彼は学園の外れ、人気の少ない竹林で、自身の鎧を纏い立っていた。夜空から静かに注がれる月の光を浴びて、黒い鎧が鈍く光る。一対の翼を持つその躯はただ黒く、面と線で構成されたそのシルエットは戦闘機と言うよりは、翼を持った戦車が相応しい。
今や彼を倒せる者は学園でも数名のみ。その彼を主に持つ"みや"は彼に何も答えなかった。ただ彼の命に従い、戦場を駆る鎧で在り続けるのみである。
物音、虫の音、風のざわめきすら一つ無いその場所で、彼はその現実に打ちのめされていた。みやが彼に示すのは名簿、彼がかって勉学を共にした少女たちが名を連ねている名簿である。
最初は二つのヘアピンで片側の前髪を髪飾る、多少勝ち気な面持ちの髪の長い少女。鏡ナギ。
(知らない)
次はヘアバンドを付けたショートカットの、眼鏡を掛けた少女。桐原りこ
(知らない)
次は肩に掛らない程度に短い、ボブカットの黒髪の、年齢以上に落ち着いた雰囲気を持つ少女。夜竹さゆか。
(知らない)
次は栗毛でショートカットの快活な、鈴と仲の良い少女。相川清香。
(知らない、知らない知らない知らない知らない!)
次々に彼の意識内に少女たちの笑顔とプロフィールが表示される。彼は半数以上を思い出せなかった。
「どうなってる、これ……」
「お前はもう理解しているのだろう。それとも私が言えば良いのか? 記憶が入れ替わっている、とな」
彼の目の前に立つ白銀の少女は、ただそう告げた。彼は思い出すにつれて、今を忘れている。今の彼を形作るのは、彼が発見され経た約1年と3ヶ月の記憶。それが失われている。つまり、
「今の俺が消えて、もう1人の俺になるということか」
「そうだ」
「ラウラは知っていたのか」
「そうだ」
「どうして黙っていた!」
初めて、竹林が戦慄いた。ラウラはただ静かにこう告げた。目を瞑り顔を逸らす彼女の姿は真を苛立たせた。
「人間は自分の記憶が正しいかなど判断出来ない、記憶が入れ替わっているなど言ったところで信じまい、そう易々と受け入れたりしない。それにお前のそれは医学でどうこう出来るものではない。だからみやも何も言わない。私が言ったところでその事実は防げない、意味が無い」
「ラウラ。お前が何を言っているか分かってるのか? それは、」
「自己を尊重しているお前にとって、お前がお前で無くなる事は全てに意味が無くなる、と言う事だ。進む事も、戻る事も、立ち止まる事も。己を研磨する事も、逃げる事も、学園を守り続ける事も。蒼月真にとって全てに意味が無い」
「いろんな人にいろんな事言われたけれど、今回は極めつけだ」
「お前が嘆くのか? お前が織斑一夏に何をしたか考えろ」
彼は俯き、歯を食いしばり、握り手を震わせた。理由はどうあれ真は一夏から奪った。今度は真が奪われつつある。ラウラは真にその権利があるのかと問うていた。
「因果応報か、世の中はよく出来ているもんだ」
「悲劇の主人公を演じる余裕があるなら手を動かせ。お前には務めがある」
「ラウラ程容赦の無い娘もいないな。それを知ってて何食わぬ顔で接していたんだから」
「馬鹿者。私ほど気立ての良い女は居ないぞ。近くの女に辛い事ばかりさせる碌でなしに付き合っているのだからな」
「……聞いて良いか」
「なんだ」
「一つ。俺が取り込まれてからと言うものの、ラウラが俺の近くに居るのは、もう1人の俺に教える為か? ラウラが持っている俺の記憶はあの時までだ。そうすると入れ替わった後に教える人間が居なくなる、だからか。そしてもう一つ。俺が入れ替わったらラウラはどうするつもりだった?」
「一つ目から答えよう。それはおまけだ。これ以上不幸な娘を生み出すのを防ぐ為、が主な目的だ。お前の相手はもう決まっている」
「どういう意味だ?」
「あの娘は想像以上に頑固だった。諦めるように言ったのだがな、恐らくお前が直に言わないと効果が無いだろう」
「答えに成っていないぞ」
「それを言うほど私はお前寄りではない。ただあの娘は近々動く。覚悟をしておく事だ。二つ目を答えよう。何も変わらない」
理解出来ないと真は眉を寄せた。
「お前の力の根源の一つである"意識の線"は、前のお前が積み上げ、会得した技術、これが形を変えて顕れているに過ぎない。お前はそれを借りていただけだ。つまり、」
「対外的には何も変わらないと言う事か」
「そうだ。お前が誰になろうと世界で2番目の男子適正者という事実は変わらないと言う事だ。付け加えるならば、そのお前の方が能力が高い」
「目眩がしそうだよ。人格はどうでも良い、能力だけ必要だって言われているみたいだ」
「何を言っている。今のお前は学園の為にあるのだろう? お前はそれを望んだはずだ」
「都合良く抜き出すな。自己を尊重し、が抜けている」
「ふむ。ならこう付け加えよう。軍人とはそう言う者だ」
「そうか。前の俺は軍属だったのか。銃器の扱いに長けているのも納得だ」
「己の感傷に浸って良いのは新兵だけだ。部隊を預かる将校にそれは許されない。部下の命が掛る時ほど、時間は無く状況は悪いものだ」
時間は少ないがゼロではない。出来る事はしておけ、とラウラは言った。一度も目を向けなかったラウラの心に気付き彼はこれ以上言うのを止めた。
彼はみやが伝える左右にヘアピンを付けた藍髪の少女と、淡い栗色で小動物をあしらった髪飾りで髪を結う少女の写真をじっと見つめた後、そっと画面を閉じた。見上げる空には月が蒼い光を放っていた。気がつけば、虫の音が聞こえていた。
臨海学校1 全力でにやにやを。
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それが右に曲がると皆が左にずれた。それがごとごと揺れると皆はごとごと揺れた。それは道に記された黄色い線に沿ってひた走る。窓から外を見ると暗く何も見えない。ただ前方だけが明るく、徐々に大きくなった。シートに座る少女たち皆が固唾を呑む。眩しい光に包まれた。
「海! 見えたっ!」
車窓に広がる青い海。バスに乗る少女たちが歓声を上げた。臨海学校初日、天候にも恵まれ彼女たちを夏の太陽が祝福する。少女たちはいち早く海を見ようと、シートの背たれ越しに乗り出した。我先にと飛び跳ねる光景は、クッションハンマーで叩きたくなる事受け合いである。別名もぐら叩きゲーム。
千冬の一喝が入る。
皆が乗るバスは天井と側面が無色透明の、継ぎ目の無い硬化テクタイト製でオープンカーの様に眺めが良かった。更に偏光フィルターが設けられ、外部から覗かれる事は無い上に、紫外線も遮断し日焼けする事も無い。
その様な絶景に目もくれず、窓越しに右や左へ蛇行を繰り返す、追い越し禁止の黄色い線をじっと見ていた一夏は、肘掛けに頬杖付いて呟いた。彼の席は最前列である。
「腹減った……」
「呆れた。朝あれだけ食べてまだ足りない?」
彼の左にちょこんと腰掛ける静寐は、一夏が平らげた4人分の朝食を思い出し呆れかえる。
「だってよー。落ち着いたら腹が減ったというか、なんというか」
「もう聞き飽きました。作る方の身にもなって」
「俺も手伝うって言ったし」
「食費の事を言ってます。一夏に任せると量を作るから、材料費が掛って自炊の意味がないの」
「たくさん作ると安く上がるんだぜ?」
「保存出来ないからって何時も一度に平らげるよね」
「あー腹減ったーへったー ……むぐ」
静寐はバッグからお手製の俵おにぎりを手早く取り出すと、一夏の口に押し込んだ。「それ食べて良いから静かにしてて」と彼女は言う。一夏はもぐもぐと温和しくなる。バスの中も静まりかえっていた。静寐がそっと振り返るとそこには、呆れ、やるせなさ、憂鬱、言い換えれば"やってられない"と言う1組2組混合の視線の数々。冷や汗垂らした静寐は開いた口を歪めて、あわあわと。
「ぶーぶー」
「ごちそうさま」
「熱い、熱いわー」
「ねー運転手さーん。冷房強くしてー」
「胸焼ケシマスネ……」
「ねーこのコーヒー、ブラックなのに甘いのー」
違うと必死に弁明する静寐の隣、一夏はもくもくとおにぎりを頬張っていた。自分の為に作って貰うのは幸せなんだなと、ご満悦である。
他の少女たちはというと、鈴はつぐんだ唇を苛立たしげに波立たせていた。セシリアはiPodが演奏するクラシックに興じて何処吹く風だった。そして寝息を立てるのはシャルロット。彼女は諸々の準備で夜更かしをしていたのである。それは別途用意した際どい水着であり、日焼け防止オイルであり、勝負下着だった。思い人との甘い甘い夢に浸っていた。
そして最後尾に腰掛ける本音は隣の箒を心配そうに見つめていた。物憂げな表情に本音の瞳も沈む。
「箒ちゃん、お水飲む?」
「心配無用だ、本音」
ナノマシンの巨人がアリーナに現れた日、寮に戻った箒は意気消沈していた。その原因が本音には察しが付いていた。白式、みや、シュヴァルツェア・レーゲン、3機の稼働ログから箒がその場に居たと分かっていた事から。今の箒の状態から。"私には力が足りない。だがそれは2人との約束と反する事になりかねない。私はどうしたら良い"そう箒の独白を聞いた時から。
真が箒に何か言ったに違いない。どうしてドイツの女の子と一緒に居るのか、真はどうして箒と一緒に居ないのか、どうして放っておくのか、これでは静寐の繰り返しだ。大切な友人である箒をも同じ目に遭わせるのか、本音はそう憤慨しているのであった。
「箒ちゃん、辛いなら無理しなくて良いんだよ。真くんは普通の男の子と少し違うから」
「本音、あの誓いは自分に向けた事でもあるんだ。静寐はもうすぐ乗り越えようとしている、私だけ逃げる訳には行かない。大丈夫、なんとかする」
繰り返し己に刻むように、箒は自分の身体を抱きしめた。かしずく様に黙想する箒の姿に、本音は蒼い空を睨み上げた。その空の彼方、水平線の向こう。黒い雲がたゆたっていた。
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宿に着き、女将に挨拶を済ませ、部屋に入る。水着に着替えて駆け出せばそこは夏の砂浜だった。頭上の太陽が砂を焼き、足を置けないほどに熱い。だが少女たちは夏の一瞬を謳歌しようと、力強く駆けていた。
清香が飛び跳ねると、頭上に掲げた右手を振り下ろし、ネットの向こうにボールを打ち込んだ。ティナは駆け、砂の海に飛び込みボールを弾くが、コート・アウト。
「いぇーい!」
「ナイススパイク!」
清香と癒子がぱんと手の平を打ち合わせる。してやられたとティナが悔しくも笑いながら立ち上がった。ビーチバレーに興じる水着姿の少女たち。一夏はその光景に、顔赤く表情を歪め、言葉を発しない。砂浜を舞う少女たちに彼は一種の緊張を感じていた。
(なんか、目のやり場に困るというか、なんか、気まずい……)
弾む肢体を目の前にて彼は挙動不審だった。
「なんか困る」と彼は呟いた。
「一夏」
「ごめんなさい」
「……」
波の音が遠ざかる。彼が恐る恐る振り向けばそこに静寐が居た。頬を膨らませているが目に表情が無い。然も不機嫌そうである。一夏は膝上まである紺のトランクスタイプ、静寐は淡いピンクの地にブラックのドットが入ったパーカーを羽織っていた。裾から覗く白い足が、健康的かつ艶めかしい。
「いや、違うんだよ。見とれていたとかそう言うんじゃ無くてだな」
「何も言ってません」
「おっかしーなー 昔は気にならなかったんだけどなー」と一夏は明後日の方向を見ながら頭を掻く。その方向には同じく水着の少女たち。静寐は眼を細めた。
「そう、昔から見てたんだ」
「違うって。弾がさ、お前は枯れてるから付いて来いって言うから付いていっただけで、」
「弾?」
「中学時代の友達」
「中学生の覗きなんて世も末です」
「だから違うって。ただナンパしに行こう強引に―」
「そう。ナンパ」
また引っかけられたと頭を抱える一夏。知らないとそっぽを向く静寐。「お二人とも、そろそろ気づいて頂けます?」と言うのはこめかみを引きつらせるセシリアだった。青いビキニにパレオを巻いて、手に持つパラソルとビーチマットがゆらゆらと。二人は白い目の少女たちに囲まれていた。
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「臨海学校中二人っきり禁止!」
「「「賛成ー」」」
というIS学園1年の総意を突き付けられ、一夏はホストとして多々のガールズ班を転々と。静寐は給仕班に引き込まれ、焼きそばを黙々と焼いている。色々思うところはあるが、折角買った水着を披露する機会を逸し、静寐は面白くないと鉄板用返しコテをざくざくと奮っていた。彼女の気配に腰が引けたのか、屋台テントののれんも風の割には温和しい。
それを見ていた癒子が言う。
「静寐って麺類上手ね」
「ありがと」
「あとヤキソバ追加ね」
「ざくざく」
その時、遠吠えのような音が海辺に響き渡った。それは分厚い汽笛のようでもあり、牛の遠吠えにも聞こえた。もしくは魔獣の咆吼が適当であろう。皆が一斉に手を止め振り返った。誰かが岬を指さした。
「何の音これ?」
「岬の向こうから聞こえてくるみたい」
「モ"~ って」
「土煙ガ上ガッテイマス」
騒然とする少女たちに「騒ぐな鬱陶しい」と澄み切った一喝が響き渡る。皆がその声の方を見ると千冬とディアナが立っていた。
「あれは蒼月が実施している装備試験(Avenger:30ミリガトリンク砲)の音だ。10分程度だから我慢しろ」
生徒の試験は明日だが、真は警備の都合上前倒しで初日に行っているのであった。シャルロットはリヴァイヴのテストに立ち会わない訳には行かないと泣く泣く協力し、ラウラは高度1000mにて周回警備している。千冬とディアナは休める時に休むのも仕事だと追い出された。
その2人を見ていた少女たちの思いはただ一つ。玩具(真)で遊べるのかではなく、お人形(ラウラ)の髪を弄りたいでもなく、貴公子(シャルロット)は何処かでも無く、
"なにこの神々しさ"
千冬とディアナの水着姿に気圧されていた。千冬は白のワンピース。首から釣り下げられ広がる白い生地は胸の谷間で大きく開き、腹部からボトムに掛けてVの字に繋がっている。金色のリングで繋がったボトムのサイドからはきめの細かい白い肌が覗いていた。
ディアナは黒のタンキニタイプだが、トップから足下に生地が広がり、さながらロングドレスのようだった。首から回る黒い布は相応に隠しながらも胸元を強調し、海風に煽られスリットから覗く白い脚が生地の黒に強調され浮かび上がる。漆黒の髪と純白、こんじきの髪と漆黒、妖艶さと清楚さ。少女たちは目も虚で、
「人とは思えぬ美しさ……」
「戦乙女と女神だからー?」
「……そう言う問題じゃないよ」
「2人の水着姿が拝めるなんて……私今日しぬのね」
嫉妬と憧憬を織り交ぜ衝撃を受けていた。一夏はどう反応して良いのか分からずに、ただ2人を凝視していた。静寐はパーカーの下に着る黒のビキニはもう見せまいと、一夏の脚を踏みつけた。悲鳴が響く。
鈴は皆から離れた、灰色のコンクリート堤防に腰掛けその悲鳴の主を見つめていた。水着も着ず、タンクトップに折り目の付いたショートパンツ。赤紫のゴムサンダルをあてども無く揺らす。髪を二つに流す黄色い結い布も自信なく垂れ下がっていた。溜息が出る。らしくないと自分に発破を掛けるが、から回る。その鈴の背後から2人の少女が近づいた。
「鈴ちゃん。はい、焼きそばだよ」狐風着ぐるみ姿の本音が差し出した。
「鈴、はいお茶」タンキニタイプ水着の清香がペットボトルを差し出した。
「どうしたのよアンタたち」と鈴は多少面食らったように頭を上げる。
「やっぱり一夏が気になる? だったら無理しない方が」清香が問えば「やーね、そんな訳無いじゃ無い。ちょっと海を見て浸ってただけよ」と鈴は努めて明るく言うと逃げるかのように立ち去った。ちょっと待ってと清香が追う。本音は遠くに涙目でうずくまる一夏の姿に気がついた。
一発の120ミリ戦車砲弾が轟音と共に夏の空を切り裂いた。
臨海学校2
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日も傾き、水平線も赤く染まる夕食時。人気の少ない民宿の廊下を、会場である大広間に向けて1人の少女が歩いていた。纏う浴衣はラベンダーグレイ(淡い青)、パープルの帯を巻き、羽織るどてらはリフレックスブルー(深みのあるこい青)。たなびく長い髪は金色で瞳は鮮やかな碧。セシリアである。
彼女は前が開いている作りの浴衣に面食らい、見よう見まねで着込んだは良いものの、右前左前逆だと偶々通りかかったティナに指摘され、慌てて戻れば帯が綺麗にまとまらない。気配を察知しやってきた本音から指南を受け、何度も鏡を確認しようやく部屋から出てきたのだった。
(多少時間が掛りましたがこれで完璧ですわ。しかし、いざ来てみれば意外と着心地が良いですわね。布仏さんが"ちゃんとした物ならもっとしっくりきて、可愛いのもあるんだよ~"と言っていましたし、今度お店を紹介して貰いましょう。"しっくり"と言う感覚がよく分かりませんが……)
そう廊下の板を鳴らしながら、すたすたと歩いている時である。セシリアの目の前をプラチナブロンドが水のように流れた。ライトグレーのISスーツ、左目を覆う眼帯、ラウラである。
ラウラは流し目を向けてセシリアにこう言った。
「もう食事の時間だ。何をしていたオルコット」
「女の都合ですわ、ミス・ボーデヴィッヒ」
セシリアはラウラに僅かばかりの苦手意識を持っていた。ラウラの二つ名"ドイツの冷水"はイギリスでも裏社会と言う意味で有名である。同い年の15歳にして陸軍少佐。セシリアはラウラが一夏に負けた事実を知らない為、第3世代機の中で実力的にトップと判断している。つまり第3世代機乗りとしてのプライドだった。
そして強化人間。人であって人あらざる者。禁忌の技で生み出された存在に嫌悪感もあった。だが、
「着飾るのも結構だが、代表候補ならそれ込みで時間内に済ませろ。集団行動において時間は遵守するものだ」
セシリアの聞き及んでいたラウラ像と異なり、目の前の少女には随分と理解がある。下手をすれば千冬以上で、セシリアはラウラの予想外の質(たち)に戸惑っているのであった。そしてその纏う雰囲気が彼女のよく知る"目付きの悪い少年によく似ていた" それがとても気になった。
「心得ておりますわ」
「それならば良い」
「ところでミス・ボーデヴィッヒ。貴女は食事をなさらないの?」
「私"たち"には仕事がある。気にせず楽しんでくると良い」
「いえそう言う事では無く、予定を伺っております」
「何故気にする」
ラウラはセシリアの意図が読めず、一瞬眉を寄せたがそう言う事かと合点した。
「"真"なら上空1000mで警備中だ。あと30分ほどで交代するから、逢い引きならその時にするといい。私にも立場があるが黙認しよう。"余り時間が無い"から大事に使う事だ」
「随分と呼び慣れていますのね」
僅かに態度を堅くしたセシリアに、ラウラは再び眉を寄せた。彼女は暫し考えたあと問題ないと判断しこう告げた。
「お前には言っておくべきなのかも知れないな。詳細を言う事は出来ないのだが、真の事は知っている、だからだ」
「……それは、どういうことですの?」
「真の記憶ではお前は聡明らしいが? 私は真の全てを、真は私の全てを知っていると言う事だ。だが安心しろ、私はそう言う関係を望んでいない。屋上で銃を向け合うような、劇的な悲恋に趣味は無いからな」
どうしてそれを知っているのか、セシリアが確認する前にラウラは背を向けた。的を外した悪意無いラウラの言葉に、セシリアの心は激しく揺れ動いた。
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浜辺で思うがまま、気の済むままバカンスに興じた少女たちは、今度は畳の大広間にて夕食に勤しんでいた。学園は文化的側面に配慮して、座敷、椅子とグループで分けられ、更に料理も幾つかに分けられる。
座敷の日本料理グループは海鮮料理。あぐらを掻く一夏は目の前に差し出された赤身の刺身をどうするか考えあぐねていた。味は問題ない。醤油も付いている。わさびの量も申し分ない。問題はその刺身を器用に箸で持つ人物だった。その人物とは彼の左隣に正座するシャルロット。言うまでも無く彼女は彼である。彼女は醤油が垂れないよう左手をすくい形にさしだした。
「ささ、一夏。どうぞ」
彼女は職務により出遅れた分を取り戻そうと、少し暴走していた。周囲の少女たちが固唾を呑んで見守る。付け加えるならば彼女が持つ箸は彼女が使っている物だった。つまりはそう言う事である。
彼は縋るように右隣の静寐を見た。何も言わずもくもくと箸を進めている。彼ははす向かいの、清香の隣で正座する鈴を見た。眼が合ったら逸らされた。箒と本音は2列向こうで背を向けていた。
「ねぇ一夏。余所見するのは失礼じゃ無いかな? 僕はここだよ?」
可憐な笑顔に影が挿す。冷や汗が出る。器用に浴衣を着こなすシャルロットは、何時もは三つ編む深みのある金髪を今は結い上げていた。ほつれるうなじが年齢以上の色香を漂わせていた。
(違う、うん違う。シャルはシャルロットで実は女の子。だから"はいあーん"でも問題なし。問題は皆がそれを知らない事で、幾らシャルが中性的でも端から見れば俺らは男同士。一体シャルはどうしたってんだ……あーでもシャルは面倒見が良いから大丈夫か? いやいやそうじゃねぇ)
一度荒れ、正気に戻った今でさえ、否。正気に戻ったからこそ一夏はシャルロットに気づいていなかった。揺らぎもしないシャルロットの笑顔に、彼は覚悟を決めて口にした。
黄色い歓声と同時に、開いたふすまは大きな音を立てた。近くの少女は何事かと気づいたが、大半の者は歓声故に気づかなかった。苛立ちを隠さず現れたのはセシリアである。
(信じられませんわ! 信じられませんわ! 信じられませんわ!)
ずかずかと優雅という言葉を忘れテーブル席に腰掛けたセシリアを、向いのティナは物珍しそうに声をかけた。手に持つナイフとフォークがちゃりと音を立てた。
「随分とご機嫌斜めですね。セシリア。何かありましたか?」
「何でもありませんわ。ただ自分の愚かさに呆れているだけです」
「そうですか、蒼月君と喧嘩ですか」
「喧嘩ではありません! 愛想が尽きたと言っているのです!」
「水でも飲んで落ち着いたらどうです」
ティナの目配せで、そば耳を立てる周囲の気配に感づいたセシリアは慌てて口を押さえた。周囲の少女たちが一斉に明後日を見る。セシリアは水を飲むと小声で語り始めた。
「私は自分が恥ずかしいですわ。あの様な恥知らずに心を寄せていたなどと……」
「次ぎは食事を取るべきですね。空腹は冷静さを欠きます」
「私は落ち着いています」
「落ち着いている者はそう言いません」ティナがすっとパンの乗った皿を差し出した。セシリアは僅かな間のあと手に取った。むしられるロールパンが悲鳴を上げる。
「それでどうしたのですか」ティナは丁寧に肉を切ると兵隊らしからぬ丁寧さで口を運んだ。何時もの友人の仕草、調子にセシリアも毒気を僅かに抜かれた。
「話したのです」
「何をですか?」
「真が私たちの事をあのドイツの小娘に話したのですわ。きっと私の事を馬鹿にしながら語ったに違いありません……」
ティナは水を口にすると静かに、一言「なるほど」と言った。
「随分と冷静ですわね。もう少し情緒に富んだ方と思っておりました」
「セシリア。貴女はそれを本人に確認しましたか?」
「ミス・ボーデヴィッヒが知っていたのです、それが何よりの証拠」
「それはあくまで状況です。彼が話したという証拠ではありません」
「随分と真の肩を持ちますわね。確か嫌っていたはずでは?」
「もちろん。ですが個人的感情と物事の判断を交えるほど愚かではないつもりです。セシリア、今の貴女のように」
あくまで淡々と語るティナに等々セシリアも頭を冷やした。そのセシリアを見届けるとティナはテーブルナプキンで口を拭きながらこう告げた。
「セシリアが彼と紡いだ時が嘘だと思うのならば、そのまま忘れた方が良いでしょう。その話だけを聞くなら確かに最低です。もっとも私なら問い正してからにしますが」
「真実を語るとは限らないでしょう」
「そうですね、どこかの誰かが織斑君に好意を持っていると3ヶ月近くも自分に嘘をつき続けた程ですから」
「……本当に嫌な方ですわね」
「お互い様です」
2人は同時に食事を終えた。ティナは全てをセシリアは半分食べた。
Avengerというのはアメリカの戦闘機A-10サンダーボルトの機関砲です。その発砲音が正しく魔獣という感じで夜中に聞くとトラウマになる事受け合い。動画サイト等で"Avenger GAU-8 A-10"で検索すると音が聞けますので興味を持った方は是非。でも忘年会の話のネタになりません。