「おにーちゃん、この問題教えて!」
「ん? 分かった。ルイ、教えるからこっちに来い」
「はーい!」
「レイも分からないとこあったら持って来ていいぞ」
「うん、分かった!」
いそいそと教科書を持ってきた弟の頭をなでながら、その教科書に目をやる。
「で、どこが分からないんだ?」
「えーっとね、ここのーー」
ルイとレイの宿題をしばらく教えていると、玄関のほうからガラガラと引き戸の開く音が聞こえた。
「ただいま」
「あっおねーちゃん帰ってきた!」
ルイとレイが立ち上がって玄関までばたばた走り寄る。
いつの間にか、二人の手にはモップやら塵取りやらが握られている。
「現れたな怪人め!」
「やっつけるわセカイのために」
その声を聞いた人影は、おもむろにレジ袋からねぎを取り出した。
「……待ってたわ双子戦隊家事レンジャー! このネギソードのサビにしてくれる」
ルイとレイに対峙しながら妙に様になった立ち姿でネギを構えるもう一人の妹に向かって、灰は声をかける。
「おかえり、景」
「……ええ、ただいま。兄さん」
微笑みながら景が灰に返事をするや否やルイとレイは景にじゃれつく。
あれはヒーローごっこらしいのだが、ルイとレイは最近この遊びがブームらしくよく景と一緒に遊んでいる。
なぜ自分とはやらないのか双子にを聞いたら「おねーちゃんの方が怪人役が上手だから」と言われてから一人の時にこっそり怪人の練習をしているのはお兄ちゃんだけの秘密なのである。
♦
「え? スターズ落ちたの!?」
「うん」
景の作った味噌汁をすすりながら、灰は食卓でのレイと景の会話を聞いていた。ついでにルイがネギをレイの皿にのせようとしていたので手をはたいて止める。
上の妹、高校生の景は先日大手芸能事務所スターズの俳優発掘オーディションの参加していた。
例年三万人を超える新人が集うらしいそれだが灰は景が不合格になるとは全く考えていなかったので顔には出していないが少し驚いている。身内びいきが過ぎたと言われればそれまでなのだが……。
「なんだかおねーちゃん落ち込んじゃう」
「おねーちゃんもっと笑ったらいいのに! 笑ったらオーディションも受かるよ!」
「……こう?」
そう言いながら表情を変える景の笑みは、口角をつり上げれみただけというのが適当に思えるほどぎこちないものでルイとレイはきゃらきゃら笑いながら、似合わないだの変だのと言いたい放題だ。
灰も口にはしないが自分の妹ながらそれはないな、と思う程にはひどい。
「おねーちゃんそんなんじゃ女優さんになれないよ」
「ならないよ、落ちちゃったもん」
「え」
「兄さんにばかり負担はかけられないしね」
それを聞いてショックを受けたようなレイの表情が少し気になったがそれ以上に気にかかるのはーー。
「役者は駄目だったのできちんと就職しまーー」
景は話しているとふいに涙が頬を伝った。本当に突然、まるで感情と体がバラバラに動いているかのように。
それを見ておねーちゃん強がってる! とはしゃぐ双子を横目に灰は景に問いかける。
「景、オーディションで『悲しみ』か何かの演技をしたのか?」
そう聞くと景は驚いたように目を瞠る。
「ええ、そうよ。良く分かったわね兄さん」
「すごーい、おにーちゃんなんで分かったの!?」
「そりゃ何年お前たちの兄貴やってると思ってるんだ」
「その演技課題の時の感情がまだ残ってるの」
やはりな、と思いながらもやし炒めに箸を伸ばす。オーディションから帰ってきてから景の様子が少しおかしかったのはそれが原因だったのだろう。
灰がオーディションに受かると思っていた理由がこれだ。
景は時々まるで別人と見違えるほどの演技をして、そしてその時の感覚が暫く残ってしまうのだという。
本人は感情を思い出しているだけだと軽く言っているが明らかに異才、奇才の類だ。灰はうちの子は天才だと本気で思っている。
「ね、おねーちゃん。役者さんになってね」
「え? ならないってば」
そうどこか思いつめたようにいうレイの台詞を聞いて、あぁレイもそれに気づいてるんだなぁと灰は悟った。
レイの様子を気にしながら白米を掻っ込む。うむ、景が作ったご飯は今日も美味い。
--数時間後、夜も更けた頃ルイとレイを寝かしつけているとレイが灰の寝巻の裾を引っ張ってくる。
「ねぇ、おにーちゃん。おねーちゃん役者さんにならないのかな」
「……レイはお姉ちゃんに役者になった方がいいと思うのか?」
「うん、おねーちゃんは役者さんじゃないとダメだと思うの」
「……そうか」
レイが布団から身を起こしてじっと見つめる先にいるのは、映画を映すテレビの前で笑みを浮かべる景の姿だった。
その笑みはさっきぎこちない笑みを浮かべていた人と同じ人物だとにわかには信じられないほど自然なものだ。それこそ、別人のように。
「実はお兄ちゃんも景は役者が向いてるんじゃないかと思ってるんだ」
「えっほんと?」
「ああ、本当だとも」
そう言うとレイはぱっと顔を明るくさせた。
頭を撫でてやりながら続ける。
「明日、俺と一緒にもう一度景と話をしてみようか」
「うんっ」
その言葉を聞いたレイは安心したような表情を浮かべると電池が切れたように眠ってしまった。
灰はしばらくレイの頭をなでて完全に寝入ったのを確認すると、いまだに微動だにせずテレビの前に座っている景をじっと見てからようやく自分も眠りについた。
♦
翌日、学校に行く妹たちを見送るべく玄関先に出ていくと自然な笑みを浮かべる景が双子に向かって両手でピースしながらくるくる回っていた。
景は見た目はクールな美少女だが割合お茶目なところもあるのだ。天然とも言う。
「どう? 自然に笑えてるでしょ?」
「わーい、明るいおねーちゃんだ」
「もっと早くおぼえるべきだったわ。これなら就職活動もどんと来いね!」
その言葉を聞いた瞬間レイが大声を上げる。
「お姉ちゃんは役者さんにならないとダメ!!」
「何言って……」
「だってふつうの人は勝手に涙が流れたり一日で別人みたいになったりしないでしょ。おねーちゃんは役者になるからそれでいいと思ってたけど役者さんにならないならおねーちゃん、ーー怖い」
「……え、でもオーディション落ちたし兄さんにばかり苦労を掛けるわけにはいかないから私も働かないとーー」
レイの叫びを聞いた灰はこの話は夜にしようと思っていたのだが、出遅れてしまったらしいことを察して急いでレイに加勢する。
レイのいつにない様子にさすがに困惑した様子の景を見ながら声をかける。
「景、いつも言っているがお金のことは心配いらない。今でもお前たちを育てていけるだけの稼ぎはあるから景はやりたいことをすればいい。それに俺もお前は役者に向いていると思うよ」
「でも兄さん、お母さんが死んでから私のせいでずっと働き詰めだったでしょ。昔倒れたことだってあるしやっぱり私も働かないと」
「それは昔の話だろう、今はもっと時間もお金も余裕がある。それにお前のせいだなんて言ってくれるな、俺はずっと自分がやりたいことしかやっていないよ」
「兄さん……」
灰の話を聞き、少し悩む様子を見せる景にあと一押しだと言葉を続けようとしたその時、灰は家の前に見慣れない車があることに気付く。
じっとその車を見ていると車から一人の男が出てきて訝しそうに見つめる灰たちに向かって口を開く。
「ーー夜凪景君」
その男、人気俳優である星アキラの来訪の目的は、景が落ちたはずのスターズのオーディション最終審査への招待であった。
♦
--ようやく見つけた。
映画監督の黒山墨字はその悪人面をさらに歪ませ、笑みを浮かべる。
それもそのはず、長年探していた自分の映画で「あの役」を演じうる逸材を見つけたのだから。
その金の卵、夜凪景を見つけたのはスターズのオーディション第五審査にてだった。
彼女は素人だという話だったがすさまじい演技を見せたのだ。彼女は高校生ながらにメソッド演技法ーーその役柄を演じるためにその感情と呼応する自らの過去を追体験する演技法ーーを極めていたのだ。
そんな才能にあふれる彼女をなんとスターズ社長、星アリサは落とした。
夜凪景は役者になると不幸になるから、と。
黒山からしてみれば金をどぶに捨てるよりも愚かな行為だが、スターズの社長であるアリサの決定を覆せるはずもない。
そんな黒山に転機が訪れる。
オーディションの最終審査にまで残った一人がなんと辞退をしたのだ。彼女は第五審査にて夜凪の演技を目の当たりにて役者の夢に諦めがついた、自分では本物にはなれないからと言って。
だからその空いた一枠に黒山は夜凪をねじ込んだ。
そうして今、星アキラに慌てて連れてこさせた夜凪景が会場にきて、いよいよ最終審査が始まる。
……夜凪の兄妹であろう青年と双子の子供をアキラが連れてきたのは予想外だったが、まぁ気にすることもないだろう。
「最終審査は『無言劇』になります。声を使わず身振りや表情のみでこちらが用意した設定を一斉に演じて見せて下さい」
審査員が最終審査の内容を応募者たちに伝える。
夜凪の弟なのだろう少年が声をかけようとして、横にいる青年と少女にたしなめられているのを横目に黒山はアリサに声をかける。
「社長から何か?」
「私は幸せになれる役者しか育てない。実力は関係ないわよ」
アリサの言葉にざわつく会場のなか黒山は審査の設定を発表する。
「ーーで、設定だが「野犬よ」」
黒山が設定を言おうとした瞬間、アリサが割り込んできた。
その設定は予定されたものとは全く違うものだ。
「あなたたちの目の前には一匹の野犬がいるわ」
ーーなるほど、このババァ。夜凪の演技は過去の記憶を自在に扱い喜怒哀楽を表現するものだ。だが経験の少ない夜凪では想像のできない未体験状況を演じる力はない。そうまでして夜凪を落としたいらしいなーー
事実、夜凪景は困惑しているように見える。
そう考えた夜凪に手を貸そうと黒山は口を開こうとして、やめた。
ちょうど言おうとしていた言葉がどこからか聞こえてきたから。
「お前たちは深い森へ迷い込んだーー」
声の出どころは夜凪が連れてきたうちの一人、二十歳くらいに見える青年が口を開いている。
「運の悪いことに野犬が行く手を阻む。ごわごわとした黒い体毛、容易に肉を裂くだろう鋭い爪と牙ーー」
朗々と言葉を紡ぐその姿は青年の整った容姿も相まってか驚く程様になっていて、審査員たちは止めるのも忘れてただ口を開けて呆けている。
ようやく我に返ったアキラが制止の声を上げようとしたその時、黒山がその腕を掴みやめさせる。アキラは母親でもあるアリサの方を確認すると止める気はないようだったのでおとなしく声を発し続ける青年を見やる。
「そしてやせ細った体とは不釣り合いに思えるほどギラついた眼光ーー」
青年の一挙手一投足に会場にいる誰もが注目する中、青年は一呼吸置き、そして最後の一言を言い放った。
「ーーああ、まずいなこいつ。
その言葉を聞いた瞬間、すっと眼を鋭くさせた夜凪が弾かれたように動き出す。
--睨み合っての臨戦状態。
それまで固まっていた他の応募者もその動きを見てようやく動き出す。
夜凪が見ている野犬を共通認識として。
夜凪は飛び掛かってくる野犬にわざと片手を噛みつかせ、動きを止まった野犬を強打。野犬がたまらず逃げ出すと夜凪景はそれを追わずに向かった先はーー。
「ああ……なぜ逃げずに戦っているのかと思えば……」
ーー夜凪、お前は初めから家族のために戦っていたのか!
夜凪は家族の前までくると飛び掛かってきた野犬に向かって振り上げた足を思い切り振り下ろす!
「私の家族に何するの」
誰もがその容赦ない動きに言葉を失ったそのとき、夜凪の手を少年がとる。
「おねーちゃん、すごかった!」
「うん、ちょー面白かった!!」
その言葉を聞いた夜凪はさっきだっていた雰囲気を一瞬のうちに消し去る。
「あっ、そっかこれ……お芝居だった」
夜凪がそう呟くと数拍の静寂の後、会場は万雷の拍手に包まれる。
「いやー、迫真だった」
「天才だ……!」
「映画みたいでしたね」
拍手が鳴りやまないなか、どこか思いつめたような顔のアリサを口を開く。
「決定したわ。俳優発掘オーディショングランプリ優勝はーー
♦
オーディションの最終試験を終えたその日の夜、灰と景は家の前で二人並んで座っていた。
ルイとレイは家の中から窓を開けて二人を見ていた。
「皆が笑って……拍手してくれてあんなの初めてだった。嘘みたいね、私が落ちるなんて」
「……すまなかった景、俺のせいでお前は」
「謝らないで、別に兄さんのせいじゃないもの」
「いや、でも俺がでしゃばったばっかりに……」
「でも兄さんがああやって野犬の描写をしてくれなかったら私は演技すらできなかったから兄さんには感謝こそすれ恨みなんてないわ」
そう、灰は自分のせいで妹が落とされてしまったと絶賛落ち込み中なのだ。
灰は演技の課題を聞いた瞬間、今の景では想像できない野犬に対しての演技は出来ないと察し、ほぼ無意識のうちに野犬の描写を口に出してしまったのだ。
言うなれば入学試験で受験生の横で父兄がヒントを大声で教えるようなものだからいくら妹のためとはいえ普通に灰の行動はアウトである。
「二人ともいつまで空見上げてるの」
「落ち込んでないでもううち入りなよー」
「それに別にいいじゃん、おにーちゃんもおねーちゃんもかっこよかったもん! それにウルトラ仮面もおにーちゃんのせいじゃないって言ってたし!」
「そうそう! それにおねーちゃんはもう役者さんでしょ!」
窓から顔を出す双子が、目をキラキラさせながらそんなことを言ってくる。二人の目を見れば本心からの言葉ということは容易に察せられて灰と景は、
「「……愛してる」」
「わあああ、大人の言葉だ! えっち!!」
「えっちではないでしょ」
♦
オーディション終了後、会場にて黒山と星アリサが対峙していた。
「やっぱり夜凪を落としたか」
「ええ、言ったでしょう。あの子の演技はいずれ身を滅ぼす。役者の道に進むことは彼女の幸せにならないわ」
「そういう話かよ……」
黒山がアリサを睨みつけるがアリサは厳しい表情のまま続ける。
「あなた達演出家は作品のためなら役者の人生は考えない。自分以外になるという異能にたけた人間を育てて彼女の人生に責任が取れるの?」
「いつか心を壊すと? 女優時代の自分のように」
「……私の会社は誰も不幸にしない。事務所のごり押しだろうと何だろうとスターを作り上げる、それの何がいけないの」
その言葉を聞いた黒山は口元をニヤリとつりあげ、アリサに向かってどこか挑発的に言葉を発する。
「くだらねェ、思い出させてやるよ本物の役者って奴を。この世界でしか生きられない人間の幸福を」
黒山とアリサを睨みあうがどちらともなく視線を逸らせる。
その時黒山が思いだしたようにぽつりと呟いた。
「そういえば、結局あのガキは何だったんだろうな」
「あのガキ?」
「野犬の時のあれだよ。設定を聞いた瞬間に夜凪には演じることができないと察して場面描写を始めやがった。夜凪のためなんだろうがよくやる」
黒山がそこまで言うとアリサも誰のことか分かったようだった。
「ああ、彼のことね」
「あ? 知ってんのか?」
「ええ、少し仕事で付き合いがあったのよ」
「ほぅ、ならあいつも役者なのか? 確かに人目を引く容姿ではあったが」
「いいえ違うわ。彼の名前は夜凪灰ーー」
アリサは一呼吸おいて続ける。
「ーー小説家よ」