しあわせハンター   作:ぽぽりんご

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第3話 コムギ強い

 コムギが弟子でなくなってから、四ヶ月。

 あれから彼女とは、一度も会っていない。

 だから、今日は久しぶりの再会ということになる。

 

「元気そうじゃないか。すこし、大きくなったか?」

「はい。大きくなりますた」

 

 東ゴルトー代表選考トーナメント、その決勝戦。

 彼女は、当然のように勝ち上がってきた。

 

 互いに、国内戦全勝。

 この一局は、必然といえる。

 

 

「じゃあ、始めようか」

「はい」

 

 交わした言葉は、これだけ。

 近況など報告する必要も無い。打てば分かる。

 互いに、この一局のため奥の手を山ほど用意してきたはずだ。

 

 意識を盤上へと向ける。

 敵の初期配置は、槍が三本。弓も砲も分散している。守りは薄い。守備より速度を優先した、変幻自在の構え。彼女が持つ読みの深さを活かした陣形だ。

 

 対するこちらは、変則的な片矢倉。守りに重点は置いていない。陣を固めると攻めに集中できる利点はあるが、陣形の変更に時間がかかるというデメリットも存在する。変幻自在に攻めてくるであろうコムギを相手に、そのデメリットは致命的。ゆえに選択した戦法。

 

「6-6-1、忍」

 

 まずは、コムギの先手。彼女は時間を使わずに打ってきた。

 軍儀は、最初の一手に最も時間を掛けるのがセオリーだ。自陣内であれば自由な配置で始められる軍儀においては、初手こそが最重要。最初に敵の陣営を見て戦略を練る所から始まる。

 それが無かったと言うことは。

 

「3-4-1、兵」

 

 こちらも、時間を使わずに初手を打つ。

 初期配置は、互いに予想通りのものだという事。

 それをどう攻略するかは、既に検討済みだ。

 

 

 序盤は、淡々と進んだ。

 答え合わせをするかのように、次々と手を打つのみ。

 予想を超える一手が飛び出すまで、この状況は変わらない。

 

 こうして打ってみて、ひしひしと感じる。

 この数ヶ月で、コムギは見違えるほどに成長した。

 先が読めすぎるからこその弱点を抱えていた彼女だが、今はもうその穴もない。プロになってたった一年足らずで、王者の風格すら漂わせている。王者は、まだ私だが。

 

 

 

 やがて勝負は、中盤に差し掛かった。

 私は気を引き締める。小競り合いが盤面全てに広がり、駒の行き場が無い。陣取り合戦は終わりだ。ここから、本格的な衝突が始まる。

 先に仕掛けてくるのはコムギだろう。陣容が軽い分、彼女の方が早い。

 

「……5-4-2。中将(あらた)、だす」

 

 そら来た。

 一見、無謀にも思える手。

 中将が移動したことにより、弓の陣地が丸裸となる。

 さてさて? せっかく作った陣地を差し出して得られる利益とは、いったい何だ? 

 

 私は、この先の展開を脳内でシミュレートする。

 陣を差し出して、コムギが得られる利益。それは。

 

「──そうか。この大筒が邪魔か、コムギ」

 

 砲の前に兵を置く。これで、砲を排除するのに余分な一手が必要となった。それで十分。敵の方が早いが、それでも相手が連続で二手打てるわけでは無い。最速で攻められなかった場合、打ち負けるのはコムギだ。コムギより厚い陣を敷いた私とまともにぶつかれば、敗北は必定。

 

「……やっぱり強いですね、師匠」

「私はもう、師匠じゃないぞ」

「いえ、あなたはワダすの師匠です」

「そうか。勝手にしろ」

「はい、勝手にするます──6-4-1、大筒」

 

 さらに踏み込む一手。

 二連続で予想外の手を打つとは。

 

「楽をさせてはくれないな」

「普通に戦ってしまっては、勝てません」

「それもそうか! ……ん?」

 

 意図せず声が弾んで、私は少し驚いた。

 自覚はなかったが、もしかするとこれは。

 

(──少し、楽しい?)

 

 久しぶりに味わう感情だ。

 私はずっと、私たちの強さを証明するために打ってきた。

 彼女の居場所を失わないために打ってきた。

 打つのが楽しいだなんて、思っていなかったはずなのに。

 

 

『──ねぇ、一緒にやろう?』

 

 

 幻聴。

 かつて聞いた、スイの言葉。それが私の頭に響いてくる。

 

 

『──きっと楽しいから。面白いのよ、軍儀は』

 

 

 ああ、確かに。

 スイと打つのは、楽しかった。

 

 懐かしい。

 スイは、強かった。コムギも、スイと同じ領域にまで達している。

 ここにいるのが、私ではなくスイだったらよかったのに。

 二人だったら、きっと──

 

 

 電子音が聞こえて、私はビクリと体を震わせた。

 対局時計のカウント音。五分に一度、鳴るように設定してある。

 おかしい。私は今、何をしていた? 意識が微睡む。時計の音が無ければ、そのまま眠っていたのではないかと思えるほどの隙。異常だ。今まで、こんな油断をすることなど無かった。

 集中できていない。これでは、最高の勝負にならない。

 

 

 私は気を引き締めて、盤面に目を向けた。

 次は、弓が前進してくるはずだ。騎馬で踏み潰すか、それとも横に回り込むか。

 

 呼吸を整える。

 集中しろ。かつてない程の強敵。全力を出さねば失礼だ。盤面の全てを読み取れ。

 私なら、見えるはずだ。コムギの狙いが。

 私の得意とするのは、相手の駒同士の連携を断ち切り、陣地まるごと息の根を止める戦い方。

 圧殺。一度喰らえば、相手は恐怖で戦意喪失することすらあった。

 

 コムギの駒を見る。

 一見、完璧な連携が取れているように見える。が、そんなはずはない。一手ずつ駒を動かす以上、綻びは避けられない。特に今は、大胆な仕掛けを見せた直後だ。弱点は、必ずある。

 私なら、見つけられるはず──

 

 

 考える前に、未来が見えた。

 いや、未来というより、光だろうか? 

 盤上の駒が、光で繋がっている。まるで、手を繋いでいるような。

 そしてその光が、新しく伸びようとしている箇所がある。

 そこに道を作ろうというのか。

 それは……駄目だろう? 

 

「──邪魔だな、この(みち)は」

 

 次の手を打つ。

 光を断ち切る一手。一気に複数の輝きが失われ、右辺に闇が侵食していく。

 

 コムギが息を呑むのが聞こえた。たった五分の持ち時間消費で、痛恨の一手を打たれたのだ。自分の戦術が、早々に読み切られたと考えるのが普通だろう。実のところ、考えるまでもなく"見えた"だけなのだが。

 

 意識が冴え渡っている。余計な情報は削ぎ落とされ、認識すらできない。思考の海に落ちてしまいそうになる感覚。時間の感覚がおかしい。考える前に、考えた結果が溢れてくるかのような。先ほど眠りかけたと勘違いしたのも、この状態の副作用か。

 余計なことを考えないよう、私は盤面に視線を固定する。

 

 今の一手で、右辺の形勢は傾いた。

 何の対処もしなければ、次の一手で完全に闇へと落ちるだろう。

 

「8-4-1、騎馬!」

 

 コムギの一手で、右辺の輝きが蘇った。

 なるほど、いい手だ。

 だが、予想通りでもある。

 

「8-3-3、砦」

 

 再び、闇が右辺を覆う。

 

 コムギが打てば、光が。

 私が打てば、闇が増す。

 まるで溺れた者が必死に水面へ顔を出そうとするかのように、盤上の駒が生きようと足掻いている。

 

「7-6-2、侍」

 

 だが、無駄だ。

 沈め。

 沈め、沈め、沈め。そのまま沈んでしまえ。

 お前に生きる道などない。

 

 盤面はもう終盤に差し掛かろうとしている。ここで押し切れば、右辺は私のもの。そうなれば、逆転はほぼ不可能。仮に右辺が生き残ったとしても、それは多大な犠牲を払った上での事。圧倒的に、私が有利だ。

 

 

 コムギは手を止め、長考の構えに入った。

 ここが分水嶺。運命の分かれ目。次の一手が勝負だ。

 

 

 さぁ。どうする、コムギ。

 持ち時間は、あと三十分。

 その時間で、この状況を打破できるか? 

 

 ──砲で守りを固める? いいや、砲では遅すぎる。

 ──忍を差し出して、その隙に騎馬で固める? いいや、後ろに回り込まれるだけだ。

 ──守りを捨てて、少将を上げる? いいや、後ろが死ねば将が孤立するのみ。攻めるにも早さが足りない。

 ──兵も将も捨てて、王を逃がす? いいや、王一人逃がしたところで意味は無い。(スイ)は、兵がいてこその王。敗残の王は死ぬだけだ。

 

 逆転の目は無い。

 この状況を覆すには、神にも迫る一手が必要だろう。

 

 逆転は、不可能──

 

 

 私が、そう判断した瞬間。

 コムギの体が、輝き始めた。

 触れてすらいないのに、盤上の駒へと光が伸びる。

 

 それを見た私は、どういうわけか恐怖を感じた。

 軍儀中、光を見ることはあった。それは自分の体に現れることもあったし、対戦相手から溢れることもあった。今日も、コムギの駒の輝きを見ている。だが、これほどの圧を感じたのは初めてだ。

 息を呑む。汗が噴き出る。恐ろしい。何故? わからない。腕で体を抱きしめるが、震えが止まらない。

 

 

 コムギ。お前は一体、どこまで。

 

 

「──4-3-2、忍」

 

 

 盤上に光が溢れる。

 盤上の駒の全てが、輝きを放っていた。

 圧力を感じて、思わず私は気圧される。

 死んだはずの将も、戦場が移動し働きを失っていた兵も。途切れたはずの路が、すべて繋がった。

 それどころか、私の駒にまで光の路が浸食してくる。

 敵の動きを阻害するために置いたはずの砦は、むしろこちらの自由を縛る置物となっていた。

 砦を移動させようにも、周りの兵が邪魔となる。

 

 

 盤上の全てを支配する一手。

 最初に中将で攻め込んだのも。弓の陣地を崩したのも。左辺で死んだ侍も、中央に食い込んだ騎馬も。初手からの全てが、この局面へと繋げるための布石。

 これまでの盤面。その攻防は、すべて。

 この、一手を完成させるためにあった──! 

 

 

(……このままでは、私の(スイ)が死ぬ!)

 

「3-2-1、兵!」

 

 私の(スイ)は、取らせない。

 代わりに、(ヒョウ)の命を差し出した。

 苦し紛れの一手だ。(ヒョウ)を差し出したところで、楽にはならない。相手の攻めを一手遅らせるために、こちらも一手消費しているのだ。多少マシになった所で、状況は覆せない。

 

 コムギは、兵を踏み潰して前進してきた。

 自陣の守りを崩しての攻め。詰みは無いと読み切っているのか。それとも、自分が死ぬ前に私を殺せると判断したのか。

 

「3-2-1、忍」

 

 忍がコムギの中将と差し違える。

 直後、再び敵が前進。また、互いの守りが薄くなった。これで、敵の(スイ)に詰み筋ができる。

 つまり。コムギは、このまま私を押し潰すつもりらしい。

 

 もう止まらない。

 私が死ぬのが先か、殺しきれずにコムギが死ぬか。その二択。

 

 ただで死んでやるつもりは無い。

 攻守は逆転したが、敵陣の守りは無いに等しい。

 一手。たった一手でも敵の攻めが途切れれば、即座に私の刃がコムギの急所に届く。

 

 

「3-4-2、少将」

「3-2-2、侍」

「2-3-1、謀」

「1-1-3、帥」

 

 次々と迫る敵の進軍を、私は必死に防ぐ。

 両者ともに、もはや持ち時間はなく。息を()く暇もない。互いの喉に刃を突きつけ合って、既に十四手。盤面は滅茶苦茶だ。

 

 互いに、たった一手。相手より早く打てれば、詰ませることができる。

 だが、それがあまりにも遠い。

 コムギが、苦しそうに胸を押さえている。

 気づけば、私も同じように胸を押さえていた。

 呼吸が苦しい。酸素が足りない。

 

 思えば、私は最初から最強だった。

 最強のあの子を模倣し、対戦相手をすべてひねり潰してきた。

 だから、知らなかった。全力を尽くすというのが、こんなに苦しいことだったなんて。

 

 

 コムギの体に、再び光が集う。

 またか。何をする気だ。

 また。私の想像の、はるか上を行く一手を打つのか……? 

 

 

「──6-3-1、弓」

 

 

 光が、私の(スイ)に突き刺さる。

 コムギの一手は、主戦場からやや離れたところの弓兵を、たった一歩横にずらしただけ。

 忍の道が空いたため王手が途切れたわけではないが、防ぐのも容易。一見すると、ぬるい一手。

 だが、これは──

 

「……終わりだな」

「はい。次の3-4-2騎馬から、十九手で詰むです」

 

 

 息を吐く。

 体から熱が抜けていく。

 

 これは、私とあの子が望んだことだ。

 ようやく叶ったか、という思いと。そして、まだやれるという思い。その両方がある。

 あの子が最強であると、示し続けたかった。

 だが、思いだけで生きていけるほど、人間の体は強くない。

 

 

 周囲に目を向ける。

 今まで、気にもしていなかった。だが、これで最後だと思うと、急に名残惜しくなった。

 畳を撫で、その感触を楽しむ。冷たい。火照った体を、預けてしまいたくなる。

 

 幾度となく、相手を屠ってきた対局部屋。

 重要な手合いでのみ使われる部屋だが、私の対局はいつだって重要だった。ここで戦ったのは、百? それとも、二百か? 

 

 

 続いて、コムギに目を向ける。

 やはり、大きくなった。強くなった。

 もう、私の手には負えないだろう。

 彼女は、私を超えたのだ。

 

 だから、言わないと。

 

「──」

 

 声を出すのに失敗した。

 言えば、終わる。もう終わっているのだけれど、それでも口に出すのは、怖い。

 

 息を吸う。

 先ほどよりも、体に力を込めた。

 今度こそ、失敗しないように。

 

「──負けました」

 

 その一言を発した瞬間、体から力が抜けていく。

 長くは持たない。私は、私たちは。元々、死んでいたのだ。

 八年。夢というには、あまりに長い時間だった。

 

 私が取り込んだスイの欠片が、溶けて消えていく。

 

 

 ──スイ。

 

 

 私は、彼女に声を掛ける。

 

 ようやく、終わりました。

 貴方より強い打ち手。最強の怪物が、ここにいます。

 

 と、いっても。貴方があのまま成長していたのなら。きっと、コムギですら完膚無きまでに叩きのめしていたと、信じていますが。

 でも、そうはなりませんでした。私も貴方も、あそこで止まってしまった。

 いつか来る敗北。それが、ようやく。

 

 

 コムギに手を伸ばす。

 彼女は、動かない。

 

 頬に手を添える。

 やけに静かだと思ったら、気を失っていた。私の敗北宣言を聞いて、気が抜けたのか。

 全身全霊を絞り出してしまったらしい。これでは、最後の挨拶もできないが。

 

 まぁ、いい。

 別れの言葉なんて、恥ずかしいだけだ。

 私の(スイ)を殺したコムギ。彼女に贈る言葉は、たった一つだけ。

 

 

「……私たちに勝ったんだ。誰にも負けるなよ、コムギ」

 

 それだけ言って。

 

 私は、その場から姿を消した。

 

 

 

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