シンフォギア習作 振れば風の鳴る翼的な女の子 作:レノボのカナリア
みあいのなんねんかまえのはなしです。
今生において最も心が落ち着く時間、それは墨を磨る時だ。
そして今まさに、俺は1人黙々と墨を磨っている。
近頃寒くなりつつある、秋の朝方の陽が部屋の窓から射し込まれ、その中で墨を磨る音だけが静かに響く。
良い墨は、見た目も薫りも音も良い…………心地の良い空間に俺の心は柔く溶けていくようだった。
前世から持ち越した数少ない趣味である書道は、俺の生活を色々な意味で支えるものとなっている。
名家の子供ということで自由に動くことも許されなかった幼少期にストレスをあまり抱え込まずに済んだのは、見た目にも幼いこの俺が書の才能――経験がすべてだから才能とか言われると恥ずかしいんだが……――に秀でていることで兄たちが俺を甘やかし、望むアニメやマンガなんかを渡してくれていたからなんだ。
俺が生まれる前に没した分家筋の老翁に書道の大家がいて、すわ!それの生まれ変わりか!と思われていたこともその一助だったかもしれない。
生まれ変わりは生まれ変わりでも別人ですけれどもね。
身体を鍛え、勉学に励み、書をしたため、アニメ見てマンガ読んで、極々普通の子供として生きていけていると自賛できる。
まだツヴァイウイングはデビューしていないがそれ以外は順調な生活で、このままこれが続けば良いと思いながら墨を磨り磨りだ。
いやそれにしても、やっぱり良い墨だよなぁ……前の生では既に消え去り、中々手に入らなかった古墨が久我の家に居るとそこそこの頻度で俺の手元に来る、この至福さと来たらまったく。
8歳の誕プレが『時乾文墨』という前世では存在しなかった(と思う)古墨数本であったのは歓びよりあきれが先行したが、それよりもその墨を用いて書いた時の気持ち良さよ。
清朝の時憲を1文字替えてそこに筆を執りますという文墨とだけ付ける飾らぬ名前は、なるほどその色艶や粘り、薫りをより純粋に楽しませるものなのだなと納得したくらいだ。
名前とは裏腹に江戸時代の和墨であり、なおかつ値段だけで見れば十万に届かないという特別高い古墨ではないが、しかし、俺はこれをとても気に入った。
気に入りすぎて初めて磨った日を除いては気が向いた時、父や兄どもに本命の手紙の代筆を頼まれた時と、合計して7度しか磨らずに今まで居たのである。
しかし7度だけといえ、数本合わせても60グラムくらいしか無かったから殆ど残っていない。
家の人間に調べてもらったがどこにも在庫がないらしいから、時乾文墨が俺の筆を濡らすのはおそらく今日のこれが最後になるだろう。
悲しいが、すでに手にしてから7年。
送る気持ちで、最後くらい思い切り使ってみせよう。
なんて考えて磨ったものの……………
「何を書こうか」
悩ましい、悩ましいな………何を書いても良いが、だからこそ何を書いてもいけない気がする。
こういう時に限って親も兄も居ないし………………使うにいい日と思って磨ったことに後悔はないが、悩むくらいなら磨る必要はなかったかな。
などと頭を悩ませていると、廊下から人の気配がした。
息遣いと足音から察するに使用人である女性である。
「お楽しみのところ申し訳ありません、雅実さん。寛三郎様がお見えになりました」
「有馬の叔父が何の用だ?」
「渡す物が有るとしか」
「……分かった、通してくれ」
数少ないまともな親戚が来たのは、俺の悩みを解決できる契機になるかもしれない。
宮内庁勤めの男で、俺以外の久我一族に共通する欠点である身長が低いことを除けば中々の器量持ちだ。
女遊びが派手なせいか良い歳こいて結婚どころか特定の相手も用意できていないが、まぁその他はまともだから…………
「何か失礼な事を考えてないか?」
「そんなわけないだろう」
声かけもしないで部屋に入ってくる男がまともかどうかはおいておく。
叔父は久我の分家である有馬家の当主であり父の実の弟である。
次男であったこの叔父は部屋住として塩漬けされるはずだったのだが、父と母が中学の時からの恋愛を成就させて高校卒業と同時に結婚し、数年と経たずに上兄と下兄を作ってしまったので早々に放牧となった極めて幸運な男であった。
更に言えば当時の有馬当主で、俺が生まれ変わりなのではないかと噂される大家に気に入られてその家に迎えられたという経歴をもっている。
この叔父が結婚しないのは、分家とはいえ血の関係が特別濃いというわけではない有馬を継いでしまうわけにはいかないと思っているんだろうと、父がかつて言っていた。
もっとも、単純に女遊びが楽しいから縛られたくないだけかもしれないが。
ただしただの遊び人でないことは、この男が宮内庁の深い所で働いていることからも良く分かる。
高松宮殿下とは学生時代から親交を深めていて、今の現在殿下のお言葉やお気持ちがニュースに出た際にテロップされる「宮内庁関係者」とは大体この男だという話だ。
「それで、何か渡す物が有ると聞いたが」
公私に忙しいはずの叔父がわざわざ時期外れに俺の所へ、しかも両親も上下兄も居ない時に訪れてきたというのは些か不思議な事である。
渡す物、とかいう物に曰くがあると思わざるを得ないよな。
「これだ。墨もあって紙もあるというグッドなタイミングの物だぞ」
言いながら小さく細長い箱を渡してくる。
言葉の通りに受けとれば恐らくは筆か。
「誰が、そして俺に渡す理由は?」
「俺の知り合いが。お前の書に感銘を受けたから」
「………」
「疑っているのか?」
「当たり前だろう、俺は展覧会だのコンクールだの、そういった物に作品を出した事など数回しかない。更に言えば最後に出したのは2年前、しかも作品は返却されていて今さら誰かが見られるとも思わん」
「え、あー……」
何か隠してないか、この男。
「そうだな、雅実は知らないかもしれないがな?」
「あぁ」
「お前の書いたやつ、結構色んな所にばら蒔かれてるぞ?兄貴と義姉さんと、後お前兄たちの手で」
「なんだと?…………なるほど、そういうことか」
昔、書いた物をゴミ箱に捨てていたらそれを見た上兄にまとめて処理するから父に渡すようにって言われた事があったことを思い出した。
処理という言葉が意味するものを何も考えてなかったから、その時から俺は父に渡すようになったんだが………………それが弾になっていたのか。
「おかしいとは思わなかったか?子供が趣味で書いてるだけなのに良い道具をたくさん渡されて、しかも義父殿の生まれ変わりだのなんだのと言われているんだぞ?」
「墨やらなんやらについては思う所が無かったでもない…………が、生まれ変わりどうのは、単なる身内だけの誉め言葉だと思っていたんだがな」
「生まれ変わりどうこうってのは、かなり遠くまで伝わっている筈……あぁ、気にしなくても良い。世間一般にということじゃあなくて、あくまでお前の書を見た連中にということだから」
気にするだろ、普通は。
見せるように書いたわけじゃない物が誰かに見られているというのは、すごく恥ずかしいんだぞ………さすがに手習いレベルの物は流されていないと思うが。
「まぁ良い……で、感銘を受けたっていうのは誰なんだ。俺が知ってる人間か?」
「え、いや、知らないん、じゃないか?」
「はぁ?………まさかとは思うが殿下と呼ばれるお人からではないだろ?」
「勿論違う」
「そうか……」
それは良かった、皇族方に拙い物を見られたのであれば恥ずかしいでは済まない。
「では一体?」
「若くして内閣情報官補佐を務めている男さ。海千山千の外交官を宥め脅して転がせるような怜悧さを持っている奴でな、数年もすれば日本の外交を安全保障の面から牽引してくれるだろうともっぱらの噂だ」
ふぅん、大した男も居るものだなぁ……まぁ若いとは言っても政治家だろうし、40代くらいか。
でもそれくらいで活躍しているなら、かなりの有望株だろう。
「名前を風鳴八紘と言ってな、鎌倉の御前の後継者で」
はぁ?待て、待て待て。
いや、おかしいだろ、なんでこんな事で原作キャラと繋がりを持たなきゃならないんだ。
「ははは、そうかそうか。でもそんなことはどうでも良いから、これは返すよありがとう」
「もう受け取ってるから此処にあるんだ。返せるわけないだろ」
「いやいや」
「いやいやいや」
「………ダメか?」
「ダメに決まってるだろ」
えぇ?やだなぁ…………
「露骨に嫌そうな顔をするのはよせ、というよりどうして嫌なんだ。お前は貰えるものは何でも貰う主義だったはずだったろ」
「………午前ティーより午後ティー派だからな」
「言いたくないならそれで良いが、返せないからな?」
「チッ」
押し売りは勘弁してくれ………せめて最初に言っておいてくれれば良いのに。
「ほら、中を確認してお礼を書け。私はそれを持って帰るから」
「分かったよ」
しかたがなく箱を開けると明らかに格式高そうな紫色の布にくるまれた、大筆が姿を現した。
見事な赤天尾である………俺としては馬よりもイタチとかのほうが好きなんだが、これはこれで良いものだよなぁ。
筆軸にはノーザンライツ号と彫られていて……
「もしかして何処かの競走馬の毛なのか?」
「さぁ、私はそういうのに詳しくないから知らん」
「知らんって、預かって来た時に来歴くらい聞いてきてくれないか?」
「あははは」
笑い事じゃねぇだろうに…………とりあえずニマニマ大百科で調べて見るか。
「検索するのか?」
「まぁな」
御礼を書くにも、貰い物のことをある程度は知っておいたほうが良いだろう。
何も知らないと書くべき物が抜け落ちる可能性がある。
で、該当のページがヒットしたんだが………なんだこの馬。
「史上2頭目の凱旋門3連覇で、G1レース勝利が25連勝含めた28勝?ってか凱旋門制覇が5、6、7歳の時ってマジかよ…………敗けが斜行による失格1度のみのチート馬じゃねぇか」
ぼくがかんがえたさいきょうのきょうそうば!じゃあるまいし、こんな馬が居て良いのか?
1900年代始めごろの競馬みたいな戦績しやがって。
しかも両親と子供も合わせたらG1レースを50勝の超エリートだし…………
欠点といえるのが産駒でG1勝利馬が一頭のみってことだけど、それが三冠馬って………あ、子供は日本に持ち込まれて三冠馬になってるんだな、このステートノーザンって馬。
「こんな馬の筆なんて貰ったら、相当に気を入れて礼を書くしかないだろう…………今日中に納得出来るの書けるか?」
「そんなに凄いのかこの毛の馬は?」
「凄いんだよ!普通に分かれ!」
「なんて理不尽な………」
理不尽じゃねぇってんだよ、今の高松宮は競走馬好きで有名だろ。
なんで側にいて知らないんだ?
というか、一昨年に死んでるんだなノーザンライツ。
ふむふむ、その死後馬主と親交が深かった高松宮にたてがみと尾の毛が贈られて筆になったと。
「殿下じゃねえーか!」
「どうした、急に」
「どうした、急に、じゃない!この筆やっぱり高松宮殿下からじゃないか!」
「…………どうして分かったんだ?」
「記事に書かれてる」
ニマニマ大百科って結構マニアックかつ詳細な情報があるから………前世との違和感を感じた時に調べ物をするのに便利なんだ。
このサイトのおかげでかなり助かってるところがある。
「バレたら仕方がない。確かにそれは殿下からだ」
「なんで他人からっていうしょうもない嘘を」
「なんでって、お前の立場を慮ってだろ」
「はぁ?」
嘘をつかれなきゃいけない立場ってなんだ?
「悪いが俺の口からは言えないぞ」
叔父の顔と声色から本気で言っていることが分かったから、俺はそれ以上そのことを聞く気はなくなった。
しかし………
「風鳴八紘氏の名前が代わりに出てきたのは一体?」
「殿下と話をしているとき、部屋に偶然入ってきたからだが?」
あ、さいですか……そうですか…………まぁ俺が原作キャラと関わるなんてあり得ないもんな。
はっはっはっ、心配して損した。
「まぁ風鳴八紘氏には御礼を書くとして………近々コンクールがあるからそっちに殿下が分かる内容で書を出すってことで良いか?」
「殿下が分かるもの?」
「天高く馬肥ゆる秋、と」
「………………は?」
いや分かれよ!?うまい隠し方じゃねーけどさ!?
――――
この世界での高松宮は廃絶になっていない。
この世界には高松宮記念がない。
凱旋門三連覇馬は、ほら、ロマンだから。
――――
叔父が立場云々と言って濁している理由は
優れた名門本家を持つ分家にありがちなコンプレックスを抱く久我の分家たち(じじばば)。
数代に渡って培われてきた根強いコンプレックスに一筋の光を与えたのが分家筋に現れた書の大家。
大家は手習いの師として皇族に書道を教えていたほどで、若かりし頃の高松宮にも手解きをしていた。
本家に政治家はいても皇族と関わるような人間は存在せず、分家たちは鼻高々でいたのだが………
大家の死後に雅実が生まれ、しかも優れた書の才を持っていながらにしてこれまでの久我一族には居なかった、武的な才を持つことへ反発を抱く(この時点では普通のコンプレックス)
しかし書の才が思った以上にあり、大家の作品を通じて肥えていた分家の目でもそれが大家と遜色の無いものだと理解してしまったため、発狂。
更には小柄が多い久我一族とは思えないほどに身体が大きく立派に育ち、しかも学力(ただの学力)まで高い。
自分たち分家の孫たちが普通すぎるため、孫があらゆる面で負けているという新しいコンプレックスを築かれて、更に発狂。
雅実が品行方正ならば耐えられたであろうが、奇行を繰り返す彼にコンプレックスは更に更に更に叩きつけられて、どうしようもなく雅実を憎ましく思うようになる分家たち。
だからこそきつく当たっているのに、雅実は冷めた目で慇懃無礼な態度を終始崩さない(内心殺意マシマシだが)ので怒りがMAXに。
そんな中で筆を下賜されるという栄誉を雅実が受けたなどと知られた日には、分家たちが暴走することは目に見えている。
上記を、本家と分家の両方に属していた叔父は理解していることにある。
奔放な叔父と雅実は気が合うからか仲が良く、尚且つそこそこ暗い世界も覗いている叔父だからこそ、甥っ子の殺意と行動の心理的距離が短いことを肌でなんとなく察知。
流石に若者もいるし分家筋全滅などと言うことにはなるまいが、高齢化が酷い一族ゆえにじじばばが一掃されただけでも一族の受けるダメージが計り知れないことは明らかだ。
義父である大家に対する恩義から、分家連中の命だけは守ろうと動いているのであった。
ちなみに自分の生涯はその一事のため!と覚悟していた叔父なのだが、数年後にシェム・ハが装者たちに倒され、大学に入った雅実が気を弛めはじめたことで解放され、そんな解放感から仕事で知り合った女性と電撃的にゴールすることになるのだが……………それはそれである。