光り輝くオーラを見たり放出したり出来る私ではあったが(念とか言われてもわからぬ)、基本的な性質は闇の者である。
家に引きこもって、盤面と睨めっこをしながら悩み続ける。日の当たる場所を歩かされることもあるが、それは年に一度の世界大会ぐらいのもので、大体は部屋の隅とか思考の底でウンウン唸っている。
それが私だ。
だから。光に照らされた時、私は思わず悲鳴をあげた。
「ひぇっ! まぶたを閉じていても貫通するとか、ちょっと眩しすぎますね殺意が湧きますねこれは……」
せっかく良い気分で眠れそうだったのに。
あと少し、目を閉じていれば。きっと、二度と目を覚まさなかったのに。
「太陽ですか? やはり滅ぼしておくべき存在……これは、間違いなく私を溶かすつもりです」
固く目を閉じたまま、軽い気持ちで口にする。
どうせ消えるのだからと、脳みそをプーにして舌を回す。
何を言ってもいいと思っていた。
返答があるだなんて、思ってもいなかった。
「溶けてしまうの? アイスクリームのように? なら。貴方の体は、きっと甘いのね」
懐かしい声。
ずっと、聞きたかった声。
ずっと、待ち望んでいた声。
「──スイ?」
私は、目を見開いた。
ずっと夢に見ていた彼女の姿が、そこにはあった。
くすんだ金の髪。お手入れさえすれば、きっと光り輝くであろう彼女の金髪。
悪戯っぽい、まるで猫を思わせるような瞳。
痩せて青白い肌をしているが、栄養をとって日の当たる場所に出られれば、誰よりも人の目を引くであろう体。
八年前の、あの日の彼女。
ずっと、再会を夢見ていた彼女。
スイが、目の前に居る。
なぜ。どうして。
これは、夢か?
ぐるぐると思考が回る。ついでに、どうしていいか分からず、腕もウロウロと辺りを彷徨った。
回って、回って、思考と腕を回し続けて。
そうしてようやく、答えに辿り着いた。
夢だろうが幻覚だろうが、そんなことはどうでもいい。
彼女が、目の前に居る。
全力で向かい合わなくて、どうするのか。
「スイ」
「なに?」
「スイ」
「うん、スイだよ」
「スイ……会いたかった、です」
「うん。私もずっと、会いたかった」
ゆっくりと近づいてくる彼女を、ただ呆然と眺める。
腕を回され、ぎゅっと抱きしめられた。
私も、スイの背中に腕を回して抱きしめ返す。
温かい。久しぶりの感覚。八年ぶりの温もりだ。
ここは死後の世界なのか、など。気になることはあったが、そんなものは後回しだ。
私は全力でスイの体を味わいつつ、彼女の言葉に耳を傾ける。
「ありがとね。全部を見ていたわけじゃないけど、貴方の声は聞こえてたよ」
おつかれさま、と。
彼女は私の耳元で、そう囁いた。
私は、涙を流した。
堰を切ったように、ひたすらに溢れ出す。
止まらない。止まるはずがない。
想いが、感情が膨れ上がって暴走する。
彼女の背中に回した腕に、思わず力がはいった。
どうにもならない。感情だけでなく、体の制御も壊れてしまっている。
優しく扱いたいのに、それが出来ない。
「最後の一局、見たよ。強くなったのね。私よりも強くなるなんて、びっくりしちゃった」
「いえ、そんなことは! あれは、十四の頃の貴方を模倣しただけです。貴方が生きていれば、もっともっと強くなったはずです。私なんかよりも、コムギよりも。もっと」
「うーん、それはどうかな……私は、あまり長く生きるつもりはなかったから。成長も、止まってたような?」
笑いながら、私の言葉を聞いてくれる彼女。
あまりに、リアルで。
夢とは思えなかった。
幻とは思えなかった。
初めて会った時の、スイの言葉を思い出す。神の使いか、なんて勘違いをされたけれど。その気持ちが、今ならわかる。神だろうが何だろうが信じてしまう。この奇跡を目の当たりにしたら。
私は、彼女に感情をぶつけた。
「寂しかった」
「うん」
「悲しかった」
「うん」
「後悔ばかりでした。私がもっと強かったのなら、スイを守れた」
「私はずっと、貴方に守られていたよ」
私の懺悔を、スイは優しく受け止める。
涙と一緒に、気持ちのすべてを吐き出した。
私の八年分の想いを、すべて。
ただひたすらに、吐き出し続けた。
焦って、口がうまく回らない。
予感していたのかもしれない。
この幸せな時間は、長くは続かないと。
奇跡は一瞬。ずっと続くなんてことは、無い。
どれだけ話しただろうか。
八年間の出来事をすべて話すには、全然足りない時間。
ずっと、話していたいのに。けれども、あれだけ眩しかった光が次第に陰りを見せてきて、スイの体も徐々に薄くなっていく。
ああ、時間か、と。
彼女は言った。
「──消えてしまうのですか」
「うん。でも、悲しむ必要はないのよ。ほんとは、ずっと前に消えていたんだもの。こうして、最後にお話ができただけ、良かった」
「最後、なんて」
言葉が出ない。
先ほどは、あれだけ溢れていたのに。
まだまだ、話したいことは沢山あったはずなのに。
「私は、貴方の中に残った燃えカスみたいなものだから。ほんの少ししか、生きられない。楽しい時間は、もうおしまい」
彼女の手を握る。
ぜったいに離さない、と思って力を込めているのに。
その手は、徐々に離れていく。
「──ああ、そうそう。大事なことを言い忘れるところだった」
と、彼女の方から手を握り返してきた。
そして、私の体を強引に引き寄せる。
無茶な真似だったのか、わずかに彼女が苦悶の声を上げた。
「ん……今日は、やり残したことがあったから来たの」
「やり、のこしたこと……?」
「うん。前に貴方、言ってたでしょ。私のお願いなら、全身全霊で叶えてくれるって」
私は涙を拭い、これ以上ないほどの真剣な表情で答えを返す。
私は、約束を絶対に破らない。
だから。彼女の願いも、絶対に叶える。あの時、そう誓った。
「はい。貴方の望みなら、なんだって叶えましょう」
「うん。今日は、そのお願いを言いに来たの」
私は、続く彼女の言葉に耳を傾ける。
一字一句、聞き漏らさないように。全身全霊で。
「私の望みは」
彼女の望み。それは。
「……貴方が、幸せになること」
「──え」
その言葉を聞いて、私は息を漏らす。
彼女の願い。彼女を少しでも幸せにするために、叶えないといけないもの。
なのに。彼女が願ったものは、彼女のためのものではなかった。
「それは」と口に出そうとして、指で口を塞がれる。
そして、ゆっくりとした動作で、私の頬に手を添えた。
「だって貴方。私のために、こんなに頑張ってきたんだもの。幸せにならないと嘘よ」
私が力を尽くすのは、当然のことだった。
彼女を守れなかった報いを受けなければならない私にとって。自分が報われるなんて事は、受け入れがたい。
「私は祈るわ。貴方が、幸せになりますようにって」
満面の笑顔を見せるスイ。
どうして、そんなに笑えるのか。
誰よりも報われるべきで、報われないまま死んだのは、貴方の方ではないのか。
「なんで、ですか。スイの、幸せではなく……?」
「だって、私はもう幸せだったもの。だから、私はもういいの。あとは、貴方が幸せになったら、二人ともハッピーでしょ?」
腕を引っ張られる。
スイは私の手を、祈るように組み合わせた。
そして、その上から包み込むように手を重ねる。
「こうして、手を重ねて。二人で一緒に、時を重ねて行けたのなら。それは確かに幸せで、とっても素敵なのだろうけれど……でも、それは出来ないから」
だって、私はもう死んでいるからと。
寂しそうに、彼女は笑う。
「けれど、貴方は違う。貴方一人なら、生きられる。私が消えて、私の体を生かすために無茶をしなければ、生き続けられる」
彼女の笑顔は、寂しそうだった。
彼女にそんな顔をさせてしまった私に、怒りすら覚える。
涙が一筋。スイの頬を伝って、ぽたりと落ちた。
「だから……私の分まで、幸せになって」
そう、彼女は願った。
彼女の願い。私はそれを、叶えなければならない……はず。
だけど。
「……わかりません」
私は、彼女の手を握り返してそう言った。
「幸せが、わかりません」
そして、スイにすがりつく。
ずっと、彼女にすがりついて生きてきた。
そうやって、自分の中に眠る彼女を信じて、生き続けてきた。
「スイのいない世界では、見つかりません。そこに貴方はいない。スイがいないと、幸せじゃありません……!」
慟哭と共に、思いの丈を吐き出す。
口に出すべきではないと思った。が、止まらない。
壊れた感情の堰が、私の頭をぐちゃぐちゃに掻き乱す。
『涙も涸れ果てる』なんて言葉があるが、どうやら嘘らしい。いつまでたっても、涸れる様子はなかった。前が見えない。彼女の顔が、見えない。彼女の居ない未来が、見えない。
「駄目よ。悲しみばかり抱えたって、しょうがないもの」
こつん、と。
額に、温もりを感じた。
見えなくてもわかる。これは、私に物を言い聞かせる時にする仕草だ。
私をあやすように。額と額を合わせて、彼女は優しい声色で語りかけてくる。
「悲しみに押し潰されて、泣きながら生きる? そんなの寂しすぎるわ。私たちの腕に抱えられるものは、そんなに多くない。だから、抱え込むのはやめて……幸せを、掴まないと」
思い通りにならない呼吸を落ち着けながら、目を閉じる。
彼女の言葉を、聞かないといけない。
彼女との約束を、守らないといけない。
目尻を震わせながら、そう自分に言い聞かせる。
「私の願い、叶えてくれるって約束でしょ?」
そう。
私は約束した。彼女の願いを叶えると。
約束は、守らなければならない。
息を吸う。
先ほどよりも、落ち着いた。
今なら、なんとか話せそうだった。
私は声を震わせながら、言葉を発する。
「……貴方は、酷い人です」
「そうよ、私は酷いの。知らなかった? ずっと、
「そう、でしたね。私はいつも、振り回されてばかりでした」
決意を胸に、目を開ける。
同時に、スイもゆっくりと目を開けた。
間近で視線が交錯する。
もう時間がない。
私は決めた。あとは、それを口に出すだけ。
私の決意を感じ取ったのか、彼女は少しだけ口元を緩めた。
彼女に隠し事など、できようはずもない。私の心などお見通しなのだ。
「──」
言葉に詰まる。
これを言えば、終わる。
夢の
だけど、言わなければならない。
彼女に、別れの言葉を。告げなければならない。
「──は、い。私は、ぜったいに約束を破りません。そう、誓いました。私は……幸せを、探します。だから」
安心して、お休みくださいと。
私は彼女に、言葉を残した。
これを言わないと、スイが安心して眠れない。スイのために、万感の思いを込めて、そう口にする。
私の言葉を聞いたスイは、再び満面の笑みを浮かべた。
無邪気で、いかにも脳天気そうで。そんなはずはないのに、彼女はそうやって笑い続ける。それが私の知る、スイという女の子だった。
「いい答えね! ほら、笑って。貴方、笑顔が足りないのよ。そんなんじゃ、幸せも逃げていくわ」
私は、彼女の言うとおりに、頬に力を入れてみた。
お世辞にも、笑顔とはいえないかも知れないけれど。
涙も止まらなかったけれど。精一杯の笑顔を、彼女に。
「うーん、ぎこちない……けど、いい顔よ。合格点をあげるわ! とっても可愛い。これなら、幸せも簡単にゲットできそうね。むぎゅー!」
愛玩動物を愛でるように抱き寄せられる。
そして、背中をポンポンと叩かれた。
「いい? 貴方はこれから、色んなことを知って、色んな人に出会って、笑顔で時を過ごして……そして、幸せになるの」
声が遠い。
目の前にいるはずの彼女の姿が、陽炎のようにゆらめく。
抱きしめられているのに、彼女の温もりが失われていく。
「約束よ? 破ったら、許さないんだから」
手を伸ばして掴もうとするが、もう届かなかった。
私の腕は、ただ空中を掻き回すばかり。
夢のような時間は、もうおしまい。
夢の終わりは、いつだって名残惜しい。
「……バイバイ、私の一番のお友達」
大好きよ、と。
その一言を最後に、彼女は。
満面の笑顔をうかべたまま、私の中から、消えた。
周囲の世界が、溶けていく。
夢の時間はおしまい。夢は終わったのだから、目を覚まさないといけない。
彼女との約束を守るために、行かないと。
いったい、どこへ?
その疑問はあるが、まずは歩かないと話にならない。
目的地を見つけるのが、私が最初にすべきことか。
背中を向けて、歩き出す。
一歩。二歩。三歩。
足取りは重い。自分一人だけで歩くのは、不安で不安でたまらないけれど。
でも、進んでいけそうだ。
最後に。
私は少しだけ後ろを振り返って、こう呟いた。
「……さよなら。私の、大親友」
答えは、返ってこなかった。