しあわせハンター   作:ぽぽりんご

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第4話 死は救いだって、偉い人が言ってた

 

 静寂が、辺りを包み込む。

 聞こえるのは、私が動かす車椅子の軋みだけ。

 キコキコと、寂しげな音だけが耳に入る。

 

 かつて、私たちが過ごした孤児院。

 誰もいない。既に廃墟と化している。あんなに広大に思えた監獄が、今は酷くちっぽけに感じた。

 

 

 廊下の突き当たりに辿り着く。

 地面に廃材が転がっていたため、車椅子で進むのは少々骨だった。私は息を切らせながらも、部屋の扉に手を掛ける。

 

 扉が倒れた。轟音が静寂を切り裂く。どうやら、蝶番が錆び付いていたらしい。

 少し、ビックリしてしまった。心臓が止まってしまうのでは、と思えるぐらいには。

 

 

 部屋へと入る。

 ろくな家具も無かった部屋。いま部屋の中に見えるのは、ベッド。砕け散ったコンピュータの残骸。それと、床に僅かに残った血の跡のみ。私と、彼女の痕跡だ。

 

 私に残されたのは、僅かな時間。

 少々不安だったが、間に合った。

 最後を迎えるなら、ここが良いと思った。

 私と彼女。二人が過ごした、この部屋が。

 

 

「……スイ」

 

 車椅子から降りて、床を撫でる。

 あの日、あの時。あの瞬間。そこから私の時間は、止まってしまった。

 

 もし、私がもっと早く、力を手に入れていれば。

 スイを守れたかも知れない。

 

 いや、力なんて無くてもいい。

 もし、私があの時目覚めていたのなら。無作法者の存在を感知し、スイに警告できていたのなら。

 たったそれだけで、彼女は死ななかったのではないか。

 あの男の(ちから)は、大して強くなかった。きっと、スイの生命力の方が強かった。不意を突かれなければ、抵抗ぐらいはできたように思う。

 

 後悔ばかりだ。

 後悔ばかりで、せめてもの手向けをと思って、今まで生きてきた。

 

 私の八年は、彼女の慰めになっただろうか? 

 わからない。あの時喰らった彼女の残り火は、ずっと沈黙を続けている。

 

 

「よい、しょっと……」

 

 車椅子に取り付けられた革袋から、盤を取り出す。

 携帯用の簡素なものだが、ずっしりとした重みを感じた。

 

 駒の配置は、今日の一局。

 コムギと打った、私の最後の一戦。

 スイに、ぜひとも見せたかった戦い。

 

「本来、軍儀は陣を固めるのがセオリーなんですけどね」

 

 並べ終えてから、苦笑する。

 私もスイも。そしてコムギも、セオリーなどガン無視だ。

 駒を重ねられる軍儀は、将棋やチェスなどと違って、陣を徹底的に固めることができる。が、逆に言えば、移動に手数が掛かるということ。戦場と離れた場所に戦力を集中させても意味が無いし、いかに陣を固めても、うまく動けなければ徐々に削られる。私とコムギの一戦は、いかに有利な場所で相手に戦いを強要できるか、というものだった。

 

「ここの場面とか、陣地を何度入れ替えるんだって話ですよ。即席の一夜城だらけです」

 

 私はスイに話しかけながら、ゆっくりと、一手ずつ。

 彼女に伝えるために、駒を進めていく。

 

 相手の退路を断つため、あちこちに小規模の陣地ができている。

 弓で牽制しつつ、騎馬でこじ開け、中将を置く。戦いになると見れば、忍で攪乱し砲で圧殺する。

 

「……貴方が得意とした戦法です。コムギも、この攻勢には手を焼いていました」

 

 思い出す。

 初めての軍儀。スイと私の初対戦で、私の陣地は全て彼女に占領されてしまった。初心者相手に何をしているんだと思ったが、今ではいい思い出だ。

 彼女の本気を幾度となく見てきた自分だから、ここまで強くなれた。スイなら、どう打つか。どう打たれるのが嫌か。手加減されていたら、一生わからないままだっただろう。

 

「ここです。コムギの打った一手。4-3-2、忍。これはヤバいですね痺れますねこれは……この手から、押し切られてしまいました。貴方なら、どう返しますか?」

 

 兵で防ぐしかない。

 そう思うが、実際の所はどうだろう。

 

 あの時の私には、焦りがあった。

 完璧に彼女を模倣したつもりだったが、それは冷静でいられる間だけのことではないのか。

 彼女は、どんな舞台でも華やかに舞うことを選んだ。コムギの手を見せられた彼女が、はたしてこんな平凡な手を打つだろうか。

 

「──そうですか。貴方なら、こう打つのですね。なるほど、面白い」

 

 こちらと相手。二人の王の中間に、砦。

 これは、壁だ。相手を圧殺するための城壁。

 進めば相手の王を殺し、戻ればこちらの王を救うことができる。

 盤面は決して有利とは言えないが、戦場が一気に広がり、予想の出来ない戦局へと突入していく。

 

「貴方は、あくまで派手な戦いを選ぶのですね」

 

 読みの深さは、コムギの方が上。

 コムギの舞台に踏み込めば、おそらくは負ける。

 だが、スイが敗北を恐れることなど、ありえない。

 私は、最後の最後で自分の弱さを見せた。少しだけ、悔いが残る。

 

 

 

 駒を握る手を止めて。

 手持ち無沙汰になった私は、昔話を始めた。

 

 

 自分が生まれたときのこと。

 初めてスイと遊戯で戦い、負け続けたこと。

 ムキになった私が、何度も戦いを挑んだこと。

 

 あの頃の私が、どれだけ楽しかったか。

 私がどれだけ、スイのことを愛していたか。

 スイを失った私が、どれだけ悲しかったか。

 

 スイを模倣してから、どのように生きたか。

 世界中を探しても強者が見つからず、どれだけ落胆したか。

 コムギを見つけたときの感動と、実際のコムギを見た瞬間の落差に驚いたこと。

 最後の一局。そこで初めて、恐怖という感情を知ったこと。

 

「まぁ、おおむね良くやったと言えるんじゃないですかねこれは……」

 

 

 最後まで話を終えて、満足してしまったのか。

 体から、急速に力が抜けていくのを感じる。

 もう、腕を上げることすらできない。

 

 とくん、とくんと。

 心臓の鼓動を感じる。

 あまりに弱い。甘い物が食べたい。脳に、糖も酸素も足りていない。

 

 寒い。体温が下がっているのか。

 体が凍り付いたように動かない。

 

 動かない、が。

 

「……少しだけ、暖かい」

 

 私が胸に抱いた、スイの残り火。

 それが、まだ消えていない。

 最後まで守ると誓った思い出だ。

 この灯火だけは。私が死ぬまで、決して消えることがない。

 

 

 温もりが、ほんの少しだけ広がる。

 凍り付いた体を溶かして、私の腕を動かした。

 

 私が無意識に動かしたのか。

 それとも、スイの意識でも残っているのか。

 わからない。わからないが、きっと彼女だ。

 朦朧とする意識の中で、私はそう願った。

 

 

 床に広げた盤へと、指が伸びる。

 いったい、何をしようというのか。

 もう、終わったはずの局面。

 たしかに砦を打つのは面白かったが、これでは勝てない──

 

 

「──ああ、なるほど。こんな手が」

 

 

 敵陣の中央。

 そこに、弓を配置する。

 敵が動けば、一瞬で討ち取られるのは間違いない。

 だが、弓を取りに移動すれば、砦への対処が難しくなる。

 かといって、放置もできない。

 相手は、不利な選択を強いられる。弓を殺して砦に押し潰されるか、砦を防いで背後から射殺されるか。

 (いくさ)の主導権を握り返す一手。神懸かりとも言える妙案。

 

「これなら。まだ、戦える」

 

 ああ、もう一度打ちたい。

 こんな風に思うなんて、思っていなかった。

 彼女への土産話さえ出来たのなら、いつ死んでもいいと思っていたはずなのに。

 

 

 だが、もう終わりだ。

 望む望まざるに関わらず、スイの体はもう限界。

 必死に繋ぎ止めているが、少しでも気を抜けば臓器が死に、肉体の維持に際限なく力を吸い取られる。

 よくもまぁ、これだけ持ったものだと褒めて貰ってもいいぐらいだ。

 

 

 とくん、とくんと。

 徐々に弱く、ゆっくりとしたものへと変わっていくが。耳を傾ければ、まだ心臓の鼓動が聞こえる。

 

 ──そうだ。あの世にいったら、スイに褒めて貰おう。

 うん、それがいい。それぐらい、許されるはず。

 

 

 耳を傾ける。

 とくん、と。

 一つだけ、心音が聞こえた。

 続くはずの、次の音は聞こえない。

 

 

 ──しまった。あの世でスイに会った時の事を考えていなかった。

 とっておきの話を、残しておくべきだった。

 

 

 とくん、と。

 また、一つだけ鼓動が聞こえた。

 だがそれは、いままでの物とは少し違う。

 

 

 ──ああ、これは。もう。

 

 

 目の前が暗くなる。

 血が回りきっていないのだろう。

 もう、上下の感覚すらもわからない。

 

 

 やがて、視界が閉じ。体の感覚も無くなって。

 

 心臓が止まり。

 呼吸が止まり。

 思考が止まり。

 記憶が千切れて、バラバラになる。

 

 

 

 こうして。

 私は、死を迎えた。

 

 

 

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