仲見世通りにいくつかの竹が並び、それらを彩る色鮮やかな短冊が結ばれている。店頭では商品を買ってくれた客に好きな願い事を書いてもらってそれを吊るしているようだ。今も母親の手に引かれていた子供が一生懸命願いごとを書いている。その字は覚えたてなのか少し頼りなさげだが、はみ出さんばかりの大きさが子供らしさを感じさせた。
風が吹き抜ける度にそれらがふわりふわりとそよいでいる。いつもより人通りが多く感じるのはこれらのせいであろう。普段は足早に通り過ぎていく地元住民もこのときはふと足をとめたり、空を見上げる者もいたりする。
同時にちりんちりんと涼やかな音色が少し遠くから聞こえた。軒先や2階のベランダにある風鈴がその音色を奏でているようだ。まるで夏のおとずれを告げるかのように鳴り響いている。
明日は七夕。彦星と織姫が一年に一度出会う日である。
そして九鬼極東本部でもその準備が行われていた。そこは従業員達の共有スペース。簡易のカフェが併設されており、休憩がてらお茶をしたり談笑をしたりできる場所である。本部内の無料で使えるカフェの一つで、他にも食事をメインしたところや本格的なコーヒーや紅茶を味わえるところなどもある。
そこで準備をしているのは紋白を中心とした従者達であった。そしてそこには珍しく征士郎の姿もあった。予定を調整してわざわざ空けたらしい。
征士郎は紋白とともに折り鶴を折っている。
「ふむ、では直江を雇うことに決めたのか」
話題は紋白の相談役として迎え入れることが決定した大和のことであった。期間は夏休みの間ということになっており、約2週間後から働き始めることになっている。その間の序列も既に用意されており、空き番号であった777番があてがわれる。
基本、従者が九鬼入りした場合は最も低い位からスタートするのだが、大和の場合は仮のものであり客分という意味もあってのこの位からであった。
「しかし直江は覇王軍に入ったらしいな」
「はい。大和は自身の力が我らにどれくらい通用するのか試したいらしく覇王軍入りを決意したと言っていました」
紋白は大和の口から直接その事を聞いていた。それも覇王軍へ入ることを決めた当日のうちにである。そのとき彼は彼女に向かって堂々と宣言しており、その気合の入りようがよくわかるものだった。
「紋はそれで良いのか?」
「はい、兄上。確かに共に戦えれば……とも思わなくもないですが、力を試したいという気概は大いに気に入りました。ここで大和が覇王軍を盛りたて、我らと競い合うことになれば今後のことを考えてもプラスとなりましょう。我はそれを楽しみにしております!」
「そうか、ならば良い。直江が上手く覇王のかじ取りができるかどうか……見物だな」
「フッハハ。大和なら必ずや成し遂げてくれるでしょう!」
そう言ってのけた紋白の瞳は確信に満ちている。
いざとなればこちらに引きぬくこともと考えた征士郎であるが、紋白へ宣言したことも踏まえるとそれは無理かと思い直した。そして、その程度でほいほい靡くようでは紋白の従者として相応しくない。適当かどうかは彼女が決めることであるが、できればそのようなことはしてほしくないというのが彼の本音であった。
なぜなら有言実行できなければその言葉は軽くなるからである。それは少なからず紋白へも跳ね返るであろう。
(さて紋の期待に応えられるかどうか……見せてもらおうか、直江大和)
これでまた模擬戦に対する楽しみが一つ増えたといえる。征士郎は生徒会長としても九鬼としてもこの一大行事を大いに盛りたてるつもりであった。その準備だけは怠っていない。もしそれが行われたならばきっと生徒達全員が最後まで盛り上がれるものとなる。
折り鶴を終えた紋白は征士郎の傍から離れ、今度は静初やステイシーの元で新たな飾りを作っている。他にもクラウディオや鬼怒川、陳、パラシオなどその他10名ほどの従者がいた。その様子を見た他の従者も時折混ざって来る。
征士郎は短冊を手に取ると竹の枝へと結び付けていく。願い事は英語を始め中国語やドイツ語、スペイン語と続き果てはウルドゥー語と多種多様であった。こんなところにも九鬼の特徴が色濃く反映されていた。
家族の健康。出世。自己の成長。出会い。平和。お金。成功。結婚。
征士郎が見たものだけでも色々な願いがあった。
そこへ静初が近寄って来る。どうやら主が一人でその作業を行っていたことが気になったらしい。
「征士郎様は何をお願いされたのですか?」
九鬼一族はともすると「天に頼らずとも己の力のみで全てを叶える」と言いかねない。現に英雄は「天は頼らん」と断言していた。しかし、紋白が企画したこれを無碍に扱うこともできないので「紋の願いを叶えよ」という命令文を短冊に力強く綴っている。
一方、発案者の紋白の願いは「家族皆と仲良く健康に暮らせますように」という一見よくあるものだったが、家族――とりわけ母である局とより良い関係を望んでいるようにも感じられた。
そして、静初は征士郎の手より明かされた彼の願いを見る。
「静初のギャグがうけますように……って征士郎様!?」
「こればかりは俺の手に余りそうなのでな」
それはあまりにも平凡な願い。静初の予想では考えもつかない壮大な願いが書かれていると思っていたので、色んな意味で驚かされていた。
征士郎がくっくと笑う隣で、静初が口早にそれを否定する。
「そ、そんなことありません。今からでも征士郎様を笑わせることができます」
「ほう……ではそれができなければ俺の命令を何でも一つ聞いてもらおうか」
何でも一つ。静初にしてみればその程度造作もないことである。というよりもいつでも言ってくれて構わないとすら思っている。よって望むところであった。
「わかりました。では早速いきます……織姫から時折悲鳴が!」
「彦星の非行防止!」
「さ、笹に吊るすささやかな願い!」
ぴくりとも反応してくれない征士郎に対して、静初はギャグ3連発で対抗した。有言実行できなければその言葉は軽くなる――静初の場合、ギャグ全般において全く信用できないのであった。しかし、それ以外は完璧であるためそこが可愛い所と言えなくもない。
「では命令を聞いてもらおうか」
無情にも言い渡される征士郎の言葉。静初はがっくりと肩を落としながらも命令を待った。そして征士郎に言われるがまま白ブリムをはずしてカチューシャをつけ、両手は丸くして肩の辺りへあげる。
そのポーズのまま一言。
「何でも言う事聞きますにゃん」
パシャという音とともに征士郎の携帯が静初のその一瞬を切り取った。首を少し傾けているところがポイントとなっている。
静初の黒髪からまさに生えているかのようなケモノ耳。それは黒の猫耳らしくぴょこんと立っている。しかも音に反応して耳が自動で動くという無駄クオリティ。ピクピクと動く耳は征士郎の小さな拍手に反応して正面を向いた。
「あの……征士郎様、これは一体?」
「これであなたも猫娘。ケモミミシリーズvol.1だそうだ」
これは研究所に開発の進捗状況を確かめに行った際、ジーノよりプレゼントされたものであった。何でも余っていた材料を見ていたら創作意欲が湧いてきたらしい。ジーノ自身はもっとメカニックな黒ウサミミを装着しているのだが、こちらはどこまでも本物を意識した一品となっている。
征士郎は紋白を呼んで、袋の中から虎耳(vol.2)を取り出して彼女に付けた。がおーっと吠える真似をする紋白は虎というより獅子であり、しかし百獣の王というには威厳が足りずその代わりに子ライオンのような可愛さがある。言うなれば威厳に振り分けるポイントを可愛さに全て突っ込んだ結果が紋白という存在であり、征士郎が思わず彼女を高い高いしてしまったのもやむを得ない。
逆にその紋白は袋の中から征士郎に似合いそうな耳を取りだした。
「兄上! しゃがんでください」
しゃがんだ征士郎に付けられたのは狼の耳(vol.3)。そしてステイシーには黒兎の耳(vol.4)がそれぞれ装着された。狼の耳は犬猫と大差ないように見えるが、説明書には「これであなたも狼少年。嘘をつくのはほどほどに。ケモミミシリーズvol.3」となっているので製作者にとってはそういうことなのだろう。
狼の耳にあったように他の耳にも全て一言がくっついており、征士郎は言わなかったが猫耳は「思う存分ご主人様に甘えよう」、虎耳は「好きに相手を食べちゃおう」、兎耳は「私を寂しくさせないで」とある。意味ありげなひと言は製作者の遊び心なのか。
「すごいですね! これ……無駄にすごいリアルですよ!」
文字通りバニーガールと化したステイシーが静初の頭を撫でると立っていた耳は伏せられている。それはまさに猫がとる仕草であった。こちらはカチューシャ部分が感触を察知している仕組みとなっていた。
ちなみにクラウディオも着ける気でいたようだが、シリーズは4までとなっており空きがなかった。
ステイシーと紋白はそのまま作業へ戻っていき、征士郎と静初は再び作業へとりかかる。
「それで静初は何をお願いしたんだ?」
「私は……その……」
静初は少し見せるのが恥ずかしいのか、猫耳をつけたときとは違ってソワソワする。
(猫耳がひっきりなしに動いていてまるで感情と連動しているようだな……)
それはいくらなんでも考えすぎかと征士郎は思ったが、清楚のスイスイ号には感情値を読み取る機能もあるため、あり得なくもないと思い直した。
その間、静初は決心がついたようである。
「こちらです」
「……ほう、これは中々ロマンチックじゃないか」
感嘆の声を漏らす征士郎。その手にあった短冊には「彦星と織姫が無事出会えますように」と綺麗な文字で書かれてあった。
「申し訳ありません。征士郎様は私のことを願ってくださったのに……」
「そんな細かいことを気にするな。それにこれは俺のためでもある」
「それはどういうことですか?」
もしやギャグを聞いてもらっていることが負担になっているのではと不安になる。
「お前がギャグを言ってウケたとする。そのときお前はどう思う?」
「おそらくですが……嬉しいと思います。この上なく」
「だろうな。そしてそんなお前を見て俺も嬉しくなるだろう。俺も得をするというわけだ」
征士郎はそう言いながら静初の猫耳を指先でいじる。どうやら動くそれが気になるらしい。
ケモミミを付け仲良く会話する主従。案外ノリがいい。それを見ていた紋白が我も大和と兄上達のような主従関係を築いていこうと決意していたりする。
征士郎は言葉を続ける。
「ああ、だからと言って世辞などで面白いなどとは言わない。たとえギャグで笑いをとるのが難しかろうがだ。だから精進を続けろ」
「もちろんです、征士郎様。そしていつか……いつか征士郎様を笑わせてみせます」
「おう。楽しみにしている。まぁ今のままでは難しいがな」
征士郎はそう言ってニヤリと笑う。凛々しい狼の耳がどこかSっぽさを醸し出しているようにも見えた。
「猫が寝転んだ。どうやら病(猫)魔に侵されているらしい。にゃんだって」
「静初、残りの短冊を渡してくれ」
「……はい」
笑いの神の降臨とでも願えばよかったかもしれない。静初の笑いの道は険しい。
余談だがケモミミはそのまま彼女達にプレゼントされた。征士郎が持っていても仕方がないし、ジーノからも好きにしてくださいと伝えられていたからである。
それがあとになってあんな使われ方をしようとはこのときの征士郎には知る由もなかった。
◇
遂にその日が訪れた。いつもの倍――いや3倍の生徒達がこれから張り出される結果について一目見ようと集まっている。張り詰めていた緊張感がここにきてピークに達していた。
長いようで短かった期末テストまでの10日間。それから採点に数日が費やされ、待ちに待った結果発表が今行われようとしていた。
ここに名前が載っていればすなわちSクラス入り確定となり、それは楽園への招待状となる。3年にとってはこれが最後の学生生活であり、そこをできれば可愛い女の子と一緒に過ごしたいと思うのも無理はない。それも学園トップクラスの女子達である。秋には文化祭もあり、もしかしたらそのときに盛り上がってと男達は数少ないチャンスを求めて今まで死力を尽くしてきたのだった。
しかし、それに反して大きな問題が起こらなかったのは征士郎の存在があったからだろう。同じ3年間を過ごしてきた彼らにとって、征士郎は最も頼れる存在であると同時に怒らせてはいけない存在、すなわち武神と同格かそれ以上であった。
もっとも征士郎が武神のような過激な行動をとったことはなかったのだが、温厚な人間ほどキレたときはやばいという噂と相まって、無茶はしないよう彼らは自主的に抑えていただけである。
実際、2年のSクラス選抜試験のとき問題が起こったが征士郎が動く事はなく、解決は生徒自身に任されていた。だからと言って今回何か事が起きたとき、征士郎が動かないとも限らない。実力で勝負できるところでわざわざ征士郎の怒りを買うリスクを負うこともないのである。
廊下の先から現れた二人の教師が道を譲るよう声を上げる。いよいよ生徒達のざわめきが大きくなっていく。今更になって祈る者もいたが、それによって結果が変わるわけでもない。それでも祈ってしまうのが人間なのかもしれないが。
教師の片方が紙の端を押さえ、もう片方が勢いよく紙を広げていった。
1位 九鬼征士郎。
2位 李静初。同着で最上姫子。
3位 マルギッテ・エーベルバッハ。
4位 松永燕。
5位 京極彦一。
6位 葉桜清楚。
僅差での勝負を制したのは征士郎であった。そして今回もしっかりとそのあとにつけている静初。特に今回は最上姫子が1点差であったため、当然静初も征士郎と1点差である。
あと1点多ければ征士郎と並んでおり、1点少なければ彼のあとにつくことはできなかった。これらは全て仮定の話で現実にはちゃんと後ろにつけているのだが、この結果を見た誰もが専属従者って何者だと驚愕していた。
そして、あとになって興味本位でこの結果を見に来た弁慶などは「私の幸運は2年に入れたことだ」と自信満々に告げるほど期末のレベルは高かった。
紙はようやく最後まで広げられ50位までの名前が現れる。
「あ、あった……」
自身の名を見つけた百代はただ一言そう呟いた。生まれてこの方これほど根を詰めて勉強をしたのは初めてだった。きっと一人で行っていてはまた放り出していただろう。
「いぇーい! ももちゃん、おめでとうっ!! 君の頑張りに私は感動したっ!」
燕が立ち尽くしていた百代にがばりと抱きついた。教師役として手伝ってくれた一人である。そして教師役を買って出てくれた者達が集まってきた。
「ももちゃん、これで夏休みが明けたら同じクラスだね」
清楚は改めてよろしくと握手した。
「これで落ちているようならさらなる課題を与えたのですが……今はこの結果を褒めてあげましょう。今後も怠らないよう精進しなさい」
厳しい言葉をかけながらもなんだかんだで面倒を見てくれたマルギッテ。教師達の中では最もスパルタな先生であった。
「百代と同じクラスになるのは3年間で初めてですね。私も嬉しく思います」
忙しい中でも手を貸してくれた静初。これらの教師役が百代のために時間を割いてくれたとあっては、さすがの彼女も途中で放り出すわけにはいかなかった。
周りでは男子生徒たちが盛大な拍手を送っている。それは全員Sクラス入りが決まった者たちだった。百代は武神と言えど美少女に違いなく傍から見ている分には十分目の保養となる。また気さくな性格でもあるので話しかけやすい人物でもあり、それは大いに歓迎すべきことであった。
その様子を見守っていた征士郎と鉄心。
「むぅ……まさかあのモモが本当にSクラス入りするとはのう。さすがは儂の孫じゃ」
「と言いながらトトカルチョでは百代の落ちる方に賭けたとか」
「ま、まさか教育者である儂が賭け事を……それも孫のことに対して行うわけないじゃろ」
「まぁそういうことにしておきましょうか。その分勝った者の配当が増えたわけですし」
「おっほん! それで征士郎は何か儂にお願いでもあるのかの?」
「あからさまですね」
「えーなんじゃい? 儂はただ日頃頑張っている生徒会長の願いでも叶えてやろうかと思い立っただけじゃが? 決して借りとか作っておいたら後が怖いとか思ってないぞい?」
「別に貸し借りなど考えていません。学長には日々我がままを聞いていただいていますから」
「本当にお主は百代と同い年か? なんなら儂の秘蔵本でも良いのじゃぞ?」
「この3年間で学長のイメージが根底から覆りました。やはりどんな人でも会って話してみなければわかりませんね」
「気さくな爺で驚いたじゃろ? まぁお主もまた特別じゃからのう。これからも良い付き合いをしていきたいと思っておるぞい?」
「こちらもです。しかしだからと言って色々とオープンすぎるとも思いますが……」
期末テストも無事終わり、いよいよ夏休みへと突入する。
意外と長くなってしまった日常回。次回はいよいよ模擬戦。
あとケモミミは前作でも使ったけど、マジ恋Aの紋白のラフ絵が可愛いから思わず……がおーってやってる紋白が可愛い。