夢を見た。
1人の少女と1人の男。
少女は、透明だが暗く冷たく、痛い硝子で拵えた揺り籠のなか産まれた。
生命の根源、らせんの糸。それすらも人の業だった。
最初の名は"遺伝子強化試験体C-0037"
自然の営みでは無く人の業で生み出されたその少女は、成長させられた。
ミルクの代わりに栄養剤。
親の腕では無く成長器。
ぬいぐるみを持つ手には銃があった。
世間に知られず成長しマシンチャイルドとして部隊最強となった。
それが少女の存在理由であり、少女が唯一持つ物であった。
その時が来るまでは。
IS適正強化の為に処置されたカテゴリー2ナノマシン"ヴォーダン・オージェ"
処置に失敗し、制御不能となった。
原因は単なる人為的ミス。
常識ならばナノマシンを除去し再処置を施すが、そうはならなかった。
そのナノマシン・メーカーは軍に深いパイプを持つISメーカーでもあった。
理論上失敗はあり得ない。故に、少女に問題があるとナノマシン・メーカーは主張。
失敗を恐れる官僚的構造。
少女を生み出したバイオノイド・メーカーはそれを渋々受け入れた。
少女は失敗作の烙印を押された。
少女は死を待つのみだった。
暗く寒い牢獄の中。
体内を掻きむしる衝動。
息苦しい。
肉と魂を打ちひしぐ絶望感。
扉が開いた。
少女は黒い女と出会った。
その人は真相を知り糾弾した。
"優秀な兵を面子で失うのは馬鹿げている"
立場を忘れ声を上げた。
その時、その少女にとってその黒い女は、最初で最後の人となった。
男の方は忘れてしまった。眩しいそれを全てだと思い込み、それに縋り、己を削り、壊してしまった哀れな男は全て"忘れてしまった"
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気がつくと立っていた。見下ろすと地面に落ちる力強い影法師。強い日差しと照り返す熱。見上げると白い雲と青い空と白い太陽。夏の風景が見えた。両手でひさしを作ると、大勢の木々が2列で行進する様に道を作っていた。緑の葉を盛んに生い茂らせていた。並木道だった。
右を向けばカフェテリア。白い丸い1本足のテーブルに置かれた2つの透明なガラスコップはひっきりなしに汗を掻いていた。
左を向けばベンチがあった。流れる汗を拭おうと、白いハンカチが懸命に働いてた。
人々が笑っていた。
少し歩くと影が差した。そこは緑溢れる樹木の日傘、木漏れ日。
歩く。ゴツゴツと堅い。でこぼこもする。煉瓦道のようだ。
歩く。じゃりじゃりとする。ざつざつとする。砂利か雑草か。すこし道を外れたようだ。
歩く。人の気配が前にあった。小さく細い。香を付けているがちぐはぐだ。強い生き物の匂いがする。恐らく相応に若いのだろう。
その人は小鳥の様な軽やかな声で"また怪我?"と囀った。少女のようだった。だから"まぁまぁだ"と答えた。その少女は"何それ"と笑うと"程ほどにしてよね"と去って行った。徐々に小さくなる。点になる。見えなくなる。
何処に行ったのだろう。学校だろうか。それとも塾か。私もまともに学を修めていたらどうなったのだろうか。そこまで考えて腹が鳴った。今は何時だ? そうポケットを探るが携帯が無い。落としたのだろうか。仕方がない。帰るか。急いで帰らないとあいつがまた怒る。怒り顔も可愛いから少し道草を食うか。帰るか。帰る……どこにだ?
◆
目が覚めた。この表現は比喩だ。何故ならこの眼は見る事は出来ないからだ。意識が現実を認識した、俺の肉体が周囲の状況を解釈した、これらが適当だろう。認識と言っても色を介して雑把な質と大凡の形状が分かるだけだ。色。林檎の赤、トマトの赤、ピーマンの赤、血の赤。同じ赤でも様々だ。生の色を失ってどれだけ経つだろうか。不思議なもので記憶の中のそれは、時間が経つほどに、思い出すほどに色鮮やかになる。
「目が覚めたか」
この色は正しく白。ただの白。こな雪のような混じりけの無い白だった。雲一つ無い蒼天の下、陽の光を浴びてきらきら光る銀世界。ふっと一房の風が吹き、目の前を通り過ぎた一片の、雪の欠片。振り返ればそこに、赤い目と長い耳の、小さな子うさぎを見付けた。眼が合った。
「……君か」
空気が肺に入り込む。血液が酸素を取り込み、身体を巡る。俺はゆっくり身を起こした。シーツを剥ぎ、己の身体を擦りつける様にまさぐる。額、鼻、口、顎、頬に、喉。そして左腕。鼻を突く生物を拒否する匂い。病室は嫌いだ。清潔感と言えば聞こえは良いが、生き物の世界は汚いものだ。
「ご挨拶だな。誰が看病していたと思っている」
「感謝してる」
「ふん。言葉だけでは無く態度でも示したらどうだ」
「君と話していると、君が1人では無く複数の誰かと話している様に感じるよ……何時間寝てた?」
「32時間だ」
「状況を教えてくれ」
「あれは無い事になった」
腕と足を組んでいた逆さ影絵の少女は、こうべを上げると俺をじっと見据え、少しの間のあと唇をゆっくりとだが正確に動かし始めた。
カテゴリー3のナノマシン発動とその制圧。ボーデヴィッヒによるとその事実が余りにも重すぎるため全て学園内で終わらせたそうだ。だから彼女もここに居る。無かった事で拘束は出来ない。
これは俺が持っている機械との親和性、ナノマシンを無効にした原因不明の能力、これが学園に知られたと言う事を意味する。だが隔離もされず一般病棟で寝かされているところを見ると、学園は知っていたのだろう。この学園も学園で本当に底が知れない。俺が知らない俺の事を知っている、そう勘ぐってしまいたくなる。だが、
「念のため確認したい。君は俺が知らない俺の事を知ったのか」
「あぁ。だがお前にいう事は出来ない」
「そうか」
それにしても皮肉なものだ。一度は渇望し、もう不要だと思えば今目の前の少女の中にある。思わず手を伸ばしたくなる。子供の頃欲しかったおもちゃを町のショウウィンドウで偶然見かけた感覚。昔大切にしていたコレクションを偶然発掘した感覚……大丈夫のようだ。この学園に来て3ヶ月。彼女らとの繋がりは相応に太く重い。
少女は雰囲気を緩めると、続けて切り出した。
「第3アリーナは閉鎖だ。建前はトーナメント実施による定期検査。ナノマシンの回収は終わっているが念を入れている。今のところ3日の工程だ」
物が物だけに、慎重になっているのだろう。
「1年生はこのまま臨海学校の準備を行う」
「この状況で実施するのか?」
「無かった事だからな。中止にする理由が無い」
「なっとく。俺のISは?」
「検疫が終了し今はハンガーで整備を行っている。お前の"みや"と私のシュヴァルツェア・レーゲン、そして白式共々な」
思わず口を開けた。余程間の抜けていた表情だったのか、その少女は屈託無く笑う。右手で口元を隠し笑う逆さ影絵は、育ちの良いご令嬢の様に見えた。眼帯は今もしているのだろうか、そう聞いてみたくなった。
「私の機体は学園側に全て知られたから隠しても意味が無い。だがなに。私も専門ではないため手間も省けると言うものだ」
「体裁とかあるだろうに……白式は?」
「余りにも頻繁に壊すので倉持技研が音を上げた。布仏虚が蒔岡の関係者と言う事で上手くまとまったようだ。それと2年の黛薫子から後で出頭しろとの言づてを受けている」
今度は余り壊していないと思う。それにしても第3世代機が一気に2台追加となれば虚さんも大変だろう。整備グループの再編成が必要かもしれない。
「今後の予定を話すぞ。明後日、臨海学校の現地確認を行うから準備をしておけ」
「それはまた急。メンバーは?」
「私たちと山田真耶の3名。ちょっとした遠足だな。お前にとっても気分転換になるだろう」
遠足ね、その単語を聞くのも"何年ぶり"だろうか。
「他に確認したい事はあるか?」
「一夏の様子は?」
「織斑一夏なら……そんな顔するな。もう執着は無い」
「そう願うよ」
「昨日休んだそうだが本日は出席していた一時荒れたそうだが今朝は落ちついていた」
そうか、と俺は頷いた。荒れているなら次手が必要だが一夏は予想以上に大人らしい。それならば、しばらくそっとしておく方が良いだろう。考え悩む時間も必要だ。元の関係に戻れないかもしれないがその甲斐はあったようだ。
「ところで君は一夏に会ったのか?」
「今朝SHRで1年生全員に顔見せをしてきた。どの娘も締まった顔をしていたのは意外だな。もう少しのんびりした連中かと思っていた」
残念そうな声だった。
皆とは同い年と言う事を忘れているのかもしれない。それにしてもこの少女との会話が楽な事。初めて会った時の攻撃的な態度が嘘のようだ。互いが互いの全てを知ったからだと分かっていても、つい物思いに耽ってしまう。
空調の低い動作音が俺らの間に横たわる。思わず頭を抱え俯いた。顔が熱を帯び、汗が止めども無く出る……呻いた。
「安心しろ。プライベートは誰にも話さない」
「……15歳の女の子に知られた時点で被害甚大だよ」
「それはお互い様だろう」
声のトーンが僅かに高い。この少女も羞恥を感じているようだった。生い立ちを考えれば喜ぶべきだが、更に追い打ちを掛けられてしまった感がある。こほんと1つ咳払う。すると少女は続けて妙な事を言い出した。
「言い忘れていたが、目の色が碧色に変わっているから人前で眼を開けるな。どこかのフランス令嬢の様だと騒がれては事だ」
「どうせ見えないから問題ない……は?」
と、そこまで口走りその事実に思わず手を目に添えた。ナノマシンの影響だろうと少女は言う。私もそうだと、少女は平然と言う。変わったのが色だけならば支障は無い、と胸をなで下ろし、俺の中の何が変わったのかと不安をよぎらせた。
「他に何か聞きたい事があるか?」
それらを腹の底にしまい込み、俺は顎をさすると塵一つ無さそうな清潔な部屋を見渡し、有能で綺麗好きな女性を思い浮かべた。
「"レノックス"先生は今どこに居るかしらないか? 報告しないと」
「まだ寝ぼけているようだ。学園にその様な名前の"教師"は居ない」
身体の、心の奥底を見透かす様な少女の言葉。この時の俺はその意味に気がつく事が出来なかった。
◆
どう思う? とシャルは2人に聞いた、可憐な表情が青ざめていた。
時は移り、2限目の休みである。シャルは血相変えて1組2組の、彼女の秘密を知る友人2人を人気の少ない屋上に連れ出した。まずい、と答えたのはセシリアと鈴である。シャルは頭を抱え、机に突っ伏した。あうあうあうと涙する。
シャルの涙は、静寐と一夏の距離である。やむに已まれぬ所用が済み、シャルが慌てて戻った時、彼女の部屋の前にギャラリーの数々。良く聞こえない、ちょっと静かにしなさいよ。何事かと扉に耳を当てれば、聞き取れないが何とも言えない甘ったるい空気。入るには入れず、ずっと部屋の前でやきもきしていた。
「ほら一夏って世話焼きタイプだし、静寐が勘違いするのも無理ないと思うんだよ。やっぱりどこかで言ってあげないと。でも静寐はまんざらじゃ無さそうだし、むねだって僕の方が大きいんだ。一夏だって僕に言ってくれれば何だって―」
「はしたないわよ」
暴走し掛けたシャルに鈴がツッコミを入れる。あうあうあうとシャルが泣く。不憫と思ったのか、早く終わらせたいと思ったのか、セシリアはシャルにこう言った。
「今度の臨海学校で勝負を掛けるしかありませんわね」
「勝負?」
「夏の海では誰もが開放的になりますもの」
アンタその知識何処で入手したのよ、と呆れた様に言うのは鈴である。
「夕日で赤く染まる砂浜は恋人達の揺り籠! 打ち寄せるさざ波は女神の祝福! 空には愛の天使が弓を持って舞う! 寄り添う2人は視線と指を絡め合い……ここまで言えばお分かりですわね? 逆転を狙うにはこの機を逸してはなりませんわ」
「一体どうすれば……」
「まずは偶然を装って2人に割り込み、グループデートに持ち込みましょう」
僕がんばるよ、と手を握り合う金髪の少女2人。めんどくさいわね、とコーヒーをずるずるすするのは鈴だった。
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お互いの呼称と集合場所を確認し、野暮用があるとラウラが言うので一度別行動を取ることにした。そして暫く経った後、とある人たちの様子がおかしいと感づいた。
例えばそこは自宅と言う名の仮の宿。扉を開けると其処に金の人。湯気と香の匂いが鼻を突く。視線が合った。済みません直ぐドアを閉めます、そう言おうと口開く前に「きゃ」と鋭く息を吸ったような、何とも珍妙な音を聞いた。慌てて浴室に駆け込んだその人は、壁に隠れ覗き込む様に「あいやあいや」とたどたどしく言う。
「あなた、いったいなにを、やっているの?」
俺の確認にその人は、首を立てに振り、こくこくと。
「……ただ今戻りましたけど。"ディアナ"さん」
ごん、と彼女は頭を壁に打ち付ける。帰宅を迎える言葉を小さく吐いた後、その金の人は「私馬鹿よね」と呟いた。おばかさんよね? そう言う意味があるのか、鈴に聞いてみよう、そんな事を考えた。
例えばそこは昼休みの学習棟の廊下でのこと。見知った少女たちと挨拶を交わす。おはようと言ってみた。
「もうひるー」と返ってきた。体裁悪く、思わず頭を掻く。
「まこりーん」
「なにー?」
「今度IS操縦おしえてー」
「臨海学校の後でいいー?」
「夏休みー」
「……俺、休み無い?」
「なむー」
黄昏れた。
例えばそこは学習棟の1階で、廊下の向こうから黒の人がやってくる。おはようございますと半ば冗談の意図で声を掛けた。そしたら「おはよう」と視線を逸らし足早に通り過ぎる黒の人……避けられた?
例えばそこは同じ場所。
「……ナニ廊下のど真ん中で泣いてんのよ」
「あいやあいや」
「中国なめんな!」
四千年の歴史。
鈴に首根っこを掴まれずるずると、向かった先の食堂で、相見えるはセシリア・オルコットと凰鈴音。左手に鈴、右手にセシリア、テーブル上に並べられたのはデザートの数々。また財布が軽くなりける。
「ケチ臭い男は嫌われるわよ。社会人」
「鈴だって国からサラリー貰ってるだろ」
「サラリー言うな」
俺たちの何気ないやりとりに、セシリアはくすくす笑い始めた。つられて俺らも笑い出す。この2人がいつの間に仲が良くなったのか、その理由を聞こうと思ったが止める事にした。どうでも良い、切にそう思う。
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昼時を少し過ぎた柊の食堂は、夏の強い日差しを避けんと少女たちで賑わっていた。窓から射し込む太陽光も、遮蔽フィルターが働いている為だいぶん弱い。鈴はアイスコーヒー。セシリアは紅茶。俺は烏龍茶。ストローに口を付け、飲む。臨海学校の自由時間や仕事、流行のファッションやら何処ぞの店が美味いやら、会話の間合いを計り、なんとなしに皆の様子を聞いてみた。
「アタシは何も知らないわよ」と鈴が言う。
「私も知りませんわ」と、セシリアが言った。
2人揃ってドリンクを口にする。皆の様子を聞かれて自分の弁護をする2人、誰かに何かしたらしい。取りあえず先送ろうと精一杯の不審を湛えてシャルの事を聞いてみた。恐らく心配を掛けている、そう思った故だったが、
「「ぶへっ」」
ごほごほと2人が咽せだした。鈴はともかくセシリアはこの様なキャラクターだっただろうか。
「シャルの事は私たち関係無いわよ。よく知らないしー」と馬脚を現した鈴の口をセシリアが手で塞ぐ。おほほ、何のことでしょうと白々しい……俺はゆっくり立ち上がり2人にこう言った。
「なら直接会ってくるよ」
「……今、一夏も居るわよ。シャルはもう怒っていなかったから今度にしておきなさい」
鈴は観念した様に、握り拳で頬杖を突くと俺の様子を覗いながら呟いた。どうやら見透かされたようだ。
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とぼとぼと、夕日で染まる学園の煉瓦道、口をへの字に結んでただ歩く。頭を掻き毟ると、
「むー」
またこの声が出た。それを聞いた道に沿い並ぶ木々ががさがさと笑う。気がかりが怒濤のように増えたのである。箒とラウラが、出来る出来ないと言い争っていた。本音と虚さんが、整備担当がどうとかで姉妹喧嘩をしていた。ディアナさんが千冬さんに、いい加減受け入れなさいと小言を言って険悪だった。
一旦自宅に戻り、下見の準備を済ませ、何食わぬ顔で夕食の支度をするディアナさんに、シャルの様子を見てくると声を掛け、赴いた寮の食堂でこれらの話を聞いた。今ひとつ掴み所が無い上に気にもなる。
シャルは何故か意気揚々としていた。心配掛けたと言ったら、後でねと切り捨てられた。複雑だが元気であれば良しとした。
箒を探していると、ラウラと鉢合わせた。時間が無いからとハンガーへ向かう事にした。喧嘩したのかと、箒に何を言ったのかと、そう聞いてみたが、これが最善だと、俺にとって最も良いと取り付く島もなかった。
虚さんの元に赴けば探すことなく薫子に見つかった。早々に機体を壊した事を説教され、スキン装甲のテストをし、みやを受け取った。世界に光が戻る。このとき白式の影に隠れる淡い栗色の髪を見た。本音は白式の整備補助だと薫子から聞かされた。
「補助と言っても通常整備ならもう任せられるから。まだ3ヶ月なのに信じられないわ」
そう不安と期待と焦りと頼もしさを織り交ぜるのは薫子だった。
「機械は理論だけじゃ駄目だからそうそう追い越されないさ」と言ってみたが、薫子は「あの娘なんか変なのよ」と、何かを感じ取ったのだろうか、警戒と言っても良いほどの堅く抑揚の無い口調だった。
「変?」
「あの娘ISに手を添えてじーっと見つめると、何処がおかしいか大体わかるみたい……変でしょ?」
変と言えば変だが俺は驚かなかった。同じ事をする人物を1人知っている。それはおやっさんと同じだ。成る程ねと、ちらと本音を見る。彼女と眼が合った。彼女はその眼に不信を湛え俺を睨んでいた。身に覚えがない、そう眉を寄せると彼女は苛立ちを隠さず白式の影に引っ込んだ。何故か箒を思い出した。
みや、白式、シュヴァルツェア・レーゲンと並ぶハンガーの中。整備課の先輩方がツナギ姿で右往左往している。その様な中20m程先だろうか。虚さんとラウラが話しているのを遠巻きに見て、俺は噂の事を薫子に聞いてみた。
僅かな戸惑いの後、小声で語る話は僅かに驚く事だった。
第3世代機が2機も増え、他所のグループに応援を求め、新たに3つのチームを作った。当初虚さんは本音が居る第3チームをみやに割り振るつもりだったらしい。みやは軍用機とはいえ第2世代型。訓練機と共通点も多いからだ。ところが、本音がそれを拒否。理由は言いたくないの一点張り。いい加減にしなさいと虚さんが怒ったのが事の顛末だ。
「時間も無いから結局先輩が黒雨、私がみや、本音がシキに落ち着いたって訳。いやもうびっくりしたわよ。あの本音が先輩に噛みついたんだから。逆に私が聞きたい位」
「うーん」
カーキの、軍服姿のラウラがやって来るまで考えてみたものの全く分からなかった。
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ディアナさんの家は奔放な彼女の性格に沿わず、住み心地が良い。玄関の扉を開けると廊下があり、居間兼寝室の大部屋まで続く。左手には6畳程度のクローゼットルーム、トイレ、バスルームと続き、廊下を少し歩くと視界が開け、そこは見通しの良い大部屋となっている。併設されたキッチンはキッチンカウンターで仕切られ、シンク越しに部屋を一望出来た。
フローリングの大部屋にはカーペットが敷かれ、特殊ガラスのローテーブルとソファーが挟むように置かれている。部屋の南にはキングサイズのダブルベッドが置かれていた。
他の教師の部屋は知らないが、色やら質感やら配置やら、ブランド物の家具や小物を上手に使い分け、小まめに片付けを行い、朝はオフィスルームに近い荘厳さを、夜はホテルの様な柔らかさを醸し出していた。彼女のセンスなのだろう。陽が良く入る日本の家屋は家具が傷みやすくて困る、そうぼやいていたのはそれ程昔では無い。
そして今や、実に残念ながら、魔城と化したその彼女の家は俺の仮の住まいでもあった。
「それで、何時まで居座る気かしら。この田舎娘」
「もうろくしたかストリングス。真を解放すれば即座に撤退すると何度言えば分かる」
「解放だなんて、人聞き悪い事言わないで貰えるかしら」
「流石の貴様も脳神経繊維は操作出来ない様だな」
ハンガーを後にして教師マンションまで共に歩いたラウラに部屋は何処だと聞いた時、彼女は俺と一緒に立ち止まった。可憐な笑みを浮かべるその裏には、思惑が渦巻いていた。つまりはこう言う事である。
ソファーに腰掛けローテーブル越しに睨み合う2人は純白のウサギと金色のキツネ。惜しまれる事に2人とも外見と中身が一致していない。
「あのディアナさん、ラウラ、いい加減に、」と言い切る前に睨まれた。俺の左に腰掛けるその金の人は腕と足を組み、何時もの淡い紫のマキシワンピースで、俺を睨んでいた。
「あら? ラウラだなんていつの間に仲良くなったのかしら。いやらしい」
カーキのタンクトップにハーフパンツ。銀の少女は臆面が無い。
「どこぞの誰かと違って年齢は1つしか違わないのだ。問題なかろう?」
「あぁなんと言う事。真、ごめんなさい。私が少し目を離した隙にドイツの小娘に骨抜きにされるなんて」
人聞き悪過ぎです、と控えめに遺憾の意を挙げてみる。
「ふむ、あながち間違っていないな。私たちはお前以上に知り合ったのだから」
ぎちり、と糸の張る音が聞こえた。あぁぁと頭を抱えてみた。
「……鈴の時も怪しいと思ったのよ。貴方って小さくて出る所出ない体型が好みの、異常性癖者だったのね。金髪好きというのは欺瞞? デコイ?」
「都合の良いように解釈するのは愚者の証だな。真は金髪にコンプレックスを抱いているだけだ。勘違いの年増女ほど見苦しい者は無い」
ぽちゃんとキッチンの蛇口から水が一つ滴った。天井に埋め込まれた空調は低いうめき声を上げていた。この今正に目の当たりにしている状況をなんと表現すれば適当だろうか。恐怖では味気ない。絶望では安直だ。戦慄では煽情的。地獄では現実感に乏しい。凄惨では実際にそうなりそうで大却下だ。無力感……これが良い。最もしっくりくる。単語では無く文章で表すならば"声が出ない"と声を大にして言いたい。
「そもそもだストリングス。記憶が無い事を良い事に、有ること無いこと吹き込むなど恥を知れ。卑怯者め」
ぷつりと糸の切れる音がした。くすくすくすと、笑い声を上げる金の人。ディアナさんの金の髪がふさぁと舞い上がる。恐らくは"よくぞ吠えたわこの小娘が"と言いたいのだろう。じきこの部屋に血の雨が降る。ラウラの血の色はどんな色だろうか。赤だろうか白だろうか。
……そうじゃない。
俺は懸想を変えて「そこに居ろ!」と椅子に腰掛けるラウラを指さした。次ぎにディアナさんの腕を掴み、脱衣所に引っ張り込んだ。
「分かったわ、見せつけるのね。そう言うのは初めてだけどやってみます」
「違います! ラウラは故有って自分の記憶に翻弄されているだけだと思うんです! ここは一つディアナさんの大人の対応を……って、服を脱ぎ始めないで下さい!」
壁に押しつけたその人は両親指にワンピースの肩紐を引っかけたまま、ずらしたまま、ぷぅと頬を膨らませていた。首筋から二の腕に渡る曲線が真珠の如く美しい、そうではない。この人が理解出来ない、とそう言いたい。
「よし、そう言う事なら看過できん。私も応戦しよう」とラウラもいそいそと衣擦れの音を立てる。タンクトップの隙間から、瑞々しく光る肢体がちらりと見えた。だから。「ラウラはもう少し常識の理解に努めた方が良いぞ!」と慌てて止めた。
2人を落ち着かせんが為ひとしきり激務に勤しんだ後。ラウラから渡されたのは千冬さんの伝言だった。
『しばらくの間、ラウラとディアナを頼む』
ベッドに横たわるのは金の人。ローテーブル越しのソファーに横たわるのは銀の少女。帳が降りたその部屋は未だ殺気が立ち籠もる。残ったソファーに腰掛けて、俺は窓の外をぼんやりと見た。真の夜明けまでは困難が多い、と星々は言っていた。
「俺、何か気に障る事しましたでしょうか。千冬さん」
二人がぴくりと動いた。
以下、ネタバレかもしれないぼやき
原作ヒロインズの中でラウラの扱いが非常に悩ましかったです。現職軍人で滅法強い、更には強化人間、シュヴァルツェア・レーゲンは軍用機、どう考えても生徒扱いは無理だろうな、と気づいたのは確かシャル編を考えていた時です。
更に登場が遅く、HEROESでは渡仏イベントの都合遅らせるしかありませんでした。原作ヒロイン掘り下げの方針上、シャルとの同時登場は避けざるを得なかったという判断です。原作同様、同時登場ではシャルのイベントと混ざると掘り下げが非常に難しい。もしくは渡仏中に登場すると、その間にラウラと一夏が衝突してしまう為です。
ナノマシンを使った記憶共有によりラウラと和解する、と言うのは強引すぎかと思いましたが、登場人物が増え、関係が複雑化し、話を考えるのにめっさ苦労する中、これ以上なんともなりませんでした。