けそれをテーブルに置き、紙袋から高さ20cm程の日本酒を1本取り出した。それは彼がアパートから寮に引っ越す時持ち込んだ物で、ベッドの奥底に隠してあった3本のうちの1本であり、入社当時に蒔岡宗治から贈られた物だった。
両膝で瓶を挟み蓋を開け、グラスに注いだ。一つは対面するソファーの近くに置き、もう一つは手元に置いた。彼は身体を折り曲げ、右腕を両膝を橋渡す様に置き眼を瞑る。一つは真の物、もう一つはフランスで情を交わした女の物である。
天国など無い、地獄など無い、魂など無い、死ねばそれで終わりだ。だが、去った人に向かうのは別だ。彼の心に流れるのは渡仏初日に初めて会った日の事、居眠りしていた時起こされたときの事、デュノア邸の宛がわれた部屋での世間話、手を引かれ屋敷内を案内された事、何も見えない世界で感じ取った香りと温もり、そして血の臭い。
きっかり2時間経ったあと彼は眼を開けた。その光を失った黒い眼に後悔は無く哀悼の色を浮かべていた。
(もし、もし魂があって地上を彷徨い誰かに取り憑くならそれは俺だろうか。それとも他の誰かかだろうか)
「それは誰への物だ」
聞き慣れた黒の人の声に彼は答えた。
「俺が殺してしまった人です」
「償い?」
聞き慣れた金の人の声に彼は答えた
「弔いです」
いつの間に戻って来ていたのか、彼が身体を起こし右を向くとダイニングテーブルに腰掛ける2人が居た。ディアナはテーブルに組んだ両肘を置いていた、向かい合う千冬は足を組み、右肘を立て頬杖をついていた。2人とも笑いもせず、怒りもせず、ただその眼を彼に向けていた。
「引け目は感じていません。俺はそう言う人間ではありませんし、彼女もそう言う人でした。ただ、」
ただ、なに? そう聞いたのはどちらだっただろう。
「ただ彼女の最後は俺だったんです」
真は左腕を擦り、遠いグラスに視線を落とした。
(Mはエマを全てを捨てたと言っていた。だが俺はそうは思わない。最後の最後まで俺に向けていた憐憫の碧い瞳、あれはMに無かったものだ)
ディアナはゼリー飲料の空を咎め、千冬は真の耳を引っ張るとテーブルに引き寄せ、簡単な夕食を3人で済ませた。サラダは其処だ、卵はそっちよ、とたわいの無い言葉を交わしたあと部屋に夜の静けさが訪れる。時計は午後10時を指していた。向かいのソファーに横たえ寝息を立てる千冬にディアナが毛布を掛ける。千冬の寝顔を見るディアナが真にこう言った。
「最近立て続けだったから、疲れが出たのかしらね。着替えもせず寝るなんて初めてだわ」
「ディアナさんが居るからでしょう。これ以上安全な場所は無いですから」
「真も居るからに決まってるわ。気苦労どれだけさせたと思っているのかしら」
「……そうですね」
「随分素直になったわね」ディアナは笑みを浮かべながら言う。
「そうですか?」真は少し面食らった様に答えた。
「そうよ。前なら"ディアナさんには敵いませんよ"とか憎たらしい事を平気で言ったわね。それよりこっちいらっしゃい、千冬を起こすのは流石に気が引けるから」
彼は頬を掻きながらディアナの元に歩み寄る。ディアナはテーブルに腰掛けた真を見るやいなや、吹き出し笑う「何か飲む?」と聞かれた彼は仏頂面でココアと答えた。
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かちゃかちゃとキッチンから水洗いの音が響く。その中で彼は白のブラウス、ライトグレーのパンツにエプロンを纏い家事に勤しむディアナの後ろ姿をじっと見ていた。もちろん彼が見るのは暗がりに浮かび上がる金の人影である。
力が余っているから俺の世話をする、それにしては少し行き過ぎじゃないか、そう思案に暮れていた彼は不意に不思議なイメージに包まれた。その部屋はもう少し殺伐としていて、枕元には大型の自動拳銃があり、短い金髪の女性が同じように背を向けて立っていた。
目眩。その声に彼は引き戻された。
「じろじろ見るのはマナー違反よ」
「見えませんけど」
「見てるわね」
そうですか、とソファーに戻ろうとした彼は
「千冬も駄目。寝顔見たいなんていやらしいわ」
その声に憮然とし腰を下ろした。
「あなたが言いますか」
「この私を捕まえて良く言うわ」
通じない会話に含まれた多くの意味。自分の揺らぎを感じた彼はそれを振り切る様に迷っていた問いを口にした。千冬が寝ている事を確認した上での事だ。その気配に彼女は僅かに眼を伏せる。
「ディアナさんは千冬さんと付き合い長いんですよね?」
「聞きたい事ははっきり言いなさい。回りくどいのは嫌いよ」
「駆け引きは好きだと思ってました」
「相手によるわ」
ならと彼は居住まいを正す。
「千冬さんに妹は居ますか?」
かちゃり、ディアナは手を止めた。彼が言っているのは2度襲撃してきた"M"と呼ばれる少女の事である。幾たびも彼の心に現われた血に汚れた少女。そして千冬。この3人はよく似ていた、特にMと血だらけの少女は瓜二つだった。流れる水の音が止まる。
「何故かしら」
「俺を襲ったISのパイロットが千冬さんによく似ていたんです」
「……私の口からは言えないわ」
「そうですか」
「でも、」
彼が千冬を振り返り見たのは、ディアナが振り返るより僅かに早かった。千冬を見つめる彼を見て彼女は悲しみを浮かべる。
「私にその権利は無いけれど、千冬にも一夏にもそのことを聞かないで欲しい」
「……権利義務でディアナさんの願いを考える訳無いでしょう」
(血だらけの少女、M、織斑千冬。偶然か?)
ディアナに何時もの笑みが戻り、真が振り返った。
「ほんとーに。私は我慢強くなった物だわ。忍耐力許容力部門でノーベル賞狙えるわよね」
「訳が分かりません。ついでに声が大きいです。千冬さんが起きますよ」
「この娘1度寝るとただの物音程度では中々起きないのよ」
「……なら何故呼んだんですか?」
「この程度の権利はあるわ。それより千冬をベッドに運んで頂戴。真はソファーよ」
訳が分からないと困惑しつつ、彼は自分の腕を見る。俺には無理ですよと顔を上げた彼にディアナは呆れた様に言い放った。
「簡単に諦めない」
静かな寝息を立てるその人は猛々しさも雄々しさも無く、身体を丸め緩い握り拳は鼻先に、年相応どころか少女の様に眠っていた。側に立つ彼は助けを求めディアナを見たが、彼女は楽しそうに見るだけだった。
暫しの思案のあと彼は右腕を背に添えて、抱きかかえた。身体を反らし気味に千冬を支え、耳元に寝息が聞こえる。予想外の軽さと柔らかさと暖かさに彼は戸惑った。
「そうそう、千冬って抱きつき癖有るから」
「は?」
「離さない様にね、その娘も苦しんでるわ」
突如回された腕にバランスを崩し、ベッドに倒れ込む。何とか逃れようと藻掻く真をみてディアナは深い溜息をついた。
(……私って本当にこう言う役回りなのかしら)
「あの、助けて欲しいんですが」
「勝手にしなさい」
("最後の人"か……ベアトリス様(シャルの義母)のプライベートナンバーまだ生きてると良いけれど)
もう夜も更けていた。
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「新しい朝が来た~♪ 希望の朝がぁぁあぁぁぁあぁ♪」
あーなんかもやもやする。俺は自室でいつか覚えた妙な詩を口ずさみ、のたうち回っていた。こう胃袋をぎゅっと掴まれた感じ。もちろん掴まれた事は無いけれど。因みにもちろんベッドの上だ、念のため。
今日は土曜日で通常なら午前の授業があるのだがトーナメント前で休みになった。本来ならば皆がそうで有る様に訓練に勤しむのだけれども全く手に付かない。静寐は対策を練るとかで朝も早くから図書館に行った。図書館には専用端末があって全生徒のデータが公開されている。セキリュティの関係上、部屋の端末から見られない物もあるから人気で、皆ペンを持ちせっせとノートに書き写しているのだそうだ。こう言う用途ではタブレットは使い難いそうで人気が無い。"未だ人類はペンを越える道具を生み出してない"って誰かが言ってた……そうだ束さんが言ってた、たぶん。俺はもちろん付き合うと静寐に言ったのだが「邪魔だからトレーニングしてて」と切り捨てられた。因みにシャルは追跡検査で昼まで戻らない。
もやもやの理由はもちろんあの阿呆だ。くっそー。昨日屋上で会ったのに色々あって捕まえ損ねた。はぁと溜息が出る。窓から覗くその光景は明るい太陽と青い空、皮肉なほど晴天だった。鈴は怒るし、静寐には怒られるし、溜息が出る、2度目だくそったれ。
「朝飯にしよう」
腹が減っているから、もやもやの原因は気分が悪いからに違いない。そう思い、のそりのそりと扉を開けると目の前に鈴が居た。思わず眼が合った、ぱちくりと瞬き一つ。鈴は何時ものではなく赤紫のTシャツとデニムショートパンツだった。ツインテールでは無く首元で一つに結っている。
お互いに硬直したまま声が出ない。何故なら鈴と俺は喧嘩中だからだ。もっとも静寐に言わせると俺が一方的に悪いらしく、鈴が落ち着くまで話し掛けるなと釘を刺されていた。
だが、目の前に居るなら話は別だろう。俺は手を上げおはようと声を掛けた。鈴はぷいとあからさまに目を逸らされ逃げ出した。怒っていますオーラ全開だ。暫しの思案の後俺は鈴を追いかける事にした。逃げていても解決は出来ないし、逃げるのも性に合わない。
「あのさ鈴」
「話し掛けんな」
にべもない。ずかずか歩く鈴の後ろ姿を追いながら、俺は腕まくりをし腹に力を入れた。もちろん比喩だけどな。こうなったら徹底抗戦しかない。
「怒ってる理由教えてくれって」
「怒ってない」
これが怒っていないなら怒りはどれだけ凄いんだよ。俺らの歩調が徐々に早くなる。ふと思えば、鈴の機嫌が悪くなったのは真の話になってからだ。だからこう聞いた。
「真となんかあったのかよ?」
推理にすらなっていないがビンゴのようである。鈴はぴたりと歩みを止めて振り返った。先程までの怒りはどこへやら、鈴はふふんと挑発的な笑みを浮かべていた。
「気になる?」
「べ、べつに」
思わずどもってしまった。鈴の笑みにどこかしら妖しさを織り交ぜていたからで、去年の、いや転校した直後の鈴とのギャップに面食らったのだ。そう言えば真が女の子は成長が早いとか言っていた様な気がする……またむかついた。
「ふーん、そう。なら教えてあげない」
「やっぱり教えてくれ。この通り!」
と両手を合わせてお願いするも。
「い、や」
鈴はつんと素っ気なかった。大量のSAN値(sanityの略、正気度)と引き替えだったのに、このやろう……
ぴくりぴくりと波打つ腹の底、何時もこうだ、真を思い出すと腹が立つ、衝動的になる。なんでだ。苛立ちが手に宿り、鈴の腕を掴もうと伸ばした手は宙を切った。あれ? 気がつけば僅かに鈴の身体の位置がずれていて……見切られた?
「あっらー織斑君暴力は行けないんだー♪」
「くそっ待て鈴!」
「速くても直線的な一夏に捕まる訳無いからねー♪」
手を伸ばすと躱される、回り込もうとするとすり抜けられる、空を切る俺の腕は音まで立てるが、何時までやっても捕まえられそうに無い。捕まえたと思ったらいつの間にかずれているのだ。改めて鈴の体術のレベルの高さを思い知らされた。というより猫だとおもう。
しばらく鬼ごっこを続けたあと、俺はぜえぜえと息を切らしていた。鈴はそんな俺を見てだらしないとけらけらを笑う-"捕えた" あ、と鈴が言ったのは俺が腕を掴んだからだ。もちろん息を切らしたのは演技。鈴の顔がみるみる赤くなる。
「こんなのインチキじゃない! この馬鹿一夏! 離しなさいよ!」
「勝負は勝負! 話して貰うぜ鈴! もう離さねぇからな!」
いつの間に勝負になったのか俺も知らんけど。飛んでくるのは蹴りか掌底かはたまた頭突きか、括った腹は肩すかし。腹なのに肩とはこれまた如何に。そして意外な事に、鈴はぽかんとしていた……なんか変な事言ったか? と俺まで呆けてしまった。その瞬間パッチーンと左頬に鋭い痛みが走り、気がついたら鈴を部屋に逃がしてしまった……フェイントだったとは不覚。周囲で女の子達のひそひそ声が耳に付き俺は急いでその場を後にした。
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「まことーおはよー」
「おはよー」
「まこりん、おはよー」
「まこりん、やめー」
「蒼月ごっつあんです」
「おはよ、奢らないぞ」
「「「ぶー」」」
真は久しぶりの柊の食堂でコーヒーを飲んでいた。聞き覚えのある声と聞き慣れた声に朝の挨拶を返す。黒いプリントTシャツに迷彩のハーフパンツを纏い、首の糸傷、左頬の切り傷、閉じられた眼、欠けた左腕。隠す事無く彼は佇んでいた。
彼に奇異の眼を向ける者は居なかった。理由は二つ。立て続けに起こった事件は少女たちの心を大きく揺さぶり、また真の死亡説まで流れていたため評価基準がズレ、大事だと認識していない者が多かった為だ。大事件は、それが霞むほど重大な事件が起こったとき霞んで見える、と言う事だ。もう一つは、憑き物が落ちた様な真の姿を見ていると、まぁ良いかと思う少女が多かった。
彼が座るのは食堂の角席で、手に持ち向かい合うのはタブレット、情報端末だ。その画面が人に見られない様に壁を背に座る彼は、タブレットの情報を読んでいた。
彼は決して指を動かしていない、ただ持っているだけである。にもかかわらず、タブレットは彼の意思に応じて必要な情報をネットワークから読み込み彼の手を通して直接伝えていた。"機械と相性が良い"彼がそう呼んでいた機械に対する特性、諸般の大問題がある程度片付き、一息ついた彼はその問題に改めて取り組んでいたのである。
何らかの情報処理能力を有する機械、これを直接操作出来る。ただしその機械が持つ能力の範囲を超えない、直接触る必要がある、これが彼の能力の、彼の認識だ。
例えば電卓の場合。操作する事無く手にするだけで数字を入力しその計算結果を知る事が出来る。これは有する仕様、能力のみに限られ、この場合キーに示された数字計算記号以外入力出来ず、また計算させる以外の操作は出来ない。ただし注意しなくてはならないのが、人為的に能力を制限された機械はその限りにあらず、と言う事だ。
かって閉鎖された第2アリーナへでのロック解除、江ノ島での自動車のイグニッション、フランスでのIS外部操作はこれに起因する。彼は目を開き静かに細めた。
(こう言う事か。俺がISを動かせるのもこれが原因だと見てまず間違いない。みやの奴知ってたな……なんでこんな事が出来るのは見当も付かないけれど)
人並み外れたという意味では千冬もディアナも、そして一夏も同じだが、そう彼は静かにタブレットをテーブルに置いた。額に指を2本添える。
(だが、みやのスラスターと故障していた旋盤(工作機械)の修復はどう関係する? 操作と修理は別物だ)
身を起こし、コーヒーカップを手に取った。カフェインの匂いが彼の意識を刺激する。
(それはそれとして、直接触らないといけないってのは不便だな。高速機動中のISに触れればどうこうする前に一瞬で腕が吹き飛ぶ……不便? 冗談じゃ無い、核弾頭並みに厄介だぞ、これ。直接触れる事さえ出来れば、世界中のコンピューターを支配下に置く事が出来る。バレればどこかの怖い黒服に抹殺されかねない。誰かに言う事はもちろん、おいそれと使う訳にもいかない……これを知っているのは……Mだけか)
デュノア社とフランス軍の調査ではMの遺体もISの残骸も発見されなかった。彼は彼女が言わないと考えた。全てを捨てたMとってそれに価値は無く、有るのはただ一つ。真に興味を持ったのは、Mと同じだからだった。2つにならない。
(あのフランスでの襲撃から6日経つ、世間にリークするにしろ、誘拐するにしろ、何らかのアクションを起こすには静かすぎ、時間がありすぎる……千冬さんによく似た、血だらけの少女と同じ顔、きっとまた会うな)
Mは全てを捨てたと言っていた。転じて、かっては普通に持っていたと言う事だ。
(俺は彼女を救うべきか? シャルにセシリアにディアナさんや千冬さんが俺を救った様に。いや救おうとするべきだろうか。それとも"するべき奴"がどこかに居るのか?)
だが、少なくとも。次に彼が一人で会えば戦闘は避けられないだろう。
(Mと俺の実力は伯仲、少なくとも今の俺では無理か……)
歩み寄る堅い気配に真は顔を上げた。
「よう、このくそったれ」
「品が無いぞ」
彼の黒い眼が捕えるのは、腕を組み複数の感情を織り交ぜた、仁王立ちの一夏だった。濃紺のTシャツに黒のハーフパンツ姿で立っていた。
「品が無いと来たか。フランスで何にかぶれて来やがった?」
「俺がかぶったのは後にも先にも一夏の後始末だけだ。立ち話も何だから座れよ」
牙を剥き笑みを浮かべる一夏に真は涼しい顔である。彼は一夏を促し、向かい合える位置に身を滑らせた。目の前に一夏が座る。コーヒーを一口すすり真が言う。
「最後に会ったのは江ノ島に行った日だから大体2週間か。改めて、元気そうでなにより」
「はん、それでけ減らず口たたけるなら遠慮はいらねーな」
「一夏が遠慮した事なんかあったか?」
「日常茶飯事だぜ」
「良く言う」
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柊の朝の食堂の片隅に座る2少年。数名の少女たちがそれに気づきある少女は駆け寄ろうとしたが、別の少女に止められた。漂う妙な気配、緊張感に気づいた為だった。
「まず詫びを入れる。あの時はすまねぇ」
「あの時?」
「江ノ島でのあれだ」
「……一夏はもう少しさっぱりしてると思った」
「馬鹿にしてるだろ」
「してないさ。それだけか?」
一夏は1つ息を吸い1つ吐いた。
「千冬ねぇとどういう関係だ?」
「教師と生徒」
「嘘つきやがれ」
「何でそんな事を聞く」
「シャルとお前が渡仏するとき千冬ねぇが見送りしてただろ」
「学園の用事で言ったんだ、おかしくは無い。というかお前サボったのか」
「セシリアが渡したい物があるって困ってたからな。それでどうなんだ?」
「何故そんな事を聞く」
「お前、千冬ねぇと話すとき少しトーンが上がるからな。それに2回"千冬さん"と呼んだぜ?」
一夏が言うのはそれは入学式の時であり、一夏を逃がした時だ。一夏は姿勢を崩し、片足であぐらを組むと肘を机に置いた。
「口止めされてる、直接本人に聞いてくれ」
「言えねぇのかよ?」
「そう言う話なんだ。それに本人に聞くのが順番だろ」
「答えてくれなかった」
「済まない」
「なら、聞き方を変えるぜ?」
「あぁ」
「千冬ねぇに気があるのか?」
流し目に鋭い眼光を放つそれは、外敵を警戒する身内の目だった。真はそう言う事かとカップを置いた。
「もちろん、あこがれなら有るさ。天下のブリュンヒルデだぞ。世話にもなってるしな」
「……そういうんだろうな」
「そういうんだ」
「……」
そう言う事にしておいてやる、と一夏は視線を外す。相変わらずの仏頂面だったが、取りあえずは矛を収めた。
(平気で嘘付く様になったな、俺)
人知れず自嘲する真に一夏はたちが悪かった。にやりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「まぁ、八方美人も程々にしておけよ。鈴の事もあるし」
「鈴がどうかしたのか?」
「なに惚けてやがる。お前昨日告白されただろ?」
口に含んだコーヒーが身体の中で逆流する。むせる寸前だった。
「……確認したい、他には?」
「なにが?」
「聞いたの其処だけか?」
「真をボコボコにするとかどうとか」
うんざりした様に真は言う。
「言っておくが、鈴にそのこと言うなよ」
「言う訳無いだろ。"もう大丈夫そう"だから聞くけどよ、どうするんだよ。静寐とか本音とか」
「……仕方ないだろ」
「……おい、この阿呆」
「なんだよ」
「お前まさか、振るつもりか?」
唸る一夏に真は静かにあぁと言った。彼の目の前にはこめかみに血管を浮かび上がらせた一夏が居た。両手をテーブルに置き身を乗り出している。
「鈴は良い娘だよ。だがそれとこれは別だ」
「静寐も本音も宙ぶらりんだな、お前セシリアとは別れたんだろ」
「正確でない表現だが、まぁ合ってる」
「おまえ、ホモか?」
「馬鹿か」
「なら何でだ、変だぜお前」
「一夏に言われたくないな」
「俺はもてた事ねーよ」
「そーだろーな」
「この阿呆が、いい加減身の程を知りやがれ。それとも何か? フランスで彼女でも作ってきたか?」
詰め寄り半眼で睨む一夏に、ぴくりと真の気配が揺らいだ。一夏はそれを見逃すほど、他人に疎くなかった。目を見開き、口を呆けた様に開ける。真は視線を冷えた茶色の液体に落とした。
「マジか?」
「秘密だ」
「シャルか?」
「違う」
「じゃ、誰だよ?」
「……いつか話すよ。時が来たら」
「絶対紹介しろよ。それで勘弁してやる」
「あぁ」
一夏はにやけ、真は静かにコーヒーを飲んでいた。窓から覗くのは朝日を浴びる風景だった。
真・ザ・ハードラック・オン・セカンドステージ、第1弾。
殺してしまった事は戦った結果だと割り切りましたが、けれども男としては別だった。新しい自分を構築した真は、その辺も変わったってことですね。そんな感じです。
最初は無意識、そのあとは意識的に、自己否定に支配されていた真は、誰かと付き合おうと思えませんでした。それが解消されると今度はエマが浮かび上がってきた訳です。
記憶を失ったままの真にとって、セシリアがキーだったのですが、彼女は社会的に貴族、かたや真は凡人。彼はこうしました。仮に一夏だったらどうしたでしょうか?
その一夏の機嫌は千冬の件が解消され元に戻りました。とりあえず、です。因みに、この段階での一夏は3人娘の状態を把握してません。他人の機微に鋭い彼が気がつかなかったのは、千冬と真の嫌疑故です。
今後の予定ですが、トーナメントやガールズを基点に一夏と真の掘り下げを行っていきます。当初予定していたアプローチと異なる為、皆様に受け入れられるか少し不安。
2012/10/20