左手で頬杖を突き、右手のナイフをもてあそぶ。皿の上を滑らせるナイフの先をただ見れば、食堂の窓から差し込む昼の光がナイフに映る。
「まことくん、早く食べないとお昼ご飯残しちゃうよ」
「あぁ」
布仏さんの言葉で頬杖を解き、ナイフとフォークを動かす。
決闘から3日経った。あの密度の濃い1週間は終わり、日々の生活は落ち着きつつある。必死の足掻きが通じたのか、決闘のあと柊(1年寮)の少女達は私への態度を軟化させた。多少距離を置く感じは残るが、少なくとも拒絶する者は居なくなった。声を掛ければ、少なくとも返事は来る。白井先輩によれば楓(高学年寮)でも口にする者はもう居ないそうだ。
いつもの5人が居る昼食の風景が、全て終わった事を私に告げた。
ただ一つ、胸に刺さった小さな棘が疼く。
あの金色の髪の少女は今日も1組に居なかった。
いつの間にか手を止めていた私に、右隣の篠ノ之さんがため息をついた。
「心ここにあらず、と言ったところだな、真。オルコットの件はお前が気に病む事では無い。あいつの責任だ」
「気にしちゃいないさ、少し疲れただけだよ」
私の乾いた態度を鷹月さんが咎めた。
「嘘ばっかり。しょっちゅう1組覗いているのみんな知ってるんだから」
「そっか……」
不意に訪れた沈黙の中ただ食事の音が響く。一夏の隣、はす向かいの布仏さんがスプーンを静かに置いた。
「まことくん、セシリアちゃんに勝ってどうするつもりだったの?」
「初めは見返すつもりだった」
「初め? なら今は?」
「ただ謝りたい……けど、どうしたら良いか分からない」
神妙な面持ちで少女3人が唇を閉ざす中、目の前の一夏がいきなり笑い出した。
「何を悩んでいるかと思えば、真、おまえヘタレ過ぎだろ」
「一夏……お前」
勝手な一夏の物言いに私はつい怒気を込めた。
「おぉっと、しみったれた泣き言なら聞かねーぜ。したい事決まってるんじゃねーか。なら話は簡単、一言"ごめん"だ。さっさと謝ってこい」
余りにも簡単に言う一夏に私はただ呆ける。そして3人の少女達は互いに見合うと、一夏の言葉を続けた。
「まことくん、セシリアちゃんの部屋番号は703だよ」
布仏さんは日向のような笑顔で。
「話は決まり。今日の放課後かな」
鷹月さんは苦笑気味に。
「真、男ならこの程度の壁、乗り越えてみせろ」
篠ノ之さんは、むっすりしていたがその気配はとても柔らかかった。
「あのなぁみんな、俺だって人並みに悩むんだぜ」
この気の良い友人4人の物言いに私は力が抜けた。
「じゃぁ止めるか?」
「ったく、人ごとだと思って……行くよ。謝ってくる」
一夏の挑発に私は皆に答える。ここまで背中を押されれば、やらざるを得まい。止めればそれこそ猿にも劣る。そして私は覚悟を決めた。
「しかし理由無いと謝れないなんてお前どんだけ不器用だよ」
「うっせ」
私たちのやりとりに3人の少女達はただ笑っていた。
時計を見ると17時40分を少し過ぎていた。屋上の手すりにもたれ掛かり、大分遅くなった日没を見ながら、海風に身を任せる。私はただ彼女を待っていた。
気の良い友人達に送り出され、彼女に手紙を出したのは1時間ほど前だ。その手紙には短く、口に出せば一言で済む事だけを書いた。そして彼女と私を象徴する物を一つ添えた。散々考え、思いついたのがこれだった。我ながら自分の不器用さに呆れる。
体を起こし、両の足に体重を掛ける。空を見ると金星が光っていた。
「やっぱりだめだった。最初になんて言おうか考えたけど、気の利いた言葉は思いつかなかった。君はどうだ? セシリア・オルコット」
振り向くと数メートル先に彼女が立っていた。彼女は学園指定の制服ではなく、鮮やかなブルーのロングドレスを着ていた。肩が大きく開き、そこから伸びる腕はただ雪のように白かった。彼女は少しやつれていた。メイク越しに眼の隈が見えた。だが、その瞳には力があった。耳を彩る石が彼女の力を引き立てている。
私は彼女が美しいと思った。
彼女は青いヒールで一歩進めると、左手に持つそれを私に投げた。私の左手が掴んだそれはずしりと響いた。
「2挺とも1発だけ込めました。私たちにはそれで十分でしょう」
私が手にした物は38口径のリボルバー。
彼女が手にする物は32口径のオートマチック。
まったく私たちらしい。
私はそれを右手に持ち替えて、手すりから離れる。彼女から6メートルほど離れて立ち止まった。グリップを握る手に意識を込め、左手で襟を正した。
「人払いは済ませて?」
「あぁ。だけど世話好きな友人ばかりでね。余り遅いと見に来るかも知れない」
「その心配は無用でしょう。すぐに済みますわ」
青いドレスの彼女が銃に左手を添え、装填した。ただ静かにその音が響いた。
私は彼女を見据えた。そして頭を下げた。堅くなった彼女の気配に構わず私はそのまま、両膝と両手を足下のコンクリートに付け、銃を置き、そのまま額を下げる。
「どういう、おつもり?」
彼女は声を震わせていた。
私はただ済まなかった、と言った。
「どういうつもりかと聞いています!」
「オルコット、今回君に振るった暴言、侮辱、全て俺の不始末だ。本当に済まなかった」
「な、何を今更! 立ちなさい! 立って引き金を引きなさい! もう他に道など有りはしないわ!!」
彼女が銃口を私に向けた。
「君の事調べた。今までずっと1人で戦ってきたんだろ? その細い体は家を、国を1人で背負っているんだろ? 俺は君のその尊厳を不躾に踏みにじったんだ。許せないのは当然だ」
彼女は小さな息を飲んだ。
そう。彼女はたった1人で戦ってきた。故郷を離れ日本までやってきた。ただその誇りを支えにして。
一夏は良い。第3世代機、ブリュンヒルデを身内に持ち、ブレードを振るう。争ったのはクラス代表という僅かばかりの銘。だが私は違った。誰も知らない馬の骨、第2世代の訓練機を使う、同じガンナーだった。そして賭けたのは彼女自身の誇り。そして私はそれを奪った。
私にショートブレードを弾かれた時、彼女は諦めてしまった。彼女にとってそれは己の存在理由を失いかねない衝撃だった筈だ。彼女のやつれた顔を見ればよく分かる。この3日、碌に食べもせず、寝られもしなかっただろう。言葉など彼女には届きはしなかった。だから私は彼女を挑発した。
"最後の決着を付けよう"この一言を記した紙を彼女に送った。ライフルの弾と共に。
私は彼女に最後の希望を与え、そしてまたそれを奪った。
勝てばそれで済むと思った自分の愚かさに、怒りすら感じる。
私は彼女にただ撃たれる責務がある。
それでも良いと思った。
だが彼女は納得できまい。
彼女自身が掴み取とった物で無ければ意味がない。
真剣に撃ち合えば彼女を傷つける恐れがあった。
これしか、思いつかなかった。
「顔を上げなさい」
ゆっくり体を起こすと額に銃口があった。私は怒りを湛える彼女をただ静かに見た。
「とても不快な眼だわ。真っ暗で死者のよう」
「そういう風に言われたのは初めてだ」
彼女は撃鉄を起こした。
「……貴方は私の怒りが理解出来ると?」
「あぁ」
「その命をもって償いが出来ると?」
「あぁ」
「死が怖くないと?」
「よく分からない」
「何ですそれは」
「あの時、あの廊下がこの状況だったなら、俺は迷わず引き金を引いただろう。だがそれは死ぬのが怖いんじゃ無い。あの人の役に立てないのが怖かった」
「あの人とは?」
「俺が生きている理由。俺が持っている全て。俺が守りたいと欲した唯一人のひと。その筈だった。なんでかな。あの人を裏切ろうとしているのに、今は怖くないんだよ」
私は彼女の蒼い眼を静かに見た。その目は揺らいでいた。
「オルコット。その指を引いてくれ。その一発で君が助かるなら本望だ。俺は恨んだりはしない」
彼女は何度も指に力を込め、そしてその場に崩れ落ちた。
ただ雫だけを頬に添えて。
「ふざけないで! どうして今更! どうして今更そんな事を言うの!」
「すまない」
嗚咽を漏らす彼女に私はただ同じ言葉を繰り返すだけだった。
どれだけの時間が流れたか。既に空には星が瞬いていた。
眼を腫らした彼女は俯いたまま言った。
「あなたは何ですか?」
質問が理解できず、沈黙をもって返した私に彼女は続けた。
「私も貴方の事調べました。貴方は特筆する事の無い経歴の持ち主でした。まるで作られたかのような物でした。でもあの力。違和を覚えない人はいないでしょう」
私はただ黙って聞いていた。
「貴方は何者なのですか?」
私は身を正した。目を1度瞑りまた開けた。彼女がそこに居た。
「オルコット、今から言う事は"そういう事"だ。知ること自体非常に厄介、いや危険な事に巻き込まれる可能性がある。それを覚悟して欲しい」
彼女の沈黙を肯定と受け取った私は、それを話した。
「俺はね、自分が何者か知らないんだよ」
私は彼女に全てを話した。去年発見された事。自分の記憶が無い事。私を知る人が一人も居なかった事。戦いの事。そして千冬さんの事。
「そう、それであの様な変貌を」
「信じるのか? この突拍子も無い話を。騙しているかも知れないぞ」
「見くびって頂いては困りますわ。真実と偽りを見抜くのは貴族の初歩。私がどういった人種を相手にしてきたかお分かり? 銃を持つ悪鬼など可愛い赤子のようですわ。少なくとも貴方は嘘をついてはいない、それだけは確信を持ちます」
私はありがとう、とだけ伝えた。彼女は立ち上がると手にした銃のセーフティを掛けた。
「良いのか?」
「もうそんな気分ではありませんわ」
「そうか」
安堵で体を緩めかけた私に彼女は強く言った。
「勘違いなさらないで、貴方を許した訳ではなくてよ」
「ならいつ許して貰える?」
彼女は、そうね、とその細い指を口元に添えると、
「そう簡単に許しはしないわ。覚悟なさい、蒼月真」
と笑いながら言った。
ゆっくり立ち上がる私は、ただ苦笑するしか無かった。
朝の喧噪が食堂に響く。いつもと異なる4人掛けの席で、私は箸を目玉焼きに突き刺した。少し離れた場所から微笑ましい諍いの声が聞こえてくる。声の主は篠ノ之さんと金髪の少女だった。間に挟まれた一夏は随分と情けない顔をしていた。頭に巻いた包帯が痛々しいが、察するに篠ノ之さんの機嫌を損ねたのだろう。つまりはそういう事だ。一夏は随分上手くやったようである。
頬杖を突きながらその少女をぼんやりと見る。朝日を浴びる彼女の表情には、憂いも、悲壮も、決意も無くただ嬉しそうに笑っていた。そうだ、彼女は昨日より今の方がずっと良い。
物思いに耽る私に、向かい合う2人の少女が口を開いた。最初は2つの髪の房を脇に流す、淡い栗毛の少女。
「まことくんは、セシリアちゃんの事好きなんだね」
思いも寄らない布仏さんの言葉に思わず眼が泳いだ。そうか、そうだったのか。それなら自分の行動に合点が行く。
「気づいてなかったんだ」
どうやらそのようだ。遅れてやってきた気恥ずかしい感情に思わず頬を掻いた。
次に口を開いたのは藍の髪をヘアピンで左右に止めた少女。
「オルコットさんの所に行ったら? 織斑君に取られるよ」
鷹月さんの言葉に私はただ首を振った。
「私たちに気を遣っているんだったら、それは余計。逆に良い迷惑だよ」
声の調子を少し落とした彼女の言葉を引き継いで私は、笑顔にも色々あるよな、と2人に答えた。そして、あの笑顔は私には出来なかった、だから行けないと伝えた。私では彼女を苦しめるだけだ。
考えすぎだよと、どちらかが言った。かもな、と私は答えた。
未練が無いと言えば嘘になる。だが私は十分過ぎるものを貰った。彼女から贈られた物は、オルコットの家紋が刻まれたリボルバーと、セシリアと呼ぶ栄誉。私が送った短い手紙と一発の弾丸を、彼女は返さないと胸に抱いていた。
これ以上望めば天罰が下る。
食事の音がしばらく流れた後、布仏さんがスプーンを口に運びながら私に言った。鷹月さんは使い終わった箸をトレーに置いて窓の外を見ていた。
「まことくん。私たちに何か言う事あるよね」
見透かす様な彼女の言葉に、僅かな動揺が走る。この2人に言わなくてはならない事があった。それは謝罪の言葉。この2人の友人には迷惑も心配も掛けたのだ。当然だった。すまない、そう言いかけて屋上で彼女から贈られた言葉を思い出した。そうだ、あの言葉にはこう返すべきだ。
私は脚を少し広げ、腰を据えて、背筋を伸ばした。そして軽く両の手を組む。最初に友人となったこの2人を見ながら私はこう伝えた。
「ただいま」
少し気取りすぎただろうか。スプーンを咥えながら真っ赤に硬直する布仏さんと、外を向いたまま真っ赤に微動だにしない鷹月さんを見てそんな事を考えた。
今度こそ元通りだ。
セシリア・オルコット編 完
セシリア編およびストックはこれにて終了です。
今後は書きためてまとめて、となりますので、こちらには月1程度と考えています。
個人的に好きな原作ヒロインは次登場の彼女なんですが、セシリア書いていたら情が移りました。多分優遇します。
ここまでおつきあい頂きありがとうございました。
それでは。