真剣でKUKIに恋しなさい!   作:chemi

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31話『無言の答え』

 

 静初がその変化に確信をもったのは週に1度行っていた耳かきを断られたときだった。その日の作業を終えたあと、いつものように準備を整え征士郎に声をかけたのだが、彼からワンテンポ遅れて返ってきた答えが、

 

「いや、今日は構わん」

 

 という一言だった。

 微妙な空気――いや雰囲気だろうか。ともかく静初は征士郎から放たれているそれに敏感であった。昨日までは何ら変わりなかったのに、夜が過ぎ朝を迎えたときには何かが違っていた。そして一日を過ごしそれが確信へと変わる。しかしそれを上手く説明することはできない。

 だから、これをステイシーらに相談したとしても「気のせいだろ」の一言で済ませられるだろう。それほど些細なものであった。

 

「あ、あの征士郎様?」

「ん、どうした?」

 

 征士郎は静初へと振り向くが、彼女は言葉が続かない。

 

「あ、いえ……なんでもありません。申し訳ありません」

「どうしたんだ? 今日の静初は様子がおかしいな? 何かあったのか?」

「私というよりも……」

 

 静初は意を決して尋ねることにした。

 

「征士郎様の方こそご様子がおかしいです。何かあったのですか?」

 

 征士郎はその問いかけに驚いたようだったが、やがて柔らかい笑みを見せた。しかし、静初にはその理由が分からず思わず首をひねる。

 

「いや懐かしいと思ってな。昔、お前が俺の腕の不調を見抜いたときがあったろう?」

 

 それは征士郎が静初を専属にすることを決めたときのことである。もう何年も昔、静初の髪も長く無表情であった頃のことだ。

 静初も征士郎の言葉で瞬時に理解し小さく頷いた。今となってはあのときの自分を褒めてあげたかった。なぜならあれが決め手となり、自分は彼の専属となることができたからである。

 征士郎は顎へと手をやり苦笑する。

 

「これでは静初に対して隠し事ができんな」

「むしろ隠し事などされると寂しいです。私は征士郎様の専属、貴方様のことはできるうる限り知っておきたいのです」

「寂しい、か……」

 

 征士郎はそう呟いて少し黙った。その間、時計が時を刻む度カチコチと音を鳴らす。

 

「うむ、回りくどいことは好かん。故に真正面から尋ねる」

 

 征士郎は静初の様子をかたときも見逃すまいとしっかりと瞳を捉える。彼女はまだ聞かれる内容について検討もついていない。それも当然、彼が彼女の恋について悩んでいるなど想像すらできていないのだ。

 しかし、次に発せられる言葉に静初は固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「静初……お前、好いている人間がいるのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさにド直球の質問。征士郎にしてみれば、そこのところをハッキリさせないわけには先に進む事ができなかった。

 一方、静初はまさかこの状況で尋ねられるとは予想だにしていなかったため、危うく征士郎の前だというのに気の抜けた声が出そうになっていた。それを何とか我慢したあとに訪れたのは史上空前のパニックである。

 好いている人間がいるのか。スイテイルニンゲンガイルノカ。透いている人間がいるのか。すいて炒るいんげんがいるのか。すいているにんげんがいるのか。

 静初の集中力は戦いの最中でもないのにフルパワーで稼働し、脳内では緊急会議が行われていた。議題は「征士郎様の問いに対して的確な答えを出せ」である。

 天使の輪っかと羽を付けた静初(以下、天使)が最初に発言する。

 

『ここはもちろん征士郎様と答えるべきではないでしょうか? 今まで長年想い続けてきた相手に告白するには絶好の機会だと思います』

 

 それに対して悪魔の角と尻尾をはやした静初(以下、悪魔)が意見を述べる。

 

『こんなところで告白すると? 征士郎様がどう思われているかも分からないのに? 告白してバッサリ切り捨てられたらどうするんです? 貴方正気ですか? 死にたいんですか?』

 

 悪魔の容姿だが喋り方は丁寧だった。それを聞いた天使はうっと言葉に詰まる。

 

『た、確かに。ならば、好いている人間などいないと答えるのですか? 征士郎様に嘘をつくと? 専属にまで取り上げてくださった我が主に、愛しい主に偽りを伝えるのですか? そんなの耐えられるわけがありません!!』

『別に嘘をつく必要はないでしょう。今はただ好いている人間がいるのかと問われているだけ。ならばイエスかノーで答えればいいのです。ならば人物を特定されずに済みます』

 

 悪魔は取り出したイエスノー枕のイエスを全面に押し出した。

 それを見た天使はだんっと机を叩く。

 

『貴方は李静初のくせにアホですか? この状況で誰だと聞かれないわけないでしょう! 好きな人いるの。はい。へぇそう……で話が終わる雰囲気ですか!?』

『そんなこと百も承知です。だから誰だと問われれば、ひ・み・つと答えればオーケーでしょう。ちょっとミステリアスな李静初の完成です』

『貴方、本体が口にしたことをお忘れですか? 隠し事をされると寂しいと言っていた人間が率先して隠し事してどうするんですか!?』

 

 その言葉は悪魔の胸にぐさりと突き刺さった。悪魔は致命傷を受けながらも何とか体を起こし、天使へと縋るような視線を送る。

 

『え、じゃあ……どうするんですか?』

『それを今話し合ってるんです!!』

 

 バンバンと机を叩く天使と呆然とする悪魔。しかし悪魔が咄嗟に一つの案を出す。

 

『押し倒しちゃいましょう』

 

 語尾にハートマークが付くほどの甘い声。それは悪魔の意地か開き直りか。天使はどこから持ち出したのかハリセンを思い切り振りかぶった。

 しかしどうやら時間をかけすぎたらしい。征士郎が言葉を続ける。

 

「いるんだな……」

 

 沈黙は答えているも同じ。静初は未だ正常な働きをしない脳に体を支配されている。バクバクとまるで全身が一つの心臓であるかのように鳴り響き、そこから勢いよく流れる血液は濁流の如く体を駆け巡っている。もし今体の末端であっても切り傷をつけられれば、噴水よろしく血が噴き出すのではないだろうか。そう思えるほどの感覚である。

 征士郎も傍目からでは分かりにくいが若干緊張があるらしい。落ち着くために一度深呼吸を行った。

 

「俺は今まで共に過ごしてきた中で気づくことができなかった。一番近くにいたお前の変化にすら……」

 

 それもそのはず。これは矛盾する答えとなるが、静初は征士郎に対してずっと想いを隠し通してきたのだから。誰がこの主従という関係の上で想いを打ち明けることができよう。それも相手は世界でトップを走る企業の次期当主である。帝からは主従の恋が許されているとはいえ、身分を気にしないでいられるだろうか。

 傍にいられるだけでいい。そう思っていたのにいつしかそれ以上を求めるようになった自身のあさましさ。欲深さ。そんな自分が征士郎様と結ばれようなどと傲慢にもほどがある。

 それでもこの気持ちを消せはしなかった。自分に向けられる笑顔や優しい言葉、そしてほんの少し甘えてくれる態度。それらに接する度に消すどころか、どんどん膨れ上がるばかりであった。

 どうしようもない気持ちだった。きっと芽生えてしまった時点で、あのとき刈り取らなかった時点でこうなってしまうことが決まっていたのだろう。

 同時に想いを持ち続ける以上、いつかこんな日が来ることも心の片隅ではわかっていた。しかし怖くて考えたくなかった。何もしなければ答えを得ることもできないが、この心地よい関係も崩さずに済むからである。

 だがそれも今日で終わりになるのだろうか。征士郎から発せられる言葉が怖いと静初は初めて思った。

 征士郎は話が長くなると思い場所をソファへと移す。自分は奥に座り静初にも対面へ座るよう命じた。

 

「さて……正直何から話したものか。俺はこの手の話をしたことがないからな」

 

 征士郎はそう言って眉を顰めた。

 

「無遠慮となるかもしれないが許せ。我が専属が幸せになるというのなら、俺も全力で応援するのみだ」

 

 征士郎は未だ心の整理ができていなかったが、結局は静初が幸せになるのならという結論で半ば強引に自分を納得させようとしていた。

 

『素晴らしい景色を見せてやる』

 

 主従の関係になった際そう誓ったが、その役目は静初の思い人へと譲ることになるだろう。好きな人と見る景色に勝ることなどできようか。つまらない景色であってもそれを誰と見るかで内容は大きく変わる。大事なのは誰と過ごすかということだからだ。

 そしていよいよ核心へと迫る問いが征士郎によってなされる。

 

「それで静初……お前が好きなのは――」

 

 静初は知らず知らずのうちに両拳に力が入る。この気持ちを知られてしまうという焦り。知ってもらえるという少しの安堵。そしてこれからに対する不安。征士郎の反応に対する興味。ありとあらゆる思いが湧きでては混ざり合っていく。それはミキサーでごちゃ混ぜにされたようにもう何がどれなのか判別することはできない。しかし、それに名前を付けるなら『征士郎様への恋心』となるだろう。

 

「直江なのか?」

 

 静初は今度こそ「へっ?」と間抜けな声を出した。その反応に征士郎も困惑する。

 

「む? 直江ではないのか?」

 

 征士郎は思わず再度尋ねた。

 

「や、大和は確かに可愛い後輩ですが、その……女として好きとかそういう感情は一切ありません」

 

 一切という単語のところが一層強調されていたのは気のせいではないだろう。この場は2人きりであるが、もし大和がこの台詞を聞いていたら例え恋などしていなくともダメージを受けたに違いない。

 

「なんだ、そうなのか」

 

 征士郎はそれを聞いてほっとしている自分に気が付いた。しかし、まだ問題が片付いたわけではない。では大和でないなら一体誰なのか。

 九鬼関係者あるいは学園の生徒。静初の行動範囲から言ってもこのどちらかに絞られると征士郎は推理する。

 まず出てくるのは3年間共に同じクラスで過ごしてきた彦一だが、彼はないと断言できた。もし付き合っているならその時点で征士郎にも報告してくるはずだからだ。もっとも今のところそのお眼鏡に適う人物は現れていない。

 ではその繋がりからエレガンテクワットロなどどうだろうか。女子生徒達にも人気が高い男達である。最初に除外されるのは翔一。まず女っ気というものがまるでない。次に忠勝、こちらも騒がれるのを迷惑がっている様子でそもそも静初と接点がない。最後に冬馬であるがこれもなさそうである。なぜなら初対面で口説いてきた彼に対して、静初はきっぱりと断りを入れていたし、その後も全くといっていいほど興味を示したような様子はない。

 

(クラスメイトにしても誰かと特別仲良くしている様子はない)

 

 一瞬百代の姿が脳裏に浮かんだがすぐに抹消した。

 では九鬼関係者、とりわけ従者のうちの誰かなのか。それを考えていた征士郎に静初から声がかかる。

 

「あの……征士郎様はなぜ私が大和を好きだと誤解なされたのですか?」

 

 静初にしてみれば迷惑甚だしいというやつである。目の前にいる思い人に誤解され、こうして問われなければ誤解のまま変な方向へ話が進んでいった可能性もあったのだ。

 

「そういう話を小耳にはさんだのだ」

「誰からですか?」

 

 征士郎がわざわざ静初の周辺を探るとは思えない。では誰かが彼に告げたということになる。ステイシーやあずみなどはありえない。なぜなら静初が本気であることを十二分に理解しているからだ。静初自身をそのネタで弄ることはあっても、人の恋路を邪魔するような真似をする彼女達ではない。

 

「久信だ」

 

 松永久信、どう始末をつけてくれようか。静初は「そうですか」と平然と答えながらも心中穏やかではなかった。ちなみにそのとき久信は言い様のない悪寒に襲われたらしい。

 

「しかしアイツを責めてやるな。久信も良かれと思って俺に報告を入れてきたのだ」

 

 静初もそう言われてしまうと何もできなくなってしまう。頭に浮かんだあれやこれといった方法も全部消去した。

 

「しかし……直江でないとすれば一体誰なのだ? 色々と思い浮かべてみたがピンとくるような人物がいないのだが……」

 

 静初はここにきて「ああ、やっぱり」と肩の力が抜けた。

 征士郎はこれまで人気のあった男ではあるが告白されたことは一度もない。小学中学高校と常にトップに君臨し続けた彼は高嶺の花のさらに上をいくような存在として扱われてきた。いつか女のヒエラルキートップにいた有力者の娘などが彼に熱をあげたこともあったらしいが結局想いを伝えるには至らず、そんな経緯があれば他の女子がそれを差し置いて告白をすることなどできるはずもない。

 大きすぎる看板は成長するとともに皆が理解するようになり、高校ともなればテレビに映るアイドルのように騒がれるだけで誰もが付き合える対象だと見ることはなかった。さらに静初が傍にいたことも大きいかったのだろう。大抵の女子はまず彼女と勝手に比較して勝手に諦めていくからだ。

 バレンタインで多くのチョコをもらうのも同じこと。もらってもらえるだけで満足しているような状況だった。

 むしろ告白の回数でいえば、現在絶賛活躍中の高校球児である英雄の方が多いくらいである。

 しかしそんな征士郎でも世界が相手となれば話は違う。九鬼に釣り合うとまではいかないまでも十分な資産をもった大富豪や王族といった世界60億人の中の一握りしかいない人間達が存在する。彼らは娘達を気に入ってもらおうと見合いを持ちかけるのだ。

 だが征士郎にとってのそれはただ九鬼の名が欲しいからこそ送られてくるものであって、自分よりもその後ろで輝く九鬼財閥という看板が集めているという認識であった。もちろん見合いを否定するわけではない。そこから仲の良い夫婦となり家庭を築いて行くことも可能であろう。出会いをつくるという意味ではその方法も一つであるが、征士郎としては仲良い両親のように恋愛から結婚をという考えができていたりする。

 と言ってもその恋愛がよく分かっていないのだから初っ端から躓いているわけだが、それも何とかなるだろうと楽観していた。それこそ最終的には見合いという手段を使うかもしれないが、それは最後で良いと思っていた。

 しかしそれを使うときが案外早く訪れるかもしれないと思わせられたのが、今回の件で静初に好きな人がいると判明したためである。

 

「その人は……み、身近にいます」

 

 静初は今にも消えそうなか細い声で答えた。落ち着き始めていた鼓動がまたもや激しく鳴り始める。ここまでくればもう隠し通すことはできないと判断したらしい。

 

「ということは、やはり従者の中の誰かか……」

「いえ、その……で、ですから」

 

 静初は顔を赤らめながらも言葉を紡ごうとする。「さぁ言え」とファンファーレを鳴らす天使と「言っちゃうの。失敗するかも」と囁く悪魔。しかし、彼女にもう止まることなどできそうにない。

 

 好きです。大好きです。愛しています。もうずっと前から――。

 

 そんな気持ちが先走ってばかりで肝心の言葉が出て来ない。そして今の静初に征士郎の顔を見る勇気はない。目が合えばとても正気を保っていられる自信がなかったからだ。

 戦闘の方が余程楽だ。静初はこんなときにふとそんなことを思った。そこから一歩前へ出るイメージで勝負を決めにかかる。あとは勢いのみ。出たとこ勝負である。

 

「そ、それは――」

「おーい! 征士郎! いるんだろ?」

 

 緊張していた空気をぶち壊す遠慮のないノックと叫び声。その声の主は項羽であるらしい。「おーい」を連呼しながらノックノックノック――とにかくやめない。気あるいは気配で中にいるのはわかっているのだ。

 静初はまるで逃げだすかのように立ち上がり扉の方へと向かおうとするが、それを止めたのは征士郎であった。彼女の左腕を掴み、強引に自分のほうへと向ける。

 静初の潤んだ瞳と紅潮した顔。2人の視線が絡み合った。静初は征士郎の瞳が好きだった。いつも真っ直ぐで力強く輝いているから。その彼の瞳の中に自分がくっきりと映っている。

 主の制止をふりほどくこともできず、静初は体を固まらせる。しかし顔を反らせない、いや反らせたくないのかもしれない。「早く開けろ」と騒ぐ項羽を無視して、征士郎が小さく囁いた。

 

「もしかして……俺、なのか?」

 

 かあっとさらに頬を赤くさせる静初は明確に答えを語っているようなものだった。そして、問いかけた征士郎にしても幾分勇気のいる答えだった。これで外れていれば恥ずかしいことこの上ないのだ。しかし、今回はその心配もなさそうだ。

 征士郎のゆるんだ手から逃れた静初はすぐに背を向け扉を開ける。

 

「征士郎様は中におられます」

 

 静初はそれだけ項羽に伝え部屋を出ていった。征士郎もそれを止めることはできず呆然としている。

 事情を知らない項羽はずかずかと歩み寄って来る。

 

「なんか李の様子がおかしかったが何かあったのか?」

「……いや、なんでもない」

 

 征士郎はソファへ腰掛け背もたれに全体重をかける。やがてひじ掛けにもたれかかり片手で顔を覆った。

 

「お前もどうしたんだ? おい」

「疲れが溜まっていただけだ。それでどうした?」

 

 征士郎は項羽に問いかけながらも、先ほどのことで頭が一杯であった。

 

(静初は俺のことが……)

 

 項羽の話は少しも頭に入って来ない。ただ先に見せた静初の顔だけがやけに鮮明に思い浮かんでいた。

 

 




項羽がなんかクリスポジへとシフトしているぞ。おかしいな。

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