洋琴を奏でる少女の鬼   作:本好きの海

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今回も兄視点でお送りします。

お気に入りしてくださる方、ありがとうございます。

今作は一応転生ものですが主人公の前世の記憶はまだ戻っていません。物語が進む中で少しづつ思い出していくことになりそうです。


Fa . 若旦那と奔放な妹

診療所のあれこれが大分安定してきた頃、妹も教えることは教えきったと言うように家に帰ってきた。ちょうどその日は熊谷家の若旦那が訪ねてきていて妹も久々の再会を喜んでいた。妹に医学を教えたのも若旦那だ。親父とも長い付き合いである彼はああ見えてよく物事を見据えてらっしゃる。俺も過去に二、三回ほどしてやられた。彼からすれば少し揶揄っただけのつもりのようだが、自尊心が強かった当時の俺はそれはもう憤慨したものである。

そんな油断できない若旦那だが、どういうわけか妹を殊更気に入っていた。確かに俺の妹は凡ゆる方面に造詣が深いし、気立ても良いが……なんだろう。贔屓の度合いが尋常じゃない。はっきり言って甘々だ。一時は若旦那の幼児趣味を疑ったが流石にそれはないと信じたい。大方、将来を見越して希望投資といったところか。

 

「ところで今日は何をしにきたんだ?」

 

仏頂面の父が問う。

 

「いやいや特に用はないよ。気紛れさ。」

 

飄飄と返される。本当に掴みどころのない…。

 

「何もないのに下関から遥々訪ねてきたって言うのか?」

「近くででっかい商談があるもんでついでに寄ろうと思ったのさ。挨拶って大事だろ?」

「どうだか。どうせまた何かしら企んでるんだろう?お前はいつもそうだ。」

「いやあ信用ないねぇ。悲しくなってくるぜ。」

 

若旦那が両手で顔を覆って「よよよ」と泣き真似をする。この姿ほど滑稽で白々しいものは他にないだろう。

 

「微塵も思ってないくせしてよく宣う。それに俺はお前のことは信用している。」

「へぇ意外!照れちまうぜ」

「信頼はしていない」

 

バッサリと言う親父に彼は片眉を上げて目を眇める。その仕草は彼の糸目も相まって板についていた。

 

「どう違うのさ〜」

「信頼ってのは相手自身を無条件に信用することだ。お前の場合はいくつかの条件があってやっと成り立つ関係だろうが。間違っても優しさなんかじゃねえ。」

「そうかい?俺は結構君を信頼してるけどねぇ」

「俺はしねえよ」

「ははっ、手厳しい!」

 

片手を額に当ててからりと笑う若旦那に母が静々と近づいていき、茶請けを出している。彼も軽く礼をいい、茶に口をつけた。おそらく彼がうちを信頼しているのは本当のことだろう。そしておそらく、彼を信頼していいのは妹だけだ。この男は根拠なしに信頼するには危険すぎる。

 

「そういや嬢ちゃん洋楽器に興味あるんだって?」

「は、はい!」

 

急に話を振られて驚いたのか、先ほどまで大人しく隣に座っていた妹が可愛らしいお下げを揺らして上擦った声をあげた。

 

「親父さんに聞いたよぉ。そんでさ、うちの蔵にご先祖さんがしまっといた洋琴っていうのがあるんだけど、君に譲ってみようと思うんだ。」

 

妹は洋琴という楽器を元から知っていたらしい。直ぐに食いついた。

父は最後まで渋っていたが、これも娘の為と考えたのか、結局は妹に委ねた。待て、早まるな。

 

「やります!」

 

ほら言わんこっちゃない。勢いのついた妹が即答することくらい想像できたというのに…。

 

若旦那は言質はとったとばかりに幾つか条件を突き付けて、鼻唄まじりに帰って行った。

 

額に手を当て溜息をつく母。

じっとりとした目をやる俺。

額に青筋を浮かべる父。

余った茶請けに上機嫌に手を出す妹。

 

如何やら俺の妹に商売の才能はとことんないらしい。

 

 

***

 

おかしい。幾らなんでもこれはないだろう。

 

俺たち一家が妹の奔放さに頭を抱えた日の翌日、家の前に下された積み荷を見て再び頭を抱えた。

親父が若旦那に妹の洋楽器好きを教えたのが昨日。取引成立も昨日。旦那がこの家を後にしたのも昨日。

一体全体どうやったら一夜のうちにこんな大きさの荷を二、三百里運べるんだ。彼奴はきっと人知を超えた何かを持ってるに違いない。いや、落ち着け。あれは確かに人間だ。狐の皮を被ってはいるが。

この衝撃的な事実に俺が打ちひしがれる中、妹はあろうことかサラリと流し、自室に荷を運び始めた。うちに使用人はいないので物は自分で運ばなければならないのだが、一体その細腕の何処からそんな力が出るのだろう。妹は積み荷とともにあっという間に部屋へと姿を消して行った。楽器への愛の為せる技だろうか。

とりあえず家まで荷を届けてくれた者に礼と代金を払おうと声をかけた。しかし、どういう訳か彼らは一言も発さず、そればかりか文字通り、消えるように去って行ってしまった。何それ怖い。ホントあの若旦那は何者なのだろう。闇の裏組織でも牛耳っているのではないだろうかと馬鹿な妄想をしてしまったが割りかし間違いでもないのかもしれない。

 

ボーンボボーン

 

屋敷の奥からくぐもった音が響く。早速始めているようだ。妹は一つのことに集中すると他が見えなくなる。それを熟知している俺は念のため様子を見に行くことにした。

妹の部屋は屋敷の西側に臨んでいる。午前中はやや暗いが、広さと収納の多さが一番の部屋だ。妹が態々この部屋に籠る理由。最初はおなごらしく服でも収納するのかと思っていたが、流石は俺の妹。部屋の収納の殆どが書物や標本、模型などで溢れかえっている。以前屋敷を掃除していた時にカエルのホルマリン漬けが転がって、母が悲鳴を上げていた。南無。

こんな実態が世間に知れればきっと妹には嫁の貰い手は一生つかないことだろう。将来が心配になる。

…いや、前言撤回だ。俺のかわいい妹を嫁になどいかせん。

 

コンコン

 

女子の部屋なので念の為ノックはする。ノックは西洋の作法なのだそうだが妹がそれを問題にするかは甚だ疑問である。…うん、間違いなく些事として片付けるだろう。

 

「入るぞ」

 

返事がない、ただの妹のようだ。

洋館らしい切り絵のような紋様の描かれた扉を開けば其処には案の定、楽器に齧り付いている妹がいた。そして妙に埃っぽい。換気してやらなくては。本当に世話が焼ける。

 

トーン

 

何度か音を鳴らして試行錯誤していたようだが、先ほどより一際綺麗な音が鳴った。妹はそのくりりとした目を閉じて音を吟味するのに夢中だ。それを見ていて、ふと一つの考えに思い至る。もしや、若旦那はこれを全て予期していたのではあるまいか。

若旦那は『親父から聞いた』と言っていたがいつ聞いていたのかは口にしていない。本当は少し前に妹の趣味を知っていて、その上で取引を準備していた。そして妹が取引を断らないと確信していて、楽器の運搬を即日できるよう手配していたとすれば、このあり得ない手の早さにも説明がつく。これを運んできた不気味な連中がどんなに足が速く、どんなに力持ちだったとしても手配には更に時間が掛かるだろう。しかし、元から決まっていたとすればどうだ。運んでくる前提で、合図一つで持ってくるようにしていたとすれば。

そこまで考えて鳥肌が立つ。

あの狐に気に入られている妹が羨ましいような、誇らしいような、不安なような…そんな複雑な気持ちになった。

 

まあ、何にせよ妹はかわいい。これが世界の真理だ。

かなり執心している自覚はあるが、俺はもっとやばい奴を知っている。

一人の女性を猛烈に慕っているやばい奴。

彼奴はやばい。俺よりやばい。やばい(やばい)

俺が其奴に初めて会合したのが十年ほど前。その時の其奴は十五、六歳くらいに見えた。確か名前は愈史郎とか言ったっけな。今頃はいい大人だろうに、未だその女性、珠代さんに固執しているようだ。最近は会っていないがちょくちょく連絡は来るし、毎年お歳暮も送られてくる。詳しいことは知らないが、其奴とそのご執心の女性は二人で暮らしていて、厄介なことに追われる身なのだそうだ。それでこの商家に助けを求めてきた為、父が条件を呑んで受け入れたという訳だ。罪人というわけではなさそうだったのもあるだろう。大方、華族かそこらのお偉いさんの不徳でも買ってしまったと言ったところか。

そんな訳で彼らには隠れ家として幾つか空き家を貸している。女性の方は薬学方面の医療に携わっているそうで、妹も是非会いたいと話していたが、父はこれまた頑として受け入れなかった。父はあの二人組については徹底して黙秘している。並々ならぬ事情があるようだが、そろそろ話してくれてもいいのではないだろうか。自分でも調べてはみたいが何如せん情報が無さすぎる。向こう側も直接の面会は可能な限り控えたいそうで、これ以上の詮索は断念した。だが中々良い文通相手ではあるので人柄は何となく知っている。意中の女性への慕情が手紙から滲み出ているのだ。「こいつやべえ」と思ったと同時に、妹に執心している俺に通づるものを感じてしまったというわけだ。なんだ、その、まあ、同族意識みたいなものか。

 

タァーン

 

少し不自然な音が鳴った。途中で音が歪んだ。何をしているのか気になって、ガサゴソと弄り込んでいる蓋の中を妹の肩口から覗き込んでみれば何か出っ張りのようなものを回しながら音を立てているようだ。西洋の書物で読んだことがある。音階を正しく合わせているのだろう。提琴を嗜んでいる経験から、妹は音感があるらしい。

これは時間がかかりそうだ。まさか若旦那は音階のずれたガラクタを厄介払いしたかったのだろうか。妹に甘い彼奴に限ってそれはないと思うが、もし俺がこんなものを寄越されたら文句の一つは言っていただろう。

一向に掴めない若旦那の企みに思いを馳せていると、床に散らかった梱包材の中にクシャクシャになった紙切れを見つけた。油紙とは色が違う。手紙に使うような上質な紙だ。詰め込む時に誤って交じらせてしまったのだろうか。

皺を伸ばすと何やら文字が見えた。何か書いてある。

 

『来月開く店だけど、開店と同時に開店記念の演奏してもらうからそれまでに習得しといてね』

 

おお、神よ。

 




診療所は数年後に蝶屋敷と呼ばれるようになるそうです。主人公が診療所で出会った姉妹…ヒントは十分ですね。
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