多くの神々が下界に降臨してしばらく経つ。
天界最高神たる『ゼウス』も例に漏れず――
全知全能にして並ぶ者無し。雷帝と謳われ他の神々からも畏敬の念を抱かれる。押しも押されぬ天界の覇者。
そんな存在が『全知零能』となったらどうなるのか。
かーっ、こんな面倒くさい下界の暮らし、もう飽きた。帰りた~い。
神妃エウロペですら大神ゼウスと認識できずに数日間放心――いや、意識不明の重体に陥った。
御淑やかな彼女も『このジジイ誰?』と口調が変わるくらいであったという。そして、あまりの変貌ぶりが
ゼウスの唯一ともいえる趣味が他の女神の入浴姿を覗くこと。――と、豪語するようになっていた。いや、これこそが彼の本質かもしれない。
下界を憂いて自らもモンスター退治に参戦したのではないのか、という抗議の声が上がったのも想像に
だが、元々一般常識が下界の人類とかけ離れていた神々だ。これもまた必然と言える。それに――他の神々もどうしてだか下界に来た途端にダメ人間になるケースが頻発している。
それでも期待の大神も【ファミリア】を作り、団員募集を掛けると多くの希望者が集まってきた。そして、大半が失望の色を覗かせ、そっと引き返していく。
そんな騒動も数年経れば落ち着くものだ。人類は
「全知全能にして天空の支配者。全ての父とも謳われたゼウスも堕ちるところまで来ると逆に親しみがわきます」
しばらく経った頃、【ゼウス・ファミリア】の団員の一人『キリシュタリア・ヴォーダイム』という
迷宮都市オラリオという未曽有の危機の中心地に大手を振って現れた救世主たるゼウス、だった成れの果てが彼の前に居る。
居る、というか雑魚寝して
天界での姿を知らないヴォーダイムはこんな姿でもゼウスという神として畏敬の念を抱いている。
全知零能だとしても神は神だ。その身に宿る『
空想の産物同然の神が実在した。それだけでも物凄い事だ。
小さくない宗教の論争が世界各地で繰り広げられている。だが、オラリオに当たってそのような些事は意図的にか、封殺されていた。
住民や冒険者にとって大事なのは地下世界に居るモンスターの駆除である。その目的のみに意識を向けさせるために諸外国の干渉を当初から厳しく制限した。特に国家系【ファミリア】の神々によって。
「……主神様。寝ている姿ばかり御見掛けしますが、世界はそれほど危急存亡の危機というわけではないのですね?」
「危機は危機だ。
端的に述べるダメ神。
近くに居て質問を投げかければ大体は答えてくれる。当初は下等な人類と口も利かないのでは、と思われていたが存外人間味があって親しみ深い一面に驚かされる。
下界のどこにでも居そうな老人。それがゼウスだ。
他の神々も同様で基本的に『
(……神は娯楽を求めてきた、と聞くが……。どう見ても退屈しているようにしか……。我々が退屈させているからか)
人類側が過度な期待をしているだけだ、というのは頭では分かっている。
神は【
占星術の家系の出であるヴォーダイムにとって神とは触れる事の出来ない超常であった。
その存在との出会いは今もって祝福されるべき価値ある貴いもの。例え日頃からグータラするような親父、いやジジイであっても。
「主神様の言われる通りに努力を重ねてきたわけですが……。神の言葉で言われる【ランクアップ】とは本当に成せるもの……、というよりそれは何なのでしょう?」
「【ランクアップ】は人類が神に近づくためのもの。神が定める試練を突破しなければお前達は今以上に昇華する事は出来ん。……要は努力と根性の結晶じゃ」
「……根性論で人は神になれるのですか?」
肩をすくめつつ聞き返す。
他に言いようが無かったのか、ゼウスは唸るのみ。
既に多くの冒険者が数多のモンスターを倒し、その身に宿る【ステイタス】を成長させている。中には既に【ランクアップ】を果たした者が居る。
彼らは見た目の変化こそないが常人以上の身体能力を得た。そして、『スキル』というものを特典として得る。中には不可能を可能にする『魔法』を習得するに至る。
人がどれほどの研鑽を積んでも未だ敵わない『魔法』――
魔術こそ世界的に広まっていたとはいえ、格上の能力は人の知識では測れない。
人には魔力を持つ者が居る。世代を重ねて容量を増やす事が各魔術師にとって大事なことになっていた。そしてそれは秘匿されつつ人の世で育まれた。
(エルフのように元々の素質がある種族とは違い、何の才能も無いただの
才能は大事だ。神から【
それこそ根性論でどうにしかした者に与えられる褒賞となっている。
元々ヴォーダイムは魔術師として才能溢れる才人であると自負していた。だが、それでも人より少し優れている程度――エルフには遠く及ばない。
虚弱で暴力的な行動が得意ではない。頭で稼ぐような冒険者向きではない
(占星術も地下世界では何の役にも立たない。見えるのは無機質な天井ばかり)
直線的な魔術の才能があればダンジョンでも何とか戦えたのではないか、と。
仲間と共に馴れない武器を振るい、モンスターを倒す生活は一言で言えば地味だった。それでも積み重ねは大事だと自分に言い聞かせて努力してきた。
身体能力の向上は今や【ステイタス】に支配されている。不得手な鍛錬をするより効率的だ。
――効率的であるがゆえに【ランクアップ】が容易ではない。
ゼウスが言うところの根性論こそが真理である。その結論に至ると意外にも身体から力が抜ける。いや、緊張感から解放される。
頭脳労働こそキリシュタリアの本懐であった筈なのに――そう思い込んだまま一生を終えるものだと今まで疑いもしなかった。
(……ああ、存外私はこの生き方を気に入っていたようだ)
人類とて生きるために行動する本能がある。それに身を任せる生き方はとても甘美である。
だが、考える
自分にとっての試練ともいうべきもの。だが、神が与えるものとは同一ではない。
モンスターが無限に等しいくらい湧くダンジョンにてひ弱な彼は杖を振り回す。それはもう考えうる限りの手段をもって。
頭と身体が別々であるかのように戦闘後における【ステイタス】の伸びは芳しくない。
理論を構築してもその通りになる事が無い。
人と神の基準や常識の乖離が阻んでいるといえる。
「……元より人は手の届かない星の動きを操作することなど……、それこそ空想の産物ではないか」
過呼吸気味になりつつ戦闘後の彼は一人ごちる。
元々魔術の知識を積み重ねていた彼の体内には確かに『魔力』が宿っている。その数値も他の『
必要な時に必要な――適切な能力を行使することが出来ない。
【ステイタス】は個人に決まった数しか能力を与えない制限が存在するからだ。それらを破る方法は無く、仮にあったとしても――『個』を逸脱することは出来ない。
(魔法は本当に奇跡なのか。空想を現実に落とし込む為には人の身を超えた魔力量が必要になるのではないのか)
そもそも『魔力』を使ってできる事なのか、と。
思考の海に埋没し、次の戦闘に備える。
キリシュタリアが冒険者になった理由は至極単純だ。
みんなの役に立ちたい。
他の者が聞いたら笑いかねない実に子供っぽい理由だ。
占星術を学んだのも親の代から続いていたから、というよりそれで誰かが救われると信じたからだ。
役に立たない学問など無い。――彼の持論の一つではあるが、広大な空とその上の空間にいつも圧倒されてしまう。
世界全てから見て自分がいかに小さいかを。
(英雄というのは世界を動かせる存在だ。とても小さくて儚い存在である筈なのに……)
彼は神々や人々が待ち望む英雄になりたいわけではない。
せめて手の届く範囲だけでも救いの手を差し伸べられれば充分だ。英雄は万能の神ではないのだから。
理念や理想は言葉だけの存在であった。こうして薄暗いダンジョンでモンスターと相対している自分の行動を見れば何とも滑稽な事だと思い知る。
こんなことをするためにオラリオに来たわけではない、と言うのは簡単だ。何も成していないからこそ不安を覚える。
「……それでも多くの者達が憧れを持ってオラリオに来ている」
かくいうキリシュタリアもその一人であった。
計画書の作成より分かりやすい実力主義による
弱気ものは去れ、とは言わず強くなれ、という部分が魅力なのかもしれない。
神は無能でも眷族として召し上げた者を愛する。それが善と悪だろうと構わずに。
その無償――無上ともいえる――の愛は確かに神にしかなせない。成し得ない。
「頭脳派の私も【ランクアップ】とやらが出来るのか。……もし、出来たらどうなるのだろうか」
神の
キリシュタリアはどんな能力を望むのか――
(……やはり『魔法』か。それとも奥深くに潜れるような恩恵の
もし、『魔法』が得られるならばおそらく『天候』に影響を及ぼせるものの筈だ。
属性魔法の殆どはエルフの専売特許となっている。今更似たような――または同じもの――魔法を覚えても仕方が無い気がする。
やはり自分にしか使えないものを得るのが――冒険者にとっての
色々考えたもののダンジョン内では役に立たない魔法である、との結論に些か苦笑を覚えつつ地上とダンジョンを往復する日が続いた。
いくら空想を現実化するような魔法とて限度がある。そうでなければ人類はモンスター相手に苦戦などしない。
「ヴォーダイム様。何だかこの頃、お疲れのご様子ですね」
オラリオの中心から外れた場所にある冒険者の相談窓口『ギルド』の受付にて担当者からそう言われた。
元々虚弱な体質であったので普段から疲れているように見られていた。それに慣れ過ぎていた、ともいえる。
今回はよく相談に乗ってくれる担当者の言葉だ。思わず驚いてしまった。
「そう見えるかい? これでも健康に気を遣っているんだが」
「肉体的というか……、何かに悩んでいるというか。心労による疲労が強く見えてしまったので」
(……ああ、態度に現れるほど私は疲れていたのか)
気苦労といえばそうだ、と言える。
今の暮らしに疑問を抱き、言われるがままモンスターと戦ってきた。
結果が見えない事に不安を覚える冒険者というのは意外と多い。そして、自分もその中の一人となっている。
「後衛たる私が一人でモンスターと戦う事に不安があるのかもしれない。……やはり仲間を募集した方がいいかな?」
【ゼウス・ファミリア】は団員こそそれなりの数を揃えているが実力者はまだ育っていない。入団早々にレベル
冒険者の
冒険者がどんな戦い方をしようと自由である。途中で変更する事も本人が良いと判断すればギルドも主神も尊重してくれる。基本的に行動の自由度が高い。
キリシュタリアは後衛職の『
一度
まだ年端もいかない年齢の内に冒険者となってしまったような――彼女は不相応な防備に身を固めていた。
自身の身長ほどもある大きな盾を持ち、たどたどしい口調でギルド職員と話していた。
「……あの女性は?」
そうキルシュタリアが少女に顔を向けたままギルド職員に質問する。
まだすぐ近くにした職員は彼の質問に答える。
彼女はつい先日【ファミリア】に入ったばかりの冒険者である、と。
「【アリアンロッド・ファミリア】所属のマシュ・キリエライトさんです。前衛職としての課題で大きな盾を装備するように言われているそうです」
ギルドに登録されている冒険者の情報は公開できるものだけ教えてもらえる。当然、他の者がキリシュタリアの事を知りたいと言ってきた場合は基本的なものが公開される。
冒険者のレベルは公表されても『
新興【ファミリア】に所属するマシュは薄紫色の短めの髪に色白の肌の
ごく最近に冒険者となった以外は目立った情報が無い。
大盾を装備するのは前衛でモンスターの攻撃を受け止める役目を負う為だ。攻撃に参加する事は無いが仲間を守る立派な仕事である。
一人でダンジョンに潜る時、このような装備の者がモンスターと戦う場合、その盾をぶつけて倒す。
武器を装備できないわけではないが戦闘時は盾を使うのが手っ取り早い。しかし、非力な内は戦いにくいし、少女がなるような職種でもない。
(前衛防御はドワーフが良くなる職業と聞く。
念のために【アリアンロッド・ファミリア】についての情報を貰っておく。自分達の【ファミリア】にとってどれくらい警戒が必要な相手か知る為だ。何も問題が無ければ話しかけようか、と思う程度。
【ゼウス・ファミリア】と敵対する【ファミリア】は多い。自分達以外は全て、と言えるほどに。しかし、誰とも共闘しないで深層域に行けるとも思っていない。
主神は今のところ何も言わないが冒険者の力量によって色々と方針を変える可能性がある。
(それはつまり私は彼女を誘いたいということじゃないか。……戦闘の効率化か、それとも単なる異性との交流か)
自分が気になる者はそれほど多いとは思わない。今までもマシュのような駆け出しを見かけたことがある。その多くに対して共にダンジョンに行こうとは思わなかった。
原因は何なのか。大盾か、彼女自身か。
知らない【ファミリア】だったから――というのであれば多くが該当しなければならない。
あるいは一目惚れ。
興味について色々と意見があるだろう、とキリシュタリアは僅かな間に多くを思索する。
多くの冒険者が死地へ向かい生きて帰れる保証は誰もしてくれない。そんな世界で異性との交流は今しかできない貴重な体験である。
――だが、【ファミリア】同士のそうした触れ合いは主神権限で制限されている。競争相手――または敵同士――だから、というのもある。
ゼウスであればそれほど文句は言われないとしても彼女の主神はきっと猛反発する。自分の【ファミリア】の
恋愛に関しては完全ら興味が無いわけではないし、否定もしない。男子として生まれたからには生物としての根源的な願望というものがある。
「ヴォーダイム様。ずっと彼女を見つめておりますが……、どうかされましたか?」
担当職員から何度か声を掛けられたことに気付かないほどに、自分はマシュを気にしていた。その事に気付いて苦笑する。
我を忘れるほどの興味を抱いたのは久しぶりの感覚だ。
言われるままにモンスターと戦う冒険者家業の中で忘れかけていた。
「彼女の装備に魅力を感じてしまって」
と、自然と出た嘘。担当が神ならば即座に看破していやらしい笑みを浮かべるところだ。
全てが嘘、というわけではないけれど声をかけるきっかけを考えて居た事は認める。
――慣れない嘘を考えるのは徒労でしかない。であれば本音をそれとなく漏らす程度に模索すればいい。
担当に無理をお願いし、マシュとのパーティ申請に臨む。
駆け出しに声をかけてくるのは大体
そういう風潮があるのは彼とて認める。
「魔法が使えない後衛職で悩んでいたところなんだ。駆け出し同士で新しい戦略が練れないかと思ってね」
「そ、そうですか……。しかし、私も戦闘経験が殆ど無くて……」
受付で話し合うと他の冒険者の邪魔になるので相談に適した部屋に移動しながら挨拶を交わす。
キリシュタリアが有名な【ゼウス・ファミリア】と聞いて恐縮されたが、団員である自分は大した存在ではないよ、と差しさわりのないやり取りを繰り返す。
見た目に驚かされるがマシュは駆け出し特有の素直さがある女性のようだ。
「接近戦が得意ではないし、魔法もろくに扱えない。……今できるとすれば君への指示出しくらいだ」
ナイフで戦うくらいならできるが戦闘はまだ未熟である、と。
マシュは大きな盾を持っていくだけで精いっぱいで戦闘技術が皆無である、とお互いの戦略を教え合う。
二人は共にレベル
それ以外はまだまだ
(……女性を誘うとは。これも神ゼウスの『
どちらにせよ、自分でも驚くくらい会話が弾んでいる気がした。
そうなれば相手側がどう思っているのか、気になってくる。こちらの言う事を聞いているのは間違いないし、嫌がっている素振りも無い。
順然にダンジョン攻略に意識を傾けているから異性と対話している意識が無いとも――
何にしてもお互いがぶつからない事に越したことはなく、素直な意見を出せる相手というのは悪い気がしなかった。